細川の考え断片

 

 このページでは、卸売市場政策研究所代表である細川が卸売市場に関わる中で思っていることを、ツイッター風にメモして見たものです。共感していただけるか、はたまた反論されるか、ぜひご意見、ご感想をお寄せください。

1 卸売市場をよくしたいという思いの細川語録(2015.2.28まとめ)

 (卸売市場業界の経営に関する参考資料)
 以下は、卸売市場政策研究所代表・細川允史が、雑誌、新聞等に執筆した原稿のなかで、経営姿勢に関する内容のものを端的な言葉として抜粋したものである。

①「老舗は常に新しい」
 その仲卸は、明治6年創業。これまで会社が持っているのは、古さを売り物にしているのではなく、時代の動きをよくリサーチして、常に新しい取り組みに挑戦しているからである。ちなみに、社長は今82歳である。

②『「そこをなんとか」精神で』
 ある花き卸売市場の仲卸が、「欲しいときに卸は集荷してくれない。しかたないから直荷引きしている」というので、具体的に事情を聞いて、卸売会社の担当者に聞いたところ、注文のロットが小さくて、産地から出荷してもらえない、ということだった。それはそれで理由があることだが、それで説明はついても、卸売会社の取り扱いが増えるわけではない。小ロットでも産地から出荷してもらえるにはどうすればいいか、卸売会社は考えるべきで、難しい課題で壁にぶつかって簡単にあきらめるな、という意味で「そこをなんとか」と表現した。そこをなんとか、の具体的方向はいくつか考えられるが、例えば、産地側と交渉して他の品目とセットで出荷ロットを増やす、地元県の農業試験場に依頼して特産的な品種改良をしてもらう→その卸売市場で独占的に販売でき差別化できる、冷蔵庫をセットして不意の注文に備えてストックする体制を整備する、などを提示。
 卸売会社などで「そこをなんとか」精神で取り組むと、社員の目標に向かった一体感を醸成でき、社員意識の高揚、会社へのアイデンティティ(生きがい感)を高めることに役立つ。

③「ありません、ガチャンはだめ」
 これは、②と関連するが、仲卸などから注文が入った時に、ロクに努力もせずに、電話を受けたその場で「ありません」、「できません」とガチャンと電話を切る卸売会社の担当者がいるという訴えを基に書いた原稿である。それに近いことはありうるという。するとそれでお終いで、卸売会社の経営は低下の一途をたどることになる。このような社員を放置しておく経営者の責任である。
 逆に、どんな注文でも、夜通しかけても荷を確保し、買い手側から信頼を得て、毎年、15億円前後の成績を上げている社員もいる。この例に学びたい。

④『「素人はひっこんでろ」とは何事か』
 これはある青果卸売会社の話が基になっている。最近の大型生産者団体の一部には、強い価格要求をするところがあって、それに応えて高価格を買い手側に提示すると、相場からかい離していれば受け入れられるわけもなく、安値の取引になる。すると、出荷団体側から、提示価格との差額をなんとかしろ、といわれるらしく、出荷を切られることを恐れてそれを飲むと、結果的に赤字要因になる。これが膨らんで巨額の赤字になっていて、経理担当重役から相談を受けたので、「赤字になる取引については、経理担当重役の承認がいるようにしたらどうか」とアドバイスし、同氏がそれを実行したところ、営業の部長から、「素人はひっこんでろ」といわれた、というものである。このケースでは、最高責任者で
ある社長の姿勢がもっとも重要で、指摘者がはしごをはずされるのでは、言語道断である。私は、断固としてこのような営業の部長は更迭すべきだと思う。このようなことを許すのは、経営者の責任であり、その社の将来は極めて憂慮される。

⑤『「所属卸売市場への貢献度」概念で市場活性化』
 これは、ある中央卸売市場で、ほとんどの仕入れが直荷引きの仲卸がいて、その言い訳は、「所属市場の卸売会社がろくに荷を集めないから」というものであった。さらに、その仲卸は、市場外に土地を確保して、スーパー向けの流通センターを作り、所属市場の卸売会社とほぼ同等規模の商いをするに至った。しかも、流通センターに必要な材料は、所属市場の卸売会社からはひとつも仕入れず、他県の大市場から仕入れている。企業としての営業方法は自由であるが、その仲卸は、中央卸売市場という開設自治体の税金を投入した公設卸売市場に店舗を借りる資格がないとしかいいようがない。この件をヒントに、卸売市場政策研究所が作成した第10次意見書の中に、「所属卸売市場への貢献度」という概念
を導入し、それが果たされていない企業を退場させることができる仕組みを提案したところである。これは、仲卸だけでなく、③の「ありません、ガチャン」という、十分な集荷努力をしない卸売会社にもあてはまる。

⑥「身の丈にあった経営」
 平成3年のバブル崩壊以降、わが国の卸売市場は、下り坂を転げ落ちるように取り扱いが減り、多少の上下はあっても大きくは下げ止まっていない。しかも、将来は、人口減少、高齢化などで、下がる要素はあっても、上がる要素は少ない。上がるには、全体のパイが縮小しているのだから、他を食うしかない。つまり勝ち組になるということである。その取り組みは重要であるが、入るが少なければ出るを制すしかない。かっての平成3年までの市場の賑わいは、もう来ないと思って、出るを制すことに注心することを「身の丈にあった経営」と表現した。その堅実さの上に、倒れない程度の冒険、リスクに挑戦することは、伸びるためには必要であるが、イチかバチかで大損することは、破滅を招く。

⑦「名門意識を捨てよ」
 これは、⑥と同じことであるが、かっての名門、名声、に寄りかかり、夢よもう一度、というのはダメです。その意味で、もう25年も前になった活気にあふれた卸売市場を知っている人は、よほど気を付けないと、その後の困難についていけなくなる、ということを警告したものである。時代は変わった、新しい発想で取り組まなければ通用しない、経験主義はほとんど通用しないということである。活況期を知っている社員は、50歳代以上で、要職についていることが多い。よほど心していただかないといけない。そうでないと、④のようなことになる。このような気分は一掃しなければならない。
 青果では、大型出荷団体から出荷先の指定を切られることを恐れる意識の中に、「当社のような名門が、指定を切られたら恥ずかしい」というような意識があって、大きな赤字要因を作っているようなことだけは避けて欲しい。その意味での、「名門意識は捨てよ」である。

⑧「なかよしクラブはダメ」
 これは特に仲卸にいえることであるが、数いる仲卸どうしが、あまり波風も立てず、棲み分けして軒を並べるのは、楽ではあるが、市場外との競争力の確保という点では、弱体になりやすい。強力な経営力を持っていて、みんなを脅かすような仲卸こそ、卸売市場改革の牽引力になる。こういう経営者は、他の仲卸は来て欲しくないので、陰に陽に反対するということがある。逆で、みんなが警戒するような企業こそ、改革の牽引力になり、結果としてその卸売市場の活性化に貢献できる。その意味で、仲卸の新しい風を入れることができる仕組みが重要である。公設卸売市場ではなかなかできないが、民設卸売市場では、卸売会社が開設者(=オーナー)である場合が多いので、チェンジはかなりやりやすく、
元々仲卸数が少なく、強力な仲卸との連携で強力な市場競争力を確保しやすい。すべてに平等主義の公設卸売市場の弱点といえる。

⑩「既得権益の期限付き化でリセットを」
 既得権益とは、昔は正当な理由があって確保した、ないし与えられた権利が、時代が変わって正当でなくなったのに、手放さない権利を差す。これがまかり通ると、敷地の利用などに支障が出ている例がある。また、資金のやり取りなどでも、既得権益化していて、その卸売市場の発展の阻害要因になっているものも、あるかもしれない。権利は10年などの期限制にして、一度リセットして見直しながら、その時点で最適なシステムにしていくということは、卸売市場が時代遅れとならないために、重要なことである。

⑩「いまは卸売市場制度崩壊の前夜」
 大正12年に成立した中央卸売市場法は、当時の工業化を進める日本の現状に合わせて、都会への生鮮品の集中的出荷、そのための取引の透明性、公設による卸売市場施設の確保、などを定めたものである。これは非常によく機能し、先の大戦を経ても適合したシステムであったが、流通の大型化のなかで、取引原則が次第に合わなくなってきた。また、昭和30~40年代に国を挙げて展開された中央卸売市場の設置から数十年が経過し、施設の老朽化が進んで建て替え時期に来ている。しかしながら、国および自治体財政の悪化、必要な施設の高度化、建設費の高騰などで、税負担、利用者の使用料負担、いずれもかっての数倍になるという状況になり、このままの制度の維持が困難になってきている。
 しかし、卸売市場は公的役割を有し、すべて企業資金でやれというのも無理があり、中央卸売市場法、その後継としての卸売市場法に変わる、今に合った卸売市場制度に切り替えて、卸売市場制度を機能させなければならない時期に来ていると、卸売市場政策研究所は主張している。新制度を考え、切り開いていく主役は、現在の卸売市場で営業している方々である。

⑪「卸売市場の司令塔をどうつくるか」
 民設卸売市場では、一般に卸売会社が開設者であり、その卸売市場全体の司令塔である。すると、他市場や市場外との戦いの先頭に立って、すばやい決断と指揮が取れる。一方、公設卸売市場では、開設者は自治体であり、他市場などとの戦いの司令塔という立場ではない。民設卸売市場のような司令塔は不在である。何か困難があると、開設者を頼りにするという意識は否定できない。しかし、開設者は自治体であり、対応には限界がある。十分な規模の施設の提供などがされるという公設卸売市場の利点を踏まえながらも、どう経営戦略的な作戦が立てられるかは、公設卸売市場の最大の課題であるが、たぶんこのままでは解決できないだろう。卸売市場の再整備に当たっては、開設運営形態の再検討は避け
られない。

⑫「市場間・市場外との競争は陣地戦」
 卸売会社の取扱規模のじり貧状態が止まらない、ある卸売会社の社員研修の依頼を受けた。一般論を長々おしゃべりしても面白くないし、居眠り剤となるのが落ちなので、円卓に座ってもらって、真ん中に大きな地図を置き、スーパーの場所を赤で丸をしてもらい、その店にはどこの卸売市場から納入されているか、担当品目の社員にいわせた。そして、もし他市場から納入されていれば、どうして地元市場が納められないか、を説明してもらった。納められないところは理由があるはずで、それを聞きだして社内会議をして、取り返す作戦を立てる。これが陣地戦で、1店ずつ取っていく、取ったところは守る、まさにひとつひとつの陣地戦が大切だ、と強調した。早朝からの取引の勤務で、午後遅くまで、このような営業活動をするのは無理だと思われるので、社員を割いて、このような部隊を作ることが大切である。それができなければ、週1度でいいから、帰りに寄って、バイヤーに挨拶がてら聞くことでも、効果があるのではないか、このような研修をしたことがある。

⑬「思い切った規制緩和を」
 ある卸売市場の開設区域内というか、「縄張り」範囲内に、他市場や市場外企業が乗り込んできて、地元の小売店などの納めを荒らされるということは、いまや当たり前である。某大手の卸売会社A社は、攻めるための専門部隊を作って、他市場の卸売会社などに、A社がいる卸売市場の売買参加者になりませんか、と勧誘して回っているという。これは違法でも何でもない。その卸売市場(公設)の開設自治体は、売買参加者の承認条件に開設区域内の営業者に限るという条項はない。継続的取引ができれば、全国どこでもいい。一方、地方の某卸売市場は、売買参加者の承認用件は、その市のなかで営業している者に限定している。その背景は既得権益であったが、これでは勝負にならない。                                                      

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2 市場食堂から見た公設卸売市場の限界と打破方向              
1 ある卸売市場の市場食堂にて
 忘年某月、ある公設卸売市場(青果、水産の総合市場)でのこと。筆者が昼食を食べようと市場食堂に入ったところ、壁に貼ってあったメニューが、一律650円で、刺身定食、生姜焼き定食、その他けっこう豊富なメニューであった。そのうち刺身定食を注文したところ、出てきたのが刺身もいいもので量も多く、そのほか副皿もボリュームがある野菜料理など皿数も多く、盆にところ狭しと並べられていた。これが650円ではお得!と思った。普段は小食の筆者もどんぶり一杯のご飯を含めて完食してしまった。このような発見も市場での楽しみの一つである。
 聞けばその卸売市場では、開場時には食堂が8店舗ほどあったが、取扱規模の減少、来場者の減少で2軒しか残っていないという。このように食堂数が激減している卸売市場の市場食堂は、あまりパッとしない場合も多いが、この卸売市場の食堂は高い評価ができた。
 筆者が入った市場食堂の立地は、正門から入った正面に2階建て(一部3階建て)の市場棟があり、その左右に青果棟、水産棟が延びている。市場棟の2階に市事務所、卸売会社事務所、仲卸事務所などが集中し、食堂も同じ2階にある。市場棟の1階には物販の関連事業者店舗が並んでいる。つまり、市場食堂は、外からは見えない位置にある。
 筆者は、「これだけのコストパフォーマンスのあるメニューを持つ食堂は、市場の外の人たちにも利用してもらい、活性化の一助にしたらどうか。そのために正門の外に食堂の看板を出したらどうか。」と市に提案した。市の人は、「それはいい考えだが、ひとつ心配がある。それは、市場開放に小売商団体が強く反対していることで、食堂といっても市場外の利用者を認めると、来場者が青果棟や水産等に入り込んで買い物をするようになると恐れて反対するのではないか」と心配していた。
 これを延長して敷衍すると、場内団体が反対すれば、それ以上話を進めるのが難しいということになる。反対者を説得できれば別だが、これまで市場開放をしようと市が努力されてきた中で、相当手こずっている様子である。市は開設者として、卸売市場改革に主導権があるような、ないような、そんな感じである。このように、全員賛成主義でないと進めないというのが、民設卸売市場に比べて公設卸売市場の課題、弱点のひとつである。それが象徴的に出ている例である。
 筆者は、大分市公設地方卸売市場の例を挙げた。同市場も正門の壁には、一般の人の入場を断る表示が大きく掲げられている。しかしその横に(道路上になる位置に)、食堂の立て看板がふたつも置かれていて、外部の人にPRしている。考えてみれば、外部の人が食堂を利用するのは、朝食ではなく、昼食が中心だろう。その時間帯には、仲卸とくに水産の仲卸は店を閉めていて、来場しても買い物はできないはずである。時間差があるのだから、説明がつくのではないか。それを理解しないほど、反対者は寛容ではないと思いたくない。なお、東京築地市場を見てもわかるように、一般消費者が市場内での買い物に期待するのは、ほとんどが水産関係で、青果についてはあまり関心がないと思う。それが証拠に、青果で日本一の東京・大田市場には、消費者が買い物に来るというのはほとんど見たことがない。市場開放というのは話題にもなっていない。なお、花き市場は、市場開放すれば、それなりの来場者はあると思われる。
 食堂を含む市場活性化のためには、外部者も積極的に場内に門戸を開いて来場者の増加、売り上げ増加をねらってどこが悪いのか。これが、近年注目されている市場開放の論理であろう。それはそれでひとつの理屈ではあり、第10次方針でも多様化と言うことがうたわれる可能性があるが、既得権というか、いつまでも中心意識というか、このような部分が公設卸売市場が保守的となり、競争力を失っていく象徴的事象と思った次第である。

2 公設卸売市場のとるべき方向
 簡単でないのは、時代の流れだと言って、例えば低定温施設や仕分け配送機能の充実、流通センター機能の設置、野菜・果物のカット加工施設の設置、などを進めたとして、他の卸売市場や市場外企業も同じようなことをやってくるわけだから、巨額の投資をして敗退すれば、それこそ致命傷になりかねない。よほど「敵を知り、己を知る」ことが大切で、地元需要をしっかり押さえた身の丈に合った卸売市場の将来像を描くことが基本になると思う。
 その上で食堂の話に戻ると、公設卸売市場においては、市場開放は市民税を使った施設として市民が主人公という位置づけはしっかり基本に据えることが第一に大切である。すると、卸売市場で扱う生鮮品を材料として使う市場食堂については市民が期待するのは当然で、それを商圏圧迫の恐れ(それもかなり拡大解釈)で反対するというのは、私はエゴだと思いたい。多くの公設卸売市場にいまだに設置されている、「市場関係者以外の立ち入りお断り」という趣旨の看板は撤去してもらいたい。昨年11月28日に、卸売市場政策研究所として農林水産省本省に研究所が作成した第10次方針に対する意見書を説明に行ったとき、この看板の話をして、「この看板の設置は農水省の指示と聞いている。撤回するべきではないか。」といったところ、そのような指示はしていないという返事であった。かっては卸売市場は卸売行為をするところなので部外者立ち入り禁止というのは当然という雰囲気があったのは確かである。しかし、国がそんな指示はしていないとおっしゃるなら、開設者の判断で撤去するのはなんの問題もないはずである。
 開設者も遠慮することはない。公設卸売市場は、市民税を使う施設として消費者に開かれ、卸売市場に税金を使い、職員が関わることに理解をしてもらわないと、これからの厳しい財政難の中で、卸売市場に予算を使うこと自体が困難になる時代が来ることは間違いない。
 卸売市場の各構成員は、それぞれの役割に励みつつ、それがお互いにぶつかる部分はあったとしても、全体として公設施設の意味、意義についてよく理解することが、公設卸売市場のしくみを長続きさせる基本だといいたい。

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3 安直な「経営展望作成」はなんの役にも立たない               

1 第10次方針の骨子                                    

 第10次方針の方向が出てきたが、これで各開設者が明確な方向性を持って計画を立てられるというのにはほど遠いという印象である。
 国の「卸売市場流通の再構築に向けた取組の方向性」の骨子は以下の通りである。
①卸売市場としてのあり方や運営方法等に係る課題への対応
 ・各卸売市場における経営戦略の確立
 ・立地、機能に応じた市場間での役割分担と連携強化
 ・卸売市場における公正かつ効率的な売買取引の確保
②市場関係業者及び開設者の取り組みにかかる課題への対応
 ・消費者、実需者、生産者等の多様化するニーズへの対応
 ・卸売業者及び仲卸業者の経営体質の強化
 ・市場の活性化に向けた新たな取り組みの推進
 ・卸売市場に対する社会的要請への適切な対応

2 本当の経営戦略作成の難しさ                                

このうち、「各卸売市場における経営戦略の確立」は、第9次でやって、またぞろ第10次も挙げられている。しかし、これはまず実効性はないだろう。第9次方針に基づいて、国は各中央卸売市場に経営戦略の確立を要請し、コンサル会社などに委託して作成作業がされたはずである。わが研究所もいくつかにかかわったが、非常に難しさを感じた部分がある。それは、中央卸売市場が公設であり、開設者は自治体であり、個々の卸売市場企業はそれぞれの立場と考えがあり、ライバル関係も存在する中で、全員が賛成することを前提とした経営戦略というのは本当に成り立つかどうかということである。
 例えば同じ部類に卸売会社が2社あると、たいていはライバルでしのぎを削っている関係で、同じ経営戦略ということはあり得ない。また、仲卸も経営内容が同じであるはずがなく、お互いに違う顧客を開拓するだろうし、競争もあるだろうし、売買参加者については、いわゆる八百屋さん、魚屋さんなどは大手量販店の進出に脅かされ、閉店に追い込まれるいわば天敵の存在であるのに、卸売会社や仲卸は小売部門でシェアが高い量販店との取引をしなければ取扱の縮小を余儀なくされる。すると、量販店向けを拡大する経営戦略として、カゴ車などの荷捌き場所の確保、コールドチェーン、全館閉鎖型冷房化、物流施設などを充実させると、一般小売店の衰退に拍車をかけることになる。量販店の側は仕入れ先卸売市場・卸売会社を絞り込むので、はじき出されると取扱縮小につながり、経営戦略も立たない状況となる。
 民設卸売市場であれば、開設者イコール卸売会社であるのが通常なので、こういう方針で行きますといえば、それで不利になる部分は文句の持って行き場がない。民説卸売市場については、国は経営戦略を作れとはいっていない。どうして公設卸売市場だけなのか。しかも、仲卸は一般に中小零細企業として、行政の保護対象になっており、一般小売商はなおさらである。開設者にとっては大きな配慮が必要となる。流通の大きな流れと、卸売市場での業態構成に大きなずれがあり、大きな流れに積極的に乗り、むしろ主導して行くべきなのか(卸売会社はそう考えるかもしれない)、行政の保護が必要な流通弱者を守るのが行政なのか、しかしそれでその卸売市場自体が時代遅れになって衰退消滅するということでいいのか、など、本質的な議論が必要だが、それを正面切って問題提起するわけにもいかず、全体として合意できるものに絞った、オブラートに包んだ内容にならざるを得ない。そこで市場開放とか観光化とかが出てくるが、卸売市場の本質的な機能とはいいがたい。あくまでサブ的な話である。
また、経営展望作成の手法として、普通は、構成業種の代表が委員となった検討委員会を構成して、大きな異論、反対があればそれは反映されるという手順が通常である。民主的に決めるためにはそれは当然必要なことであるが、将来に向けた構造改革に踏み込もうとすると、いまある業種、企業のあり方にも踏み込まざるを得ず、すると影響を受ける部分から、総論賛成各論反対の声が必ず出てくる。民主的にやるべきなので、その声には丁寧に耳を傾け、その上でなるべく影響を受けないような手立ても同時に考えながら、大きな歴史的流れについては同意を得る、地道な努力も行わなければならない。コンサルタントにそこまでのことを行うことができるかどうか。報告書を受けた開設自治体が説明と説得にあたることができるかどうか。
 これがなければ、誰も文句を言わない無難な報告書では実際には役に立たないので積み上げたままで、5年後の第10次でまたつくるとなると、同じことの繰り返し、経費の無駄ということになる。
 当研究所が某卸売市場で実施した報告書では、そもそも卸売会社の経営体質、体力に問題があり、それが取扱規模の衰退、恒常的経営赤字(もう後がない状態)、仲卸の直荷の多さ、の悪循環となっていて、経営展望どころではない、卸売会社の抜本的メスが必要、仲卸も直荷比率が高い(その卸売市場への貢献度が低い)ということはその卸売市場にいる資格がない、などということを、ギリギリの表現で入れたことがある。また、依頼された開設自治体に対しては、口頭ではより直接的な表現をしたところである。公表されれば当然、物議をかもすことになるが、その卸売市場が存続するためにはそれしかない、と集中砲火覚悟で取り組んだ次第である。みんな、勝手なことをしていて、その卸売市場が消滅(つまり1社しかない卸売会社が撤退)すれば、元も子もなくなるという背水の陣の危機感を訴えるしかない。開設自治体も、通り一遍作ればいいという安易な気持ちでは通らないところまで来ているということを自覚する必要がある。
 第10次で改めて経営展望を策定せよといっても、不退転の決意がなければ第9次の二の舞で、金と労力の無駄である。そうならないような構造改革の指針を国は示す必要がある。開設自治体が一身に火の粉を被ることについては、一部を除いて多くの自治体はそれだけの経験、力量が不足していて、腰砕けになりかねないし、それを恐れて取り組まず、事態の放置、ゆるやかな死滅へと進んで行くことを止められないという「第10次後の行方」になることを予言する。

3 どうするべきか

 公設卸売市場では、まとまった経営展望については、公表が前提だろうから、各卸売市場における経営戦略確立で書きづらい内容も多々ある。しかし現状分析の中でそれを入れなければ、本当の意味での経営戦略は立てられない。少なくとも開設区域内の小売店などの需要者がどこから仕入れているのか、他市場や市場外流通がどの程度、開設区域内に入り込んできているのか、それはどうしてか、こちらの力量不足か、その具体的内容は何か、どう改善できるのか・・・。それも、複数の卸売会社があれば方向や内容が違うし、企業秘密もあるのでどれだけ明らかにできるかということもあるし、難しい。しかも、他市場の○○市場、△△卸売会社や仲卸が進出してきている、その対抗策はこうだ、などと役所の公文書ではなかなか書きにくい。しかし、これらが把握できなければ本当の意味での経営戦略は立たないのは当然である。

4 経営展望は、グランドデザイン作成だけでなく、実行するまで関わる姿勢、仕組みが大切     

 市場関係者の総論を踏まえてそれに第10次方針などをちりばめたものでは、その卸売市場の具体的な経営展望にはなり得ない。本気で経営展望の作成を受託するとすれば、改革の組織作りから実行まで関わらせていただくのがもっとも責任を持って関われることになると考えている。これまでのように、経営展望をコンサル会社に委託するだけでは、それを市場業界と協議し、場合によっては説得しながら実行するまでやりとげるということはなかなか難しいのではないだろうか。もとより、報告書の提出で事足りる場合もあることは否定しないが、報告書をもらった開設者なり市場業界が、それを実行できなければ意味がないし、報告書自体にそれだけの具体的な内容があるかどうか、が問題となる。いわば、建築における設計者が、施工監理まで完遂しているのと同様である。卸売市場政策研究所としては、できれば実行完了まで関わらせていただくとありがたいです。国も、各卸売市場で経営展望の作成をというだけでなく、より実効性あるやり方を考えて欲しい。また、この場合、対象としているのは公設の卸売市場だけで、民設民営の卸売市場は対象外となっているとしか思えないのは、我が国の卸売市場政策として今後の大きな課題である。 


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