夜の記憶 Jul. 1999

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ゲストブック

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99/07/01 (Thu.)−キンカンの前を横切る奴

 薬局にて。
 私「キンカンください」
 店「キンカンでしたらこちらのほうがよろしいですよ」
 私「どういうふうに違うんですか?」
 店「キンカンはアンモニア成分くらいしか入ってないんですが、こちらはいろいろ入ってまして、キンカンよりもよく効きます」
 私「じゃあそっち試してみます」
 店「ありがとうございます、×円になります」
 どう思いますかこのやりとり。こっちはキンカンを指名買いにいってるのに、その野望を打ち砕かんとする店員。いや別にキンカンじゃなくちゃダメとかそういう話ではなくて、だいたいキンカンを買おうとしたのもずっとキンカン使っていたからという惰性だからまあいいんですが、
 私「なにかいいかゆみ止めありますか」に対して
 店「こちらのがよろしいですよ」ならまだわかるのだ。
 私「キンカンください」に対して
 店「キンカンでしたらこちらのほうがよろしいですよ」って、なぜこういう事態に発展するのか? 「こちら」を今日中にあと×個売らなくちゃならないとか、薬局ってそういうのあるんですか?
 ちなみに、キンカンの前を横切る奴、冒険活劇かゆみ止め(古いネタだね)は近江兄弟社の「かゆみとバイバイ」でした。


99/07/05 (Mon.)−マツモトキヨシ、野望の果てに

これまでのあらすじ

 1999年夏、街ではマツモトキヨシで買い物をしようとすると、別のものをすすめられるケースが続出していた。しかし奇怪なことに、買い物客には目立った被害は出ていない。それどころか、買おうとしていたものにこだわらなければむしろいい買い物になっていることすら少なくないというのだ。あぶない!我々はだまされているんだ!

 いや、実際にだまされているかどうかは別として。この怪事件を決死の覚悟で(うそ)レポートした前回の日記では「薬局」とだけ書いた薬局だったが、名前を伏せていては奴らの思う壺だ。恐れてはいけない、今ここに明かそう。別のものをすすめる薬局、それはッ、それはッ!マツモトキヨシだったのだ!
 いや、もうそんなことバレバレだしそんなに気張ることもないのだが、掲示板への書き込みやメールで続々と寄せられる(でもないか)証言によると、どうやらマツキヨでは「客に別のものをすすめる」のが流行っているらしい。流行の問題じゃないかもしれない。ともかくこれはゆゆしき事態だ。かくなる上は、マツキヨの店員に直撃インタビューを敢行するしかない。果たして店員は薬剤師なのかも含めて、マツキヨのすべてを明らかにするとここに約束しよう!という約束はできないが、こんどマツキヨで買い物をしたらそのへんのことを聞けたら聞いてみます。


99/07/06 (Tue.)−電車にまつわる奇妙な日

 電車内。降りるのは次の駅。
 「次は××、××。なおこの電車は●行きですが、運行の都合上本日に限りまして■行きになります」
 電車が遅れていたわけでもないようだったが、運行の都合ってなんだろう。言い方に強い意志が感じられず、なんとなく今日は■行きにしました〜、という風情。いずれにせよ次の駅で降りてしまうから、自分の身にはなにも変わらないいつもの電車なのだが。
 帰り道。
 駅のエスカレーターをてくてく上ろうと、ステップに足を踏み出す。と、エスカレーターが止まっている。こちらの踏み出した足は、エスカレーターの上昇力に堪えられるように調節した力加減だから、ステップが動いていないとなるとバランスがとれない。おっとっと。でもなぜ止まっているのだろう。エスカレーターの上にも下にも係員がいるでなし、なんとなく今日は止まってます〜、という風情だった。


99/07/07 (Wed.)−「そんなの」と言わない人生

 「そんなの」という言葉は使いたくないね、という話。
 「そんなのダメだよ」
 「そんなのこうすればいいじゃない」
 「そんなの」に続けて出てくる言葉は、とげがあるものばかりだ。「そんなのありかよー」なら、使いようによってはユーモアが出るか。
 「そんなの」に似て非なる、「そんなこと」なら悪くない。
 「私なんか■だし…」「そんなことないよ」とか。これなら少なくとも、とげはない。これが「そんなの」だとどうなるか。
 「私なんか■だし…」「そんなのないよ」今までだまされていたんですか?
 「私なんか」という言い方が好きかどうかはまた別の話で、この場面での「私なんか」って「そんなことないよ」を要求していてイヤな感じかもしれない。「そんなのないよ」と言ってもらいたくて「私なんか」と言う人はあまりいない。
 うー、ネガティブな話題はやっぱりノリが悪いね。嫌いなものの嫌いなところを指摘するのは、楽だけど楽しくはない。嫌いなものの嫌いなところを、愛と笑い(嗤いじゃなくて)をもって指摘できればいい。


99/07/08 (Thu.)−時計はナマに限ります

 「CREA」の宣伝に、「生ものの時計」と書いてあってすごく驚いた。その通りこれは「一生ものの時計」が正しかったのだけど、この文句がたて書きで、しかも枠で囲ってあると想像してみれば、「生もの」に見えなくもないでしょう!そうでしょう?どうでしょう?


99/07/09 (Fri.)−パックマンにまつわるすてきな人々

 『パックマン』でパーフェクトゲーム達成HotWired Japan
 記事全体に漂うユーモアな雰囲気がまたいい味出してます。


99/07/11 (Sun.)−まんぷくギャラリー(1)〜スーパーの日

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99/07/14 (Wed.)−新聞と高速道路と映画監督

 読みそこねた新聞を読む。今日の新聞を読んでから読む。すると、続報を読んでから第一報を読むといった具合になる。被害者の身元がわからなくなり大雨はまだベタ記事程度、4コママンガを見てから元ネタを知り、広島の連敗は減る。単純な方法ながら、時間を逆戻りする感覚が味わえて面白い。
 さて、そんな今日の新聞に載っていたのがこんな外信。
 6歳の少年がおもちゃの電動カーで高速道路を疾走(うそ。時速は1桁)。幸い、怪我もなく無事に保護された。警察は、少年がどうやって高速道路に入ったのか、首をひねっている。
 このニュース、ネタの面白さもさることながら少年の名前がふるっている。その名もジョン・カーペンター!
 ジョン・カーペンター、映画監督。1948年、ケンタッキーに生まれた彼は長じて映画の道へ進み、「ニューヨーク1997 escape from new york」(1981)「遊星からの物体X the thing」(1982)「ゼイリブthey live」(1988)「エスケープ・フロム・LA escape from L.A.」(1997)などを監督。唐突な設定、いきあたりばったりの脚本、いい加減な演出、しかしどこか憎めない魅力を持つ作品を撮り続けている。まさにB級映画監督の鑑である。
 そんな彼の固定化されたスタイルの1つに、「ジョン・カーペンター落ち」がある。主人公は傷つきながらも敵を何とか倒したが、相手は完全に滅ぼされたわけではなかった…残った細胞のかけらが不気味にうごめきエンドタイトル、という感じ。多くの作品がこの「さあ、これからどうなる?」という終わり方で、これはこれで安心して観ることができてよいのだった。
 彼の場合、大作ぶったり芸術ぶったりせず「こんなもんだネ」という気分で映画を作っているらしきところに好感が持てる。決してB級の枠を外れることがなく、つねにどこか抜けている映画たち。それをわかった上で彼の作品を観ると、その向こうにゆるぎのない「ジョン・カーペンター・スタイル」が見えてくる。それこそが彼の作品の魅力なのだ。高速道路を走ったジョン・カーペンター君の未来は明るいぞ。


99/07/15 (Thu.)−Appleスマートローンと新機種の関係

 7月14日から、Appleが3たびスマートローンを打っている。対象はiMacとPowerMacintosh G3、それからApple Studio Displayだ。むむっ、ということは新機種のきざし?
 3月28日に謎が示され、5月11日に謎がすべて解けたように、Appleがスマートローンのキャンペーンを展開すると、期間終了後に新機種が必ず出ている。少なくともこれまで2回のキャンペーンはそうなっていた。しかも、新機種はスマートローン対象製品にからむものばかりだったのだ。むむむっ、ということは8月22日のキャンペーン終了に合わせて、iMacとPowerMacintoshに新機種投入ということだろうか。
 実は、今回スマートローンの対象にはなっていないが、Appleはもうすぐノートの新機種を発表すると言われている。7月20日からアメリカで開催されるMacWorld Expo、その会場でいよいよ「コンシューマ向けのノートブック」、すなわちノート型iMacが発表されるというもっぱらの噂なのだ。果たしてこの噂が本当なのか、それともスマートローン法則に従って、Expoで発表されるのは新しいデスクトップ製品なのか。答え合わせは来週に。


99/07/16 (Fri.)−文字だけで描くSTAR WARS

 「Star Wars Asciimation」は、JAVAを使って、STAR WARSの第1作であるところの「Episode 4−a new hope」をテキストで表現しようっちゅーもの。過剰な期待は禁物だけれど、全部で10分程度をすべて文字だけで再現している努力には頭が下がります。日本語OSで見る我々には、「\(バックスラッシュ)」がすべて「¥」になってしまうのが残念。
 っと、Windows版のInternet Explorer 5.0では見ることができたのだが、Mac OSではNetscape Communicator 4.5、Internet Explorer 4.5ともJAVAのバージョンが古いせいか見ることができなかった。こりゃまた残念。


99/07/18 (Sun.)−『交渉人』と『ER』

 『交渉人the negotiator』観る。シカゴ警察の有能な交渉人ダニー(これがサミュエル・L・ジャクソン)は罠にはめられ、罪に問われる。無実を証明するために彼がとった方法とは…みたいな話。もう一方の交渉人、クリス(ケビン・スペイシー)とのかけひきが面白いのかな、と思って観に行ったので、登場人物それぞれのスタンス(今この段階で、誰が誰に対して協力的/非協力的なのか)がわかりにくい脚本と、ありがちっぽい謎とき部分は残念ではあった。最後の最後、「ああ、こうするために彼はこうしたんだ」とわかる部分は自分的にはいい具合ではあったけれど、ここにくるまで2時間半ですか? という気もした。
 それはさておきこの映画、『ER』の第2シーズンに登場するヴューセリッチ先生(ロン・リフキン)が出ていてびっくり。『ER』の舞台となるカウンティ総合病院もシカゴにあることだし、転職ですかヴューセリッチ先生? なんて。あと、テレビレポーターがこれも『ER』の第2シーズンにちょっとだけ出ていたテレビディレクターに似ていたような気もする。そういえば『交渉人』も『ER』もワーナー系だ。キャスティングって、そういう方面からもされているのかも。


99/07/19 (Mon.)−知っていることを語ること

 テレビを見ていて、自分にとっては自明の知識でも、知らない人には新たな知識になりうるのだなと思った。
 もうだいぶ前から、ほとんどのパソコンのCMには「ちゃん、とてとてん」という「Intel Inside」のサウンドロゴが入っているのだけれど、なぜこうなっているかという話。あれは、CMにそのサウンドロゴを入れる企業に対して、インテルがCPUの卸値をさっぴいているというのが定説なのだった。これ、ある程度以上パソコンに詳しい人ならわかりきったことでしょう。でもたぶん、世間にはそのことを知らない人のほうが多いのじゃないかというわけ。
 要は、自分の知っていることを適切な方向に放つことで、自分の知識は価値が出るということなんだ。話が飛ぶけれど、webサイトの価値ってそういうところで決まるんではないかと思う。少なくとも、自分の場合はそういう部分でサイトの価値を判断する。本人だけが知っていること(純粋な知識だけでなく、「その人なりの視点」も含めて)を、それを知らない人や知りたい人に向けて公開する。これこそが、分散型の巨大データベースとしてのWWWの価値なんじゃないだろうか。問題は、誰もが自分だけの知識やものの見方を持っているはずなのだけれど、自分がなにを知っていて、誰がそれを知らないか、また誰がそれを知りたがるかのリサーチが難しいということだ。なにを、誰に向けて、どのように知らせるか。この3つがうまく揃ったとき、すぐれたwebサイトが生まれるのだと思う。


99/07/20 (Tue.)−メールの署名はその場で書く

 電子メールの署名は、その場で書くことにしている。
 ほとんどの電子メールソフトには「署名」の機能があり、定型の文字列をこれから書くメールにあらかじめ入れておくことができる。ちょうどハガキの差出人欄に捺す、住所氏名入りのハンコのような機能だ。
 で、これがハンコみたいだからかどうか、自分の場合は何となく署名を登録せず、いつもその場で署名するようにしている。署名に凝らない気分は、パソコン通信時代のなごりかもしれない。当時は通信速度が2400bps程度ときわめて遅く(今のモデムは56000bps、ISDNなら64000bpsだ)、送られてくる文章が表示されていく様子を目で追うことができるほどだった。こういう環境下では、何行にもわたる署名は嫌われていたのだった。
 ともあれその場で書く署名に盛り込まれるのは、自分の名前、メールアドレス(imasa@pluto.dti.ne.jp)、まんぷくやのURL(http://www.pluto.dti.ne.jp/~imasa/)程度である。メールを書くごとにこれらをタイプしているおかげで、ここだけタイプ速度が異様な高速になり、これはこれで心地よい。ときどき、勢い余って「imasa@pluto.dti.ne.jp/~imasa/」なんて、メールアドレスとURLがまざってしまうこともあって、思わず笑ってしまうのだった。


99/07/21 (Wed.)−無事に出ましたiBook

 というわけで、Apple Computerから待望のコンシューマ向けノート、iBookが発表になりました。今日はもう遅いので速報のみで。


99/07/22 (Thu.)−毒電波受信プリンタ

 プリンタにエラーが出た。のみならず、なにやら怪しい言葉を印刷している。

x@ガクチヲタタガpppガヶビソガワビガガビビビビヮガ8テガヅ8aタoヱp

 だの、

xガクゲヌタヴガガソpガマビソタクヶビポガビビビヌヮガクバタガヮヶ8p

 だの、怪しいったらありゃしない。「ガ」とか「ビ」が多いあたりも、いかにも電波らしく見えてくる。そういえば1999年の7の月も、残すところあと1週間ばかり。いよいよ恐怖の大王の前触れだろうか。
 ところで今電波情報を書き写していて気づいたのだが、「ヮ」(小さい「ワ」)ってどういう時に使うのだろう?


99/07/25 (Sun.)−夏しか知らない生活

 東京はすっかり夏。暑いとはいっても湿度が低めなので、じっとりとまとわりつく熱気はなく、やや過ごしやすい。
 昔は夏の暑さは苦手だったのだが、96年の2月にブラジルに行って体質が変わった(ブラジルでの話は、一部を「リオのカーニバル」のページに載せてある)。東京が真冬の2月に、地球の裏側で摂氏30度の世界を短期間ながら体験しておいたせいか、この年の夏はだいぶ楽に過ごすことができたのだ。暑いのが苦手な人はブラジルに行ってみては…というのも難しいか。
 ところで先週、テレビにボサノバの小野リサが出ていた。彼女は、1年の半分を日本で暮らし、残る半分をブラジルで送っているという。今テレビに出ているということはもしかして、日本が夏に(=ブラジルが冬に)なったから日本に来て、日本が冬に(=ブラジルが夏に)なったらブラジルへ行くということなのだろうか。小野リサは夏だけを生きているのか。すごい生き方だ。


99/07/27 (Tue.)−車内アナウンスからドラマが生まれる

 電車内のアナウンスにいわく、「次は×、×。えーお客様にお願いいたします。1両目付近に医者の方か看護婦の方がいらっしゃいましたら、乗務員までお申し出ください」
 なんとも唐突な展開。こういうアナウンスを聞くのは初めてだ。たまたま一緒に乗り合わせたn氏にいわく、「電車を運転できる方がいらっしゃいましたら、だったらやだね」
 その後それ系のアナウンスが入らなかったため、1両目付近の急病人さんの安否はわからずじまいだったが、不謹慎ながらドラマのようでちょっとわくわくしてしまった。もし自分が急病人になって、前後不覚の中くだんのアナウンスを聞いたとしても、やっぱりこっそりわくわくしてしまうだろうな、と思った。


99/07/28 (Wed.)−月食の頃

 今日は月食があった。
 月食は、月に地球の影がかかって満月が欠ける現象だ。なぜ満月なのかといえば、月に地球の影がかかって月食になるには、月−地球−太陽がこの順で一直線に並ぶ必要があるからだ。地球が月を見たとき、真後ろに太陽がいる。だから、太陽に照らされた月面のすべてが見える。これがすなわち満月だ。
 一方、太陽−月−地球という順に一直線に並べば新月になり、完全に一直線になれば月が太陽を隠して日食が起きる。また半月が半月に見えるのは、太陽が月を真横から照らしている様子を地球から見ているからで、月−地球−太陽がなす角は90度。このようにして、月の形と月がいる方角によって太陽がどこにいるのか方角がわかり、その結果おおまかな時刻もわかる。真南に右半分が欠けた半月がいれば、太陽は東の空にあることになる。つまり、右半分が欠けた月が南中するのは夜明けだとわかる。太陽も月も、東からのぼって西へと沈む。左半分だけの月が東の空に上る(このとき、月は上半分が欠けて見える)のは真夜中、西の空に沈む(同様に、月は下半分が欠けている)のは正午ということになる。満月がのぼるのは太陽が沈んだときで、満月が沈むのは夜明けとともにだ。
 今日の月食では、東に出ている月の右下が欠けていた。これが単に半月ならば、ありえない向きにありえない形に欠けた月がかかっていることになり違和感がある。この違和感によって、下が欠けた月を東に見る不自然さを、心の奥底が知っているとわかる。月って、見てないようで案外ちゃんと見ているものなのかもしれない。


99/07/29 (Thu.)−iMac、東急ハンズを席巻す

 東急ハンズに行ってみて驚いた。家庭用品のカラーリングが、白とボンダイブルーだったり5色そろってトランスルーセントだったりしているのだ。扇風機、ちょっとした棚、洗面器、およそあらゆる…てほどではないが、あっちにもこっちにもスケスケ5色。iMacデザインの影響力おそるべしだ。
 その東急ハンズで買ったものはといえば、地球儀の柄のビーチボール。実は昔から地球儀を欲しいなとは思っていたのだ。でこれはビーチボールだから、地球儀のようにどっしり軸におさまったりしていないところがよい。海の部分が透明なので、日本の裏に南米大陸が見えたり、太平洋からアフリカが裏返しに見えたりするのも面白い。地球を手玉にとりながら、地球について考える。


99/07/30 (Fri.)−並びに並ぶ顔の写真

 今日の日経新聞に、NECの見開き広告が載っていた。内容は「NECはがんばりますよ」のような感じだったのだが、この見開きを覆い尽くしていた写真がただひたすらに顔顔顔。紙面の中心から輪を描き、幾重にもなったたくさんの人人人が上を、つまりこちら側を見上げている。いろんな人がいる。性別はもちろん、人種、年齢、笑ってる人、神妙な顔の人、にらんでる人。たくさんのいろんな顔が、こちらを見上げている(写真の一部が、新スローガンを紹介するページに使われている)。
 そして、これを見たときにしたことといえば、目をつむってる人を捜すことなのだった。結婚式に出たことがある人ならわかるだろう。集合写真を撮ろうとするとたいてい、じゃあ撮りますよ〜、ハイッ。あ、まばたきしてしまった方がいますね〜。ではもう一枚撮りましょう、ハイッ。あ、またまばたきしてしまいましたね〜。ではもう一枚、ハイッ。と永遠に続く写真撮影をしたことがあるはずだ。結婚式の集合写真は多くても100人くらい? その程度でも、誰もまばたきしていない写真を撮るのは難しい。それがこの見開きには…数えていないが数百人はいるはずだ。これだけ人が集まっているならば、誰かが絶対に目をつむっているはず。
 しかし不思議なことに、目をつむっている人は見つからなかった。これはどういうことだろう。

  1. 「さあまばたきしてください、ハイッ」と言って、一瞬間をおいてから撮影する
  2. 数枚連写しておいて、目をつむってる人のカットは別の写真から貼り付ける

 どちらかといえば後者がありそうだ。これだけの数の人を集めて写真を撮っておきながら撮り直しなんてことになったら、コストがかかってしょうがない。写真の加工は、今ならフォトレタッチソフトのPhotoshopあたりを使えば簡単にできてしまう。フォトレタッチ劇場(1/2)なんてのが比較的簡単に作れるのと、原理は同じだ。うん、多分そうだ。
 ところでまた理屈っぽい話になるが、n人が入る写真を1枚撮ったときに目をつむっている人がいる確率って算出できるのだろうか。まばたきの頻度を便宜上10秒のうち0.1秒として、9.9秒目を開け、0.1秒目をつむるものとする。複数の人が同時にまばたきすることもある。さてn人が写るときの期待値Eは? というところ。
 目をつむっている写真といえば思い出す映画が、竹中直人の『119』。記念写真を撮ったら、ほぼ全員が目をつむってしまった、というシーンがある。あまりに不自然で逆にそれがおかしみを誘うという場面なのだが、この映画のパンフに載っているスタッフの集合写真もほぼ全員が目をつむっていて、その徹底さがさらにおかしかった。
 NECの広告写真に出ている人全員がまばたき中だったら、それはそれで不気味かつ無類に面白い写真になるだろうな。


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