ただ日記 Jan. 1999

1999 / Jan.|Feb.Mar.Apr.May.Jun.
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99/01/01 (Fri.)

 今日からこういうコーナーを作ってみた。「日記」ではあるが他人が読むことを前提に、生活の雑感、本や映画の感想などを載せていくつもり。
 朝刊に、世帯を構成する人数の割合が出ていた。厚生省の「国民生活基礎調査」によると、日本には1人世帯が最も多く25.0%、次が2人世帯で24.5%と、これでほぼ半数である。続いて4人世帯が18.9%、3人世帯が18.3%という割合だという。さらに逆算すれば、5人以上の世帯が13.3%であるということもわかる。記事の「ちょっと意外でしょ」という調子の通り、なかなか面白い数字である。


99/01/02 (Sat.)

 今日は「最近知りたいこんなこと」というテーマで始めてみよう。最近知りたいこんなこと、といえば、「日本列島をメッシュ状に区分して、各セルごとの人口を棒グラフで示した図」を見てみたい。ほら、台風が来たとき、降水量の累計が日本地図の上に赤や青の棒で表示されるでしょう。あの図を降水量ではなくて、人口で作ったものを見てみたい。つまり日本の人口分布を知りたいのだ。どこかにこういう図ってないものでしょうか。


99/01/03 (Sun.)

 大学駅伝を見ていて思ったこと:順天堂大学の校章は、EUの統一通貨「ユーロ」に似ている。
 それはさておき、昨日の当欄で話題にした「日本各地の人口分布を示す図」を、自分で作れないものかと考えてみた。都道府県ごとに人口を棒の高さで示すのが、もっとも簡単な方法ではあるが、これではでっかいどーの北海道も、はちきれ情報ラッシュの東京も、同じように棒がいっぽんで示されてしまい、人口の分布を知るには足りない。各都道府県の人口密度を調べて棒で示す方法も悪くはないが、厳密にしようとすると棒の形は都道府県の形になり、「人口分布の図」としてはいまひとつだ。理想はひとマス10km四方ほどの方眼を日本列島の上に敷き、マスごとの人口が棒になって出るのがよい。とりあえず情報を求めて、国勢調査などの各種統計調査・集計を行っている総務庁統計局・統計センターのWebサイトへ行ってみた。ここにあるリンクの「国勢調査」〜「確定人口及び世帯数 全国,都道府県,市区町村別 (目次)」を順にたどると、各市町村の人口を見ることができる。この情報を使えば、ひとマス10km四方とはいかないまでも、かなり細かく人口分布を知ることができるはずだ。とはいっても、全市町村のデータを地図上にプロットしていく手間を考えると、とてもやる気が起きないのも事実。高機能を誇る最近の表計算ソフトを使うなりして、何とかならないもんでしょうか。


99/01/04 (Mon.)

 プレイステーションのRPG、『ポポロクロイス物語』を終わらせた。つらつらと遊んで3週間ほど。
 ゲームはきわめてドラクエ的にオーソドックスだと聞いていた。ポポロクロイス王国のピエトロ王子が仲間と共に冒険をくり広げるという内容。経験値稼ぎのための戦闘が(少なくとも自分には)まったく必要なかったように、ゲームのバランスはよくとれている。また、たくさんの登場人物との会話の中で、それぞれの生活をにおわせるのがうまいという印象だった。さらに、物語が進むにつれてどんどん広がり変化していく世界を、次々と体験していく喜びにも満ちていた。途中で挿入されるムービーのタイミングがややちぐはぐだったり、敵と遭遇しやすい(が、そこしか通れない)場所があることが気にはなったが、全体では本当にオーソドックスによくまとまっていて楽しめた。
 と、ゲームの感想を書くだけならこれでいいのだが、実は遊んでいる間の心に楽しさと同じくらいの気の重さがあって、我ながら意外でもあったのだ。何となく「ああ、やらなきゃ」という義務感のようなものが常につきまとっていたのである。以前『Quake』というアクションゲームを、同じように短期集中で遊んでいた時にはなかった感情だ。考えてみるに、ゲーム中の会話などから得られる情報をまったくメモしなかったため、今なにをするためにどこへ行こうとしているのかといった、当面の目的を覚えていなければならないことがストレスになっていたようなのだ。いくら普通のRPGだからといって、またいくら自分がそれなりにゲーム慣れしているからといって、なめていい加減な遊び方をしてはいかんという好例だ。
 『ポポロクロイス物語』には最近、続編の『ポポローグ』が出ている。続きものを続けてプレイして、それぞれの印象がだぶってしまうのを避けるため、ポポロクロイスの印象が熟成するのを待ってから、(もう少しまじめに)遊んでみようと思っている。


99/01/05 (Tue.)

 現在、『ポポロクロイス物語』のテレビアニメが放映中である。昨日『ポポロクロイス』を紹介しているページを探していたら、テレビアニメの『ポポロクロイス物語』に関する情報を提供するサイトが見つかった。しかし、ここの「リンクについて」には、「リンクはお断りしているのが実状です」と書かれていたのである。よく読むと、どうやらリンクを張ることにも著作権がからむと考えている様子が感じられた(明記はされていないので、誤読の可能性もある)。もったいないことであると思う。
 個人的には、WWWは「リンクしてなんぼ」のメディアだと思う。世界を覆うリンクの網が密になればなるほど、WWWのデータベースとしての価値は高まるはずだ。だから「まんぷくや」はリンクフリーだし、「まんぷくや」からリンクするページについても、リンクの許可を求めることは基本的にない(これは、特にリンク先が個人運営のサイトの場合、不義理であるとは思っています)。情報を公開するWWWサイトの目的は当たり前だが情報を公開することで、しかし情報を公開するだけでそれを求める人のところへ情報が届くわけではない(だから、膨大な情報の中からユーザーが必要とする情報だけを送信する「プッシュ配信」なんて仕組みが研究されたりしている)。公開した情報が「そこにある」ことを広く伝える方法として、「リンク」という技術を利用できないのは非常な損だと思うのだ。
 なお、テレビアニメの『ポポロクロイス』のサイトへは、SCEの『ポポローグ』紹介ページからジャンプできる。現状では、こういった紹介の方法がせいいっぱいなのだった。


99/01/06 (Wed.)

 テレビドラマを見るという習慣をほとんど持たないのにゆうべ『救命病棟24時』を見てしまったのは、新聞の紹介欄にこのドラマが『ER』ライクであると書かれていたからだ。そういう目だから、オープニングを見たときにはまだ「おお、杉本哲太が挿管しているぞ」などと余裕な気分だったのだが、そういう目だから本編が始まると、新米の最初の仕事が控え室の冷蔵庫内整理だったり、ドラッグ入りのタバコを置きっぱなしにしていて愉快なことになってしまったりするエピソードを見てデジャヴを強く感じてしまったのだった。つまりこのドラマ、『ER』ライクというより『ER』そのもの。ドラマの狙いがわかるぶん、元ネタである『ER』との違いから妙な不自然さが浮き出て見えるのが興味深かった。
 ありていにいえば、登場人物の人格がなんだか変なのだ。主人公の松嶋菜々子は、救急救命センターに赴任したわけを、聞かれる前からさっそく「ここなら、女が男と対等に張り合えると思ったんです」なんてアジっていたり、松嶋の指導医である江口洋介は、松嶋の挨拶に返事をしないのはある種の「照れ」なのかと思えば単に自分勝手な人のようだし。松嶋と江口の関係は『ER』のカーターとベントン先生の関係に相似だが、松嶋も江口も「話に波風が立ちやすく脚本を書きやすい」性格でしかなく、元ネタの模写としてはずいぶん出来が悪い。次回予告で松嶋は江口のプライバシーにもう首をつっこむようで、またも「そんなことではいけません」とアジテーションである。こういう良くも悪くも「自分に正直」な人格の人を主人公に据えれば、話は作りやすいだろうが人間としては嘘くさい。そして内容は「『ER』ごっこ」にしか見えず、嘘くさい人が「ごっこ」をするという、二重に現実味のない話ができあがってしまっている。
 とか書きつつも、やっぱり来週も見てしまいそうだ。『ER』を見たことのある人が2人集まれば、必ず「じゃあ移すぞ、1、2、3」「血算、生化学」「バイタルは」「血圧は触診で40」「挿管する」「除細動器を使うぞ、下がって!」なんて調子で『ER』ごっこが行われるはずで、テレビで『ER』ごっこが行われているとあれば、それは見ないわけにはいかないのだ。


99/01/07 (Thu.)

 今朝の電車に、ロバート・パトリックによく似た人を見た。『ターミネーター2』に出てくる新型ターミネーター、T1000の人。猫のように隙のない空気を漂わせながら、ヘッドホンを耳に当てて椅子に座っている。あごのとがり具合や薄い唇、鋭い眼光がまさにロバート・パトリックだ。今日はこうして、パーマに眼鏡をかけて電車に乗っているわけだが、一体誰を狙って未来からやってきたのだろう。
 実際のロバート・パトリックはというと、『ターミネーター2』の仕事が当たりすぎてしまったせいか、あとがぱっとせずとんと名前を見ない。『ウェインズ・ワールド』というばかばかしい映画にちょっと出ていたが、ここでの役は写真を見せて「この少年を見なかったか」と話しかける警官で、これはT1000のセルフ・パロディなのだった。そんな調子だから、今日は電車に乗ってどこかへ出かけるところだったのだろう。なんてね。
 T1000に劣らずあとが続かなかったのが、ジョン・コナー役のエドワード・ファーロング。ちょっと線が細く、しかし奥に芯の強さも見えるというアイドル的風貌で抜擢されたが、この人も『ターミネーター2』のあと1、2本の映画で名前を見たあとはどこでどうしているのか。
 映画俳優といえばAppleだ。なぜか。ねえ、ピザ頼んだことある?あれって3000円くらいするんだよね…の人。複数の場所で「あの変な外人は変なのだが何者だ」という内容の文章を見たのでここで明かしましょう。って、この人意外と知られていないものだ。ピザ屋のビビアン・スーです。うそです。ジェフ・ゴールドブラムです。『ザ・フライ』のハエ男。『ジュラシック・パーク』のマルコム博士(←表記は映画公開時の字幕に準拠。小説では「マルカム博士」)。最近はえーと、Appleの宣伝に出てます。


99/01/08 (Fri.)

 あっ、なんだこれは。昨日の日記を読み返してみれば春日なる、三鷹の山にいでし月かも。ではなくて、昨日の日記にはなんだかひどいことばかり書いてあるな。しかし、論旨が変わるほど書き直して「発言を撤回」するのは人の道にもとると思うので、反省をこめてフォローします。
 昨日の登場人物についてネットで調べてみたら、皆さんそれぞれ頑張っているのでした。エドワード・ファーロングジェフ・ゴールドブラム、そしてピザ屋ビビアン・スーも。
 ロバート・パトリックも、で頑張ってます。


99/01/09 (Sat.)

 耳かきが見あたらない。耳の中がむずがゆい。耳かきは日本だけの道具なのだろうか。
 つまようじは台湾や香港にもあった。この2都市で見たつまようじは、両端がとがっていて実用一点張りだ。日本のつまようじの尻に彫られている微妙な意匠は、その由来がよくわかっていないという話を聞いたことがある。『モーニング』には、その日本式つまようじの尻に彫りを入れる職人に弟子入りした男のマンガ『ドリーム職人』が連載されている。今の彼は、ぬいぐるみ職人を目指して奮闘中である。
 それはさておき、耳かきがない。やむなく綿棒で耳の中をこすることにした。
 綿棒のコンセプトは、敵をとりもち的にからみつかせて一網打尽にしようというもので、西洋的合理主義が耳を掃除している気分。両端が綿になっている様子も、舶来のつまようじと同じ実用重視の心意気を感じさせる。一方耳かきはといえば、その尻が白いケサランパサランだけでなく、さまざまなバリエーションを持っているあたり、本来の機能に関わらない部分に「粋」を求める心が日本式つまようじに近い。そして耳かきの方法論はといえば、基本的に相手との一騎打ちを旨としている。殺るか殺られるかの真剣勝負。綿棒では決して味わうことのできない緊張感は、『椿三十郎』の決闘シーンに優るとも劣らない。
 とはいっても、耳かきがない今は仕方がない。ふぬけた気分の綿棒で耳をこする。綿棒には耳かきで鍛えた力加減が通用せず、こすりすぎて思わず咳が出てしまった。ケホケホ。


99/01/10 (Sun.)

 髪を切りに行く。床屋の鏡に映る自分の顔。
 ここのサイトに載せている「点取占い」の文面に、「なぜ鏡は上下を逆にしないのか」というものがある。鏡は左右を逆にして映すのに、上下は変わらずそのままである。これはなぜか。2つの目が横についているからか。
 結論から言えば、鏡は左右を逆にしているように見えて、実は前後を逆にしているのだった。前後を逆にして映し出された像が、結果的に「左右逆の像」として知覚されているにすぎない。では「前後を逆にする」とはどういうことだろうか。
 鏡に右手をかざしてみよう。腕の中で、いちばん鏡に近いのは手のひらだ。この手のひらから、鏡に平行な平面で腕をどんどん輪切りにしていったとする。手のひら、手の甲、手首、肘といった順に輪切りされた腕は、鏡の中で再構成されて像になる。その位置関係は、肘−手首−手の甲−手のひら [鏡] 手のひら−手の甲−手首−肘、となる。これが、鏡の「前後を逆にする」しくみである。
 では、なぜこういう操作によって「左右が逆」に見える像が鏡に映るのか。
 力士の色紙を思い出してみよう。サインと一緒に、手形がばんと捺されている。右手を捺せば、手形は左手になっている。これは、先述の「鏡に平行な平面」が手のひらの薄皮を一枚はがし、それを鏡の向こうの空間にそのまま貼り付ける操作と同じになる。見よ、右手の像は「左右が逆」になり、鏡には左手が映っているではないか。同じことが手の甲、手首、肘と、先述の「前後を逆にする」操作の中で行われていけば、鏡の中には一見「左右が逆」に見える腕の像が出現するという寸法なのだ。
 こんな説明でわかってもらえるだろうか。
 「鏡は前後を逆にする」ということを知ったときは、なかなか目からウロコの気分だった。点取占いの「なぜ鏡は上下を逆にしないのか」は、そんな気分から出てきた文面なのだった。


99/01/11 (Mon.)

 今週の『ぴあ』の表紙はメグ・ライアン。メグ・ライアンと『めぐり逢えたら』って似てませんか?似てませんか。
 さてその『ぴあ』、今週の特集は「'99話題の映画総まくり!」ときたもんだ。個人的な注目作を挙げます。なにが出るかな、なにが出るかな。

『フィアー・アンド・ロージング・イン・ラス・ベガス』Fear and Loathing in Las Vegas
来ました来ました、マイ・モスト・フェイバリット『未来世紀ブラジル』のテリー・ギリアム監督の新作。カンヌでは「ギリアムのファン以外にはキツい」という評だったようだが、てことは、ふふふ、雇われ監督に徹した前作『12モンキーズ』とは一線を画す、原液のギリアムテイストを味わえそうだ。邦題はもうちょっと何とかしてもらいたかったが、ともあれ楽しみ。ちなみに主演は「デプ夫くん」ことジョニー・デップ(「こと」じゃないって)。『12モンキーズ』ではブラッド・ピットを起用したりなんかして、ギリアム監督妙に2枚目づいてます。次回作はディカプリオだったりして。
『菊次郎の夏』
北野武監督の新作。あまりに映画らしい映画を撮るこの監督が、どんな作品を仕上げてくるか。
ホーホケキョとなりの山田くん
高畑勲監督は『じゃりン子チエ』('81)など、長いマンガ原作を劇場映画にまとめる手腕にたけている。今回も職人芸を見せてくれるか。
『セレブリティ』Celebrities
コンスタントに佳作秀作を出してくれるウディ・アレン監督の新作。ディカプリオはこれに出演。この邦題、単数変換のえじきにされてしまってます。そろそろこの伝統も打破してもらいたい(もっといえば、日本語を駆使して粋な邦題をつけてほしいですが、商売上それも難しいのかも)
『シン・レッド・ライン』the Thin Red Line
テレンス・マリック監督は20年前('78)に『天国の日々』というあまりに美しい作品を撮っている(撮影監督はネストール・アルメンドロス)。第2次大戦のガダルカナルを舞台にしたこの新作も、予告編を見た限りではなかなかの映像派なようだ。『ER』のジョージ・"ダグ・ロス"・クルーニーも出てます。

 このほか、ジョン・カーペンターの『ヴァンパイア最後の聖戦』、ジョン・ウォーターズの『Pecker』、サム・ライミの『シンプル・プラン』など、B級監督も頑張ってます。デビッド・クローネンバーグも『イグジステンス』なる新作を用意しているようで、これも楽しみ。さて、何本観られますか。


99/01/12 (Tue.)

 1/7に付記。ジェフ・ゴールドブラムはそういえば最近はAppleだけじゃなくてROHM(ローム)のCMにも出ていたのだった。今も出てます。今日見ました。ほかに『インデペンデンス・デイ』(未見)にも出ていたという話。この映画で彼は科学者となってMacintosh PowerBookを駆使し、侵略してきた宇宙人に立ち向かうのだそうで、今AppleのCMに出ているのはそのへんの縁もあるのかも。
 思い出してみれば彼は『ザ・フライ』でも科学者だったし、『ジュラシック・パーク』では数学者だった。自分の感覚では、彼はあまり理系ふうのルックスではないような気がするのだが、あちらではあちらなりの「科学者顔」の感覚があるのかもしれない。


99/01/13 (Wed.)

 先週書いたとおり、やはりゆうべは『救命病棟24時』を見てしまった。すると、どうも変だ。なんだか番組が違うようなのだ。わかった。この番組は『救命病棟24時』であって『ER』ではない!なんて、オリジナリティがあるのはいいことなのだが、この脚本の散漫さや、病院を舞台にしながらも感情的な人ばかりが出てきて、熱意や誠意が大安売りのウェットな内容は自分の求めるところではないのだった。
 ところで、このドラマではオープニングや回想シーンにフィルム撮影とおぼしき映像が使われている。ノイズや残像の乗り方が独特で、テレビドラマではありふれた技法なのかもしれないが、ドラマをほとんど見ない向きにはビデオ映像との対照が新鮮だ。逆に、映画がテレビ放映される際、特に最近作られた映画では色合いがやけにビデオっぽかったりして謎である。そういえば『ガメラ 大怪獣空中決戦』は、主人公が報道陣に囲まれるシーンがビデオ撮影で、映画館で観たときは「フィルムで見るビデオっぽさ」が面白かったのだが、これがテレビ放映されるとこのシーンだけとっても安っぽい画面になってしまっていたのが印象的だった。


99/01/14 (Thu.)

 しばらくごぶさただったSFが、突然目の前に現れた。
 毎週読んでいる『モーニング』に、不意打ちのごとくSFの読み切りが載ったのだ。幸村誠『ΠΛΑΝΗΤΕΣ(プラネテス)〜屑星の空〜』。近未来、衛星軌道でゴミ拾いをする男の話。物語に漂うセンチメンタリズムは、古き良き、そしてやや古くさいSFの空気を感じさせるものの、画力の高さ、特に影の描き方のうまさがきわだっていた。しっかりデッサンがとれているから、明るい部分の線を省略してもモノの形がくずれず、その裏側にある影を引き立てている。こういう絵柄はすごく好みで、ずっと見ていたくなるしもっとたくさんの絵を見たくなる。終わりのほうでは、すごくいいコマが2つもあって(さて、どれでしょう)満足満足。
 SFがぜーんぜん売れず(中身はSFなのに、SFと謳うと売れないので「ミステリー」にさせられている本がたくさんあるという)、星野之宣がSFから伝奇へ重心を移してしまった今、画力とSFマインドで読ませるマンガ家が登場したことはとても喜ばしい。次回作は春に、とのこと。楽しみが1つ増えた。


99/01/15 (Fri.)

 マクドナルドで651円だというので1051円を出したところ、「お釣り:9849円」と表示された。どうやら「1051」の最後の「1」と間違えて「00」を押してしまい、「1051」の代わりに「10500」と入力してしまったらしい。以前コンビニで出した5050円が「50005000」と入力され、お釣りがとんでもない額になってしまったこともあった。
 どんな場所でもなるべくレシートをもらう主義なのだが、こういう状況で「レシートください」と言うのはいやがらせっぽくて恥ずかしいのだった。


99/01/16 (Sat.)

 テレビドラマを見るという習慣をほとんど持たない、と以前に書いたが、最近は妙にドラマづいている。今日見たのは『君といた未来のために』。
 このドラマ、新聞の紹介欄にこそ書かれていなかったものの、意識だけがタイムスリップして過去の自分の肉体に宿るという設定は、まんまケン・グリムウッドの『リプレイ』(新潮文庫)と同じで、だから見てみようと思ったのだった。小説は、ネタバレになるので詳しくは書かないが、次々と新しい状況がやってきて飽きさせない内容になっている。映画よりは連続ドラマに向いているつくりだと思っていたから、これをどうアレンジするのかと見てみると、『リプレイ』が豪快に25年前へ戻ってしまうのに対し、『君といた…』は戻る先が4年前と控えめである。そりゃまあ、22歳という設定の堂本剛が25年前に戻っちゃったら『リプレイ』ではなく『ベイビー・トーク』、いやそれ以前の状態になってしまい、それはそれで面白いかもしれないが違う話になってしまって面白いだろう。じゃなくって、えーとともかく4年前に戻ってしまったわけであるよ。
 『君といた…』の場合、時間の移動距離が『リプレイ』よりだいぶ短くなっているぶん、すでに知っている歴史を主人公と視聴者が体験し直すという面白さはやや減っているものの、さっそく「たまごっち」を堂本くんに作らせたりして、過去をのぞき見する楽しみが出てくる。こういうネタは、「もう/まだ4年前のことなのか」という意外性があればもっと面白くなるはず。画面を見る限りでは予算もそれなりにあるようだし、細かい部分のくすぐりをどれだけ入れられるか、ぜひ頑張ってもらいたいところだ。


99/01/17 (Sun.)

 あるカメラ量販店、テレビゲームコーナーでの光景。

あのう、「ゼルダ」と「64」ください。
店員
いらっしゃいませ。ゼルダと64でしたら、振動パックもご一緒にいかがですか?
やっぱりあったほうがいいですか?
店員
ええ、そりゃもう。ほかのソフトでしたらともかく、ゼルダに振動パックは絶対にあったほうがいいですよ。
うーん、そうですか、いや買おうかなとは思っていたんですよ。
店員
ぜひおすすめしますよ。
わかりました、じゃあ振動パックもください。

 いかがですか、このやりとり。カメラ量販店のような、画一的な売り方を身上としていそうな店にしてこのプッシュ。店員さんは保証書にハンコをつく間にも「もう今日から眠れませんよ」なんてにこにこと目を輝かせており、かつて自分がNintendo64と『ゼルダの伝説 時のオカリナ』で味わった感動と感激を、この客が数時間後にも体験することを知った喜びに満ちていた。この嬉しそうな顔こそが任天堂にとって最大の宣伝なのかもしれない。なんて、無難にまとめてみたりして。


99/01/18 (Mon.)

 知念理奈って誰かに似ている。わかった。クローネンバーグの『デッド・ゾーン』とかテレンス・マリックの『天国の日々』に出ていたブルック・アダムスだ。目の形と離れ具合、やや開き加減の口がよう似ているよ。そしてブルック・アダムスはうつみ宮土理に似ていると思うのだけど、知念理奈がうつみ宮土理に似てるかといえば…どんなもんでしょう。どうですか?


99/01/19 (Tue.)

 知念理奈がブルック・アダムスに似ている、と書いたところ、一通のメールをいただいた。「私は知念理奈を見るたびにローリー寺西を思い浮かべてしまう」という内容。なるほど、それもいける。 検索サーバで知念理奈関連のサイトを探していたら、「知念理菜は一色紗英に似ている」と書いたページが見つかった。「知念理奈はうつみ宮土理に似ている」と書いているページもあった。ブルック・アダムスに似ていると書いたページは見あたらなかったが、なんだかいろんな人に似ていて忙しい知念理奈である。
 つまり、知念理菜はうつみ宮土理にもローリー寺西にもブルック・アダムスにも一色紗英にも似ているわけで、とすると「似ている関係」はいくつ作れるか。答え。知念理奈はうつみ宮土理に似ている。知念理奈はローリー寺西に似ている。知念理奈はブルック・アダムスに似ている。知念理奈は一色紗英に似ている。うつみ宮土理はローリー寺西に似ている。うつみ宮土理はブルック・アダムスに似ている。うつみ宮土理は一色紗英に似ている。ローリー寺西はブルック・アダムスに似ている。ローリー寺西は一色紗英に似ている。の9通り。で正しいはず。いや実際似ているかどうかは別ですが。式は…数学の教科書があればわかるのだが。確率・統計は、数学の中でも珍しく生活に役立つ分野なのだった。


99/01/20 (Wed.)

 暖かい日だった。暦の上では大寒(だいかん)なのだが、なーんて、どの天気予報も今日はこのネタでもちきりだったはず。
 ゆうべの雨が残した湿気が、もやんとした空気を春先のように濡らして鼻から入ってくる。
 実は17日の日曜日に洗車をしており、その直後に雨が降ったとなると、洗車をすれば雨が降るのではないかという気がしてくるのだが、では今日洗車をしたらまたすぐ雨が降るのかといえばたぶんそんなことはなく、一方車のほうもこないだ洗車をしたばかりで、実際のところ車が雨に当たったとはいえ今日洗車をするかといえばこちらもそんなことはない。つまりは、洗車をしたくなるまでの期間が、次に雨が降るまでの期間に近いというだけのことなのだ。


99/01/21 (Thu.)

 今日は「まんぷくや」に2つの大きな変化があった。
 まず、掲示板を暫定ながら公開したこと。この日記を始めてから、日記で出た話題についてあれこれ話ができる場所がほしいと思い、DTIが提供する掲示板CGIについて調べていた。掲示板の使い方をきちんと理解してから公開するつもりだったのだが、自分がよく行くほかの掲示板にこの日記の話題が出るようになってしまった。そちらの掲示板の管理者に悪いと思い、あわてて見切り発車した次第。日記関連の話題だけでなく、特にジャンルや話題は限定しません。よろしくお願いします。
 もう1つは、Yahoo! Japanのホーム:自然科学と技術:工学:電気工学:通信:ワイヤレス:携帯電話、PHS:着信音というカテゴリに、着メロMeMoの申請が通って掲載されたこと。トップページのアクセスカウンタがいきなりすごい勢いで回り始めたのはこのためだ。Yahoo! の「新着情報」に掲載される期間は1週間で、これがすぎればひと段落するはず。それにしてもYahoo! 、恐るべき影響力である。「新着情報」ウォッチャーの皆さん、この日記も読んでくださいね。


99/01/22 (Fri.)

 掲示板によると、TAK氏の車も洗車→雨という流れになることが多いようだ。過日の仮説では、「雨がしばらく降らない」=「雨はいつかは降るのだから、雨が降らない日ごとに、明日雨が降る確率が上がっていく」と同時に「雨が降らず車が汚れていく」=「洗車したいという気分が上がっていく」となるわけで、もう本当に洗車したくなりまくる頃には雨も降りそうになりまくっているのではないか、ということにしていたが、TAK氏のケースからまったく新しい、画期的な説を考えついた。すなわち、
 洗車する→乾く→水蒸気が上がる→雲になる→雨が降る。これだ!見よ、TAK氏のケースでは

  1. ドアミラーを拭く→小雨
  2. 窓を拭く→雨が降る
  3. 洗車→雪

 と、車掃除にともなう水蒸気の発生量に比例して、降水量が上がっているではないか。すばらしい、これですべて解決だ。でもじゃあ、いつ洗車したらいいの?
 ところでマイカーは黒いシビックなのだが、車が黒いと雨が降らない時の問題が複雑化する。つまり、あんまり汚れたままにしておくと小学生のいいキャンバスになってしまうのだ。へのへのもへじを描くのはやめてくれぇー、傷になっちゃうよ〜。


99/01/23 (Sat.)

 知念理菜は誰に似ているか、の計算方法について、いくつか反応をいただいた。
 おさらいをすると、設問は「AがBに似ていて、同時にCにも似ている場合、BはCに似ているものとする。知念理菜がうつみ宮土理にもローリー寺西にもブルック・アダムスにも一色紗英にも似ているとするなら、似ているペアはいくつ作ることができるか。」というもの。これに対して、

知−う知−ロ知−ブ知−一
う−ロう−ブう−一
ロ−ブロ−一

という9組を考えたのだが、賢明なる読者諸君はお気づきであろう、「ブ−一」というペアを入れ忘れてしまったのだ。これで計10組ということになる。
 ここでの考え方は上のように、(1)5人のうち1人目は4人とペアを作れる(2)2人目は3人とペアを作れる(1人目とは(1)でもうペアを作ってしまったので、2人目はペアを作れる相手が一人減る)(3)3人目は2人とペアを作れる(4)4人目は1人とペアを作れる(5)5人目は0人とペアを作れる、ということから4+3+2+1+0=10通りとした。
 T氏が掲示板で教えてくれたのは、次の計算方法。まずペアの片方を5人の中から1人選び、残った4人のうちから、先ほど選んだ1人とのペアを作ると考える。ペアの片方は5通りの選び方(知/う/ロ/ブ/一)があり、この片方へあてがう相手には4通りの選び方がある(片方が知なら、そのペアになれるのは、う/ロ/ブ/一の4通り)。すると5×(5−1)=20通り。でもこれだと、「知−う」と「う−知」のような重複があるので、2で割って10通り。
 A氏は、数学的で汎用になる計算方法を教えてくれた。n人の中からp人の組を重複なく選ぶ組み合わせのことをnCrと表記し、

n!
nCr―――――――
(n−r)!×r!

と計算する。n!は「nの階乗」で、1×2×3×…×nという計算。これを「5人の中から2人の組を重複なく選ぶ」とすると、

5!5×4×3×2×1
5C2=―――――――=――――――――――――=10
(5−2)!×2!(3×2×1)×(2×1)

というわけで10通り。A氏は、なぜこういう式になるかも書いてきてくれたのだが、長くなるのでここでは割愛(ごめんなさい)。ペアを作るのであれば前者2つの方法でもいいが、3人以上の組を作るとなるとnCrを考えるのがよい。どこかで必ず役に立つはずだ。


99/01/24 (Sun.)

 あっ、なんということだ。STUDIO VOICEの1998年5月号、特集「Fortune Teller」に「まんぷくや」の点取占いが紹介されているではないか。
 ときどき買っている雑誌に、なんの前ぶれもなく自分のサイトが載っているというのは不思議な気分だ。こちらはSTUDIO VOICEに対して受信者であると思っていたのに、何とこちらが発信者になっている。
 WWWの普及によって、誰もが情報を公開できるようになった。なんて、当たり前のことなのだけどその結果、思いもかけなかった相手に自分の情報が影響を与える可能性もある。なんて、これも当たり前のことなのだけど、実際にそんな目にあってみると単純に嬉しいものだ。願わくば、半年以上前に発売された雑誌に自分のサイトが紹介されていることを今の今まで知らなかったなんてことのないよう、印刷媒体への掲載については成る可く事前に(事後でもいいから)こちらへ報告してもらいたいところである。あっでも以前に書いたように、WWWでのリンクは自由ですよ。もちろんこちらも、ご報告いただければ嬉しいです。


99/01/25 (Mon.)

 るみねろ(新宿駅にて)

[ルミネ口/Exit for LUMINE]

99/01/26 (Tue.)

 JRの車両。扉の上にある横長の枠には、路線図やらマナー広告やらがささっている。ある日そこに、誰かが残していったらしいメモのような紙を見つけた。チラシかなにかをいくつかに切ったうちの1枚といった風情。なんの気なしに取って見てみると、そこに書いてあったのは

プロはバント禁止
投手以外

 という文句だった。プロはバントするなという気持ちは(だけどピッチャーはまあしょうがないか、という寛容さも含めて)わからないでもないが、その意見をわざわざ紙に書き、さらに電車の中に残しておく気持ちのほうはいまいち理解できない。とはいえ面白いものではあるので、持って帰ろうかと思ったのだが気が変わった。この面妖な気分をほかの人にも味わってもらおう。メモをもとに戻して電車を降りた。


99/01/27 (Wed.)

 今日の脳内BGMは、電気グルーヴの「ガリガリ君」。俺ガリガリ君、キミ何ガリ君。「目だ、目を狙え!」「ガリガリの刑に処す」しかも、この曲が入っているアルバム『A』を買ってまだ間がなく、曲をちゃんと覚えていない。それだけに、頭の中で次の曲へ流れていくことができず、いつまでもいつまでもいつまでもいつまでも俺ガリガリ君、キミ何ガリ君。
 PUFFYは脳内BGMになりやすい。「北京ベルリンダブリンリベリア」の『アジアの純真』とか「カニ食べ行こぉ〜」の『渚にまつわるエトセトラ』とかね。お店のBGMも要注意。秋葉原の帰り道、気がつくとSofmapの「ゆこうよまぶしい光の世界、ハートのスイッチオンにして」が頭のなかでぐるぐる回っていたりする。以前ビックカメラに質問電話をしたところ、「少々お待ちくださいませ」と流れてきたのが「ふっしぎっなふっしぎっないっけぶっくろっ」もうその日は寝るまでビーックビックビックビックカメラ。最近ではソニーの「スマートモバイルという発想」という、デジタルビデオカメラとVAIOを組み合わせた提案もののCMに流れている、ベースのきいたBGMが脳内居残り率が高い。さあ、これを読んだあなたの脳内に、上のどの曲が住みつくでしょうか。


99/01/28 (Thu.)

 Yahoo! Japanが提供するフリーメールサービス、Yahoo! MailのIDを取った。「imasa」というIDはすでに誰かが使っており、思案の末申請した「manpukuya」がIDになった。「manpukuya@yahoo.co.jp」がメールアドレスである。さっそくmy yahoo!へアクセスしてみた。と、表示されたページのタイトルが「manpukuyaさんのトップページ」。なんだか面白い。


99/01/29 (Fri.)

 近くのコンビニが「改装します」という貼り紙とともに一時閉店している。今日通りがかったら、内装の業者のトラックが止まっていた。業者の名前は(有)マツヨシ。マツとヨシの間になにかが足りないような気がするぞ。…今日もマツモトキヨシでお買いもの…


99/01/31 (Sun.)

 昨日はとうとう日記を休んでしまった。それというのも『シビライゼーション2(Civilization II)』というシミュレーションゲームでずっと遊んでいたからなのだ。知人から譲ってもらった古いパソコンに入っていたゲームだから、知っている人にはなつかしいかもしれない。なにしろWindows 3.1上で動いているのだ。Windows 3.1(日本語版は1993年に発売)はWindows 95の前のバージョンのOS。古き良き時代の話である。
 さてこの『シビライゼーション2』、「文明」という意味のタイトルから大げさな気分になるかと思えばさにあらず、いくつかの条件(国の数、世界の広さなど)を決めるだけでゲームスタートすれば、マニュアルなしでもそれなりに勝手がわかるまま、紀元前2000年から期限となる紀元2020年まで、4000年に渡る文明開化がざんぎり頭を叩いた音なのだった。なんだそりゃ。
 どの国を選びますかと聞かれ、当然のように「日本」を選べばあなたは卑弥呼ですなんて言われちゃって、首都「京都」の周囲は当初暗黒におおわれていて、日本人が踏破した範囲だけが明るくなる寸法。なにしろ紀元前2000年、文字や車輪すら「科学者に研究」させて「発明」しなければならない時代なのだ。ほかの国…チンギス・ハーンの「モンゴル」、ジャンヌ・ダルクの「フランス」、ハンニバルの「カルタゴ」など、かなりめちゃくちゃな相手を向こうに回し、時には同盟を結んで技術を交換し、時には戦争をしながら文明を進歩させていく。都市が生産できるのは、各種の兵士、開拓者、探検家、キャラバンといった種類の人間、カノン砲、ガレー船、戦車、駆逐艦、戦闘機、巡航ミサイルなどの兵器、兵舎、市場、図書館、上水道、発電所、証券取引所、SDI戦略システムといった施設など多岐にわたっており、開拓者(のちに「エンジニア」になる)を野原へやって都市を作らせ(京都の次は江戸、大阪、薩摩、出雲、横浜、松山、鹿児島…といった具合)、道路を引き線路を引き、潅漑を進め砦を築く。年を経るごとに動かすべきユニットの数が増え、1ターンにかかる時間が長くなっていく。最初の1000年はすぐに過ぎるが、最後の1000年は数時間かかる。歴史が進むほどゲーム時間の進みがゆっくりになっていく様子は、歴史の教科書がページを繰るほどに密度が上がっていくのと同じ時間感覚で面白い。
 文明の進歩にともなって政治形態の模索もあり、君主制、共和制、原理主義、民主主義に共産主義などの変化もある。その結果「市民革命です。卑弥呼は総理大臣になりました」とか「卑弥呼は同志を宣言しました」とか、卑弥呼も忙しい。あげくに紀元2000年になると「卑弥呼の任期が切れる2020年まで、あとわずかです!」と言われてしまう。実に4000年に渡って日本を支配する卑弥呼。松本零士の「1000年女王」ならぬ「4000年女王」だ。すごすぎる。で2020年にいったんスコアが出て、希望すればそこからさらに続けることができる。16時間ほどプレイして今は紀元2040年。大阪の周辺は汚染が進み、札幌では航空母艦を建造中である。爆撃機が富山と長崎を往復し、京都ではマンハッタン計画がまだ推進中。薩摩ではアポロ計画も進んでいる。ゆくゆくは「未来技術」を獲得して宇宙船を作れるようになるらしいので、そこまでは進めるつもり。


1999 / Jan.|Feb.Mar.Apr.May.Jun.
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