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"Kanon" One of another - D.B.C. Compact mix

5

「香里、祐一にすごく感謝してたよ」
「へ?」
 登校の途中の唐突な名雪の言葉に祐一は横を見た。並んで歩く名雪は口元にちいさく笑みを浮かべていた。
「昨日電話で話したときに言ってたよ。本当は口止めされてるんだけどね。栞ちゃんと仲直りするきっかけを作ってあげたんでしょ? 私もうれしいよ、香里、栞ちゃんのことですごく悩んでたから」
「――そうか」
 それだけ言って祐一は顔を前に向けなおした。
「……祐一、そっけないよ」
 不満げな名雪の声にもかまわず祐一は先へと進んだ。

 美坂栞の言葉は祐一にさまざまなことを考えさせた。
 自分とあゆの存在が彼女の自殺を思いとどまらせるのに役にたったのだとしたら、それ自体はとてもうれしいことだった。だが祐一はその言葉を素直に喜べないでいた。あゆとの関係をはっきりと思いだせない自分がそんなふうに言われるなんて許されない気がした。むしろ罪悪感に似たものさえ祐一は感じていた。
 それもこれも、結局は自分が過去ときちんと向きあおうとしないからだということはよくわかっていた。
 このままじゃいけない、そう思いながら、しかし問題をできるだけ先送りにするかのように、祐一は日々の出来事だけを相手に過ごした。

 だから、逆に油断していたのかもしれない。商店街に行くのにその可能性をほとんど考えていなかったのだから。
 まったく考えていなかったわけではない。用事を済ませたらすぐ帰ろうとは思っていたのだ。しかしシャープペンの芯を買うだけだから、とも思ってはいた。下校途中に文房具屋に寄るだけでばったり出くわすだなんてことはまずありえないだろうと。
 世の中そんなに甘くはないということを祐一は店から出た瞬間に思い知らされた。
「裕一君!」
「うわっ!」
 声とともに横から抱きついてきた誰かを祐一はほとんど反射的に振り払った。
「わあっ!」
 声をあげて誰かは路上に倒れる。そのまま手をつき顔をうつむかせて誰かはぽつりとつぶやいた。
「うぐぅ、裕一君に捨てられた……」
「誤解を招くような言いかたするな! だいたいいきなり飛びついてくるほうが悪いんじゃないか!」
 祐一の言葉にあゆは顔をあげるとにっこりと微笑んだ。
「だって、ひさしぶりに祐一君を見かけてうれしかったんだもん。つかまえとかないとすぐどっかに行っちゃうんじゃないかと思って」
「……俺は野良猫かなんかか?」
「ううん、ボクそんな失礼なこと思ってないよ。でも油断すると祐一君とは七年くらい会えないからね。だからいっしょにいられる機会はできるだけ逃さないようにしないと」
 立ちあがり、コートの裾をはたきながらあゆは言う。祐一は思わずため息をついた。
「ああ、そりゃたしかにあゆの言うとおりだ」
「でしょ?」
 あゆは笑顔で首を傾げた。やれやれ、と祐一はもう一度息をついた。
 と、あゆはまじめな顔になって祐一をじっと見つめた
「どうしたの? 祐一君。なんだか元気ないみたいだけど」
「……そう見えるか?」
「うん。雰囲気が暗く沈んでるもん、なんだか」
「……本当はこれが普通なんだ。あゆといるときだけ子供みたいに明るくなるんだ」
「……それってボクが子供みたいだからだって聞こえるんだけど、気のせいかな?」
「ああ、気のせいだ、気のせい」
「……そうかなあ……」
 あゆはしきりに首をひねる。嘘は言ってなかった。いまだってこんなふうに話せるなんてあゆと会う前はまったく思っていなかった。
「でも本当にどうしたの? 名雪さんと喧嘩でもしたの?」
「……なんでいきなり名雪が出てくるんだよ」
「だってこのあいだ会ったときすごく仲良さそうだったから、喧嘩でもしてるなら元気もなくなるだろうなあって思ったんだけど」
「思いついたことを全部言ってけばそのうちあたるってもんでもないぞ」
「あはっ、ばれた?」
 あゆは舌を出していたずらっぽく笑った。「でも祐一君が元気ないとボクも悲しいよ。だから、よかったら教えてよ」
 あゆはあらためて祐一を見た。祐一は口を開きかけ、しかしやはり栞のことを言ってみる気になれず、視線を逸らして別のことを言った。
「いや、なんでもない。俺は元気だから、気にするな」
 その様子をあゆはすこしのあいだ見つめた。
 それから手を伸ばして祐一の右手をぎゅっと握った。
「――なんだ? おい」
「気分転換しようよ。ね?」
 あゆは祐一の手を引っぱって歩きだした。とりあえず祐一もしたがって歩きだす。
「って、おい、気分転換ってなんだよ。たいやきでも食うのか?」
「そんなんじゃないよ。今日はお天気もいいからちょっとお散歩しよ。ほら、早く早く」
「こら、引っぱるなって。自分で歩くから放せよ」
「駄目ー、どっか行っちゃったらこまるから」
「だから俺は野良猫じゃないって……」
 などとたわいないやりとりを交わしながら二人は商店街のアーケードの下を出た。

「どこまで行けば気が済むんだ? あゆ」
「もうちょっと、もうちょっとだよ」
 そう言いながら二人は街のはずれにまで来ていた。背の高い建物はすっかり姿を消し、閑静な住宅街が続いている。歩く先には森に覆われた小高い丘が見えた。葉の落ちた木々が雪化粧しているその様子は寒々しく見えた。見覚えのある景色のような気がしたがはっきりとは思いだせなかった。
「ほら、こっち」
 やがて丘のふもとにたどり着くとあゆは道もないのに森の中に無造作に分け入ろうとした。
 なぜだかすごくいやな感じがして祐一は森の手前で立ちどまった。すこし行ったところであゆはふりむいて祐一を見た。
「どうしたの? 祐一君」
「なあ……どこへ行く気か知らないけど、やめておいたらどうだ? 服も汚れるだろうし、雪で足をすべらせて転んだりしたらたいへんだろ?」
「駄目だよ、祐一君に見てほしいんだから。行こうよ、ね?」
 戻ってきたあゆがふたたび祐一の手をつかんで森の中へと歩きだす。一瞬思わず振り払おうとして、けれどあゆの無邪気な様子にそんな乱暴なこともできず、祐一はただあゆに引かれるにまかせた。
「ボクもここに来るのはずいぶんひさしぶりなんだ。だって今度来るときは祐一君と一緒にって思ってたから」
 木々のあいだを縫って薄暗い斜面を登るあいだじゅうずっと、理性は警告を発しつづけていた。この先になにかが待ち受けていることはまちがいなかった。忘れてしまった、思いだしたくないなにかが待ち受けていることは。
 やがて視界が唐突に開けた。
「ほら、ここだよ、祐一君。覚えてる? この場所のこ――」
 あゆの言葉はそこで途切れた。
 祐一は息を飲んだ。
 たしかにそこは見覚えのある場所だった。同時に見慣れない景色でもあった。
 すこし開けた空間の中央におおきな切り株があった。大人でも三人くらいで腕を伸ばさないと取り囲めないくらいおおきな木の跡が。いまは雪に覆われて姿が隠れてしまうほどにちいさくなってしまっている。しかしかつてはその木は高く高くそびえ立っていた。いちばん下の枝まで登れば街が一望できるほど高く。
 七年前には。
「――どうして?」
 あゆの声が聞こえた。
 すごく遠くから聞こえてきたような気がした。でも実際にはあゆは祐一のすぐ目の前に立っていた。いつのまにか祐一から手を放して。切り株をただじっと見つめて。
 背中のリュックの羽がかすかに震えていた。
「じゃあ、どうしてボク、ここにいるの? ボク、ここにいちゃいけないの?
 祐一君といっしょにいちゃいけないの?」
 声は悲痛な響きに震えた。
 祐一は手を伸ばしてその肩に触れようとした。
 あゆはふりかえり、
 そのまま掻き消えた。
 伸ばした手は空を切った。祐一は茫然とあゆのいた空間を見つめた。
 そして叫んだ。
「――あゆ!」
 声は木々のあいだにむなしくこだました。

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