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足柄山といふは、四五日かねておそろしげに暗がりわたれり。やうやう入り立つ麓のほどだに、空の気色、はかばかしくも見えず、えも言はず茂りわたりて、いとおそろしげなり。
「四五日かねておそろしげに暗がりわたれり」:
薄暗い山道の印象が強くて、執筆時には、それが何日も前から続いていたように思い出された。この印象に基づいたものか。あるいは、暗闇の中から遊女が現れる、その場面設定としての効果を狙った誇張であろうか。
茫人さんは、山道に入ってから抜けるまでを四五日と見ておられる。足柄山を越えた後で振り返って、「四五日にわたってずっとおそろしげに暗がりわたれり」である。そうであればこそ、「麓のほどだに」の「だに」が生きてくるし、「足柄山といふは」とも自然に繋がる。これも、まず見出しのように全体を述べてから、詳細を述べる語り方。どうやらこれが正解のようだ。
【かねて】(日数を表わす語を受けて)…前から。
【かねて】以前からずっとその状態を続けてきたという気持を表わす。前から。今までずっと。
麓に宿りたるに、月もなく暗き夜の、闇にまどふやうなるに、遊女三人、いづくよりともなく出で来たり。五十ばかりなる一人、二十ばかりなる、十四五なるとあり。庵の前にからかさをささせて据ゑたり。
をのこども、火をともして見れば、昔こはたと言ひけむが孫といふ、髪いと長く、額いとよくかかりて、色白くきたなげなくて、さてもありぬべき下仕へなどにてもありぬべし、など人々あはれがるに、声すべて似るものなく、空に澄みのぼりてめでたく歌をうたふ。人々いみじうあはれがりて、け近くて、人々もて興ずるに、西国の遊女はえかからじ、など言ふを聞きて、
難波わたりにくらぶれば、
とめでたくうたひたり。見る目のいときたなげなきに、声さへ似るものなくうたひて、さばかりおそろしげなる山中に立ちてゆくを、人々あかず思ひてみな泣くを、幼き心地には、ましてこのやどりを立たむことさへあかずおぼゆ。
「遊女」:
親子三人の稼業と思っていたが、違うようだ。遊女は傀儡師や猿楽の一座に属していたらしい。年配の女は座長の妻かもしれない。二十歳の遊女が「こはた」の孫であり、「こはた」と言えば相手にも通じると思って紹介している。都にも名の通った遊女だったようだ。更級少女には知る由もない名であるが、その名を書き留めている。
遊女の芸能文化は後に白拍子を生み出す。その芸術的感性はこの時代から培われていたかもしれない。この夜、日常にはあり得ない美が出現した。作者も夢の中の出来事のように見とれていたに違いない。五十二歳の執筆時にも、ありありと思い出すことが出来たことだろう。
「いづくよりともなく出で来たり」:
物の怪が現れたとでも思ったか。そんな現れ方である。去り行くさまは「さばかりおそろしげなる山中に立ちてゆく」で、やはり幻想的だ。
「すゑたり」:
傘を据えたのではなく、遊女を座らせた。主語は年長の女だろうか。孝標一行の男たちだとすれば、遊女に芸を許したと取ることも出来るが、とりあえず年長の女としておこう。唐傘は大きなものだったと想像する。差し広げた唐傘の前が舞台になるのだろう。
「こはたと言ひけむが孫といふ」:
年長の女が不確かな情報として伝えたのではない。「けむ」は話を聞いた作者の側の伝聞推量。「いふ」は連体形で主格。
「きたなげなし」:貴族が庶民をほめる言葉としては、ほぼほぼ最高のほめ言葉だったらしい。ちなみに、乳母には「きよげにて」と言っている。
「さてもありぬべき下仕へ」:相当の家の下仕え。
「かからじ」:「かくあらじ」の変形
「さへ」:その上…まで。…までも。「添え」から出た語か。
「幼き心地には、まして…」:
大人たちは何度か経験していることなのだろうが、私は初めて遊女の歌を聴いたのだという思いか。あんなに騒ぎ立てて聴くものじゃない、静かに耳を澄ますべきだったのに、と大人たちを非難しているのかもしれない。自分が一番の理解者だと思ったかもしれない。明日もここに留まって、遊女たちが歌ったこの場所で、繰り返し思い出しながら噛み締める時間が必要なのだ。
まだ暁より足柄を越ゆ。まいて山の中のおそろしげなること言はむかたなし。
雲は足の下に踏まる。山のなからばかりの、木の下のわづかなるに、葵のただ三筋ばかりあるを、世ばなれてかかる山中にしも生ひけむよ、と人々あはれがる。水はその山に三所ぞ流れたる。
からうじて越え出でて、関山にとどまりぬ。これよりは駿河なり。横走の関のかたはらに、岩壺といふ所あり。えも言はず大きなる石の四方なる中に、穴のあきたる中より出づる水の、清く冷たきことかぎりなし。
「雲は足の下に踏まる」:
霧だろうか。足元もかすむほどの濃霧。雲の中を歩いているような気分になるだろう。あるいは雲海か。直接雲を踏んではいないが、「足の下に踏まる」の感覚はあると思う。雲海を見下ろしたとすれば、その様子は情感を込めて描写したくなるものだが、「雲は足の下に踏まる」だけである。雲海を表現するものだとしたら秀逸だが、執筆時の記憶に空想が紛れたとも考えられる。高く険しい山だったのだ。
「葵の世離れて生ひけむよ」:
葵祭の葵だ。その葵が都を離れた山中にあることを人々はあわれがった。
作者がこれを思い出すとき、世捨て人が寂しさと向き合っている姿として思い出されたのだろう。それで、「世離れて」なのかと。
「えも言はず大きなる石」:
しめ縄の張られた大きな岩だろうか。側面の穴から水が湧き出している。
最初、岩の上に立っている姿を思い浮かべたが、違う、見上げているのだ。
遊女(あそび)、三人(みたり)、西国(にしぐに)、葵(あふひ aoi)、
三所(みところ)、横走(よこばしり)、四方(よほう(方形))
にほんごであそぼに倣って、今日の名文
「月もなく暗き夜の、闇にまどふやうなるに、遊女三人、いづくよりともなく出で来たり」
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