「平和問題ゼミナール」
旧ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2005/12/30

第87回配信
裁かるるトゥジュマン


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故トゥジュマン・クロアチア前大統領(左)と先ごろ戦犯容疑で逮捕されたアンテ・ゴトヴィナ被告(画像提供:www.antegotovina.com)
    12月7日、旧ユーゴ国際戦犯法廷(在オランダ・ハーグ)から国際指名手配を受けていたクロアチア軍アンテ・ゴトヴィナ退役大将が逮捕されました。01年の訴追発表から行方をくらますこと4年半。潜伏先のスペイン領テネリフェ島(カナリア諸島)のリゾートホテルで、友人との会食中の夜9時ごろ、スペイン警察が介入。武装していたかどうかは明らかではありませんが、抵抗することなく数十秒で逮捕劇は終わりました。  
    ゴトヴィナ容疑者は10日、マドリードから緊急手続きによりハーグのスヘフェニンゲン拘置所に移送され、12日に国際戦犯法廷に罪状認否のため初出廷しました。95年の軍事進攻(「嵐」作戦)での戦争犯罪に関する起訴状の訴因7点(住民迫害、殺人、略奪、不必要な破壊、強制追放など)いずれをも否定しました。起訴状全文は国際戦犯法廷の公式サイトで英文で読むことが出来ますが、筆者もレジュメを別ページに作りましたのでご興味のある方はこちらをクリックしてみて下さい(新しいウインドウが開きます。ただしこのレジュメは「旧ユーゴ便り」の読者の皆さんにこの本文の内容の補足として加えるもので、構成、用語使用法等は原文とは必ずしも一致しない場合があります)。いずれにしても大物戦犯容疑者だけに長い準備期間が必要と見込まれており、公判開始は早くて来年後半、場合によっては07年になるのではないかと予想されています。  
    ゴトヴィナ逮捕の第一報は、実はクロアチアの隣国セルビア=モンテネグロから出てきました。8日ベオグラードを訪れていた国際戦犯法廷デルポンテ検事総長は、コシュトゥニッツァ・セルビア共和国首相ら政界要人との会談に先立つ同日昼頃「前夜にゴトヴィナがスペインで逮捕された」旨を報道陣にリーク。たちまち世界にニュースが広がり、13時半頃クロアチア国会でサナデル首相がこれを認め議会報告する形となりました。  
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ゴトヴィナ被告の良き隣人となった(!?)ミロシェヴィッチ被告(旧ユーゴ国際戦犯法廷共通映像)
    今回配信では、クロアチア最後の大物戦犯容疑者逮捕を巡るクロアチアの対外関係、内政事情と右派の反応、隣国セルビア=モンテネグロでの受け止め方などを詳しく見ていきますが、その前に少し裁判周辺の話題を集めておきましょう。  

    ミロシェヴィッチ(元ユーゴ連邦大統領)裁判など、国際戦犯法廷の主な裁判の状況は旧ユーゴ各国で主要テレビが中継ないし録画を放送しており、判・検事などの話す英語に関しては、法廷の公式同時通訳の声がテレビを通じて流れるのが通常です。このHPの読者の多くの皆さんがご存知の通り、セルビア=モンテネグロ、ボスニア、クロアチアで話されている言語は方言差は明らかにあるものの、ナニ語と名づけるべきか、また同じ言語とみなすべきか違う3つの言語とみなすべきかについては、政治的理由などによって異なった解釈がなされる微妙な問題だと言えます。戦犯法廷内部ではBHS(ボスニア・クロアチア・セルビア語)と呼ばれ同じ言語とみなされており、一般に2〜30分程度で交替する同時通訳も方言差は色とりどりです。12日の罪状認否はクロアチア国営テレビ(HRT)の他、クロアチア国内の民放RTLとノヴァTVの3局が中継を行いましたが、ゴトヴィナ被告出廷時にはセルビア方言の同時通訳が担当しました。ノヴァはそのままこれを流しましたが、国営HRTとRTLはザグレブのスタジオで独自の同時通訳を準備し、放送では「クロアチア語」の通訳の声が流れました。  
    この配信原稿でも画像提供元及び情報源として活用させて頂いているゴトヴィナ支援サイト(?)
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ヴェチェルニ・リスト(上左)、ユータルニ・リスト(上右)のクロアチア両紙だけでなく、ゴトヴィナ逮捕の報は9日ボスニアのドゥネヴニ・アヴァズ(下左)、セルビアのポリティカ(下右)など旧ユーゴ各紙の1面トップを賑わせた
www.antegotovina.comのトップページには、「ゴトヴィナ大将はS・ミロシェヴィッチの大セルビア建設計画を完全に挫折させた」とあります。ところが15日、16日付日刊ヴェチェルニ・リスト紙などによれば、スヘフェニンゲン拘置所4階のゴトヴィナ被告の房はミロシェヴィッチ被告の隣だそうです。同じ階の「同僚」ナレティリッチ被告(ボスニア・モスタルのクロアチア人勢力組織による民族浄化作戦)から「新入生」の仇名を付けられたゴトヴィナ被告を、ミロシェヴィッチ被告は「優しい話し相手」として受け入れ、ボシュコフスキ被告(マケドニア警察のアルバニア人勢力掃討作戦)はマケドニア料理で歓迎したとのこと。    

    ゴトヴィナ問題については、このHPでも前回配信などクロアチアを取り上げた際にしばしば言及してきました。クロアチア最大の国家目標は欧州連合(EU)加盟ですが、正式加盟申請(03年)後も「国際戦犯法廷への協力が不十分」との理由で加盟交渉開始が無期限凍結されていました。協力不十分とは、具体的には最後まで残った大物戦犯容疑者ゴトヴィナ退役大将の未逮捕を意味していることは明らかでした。しかし今夏以降外交の風向きがやや変わり、メシッチ大統領、サナデル首相は「ゴトヴィナ容疑者はクロアチア国内にはいない(のだからクロアチアは出来るだけの協力をしている)」との発言を繰り返しました。前回配信でも触れたように、10月3日のEU外相緊急会議直前の段階で戦犯法廷デルポンテ検事総長も「クロアチアは十分に協力している」と態度を変更、これが同外相会議でゴトヴィナ未逮捕のまま(大方の予想を覆して)加盟交渉開始を認められる原動力になりました。デルポンテ検事総長はクロアチア加盟を推してトルコの加盟交渉開始に反対する次期議長国オーストリアなどの外交圧力に屈したのではないか、との噂も立ちました。  
    最後にクロアチアに滞在していたのはいつなのか、国内外の警察・諜報機関などはどの時点からどの程度ゴトヴィナ容疑者の動きを把握していたのか。各紙の報道には多分に憶測含みのところが感じられ今一つ真相は明らかではありません。しかし早くからカナリア諸島に滞在を繰り返しており、逮捕されたホテルには3日前にクリスティヤン・ホルヴァットという偽名のクロアチア旅券でチェックインしていたこと、
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国際戦犯法廷デルポンテ検事総長(左)は10月上旬のEU外相会談直前にクロアチアの協力を十分と発表、サナデル首相(右)ら代表団のEU加盟交渉が開始された(画像提供:ク共和国政府広報局)
11月25日にこの偽造旅券でモーリシャスを出国するまでロシア、チリ、仏領タヒチなどを転々としていたことは確かなようです。スペイン各紙は自国警察の「手柄」を強調している模様ですが、被告の妻ドゥーニャ夫人の携帯電話盗聴などでクロアチア警察が国際司法協力の主導権を握ったという説もあれば、ゴトヴィナ潜伏の資金源とも言われるH・ペトラッチ被告(8月30日偽造旅券所持の疑いで逮捕)の逮捕先ギリシア当局が今秋以降リードしていたという説、さらには米CIA説など、クロアチア各紙誌はスパイ小説ファン諸姉諸兄が喜びそうな話題を提供しています。  

    逮捕の事実を議会報告したサナデル首相は「これは『ゴトヴィナが国内にいない』と繰り返してきたクロアチア諸機関の国際的信用度を高めることになる」と強調しました。EUの首都ベルギー・ブリュッセルでは、EU議長国(英)代表部広報が「クロアチアのEU加盟へ大きな障害はなくなった」、北大西洋条約機構(NATO)デホープスフェッヘル長官は「世界にとってもクロアチアにとっても喜ばしいニュースだ」と歓迎の態度を表明。8日午後のザグレブ他各証券市場も好意的に反応、外国投資が期待される企業株は軒並み4〜13%の値上げを記録しました。  
    かつてのトゥジュマン民族主義から、EUへの接近を図る中道右派に転身を遂げたサナデル・クロアチア民主連合政権としては、10月のEU加盟交渉開始に続く追い風が吹いたことになります。日刊ユータルニ・リスト9日付でブトゥコヴィッチ論説委員は、クロアチアにとって最善のニュースだとし、(1)ゴトヴィナ逮捕により対戦犯法廷協力問題などEU加盟交渉への政治的障害がなくなった    (2)大物戦犯容疑者(カラジッチ、ムラディッチ)が依然未逮捕のセルビア=モンテネグロと同じレベルではないと見られるようになる    (3)与党連合内部での内紛要因にはなるかも知れないが、内政全体での大きな対立要因は消えた、という3点を積極的に評価しています。またデルポンテ検事総長が「クロアチアの戦犯法廷協力は十分」と10月上旬に評価を覆した時点で、戦犯法廷側は少なくともゴトヴィナが国内にいないことを察知していた可能性があるので、EU外相会議での外交圧力に屈したわけではない。従って同法廷検事局のみならず法廷全体の名誉が守られた、との見方も出ています。

残る大物はセルビア人の二容疑者

     ゴトヴィナ
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逮捕の報がクロアチアの旧敵国首都ベオグラードから発せられたことに関して、ジャピッチ(本文後出)ら右派からは「屈辱的だ」との声が上がりました。しかしデルポンテ検事総長はむしろ大物戦犯容疑者逮捕への協力をさらに促す意味で、セルビアを刺激する効果を狙っていたのではないかと思われます。セルビア共和国当局が今春将軍・警視監級大物容疑者の自発的出頭を促したことで(第84回配信参照)、10月中旬には共同国家セルビア=モンテネグロがEUとの安定化連合協定加盟交渉を開始させるなど、EU接近政策は一定の成功を収めました。しかし検事総長が12月8日のベオグラード訪問直後に国連で行った戦犯法廷の定時報告は、クロアチアに比べセルビア=モンテネグロの協力は十分とは言い難いとの内容でした。ボスニア紛争・セルビア人勢力の指導者カラジッチ(写真左)と軍参謀総長ムラディッチ両容疑者は依然潜伏を続けています。この国連報告を受けて23日米下院は、従来国際金融諸機関を通して行ってきた対セルビア=モンテネグロ向け援助への拠出を、来年5月30日まで凍結すると発表、両容疑者の逮捕引渡しを要求しています。一方22日に開かれた共同国家大臣評議会(閣議)は、国防省の専門人事強化など、セルビア=モンテネグロの全機関でハーグ協力へさらなる努力を続けることを確認しました。同じ22日にはセルビア共和国検察局のヴクチェヴィッチ戦争犯罪担当検事が「共和国検察局はカラジッチ、ムラディッチの逃亡潜伏を支援している数名の名前を既に把握している」と記者会見で述べ、ヨチッチ共和国内相(写真右)もこれを認めました。「両容疑者逮捕までに許された時間は無制限ではないことは承知している。内務省は軍、諜報機関との連係で捜査に全力を上げる」と同内相は述べています。今春の大物連続出頭、さらに旧ユーゴ全体に見られる傾向としての政治疲れもあって、セルビアの反戦犯法廷世論は下火です。この機にベオグラード当局がゴトヴィナ逮捕を深刻に受け止め何らかの動きを見せるか、ウォッチャーの注目が集まりつつあります。
 

    しかし筆者も第84回配信で指摘しているように、スマートになった与党とは別に「独立戦争は正義の防衛戦争であり(戦争犯罪があったなどとは考えられない)、ゴトヴィナは聖戦の英雄である」とする右派思潮がクロアチア一般市民の間で完全に退潮したわけではありません。  
    逮捕ニュースが流れた当日の12月8日20時頃から、首都ザグレブ最中心部バーン・イェラチッチ広場に数百人が集結。禁止されている極右(ネオ・ウスタシャ)の紋章を掲げながらゴトヴィナ支持と政府、首相への不満などを唱え、やはり法律で集会が禁止されている政府そばの聖マルコ広場になだれ込みました。投石で政府庁舎の窓ガラスが割られる中、機動隊との小競り合いで逮捕者数名を出す騒動となりました。  
    筆者はこのデモに前後する時間、隣国のベオグラードにいて国営クロアチアテレビの特別番組を見ていました。
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ゴトヴィナ被告の地元ザダル市。旧セルビア人実効支配地域に近く海岸では最も大きな戦争被害を受けた。ヘルツェゴヴィナを後背地に控え、右派が強いことでも知られる
討論に参加したシェクス国会議長(ク民主連合幹部会員でサナデル首相の右腕)は、番組当初から「ゴトヴィナ被告の無罪を信じる」と推定無罪原則(有罪判決が出るまでは無罪という原則)を強調し、視聴者を刺激しない配慮が感じられました。デモでの混乱の報がスタジオに伝えられると、同議長は「デモでは物事を何も変えられない」と呼びかけ、シェクス議長を番組内で攻撃していたク権利党ジャピッチ党首(議会内の政党では唯一親ゴトヴィナの態度を貫く右派)も、デモは控えるべきだとの点では議長に同調しました。  
    しかしゴトヴィナ被告の地元ザダル市など、右派の強い中部海岸地方では抗議集会が各地で行われました。ザダル市では8日に高校生が集会を組織、翌9日には規模が拡大し主要道交通妨害、公共ゴミ箱の放火、公共施設への投石などにエスカレートしました。11日、海岸地方の中心都市スプリットで開かれたゴトヴィナ支持集会はこれら各地デモの締めくくりとなりました。これは祖国戦争退役軍人協会の主催による合法的な集会でしたが、日曜ということもあり参加者は5〜7万を数えました。しかし国会議員が演壇に上ることはなく、唯一姿を見せたク権利党の上記ジャピッチ党首も報道陣にコメントをするまで。法律で禁止された極右のシュプレヒコールは上がったものの、全体としては大きな混乱には至りませんでした。  
    「ゴトヴィナ支持集会はクロアチア全体から見れば少数のものにとどまった」(メシッチ大統領)。大統領は中道左派、サナデル首相以下政府は中道右派ですが、ともにデモに対する反応は冷淡なもので、むしろ右派シンパの存在を意図的に矮小化していると思えるほどでした。実際、翌週に入ってゴトヴィナ被告の罪状認否が中継される頃には海岸地方でも事態は沈静化。現政権が極右勢力の声を押さえ込み、いかにクロアチアがEU志向の国に生まれ変わったかを逆にアピールする結果となりました。  

    左囲みにゴトヴィナ被告のキャリアを整理してみました。この履歴から言えるのは、同被告が90年代クロアチアをリードしたトゥジュマン初代大統領の排他的民族政策を文字通り実行し、体現した人物だということです。
ある略歴


アンテ・ゴトヴィナ被告(55年生まれ、画像提供:www.antegotovina.com)
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の前半生について詳しいことはあまり知られていません。出身地からしてザダル市に近いパシュマン島という説(国際戦犯法廷起訴状など)と、ザダル東方のビオグラード市パコシュタネ町という説(一部を除く国内各紙)があるほどです。4才の時に第二次大戦時の残存地雷のため母を失い、16才で学校を脱走し船員に。18才でテストに合格し仏外人部隊の兵士となります。74年ジブチ戦線を皮切りにチャド、ザイールなどアフリカ、アジア諸国で活動。82年には軍事教官となりグアテマラ、パラグアイなど南米で活躍、フランス国籍を取得。91年7月にクロアチア独立戦争勃発時のザグレブに移りますが、これも南米クロアチア系移民サークルから祖国の急の報を聞き戻ったという説と、86年に仏当局から窃盗で5年の実刑判決を受け、刑期が満了してちょうど戦争に間に合ったという二説があります。
91年 クロアチア軍の前身国民防衛隊義勇兵となり、西スラヴォニア戦線に参加
92年2月 クロアチア軍特殊部隊副司令官
92年4月 ボスニア紛争勃発に伴い同国クロアチア人支配勢力軍(HVO)に転籍、リヴノ方面司令官
93年〜 クロアチア軍スプリット方面軍総司令官(当初は大佐)。同年1月マスレニッツァ解放作戦(クロアチア)、のちに大将としてヘルツェゴヴィナのリヴノ、トミスラフグラード、グラモチなどボスニア紛争各地での軍功を上げる
95年8月以降 クロアチア国内のセルビア人実効支配地域(クライナ地方)軍事掃討(「嵐」作戦)で、クロアチア軍南部方面総司令官として指揮。セルビア人勢力軍を大きく後退させる。後にボスニア内に転戦、弱体化していたセルビア人勢力軍をここでも潰走させる
96年 クロアチア軍総査察官。シュシャク国防相秘書ドゥーニャ・ズロイッチ女史と結婚
98年 トゥジュマン大統領政権、国際戦犯法廷との協力を拒否
00年 メシッチ新大統領に「独立戦争の兵士の名誉を守れ」との書簡を送る将官12名に連座。クロアチア政変を不満とする反戦犯法廷ロビー形成、軍事クーデターの試みとされる。メシッチ大統領令により退役
01年 国際戦犯法廷、ゴトヴィナを起訴。ゴトヴィナ失踪
02年 「ゴトヴィナは戦犯ではなく英雄」のビルボード、クロアチア各地に出現
05年3月 クロアチア、EU加盟交渉開始無期限凍結
8月 ゴトヴィナ逃走の資金源と目されるペトラッチ容疑者逮捕
10月 クロアチア、ゴトヴィナ未逮捕のままEU加盟交渉開始
12月 ゴトヴィナ、スペインで逮捕さる

    第二次大戦時に袂を分かった左派(共産主義者、パルティザン)と右派(親ナチ右翼、ウスタシャ)を「和解」させ、民族の悲願である独立を、歴史的宿敵セルビア人のいない国家として実現するというトゥジュマン独自の民族史解釈は、90年の複数政党制による選挙勝利後、ク民主連合政権公式の政策となります。独立戦争が91年夏に勃発すると、強大な武力であったユーゴ連邦軍を後ろ盾にクロアチア内のセルビア人は抵抗し、半年を越える激しい武力紛争が続きました。92年1月の国際的独立承認により、クロアチアは領土3分の1をセルビア人に実効支配地域(クライナ地方)として奪われたまま「痛み分け」、紛争は沈静化しました。93年以降は、隣国ボスニアでクロアチア人が多数を占める地域の西ヘルツェゴヴィナ戦線が活発化、ゴトヴィナ総司令官率いるスプリット方面軍は民族同胞の援軍として国境を越えて進出します。被告が肩書きはクロアチア軍司令官であるにも関わらず隣国で軍功を上げていたのは興味深いことです。ボスニア紛争当時、国際社会の批判を交わすためクロアチア本国の軍がボスニア紛争に参加していること、ボスニアのクロアチア人勢力軍HVOにはクロアチア軍との二重在籍者が多くいることなどは、公式には全く口にされない公然の秘密でした。西ヘルツェゴヴィナも事実上併合するというのが当時のトゥジュマンの方針であったことは間違いありません。
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00年の政変でメシッチ大統領が政権に就き、クロアチアはEUを目指す国家へ。トゥジュマン信奉者は主役の座を明渡さざるを得なくなった
ゴトヴィナの軍はそれに従って動いていたことになります。  
    95年夏、トゥジュマン政権はクライナ地方に対し、一大軍事掃討作戦「嵐」を仕掛けます。ゴトヴィナ被告は南部総司令官としてクライナの中心都市クニン総攻撃を担当しました。この作戦の結果セルビア人住民約15万(国連ソース。セルビア側によればこの数字は20〜25万、クロアチア側によればは9万)が難民化、少なくとも150人が死亡。多くの住宅が略奪、破壊を受けています。「嵐」は「セルビア人のいない独立国家」というトゥジュマン民族派の政策目標を完全に実現させた出来事だったと言えます。トゥジュマンとともにゴトヴィナはクロアチア右派の英雄になったのです。晩年のトゥジュマンが国際戦犯法廷への協力を公然と拒否していたのは当然でした。自分の主張を実現し、「聖戦」に勝利した戦士たちになぜ手錠を掛けて、外国へ引っ張り出さなければならないでしょう(ですから自発的出頭を拒否して逃亡を続けたゴトヴィナは、それで「男を下げた」のではなく、むしろずっとトゥジュマンに忠実だった、という解釈も成り立つでしょう)。  
    しかし99年暮れトゥジュマンの死去に伴う政変が起こり、クロアチアはメシッチ大統領、ラーチャン首相以下、EU加盟へ向かう平和な民主主義国家への道を歩み出しました。破綻寸前の経済を立て直し、EUに接近するため戦犯法廷との協力は不可欠になりました。セルビアとの善隣関係を築き、難民帰還を進めなければならなくなりました。トゥジュマン型民族主義政策は精算され、セルビア人排除による独立完遂という民族史神話は書き替えられなければならなくなったのです。トゥジュマンの創設したク民主連合は、サナデル現首相とともに一昨年政権に返り咲きましたが、もはやトゥジュマン路線ではなく、政変以降の親欧路線の継承者でした。とは言うものの、失踪していたゴトヴィナがク民主連合政権の時代に逮捕され法の裁きを受けること、党首サナデルがこれでEU接近への点数を稼いだことには、やはり若干の皮肉を感じざるを得ません。  
    別ページのレジュメをお読み頂ければ分かるように、起訴状はゴトヴィナの個人としての犯罪とともに、「嵐」作戦時の「集団犯罪計画」(a joint criminal enterprise)を規定しています。ゴトヴィナ南部方面総司令官、チェルマク・クニン方面連隊司令官、マルカチ警視総監らは、故トゥジュマン大統領(肩書きはいずれも当時。マルカチ、チェルマクも訴追済で、両被告の統一起訴状にも同様にトゥジュマン、ゴトヴィナを含む「集団犯罪計画」が記述されている)とともにセルビア人住民の組織的追放を企図していた、というのがポイントです。  
    「嵐」作戦のゴトヴィナの個人の罪とともに今裁かれようとしているのは、トゥジュマンと「嵐」作戦執行部が進めていた好戦的民族排他政策だと言うことが出来ます。
    91年、セルビア人+ユーゴ軍は強大な暴力をクロアチア全土にふるいました。少なくとも91年の段階ではクロアチア人の多くにとって「自分たちは被害者であり、あれは市民の防衛のための戦争だった」こと、すなわち「正義」の天秤がクロアチアの側に大きく傾いていたことに筆者も基本的な疑義を挟もうとは思いません。しかし戦争の一サイドがみな天使か聖人君子などということはあり得ないわけです。今、時代は進み、善隣関係醸成、難民の帰還も(遅々としたものではあるけれども)少しずつ進んでいます。トゥジュマン政権末期(第27回配信第30回配信参照)に比べれば、前回・今回配信に報告したクロアチアは確かに違う国になりました。しかしこの国がEU加盟に向かい、さらに品位ある国を目指すならば、この裁判プロセスを経て、民族神話の行き過ぎと、「正義の戦争」にもあり得た戦争犯罪をもう一度見直し、向かい合うことが必要だと筆者は思います。

(2005年12月下旬)


画像を提供して頂いたクロアチア共和国政府広報局、www.antegotovina.comに謝意を表します。旧ユーゴ国際戦犯法廷共通映像と表示した画像は、法廷内での独自取材を認めない同法廷が報道機関に対し共通の画像・映像として提供しているもので、版権は同法廷のみに存します。画像の一部は、2002年2月、12月に日本のテレビ報道取材に通訳として同行した際筆者が撮影したものです。これらの本ページへの掲載に当たっては、通訳上のクライアントから承諾を得ています。画像・本文とも無断転載はかたくお断りいたします。
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本稿執筆に当たっては、12月8日以降に発表された多くの紙誌、インターネット資料、テレビ番組を参考としましたが、煩雑さを避けるため日付等詳細出典の記載は一部にとどめました。以下に参照した紙誌、サイト等を列挙します。[クロアチア] 日刊ヴェチェルニ・リスト、日刊ヴィエスニク、日刊ユータルニ・リスト、週刊ナツィオナル、T−PORTAL、国営クロアチアテレビ(HRT)、www.antegotovina.com、クロアチア民主連合(HDZ)、クロアチア共和国政府 [セルビア=モンテネグロ] 日刊ダナス、日刊ポリティカ、週刊ヴレーメ、TV−BK、セルビア=モンテネグロ国大臣評議会広報課 [ボスニア] 日刊ドゥネヴニ・アヴァズ [国際機関] 旧ユーゴ国際戦犯法廷(ICTY)


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