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■日蓮上人像
日蓮上人七百遠忌にあたり、昭和五十四年市内竹松本町の森鶴作、初音両氏の寄進によって建立された。



■松林飯山の碑
本経寺の仁王門の前にある。大村藩勤王三十七士の首領で、二十八歳の若さで散った松林飯山の顕彰碑である。
「斃れて復起つ(たおれてまたたつ)」と記され、飯山の書翰の字を拡大して彫られている。昭和十一年、飯山の七十年祭に飯山会によって建立。



■玄門
左に本堂、右に庫裡、両建物を結ぶ中間に玄関がある。この玄関は、文政十一年(1828)第二十三世住職日暉によって藩庁へ建設の請願が出され、それが実って建立された。玄関前の松は十数年前枯れかかったが、見事に蘇り玄関に風格を添えている。



■鐘樓
ひろびろとした本堂前庭の東の隅に鐘樓がある。
文政七年(1824)に再建されたもので、鐘は無銘である。今の時代に至っても、時を告げる大切なものである。


■水子地蔵
水子供養の参詣者が絶えない。昭和五十六年市内水田町の産婦人科医福田律三氏の寄進により建立された。



■玄関前の木斛(もっこく)
玄関前には枝振りのよい松と、もう一本、境内の雰囲気をひきしめる木斛の木がある。この大木が一本あることで、玄関から庫裡にかけてのたたずまいが、キリッとひきしまっている。樹齢約五十年と推定される。



■本堂前の石燈籠
本堂前には一対の面白い石燈籠がある。竿石の部分が台状をなしている。享保二年(1717)馬廻などの家臣によって寄進されたもの。この外に寺内で面白い石燈籠には、第二十代大村純頼公の墓前のものがバラエティに富んでいる。



■仁王門と番神社
境内の端正なたたずまいである。金剛仏二体を安置する二王門は文政九年(1825)の再営。また日蓮宗で進行される三十番目を祀る番神社は文政九年の再建で、以前は社殿の前に鳥居がたっていたという。仁王門r手前には新長崎県観光百戦の標石がみえる。



-寺院紹介-
本堂|境内|古い構え寺内部位牌宗宝墓碑
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