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第90回配信
4月2日からルーマニアのブカレストで開かれるNATOサミットに、クロアチア、アルバニアとともに次期加盟国としてマケドニアも招聘されることが期待されていましたが、ギリシアと長年にわたって未解決だった国名問題が再浮上。ギリシアの反対票によりマケドニアの新規加盟が否決される可能性が出て、同サミットまで10日を切った本稿出稿直前も両国を中心とした「騒動」が続いています。 紀元前4世紀のアレクサンダー大王以来、ギリシアゆかりの地方名であるマケドニアを、それから1000年以上も遅れて入ってきたスラヴ人が名乗るのは「何とか猛々しい」。ギリシア北部にはマケドニア州があるのに、なおかつスラヴ人が自分の国をマケドニアと自称するのは領土的野心だと疑わざるを得ない、というのがギリシア側の主な言い分です。
国名問題は、実はマケドニアの独立以前から潜在的に続いています。ギリシアと旧ユーゴ連邦の関係は概ね良好でしたが、連邦の一部であるマケドニア社会主義共和国とだけは険悪、という変則的な状態でした。筆者が80年代末にセルビアクロアチア語を学んだ頃は、ギリシアからの留学生が首都ベオグラードのほかノヴィサドなど旧ユーゴ東部に数多くいましたが、スコピエ大学にだけは彼らの留学が認められていませんでした。 独立後の1993年、ギリシアが国名問題を紛糾させてマケドニアの国連加盟を遅らせ、95年には経済封鎖によって古代マケドニア伝統の文様(「ヴェルギナの星」)をあしらったマケドニア国旗を変更させたりしています。多くの国際機関では、先に加盟しているギリシアの主張を尊重して、マケドニア共和国ではなくマケドニア旧ユーゴスラヴィア共和国の名でその機関への加盟を認めるという、客観的に見て珍妙な妥協が成立して今日にまで至っています。日本国外務省は上述の「旧ユーゴ・・・」の名で承認していますが、トルコ、ロシアのようにマケドニア共和国の名のまま承認している国も少なからず存在します。 既に「便り」でも何度か触れているように、欧州のNATO加盟国イコールEU加盟国ではありません(NATO加盟・EU非加盟=ノルウェー、アイスランドなど、EU加盟・NATO非加盟=オーストリア、スウェーデンなど)。しかし旧社会主義中東欧、南東欧諸国では民主化・市場経済移行がNATO・EU加盟という国家目標となり、NATO加盟は事実上、EU加盟の先行前提条件となってきました。05年に正式にEU加盟候補国となったマケドニアも例外ではありません。クロアチア、アルバニアとともに今年のNATOサミットに招聘され、来年から正式に加盟することがいよいよ現実味を帯びてきました(なおEU当局からはマケドニアとの加盟交渉の年内開始が最近になって示唆されています)。
こうした状況を背景として、国連ニミッツ事務総長特使の仲介によるギ・マ国名問題交渉が活発化。2月29日から3月1日にかけてニューヨークで、さらに3月17日にはウィーンで当事国実務代表者会談が開かれましたが、物別れのままに終わっています。当初はマケドニア側の主張に沿った「マ民主共和国」「マ独立共和国」の候補名も机上に上げられたように憶測報道が流れましたが、実際には「上マケドニア共和国」「新マケドニア共和国」、かっこ付きの「マケドニア共和国(スコピエ)」と、ギリシアの主張に近い3候補名しか議論の対象にならなかったようです。
こうした最中に、
これにより与党連立政権は議会過半数の支持を失ってしまいましたが、グルエフスキ首相はツルヴェンコフスキ大統領(野党・マ社民同盟出身だが大統領に就任し党籍凍結中)、各政党代表者と緊急会談を開き、NATOサミットまでは少数内閣を維持する方向ですぐに合意しました。また米大使館が和解工作に動き、サチ党首らも態度を軟化、「NATOサミットまではマケドニアの国益実現のために力を注ぐ」と発言しており、泰山鳴動に終わる可能性も予測されています。しかし何故この「大事な時期」に内政を混乱させるような行動に出たのか、サチ党首、同党のジャフェリ名誉総裁らの真意についてはまだこれと言って説得力のある分析は発表されていません。 上述のデモの後では「現加盟国との善隣関係がNATO加盟の絶対条件だ」(3日バコヤニ外相)、アルバニア民主党を巡る騒動では「内政の混乱を国名交渉不調の口実にするのは認めない」(18日カラマンリス首相)など、ことあるごとにギリシア当局はけん制球を投げつけています。しかし、「NATOの一員となるための必要条件はすべて満たした。コソヴォ独立後の地域の安定にマケドニアの加盟がどれほど貢献するか考えてほしい。国名は本来はギリシアとの二カ国だけの問題であるはずだ」(17日ツルヴェンコフスキ大統領)。「昨年の世論調査では国民の9割もがNATO加盟を望んでいる。アフガン派兵にもマケドニアは協力実績があり、国際平和の実現に今後さらなる形で参加するべきだと考える」(14日ミロショスキ外相)とマケドニア首脳は正論を通す構えです。
クロアチアの場合はNATO加盟には問題がなさそうで、4月のNATOサミットに招聘、来09年正式加盟が期待されています。しかし05年暮れに開始されたEUとの加盟交渉(第86回配信参照)には、今年に入り重大な支障が生じてしまいました。
EU(とNATO)の旧ユーゴに関する最近の動きについて、EU政策の専門家で、第79回配信でもスロヴェニアのEU加盟に際してインタビューさせて頂いたセルビアのシンクタンク、ベオグラード欧州統合センター(BeCEI)のテオカレヴィッチ所長に聞いてみました。
テオカレヴィッチ: 05年にEU憲法を巡る議論と混乱が始まり、東方拡大への見通しはストップしてしまっていました。むしろリスボンサミットを経て、再びEU側の新規加盟国受け入れ準備は整えられたと見るべきです。EU内移民問題で国内議論が沸騰したフランスでもサルコジ政権成立以後、東方拡大へのアレルギーは聞かれなくなっています。無論04年のように一気に拡大することは考えられず、既に路線がかなり定まったクロアチア以外の諸国は各々の速度で加盟に近づいていくことになりますが、少なくとも西バルカン(スロヴェニアを除く旧ユーゴ圏+アルバニア)へのEU拡大という方向性は再確認されたのです。 またコソヴォ独立容認に関しては、これ以上遅らせても状況が良くなるきざしがなかったからには仕方ないという考え方がある一方で、何らかの過誤だったという思いもEU内部にはあるでしょう。これも西バルカンに対するEU側の働きかけが強化されている背景です。3月5日のEU声明では、西バルカン諸国への加盟受け入れ政策強化が打ち出されています。これには予算拠出増大などの大枠の話はもちろんのこと、この地域からのEU留学生受け入れ増加、査証免除など、2年前には考えられなかった具体案も含まれています。 大塚: しかしクロアチアは保護水域をあきらめざるを得ず、マケドニアは(今回はEUではなくNATO相手ですが)国名をあきらめなければならないかも知れません。 テオカレヴィッチ: 両国にとってそれぞれ大変な問題ですし、国内のEU懐疑論が強まるのは仕方ありませんが、セルビアがコソヴォを放棄しなければならないのに比べれば妥協可能ではないでしょうか(苦笑)。両国とも加盟候補国として、改革とそれに伴う経済水準の向上、社会体制の改善を着々と進めています。バルカンはコソヴォ独立で一年前に比べ不安定要因が増したことは間違いありません。結局西バルカン諸国はEU、NATO加盟に安定と解決の道を見出すしかないでしょう。 独立後のコソヴォでは、コソヴォのセルビア人最大の都市ミトロヴィッツァ北部で事件が発生しました。3月15日に地元司法関係者らが国連の運営する裁判所を占拠、これを強制排除しようとして市民と国連警察、多国籍軍KFORの間で17日に衝突が起こり、市民80人、国連警察官死亡1を含む国際勢力側33人の負傷者を出しました。
セルビアでは、2月21日の米大使館放火事件の後は幸い大きな混乱は起こらずにいます。しかし前々回、前回配信で報告しているように、国論だけでなくセルビア政府内部までが「(コソヴォはあきらめないが)EU加盟政策は断固続行」とする親欧左派と、「コソヴォを放棄するくらいならEU加盟政策は凍結せよ」と主張する保守右派に分裂してしまいました。 セルビア政府のホームページには首相だけでなく各閣僚の公的発言が次々に掲載されますが、例えば3月1日には、保守派コシュトゥニッツァ首相が「セルビアはコソヴォを放棄した形でEUに接近することはあり得ない」と語っている同じページで、親欧派ジェリッチ副首相が「EUはセルビアを待っている。EUとの安定化連合協定の早期締結を」と述べています。親欧派ディンキッチ商務相が「セルビアの対外債務のうちコソヴォ分12・4億ドル(約1230億円)の肩代わりを続けるのは無意味だ」と主張すれば、保守派閣僚は「それではコソヴォの独立を認めたことになる」と断固反対。もはや支離滅裂の末期症状を呈していると言わざるを得ない状況でした。 議会で最大勢力を誇る極右・右派のセ急進党が3月5日、「EUがコソヴォはセルビア領であると明言しない限り加盟政策は進めない」趣旨の議会宣言を提案、コシュトゥニッツァ首相率いるセルビア民主党(以下DSS)など保守派が同調の動きを見せると、親欧派のドゥリッチ議会議長は審議を中断しました。
3月8日、土曜日でしたがコシュトゥニッツァ首相は緊急記者会見を開き、「もはや政府は機能できなくなった」と辞意を表明。これを受けてタディッチ大統領が5月11日の総選挙を公示しました。 この2ヶ月の政治混乱の中、もっとも強く批判されたのはコシュトゥニッツァ首相です。もともと「政敵の妨害以外は何もしない」同首相と彼のDSSは、大きなスキャンダルがないゆえに、集中的に激しい批判は受けないという地味で消極的な評価しかありませんでした。昨年1月の総選挙後に二期目の政権を発足させましたが、閣内では親欧勢力の動きをことごとくブロックし、議会では野党の右派・守旧派と投票行動をともにするというのでは、さすがの地味な首相にも弾幕砲火が浴びせられるのは当然でしょう。前々回の第88回配信で親欧派学生が反コシュトゥニッツァを唱えてデモを組織したこと(2月11日)を報告していますが、この時も学生たちは「コシュトゥニッツァ=ミロシェヴィッチ二世、退陣を要求!」というビラを掲げています。親欧左派寄りの月刊スタトゥス誌は2月発売号の表紙を「ヴォーヤ(コシュトゥニッツァの愛称)=害虫」と大々的に銘打ち、ついに26ページにわたるコシュトゥニッツァ批判・揶揄の大特集を組みました。 既に選挙予想は各紙誌で始まっています。
3月12日は故ジンジッチ首相の暗殺から5年に当たる日で、民主党、非政府組織などが各自の五周忌行事を営みましたが、野党の自由民主党も数百のシンパを従えてセルビア政府脇の暗殺現場に献花しました。この自由民主党は、かつてジンジッチの右腕だったヨヴァノヴィッチ元共和国副首相を初代党首に、ミチッチ元議会議長など左派が中心となって民主党から分裂し旗揚げしましたが、初参加となった昨年の総選挙で故ミロシェヴィッチのセ社会党に迫る15議席を獲得しています。ヨヴァノヴィッチ党首は「EUを目標に戦ったジンジッチ路線を継承し、5月11日を我々の勝利の日としたい」と決意を表明。同党首とタディッチ大統領の個人的な確執もあるため、民主党との選挙共闘は断念せざるを得ませんでしたが、都市部での支持を伸ばしており、今回はDSSを抜いて20議席以上の第三勢力に成長する可能性、さらには選挙後民主党との親欧ブロック連立形成も(現時点では筆者にはやや親欧派びいきに思えるものの、期待論込みで)一部ウォッチャーから予測されています。 この2ヶ月の政治空転の中で対EU政策は全くストップしてしまっていますが、3月10日のEU外相会談後、ルペルEU議長国(スロヴェニア)外相は「昨年11月に仮調印された安定化連合協定はまだセルビアの正式調印を待っている」とし、セルビアの加盟政策支援を断念したわけではないと強調しました。安定化連合協定そのものはモンテネグロが昨年正式調印済み、ボスニアにも提示され、並行してこれらの国の加盟政策も進行しているので、大統領選で親欧派が勝ったのにコソヴォで「痛い思い」をしたセルビアだけが特別甘い扱いを受けているとは言えません。それにしても、いやだからこそ、EUの方から接近してきたチャンスに誰も調印のため派遣出来ない今の状況は、セルビア国内の親欧派にとっては何とも歯がゆい状態です。しかし少なくとも5月の選挙が終わるまでは、セルビアの将来の方向は全く分からなくなってしまいました。 (2008年3月下旬) 本稿執筆に当たっては、多くの紙誌、インターネット資料、テレビ番組を参考としましたが、煩雑さを避けるため日付等詳細出典の記載は一部にとどめました。以下に参照した紙誌、サイト等を列挙します。[スロヴェニア]日刊デーロ、24ur.com、スロヴェニア共和国政府 [クロアチア]日刊ヴェチェルニ・リスト、日刊ユータルニ・リスト、日刊ヴィエスニク、www.javno.com、www.antegotovina.com、Promocija Plus [マケドニア]日刊ノヴァ・マケドニア、日刊ヴェスト、日刊ウトリンスキ・ヴェスニク、マケドニア通信(MIA) [セルビア]日刊ダナス、週刊ヴレーメ、月刊スタトゥス、TV−B92、セルビア共和国政府、主要政党HP [コソヴォ]コソヴァプレス、kosovothanksyou.com、NewKosovaReport [旧ユーゴ圏以外・国際]欧州連合、北大西洋条約機構、日本国外務省、ジェトロ・ブリュッセル・センター、日本国際問題研究所、Southeast European Times、南東欧研究センター、SEEUROPE、BIRN、ヤッフー!フランス/ジャパンからアクセス可能な仏語/日本語記事、ウィキペディア・フリー百科事典各語各項目 執筆に協力を頂いたJ・テオカレヴィッチ氏、画像を提供して頂いたinfobiro.tv、www.antegotovina.com、クロアチア共和国政府広報局、STATUS誌編集部、吉田正則氏に謝意を表します。なお吉田正則氏[FoNet]と注記した画像は、FoNet通信社に勤務していた当時同氏が業務上撮影したもので、本ページへの借用に当たっては氏を著作権所有者とすることで合意しています。また画像の一部は、2008年1月に日本のテレビ報道取材に通訳として同行した際筆者が撮影したものです。本文内容にも過去の取材の通訳として業務上知り得た内容が含まれています。これらの本ページへの掲載に当たっては、通訳上のクライアントから承諾を得ています。画像・本文とも無断転載はかたくお断りいたします。 Zahvaljujem se na saradnji/suradnji: infobiro.tv, www.antegotovina.com, Ured za odnose s javnoscu Vlade RH, redakcija magazina STATUS, g.Masanori Yoshida [FoNet]; dr.Jovan Teokarevic (BeCEI). Zabranjena je svaka upotreba/uporaba teksta i slika bez odobrenja. |
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