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"Kanon" One of another - D.B.C. Compact mix

7

 まわりがすっかり明るくなってからようやく、祐一は切り株におろしていた重い腰をあげた。
 ただひたすら泣きつづけ、心がからからに乾いたみたいになっていた。そのままいつまででもずっととどまっていたい気がした。けれどそうするわけにはいかなかった。しなければならないことはまだ残っていたから。
 だから、とりあえず森を出た。他のことは何も考えられずに。
 重い足を引きずるようにして歩く街の中には高校生の姿はひとつもなかった。
 水瀬家では雪うさぎが祐一を待っていた。門の内側でちょこんとかわいらしくうずくまって。ちょっと不恰好なのは名雪が登校前に急いで作ったからに違いなかった。あいつ遅刻しなかっただろうか、そんなことを思いながら祐一は鍵を開けてドアを開いた。
 通りかかったリビングの中に秋子叔母さんの姿が見えた。思わず立ちどまると、秋子叔母さんは祐一を安心させるように微笑んだ。
「お帰りなさい、祐一さん」
「――ただいま」
 言って、そのまま祐一はその場に倒れこんだ。

 高熱を発して三日間寝こんだ。
 ほとんどの時間は眠っていた。起きている時間も意識は朦朧としてはっきりしなかった。名雪がずいぶん長いあいだそばにいてくれたような気がした。ときには秋子叔母さんがそばにいてくれたような気がした。
 もちろん二人とも学校や仕事を放っておくわけにはいかないわけで、一人でいる時間も長かった。そのあいだずっと祐一は夢を見ているような気がしていた。たくさんの夢を。
 ほとんどはあいまいな、思いだそうにも思いだせないものだった。けれど中にひとつだけはっきりしたものがあった。夢というよりはよみがえった過去の記憶が。

 祐一はあゆと並んで歩いていた。住宅街を、商店街へと。あゆはまだすこし興奮している感じで、登った木の上から見える景色がどんなにきれいだったかをしゃべりつづけていた。祐一はあゆがこんなに喜んでくれてうれしいような同じ景色が見れなくて悔しいような複雑な気分を味わっていた。
 やがて商店街の端に戻ってくるとあゆは我にかえったようにしゃべるのをやめ、足を止め、まじめな顔になって祐一に向きなおった。
「今日は本当にありがとう、祐一君。ボク、すごくうれしかった」
 そこまで言うとあゆは顔を伏せた。
「あのね、ボクね……すごく悲しいことがあったんだ。でも今日はすこしのあいだだけど忘れることができた。祐一君のおかげで。だから……ありがとう」
 消え入りそうな声だった。なんて言っていいかわからず、祐一はただその姿をながめた。
 と、あゆは顔をあげて微笑んだ。
「祐一君、お母さんのこと、好き?」
「あ、ああ」
 突然の問いに祐一は反射的に答えた。その姿にあゆはうれしそうに笑った。
「ボクも好きだよ。
 でもね、ボクのお母さんね……いなくなっちゃったんだ」
 無理に作った笑顔に無理に作った明るい声。思わず手を伸ばして触れようとしたときにはあゆはもう祐一に背を向けて走りだしていた。
「祐一君のお母さんはずっといるといいね! じゃあね!」
 そう声をあげて去っていくうしろ姿を、祐一はいつまでも見送っていた。いつまでも。

 着替えて一階に下りるとちょうど外出姿の秋子叔母さんが靴を履いているところだった。
「いってらっしゃい」
 そう声をかけると秋子叔母さんはふりむいて祐一を見た。
「あら、そんなに元気なら学校にも行けましたね」
 微笑みながらからかうように言う。祐一は制服ではなく私服を着ていた。
「すみません、あと今日一日だけ大目に見てください。これで最後にしますから」
「はいはい、わかりました。仕方がありません。戸締りはきちんとしていってくださいね」
 そう言い残して秋子叔母さんは出ていった。閉まったドアに向かって祐一は頭をさげた。

 図書館には思ったよりずっとたくさんの人がいた。すこし驚きを覚えながら祐一は新聞の縮刷版で七年前の記事を探した。目的の記事は地方紙のさらに地域版の片隅に載っていた。祐一はいちばん近い通信部の電話番号をメモして新聞を元に戻した。
 外に出て電話をかけると幸運なことに目指す相手はすぐにつかまった。唾を飲みこんで乾いた喉を湿らせると祐一は用意していた質問を口にした。
 相手は親切に応対してくれた。さすがに記憶にはなかったものの、すぐに調べてくれて折りかえし祐一に電話をくれた。祐一は聞いた住所をメモに記した。

 行き着くまではどうすれば面倒なくことを済ませられるかそればかりを考えていた。もしかしたら嘘をついたほうがいいのではないだろうか、だとしたらどんな嘘がいいのか、と。しかし実際に建物を目の前にしたときにはそんなことは一切する気がなくなっていた。正直にすべてを説明しよう、納得してもらえるまで何度でも。
 そう決めたことで落ち着いた心とともに祐一は病院の門をくぐった。
 それでも、受付の前に立って用件を話しだしたときには声はうわずった。
「すいません、あの、この病院に月宮あゆっていう女の子が入院していたことがあると思うんですけど――」
 ――ご家族の連絡先を教えていただけないでしょうか。
 そう続けるつもりだった。それをさえぎったのは不思議そうな目で祐一を見つめる受付の女の人の瞳だった。
「ええ、いまも入院していますよ。お友だちですか?」
 祐一は声を失った。

 ちいさな白い部屋の中にベッドがひとつ。少女はそのベッドの上に横たわっていた。目を閉じて、かたわらのポールに吊るされた点滴のパックから伸びる管を腕に刺して。
 見慣れないその姿は、けれどたしかに見覚えのある顔だった。
 祐一は部屋の入口に立ちつくしてただあゆを見つめた。
「外傷はずいぶん早く直ったそうだけど、どういうわけか意識が戻らなかったらしいわね。なんにも問題はないらしいんだけど……」
 案内してきてくれた看護師さんの言葉はほとんど耳に入らなかった。
 たしかに誰もあゆが死んだとは言わなかった。たしかに新聞には意識不明の重体としか書かれていなかった……
 やがていまにも泣きだしそうな声で祐一は言った。
「なんだよあゆ、こんなところにいたのか……
 目を覚ませよ。いっしょにたいやき食おうぜ」
 看護師さんがけげんな目で自分を見るのがわかった。
 その目がベッドに向いて見開かれるのも。
 あゆの瞼がわずかに開いて震えていた。半目を開き、閉じて、また開く。二、三度まばたいてあゆは開いたぼうっとした目で天井をただ眺めた。
「ちょっと、ごめんなさい」
 看護師さんはそう言って小走りに部屋を出ていった。祐一はその場に立ちつくしてただあゆを見つめた。
 やがてあゆの首が動き、祐一に不思議そうな目を向けた。喉からかすれたちいさな声が漏れる。
「ゆういち……くん?」
「そうだよ、俺だよ。あゆ」
 その言葉がちゃんと聞き取れたかどうか祐一は自信がなかった。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていたから。

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