「平和問題ゼミナール」
旧ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2008/03/27

第90回配信
ゴルディアスの結び目    2008年3月下旬


skopjeb.jpg
スコピエ市中心部(2008年1月)
    昨年12月、ポルトガルのリスボンで開かれた欧州連合(EU)サミットで、頓挫したEU憲法に代わる新体制を想定したリスボン条約が調印されました。当初、各加盟国でこの条約の批准を待つ今年2008年はEU東方拡大の波がストップすると見られ、また04年の10カ国新規加盟、07年のブルガリア・ルーマニア加盟を過ぎて、「既にEUは拡大に疲れている」という見方もありました。しかし実際には今年に入り、コソヴォ独立を巡る動きと並行して、次期加盟候補国であるクロアチア、マケドニア、さらに他の旧ユーゴ圏諸国(「潜在的加盟候補国」)に対し、欧州委員会レーン拡大担当委員を中心とするEU側の外交上の働きかけがむしろ活発化している印象です。EUそして北大西洋条約機構(NATO)加盟は、旧ユーゴから独立した諸国の悲願だったわけで、各国親欧派勢力としてはEUが自ら接近してきたチャンスを利用したいところです。ところが、これに際して各国の抱える問題が逆に先鋭化するというジレンマが生じています。今回はマケドニア、クロアチアの近況とコソヴォ独立一ヶ月後のセルビアの状況を報告します。

マケドニア

    4月2日からルーマニアのブカレストで開かれるNATOサミットに、クロアチア、アルバニアとともに次期加盟国としてマケドニアも招聘されることが期待されていましたが、ギリシアと長年にわたって未解決だった国名問題が再浮上。ギリシアの反対票によりマケドニアの新規加盟が否決される可能性が出て、同サミットまで10日を切った本稿出稿直前も両国を中心とした「騒動」が続いています。

    紀元前4世紀のアレクサンダー大王以来、ギリシアゆかりの地方名であるマケドニアを、それから1000年以上も遅れて入ってきたスラヴ人が名乗るのは「何とか猛々しい」。ギリシア北部にはマケドニア州があるのに、なおかつスラヴ人が自分の国をマケドニアと自称するのは領土的野心だと疑わざるを得ない、というのがギリシア側の主な言い分です。
crven3.jpg
「NATOの一員となるために準備はすべて整えた」がギリシアの抵抗、内政混乱に悩むツルヴェンコフスキ大統領(画像提供:infobiro)

    国名問題は、実はマケドニアの独立以前から潜在的に続いています。ギリシアと旧ユーゴ連邦の関係は概ね良好でしたが、連邦の一部であるマケドニア社会主義共和国とだけは険悪、という変則的な状態でした。筆者が80年代末にセルビアクロアチア語を学んだ頃は、ギリシアからの留学生が首都ベオグラードのほかノヴィサドなど旧ユーゴ東部に数多くいましたが、スコピエ大学にだけは彼らの留学が認められていませんでした。
    独立後の1993年、ギリシアが国名問題を紛糾させてマケドニアの国連加盟を遅らせ、95年には経済封鎖によって古代マケドニア伝統の文様(「ヴェルギナの星」)をあしらったマケドニア国旗を変更させたりしています。多くの国際機関では、先に加盟しているギリシアの主張を尊重して、マケドニア共和国ではなくマケドニア旧ユーゴスラヴィア共和国の名でその機関への加盟を認めるという、客観的に見て珍妙な妥協が成立して今日にまで至っています。日本国外務省は上述の「旧ユーゴ・・・」の名で承認していますが、トルコ、ロシアのようにマケドニア共和国の名のまま承認している国も少なからず存在します。

    既に「便り」でも何度か触れているように、欧州のNATO加盟国イコールEU加盟国ではありません(NATO加盟・EU非加盟=ノルウェー、アイスランドなど、EU加盟・NATO非加盟=オーストリア、スウェーデンなど)。しかし旧社会主義中東欧、南東欧諸国では民主化・市場経済移行がNATO・EU加盟という国家目標となり、NATO加盟は事実上、EU加盟の先行前提条件となってきました。05年に正式にEU加盟候補国となったマケドニアも例外ではありません。クロアチア、アルバニアとともに今年のNATOサミットに招聘され、来年から正式に加盟することがいよいよ現実味を帯びてきました(なおEU当局からはマケドニアとの加盟交渉の年内開始が最近になって示唆されています)。
    マケドニアはセルビアに次いで隣国コソヴォの独立に敏感にならざるを得ません。セルビア同様、国内(主に西部)に多くのアルバニア人人口を抱え、潜在的に第二の「コソヴォ問題」が発生する危険があるからです。
skprotest2.jpg
2月27日、スコピエ中心部では国名変更反対を訴える大集会が開かれた。一部参加者がギリシア領事館に接近を図り機動隊と衝突(画像提供:infobiro)
コソヴォ独立でバルカン全体が揺れる中、この国のNATO加盟は当のマケドニア自身だけでなく、地域の安定を望むNATO加盟国大半の利益でもあります。いや今回のブカレストサミットは、アフガンでの米以外の派兵増強を要求する米英と、これに反対するドイツなどの対立の場になることが考えられ、南東欧3カ国の新規加盟に関しては紛糾を避けたいという、ギリシア以外の主要国の思惑が一致していると言う方が正しいかも知れません。
    仮にNATO加盟が今回見送りとなった場合は、将来EU加盟に際してもギリシアの妨害がやはり考えられるだけに、マケドニアとしては独立16年後も続く国名問題に今こそ何としても決着を付けておきたいところです。

    こうした状況を背景として、国連ニミッツ事務総長特使の仲介によるギ・マ国名問題交渉が活発化。2月29日から3月1日にかけてニューヨークで、さらに3月17日にはウィーンで当事国実務代表者会談が開かれましたが、物別れのままに終わっています。当初はマケドニア側の主張に沿った「マ民主共和国」「マ独立共和国」の候補名も机上に上げられたように憶測報道が流れましたが、実際には「上マケドニア共和国」「新マケドニア共和国」、かっこ付きの「マケドニア共和国(スコピエ)」と、ギリシアの主張に近い3候補名しか議論の対象にならなかったようです。
    これと前後する2月27日にはスコピエで大集会が開かれ、「マケドニアの国名とわれわれのアイデンティティを守れ」と参加者は口々に叫びました。セルビアのベオグラードでコソヴォ独立反対デモが米大使館放火事件に発展した(前回配信参照)直後でしたが、こちらスコピエでも集会参加者の一部がギリシア領事館に接近、機動隊と衝突して重軽傷10、逮捕者8を出す騒動になりました。またギリシアの副都(マケドニア州都)セサロニキでは3月6日、逆に「北のスラヴ人は国名を変更せよ」と主張する8000人参加の集会が開かれています。

    こうした最中に、
mthaci.jpg
国名問題解決からNATO加盟へと「お国の大事な時期」に政権離脱を宣言し国民を驚かせたアルバニア人民主党のサチ党首だがその真意は不明(画像提供:infobiro)
グルエフスキ首相率いる内部マケドニア革命組織・民族統一民主党(VMRO−DPMNE)と連立政権を構成するアルバニア人民主党のサチ党首が、3月11日突如として政権離脱を宣言しました。アルバニア語の地位向上、01年紛争時のアルバニア人兵士の待遇改善、コソヴォ早期独立承認などの党要求がグルエフスキに認められないため、としています。
    これにより与党連立政権は議会過半数の支持を失ってしまいましたが、グルエフスキ首相はツルヴェンコフスキ大統領(野党・マ社民同盟出身だが大統領に就任し党籍凍結中)、各政党代表者と緊急会談を開き、NATOサミットまでは少数内閣を維持する方向ですぐに合意しました。また米大使館が和解工作に動き、サチ党首らも態度を軟化、「NATOサミットまではマケドニアの国益実現のために力を注ぐ」と発言しており、泰山鳴動に終わる可能性も予測されています。しかし何故この「大事な時期」に内政を混乱させるような行動に出たのか、サチ党首、同党のジャフェリ名誉総裁らの真意についてはまだこれと言って説得力のある分析は発表されていません。

    上述のデモの後では「現加盟国との善隣関係がNATO加盟の絶対条件だ」(3日バコヤニ外相)、アルバニア民主党を巡る騒動では「内政の混乱を国名交渉不調の口実にするのは認めない」(18日カラマンリス首相)など、ことあるごとにギリシア当局はけん制球を投げつけています。しかし、「NATOの一員となるための必要条件はすべて満たした。コソヴォ独立後の地域の安定にマケドニアの加盟がどれほど貢献するか考えてほしい。国名は本来はギリシアとの二カ国だけの問題であるはずだ」(17日ツルヴェンコフスキ大統領)。「昨年の世論調査では国民の9割もがNATO加盟を望んでいる。アフガン派兵にもマケドニアは協力実績があり、国際平和の実現に今後さらなる形で参加するべきだと考える」(14日ミロショスキ外相)とマケドニア首脳は正論を通す構えです。
    NATOサミット直前の本稿出稿時点でも、ギリシアによる加盟拒否を避けるためのぎりぎりの工作が続いています。国連主導による実務レベル交渉で進展が見られない中、今度はアメリカが主導権を握り、3月21日にブリュッセルの米NATO大使公邸でミロショスキ(マ)、バコヤニ(ギ)両外相の直接会談が開かれました。内容は会談後も報道陣に対してまったくの秘密とされた模様で、ギリシア・バコヤニ外相は「楽観視もしていないし、悲観的でもないが、双方に問題解決の意思があることが相互確認された」とのみ声明を発表。また米から新しい国名の提案があったこと、NATOサミット直前まで解決努力が続けられることを示唆しました。
    マケドニア側はクロアチア、アルバニアと「この地域に起こった紛争を過去のものとして訣別し、NATO加盟によりさらなる平和と安定を実現したい」との共同声明を発表するなど共同歩調を取り、またギリシア以外の主要加盟国からさらに強い支持を取り付ける外交戦術も並行して進め、この土壇場を乗り切ろうとしています。

クロアチア

    クロアチアの場合はNATO加盟には問題がなさそうで、4月のNATOサミットに招聘、来09年正式加盟が期待されています。しかし05年暮れに開始されたEUとの加盟交渉(第86回配信参照)には、今年に入り重大な支障が生じてしまいました。
rovinj.jpg
クロアチア海岸の観光地ロヴィーニュ。2月6日同市沖の保護水域近くで船舶火災が発生、危険物流出が懸念された
    06年12月15日の議会決定を受けて、今年1月1日からクロアチアはアドリア海沖の面積約24万平方キロ、最大幅約70キロ(38海里)の帯状水域を「漁業・環境保護水域」であると宣言。外国籍船の漁業操業を禁止し、タンカーなど環境汚染につながり得る200トン以上の大型船の航行コースを規制しました。
    しかし、この宣言に対して1月からEU議長国となった隣国スロヴェニアが激しく反対、イタリアも同調しました。EU側は三当事国の話し合いのよる解決を数回にわたり要請しましたが進展はありませんでした。3月7日欧州委員会レーン拡大担当委員がザグレブを訪れ、「この問題を解決しないと、クロアチアのEU加盟手続きには大変な遅れが生じてしまうことになる」と加盟交渉の凍結を示唆するほどの問題に発展してしまったのです。
piran1.gif
スロヴェニアとの線引きが問題になっているB水域と緑色の保護水域は直接関係がなく、国際法上「宣言」は問題がないはずだった
こうした中、1月3日ヴィス島沖で操業していたイタリア籍漁船が拿捕され、関係者が罰金刑を申し渡されました。また2月6日には西部のロヴィーニュ沖でトルコ籍船舶の火災事故があり、改めて国内で環境保護の重要性が議論される機会を提供しています。
    1968年の条約で、ユーゴスラヴィアとイタリアはアドリア海のほぼ中央、地図の赤い線で実効水域を分割しています。この条約は、沿岸国の主権が海底採掘以外には及ばない大陸棚境界としてのみ定めています。つまり領海(沿岸12海里)を除く緑の部分は、漁業に関してはイタリア、スロヴェニアだけでなく外国船が自由に操業できる公海同様の扱いとなっていました。これを今回クロアチアは、名前こそ異なるものの、事実上の排他的経済水域に格上げした(いわゆる200海里水域。外国船の航行は自由だが漁業権は沿岸国に優先される。沿岸国が格上げを宣言することが必要)わけです。アドリア海は最大でも幅150キロ(80海里)程度ですから、200海里ルールは適用できません。上述のように幅は最大でも38海里、イタリアの水域を踏み越えているわけではありませんし、それ自体は国際法上のルールにかなった格上げのはずでした。アドリア海での水上げはクロアチアの10倍というイタリア漁船の乱獲と、海岸観光地への重油など危険物流出事故の影響を防ぐという理由は十分正当化できるものです。
    しかし、今回はイタリア以上にスロヴェニアが強く噛み付きました。これには理由があります。第79回配信でも触れている、ス・ク両国のピラン湾問題です。
    右上の地図に戻ると、ユーゴの結んだ国際条約を継承することになったスロヴェニアがA、クロアチアがCを沿岸12海里の領海とすることは問題がありません。一方ピラン湾沖のBの水域についてはクロアチアが領海として実効支配を続けています。しかしこれでは、スロヴェニアの船がクロアチアかイタリアの領海を通らずに大陸棚(実質は公海)部分に達することが出来ません。このためスロヴェニアはBの領有または利用権を主張し、独立から16年が経った今もクロアチアと対立を続けています。今回の保護水域そのものは直接この問題には関係ない水域のはずですが、スロヴェニアは「まだ領海の線引きが確定していないうちにこのような宣言をするのは、B部分領有の既成事実作りを進めるものだ」と反対。対外政策で一定の主導権を握れるEU議長国の立場を利用して、EUがクロアチアに抗議するという政治構図を作り上げてしまいました。
    現在与党連合を形成しているク民主連合、ク農民党など右派勢力は、保護水域の宣言・実効化を訴えて昨秋の総選挙に辛勝したいきさつがあり、困ったことになりました。緊急閣議の末、「EUとの合意が出来るまでは、EU加盟国に対する宣言の適用を凍結する。
gotovinakamite.jpgsanakamite.jpg
(左)EU加盟前進のため当局が逮捕に協力せざるを得なかった右派・民族派の英雄、ゴトヴィナ被告の公判が始まった折でもあり(画像提供:www.antegotovina.com)、(右)「またしてもEUの圧力に屈した」とサナデル首相の風見鶏ぶりは広く国民から批判を浴びている(画像提供:ク共和国政府広報局)
EU加盟こそが漁業・環境保護に優先される国益だ」として議会に諮りました。折りしも議会審議の直前には、オランダの旧ユーゴ国際戦犯法廷で、右派にとって「聖戦の英雄」であるゴトヴィナ元将軍(第87回配信参照)らの初公判が始まりました。彼の地元でもあるザダルでは、漁民が保護水域の継続を訴えてデモを起こすバッドタイミングの中、3月12日にクロアチア議会が開かれました。 「一度はゴトヴィナを持ち上げておきながらEUの圧力のために逮捕に協力し、保護水域を宣伝しておきながらまたしてもEUの圧力に屈した」と、サナデル首相ら政権の変節ぶりには強い批判が浴びせられました。「選挙公約である以上は凍結に賛成できない」とするク農民党が欠席し、野党からも棄権票が多く出る中、議会定数153のうち過半数プラス1に相当する77の凍結賛成を何とか集め、マラソン討議を辛うじて通過しました。
    「(サナデルのク民主連合)ではなく今回筋を通したク農民党に次の選挙では投票する」、「国民皆がEUに盲目的に賛成していると政治家が考えているとしたら大きな誤りだ」(いずれも日刊ヴェチェルニ・リスト紙ネット版3月13日に寄せられた読者コメント)。
    05年の戦犯法廷協力(ゴトヴィナ)問題では親欧左派の賛同は得られましたが、今度の水域宣言についてクロアチア国内では、左右に関係なく「クロアチアの『義』が曲げられた」という論調がほとんどです。従来人権擁護論者、反民族主義で鋭い論を張ってきた知識人で、親欧派と目されているクロアチア・ヘルシンキ=ウォッチ所長のチチャク氏も「EUに入りたい国がEUの言うことに従わなければならないのは分かっている。そしてEU加盟はクロアチア第一の国益であろう。しかし政治家はこれに勝る国益が一つだけあることを忘れてはならない。それは国民=有権者の意思だ」(日刊ユータルニ・リスト紙3月12日付)と、盲目的EU加盟論には距離を置いて、政府の今回の対応に苦言を呈しています。
    いずれにしてもEU側は保護水域宣言凍結のニュースに歓迎の意を表明、3月13日にサナデル首相と会談した欧州委員会バローゾ委員長は「09年末までに加盟交渉を終了し2010年に正式加盟」の見通しを発表しています。スロヴェニアはヤンシャ首相が議会決定の直後に「今回のように一方的に国境を変更するようなやり方は、EUには通用しないことをクロアチアが理解してくれたと思う。これで領海線引き問題も解決に前進出来るだろう」と述べました。一件落着のように見えたのですが、18日にスロヴェニアの日刊デーロ紙から「ス国農務省は2ヵ月半の水域適用で10万ユーロの損害を被ったとする漁組の声を受け、クロアチアを相手に国際提訴か」という憶測報道が出ると、クロアチア側は政府関係者も各紙報道もすぐに反応。ス農務省が同記事内容を否定する声明を出していますが、やはり今後もかなりデリケートな問題であり続けることがはっきりしてしまいました。Promocija Plus社などが毎月行っている意識調査の最新結果(2月29日〜3月1日、母集団1300)によれば、コソヴォ問題の影響もあってか、クロアチア国民のEU加盟支持は53・7%で、保護水域問題がよりホットな話題だった前回50%を割った(49%)のに比べ若干持ち直しています。しかし今回の議会決定や、恒常的なスロヴェニアとの対立の中で、再びEU懐疑論が強まることは避けられないと筆者は見ています。

    EU(とNATO)の旧ユーゴに関する最近の動きについて、EU政策の専門家で、第79回配信でもスロヴェニアのEU加盟に際してインタビューさせて頂いたセルビアのシンクタンク、ベオグラード欧州統合センター(BeCEI)のテオカレヴィッチ所長に聞いてみました。

teokarevic.jpg
「地域が不安定な以上、旧ユーゴ諸国はEU、NATO加盟へ前進し続けるしかない」と語るテオカレヴィッチBeCEI所長
大塚:   昨年末に調印されたリスボン条約が各加盟国で批准される今年末までは、EU拡大は動かないだろうという見方もありました。しかし今年に入ってすぐ、旧ユーゴ圏への拡大政策は活発化しています。背景には何があるのでしょうか?
テオカレヴィッチ:   05年にEU憲法を巡る議論と混乱が始まり、東方拡大への見通しはストップしてしまっていました。むしろリスボンサミットを経て、再びEU側の新規加盟国受け入れ準備は整えられたと見るべきです。EU内移民問題で国内議論が沸騰したフランスでもサルコジ政権成立以後、東方拡大へのアレルギーは聞かれなくなっています。無論04年のように一気に拡大することは考えられず、既に路線がかなり定まったクロアチア以外の諸国は各々の速度で加盟に近づいていくことになりますが、少なくとも西バルカン(スロヴェニアを除く旧ユーゴ圏+アルバニア)へのEU拡大という方向性は再確認されたのです。
    またコソヴォ独立容認に関しては、これ以上遅らせても状況が良くなるきざしがなかったからには仕方ないという考え方がある一方で、何らかの過誤だったという思いもEU内部にはあるでしょう。これも西バルカンに対するEU側の働きかけが強化されている背景です。3月5日のEU声明では、西バルカン諸国への加盟受け入れ政策強化が打ち出されています。これには予算拠出増大などの大枠の話はもちろんのこと、この地域からのEU留学生受け入れ増加、査証免除など、2年前には考えられなかった具体案も含まれています。
大塚:   しかしクロアチアは保護水域をあきらめざるを得ず、マケドニアは(今回はEUではなくNATO相手ですが)国名をあきらめなければならないかも知れません。
テオカレヴィッチ:   両国にとってそれぞれ大変な問題ですし、国内のEU懐疑論が強まるのは仕方ありませんが、セルビアがコソヴォを放棄しなければならないのに比べれば妥協可能ではないでしょうか(苦笑)。両国とも加盟候補国として、改革とそれに伴う経済水準の向上、社会体制の改善を着々と進めています。バルカンはコソヴォ独立で一年前に比べ不安定要因が増したことは間違いありません。結局西バルカン諸国はEU、NATO加盟に安定と解決の道を見出すしかないでしょう。

セルビア

    独立後のコソヴォでは、コソヴォのセルビア人最大の都市ミトロヴィッツァ北部で事件が発生しました。3月15日に地元司法関係者らが国連の運営する裁判所を占拠、これを強制排除しようとして市民と国連警察、多国籍軍KFORの間で17日に衝突が起こり、市民80人、国連警察官死亡1を含む国際勢力側33人の負傷者を出しました。
ytadic.jpgytoma.jpg
(左)タディッチ大統領の公示で選挙戦が間もなくスタート。彼の率いる民主党など親欧派と民族右派の一騎打ちが予測される(右)ニコリッチ党首代行率いる右派の雄セ急進党は3回連続で最多議席獲得確実とみられる(画像提供両葉とも:吉田正則氏[FoNet])
セルビア議会現有勢力
定数250、緑地が現連立政権。次回選に民主党とG17は連合で参加
自由民主党15(親欧派)
民主党64(親欧派)
G1719(親欧派)
DSS他47(民族派)
セ急進党81(民族派)
セ社会党16(守旧派)
諸派

    セルビアでは、2月21日の米大使館放火事件の後は幸い大きな混乱は起こらずにいます。しかし前々回前回配信で報告しているように、国論だけでなくセルビア政府内部までが「(コソヴォはあきらめないが)EU加盟政策は断固続行」とする親欧左派と、「コソヴォを放棄するくらいならEU加盟政策は凍結せよ」と主張する保守右派に分裂してしまいました。
    セルビア政府のホームページには首相だけでなく各閣僚の公的発言が次々に掲載されますが、例えば3月1日には、保守派コシュトゥニッツァ首相が「セルビアはコソヴォを放棄した形でEUに接近することはあり得ない」と語っている同じページで、親欧派ジェリッチ副首相が「EUはセルビアを待っている。EUとの安定化連合協定の早期締結を」と述べています。親欧派ディンキッチ商務相が「セルビアの対外債務のうちコソヴォ分12・4億ドル(約1230億円)の肩代わりを続けるのは無意味だ」と主張すれば、保守派閣僚は「それではコソヴォの独立を認めたことになる」と断固反対。もはや支離滅裂の末期症状を呈していると言わざるを得ない状況でした。

    議会で最大勢力を誇る極右・右派のセ急進党が3月5日、「EUがコソヴォはセルビア領であると明言しない限り加盟政策は進めない」趣旨の議会宣言を提案、コシュトゥニッツァ首相率いるセルビア民主党(以下DSS)など保守派が同調の動きを見せると、親欧派のドゥリッチ議会議長は審議を中断しました。
stetocina.gifvoja.jpg(0084)
(左)ついに「害虫」呼ばわり−批判特集を組む雑誌も登場(画像提供:STATUS誌編集部)する中、(右)辞任し総選挙へ動かざるを得なくなったコシュトゥニッツァ首相だが勢力減は必至
2月初めの大統領選以来、辛うじて機能を保ってきた政府・議会はこうして完全に麻痺状態に陥りました。
    3月8日、土曜日でしたがコシュトゥニッツァ首相は緊急記者会見を開き、「もはや政府は機能できなくなった」と辞意を表明。これを受けてタディッチ大統領が5月11日の総選挙を公示しました。

    この2ヶ月の政治混乱の中、もっとも強く批判されたのはコシュトゥニッツァ首相です。もともと「政敵の妨害以外は何もしない」同首相と彼のDSSは、大きなスキャンダルがないゆえに、集中的に激しい批判は受けないという地味で消極的な評価しかありませんでした。昨年1月の総選挙後に二期目の政権を発足させましたが、閣内では親欧勢力の動きをことごとくブロックし、議会では野党の右派・守旧派と投票行動をともにするというのでは、さすがの地味な首相にも弾幕砲火が浴びせられるのは当然でしょう。前々回の第88回配信で親欧派学生が反コシュトゥニッツァを唱えてデモを組織したこと(2月11日)を報告していますが、この時も学生たちは「コシュトゥニッツァ=ミロシェヴィッチ二世、退陣を要求!」というビラを掲げています。親欧左派寄りの月刊スタトゥス誌は2月発売号の表紙を「ヴォーヤ(コシュトゥニッツァの愛称)=害虫」と大々的に銘打ち、ついに26ページにわたるコシュトゥニッツァ批判・揶揄の大特集を組みました。

    既に選挙予想は各紙誌で始まっています。
ceda4a.jpg
一部からは選挙で台風の目になることも期待されている親欧派野党・自由民主党のヨヴァノヴィッチ党首
親EUか、反EUか。言葉の真の意味で国論を二分する選挙の中で、民族右派の雄セ急進党の「3連勝」(過去2回とも最大得票しながら過半数には至らず閣外にとどまる=前々回選挙については第76回配信参照)が確実視される一方、タディッチ大統領の民主党も閣内の親欧派G17と共闘体制を作り上げ、これに対抗する勢力を着実に固めるだろうと予測されています。二大政党制に近い結果になることが期待される中、半端な右派のコシュトゥニッツァ=DSSだけは票を減らすことは間違いないと見られます。いずれにしても今回も過半数を単独で取れる勢力はなさそうですが、現首相らとの選挙後の連立の可能性を報道陣に問われたニコリッチ・セ急進党党首代行は「連立は十分あり得るが、首相は最大議席を獲得した政党から出すのが筋だ。わが党がDSSの議席数を下回ることはないので、彼らと連立してもコシュトゥニッツァを再び首相にすることはあり得ない」と明言。またしてもコシュトゥニッツァは恥をかかされた格好になりました。

    3月12日は故ジンジッチ首相の暗殺から5年に当たる日で、民主党、非政府組織などが各自の五周忌行事を営みましたが、野党の自由民主党も数百のシンパを従えてセルビア政府脇の暗殺現場に献花しました。この自由民主党は、かつてジンジッチの右腕だったヨヴァノヴィッチ元共和国副首相を初代党首に、ミチッチ元議会議長など左派が中心となって民主党から分裂し旗揚げしましたが、初参加となった昨年の総選挙で故ミロシェヴィッチのセ社会党に迫る15議席を獲得しています。ヨヴァノヴィッチ党首は「EUを目標に戦ったジンジッチ路線を継承し、5月11日を我々の勝利の日としたい」と決意を表明。同党首とタディッチ大統領の個人的な確執もあるため、民主党との選挙共闘は断念せざるを得ませんでしたが、都市部での支持を伸ばしており、今回はDSSを抜いて20議席以上の第三勢力に成長する可能性、さらには選挙後民主党との親欧ブロック連立形成も(現時点では筆者にはやや親欧派びいきに思えるものの、期待論込みで)一部ウォッチャーから予測されています。

    この2ヶ月の政治空転の中で対EU政策は全くストップしてしまっていますが、3月10日のEU外相会談後、ルペルEU議長国(スロヴェニア)外相は「昨年11月に仮調印された安定化連合協定はまだセルビアの正式調印を待っている」とし、セルビアの加盟政策支援を断念したわけではないと強調しました。安定化連合協定そのものはモンテネグロが昨年正式調印済み、ボスニアにも提示され、並行してこれらの国の加盟政策も進行しているので、大統領選で親欧派が勝ったのにコソヴォで「痛い思い」をしたセルビアだけが特別甘い扱いを受けているとは言えません。それにしても、いやだからこそ、EUの方から接近してきたチャンスに誰も調印のため派遣出来ない今の状況は、セルビア国内の親欧派にとっては何とも歯がゆい状態です。しかし少なくとも5月の選挙が終わるまでは、セルビアの将来の方向は全く分からなくなってしまいました。

(2008年3月下旬)


本稿執筆に当たっては、多くの紙誌、インターネット資料、テレビ番組を参考としましたが、煩雑さを避けるため日付等詳細出典の記載は一部にとどめました。以下に参照した紙誌、サイト等を列挙します。[スロヴェニア]日刊デーロ、24ur.com、スロヴェニア共和国政府 [クロアチア]日刊ヴェチェルニ・リスト、日刊ユータルニ・リスト、日刊ヴィエスニク、www.javno.com、www.antegotovina.com、Promocija Plus [マケドニア]日刊ノヴァ・マケドニア、日刊ヴェスト、日刊ウトリンスキ・ヴェスニク、マケドニア通信(MIA) [セルビア]日刊ダナス、週刊ヴレーメ、月刊スタトゥス、TV−B92、セルビア共和国政府、主要政党HP [コソヴォ]コソヴァプレス、kosovothanksyou.com、NewKosovaReport [旧ユーゴ圏以外・国際]欧州連合、北大西洋条約機構、日本国外務省、ジェトロ・ブリュッセル・センター、日本国際問題研究所、Southeast European Times、南東欧研究センター、SEEUROPE、BIRN、ヤッフー!フランス/ジャパンからアクセス可能な仏語/日本語記事、ウィキペディア・フリー百科事典各語各項目
執筆に協力を頂いたJ・テオカレヴィッチ氏、画像を提供して頂いたinfobiro.tv、www.antegotovina.com、クロアチア共和国政府広報局、STATUS誌編集部、吉田正則氏に謝意を表します。なお吉田正則氏[FoNet]と注記した画像は、FoNet通信社に勤務していた当時同氏が業務上撮影したもので、本ページへの借用に当たっては氏を著作権所有者とすることで合意しています。また画像の一部は、2008年1月に日本のテレビ報道取材に通訳として同行した際筆者が撮影したものです。本文内容にも過去の取材の通訳として業務上知り得た内容が含まれています。これらの本ページへの掲載に当たっては、通訳上のクライアントから承諾を得ています。画像・本文とも無断転載はかたくお断りいたします。
Zahvaljujem se na saradnji/suradnji: infobiro.tv, www.antegotovina.com, Ured za odnose s javnoscu Vlade RH, redakcija magazina STATUS, g.Masanori Yoshida [FoNet]; dr.Jovan Teokarevic (BeCEI). Zabranjena je svaka upotreba/uporaba teksta i slika bez odobrenja.


プロフィール> <最新レター> <バックナンバー> <旧ユーゴ大地図
落書き帳(掲示板)> <関連リンク集> <平和問題ゼミナール> <管理者のページ


 2008年3月よりセルビアの国ドメインが.yuから.rsに移行しましたので、筆者メールアドレスが変わります(本稿執筆現在は併存状態です)。
当サイトは、リンクフリーです(事後でもいいので連絡ください! →筆者メール[新アドレス] )。
必ずカバーページ(http://www.pluto.dti.ne.jp/katu-jun/yugo/)にリンクをはってください。

CopyRight(C)2008,Masahiko Otsuka. All rights reserved.
Supported by Katsuyoshi Kawano & Kimura Peace Seminar
更新記録大塚真彦プロフィール最新のレターレターバックナンバー旧ユーゴ大地図落書き帳関連リンク集平和問題ゼミナール管理者のページへ