写真機という人生
派生コーナー・猫写真はこちら

阿部道生
2000.08.26〜

 最初に手にしたカメラは、いまとなってはメーカーもわからない、126フイルムをつかうプラスチック製の簡単なものだった。それ以後、カメラはいつでも自分のそばにあって、常に、その時の人生にとっての「なにか」である。それは、写真を日常に撮る時も、趣味としてしか撮らない時も、そして、時にはまったく撮らない時ですら、カメラは手元でなにかを主張していた。凝縮したメカニズムとか、そういった理屈はもちろんあるだろうけれど、やっぱりそれだけではない。表現の手段という意味も確かにあるけれど、それでいいつくされるものでもない。カメラ好きの人たちの語る言葉に納得しつつも、でも、手元に並んでいる機械達をみていると、そこには、「物」ではなく、個性のような流れとしてのつながりを感じる。
 と、いうわけで、所有したカメラ達の歴史を私的にふりかえってみる、という独善的コーナーをたちあげてしまうのであった。ちなみに、ここに出てくるカメラ達以外にデジカメがあるのだけれども、それはすでに別コーナーがあるのでここでは触れていない。

 それにしても、カメラって、一体なんなんだろう。道具のなかでも格別な道具だ。いまでも、どこにいくにも常に一台はカメラがかばんに入っている。


高知に行ってきました

広島に行ってきました

雪景色2001



1.126版のカメラ

2.キャノンデミ

3.ペンタックスMX

4.ローライ35LED

5.ミノルタ16

6.ロシアライカ(Fed)

7.マーキュリー

8.コンタックスRTS

9.オリンパスXA2

10.ニコマートFT

11.オリンパスμ

12.ペンタックスAuto110

13.Disk8000

14.ミノルタAL-2

15.ローライ35

16.ローライA26

17.MinoxB

18.ContaxIIa

19.Kiev4a

20.ContaxII

21.ContaxI

22.Pentacon

23.ContaxIIIa

24.ContaxIII

25.Rolleiflex SL66E

26.MinoxIII

27.コンタックス AX

28.Autoboy D5


 さて、ここにあげた他にも数台のデジタルカメラが手元にある。デジカメは、丁度黎明期から使ってきたようなところがあるためにカメラとしての成長ぶりをフイルムカメラと比較出来ておもしろいのだ。一つには、液晶ファインダーを使うデジカメは事実上一眼レフと同様の感覚になる、ということと、ビューファインダー式のものは、結局のところパララックスの呪縛から逃れていないということ。接写しようとするとそのあたりのことが結構重要で、液晶でフレーミングの確認をしながらでないと使い物にならない場合すらある。ところが、今度は露出が自動まかせのものが多いために接写時の露出がすさまじく面倒なことになる。ストロボなんかたいたりすると、まず間違いなくオーバーだから。加えて、接写時のオートフォーカスも当てにならなかったり。デジカメって、自由につくれるカメラの割には、結構限局された使い方しか想定されていない。ムービー撮れるのも楽しいけれど、それ以前にちゃんとした「カメラ」にならないものか。
 最近のモデルでようやく、そこそこのコツで安心して接写ができるようになってきた。今使っている505Vなんかは、ピントの癖さえ飲み込めば結構楽ちん。ただ、マニュアルフォーカスの時にピントの山がよくわからないのが痛い。露出についても、絞り優先、シヤッター優先のAEに切り替えることができるようになった。もっとも、いちいち画面を呼び出さなくてはならないから面倒なのだけれど、とりあえず、カメラのメタファとしてはいびつなかたちながら、達成度を増加させつつある。

 うーん、でも、このままだとデジカメの魅力はラボにださなくてもすぐに画像を取り出してコンピューターに取り込める、につきてしまう。これでは、拙速なるパロディで終わってしまうのでは。ムービー撮れたところで、ビデオとの融合でおしまいだろう。「カメラ」あるいは「写真機」としての独特の位置を見つけ出すことはできないものか… もちろん、画素数がもう少しあがればスタジオ写真なんかへの進出も加速されるだろう。速報雑誌で、「あ、これD1で撮ったな」とJPEGのジャギーからばれてしまうようなこともなくなるのかもしれない。でも、個人的には、せっかくの革新なのだから、デジカメにはもっととんでもなく奇天烈なところで自己主張をしてほしい。むずかしいかなあ。

 たとえば、フイルムスキャナさえあれば、即日現像のフイルムから簡単に画像はとりこめる。画質という点では町のそのへんのラボであってもデジカメよりは上だから、写真を素材として使いたければこういう手もあるわけだ。サービスになんか焼かないで、現像とインデックスプリントのみにしておけばコストもそんなにかからない。いや、ネガがあればいいのなら、サービスの同時プリントは0円なんていうのもある。

 そういえば、結構期待してたのに出てこないのが「パトローネ型のデジカメ」だ。あれは、それまでのカメラがそのままデジカメになる、というアイデアに感動したし、あれだと、古いカメラ、古いレンズもまたデジカメとして使いまわすことができる。うまくすれば、現在は製造されていないフイルムもデジカメとして復活できるかもしれないじゃないか。126版なんか、もともとそんなに画質を求められていないサイズなんだから、あれのカートリッジ型のデジカメをつくってくれれば… こういうアイデアって、やっぱり商売にならないのかねえ。126だとフイルム面のサイズも小さいのだし、結構おもしろいと思うのだが。

 興味深いのは、デジカメ用オプションとして流行しているアダプタレンズの存在。これで、ワイドにしたりテレにしたり、というのは、そのまんまレンズシャッター時代の前玉交換レンズではないか。時代はこうして再現されていくのかなあ。


 こうやってカメラをリストアップするとクラシックカメラばかり…のような。そういわれて、失礼な、確実な仕事のためにRTSだってあるぞ、と思ったんだけれども、考えてみればRTS自体がクラシックカメラなんだよなあ。うーむ。

 で、なにとはなしに「確実カメラ」としてG2がほしいなあ、とかN1はどうかなあ、とか考えはじめているあたりが危険である。中古カメラウイルスって、そのまま真性のカメラウイルスに転じてしまうものなのか? 赤瀬川さんにきいてみないと。

 その「確実カメラ」がなんのことはない、「三代目のRTS」になっちゃったあたりがもう不治だよということなのかも…


・小さいフイルムパトローネ

 娘の使い捨てカメラを現像に出すにあたって、かさばるのは嫌だからばらしました(よいこはまねしないように)。びっくりしたのは、でてきたフイルムパトローネの形です。

 左はフジの。これは普通です。問題は右。サクラのカメラだったのだけれどなんかへん。「薄型カメラ」というくせにそもそもAPSではないわけで…カメラメーカーの特権で「特に細身のパトローネ」をつくっているらしいのです。「135-小型」なんて初めてみたぞ。

 上からみるとこれくらい違いう。で、思ったのは昔のカメラで特殊なカートリッジを使っていたようなものにこの細身のパトローネがはいったりはいないだろうか、ということ。残念ながら僕はその手のカメラはもっていないけれど、サクラに洒落っ気があれば、こっそりと互換性をもたせていたりするんじゃないかなあ。しないかなあ。赤瀬川さんあたりならすでにやってみているかな。