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50
一尺の鏡
母、一尺の鏡を鋳させて、え率て参らぬかはりに、とて僧を出だし立てて初瀬に詣でさすめり。三日さぶらひて、この人のあべからむさま、夢に見せたまへ、など言ひて、詣でさするなめり。そのほどは精進せさす。

この僧帰りて、夢をだに見でまかでなむが本意なきこと、いかが帰りても申すべき、といみじうぬかづきおこなひて、寝たりしかば、御帳の方より、いみじうけだかう清げにおはする女の、うるはしくさうぞきたまへるが、奉りし鏡をひきさげて、この鏡には文や添ひたりし、と問ひたまへば、かしこまりて、文もさぶらはざりき、この鏡をなむ奉れとはべりし、と答へたてまつれば、あやしかりけることかな、文添ふべきものを、とて、

この鏡を、こなたにうつれる影を見よ、これ見れば、あはれに悲しきぞ、とてさめざめと泣きたまふを、見れば、伏しまろび泣き嘆きたる影うつれり。この影を見ればいみじう悲しな、これ見よ、とていま片つ方にうつれる影を見せたまへば、御簾ども青やかに、几帳押し出でたる下よりいろいろの衣こぼれ出で、梅桜咲きたるに、鶯木づたひ鳴きたるを見せて、これを見るはうれしな、とのたまふ、となむ見えし、と語るなり。いかに見えけるとぞ、とだに耳もとどめず。


51
あまてるおほんかみ
ものはかなき心にも、つねに、天照大神を念じ申せ、と言ふ人あり。いづこにおはします神仏にかはなど、さは言へど、やうやう思ひわかれて、人に問へば、神におはします、伊勢におはします、紀伊の国に、紀の国造と申すはこの御神なり、さては内侍所にすくう神となむおはします、と言ふ。伊勢の国までは、思ひかくべきにもあらざなり。内侍所にも、いかでかは参り拝みたてまつらむ。空の光を念じ申すべきにこそはなど、浮きておぼゆ。


52
親族なる人、修学院に入りぬるに
親族なる人、尼になりて、修学院に入りぬるに、冬ごろ、

涙さへふりはへつつぞ思ひやるあらし吹くらむ冬の山里

返し、

わけて訪ふ心のほどの見ゆるかな木陰をぐらき夏のしげりを


53
父の帰京
あづまに下りし親、からうじてのぼりて、西山なる所に落ち着きたれば、そこにみなわたりて見るに、いみじううれしきに、月の明かき夜ひとよ、物語などして、

かかるよもありけるものをかぎりとてきみに別れし秋はいかにぞ

と言ひたれば、いみじく泣きて、

思ふこと叶はずなぞといとひこし命のほども今ぞうれしき

これぞ別れの門出、と言ひ知らせしほどの悲しさよりは、平らかに待ちつけたるうれしさもかぎりなけれど、人の上にても見しに、老いおとろへて世に出で交らひしは、をこがましく見えしかば、われはかくて閉ぢこもりぬべきぞ、とのみ残りなげに世を思ひ言ふめるに、心ぼそさ堪へず。


54
田舎のここちして
東は、野のはるばるとあるに、東の山際は、比叡の山よりして、稲荷などいふ山まであらはに見えたり。南は、双の丘の松風いと耳近う心ぼそく聞えて、内には、いただきのもとまで、田といふものの、引板ひき鳴らす音など、田舎のここちして、いとをかしきに、月の明かき夜などは、いとおもしろきをながめ明かし暮らすに、知りたりし人、里遠くなりて音もせず。たよりにつけて、なにごとかあらむ、と伝ふる人におどろきて、

思ひ出でて人こそ訪はね山里のまがきの荻に秋風は吹く

と言ひにやる。


55
十月になりて京にうつろふ
十月になりて、京にうつろふ。母、尼になりて、同じ家の内なれど、方ことに住みはなれてあり。父は、ただわれをおとなにしすゑて、われは世にも出で交らはず、かげに隠れたらむやうにてゐたるを見るも、頼もしげなく心ぼそくおぼゆるに、

聞こしめすゆかりある所に、なにとなくつれづれに心ぼそくてあらむよりは、と召すを、古代の親は、宮仕へ人はいと憂きことなり、と思ひて、過ぐさするを、今の世の人は、さのみこそは出でたて、さてもおのづからよきためしもあり、さてもこころみよ、と言ふ人々ありて、しぶしぶに出だしたてらる。


56
宮仕へにまづ一夜参る
まづ一夜参る。菊の濃く薄き八つばかりに、濃き掻練を上に着たり。さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るよりほかに、行き通ふ類親族などだにことになく、古代の親どものかげばかりにて、月をも花をも見るよりほかのことはなきならひに、立ち出づるほどのここち、あれかにもあらず、うつつともおぼえで、暁にはまかでぬ。

里びたるここちには、なかなか、定まりたらむ里住みよりはをかしきことをも見聞きて心もなぐさみやせむ、と思ふをりをりありしを、いとはしたなく、悲しかるべきことにこそあべかめれ、と思へど、いかがせむ。

出仕先は、祐子内親王(後朱雀帝皇女、母嫄子は頼通の養女)


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かめゐ
かめhr @ pluto.dti.ne.jp