「平和問題ゼミナール」
旧ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2004/02/15

第76回配信
セルビア極右急進せず


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引き続き「旧ユーゴ便り」をよろしくお願いします(1月下旬ベオグラード中心部コララツ通りにて)
    第75回配信到達を機に2ヶ月ほどお休みを頂きましたが、雪のベオグラードからまた「旧ユーゴ便り」を再開することにします。実は私事ながら少々身辺多忙になりまして、従来のようなペースで今後も更新を続けられるかどうか若干心もとないのですが、せっかく75回まで続けたものは100回までは頑張ろうと思っています。あと2年ないし2年半、最低月1回更新を目標にしますので今後ともよろしくお付き合い下さい。

    わがセルビアは昨年12月28日に行われた共和国議会選の余波で、ひと月以上経った本稿執筆時点でも多数工作が難航。政府は依然成立せず、政治混乱が続いています。1月20日、欧州連合(EU)はセルビア政府が成立するまでセルビア=モンテネグロ当局との加盟交渉ほか政治関連の話し合いを凍結する決定を正式に下してしまいました。

    共和国中部の代表的都市クラグイェヴァッツは、何度かこの「便り」でも言及しているように自動車・武器産業のツルヴェナ・ザスタヴァ社の企業城下町です。社会主義自主管理による重工業盛んなりし頃は羽振りの良かったこの町ですが、現在の市別の国民所得を見るとセルビア共和国を100とした際に50〜66のカテゴリーに属しています。経済制裁と99年ユーゴ空爆(ザスタヴァ社工場自体が大きな被害を受けました)で「陥没」したままのセルビア最大の重工業とクラグイェヴァッツ市の経済を、2000年政変以降の政府も無視するわけには行きません。民営化に向けて外国投資元を探りながら政府特別拠出で維持を続けています。
    一昨年、米ニューカルコ社の社主ブリックリン氏が名乗りを挙げ、ザスタヴァ社の自動車部門を「ザスタヴァモータースワークス・USA」という合弁会社に改組し、年間6万台の米市場参入へ、という話が仮契約まで漕ぎつけました。ブリックリン氏は68年に日本車スバルを米市場に参入させた仕掛け人で、80年代後半、当時の在ユーゴ・ツィンマーマン米大使の後押しでザスタヴァ社の「ユーゴ」を米に輸入した時も中心的な役割を果たした人物です。
    しかし1月末同氏は投資計画の完全撤回をセルビア側関係者に通告しました。「2年間で企業コンサルの調査などに数百万ドルを投入し生産を再回転させる可能性を探ってきたが、
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典型的な社会主義自主管理の巨大企業城下町クラグイェヴァッツ。ザスタヴァ社の「没落」で市経済も深刻な不況に
見通しがついたとは言えず、当事者との交渉も不調と言わざるを得ない。しかし最大の撤回理由はザスタヴァ社民営化の進展不調とこの2年の政治不安定にある」とのことでした。
    ライコヴィッチ・クラグイェヴァッツ市長は「政治の不安定、芳しいとは言えない年末の選挙結果がニューカルコ社の撤回の原因」と認め、「選挙後のセルビアは投資を刺激する環境ではなくなってしまった。今後もわが国で似たようなケースが出てくる可能性は高い。ザスタヴァ社内部の所有・債務関係がまだ整理出来ていないまま、伊フィアット社には多額の債務を抱えている。巨大企業だけに、投資パートナーが見つかるまでは政府の特別拠出で生産を止めないようにするしか維持方法がないが、今後成立する新政府の対応がどう変わるか心配だ」と不安を述べています。
    もっともこのザスタヴァ社の話題は多少尾ひれが付いています。同社側は「今後も07年までに新モデルを発表することを目標に外国パートナーとの協力の可能性を探り続けるが、市場が要求するデザインやエコロジー水準に対応すべく努力して行きたい」(ラドイェヴィッチ企業長)ときわめて真面目です。しかしそのためには技術革新などに多額の投資が必要なことは自明で、スバルの全米販売ノウハウを持っているとは言え、ビジネス成功のカゲに倒産歴も多々あるブリックリン氏のようなディーラーでは役不足ではないか、という懐疑論が以前からありました。また米日の企業コンサルタントに数百万ドルを使って調査させた資料は、大手自動車企業に転売して「モト」が取れる、結局投資元が見つかるまで特別拠出で損し続けるのはセルビア共和国だけ、という皮肉な見解も出ています(1月30日付日刊ポリティカ紙、2月2日付日刊ダナス紙などによる)。
    ともあれ、政府が成立せず、今後のセルビアの経済政策の「戦略」が見えない以上、民営化を待つ巨大企業も、これに投資する可能性のある外国パートナーの側も困ってしまうことは間違いありません。セルビア石油産業(NIS)は民営化を待つこうした公社の一つですが、
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経済派から民主党入りしたヴラホヴィッチ民営化担当相の挙げた実績に異論を唱える人は少ないが、同党の新政権入りを巡って政治は混乱、セルビア各企業の民営化が停滞してしまっている(写真提供:吉田正則氏)
「民営化するにも話し相手となる政府の『窓口』が誰だか決まらなければ商談に来ようがないし、民営化までの業務は政府予算が成立しないと見通しが立たない」(ヴチコヴィッチ総裁代理)と困り顔です(2月3日付ポリティカ紙)。
    ちょうどマクロ経済で様々な昨年の年間数値が出始める時期ですが、経済学者は異口同音に警告します。昨年の工業生産は前年比マイナス3%、農業生産はマイナス10%。5%以上が目標だった国内総生産(GDP)はゼロ成長かマイナスになる可能性も言われています。一昨年秋に第61回配信で「一応好調」を取り上げてからまだ一年少々、セルビア経済は共和国大統領選の空転やジンジッチ共和国首相暗殺、その後も続く政治家の分裂と対立、といった政治状況に並行して急速に失速した感があります。市場調査研は「@財政赤字A民営化の進展不振B援助・投資先細りC銀行の長期融資能力不十分D輸出伸び悩みと入超のさらなる拡大、など、政治の不安定が不必要なほど経済は不安要因を多く抱えている」と指摘します。「輸入に対する輸出のカバー率は一昨年でも36・3%に過ぎなかったが、昨年推定値はわずか35・1%に落ち込みそうだ。ゼロ・マイナス成長なのに12月の国営セクターの給与や年金は実質13・6%『成長』した。架空の所得で食べるというわが国の悪しき伝統が続いているのが現実だ」(同研究所ミリサヴリェヴィッチ研究員ら、1月31日付ポリティカ紙)。
    また経済学者スタメンコヴィッチ氏も「外国投資がなければ輸出とGDPは伸びない、そうすると対外債務危機に陥る可能性が大きい」と従来の警告を繰り返しながら「長期安定ではない短期政権では紙幣を単純に発行する付け焼刃の人気取り政策になりがちだ。それでは投資環境を整備するための政府による発展戦略が立ちようがない」と指摘します。

    年末の選挙に至るセルビアの政治状況を簡単に振り返ってみましょう。
    反ミロシェヴィッチの大同団結で政変を成功させスタートした
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一時は発言力を低下させていた「一野党党首」コシュトゥニッツァ(左から二人目)が選挙後主役に返り咲いた
セルビア民主野党連合(DOS)政権は、当初18党連合の寄り合い所帯でした。ジンジッチ共和国首相率いる民主党、コシュトゥニッツァ・ユーゴ連邦大統領のセルビア民主党(以下DSS)、ラブス連邦副首相らの経済派学者グループが中核となりましたが、民主党とDSSの対立が本格化しジンジッチらは政権からDSSを排除。ユーゴ連邦が消滅しコシュトゥニッツァは「ただの(?)」野党党首に後退しました。しかし昨年のジンジッチ暗殺後に成立したジフコヴィッチ(民主党党首代行)政権は、第74回配信でも詳説したようにスキャンダル(中銀総裁更迭に関する議決不正、首相顧問官の背任・横領疑惑など)を繰り返しました。このため経済派はラブスを党首としG17plus(以下G17)を政党として登録、民主党路線とは一線を画す構えを取りました。こうしてDOS連合政権は有名無実となり、たび重なるスキャンダルやテレビでの中傷合戦などで有権者の幻滅感は拡大して行きました。
    ミルティノヴィッチ前任の任期切れに伴う共和国大統領選は2年間で3次4回にわたって行われましたが、投票率50%に満たず不成立。当初は数ヶ月の代行と見られたミチッチ共和国議会議長がいつまでも大統領代行にとどまる異常事態が続いていました。
    大統領だけではなく、政権主軸の民主党はジンジッチなき後党首不在のまま。政変前の主役で、その後も有力野党たるセ社会党、セ急進党はミロシェヴィッチ、シェシェリ両党首が戦犯容疑でオランダ・ハーグの旧ユーゴ戦犯法廷(ICTY)に拘置されやはり不在という状態です。

    このような状況の中で行われた選挙は、ニコリッチ党首代行を中心とする極右・セルビア急進党が単独トップとなりましたが、定数250の過半数126には遠く及ばない82議席にとどまりました。
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戦犯法廷に自主出頭したシェシェリ党首(右)に代わりニコリッチ党首代行(左)率いるセ急進党が「急進」したようにマスコミは扱ったが大幅な得票増はなく過半数には遠く及ばず

    「スキャンダルで政権の横暴ぶりがあれほど明らかになった以上、故ジンジッチや民主党のシンパでもイヤになったんじゃないか」(年金生活者)。「セルビアを良くも悪しくも代表する人間が戦犯容疑でショッピカれるんだからね、反動があるのは当然だと思う」(セルビア=モンテネグロ軍下士官)、「今でも西欧各国にヴィザが必要で大変なのに、急進党がこんなに強かったらいつまでも査証免除が出来ないだろうしもっと大変になってしまう」(ある学生)。
    選挙当時マスコミは「急進党現象」「セルビア極右復活」を銘打ちました。しかし年末に週刊ヴレーメ誌が行った分析は「急進党の急進」はマスコミが少し事実を膨らましたものではないかとしています。今回同党が獲得した105万票は、一昨年シェシェリ、昨年ニコリッチ同党候補が共和国大統領選で得た数字とそれほど差がありません。急進党と社会党などを足した「非民主票」にしても120〜135万票。ミロシェヴィッチ政権当時の200万票に比べれば大きく後退していると言わざるを得ず、政権が取れるほどの実数には至っていないのです。「セルビアは右には寄ったが、決して後退していない」というのがヴレーメ誌の結論です。
    旧DOSの長老ミチューノヴィッチら民主中道党、スヴィラノヴィッチ共同国家外相らのセ市民連合など小政党は民主党の合同比例候補者名簿で再選されました。しかしコソヴォ協議で実績を挙げるチョーヴィッチ共和国副首相や、ミハイロヴィッチ内相、バティッチ法相ら旧DOSの顔役で、民主党やDSSへの合流を嫌った勢力が「除外」されました。党内で異論がありながらも単独参加に踏み切ったミハイロヴィッチのセルビア・リベラル党はわずか0・7%で、無効票よりも得票の少ない惨敗。
セルビア共和国議会選(議員定数=250)
(03年12月28日、投票率約59%)
民主党3748万(13%)中道派
DSS5368万(18%)中道右派
G173444万(12%)親欧経済派
セ再生運動2229万(8%)右派
セ社会党2229万(7%)左派?
セ急進党82106万(28%)極右
このようにシャッフルされた結果、得票5%の足切りを上回って議会に入ったのは6勢力。社会党、急進党を除く4政党が「民主ブロック」を自称して多数派工作を始めました。DSS、民主党、G17は、セルビア再生運動22議席の協力を仰がないと多数が成立できないわけですが、このセ再生運動はドラシュコヴィッチ党首が、ユーゴ政変当時の「突撃隊長」新セルビア党イリッチ党首を担ぎ出して議席ゼロからカムバックした王党派右翼で、「民主性」に若干疑問が残ります。
    4政党のうち最大議席を獲得したDSSのコシュトゥニッツァ党首が再び力関係の中心に返り咲きました。しかし同党は、一昨年以降民主党とは犬猿の仲です。選挙直後は@6議会政党全てによる挙国一致内閣を提案しましたが民主ブロック内部からの異論が強く撤回。A民主党を排除した3党少数政権の案にも「多数による政権でなければ民意が反映されているとは言えない」という反論がDSS内外から出ました。各勢力からはB再選挙という最悪のシナリオの声も上がりましたが、選挙を公示する議会議長さえ選ばれていない状態では、やはりまずC4党多数政権、つまり3党が民主党と連立できるかどうかが焦点となりました。
    民主党としても野に下るとなれば、宿敵DSSに賛同する票か、かの社会・急進両政党と一緒に反政権票を投ずるかのどちらかしか選択肢はなく、いずれにしても容易に批判されてしまう苦しい立場だけに、出来れば連立政権に入っておきたいところです。
    しかし故ジンジッチの後継者を巡って、民主党内部ではジフコヴィッチ首相、タディッチ共同国家国防相、ヨヴァノヴィッチ副首相の三派による派閥争いが表面化。2月22日に党大会を予定してしまったことが連立工作を複雑にしています。党内基盤の弱いヨヴァノヴィッチはともかく、ジフコヴィッチ派、タディッチ派のどちらが勝利するかは予想が付かず、「民主ブロック」の他の3党としても民主党の誰と話し合うべきか当惑が続きました。
    まずは共和国大統領代行でもある議会議長を選出しなければ何事も始まりません。1月27日に第1回議会が行われ、慣例により最年長のシモノヴィッチ議員(75才、DSS)を仮議長として議長選挙が行われましたが、民主党と社会党が棄権、DSSのマルシチャニン副党首107、急進党ポップ=ラジッチ議員81票で過半数に至りませんでした。1月30日、4党が話し合って解決を図りました。
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ジフコヴィッチ首相(左)、タディッチ共同国家国防相(右)のどちらかが民主党の後継主流に決まるのが2月下旬。これが多数派工作難航の最大の原因となった
DSS以下3党は「DSS主導で4党政権とする。議会議長はDSSマルシチャニンを仮に選出、後に民主党出自の議長に交替することで構わない」と民主党に対し歩み寄りを見せました。が、党大会まで時間稼ぎをしたい民主党は「政府はDSS首班でOKだが閣僚メンバーを予め決めないなら議会議長選出にも協力出来ない」とゴネたため30日の議会は流会し空転は深刻なものとなりました。「多数政権こそ民意」と民主党は民意をタテに自党が排除されることを防ごうとしますが、「党内事情で政府成立どころか議長も選出できない空転状態を招いた民主党は有権者の民意を無視している。責任は大きい」と3党はしびれを切らし、今度は社会党の協力で議長選出を図る工作に動き出しました。
    社会党幹部は緊急協議の結果、「マルシチャニン議長選出を支持、見返りとしては議会内委員会のポストのみで、閣僚ポストは要求しない」という結論を発表。民主党も社会党も参加しない少数政府の成立を支持するかどうかについては明言を避けました。
    2月4日、こうして選挙から6週間経ってようやく3党+社会党支持、民主党不支持の形でマルシチャニンが議会議長(兼大統領代行)に選ばれ、空転状態は何とか一段落した格好です。
    民主党はタディッチが「わが党と連合するか、あのミロシェヴィッチの政党を取るかで、3党は後者を選択しユーゴ政変の意味を台無しにしてしまった」と怒りましたが、新政府については「多数政府案を民主党は引き続き支持する」と含みを残し、まだ3党との完全決裂には至っていないと未練の見える発言。一方DSSは「もう民主党と話し合いの余地はない」とし、少数政府を覚悟でコシュトゥニッツァ首班指名、組閣へ動き出す構えです。しかし何せゆっくり物事の流れるセルビアのことですから、22日の民主党党大会を経て主流派が明確になった時点で、もう一度民主党に声を掛け、多数工作が復活する可能性がないとは言えません。
    政権参加への欲は見せず、議長選出だけを助けた社会党が、民主党よりも「大人」ぶりを見せるという意外な展開になりました。4日の英ロイター電は早速西側外交筋のコメントとして、「社会党の協力でやっと動き出した内政に先進国は幻滅、ミロシェヴィッチ時代への逆行の始まりではないかと危惧している」という声を伝えています。
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「あの」セ社会党の協力というウルトラCで議会議長(兼大統領代行)に選ばれたマルシチャニンDSS副党首
国内マスコミは「まだ不安定状況がこれで終わったわけではない」とし、多数政権か少数政府か、組閣工作の難航などを予想しています。

    無論、長期安定の多数政権こそ今のセルビアに必要なのは自明です。しかし次善の策としての少数政府でも、テーマごとに社会党、民主党の閣外協力相手を替えながら政治を進めて行くことは、少なくとも理論的には可能なはずです。例えば、対外的に今後もネックとなり得る、ハーグ戦犯法廷への協力をさらに進めて行くかどうかが政府案として議題になった場合、党首をハーグに連れて行かれた「恨み」のある社会党は消極的にならざるを得ないでしょうけれども、民主党としては反対するわけには行かないでしょう。
    本稿送稿直前の週刊ニン誌(2月4日号)に「セルビアの20世紀の終わり」と題するベテラン批評家A・ティヤニッチの面白い論説が出ました。皮肉屋で知られる彼の韜晦な文体を直接引用するのは避けますが、要約してみます。「今回の社会党の協力は、同党の評価を上げるポイント稼ぎだから、一見ハーグにいるミロシェヴィッチ党首の勝利に見えるかも知れない。しかし実際は社会党がミロシェヴィッチから、より独立して振る舞おうとしている結果なのだから、ミロシェヴィッチの負けだ。民主党ではなく社会党の助力だったことに各論はあろう。しかし政治危機を一歩乗り越えるのに役立ったのが誰だったかというのは、あまり本質的なことではない。
    20世紀のわが国の内政は、王党派(チェトニック)か共産党(パルティザン)か、親ミロシェヴィッチか反ミロシェヴィッチか、といった勝者・敗者に二分される伝統を続けてきた。もちろん勝者なら何でもアリ。ミロシェヴィッチも、彼を倒したジンジッチも勝者として法律を越えた帝王のごとく振舞ってきた(ジンジッチにしても政変後の粛清とミロシェヴィッチ並みの強弁強行を続けたではないか)。だが今回の議長選出で敗者が勝者を助けたことで、こうした悪しき伝統は消えた。複数政党制15年の歴史で初めて、理と実利、話し合いを重んずる創造的な対立状態に至ったのだ。ユーゴ政変の精神は、ユーゴ政変に賛同しなかった側にも結実し始めている」。
    ティヤニッチの論はタイトルも含めて少し針小棒大の感はありますが、一聴には値すると思います。この後も組閣工作、新政府成立を巡って、まだセルビア内政はひと悶着、ふた悶着が続くと思われますが、民主主義的、理性的話し合いが行われるかどうか、私もウォッチャーの一人として注目を続けます。

(2004年2月上旬)


役職は2月6日時点のものです。画像を提供して頂いた吉田正則氏に謝意を表します。画像の一部は、1999年3月、2002年9月、2003年10月に複数の報道取材に通訳として同行した際筆者が撮影したものです。これらの本ページへの掲載に当たっては、各クライアントから承諾を得ています。画像・本文とも無断転載はかたくお断りいたします。


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