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更級日記を読む

更級日記を読む
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13
丈六の仏
粟津にとどまりて、十二月の二日、京に入る。暗く行き着くべくと、申の時ばかりに立ちて行けば、関近くなりて、山づらにかりそめなるきりかけといふものしたる上より、丈六の仏の、いまだ荒造りにおはするが、顔ばかり見やられたり。あはれに、人はなれていづこともなくておはする仏かなと、うち見やりて過ぎぬ。

ここらの国々を過ぎぬるに、駿河の清見が関と、逢坂の関とばかりはなかりけり。いと暗くなりて、三条の宮の西なる所に着きぬ。

「十二月の二日、京に入る」:見出しのように、まず概要を述べている。

「暗く行き着くべくと」:
暗くなってから帰京するのが旅の慣例だったようだ。土佐日記にも、「夜になして京には入らむと思へば、いそぎしもせぬほどに、月出でぬ。桂川、月のあかきにぞわたる」とある。
疲れた姿を人に見られないようにするため、と学校では教わった。それだけだろうか。
昼間に帰り着くと、その日は、旅をしていた時間と我が家で過ごす時間に二分される。旅人の自己が日常の自己に切り替わろうとして、なにか落ち着かない。夜に帰り着いたら、旅が終わったことを噛み締めながら酒でも飲んでいればいい。日常は夜が明けてから始まればいいのだ。
やはり旅の終わりは夜がよい。

「申(さる)の時」:午後四時ぐらい。
【山づら】山のまわり。山のかたわら。「つら」は、ある物の側面や近接したところ、そばの意。高欄のつら、川のつらなどとあった。
【きりかけ(切掛け)】柱に横板を鎧戸のように張った板塀。
【丈六(ぢやうろく)】一丈六尺(16尺、約4メートル85センチ)。仏像の標準的な大きさ。結跏趺坐の座像は半分の高さ、8尺に作られるが、それも丈六の仏と呼ぶ。

この帰京の旅から25年後に、作者は再びこの逢坂の関寺を訪れている。おそらくこの同じ場所に立派な寺院が出来ていたと思われる。と言うことは、まず仏像を作って、その仏像を覆うように伽藍が作られたのだろう。仏像は他の工房で作って運び込むものではなく、まず寺の中心に仏を定めて、それから寺の建物を作るということなのだろう。なるほど。

「人はなれていづこともなくておはする仏」:
足柄山の山中に葵を見つけた時には「世ばなれてかかる山中にしも生ひけむよ」とあった。孤独な姿に共感しているように思われる。くろとの浜では風の音の心細さに、猪鼻坂ではそのわびしさに心惹かれていた。

まだ荒造りで、仏として定まっていない姿にも共感している。「いづこともなくておはする仏かな」は、この未完成の仏の姿に寄り添うことで生まれた思いなのだろう。執筆時に、この仏の姿を思い出して、拠り所のない自身の姿を重ね合わせてみたかもしれない。拠り所のなさは、逆に、何物にも寄り掛からない生き方にも通じるものである。

「清見が関と、逢坂の関とばかりはなかりけり」:
この造り掛けの仏は、打ち見やりて過ぎただけなのに、富士の山と肩を並べるくらいに印象に残ったらしい。やはり心に響くものがあったのだ。

【ここら】たいそう多くの。

「三条の宮」:
脩子内親王(996~1049)。一条帝の第1皇女、母は定子。
敦康親王の姉。祐子内親王の大伯母。後一条と後朱雀は異腹の弟。

「三条の宮の西なる所」:
後に出てくる「東山なる所」は東山にある所で、これは位置情報である。この「西なる所」は、単に位置関係を示しているのではなく、三条院の跡という由緒正しいお屋敷のことを表している。「姉なる人」と同じ使い方の断定の助動詞「なり」である。その三条院は三条帝の里内裏となったお屋敷であり、三条の宮よりも御所寄りに位置している。
だが作者は三条院の跡とは書かない。自慢げに見えるのが嫌なのだ。それに、自分の本質とは関わりのないことだから、そんなことは書くべきではないという思いもあるのだろう。さらには、現実的な大人の関係事には興味を示さない十三歳の少女像として描かれていることもあるだろう。

今日の名文
「あはれに、人はなれていづこともなくておはする仏かな」


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1
あづま路の道の果てよりも
あづま路の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひはじめけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間宵居などに、姉継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままにそらにいかでかおぼえ語らむ、

いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を造りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、京にとく上げたまひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せたまへ、と身を捨てて額をつき祈り申すほどに、十三になる年、のぼらむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所にうつる。

年ごろあそび馴れつる所を、あらはにこほち散らして、たちさわぎて、日の入り際のいとすごく霧りわたりたるに、車に乗るとてうち見やりたれば、人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ちたまへるを、見捨てたてまつる悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。

「あづま路の道の果て……生ひ出でたる人」は、日記と言うよりも物語を書き始めようとする書き出しのようにも思われる。
更級少女の空想の一つであったかもしれない。数え年十三歳の少女。現代風に言うなら、小学校2年生のときに上総に下って今は六年生。この地に生まれたとする空想もあっただろうし、この地でずっと生きていく人生を想像することもあっただろう。
祈りが通じて京に上るというのも、父の任期満了は明白な事実なので、それはあえて書かずに、空想の世界を織り交ぜたのであろう。

いかばかりかはあやしかりけむを:
上総で過ごした四年間は作者の性格や感性の有り様にも大きな影響を及ぼしたに違いない。都育ちの娘たちとは違うという思いも強かったのではないだろうか。字句通りに読めば「あやしかりけむ」は引け目であり、自虐的とも見えるのだが、これを内面的な反語表現と見ることは出来ないだろうか。「あやしかりけむ」の内実、上総での経験を誇らしく思っていたと言うことだ。堂々と宣言しているように思えてきた。

【あやし】普通でない。不思議。→(都の貴族から見て不思議な)庶民の粗末な姿。田舎の人の姿。
【を】接続助詞。提示型の軽い逆接。

継母:
作者と継母の関係はすこぶる良好。「いかに思ひはじめけることにか」とあるが、継母との会話の中から、物語世界への空想を膨らませていったことに間違いはないと思われる。継母は良き教師でもある。母上と呼んでいたのだろうか。実の母親は一人都に残っている。母上は可能だが、おかあちゃんとは呼べない。父親の妻である継母に対して、おかあさんと呼ぶのも嫌味だ。おばちゃんあたりがちょうどいいのだが、継母は、お姉さんと呼びなさい、などと言っていたかもしれない。

わが思うままに:
私の望むようには誰も語れないなのか、語る側が自分で思うようには語れないなのか。後者のほうが自然であろう。

等身の薬師仏:
等身の仏となると、古着を丸めて人形を作るようにはいかない。兄と父を猛烈に責めてせがんで作ってもらったのだろう。浮彫りのような、半ば木に埋もれている仏像を思い浮かべてみた。整ってはいないが、思いのこもった薬師仏だ。

身を捨てて額をつき祈り申すほどに:
十三歳の少女のこの祈り方は、いくぶん大袈裟であり、大人の目には頬笑ましく、あるいは滑稽な姿として映るかもしれない。だが、少女は真剣なのである。真剣であればあるほど、どうしようもなく芝居がかってくるのだ。空想少女に共通する性質であろうか。赤毛のアンもそうであった。

日の入り際のいとすごく霧りわたりたるに:
少女にとっては待ちに待った門出である。薬師仏を見捨てて行く後ろめたさも、悲しさも、大きな喜びの中に包み込まれていて、ゆったりと宥めることが出来た。それを味わう余裕さえあったかもしれない。
ところが、思いがけず濃霧が立ち籠める。映画の場面として見るならば、内には薬師仏が静かに立っており、外は恐ろしいばかりの霧だ。その霧の中を出て行く。不吉な旅立ちを予感させるような場面である。もちろん、これは不吉の予兆ではない。だがこの光景は、少女の心に何かしらの変化をもたらしたに違いない。これまでゆとりの中にあった悲しみが、急に手に負えないものになってきた。

【すごし】心に衝撃を感じさせるさま。気味が悪い。鬼気迫るようだ。
【霧りわたる】動詞「霧る」の連用形と「渡る」の連語。

人知れずうち泣かれぬ:
旅立ちに涙を見せるのは不吉だと言われていた。これは「旅立ちに涙は不吉だから泣くな」と人を慰める常套句のような戒めだったのではないかとも思う。不吉だからと言って涙を堪えたり堪え切れなかったりの場面が源氏物語にもある。更級少女はこの戒めを守ろうとしたのだ。「泣かれぬ」の「れ」は自発、泣くまいとしても堪え切れなかった。


【ゆかし】行くの形容詞化。(行って)見たい、聞きたい、知りたい。
【こころもとなし】思うことがかなえられずに落ち着かないさま。思いが募っているさま。
【人ま】人のいない時。人気(ひとけ)のない間。人目のないすき。
【みそか(密か)】「ひそか」は漢文調の訓読文で用いられ、「みそか」は主に和文脈で用いられた。現代語にも「みそか事」など残っている。
【いみじ】超現代語訳すれば、「めっちゃ」とか「すんごい」とか、そんな感じか。更級日記では83回使われている。文章量の比率で見ると源氏物語のほぼ4倍。すこし気になるところ。

生ひ出で(おひいで)、宵居(よひゐ)、継母(ままはは)、額(ぬか)
三日(みか)、十三(じふさん、とをあまりみつ)

にほんごであそぼに倣って、今日の名文
「あづま路の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人」


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2
門出したる所は
門出したる所は、めぐりなどもなくて、かりそめの茅屋の、蔀などもなし。簾かけ、幕など引きたり。

南は遥かに野の方見やらる。東西は海近くていとおもしろし。夕霧たちわたりていみじうをかしければ、あさ寝などもせず、かたがた見つつ、ここを立ちなむこともあはれに悲しきに、

同じ月の十五日、雨かきくらし降るに、境を出でて、下総の国のいかだといふ所にとまりぬ。庵なども浮きぬばかりに雨降りなどすれば、おそろしくて寝も寝られず。

野中に丘だちたる所に、ただ、木ぞ三つ立てる。その日は雨に濡れたる物ども干し、国に立ちおくれたる人々待つとて、そこに日を暮らしつ。

「ただ、木ぞ三つ立てる」の一文が古典文学の中にあって異彩を放っているらしい。このような印象を、ただ印象のまま記述した文章はほかに見当たらない、と言うことらしい。
この木に紐を結びつけて、濡れた衣服を干している情景など思い浮かべてはなりませぬ。
丘の上に並び立つ三つの木にさわやかな風が吹いているのだ。

東西(ひむがしにし)は海近くて:
国府があったとされる市原市あたりでは、海岸線は北東の方角から南西に向けて広がっている。海に向かって、東からぐるりと西の方まで遥かに海を見渡すことが出来た、と言うことなのだろう。

あさ寝(あさい)などもせず:
朝寝坊の生活だったのだろうか。普段と違って早起きをした。あるいは、普段もまずまずの早起きなのだが、それにもまして、なお一層の早起きをした。朝早くから目が覚めてしまった、と読むことも出来そうだ。

ここを立ちなむこともあはれに悲しきに:
国司の館がここにあったらよかったのに、と思ったに違いない。上総での普段の生活はどうだったのか。野山を駆け回ることは出来たのか。勝手に出歩いてはならないと厳しく言われていたであろうが、姉ちゃんと二人、こっそり冒険の散策に出掛けることもあった、と思ってみたりする。

雨かきくらし(掻き暗し)降るに:天候よりも、暦の吉凶が優先。

【門出】旅に出る前に、吉日を選んで、仮に家を出て近くに移ること。
【めぐり】かこいの垣や塀。

茅屋(かやや)、庵(いほ)、寝も寝られず(いもねられず)

にほんごであそぼに倣って、今日の名文
「野中に丘だちたる所に、ただ、木ぞ三つ立てる」


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14
ひろびろと荒れたる所
ひろびろと荒れたる所の、過ぎ来つる山々にも劣らず、大きにおそろしげなる深山木どものやうにて、都のうちとも見えぬ所のさまなり。

ありもつかず、いみじうものさわがしけれども、いつしかと思ひしことなれば、物語もとめて見せよ、もとめて見せよ、と母をせむれば、三条の宮に親族なる人の、衛門の命婦とてさぶらひけるたづねて、文やりたれば、めづらしがりてよろこびて、御前のをおろしたる、とてわざとめでたき冊子ども、硯の箱の蓋に入れておこせたり。

うれしくいみじくて、夜昼これを見るよりうちはじめ、またまたも見まほしきに、ありもつかぬ都のほとりに、誰かは物語もとめ見する人のあらむ。


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9
富士川の不思議
富士川といふは、富士の山より落ちたる水なり。
その国の人の出でて語るやう、

一年ごろ、物にまかりたりしに、いと暑かりしかば、この水のつらに休みつつ見れば、川上の方より黄なる物流れ来て、物につきてとどまりたるを見れば、反故なり。取りあげて見れば、黄なる紙に丹して濃くうるはしく書かれたり。

あやしくて見れば、来年なるべき国どもを、除目のごとみな書きて、この国来年空くべきにも、守なして、また添へて、二人をなしたり。あやし、あさましと思ひて、取りあげて、乾して、をさめたりしを、かへる年の司召に、この文に書かれたりし、一つたがはず、この国の守とありしままなるを、三月のうちに亡くなりて、またなりかはりたるも、このかたはらに書きつけられたりし人なり。

かかることなむありし。来年の司召などは、今年、この山に、そこばくの神々あつまりてない給ふなりけりと見たまへし。めづらかなることにさぶらふ、

と語る。
「その国の人の出でて」:
どんな人なのだろう。長い髭を生やした老人ではないだろうか。世捨て人の風ではない。この国の役人とも交わりがあり、知恵袋のような存在である、と少なくとも本人はそう思っている。かつては駿河の国の公の行事として、疫病退散の儀式を執り行ったこともある、と言うことなのだが、近頃では、不思議な話を聞かせて、人の驚いた顔を見るのが、ただ一つの楽しみとなっている。孝標一行を待ち構えていたかのように、どこからともなくこの老人が姿を現した。

【一年(ひととせ)ごろ】あるとき。ある年。いつのことであったか。
【一(ひと)】 不特定のある一点を漠然とさして表す。ある。
【物】詳細に言う必要のないことを漠然と示す。何かの用事。

【まかる】「行く」の聞き手に対する謙譲語。丁重表現。
基本的には、動作を命じる主体やその場所を敬って用いる謙譲語。
中古以降の用法として、聞き手に対しへりくだるように変化したもの。

【かへる年】あくる年。翌年。
【つら】ほとり。あたり。竹芝伝説に「高欄のつら」とあった。

「この水のつら」:
作者たちはどこにいるにか。富士川のほとりで話をしているのであれば、さらに「この水のつら」と言うのは不自然ではないか。だが、これも直接話法の中に作者が介入していることも考えられる。映画を撮影するとしたら、川のほとりで話を聞いている場面にしたいところである。やはり川のほとりであるべきだろう。

【うるはし】端正である。外見的な立派さ、しかつめらしい、儀式ばって面白みに欠ける感じにも用いられた。
【あさまし】基本的には、びっくり。

「守なして、また添へて、二人をなしたり」:
守の名を記して、それに添えてもう一人の名前が記されていた。守は一人のはずなのに、二人の名前が記されていたのだ。「二人をなしたり」はこの不思議を表すもの。

「この国の守とありしまま」:
黄なる紙にこの国の守と書かれていた、そのとおりに。

【そこばくの】いくらかの。たくさんの。多くの。数量をあえて明示しない言い方。
「ない給ふ」:なし給ふのイ音便。
「たまへし」:下二段活用の【給ふ】は謙譲語。聞き手に対しへりくだった丁重表現。この「給ふ」は直接話法の中でのみ使われる。なお、「思ひ」に付く場合は、ウ音便、長音化して「思うたまへ」となる。

【めづらか】あやしく、不可思議なさま。
源氏が生まれたときの様子、「めづらかなる稚児の御容貌なり」
大納言の姫君の生まれ変わりの猫についての父の言葉、「めづらかにあはれなることなり」

「富士川といふは、富士の山より落ちたる水なり」:
こう言われると、素直にそうなのだろうと思うのだが、実際は違っているらしい。作者も、黄なる紙の話をした人か誰かの言葉をそのまま信じたのだろう。だが、執筆時に、それが間違いだと気づいていたとしたら、どうだろうか。可能性としては、たとしえようもなく低いが、前置きとして、「これから語るのはすべて嘘ですよ」と暗喩的に宣言していると考えられなくもない。ただ、更級作者はこのような書き方はしない。

反故(ほぐ)、丹(に)

今日の名文
「富士川といふは、富士の山より落ちたる水なり。  嘘だけど 」


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12
美濃、近江、勢多の橋
美濃の国になる境に、墨俣といふ渡りして、野上といふ所に着きぬ。そこに遊女ども出で来て、夜ひとよ歌うたふにも、足柄なりし思ひ出でられて、あはれに恋しきことかぎりなし。

雪降り荒れまどふに、ものの興もなくて、不破の関、あつみの山など越えて、近江の国、おきながといふ人の家に宿りて四五日あり。

みつさかの山の麓に、夜昼、時雨霰降りみだれて、日の光もさやかならず、いみじうものむつかし。

そこを立ちて、犬上、神崎、野洲、栗太などいふ所々、なにとなく過ぎぬ。湖のおもてはるばるとして、なで島、竹生島などいふ所の見えたる、いとおもしろし。勢多の橋みなくづれて渡りわづらふ。

「遊女ども出で来て」:
「遊女ども」という言い方からして、ここの遊女への関心のなさが表れている。足柄山では「遊女三人」であった。
違いは何なのか。足柄山の遊女は、おそろしげなる、闇に惑ふやうなる山の麓に立ち現れたこと、作者にとって初めての体験であったこと、などもあるだろうが、やはり足柄山の遊女の方が優れていたのだろう。野上の遊女は世俗的であり、足柄山の遊女には何か神聖さのような純粋な美があった、と作者は感じ取っているのではないだろうか。


「おきながといふ人」:
更級日記には人の名前はあまり出てこない。この「おきなが」と初瀬詣のときの「藤原良頼の兵衛督」の二人だけかと思う。あとは、伝説の「まのしてら」と、これも伝説の遊女「こはた」ぐらいである。
なぜ名前を記したのか。茫人さんは次の歌を挙げて、息長氏の歓待ぶりが印象に残ったためとされている。なるほど、納得である。有名な息長川と由緒を同じくする息長氏であれば、その名を書き留めない訳にはいかないだろう。

にほどりの息長川は絶えぬとも君にかたらふこと尽きめやは


【むつかし】機嫌が悪い。心が晴れない。鬱陶しい。陰鬱だ。赤ん坊がむずがるとか、むつかしがるとか、難しい顔をするとか、現代語にも残っている。

「竹生島など」:
犬上、神崎、野洲、栗太など、なにとなく過ぎた後の琵琶湖であり、竹生島である。名前だけの歌枕には飽き飽きしていたところに、雄大な景色が現れた。なにとなく過ぎた歌枕の地が、その後に来る琵琶湖、竹生島の引き立て役になっている。

「勢多の橋みなくづれて渡りわづらふ」:
誰もが竹芝伝説を思い出すだろう。作者もそのことは念頭に置いている。だが、書かない。読者が先回りして、期待するであろうことは書かないのだ。作者のストイックな姿勢だろうか。天邪鬼とも言えそうだ。64章では藤壺で月を眺めているが、ここでも源氏物語には触れていない。行間に余る思いは読者に委ねることにする、そんな抑制の効いた文章を心掛けているのだろう。

墨俣(すのまた)、野上(のがみ)、遊女(あそび)、霰(あられ)、
犬上(いぬかみ)、神崎(かむざき)、野洲(やす)、栗太(くるもと)、
湖(みづうみ)、竹生島(ちくぶしま)

今日の名文:
「勢多の橋みなくづれて渡りわづらふ」 (竹芝伝説には触れず)


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8
富士の山、清見が関
富士の山はこの国なり。わが生ひ出でし国にては西面に見えし山なり。その山のさま、いと世に見えぬさまなり。さまことなる山の姿の、紺青を塗りたるやうなるに、雪の消ゆる世もなくつもりたれば、色濃き衣に、白き衵着たらむやうに見えて、山のいただきの少し平らぎたるより、けぶりは立ちのぼる。夕暮は火の燃えたつも見ゆ。

清見が関は、片つ方は海なるに、関屋どもあまたありて、海まで釘貫したり。けぶり合ふにやあらむ、清見が関の浪もたかくなりぬべし。おもしろきことかぎりなし。

田子の浦は浪たかくて、舟にて漕ぎめぐる。

大井川といふ渡りあり。水の世のつねならず、摺り粉などを濃くて流したらむやうに、白き水はやく流れたり。

「色濃き衣に、白き衵着たらむやうに」:
実際にこういう会話があったのかもしれない。
妹が澄ました声で、
「富士山って、袿の上に白い衵を着てるみたいだね」
と言うと、姉ちゃんは愉快そうに笑った。
「富士山がそんなお道化た姿だなんて。富士山、怒って火を噴いても知らないからね」
と言って、また笑った。妹はしおらしく、
「富士山、ごめんなさい」
と謝った。姉ちゃんはぷっと吹き出してしまった。
こらえ切れず、妹も笑いだした。

まわりの人々が富士山を絶賛していると、作者はこれに同調することが出来なくなるのだと思う。いかにもという富士山の姿を目にしたとき、そっぽを向きたくなったのだろう。「色濃き衣に白き衵着たらむ」は、これが人の姿ならば、かなりのお道化ぶりである。

【衵(あこめ)】裾の短い子供の下着、または遊び着。
【釘貫(くぎぬき)】杭を立て並べて、貫(横木)を渡しただけの柵
「清見が関」:足柄の関、横走の関とともに、枕草子の「関は」の段に記されている。関所は国司一行の宿泊の場でもあったのだろう。


「けぶり合ふにやあらむ」:
更級少女は浜辺を歩いていた。釘貫に波が打ち寄せて、しぶきをあげている。振り返ると富士山が煙を吐いている。波しぶきと煙、この二つが似た者同士のような気がしてきた。波しぶきと煙を一緒に見ることは出来ないものかと、しゃがみ込んり寝転んだりしてみた。どこかで繋がることはないのかしら。波がもっと高くなればいいのに。空を見上げながら、少女はふと源氏物語の柏木と女三宮の歌を思い出した。絡み合えばいいのにね。そのうちきっと波も高くなるわよ。

今はとて燃えむ煙もむすぼほれ絶えぬ思ひのなほや残らむ (柏木)
立ち添ひて消えやしなまし憂きことを思ひ乱るる煙比べに (女三宮)


「摺り粉などを濃くて流したらむやうに白き水」:
岩に急かれて水しぶきを上げている様子と見るのが穏当だろうか。でも、ほんとうに白濁した水が流れていたのかもしれない。作者の肩を持つとしたら、白濁である。いや、待てよ。白濁は米のとぎ汁のイメージではないか。水に溶けない摺り粉の粒子が光を受けて、白く輝いているとしたら、これは水しぶきだ。

紺青(こんじやう)、衣(きぬ)、清見が関(きよみがせき)、関屋(せきや)、摺り粉(すりこ)

にほんごであそぼに倣って、今日の名文
「けぶり合ふにやあらむ、清見が関の浪もたかくなりぬべし」


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かめゐ
かめhr @ pluto.dti.ne.jp