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■中央の墓碑群
石霊屋は第二十三代純尹(すみまさ)公、大墓石は第二十二代純長公、左の大墓石は第二十一代純信公、その手前が純信公室、先が第二十代純頼公の公室(純信公母)である。純信公の棹石塔は高さ六・一二メートルある。丹後守純信公は先君純頼公が亡くなられた時、松千代君と言って僅か二才、母と共に幕府に届出をしていなかったため、法度によれば当然断絶となる。この時家老大村彦右衛門は幼君とともに江戸に上り、半年にわたる嘆願の末その相続をとりつけたという。

右の石霊屋は第二十三代純伊公、左の五輪塔は第二十四代純庸公で、墓碑の中では二番目に高く、六・六メートルある。

■松浦家の墓
大村家墓所の東に隣接し、二〇数基の五輪塔、棹石塔、石霊屋など大きな墓碑が並んでいる。初代の頼直は松浦盛の子で長崎甚左衛門が柳川に去った後、大村に留まり大村姓をいただいた。純信公の跡継ぎ問題中、幕府の命による大阪城の普請を担当し無事やり遂げた。大村彦右衛門家と同様二代目以降代々上席家老となった。



-寺院紹介-
本堂境内古い構え寺内部位牌宗宝|墓碑|
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