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更級日記を読む

更級日記を読む
13
丈六の仏
粟津にとどまりて、十二月の二日、京に入る。暗く行き着くべくと、申の時ばかりに立ちて行けば、関近くなりて、山づらにかりそめなるきりかけといふものしたる上より、丈六の仏の、いまだ荒造りにおはするが、顔ばかり見やられたり。あはれに、人はなれていづこともなくておはする仏かなと、うち見やりて過ぎぬ。

ここらの国々を過ぎぬるに、駿河の清見が関と、逢坂の関とばかりはなかりけり。いと暗くなりて、三条の宮の西なる所に着きぬ。

「十二月の二日、京に入る」:見出しのように、まず概要を述べている。

「申(さる)の時」:午後四時ぐらい。
【きりかけ(切掛け)】柱に横板をよろい戸のように張った板塀。
【丈六】一丈六尺(16尺、約4メートル85センチ)。仏像の標準的な大きさ。結跏趺坐の座像は半分の高さ、8尺に作られるが、それも丈六の仏と呼ぶ。

この帰京の旅から25年後に、作者は再びこの逢坂の関寺を訪れている。おそらくこの同じ場所に立派な寺院が出来ていたと思われる。と言うことは、まず仏像を作って、その仏像を覆うように伽藍が作られたのだろう。仏像は他の工房で作って運び込むものではないらしい。寺の中心に仏を定めて、それから寺院の建物を作るということのようだ。なるほど。

「人はなれていづこともなくておはする仏」:
足柄山の山中に葵を見つけた時には「世ばなれてかかる山中にしも生ひけむよ」とあった。孤独な姿に共感しているように思われる。くろとの浜では風の音の心細さに、猪鼻坂ではそのわびしさに心惹かれていた。
まだ荒造りで、仏として定まっていない姿にも共感するところがあるのだろう。「いづこともなくておはする」の表現がすばらしい。未完成の仏の姿に、まだ拠り所のない自身の姿を投影したのかもしれない。拠り所のなさは、逆に、何物にも寄り掛からない生き方にも通じるものである。

【ここら】たいそう多くの。

「三条の宮の西なる所」:
後に出てくる「東山なる所」は東山にある所で、これは位置情報である。この「西なる所」は、単に位置関係を示しているのではなく、三条院の跡という由緒正しいお邸のことを表している。「姉なる人」と同じ使い方の断定の助動詞「なり」である。
三条院の跡と書かないのは作者の慎ましさだろうか。自慢げに見えるのが嫌なのだ。それに、自分の本質とは関わりのないことだから、そんなことを誇らしく思うのは、はしたないという思いもあるだろう。

今日の名文
「あはれに、人はなれていづこともなくておはする仏かな」


9
富士川の不思議
富士川といふは、富士の山より落ちたる水なり。
その国の人の出でて語るやう、

一年ごろ、物にまかりたりしに、いと暑かりしかば、この水のつらに休みつつ見れば、川上の方より黄なる物流れ来て、物につきてとどまりたるを見れば、反故なり。取りあげて見れば、黄なる紙に丹して濃くうるはしく書かれたり。

あやしくて見れば、来年なるべき国どもを、除目のごとみな書きて、この国来年空くべきにも、守なして、また添へて、二人をなしたり。あやし、あさましと思ひて、取りあげて、乾して、をさめたりしを、かへる年の司召に、この文に書かれたりし、一つたがはず、この国の守とありしままなるを、三月のうちに亡くなりて、またなりかはりたるも、このかたはらに書きつけられたりし人なり。

かかることなむありし。来年の司召などは、今年、この山に、そこばくの神々あつまりてない給ふなりけりと見たまへし。めづらかなることにさぶらふ、

と語る。
「その国の人の出でて」:
どんな人なのだろう。長い髭を生やした老人ではないだろうか。世捨て人の風ではない。この国の役人とも交わりがあり、知恵袋のような存在である、と少なくとも本人はそう思っている。かつては駿河の国の公の行事として、疫病退散の儀式を執り行ったこともある、と言うことなのだが、近頃では、不思議な話を聞かせて、人の驚いた顔を見るのが、ただ一つの楽しみとなっている。孝標一行を待ち構えていたかのように、どこからともなくこの老人が姿を現した。

【一年(ひととせ)ごろ】あるとき。いつのことであったか。漠然と述べる言い方。
【物】詳細に言う必要のないことを漠然と示す。何かの用事。
【まかる】「行く」の聞き手に対する謙譲語。丁重表現。
基本的には、動作を命じる主体やその場所を敬って用いる謙譲語。
中古以降の用法として、聞き手に対しへりくだるように変化したもの。

【つら】ほとり。あたり。竹芝伝説に「高欄のつら」とあった。

「この水のつら」:
作者たちはどこにいるにか。富士川のほとりで話をしているのであれば、さらに「この水のつら」と言うのは不自然ではないか。だが、これも直接話法の中に作者が介入していることも考えられる。映画を撮影するとしたら、川のほとりで話を聞いている場面にしたいところである。やはり川のほとりであるべきだろう。

【うるはし】端正である。外見的な立派さ、しかつめらしい、儀式ばって面白みに欠ける感じにも用いられた。
【あさまし】基本的には、びっくり。

「守なして、また添へて、二人をなしたり」:
守の名を記して、それに添えてもう一人の名前が記されていた。守は一人のはずなのに、二人の名前が記されていたのだ。「二人をなしたり」はこの不思議を表すもの。

「この国の守とありしまま」:
黄なる紙にこの国の守と書かれていた、そのとおりに。

【そこばくの】いくらかの。たくさんの。多くの。数量をあえて明示しない言い方。
「ない給ふ」:なし給ふのイ音便。
「たまへし」:下二段活用の【給ふ】は謙譲語。聞き手に対しへりくだった丁重表現。この「給ふ」は直接話法の中でのみ使われる。なお、「思ひ」に付く場合は、ウ音便、長音化して「思うたまへ」となる。

【めづらか】あやしく、不可思議なさま。
源氏が生まれたときの様子、「めづらかなる稚児の御容貌なり」
大納言の姫君の生まれ変わりの猫についての父の言葉、「めづらかにあはれなることなり」

「富士川といふは、富士の山より落ちたる水なり」:
こう言われると、素直にそうなのだろうと思うのだが、実際は違っているらしい。作者も、黄なる紙の話をした人か誰かの言葉をそのまま信じたのだろう。だが、執筆時に、それが間違いだと気づいていたとしたら、どうだろうか。可能性としては、たとしえようもなく低いが、前置きとして、「これから語るのはすべて嘘ですよ」と暗喩的に宣言していると考えられなくもない。ただ、更級作者はこのような書き方はしない。

反故(ほぐ)、丹(に)

今日の名文
「富士川といふは、富士の山より落ちたる水なり。  嘘だけど 」


12
美濃、近江、勢多の橋
美濃の国になる境に、墨俣といふ渡りして、野上といふ所に着きぬ。そこに遊女ども出で来て、夜ひとよ歌うたふにも、足柄なりし思ひ出でられて、あはれに恋しきことかぎりなし。

雪降り荒れまどふに、ものの興もなくて、不破の関、あつみの山など越えて、近江の国、おきながといふ人の家に宿りて四五日あり。

みつさかの山の麓に、夜昼、時雨霰降りみだれて、日の光もさやかならず、いみじうものむつかし。

そこを立ちて、犬上、神崎、野洲、栗太などいふ所々、なにとなく過ぎぬ。湖のおもてはるばるとして、なで島、竹生島などいふ所の見えたる、いとおもしろし。勢多の橋みなくづれて渡りわづらふ。

「遊女ども出で来て」:
「遊女ども」という言い方からして、ここの遊女への関心のなさが表れている。足柄山では「遊女三人」であった。
違いは何なのか。足柄山の遊女は、おそろしげなる、闇に惑ふやうなる山の麓に立ち現れたこと、作者にとって初めての体験であったこと、などもあるだろうが、やはり足柄山の遊女の方が優れていたのだろう。野上の遊女は世俗的であり、足柄山の遊女には何か神聖さのような純粋な美があった、と作者は感じ取っているのではないだろうか。


「おきながといふ人」:
更級日記には人の名前はあまり出てこない。この「おきなが」と初瀬詣のときの「藤原良頼の兵衛督」の二人だけかと思う。あとは、伝説の「まのしてら」と、これも伝説の遊女「こはた」ぐらいである。
なぜ名前を記したのか。茫人さんは次の歌を挙げて、息長氏の歓待ぶりが印象に残ったためとされている。なるほど、納得である。有名な息長川と由緒を同じくする息長氏であれば、その名を書き留めない訳にはいかないだろう。

にほどりの息長川は絶えぬとも君にかたらふこと尽きめやは


【むつかし】機嫌が悪い。心が晴れない。鬱陶しい。陰鬱だ。赤ん坊がむずがるとか、むつかしがるとか、難しい顔をするとか、現代語にも残っている。

「竹生島など」:
犬上、神崎、野洲、栗太など、なにとなく過ぎた後の琵琶湖であり、竹生島である。名前だけの歌枕には飽き飽きしていたところに、雄大な景色が現れた。なにとなく過ぎた歌枕の地が、その後に来る琵琶湖、竹生島の引き立て役になっている。

「勢多の橋みなくづれて渡りわづらふ」:
誰もが竹芝伝説を思い出すだろう。作者もそのことは念頭に置いている。だが、書かない。読者が先回りして、期待するであろうことは書かないのだ。作者のストイックな姿勢だろうか。天邪鬼とも言えそうだ。64章では藤壺で月を眺めているが、ここでも源氏物語には触れていない。行間に余る思いは読者に委ねることにする、そんな抑制の効いた文章を心掛けているのだろう。

墨俣(すのまた)、野上(のがみ)、遊女(あそび)、霰(あられ)、
犬上(いぬかみ)、神崎(かむざき)、野洲(やす)、栗太(くるもと)、
湖(みづうみ)、竹生島(ちくぶしま)

今日の名文:
「勢多の橋みなくづれて渡りわづらふ」 (竹芝伝説には触れず)


8
富士の山、清見が関
富士の山はこの国なり。わが生ひ出でし国にては西面に見えし山なり。その山のさま、いと世に見えぬさまなり。さまことなる山の姿の、紺青を塗りたるやうなるに、雪の消ゆる世もなくつもりたれば、色濃き衣に、白き衵着たらむやうに見えて、山のいただきの少し平らぎたるより、けぶりは立ちのぼる。夕暮は火の燃えたつも見ゆ。

清見が関は、片つ方は海なるに、関屋どもあまたありて、海まで釘貫したり。けぶり合ふにやあらむ、清見が関の浪もたかくなりぬべし。おもしろきことかぎりなし。

田子の浦は浪たかくて、舟にて漕ぎめぐる。

大井川といふ渡りあり。水の世のつねならず、摺り粉などを濃くて流したらむやうに、白き水はやく流れたり。

「色濃き衣に、白き衵着たらむやうに」:
実際にこういう会話があったのかもしれない。
妹が澄ました声で、
「富士山って、袿の上に白い衵を着てるみたいだね」
と言うと、姉ちゃんは愉快そうに笑った。
「富士山がそんなお道化た姿だなんて。富士山、怒って火を噴いても知らないからね」
と言って、また笑った。妹はしおらしく、
「富士山、ごめんなさい」
と謝った。姉ちゃんはぷっと吹き出してしまった。
こらえ切れず、妹も笑いだした。

まわりの人々が富士山を絶賛していると、作者はこれに同調することが出来なくなるのだと思う。いかにもという富士山の姿を目にしたとき、そっぽを向きたくなったのだろう。「色濃き衣に白き衵着たらむ」は、これが人の姿ならば、かなりのお道化ぶりである。

【衵(あこめ)】裾の短い子供の下着、または遊び着。
【釘貫(くぎぬき)】杭を立て並べて、貫(横木)を渡しただけの柵
「清見が関」:足柄の関、横走の関とともに、枕草子の「関は」の段に記されている。関所は国司一行の宿泊の場でもあったのだろう。


「けぶり合ふにやあらむ」:
更級少女は浜辺を歩いていた。釘貫に波が打ち寄せて、しぶきをあげている。振り返ると富士山が煙を吐いている。波しぶきと煙、この二つが似た者同士のような気がしてきた。波しぶきと煙を一緒に見ることは出来ないものかと、しゃがみ込んり寝転んだりしてみた。どこかで繋がることはないのかしら。波がもっと高くなればいいのに。空を見上げながら、少女はふと源氏物語の柏木と女三宮の歌を思い出した。絡み合えばいいのにね。そのうちきっと波も高くなるわよ。

今はとて燃えむ煙もむすぼほれ絶えぬ思ひのなほや残らむ (柏木)
立ち添ひて消えやしなまし憂きことを思ひ乱るる煙比べに (女三宮)


「摺り粉などを濃くて流したらむやうに白き水」:
岩に急かれて水しぶきを上げている様子と見るのが穏当だろうか。でも、ほんとうに白濁した水が流れていたのかもしれない。作者の肩を持つとしたら、白濁である。いや、待てよ。白濁は米のとぎ汁のイメージではないか。水に溶けない摺り粉の粒子が光を受けて、白く輝いているとしたら、これは水しぶきだ。

紺青(こんじやう)、衣(きぬ)、清見が関(きよみがせき)、関屋(せきや)、摺り粉(すりこ)

にほんごであそぼに倣って、今日の名文
「けぶり合ふにやあらむ、清見が関の浪もたかくなりぬべし」


1
あづま路の道の果てよりも
あづま路の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひはじめけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間宵居などに、姉継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままにそらにいかでかおぼえ語らむ、

いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を造りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、京にとく上げたまひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せたまへ、と身を捨てて額をつき祈り申すほどに、十三になる年、のぼらむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所にうつる。

年ごろあそび馴れつる所を、あらはにこほち散らして、たちさわぎて、日の入り際のいとすごく霧りわたりたるに、車に乗るとてうち見やりたれば、人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ちたまへるを、見捨てたてまつる悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。

「あづま路の道の果て……生ひ出でたる人」は、日記と言うよりも物語を書き始めようとする書き出しなのだろうか。
更級少女の空想の一つであったかもしれない。数え年十三歳の少女。現代風に言うなら、小学校2年生のときに上総に下って今は六年生。この地に生まれたとする空想もあっただろうし、この地でずっと生きていく人生を想像することもあっただろう。
祈りが通じて京に上るというのも、父の任期満了は明白な事実なので、それはあえて書かずに、空想の世界を織り交ぜたのであろう。

いかばかりかはあやしかりけむを:
上総で過ごした四年間は作者の性格や感性の有り様にも大きな影響を及ぼしたに違いない。都育ちの娘たちとは違うという思いも強かったのではないだろうか。字句通りに読めば「あやしかりけむ」は引け目であり、自虐的とも見えるのだが、これを内面的な反語表現と見ることは出来ないだろうか。「あやしかりけむ」の内実、上総での経験を誇らしく思っていたと言うことだ。堂々と宣言しているように思えてきた。

【あやし】普通でない。不思議。→(都の貴族から見て不思議な)庶民の粗末な姿。田舎の人の姿。
【を】接続助詞。提示型の軽い逆接。

継母:
作者と継母の関係はすこぶる良好。「いかに思ひはじめけることにか」とあるが、継母との会話の中から、物語世界への空想を膨らませていったことに間違いはないと思われる。継母は良き教師でもある。母上と呼んでいたのだろうか。実の母親は一人都に残っている。母上は可能だが、おかあちゃんとは呼べない。父親の妻である継母に対して、おかあさんと呼ぶのも嫌味だ。おばちゃんあたりがちょうどいいのだが、継母は、お姉さんと呼びなさい、などと言っていたかもしれない。

わが思うままに:私の望むようには誰も語れないなのか、語る側が自分で思うようには語れないなのか。後者のほうが自然かなあ。

等身の薬師仏:
等身の仏となると、古着を丸めて人形を作るようにはいかない。兄と父を猛烈に責めてせがんで作ってもらったのだろう。浮彫りのような、半ば木に埋もれている仏像を思い浮かべてみた。整ってはいないが、思いのこもった薬師仏だ。

日の入り際のいとすごく霧りわたりたるに:
少女にとっては待ちに待った門出である。薬師仏を見捨てて行く後ろめたさも、悲しさも、大きな喜びの中に包み込まれていて、ゆったりと宥めることが出来た。それを味わう余裕さえあったかもしれない。
ところが、思いがけず濃霧が立ち籠める。映画の場面として見るならば、内には薬師仏が静かに立っており、外は恐ろしいばかりの霧だ。その霧の中を出て行く。不吉な旅立ちを予感させるような場面である。もちろん、これは不吉の予兆ではない。だがこの光景は、少女の心に何かしらの変化をもたらしたに違いない。これまでゆとりの中にあった悲しみが、急に手に負えないものになってきた。

【すごし】心に衝撃を感じさせるさま。気味が悪い。鬼気迫るようだ。
【霧りわたる】動詞「霧る」の連用形と「渡る」の連語。

人知れずうち泣かれぬ:
旅立ちに涙を見せるのは不吉だと言われていた。これは「旅立ちに涙は不吉だから泣くな」と人を慰める常套句のような戒めだったのではないかとも思う。不吉だからと言って涙を堪えたり堪え切れなかったりの場面が源氏物語にもある。更級少女はこの戒めを守ろうとしたのだ。「泣かれぬ」の「れ」は自発、泣くまいとしても堪え切れなかった。


【ゆかし】行くの形容詞化。(行って)見たい、聞きたい、知りたい。
【こころもとなし】思うことがかなえられずに落ち着かないさま。思いが募っているさま。
【人ま】人のいない時。人気(ひとけ)のない間。人目のないすき。
【みそか(密か)】「ひそか」は漢文調の訓読文で用いられ、「みそか」は主に和文脈で用いられた。現代語にも「みそか事」など残っている。
【いみじ】超現代語訳すれば、「めっちゃ」とか「すんごい」とか、そんな感じか。更級日記では83回使われている。文章量の比率で見ると源氏物語のほぼ4倍。すこし気になるところ。

生ひ出で(おひいで)、宵居(よひゐ)、継母(ままはは)、額(ぬか)
三日(みか)、十三(じふさん、とをあまりみつ)

にほんごであそぼに倣って、今日の名文
「あづま路の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人」


11
八橋、宮路山、しかすが、鳴海の浦
それよりかみは、ゐのはなといふ坂の、えも言はずわびしきをのぼりぬれば、三河の国の高師の浜といふ。
八橋は名のみして、橋のかたもなく、なにの見どころもなし。
ふたむらの山の中にとまりたる夜、大きなる柿の木の下に庵を造りたれば、夜ひとよ、庵の上に柿の落ちかかりたるを、人々ひろひなどす。

宮路の山といふ所越ゆるほど、十月つごもりなるに、紅葉散らで盛りなり。

嵐こそ吹き来ざりけれ宮路山まだもみぢ葉の散らで残れる

三河と尾張となるしかすがの渡り、げに思ひわずらひぬべくをかし。
尾張の国、鳴海の浦を過ぐるに、夕潮ただ満ちに満ちて、こよひ宿らむも中間に、潮満ちきなば、ここをも過ぎじと、あるかぎり走りまどひ過ぎぬ。

ゐのはな坂の「わびしさ」とは、どういうものだろうか。くろとの浜では風の音の心細さを好ましく聞いている。このわびしさも好ましいものだとするならば、見渡す限り、芒の原の広がる景色かもしれない。枯れた芒の穂が風に揺れている様子を、作者は、なんとも言えないくらいわびしくていい景色だ、と思ったことだろう。

高師の浜は断崖の上から見下ろしたのだろうか。

八橋、ふたむらの山と、歌枕の名勝地を通り過ぎて、どこを見ても、おもしろいと思うところがない。ふたむらの山では柿の落ちてくる音を楽しむだけである。
名勝地で柿拾いを楽しみ、それのみを記述する作者のこの姿勢は、更級日記の魅力なのだが、ひとつ疑問がある。落ちてくる柿は、熟した柿で、これは完熟トマトよりも柔らかな柿であり、庵に落ちたら、庵は潰れた柿でべとべとになってしまうのだ。拾うとしたら栗あたりであろうか。それでも、視覚的にはやはり柿の木であってほしい。丘だちたる所に、ぽつんと立つ大きな柿の木の、秋の終りの風景を思い描いてみた。


宮路山の歌は玉葉集に入集している。玉葉集には、3章「まどろまじ」、29章「浜千鳥」、37章「思ひ知る」、76章「里遠み」と、更級日記の中から五首が選ばれている。「思ひ知る」と「里遠み」はいい歌だと思うが、「宮路山」を含めた残りの三首はどうだろう。私には分からない。更級日記にはもっといい歌があるのにと思ってしまう。
68章「あさみどり」の歌も新古今集に入っている。


【しかすがに】それはそうだがしかし。そんなはずではなかったのに。そうはいうものの、さすがに。

しかすがの渡は、名前の面白みと実態が一致している。実際に、渡ろうとする人を「さすがに」と尻込みさせたようだ。
飽海川(豊川)河口付近の渡しで、川幅が広く、向こう岸の人影は見えなかっただろう。栴檀の木か何かを目印に渡っていると、海からは波も打ち寄せて来る。

行けばあり行かねば苦ししかすがの渡りに来てぞ思ひわづらふ 中務

作者もこの渡りを見て「げに思ひわずらひぬべくをかし」と、とりあえずは満足げであるが、これからが大変なのだ。行けば、しかすがの難所が待ち構えている。

鳴海の浦も有名な歌枕の地であるが、ここも景観には触れない。ふたむらの山と同じである。ありきたりのことを述べるのが嫌なのだ。この浜辺を歩いていると、思いがけずに潮が満ちてきた。ありきたりを述べている余裕もない。走りに走って、走りまどって、切羽詰まった様子が生き生きと描かれている。


歌枕の参考資料として、十六夜日記の歌を記しておく。更級日記の執筆から二百二十年後の阿仏尼(あぶつに)の作。こちらは京の都から鎌倉に向かっている。歌枕の扱い方が対照的で面白い。

満つ汐のさしてぞ来つる鳴海潟神やあはれとみるめたづねて
はるばると二村山を行き過ぎてなほ末たどる野辺の夕やみ
ささがにのくもであやふき八橋を夕暮かけて渡りかねつる
待ちけりな昔も越えし宮地山同じ時雨のめぐりあふ世を
わがためや風もたかしの浜ならむ袖のみなとの波はやすまで
雲かかる小夜の中山越えぬとは都につげよ有明の月
ならはずよよそに聞きこし清見潟荒磯波のかかる寝ざめは

歌枕には敬意を払うべきなのだ。現実には存在しない八橋も、日が暮れて渡りそびれたと詠み、「あやふき」を謎めかした言い訳のように添えている。これが教養豊かな大人の対応なのであろう。
更級日記では、「八橋は名のみして、橋のかたもなく、なにの見どころもなし」と、身も蓋もない。現代人の目からは、見たままを描くのはごく自然なことであるが、阿仏尼がこれを読んだら、その場で引き破ってしまいたい衝動にかられたであろう。阿仏尼の夫の父親は藤原定家である。更級日記を読んでいたかもしれない。

今日の名文
「八橋は名のみして、橋のかたもなく、なにの見どころもなし」


10
小夜の中山、天ちう川、浜名の橋
ぬまじりといふ所もすがすがと過ぎて、いみじくわづらひ出でて、遠江にかかる。小夜の中山など越えけむほどもおぼえず、いみじく苦しければ、天ちうといふ川のつらに、仮屋造り設けたりければ、そこにて日ごろ過ぐるほどにぞ、やうやうおこたる。冬深くなりたれば、川風けはしく吹き上げつつ、堪へがたくおぼえけり。

その渡りして浜名の橋に着いたり。浜名の橋、下りし時は黒木をわたしたりし、このたびは、跡だに見えねば舟にて渡る。入江にわたりし橋なり。外の海は、いといみじく悪しく、浪たかくて、入江のいたづらなる洲どもに、こと物もなく松原の茂れる中より、浪の寄せ返るも、いろいろの玉のやうに見え、まことに松の末より浪は越ゆるやうに見えて、いみじくおもしろし。

「すがすがと過ぎて」:
ぬまじりと言う、いかにもぬかるみだらけのような地名の所を、すがすがと過ぎたと思ったら、病気になってしまった。悪いことが起こった後に振り返ってみると、あのとき、いい気になっていたのがいけなかった、と思うことがある。ぬまじりって、なあんだ、こんなものか、と思ったことを少し後悔しているようにも思える。

「小夜の中山」は歌枕。次の歌は古今集の有名な東歌。

甲斐が嶺をさやにも見しがけけれなく横ほり臥せるさやの中山

こころなく小夜の中山が寝そべっていて、故郷の山がさやかに見えないのがくやしい。
「しが」は願望の終助詞。しがな、てしが、てしがな、の形で使われることが多い。「けけれ」は東国の方言で、こころ。
小夜の中山の「さや」は「はっきり」、「中」は「中途半端」で、この対比も、当時の歌詠みには面白く感じられたのだろう。熊本ゆかりの歌枕に「たはれ島」があるが、これも「たはれ」を「戯れ」と見て、浮気な島として好まれたようだ。たはれ島の景観が好まれた訳ではない。作者も実際に小夜の中山を見たら、ほんま、けけれなく寝そべってはるだけやわ、とがっかりしたかもしれない。けけれなく、けけれなく、と繰り返し呟きながら、姉ちゃんと二人、愉快そうに笑い合っていたかもしれない。分かち合う人がいれば、がっかりもまた楽しいものである。


「仮屋造り設けたりければ」:仮屋が作ってあったので、。
孝標一行の者が先回りして作ったのか、もともと川の渡しを待つ人のために作ってあったのか、とにかく仮屋があった。
【やうやう】しだいに。だんだんと。少しずつ。
【おこたる】病勢がゆるむ。病気がなおる。

「浜名の橋、下りし時は黒木をわたしたりし」:
少女はもういちど黒木の橋を見たかったのだ。上総生まれと言った嘘を明かしてでも、もういちど見たかった。黒木の橋と言えば、野の宮の黒木の鳥居を思い出す。歩いて渡ってみたかった。


「いたづらなる洲どもに、こと物もなく松原の茂れる」:
辞書で「いたずら」を引くと、「なんの風情もないさま」「物がなく空虚なさま」とあり、更級日記のこのくだりが例文として挙げられている。ほかの物(邪魔な物)は何もなく松原だけが茂っている、この景色に風情はないのかと疑問に思ったのだが、だが、しかしである。
空虚な風景の中から、浪の寄せ返るとき、波しぶきがいろいろの玉のやうに、虹のように輝いたとしたら、その背景としての「いたづらなる」景色は、しぶきの玉を際立たせることになる。作者はこの対比の効果を狙ったのだろう。このときの「こと物もなく」は殊に目を引く様子もなく松原が地味に茂っている、であろう。


「松の末より浪は越ゆるやうに見えて」:
歌枕の「末の松山」を踏まえ、「松の末」と見立て直しをしている。その松の梢を浪が越えるように見えた。遠近法の仰角として、そう見えた。
次の歌は古今集に収められた有名な東歌、陸奥の歌である。作者もこの歌には親しんでいただろう。「おきて」はなおざりにして。

君をおきてあだし心をわが持たば末の松山浪も越えなむ

末の松山は、多賀城にある宝国寺の裏山のこと。貞観地震(869年)による大津波でも末の松山まで波の押し寄せることはなかったため、波の越えることのない地として有名になり、歌にも詠まれるようになった。

末の松山と大津波との関連は、今回調べてみるまで知らなかった。東日本大震災がなかったならば、知っていたとしても、大昔の出来事として片付けていただろう。いまは何か身につまされるものがある。
更級日記の上京の旅は貞観地震から150年が過ぎている。言葉遊びのようなことを書いたとしても、無理はないだろう。この時代からさらに150年後には、あの西行でさえも、末の松山を波が越えそうだと詠んでいる。

たのめおきしその言ひごとやあだなりし波越えぬべき末の松山  西行

下二段の「頼む」は頼みにさせる。ただならぬ相手との、ただならぬ恋が破れて、世界の終わりのようなことを思っている。

西行は「小夜の中山」の歌も詠んでいる。小夜の中山は鈴鹿、足柄と並ぶ難所だったようだ。この難所を、更級作者は「越えけむほども」と過去推量を用いて、ほんとうに記憶になかった様子である。
西行は、年を取ってまたここを越えるとは思ってもいなかった、その難所を歩きながら、「命なりけり」と言っている。この命とは、生きているというだけのものではない。命そのものに思いを馳せている。

年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山  西行

今日の名文
「ぬまじりといふ所もすがすがと過ぎて、いみじくわづらひ出でて」


7
足柄山
足柄山といふは、四五日かねておそろしげに暗がりわたれり。やうやう入り立つ麓のほどだに、空の気色、はかばかしくも見えず、えも言はず茂りわたりて、いとおそろしげなり。
「四五日かねておそろしげに暗がりわたれり」:
薄暗い山道の印象が強くて、執筆時には、それが何日も前から続いていたように思い出された。この印象に基づいたものか。あるいは、暗闇の中から遊女が現れる、その場面設定としての効果を狙った誇張であろうか。

茫人さんは、山道に入ってから抜けるまでを四五日と見ておられる。足柄山を越えた後で振り返って、「四五日にわたってずっとおそろしげに暗がりわたれり」である。そうであればこそ、「麓のほどだに」の「だに」が生きてくるし、「足柄山といふは」とも自然に繋がる。これも、まず見出しのように全体を述べてから、詳細を述べる語り方。どうやらこれが正解のようだ。

【かねて】(日数を表わす語を受けて)…前から。
【かねて】以前からずっとその状態を続けてきたという気持を表わす。前から。今までずっと。
麓に宿りたるに、月もなく暗き夜の、闇にまどふやうなるに、遊女三人、いづくよりともなく出で来たり。五十ばかりなる一人、二十ばかりなる、十四五なるとあり。庵の前にからかさをささせて据ゑたり。

をのこども、火をともして見れば、昔こはたと言ひけむが孫といふ、髪いと長く、額いとよくかかりて、色白くきたなげなくて、さてもありぬべき下仕へなどにてもありぬべし、など人々あはれがるに、声すべて似るものなく、空に澄みのぼりてめでたく歌をうたふ。人々いみじうあはれがりて、け近くて、人々もて興ずるに、西国の遊女はえかからじ、など言ふを聞きて、
難波わたりにくらぶれば、
とめでたくうたひたり。見る目のいときたなげなきに、声さへ似るものなくうたひて、さばかりおそろしげなる山中に立ちてゆくを、人々あかず思ひてみな泣くを、幼き心地には、ましてこのやどりを立たむことさへあかずおぼゆ。
「遊女」:
親子三人の稼業と思っていたが、違うようだ。遊女は傀儡師や猿楽の一座に属していたらしい。年配の女は座長の妻かもしれない。二十歳の遊女が「こはた」の孫であり、「こはた」と言えば相手にも通じると思って紹介している。都にも名の通った遊女だったようだ。更級少女には知る由もない名であるが、その名を書き留めている。
遊女の芸能文化は後に白拍子を生み出す。その芸術的感性はこの時代から培われていたかもしれない。この夜、日常にはあり得ない美が出現した。作者も夢の中の出来事のように見とれていたに違いない。五十二歳の執筆時にも、ありありと思い出すことが出来たことだろう。

「いづくよりともなく出で来たり」:
物の怪が現れたとでも思ったか。そんな現れ方である。去り行くさまは「さばかりおそろしげなる山中に立ちてゆく」で、やはり幻想的だ。

「すゑたり」:
傘を据えたのではなく、遊女を座らせた。主語は年長の女だろうか。孝標一行の男たちだとすれば、遊女に芸を許したと取ることも出来るが、とりあえず年長の女としておこう。唐傘は大きなものだったと想像する。差し広げた唐傘の前が舞台になるのだろう。

「こはたと言ひけむが孫といふ」:
年長の女が不確かな情報として伝えたのではない。「けむ」は話を聞いた作者の側の伝聞推量。「いふ」は連体形で主格。

「きたなげなし」:貴族が庶民をほめる言葉としては、ほぼほぼ最高のほめ言葉だったらしい。ちなみに、乳母には「きよげにて」と言っている。

「さてもありぬべき下仕へ」:相当の家の下仕え。
「かからじ」:「かくあらじ」の変形
「さへ」:その上…まで。…までも。「添え」から出た語か。

「幼き心地には、まして…」:
大人たちは何度か経験していることなのだろうが、私は初めて遊女の歌を聴いたのだという思いか。あんなに騒ぎ立てて聴くものじゃない、静かに耳を澄ますべきだったのに、と大人たちを非難しているのかもしれない。自分が一番の理解者だと思ったかもしれない。明日もここに留まって、遊女たちが歌ったこの場所で、繰り返し思い出しながら噛み締める時間が必要なのだ。

まだ暁より足柄を越ゆ。まいて山の中のおそろしげなること言はむかたなし。
雲は足の下に踏まる。山のなからばかりの、木の下のわづかなるに、葵のただ三筋ばかりあるを、世ばなれてかかる山中にしも生ひけむよ、と人々あはれがる。水はその山に三所ぞ流れたる。

からうじて越え出でて、関山にとどまりぬ。これよりは駿河なり。横走の関のかたはらに、岩壺といふ所あり。えも言はず大きなる石の四方なる中に、穴のあきたる中より出づる水の、清く冷たきことかぎりなし。
「雲は足の下に踏まる」:
霧だろうか。足元もかすむほどの濃霧。雲の中を歩いているような気分になるだろう。あるいは雲海か。直接雲を踏んではいないが、「足の下に踏まる」の感覚はあると思う。雲海を見下ろしたとすれば、その様子は情感を込めて描写したくなるものだが、「雲は足の下に踏まる」だけである。雲海を表現するものだとしたら秀逸だが、執筆時の記憶に空想が紛れたとも考えられる。高く険しい山だったのだ。

「葵の世離れて生ひけむよ」:
葵祭の葵だ。その葵が都を離れた山中にあることを人々はあわれがった。
作者がこれを思い出すとき、世捨て人が寂しさと向き合っている姿として思い出されたのだろう。それで、「世離れて」なのかと。

「えも言はず大きなる石」:
しめ縄の張られた大きな岩だろうか。側面の穴から水が湧き出している。
最初、岩の上に立っている姿を思い浮かべたが、違う、見上げているのだ。

遊女(あそび)、三人(みたり)、西国(にしぐに)、葵(あふひ aoi)、
三所(みところ)、横走(よこばしり)、四方(よほう(方形))

にほんごであそぼに倣って、今日の名文
「月もなく暗き夜の、闇にまどふやうなるに、遊女三人、いづくよりともなく出で来たり」


4
まつさとの渡り
そのつとめて、そこを立ちて、下総の国と武蔵との境にてある太井川といふが上の瀬、まつさとの渡りの津にとまりて、夜ひとよ、舟にてかつがつ物など渡す。

乳母なる人は、をとこなども亡くなして、境にて子うみたりしかば、はなれて別にのぼる。いと恋しければ、行かまほしく思ふに、兄人なる人いだきて率て行きたり。みな人はかりそめの仮屋などいへど、風すくまじく引きわたしなどしたるに、これは、をとこなども添はねば、いと手放ちに、あらあらしげにて、苫といふものを一重うち葺きたれば、月残りなくさし入りたるに、紅の衣上に着て、うちなやみて臥したる月かげ、さやうの人にはこよなくすぎて、いと白く清げにて、めづらしと思ひてかきなでつつうち泣くを、いとあはれに見捨てがたく思へど、いそぎ率て行かるるここち、いとあかずわりなし。おもかげにおぼえて悲しければ、月の興もおぼえず、くんじ臥しぬ。

つとめて、舟に車かき据ゑて渡して、あなたの岸に車ひき立てて、送りに来つる人々これよりみな帰りぬ。のぼるは止まりなどして、行き別るるほど、ゆくもとまるもみな泣きなどす。幼な心地にもあはれに見ゆ。

「乳母なる人」:
産褥は汚れであるとされ、同行できなかった。
「さやうの人にはこよなくすぎて」は貴族人の限界だろうか。どんなに愛情を抱いていても、さやうの人という垣根を壊すことは出来なかった。貴族と庶民の隔たりは思いのほか大きいようだ。

「めづらしと思ひて」:
思い掛けなく来てくれたのが嬉しかったのだろう。出産の後しばらく会っていなかったかもしれない。当分会えないと思っていたのが、会いに来てくれた。【めづらし】は思い掛けなく好ましいもの。
出産がこの日の出来事とは考えにくい。この境は上総と下総の境だろう。あるいは、境も大雑把に言ったもので、「いまたち」の12日間かもしれない

「いとあかずわりなし」:
【飽く】満足する。
【飽かず】には、まだ満足できない、もっと欲しい、という上向きの気持ちと、つまらない、不満だと思う下向きの気持ちと、相反する二面性がある。ここでは、乳母の傍にもっといたいと思う上向きの思いと、兄に連れて行かれることが不満だと思う下向きの思いが同居している。でも、もとは一つなのだ。同じ一つの言葉だと納得させられる。

「これよりみな帰りぬ」:
まず別れの場面であることを述べて、その後に細部を述べる語り方。門出もこの語り方であった。源氏物語、須磨でも「三月二十日あまりのほどになむ、都を離れたまひける」とあって、それから都を離れるまでのことを詳細に述べている。まずは見出しを、といった感じ。

「とまる」:
「のぼるは止まりなどして」は、上京する一行が立ち止まって別れを惜しんでいる。「ゆくもとまるも」の「とまる」は見送りに来た人々がここで止まって引き返す。

「幼な心地にもあはれに見ゆ」:
別れが悲しかったのではない。泣いている人に共感したのでもない。
川の両岸に向かい合って手を振る光景が心を打ったのだ。描写としては、「あなたの岸に車ひき立てて」ぐらいだが、その光景は目に浮かぶようである。

【かつがつ】少しずつ、ぼつぼつと。熊本弁では、次から次に休みなく、という意味で使っているのだが…
【わりなし(理無し)】たえがたく苦しい。どうにもやるせない。
【くんず(屈ず)】屈すの転。心が沈む。気がふさぐ。
【ひき立つ】車を止める。(見た目も良いように)きちんと並べて止めたと読んでおこう。

太井川(ふとゐがは)、別(べち)、仮屋(かりや)、苫(とま)、衣(きぬ)

にほんごであそぼに倣って、今日の名文
「あなたの岸に車ひき立てて、送りに来つる人々これよりみな帰りぬ」


3
まのてしら、くろとの浜
十七日のつとめて立つ。昔、下総の国に、まのしてらといふ人住みけり。疋布を千むら万むら織らせ、晒させけるが家の跡とて、深き川を舟にて渡る。昔の門の柱のまだ残りたるとて、大きなる柱、川の中に四つ立てり。人々歌よむを聞きて、心のうちに、

朽ちもせぬこの川柱残らずは昔の跡をいかで知らまし

その夜は、くろとの浜といふ所にとまる。片つ方はひろ山なる所の、砂子はるばると白きに、松原しげりて、月いみじう明かきに、風の音もいみじう心ぼそし。人々をかしがりて歌よみなどするに、

まどろまじ今宵ならではいつか見むくろとの浜の秋の夜の月

まのしてら:
定家の自筆原本は「まのしてら」を「まののてう」と読むことも出来るらしい。こちらは「真野の長」として意味は捉えやすいが、「まのしてら」の不思議な響きも捨てがたい。

疋布(ひきぬの):
一疋(ひとむら)で一巻き。疋も反も長さの単位。→反物。

風の音もいみじう心ぼそし:
風の音を聞いていると心細くなる。作者はこの心細さを好んでおり、心細さに親しんでいるようだ。心細さは静寂に通じるものであろう。
あるいは、風の音そのものが心細いのか。この場合の心細いは、もの悲しくとか、もの寂しくとか、そのように聞こえてくるということ。すこしだけ客観的に距離を置いた心細さである。
松原を歩いていると、木漏れ日のように月の影が落ちている。その月影を踏みながら、風の音を聞くともなく聞いている。風の音の変化に耳を澄ませてみる。大きく息を吐く。心が静まり返っていく。今ここにいる自分自身が不思議なことのように思われて、ふと我に返ると、もう二度とこの浜辺に立つこともないということに気付き、はっとする。


まどろまじの歌は『玉葉集』に入集。
「いつか見む」:もう二度と見ることはないだろう。
素直な歌である。素直さが心地よいのだが、どこかにひねりが欲しいような気もする。

川柱の歌も、散文的ではあるが、川柱がよく残っていてくれたという素直な感動が詠まれており、作者も気に入っていたのだろう。だから、不出来だとは思いながらも、記念すべき第一作として更級日記に記した。

この時代、掛詞だとか、縁語だとか、七面倒くさい技巧ばかりに関心が集まり、複雑怪奇な歌が多い中で、作者はこの風潮を突き破ろうとしているかのようである。少し先回りすることになるが、「苗代の水かげばかり」の歌などは近代短歌のようでもある。

千むら(ちむら)、万むら(よろづむら)、川柱(かはばしら)

にほんごであそぼに倣って、今日の名文
「風の音もいみじう心ぼそし」


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かめゐ
かめhr @ pluto.dti.ne.jp