「平和問題ゼミナール」
旧ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2008/02/17

第88回配信
未来か、掠奪者か     2008年2月中旬


tadicterazije.jpg
2月3日夜、首都中心部テラジエ地区に終結した数千のシンパを前に逆転の勝利宣言を行うタディッチ大統領(撮影:吉田正則氏 画像提供:日刊アロー!紙写真部)
    セルビア大統領選第二回投票(2月3日)を直前に迎えたベオグラード。この選挙を取材している先進国ジャーナリストは「セルビア内政だけでなく、欧州広域のパワーバランスが変化し得る重要な選挙」だと位置づけます。
    「極右候補が勝ったらセルビアには欧州連合(EU)接近への道が閉ざされ、ロシアブロックに組み入れられることになるだろう。東欧への米ミサイル防衛(MD)システム配備計画で米露が対立を深めている昨今、アメリカがポーランドやチェコを迎撃ミサイルで固めたら、欧州最大級の米軍基地(コソヴォ州東部ボンドスティール基地)のすぐ近く、セルビアにロシアの弾道ミサイルが展開するシナリオだってないとは言えない」。
    このような国際軍事ジャーナリスト級の大胆予想をする地元の人はいませんでしたが、一月末にしては気温プラス10度を越えてかなり暖かい日が続いているにも関わらず、筆者の周囲には何か浮かない雰囲気が漂っていました。
    「極右ニコリッチが選挙で勝ったら、ヨーロッパは遠ざかり経済発展は期待できず、高くはない今の給料が伸び悩むどころか、90年代に続いた国連包括的制裁の頃のひどい暮らしに戻ってしまうかも知れない。2000年にミロシェヴィッチ政権を倒して得たものは無になってしまう」。みなの不安をまとめるとこのようなものだったと言っていいと思います。
    広域のパワーバランスと自分の生活。往々にして旧ユーゴ圏の選挙では、外国メディアと地元有権者の意識に「温度差」が生じるものですが、どちらにしても今回選挙の焦点は「セルビアがEUに近づけるかどうか」だったと思います。

    タディッチ民主党(親欧中道派)党首とニコリッチ・セルビア急進党(極右)党首代行。3年半前の前回大統領選も、今回同様第一回投票では決まらず同じ二人の一騎打ちの結果、第一回投票で最多得票だったニコリッチを逆転してタディッチが当選しています(第81回配信参照)。しかし1月20日に行われた今回第一回投票でニコリッチ候補は、前回タディッチが当選を決めた170万票に肉薄する165万票を獲得。現職タディッチに19万票の大差を付けて決選投票に臨むことになりました。
    もともと都市部で強かったタディッチですが、今回の第一回ではベオグラード市内の二つの区でもニコリッチにリードされるなど大苦戦し、ニコリッチは着実に旧来の票田である農村部を獲得した他、都市部でも伸張を記録しました。
poster.jpg
ベオグラードでもこの顔ばかり!都市部で従来実績の薄かったニコリッチ候補の宣伝が目立つ選挙戦だった
ニコリッチの獲得票数は、セルビアの急進極右勢力としては既にお化け記録と言ってもいい規模で、かえって第二回での上積みがどのくらい期待できるのか先読みしにくいものとなっていました。一方、今回得票第三位以下に投票した層のうち、明らかに第二回投票でタディッチを支持しそうだと読めるのは「死に票」全体の3分の1(30万票強)程度です。あとは第一回で棄権した有権者がどのくらい「極右大統領誕生」への危機意識を持つのか、それによって第二回のタディッチ票を増やすのかが注目されました。
    各ウォッチャーはいずれも大接戦を予想。公式選管発表よりも敏速・的確な集計で知られる選挙監視団体・自由選挙民主化センター(CeSID、第62回配信参照)さえも、直前の記者会見では「投票日のうちに大勢判明を発表出来ないかも知れない」と逃げ道を打ったほどでした。

    現職側が任期満了を1年半も残して、この大統領選を12月中旬に前倒し公示するに至ったのは、政府内で主導権を握っており親欧色の強い民主党が、コシュトゥニッツァ首相率いるセルビア民主党(中道右派)と閣内対立を深める中での駆け引きの産物でした。「国際的にコソヴォ独立が既定路線となって進む中、欧州連合(EU)ほか先進国が、タディッチらセルビア親欧勢力にコソヴォ独立を認めさせる代わりに、何らかの政治的補償を与え有権者の理解を得る」シナリオが先進国と民主党の間で最初から存在して、選挙自体は言わば「出来レース」ではないかとも一部からは見られていました。
    しかし、選挙戦をもっとも巧みに進めたのは、3年半前は逆転負けで次点に甘んじたニコリッチ陣営でした。従来右派支持の声が弱いベオグラードでも、今回はニコリッチのポスターがきわめて多く、一部地区では2月23日に同市内でコンサートが予定されているクラシック歌手ホセ・カレーラスの顔(コンサート宣伝)の方がタディッチのポスターより多く見られるほどでした。「私はセルビアがEUに向かって前進することに反対しない。しかしコソヴォだけはきちんと守れと声を大にして言いたい!」(ニコリッチ)。 タディッチ陣営はコソヴォ問題を争点をすることを当初は巧妙に避けていましたが、直接対決となった第二回投票前の段階では「ニコリッチが勝ったら90年代の再来だ、
cesid.jpg(0062)
結果予測の速さと正確さが定評の自由選挙民主化センター(CeSID)も大接戦を予想したが、投票締め切り一時間後には大勢判明を発表。今回も誤差は0・4%以内だった
EUではなくロシアに近づいてしまう」と敵陣営の攻撃をベースに運動を展開。ニコリッチは「タディッチ=EUか、ニコリッチ=ロシアかの選択というのは敵陣営のあざとい論法に過ぎない。自分はセルビアを二分させるのではなく、統合統一の象徴としての大統領職を全うする。タディッチたち自称『親欧勢力』が権力の座にあったこの8年間も、政界の腐敗は続き、市民の生活は貧しいままだ。コソヴォ問題は何も前進せず、今まさに失われようとしているではないか」と応じます。しかし全体としては、かつてセ急進党の得意技だった敵への中傷が控えられ、今やスマートな「大人の右派」への変身を図るニコリッチの紳士ぶりと正論が目立つ形となりました。

    コソヴォ問題に関して強硬な態度を保つコシュトゥニッツァ首相ら連立政府内の中道右派勢力は、苦戦するタディッチを公式に支持する条件として、「EUがコソヴォ独立宣言後に予定している警察・司法ミッション(仮称EULEX)の展開を明確に拒否宣言すること」を第一回投票後に突き付けていましたが、「国際社会との柔軟な問題解決」を掲げるタディッチは、これに応じませんでした。このため決戦直前の1月30日、コシュトゥニッツァ首相は「ニコリッチを支持するわけではないが、タディッチも支持しない」と発表。選挙戦で守勢に回り、孤立無援の中でタディッチ陣営は2月3日を迎えました。
    暖天のベオグラードでは予報が外れて雨も降らず、セルビア全体での投票率は67%と高いものになりました。筆者は日本の報道機関の取材に同行し、ニコリッチ陣営の様子を当初見守っていました。が、自信たっぷりかと思われたニコリッチ陣営の独自調査は、投票締め切り一時間
セルビア共和国大統領選
第1回投票(1月20日=投票率61・4%)
T・ニコリッチ(セ急進党)40・0%(約165万票)極右・右派
B・タディッチ(民主党)35・4%(約146万票)中道左派
V・イリッチ(新民主)7・4%(約31万票)右派・中道右派
得票4位以下6候補者省略。50%を越える得票がなかったため、上位2名による第2回投票を実施
第2回投票(2月3日=投票率67・2%、98・8%開票時点)
B・タディッチ(民主党)50・6%(約226万票)中道左派
T・ニコリッチ(セ急進党)47・7%(約213万票)極右・右派
後(21時)少し前時点で「今のところ0・8%リード」としか発表できず、やや歯切れの悪い印象を残します。やがて選挙監視団体CeSIDから「21時発表でタディッチ2%リード」の報が入ってきます。すぐにニコリッチ陣営が第二回の調査を「ニコリッチのリードは0・52%に縮まった。CeSID発表も聞いているが万能ではない。いずれにせよ公式結果はきちんと受け入れる」と敗北の伏線を張るかのようにトーンダウン。他の多くの報道陣同様、私たちも「逆転祝勝会が準備されている」というタディッチの民主党陣営に転戦しました。22時時点各団体の発表ではタディッチ勝利が確実なものとなり、ベオグラード市中心部に集まった数千人のシンパの前にタディッチが姿を現しました(本ページ冒頭写真)。
    「セルビアには欧州型民主主義が定着していることを、皆さんの声が示してくれた。勝利の酒に酔う時間はない、今はまず仕事をせねばならない。社会を安定させ、
tomaright.jpg
潔く敗戦を認めて少し男を上げた感のあるニコリッチ・セ急進党党首代行(画像提供:infobiro)
ヨーロッパのヴィジョンを定着させて行こう。また敗れたニコリッチ候補の健闘を称えたい。彼に投票した市民もまたセルビアの力なのだから」。
    かつての極右陣営なら「不正集計ではないか」などと声を高めても不思議ではないところでしたが、ニコリッチの敗北宣言も「タディッチの勝利を称える。我々は急進党史上最高の得票を記録したことに満足している。次の選挙までにさらに力を付けるだけだ」と潔いものでした。選挙後の不正集計に始まったユーゴ政変から7年半、セルビアには確かに一定の民主主義が根付いたと感じられる夜でした。

    タディッチの80万票を上積みしての大逆転、213万票を集めたニコリッチの記録的躍進。国内ウォッチャーの多くは、結局今回選挙のポイントには、筆者が冒頭で掲げたように「EUへ向かうかどうかの是非」、そして「どちらの候補にコソヴォ問題を任せられるのか」の二つとともに、依然として底上げが成らず失業者や貧困層が増している現在のセルビアの経済問題があったと指摘しています。
    元ユーゴ連邦外相でCeSID客員分析委員のスヴィラノヴィッチ氏は、ニコリッチ票の全てが極右票ではなく、またタディッチ票は全て民主党への票ではないことを前提として、「ユーゴ政変以降の過去7年の市場経済移行政策の実績が問われた選挙だった。結果は僅かに信任=タディッチ票が多かったが、市場経済移行期の敗者の不満=ニコリッチ票がこれだけ多かったこともまた確かだ」と述べます(2月3日CeSID会見)。またオルロヴィッチ・ベオグラード大学政治学部助教授も「タディッチ率いる民主党の中道左派路線がこの国に定着して行くのならば、彼らは(失業と貧困など)移行期の負の問題にもっと真剣に取り組まなければならないだろう」
koki.jpg
コシュトゥニッツァ首相はタディッチ不支持発表とともに「3日は投票に行くかどうか決めていない」と発言して物議をかもすなど、本文に書いた失敗の他にも男を下げっぱなしの感(画像提供:日刊アロー!紙写真部)
としています(TVB92、2月4日放送)。
    敵への「口撃」を極力避け、敗戦も潔く認めたニコリッチと彼の急進党に対しては、タディッチに投票したと筆者に認める人からも、半ば肯定的な評価が聞こえました。「かつてトゥジュマン民族主義の牙城だったクロアチア民主連合が、サナデル現首相とともにセルビアの隣国をEU加盟に向けてどんどん進めている。これに倣って、急進党も普通の右派政党に変身するのではないか」(政府筋準高官レベル)。しかし前述のオルロヴィッチ助教授は「それには戦犯容疑者シェシェリ党首(オランダの旧ユーゴ国際戦犯法廷で裁判進行中)への個人崇拝を急進党が止めなければならないだろう」と言っています。

    今回選挙の真の敗者はしかし、コシュトゥニッツァ首相と彼のセルビア民主党など閣内右派勢力(以下コシュトゥニッツァ派)でした。選挙公示タイミングの駆け引きでタディッチの民主党(以下タディッチ派)に先を越され、擁立したイリッチ候補は第一回投票で得票こそ3位だったものの、票数の上では大敗。連立政権を組んでいるにも関わらず、第二回でも不支持を表明したタディッチが実際には勝ってしまう、と散々でした。
    コシュトゥニッツァが、かつてのユーゴ政変の打倒ミロシェヴィッチの雄から、「政敵の妨害以外は何もしない」ユーゴ大統領に成り下がったことについては、このHPでも何度か取り上げています(第59回配信ほか)。一度は発言力を弱めていた彼が04年の議会選後、セルビア首相としてカムバック。肩書きが変わっても相変わらず何もしないまま、既に二期4年にわたり首相の座にあります。そして今回も彼が選挙後に最初に打った手は、タディッチを祝うことではなく彼の妨害でした。

    EUは選挙結果を受けて翌4日、(1)セルビアに対して滞っていた加盟準備を前進させるための「暫定政治協定」草稿を送り、
protest.jpg
2月11日親欧派の学生ら数千人は、「政治混乱の責任は首相にある」としてベオグラード市中心部から政府前まで抗議デモ
2月7日にジェリッチ副首相(タディッチ派) と調印を予定する(2)一方、コソヴォに対しては既に昨年のリスボンEUサミット(欧州理事会)で大枠青信号の出ている警察・司法ミッションEULEX派遣の準備を進める、とする態度を明らかにしました。
    下記要旨のように、この「暫定政治協定」はコソヴォには全く触れていませんが、これはセルビア当局がコソヴォ独立を容認することの補償として提案されている「アメ」であることを如実に示しています。EU加盟レースで、加盟候補国になる前に安定化連合協定(SAA)を
セルビア議会現有勢力
(議員定数=250、07年1月改選。青地が連立与党)
自由民主党15親欧中道左派
民主党64中道・中道左派、タディッチ
G1719親欧経済、タディッチ寄り
セ民主党+新民主47中道右派、コシュトゥニッツァ
セ社会党16旧ミロシェヴィッチ系守旧派
セ急進党81極右〜右派
諸派(少数民族枠を含む)
締結することは既に慣例になっていますが、まだセルビアはハーグ国際戦犯法廷との協力不十分を理由に仮調印までしか行っていません。しかしこの暫定政治協定を経て一気に安定化連合協定へ「二段階特進とも言うべきスピードで、加盟レースで後塵を拝していた近隣諸国に追いつくことになるチャンス」(EU事情に詳しい先進国ジャーナリスト)だと言えそうです。

    これに対しコシュトゥニッツァは「国連安保理を通過せずにEUが一方的にミッションを送ることは(コソヴォがまだ形式的にはセルビア領土内にある以上)、セルビアに対する主権と領土の侵害だ。議会で政治協定とEULEX双方について承認せねば合法とは認めない」とし、タディッチ派が多数(経済・知識人中心の政党G17を含む)を占める閣議の召集を拒否。逆にコシュトゥニッツァ派と急進党、社会党により否決が確実な議会審議を求めました。これら保守勢力は、EULEX派遣のみならずコソヴォ地位に関する問題は全て国連安保理を通せ、とする議会宣言(昨年12月)をタテに、国連の場で露中の拒否権を使ってコソヴォ独立を最後の最後で阻止したい思惑です。

EU及びその加盟国とセルビア共和国の協働に関する暫定的政治協定(要旨作成=大塚)

1 セルビアが加盟候補国の地位を遅滞なく得るための政治協力を相互に強化する
2 EUはセルビア国民向け査証自由化に関し討議を開始する
3 セルビア籍学生のEU教育機関への受け入れ増加体制を整備する
4 安定化連合協定の正式調印を早期に行い、自由貿易協定を含む政治・経済面での関係を強化する

    しかし厄介なことに議会のドゥリッチ議長はタディッチ派、つまり暫定政治協定賛成派なので、「緊急動議である以上、予め閣議で方針が示されなければ議会召集は難しい」と開会に難色。セルビアは閣議も議会も開けないまま空転が続くという、連立政権崩壊の危機に陥りました。こうして7日に予定されていたEUとの協定締結は無期延期となってしまいました。

    こうして大統領選でセルビアが「EU向き」の回答を出したと思われた直後から、再び親欧・保守両派の対立は激化しています。親欧派にとって、EUは何よりもまずバラ色の将来である、しかしコソヴォ独立前夜の保守派にとって、EUは何よりもまずコソヴォをセルビアから奪おうという強引な圧力に見えているのです。

    11日には学生を中心とする親欧派市民約数千がコシュトゥニッツァに対する抗議デモを行いました。政府庁舎前で政治空転状態の即時解決とEU接近政策の開始、首相辞任などを叫びましたが、無論政府当局は応じません。主催者の学生団体は一週間後に再度のデモを予定しています。
    「この暫定政治協定ではセルビア側には何の義務が生じないのだし、選挙で民意は明らかになったのだから拒否する理由が分からない」(セルビア欧州運動コヴァチェヴィッチ会長、日刊ダナス紙2月6日付)。「政治空転の末には議会解散しかなく、
unpolice.jpg
コソヴォ州コソフスカ・ミトロヴィッツァの橋付近で検問に当たる国連警察官たち。EULEXはこれに替わる警察・司法ミッションとして予定されている(昨年1月撮影)
そうなると今回大統領選でミスを続けたコシュトゥニッツァ派には議席を増やせる保証はないので、閣議で暫定政治協定調印へ強行突破を図るべきだ」(タディッチ派長老のミチューノヴィッチ議員、週刊ヴレーメ誌2月7日号)。親欧タディッチ派からは様々な反コシュトゥニッツァの声が聞こえてきています。
    選挙後の祝勝会取材で、私たち取材班のインタビューに応じたタディッチ派シンパの若者は「ヴィザなしで西欧諸国に行ける国になってほしいから投票した」と語っていました。90年代に比べれば障壁は低くなったものの、依然として査証(ヴィザ)のために西側先進国が遠い存在であり続けているセルビア国民、なかんずく青年層のためにも、ぜひこの政治協定を通じてEUとの関係は強化させるべきだと筆者も思うのですが。

    問題のEULEXは2000人の警察官と判検事から成るEU加盟国中心のミッション(米、クロアチア、スイス、ノルウェーなどEU非加盟国を含む)として予定されており、現在の国連コソヴォ暫定行政機構(UNMIK)に替わるものではあっても、軍事組織(現在のコソヴォ展開部隊KFOR)には相当しません。しかし、コソヴォに国連安保理決議と受入国(現在はセルビア)の許諾なしでこうした(非国連)国際ミッションが派遣されることが、国際法的、倫理的に許されるのかどうかという首相の提起している問題は、確かに一考を要します。国連決議抜きでミッションを送りたいEU側エキスパートは、「国連安保理決議1244は最終的なコソヴォの地位が確定することを前提に、それまでの暫定的な措置としてUNMIKの展開などを具体的に定めているものだ。現在のような膠着状態ではこの決議で予見された平和の実現が難しいのだから、その精神を実効させるためにEULEX派遣は正当化され得る」としています(BIRN昨年12月17日)。それはコシュトゥニッツァらに言わせれば「柔軟すぎる解釈で牽強付会、セルビアの領土の略奪をこそ正当化するもの」ということになります。

    いずれにしてもセルビア議会は「EU加盟への努力は為さなければならない」とする決議も2004年には採択しています。「EUとの関係発展とコソヴォ問題は切り離して考えるべき」(TVB92・2月10日放送
thaci1.jpg
独立へ向けて準備を着々と進めるコソヴォ州サチ首相(画像提供:infobiro)
と言うドゥリッチ議長を交え、ようやく週明けの11日夜に大統領と首相の会談が、翌12日には国家安全会議が行われ、独立宣言があった際のアクション・プランが採択された模様(その内容については少なくとも独立宣言までは極秘扱いのため不明)です。そして14日に閣議、週明けの18日には議会で、(暫定政治協定問題は棚上げにした上で)「コソヴォ独立を非合法化する手続きについて」緊急討議される旨の合意が為されました。タディッチ大統領は同時に声明を発表、「公務員全てがコソヴォ独立に関し慎重に行動すること、政党関係者は党利より国家的な大問題を優先させること」を呼びかけました。ギリギリのタイミングで政治空転状態は終結しそうですが、まだ現時点では閣内親欧派と右派の対立も、EUとの暫定政治協定の運命も、凍結されたまま先送りというだけです。

    セルビア大統領選の終了を待つ形となったコソヴォ独立宣言のタイミングについては様々な憶測が飛んでいましたが、本稿執筆時点では2月17日に議会宣言し、発効を3月1日からとする筋書きが最有力視されています。昨秋の州議会選挙で第一党となったコソヴォ民主党サチ党首が州首相に就任し、第二党(コ民主連合)党首であるセイディウ州大統領とともに独立に向けて活発な活動を展開しています。
    8日時点でサチ首相は「独立した際には既に世界100カ国前後から承認をもらえる見通しが立っている」(同日付英ロイター電)、また「議会宣言日程を含む全てはアメリカ、EUとコーディネートしながら進めている話だ」(12日付仏AFP電)としています。「新生コソヴォは多民族国家だ。少数民族の安全と権利はもちろん保障する」と主張する同首相は、10日少数セルビア人の住むルボヴァッツ村を訪ね、トラクターを住民にプレゼントするなどのパフォーマンスも見せました。

    現在のところセルビア人住民側がどのような集団的反応をするか、まだ表立った動きは示されていませんが、セルビア当局側は8日、サマルジッチ・コソヴォ問題担当相が各セルビア人地域住民代表と討議。「今住んでいる場所に居残れるよう、 ベオグラード側も政治的に全力を尽くす。これがまたセルビアの主権と領土を守る道だ」と声明を発表しています。この「政治的に全力を尽くす」というのは、コソヴォが独立宣言に踏み切った際、セルビア人住民が多数を占めるコソフスカ・ミトロヴィッツァ以北の地域で、逆に彼らがコソヴォからの離脱独立ないしセルビアへの「併合」を宣言する意味ではないか、という憶測も飛び交っています。

    全く先行きは不透明なまま、独立宣言まであと数日か、というところまで来てしまいました。次回の「旧ユーゴ便り」は、かなり高い確率でコソヴォ独立を巡る現地からのレポートになりそうです。

※    本稿出稿直前時点では、まだコソヴォ州当局からは公式の独立宣言日程は発表されていません。13日コシュトゥニッツァ首相はコソヴォ在住のセルビア人住民に対し、現在の居住地に独立宣言後もとどまるよう呼びかけました。TV B92はこの呼びかけがコソヴォのセルビア人の間からは「勇気付けるもの」と好意的に受け止められている旨報じています。また露、セルビア両国の提案で14日に国連安保理が開会されることが決定した模様ですが、米英仏との溝は全く埋まっておらず、大きな進展は期待できないというのがベオグラードでの受け止め方です。

(2008年2月中旬)


本稿執筆に当たっては、多くの紙誌、インターネット資料、テレビ番組を参考としましたが、煩雑さを避けるため日付等詳細出典の記載は一部にとどめました。以下に参照した紙誌、サイト等を列挙します。日刊ダナス、日刊ポリティカ、日刊ヴェチェルニェ・ノーヴォスティ、日刊アロー!、週刊ヴレーメ、TV B92、国営セルビアテレビ、セルビア共和国政府、コソヴォ州議会、井浦伊知郎(博士)のホームページ、日本国外務省、BIRN、SEEUROPE、国連コソヴォ暫定行政機構、ヤッフー!フランス/ジャパンからアクセス可能な仏語/日本語記事、ウィキペディア・フリー百科事典各語各項目
画像を提供して頂いた吉田正則氏と日刊アロー!紙写真部、infobiro社に謝意を表します。画像の一部は、2007年1月、2008年2月に日本のテレビ報道取材に通訳として同行した際筆者が撮影したものです。また本文内容にもこの取材の通訳として業務上知り得た内容が含まれています。これらの本ページへの掲載に当たっては、通訳上のクライアントから承諾を得ています。画像・本文とも無断転載はかたくお断りいたします。なお本稿ではコソヴォ問題についても一部触れていますが、日本国外務省は同州への「渡航の延期をお勧めします」などの危険情報を発出しており、本稿の読者の皆さんにコソヴォ渡航を推奨する意図はありません。
Zahvaljujem se na saradnji: infobiro, g. Masanori Yoshida i Odeljenje fotografije dnevnog lista "Alo!". Zabranjena je svaka upotreba teksta i slika bez odobrenja.

プロフィール> <最新レター> <バックナンバー> <旧ユーゴ大地図
落書き帳(掲示板)> <関連リンク集> <平和問題ゼミナール> <管理者のページ


当サイトは、リンクフリーです(事後でもいいので連絡ください! →筆者メール )。
必ずカバーページ(http://www.pluto.dti.ne.jp/katu-jun/yugo/)にリンクをはってください。

CopyRight(C)2008,Masahiko Otsuka. All rights reserved.
Supported by Katsuyoshi Kawano & Kimura Peace Seminar
更新記録大塚真彦プロフィール最新のレターレターバックナンバー旧ユーゴ大地図落書き帳関連リンク集平和問題ゼミナール管理者のページへ