「平和問題ゼミナール」
旧ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2004/06/09

第80回配信
吉田さんリベンジ成功


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5月10日特別裁判所に出廷したレギヤことウレメク被告(写真提供:吉田正則氏)
    旧ユーゴ圏発ニュースの日本での扱いが最近小さくなっているのは承知していますが、今年に入ってからもマケドニア大統領機墜落(2月)、コソヴォ騒乱(3月、ともに第78回配信参照)などの出来事が起こっています。しかし5月2日にベオグラードで昨年の共和国首相暗殺事件の首謀者が逮捕されたというニュースは、またしても「寝耳に水」でした。
    ネット上に発表されたスロヴェニア大統領のEU加盟前夜の演説原稿を読んで、さて第79回配信をまとめようかとオフラインで作業をしていたら、筆者の妻が「レギヤが出てきたらしいわよ」と言います。「え、捕まったの? 警察もよく見つけたねえ」「それがどうもベオグラードの自宅で警察と交渉して自分で出て来ちゃったみたいなのよ!??」

    昨年3月12日のジンジッチ・セルビア共和国首相暗殺事件とその前後の状況については、第67回配信で詳説していますので参照頂けると幸いです。が、首謀者とされたレギヤことM・ウレメク被疑者(以下レギヤ)が、一年以上の潜伏の後、こともあろうにベオグラード郊外の自宅で警察と交渉の末「自発的投降」に至ったというニュースは大きな注目を集めました。今までどこに隠れていたのか、警察はいつから居場所を知っていたのか。なぜこのタイミングで姿を現したのか。マスコミとウォッチャーが早速さまざまな憶測を始めました。

    レギヤ本人はミロシェヴィッチ元ユーゴ大統領がオランダ・ハーグ在旧ユーゴ戦犯国際法廷に送られる前に数ヶ月「滞在」したのと同じ、ベオグラード高裁拘置所に送られました。しかし警察による取調べは省略され、昨年設けられた特別裁判所で続けられている組織犯罪裁判に直接出廷し、検察側と対決することになりました。
    5月10日の第一回公判では本人の確認が行われ、
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レギヤ初公判の当日はマスコミが殺到し混乱に近い混雑(左・写真提供:吉田正則氏)だったが、吉田さん(右)は好アングルからレギヤ撮影に成功
一部マスコミに書かれているように母方の姓ルコヴィッチではなく、ウレメクが現在も本名であること、元内務省特殊工作部隊の警視正で「現在は年金生活者である」などと本人が述べました。しかし起訴状が渡されてから日が浅いことを理由に被告本人と弁護側が審議の先送りを要求。クリャイッチ裁判長ら判事委員会が第二回公判を6月10日に行うと決定して終わりました。
     この「便り」でもしばしば写真をお借りしているベオグラード在住のフリージャーナリスト吉田正則さんは、第67回配信にもあるように、指名手配前のレギヤと接近遭遇したことのある唯一の在留邦人です。後に首相暗殺事件で「有名」になった顔を撮影しようとして本人から制止された吉田さん。「野次馬根性もあるのは認めますが、まずフォトグラファーとしてくやしかったですからね。リベンジに行ってきますから、うまく撮れたら大塚さんの『便り』で使って下さい」と公判の行われる特別裁判所に乗り込んで押さえたのがこのページ冒頭の写真です。「今度は立場が違うのでヤッコさんは手も足も出ませんでした(笑)が、地元はもちろん、外国系までものすごい数のマスコミ関係者が押し合いへし合いでした。しかも裁判関係者も傍聴人(ジンジッチの遺族を中心に、故首相の率いた民主党のシンパが多かったようです)もマスコミと同じ通路から同時に通すので大混乱になりかけ、裁判所職員と怒号が飛び交いました」。しかし世界の有名マスコミに混じって被告正面の撮影位置をキープ、後日発表された日刊ダナス紙や週刊ヴレーメ誌の写真よりもはるかにいいアングルでした。吉田さん有難うございます。

    「凶悪指名手配犯人逮捕」というのとは全く違う意味で、今回のレギヤ登場は波紋を呼んでいます。
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ドラシュコヴィッチ共同国家外相もミロシェヴィッチ政権時代暗殺未遂を経験、自らの党の幹部が暗殺されている。これらもレギヤ一派の犯行ではないかと見られている(写真提供:吉田正則氏)
ウォッチャーの立場からみて興味深いのは、セルビアの近過去における暗部の精算、現在の政治混乱の乗り越え、近い将来行われるべき制度改革 − 遅れを取りながらもセルビア(=モンテネグロ)という国が先進国、欧州連合(EU)に接近していくためのさまざまな国家的課題にレギヤの一件が接点を持っているということです。もう少し細部まで入りながら報告を続けましょう。ただし一部読者の方からは筆者が住んでいるセルビアがテーマになると、この「便り」は少し近視眼的マニアックに陥っているという注意も受けていますので、出来るだけ分かりやすく書くように務めてみます。

    既に第67回配信で「レギヤとは何者なのか」については触れています。仏外人部隊を脱走後、旧ユーゴ紛争で悪名高き故アルカン(Z・ラジュナトヴィッチ、2000年暗殺)の民兵部隊に加わり、ミロシェヴィッチ政権下の警察特殊部隊に移行。98年には司令官の地位を襲います。セルビア再生運動(当時野党)幹部暗殺、ドラシュコヴィッチ同党党首(現共同国家外相)暗殺未遂、スタンボリッチ氏誘拐殺害など、ミ政権後期の「政敵潰し」に関与した疑いも持たれています。しかし2000年秋のユーゴ政変では司令官として「特殊工作部隊はジンジッチら野党側のデモ鎮圧には動かず」を表明し、民主化後も同部隊ごと生き残りに成功しました。同時に国内最大のマフィア組織ゼムン・グループ首領というウラの顔を持ち、昨年3月にジンジッチ首相暗殺を司令・組織した(容疑)、というのが「略歴」になります。
    その後マスコミの追跡取材で、ミロシェヴィッチ逮捕騒動(第44回配信参照)の際、実際に逮捕に赴いたのが当時特殊工作部隊の司令官だったレギヤだということが分かっています。自宅に篭城したミロシェヴィッチと警察の、30時間以上にわたるにらみ合いが続いた「Dデー」2001年4月1日の早朝。
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ミロシェヴィッチら旧ユーゴ戦犯容疑者が拘置されているオランダ・ハーグ市のスヘフェニンゲン拘置所。が、ハーグ国際法廷はレギヤに「ノータッチ」を早々に宣言した
前ユーゴ大統領は「どうしたら良いものかねえ、チェーマ?」とレギヤに声を掛けました。レギヤことチェーマことルコヴィッチことウレメク司令官はこの言葉を聞いて、涙ながらにミロシェヴィッチを連行したと言います(週刊ヴレーメ誌5月6日号)。
    レギヤ投降後すぐに話題になったのは「ハーグが動くかどうか」でした。暗殺されていなければ訴追されていた可能性の高いアルカンや、現在も「世紀の」裁判が進行中のミロシェヴィッチと近く、紛争中はアルカン部隊の幹部としてクロアチア、ボスニア、コソヴォで大暴れしていた可能性もある人物ですから、オランダ・ハーグの旧ユーゴ戦犯国際法廷から引渡しの声が掛かると思われたのは当然でした。しかし第53回配信にも触れている財政上の問題なのか、政治家ではなく現場の戦犯容疑者では「小物」ということなのか、あるいはセルビア司法改革の自助努力を助けようという親心(?)なのか、ハーグ検察側からは「現在ウレメク被告の訴追はなく、捜査も行われていないので、同被告はセルビア司法当局の管轄である」と発表がありました。
    またレギヤは偽名によりクロアチアの(偽造)外交旅券を持っていたことが判明しており、ハーグ戦犯法廷から訴追され行方をくらましているゴトヴィナ元クロアチア軍将軍もレギヤ同様仏外人部隊に所属した経歴があることなどから、レギヤ一派とクロアチアの「地下」世界との関係も憶測を呼んでいます。

    首相暗殺の実行犯とされるヨヴァノヴィッチ容疑者(裁判進行中)、レギヤとともに首謀者とされたスパソイェヴィッチ元容疑者(昨年警察との銃撃戦で死亡)、元レギヤの盟友でのちに対立しゼムン・グループの対抗派閥となったスルチン・グループの首領ブハ特別証人(重要事件で主に「灰色」の人物が証人として裁判進行に貢献する代わりに起訴を免れる一種の司法取引上のステータス)らは、みな特殊工作部隊のメンバーでした。
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暗殺実行犯とされるヨヴァノヴィッチ被告の裁判は既に12月から始まっているが、彼も警察特殊工作部隊の隊員だ(5月10日特別裁判所にて、写真提供:吉田正則氏)
ミロシェヴィッチ政権が倒れセルビアが「民主化」されてもなお、犯罪組織と警察の精鋭部隊が実は明瞭な境界のないままの状態が続いていたのです。ミロシェヴィッチ時代の犯罪はもちろん、政変後の政権関係者が犯罪組織と関与していなかったか、また犯罪組織の警察への関与を知らなかったのかどうか。セルビア国内の問題ですから、ハーグに任せるよりもセルビアで徹底究明が為されるべきだと筆者は思います。

    ミロシェヴィッチ政権の暗部を知ると言われる男レギヤは、実はユーゴ政変後のジンジッチ民主党前、コシュトゥニツァDSS現政権の暗部とも接点を持っているのではないか、という話にここで進むわけですが、その前にまず読者の皆さんと、現在の混迷に至るセルビアのこの数年の政治状況を簡単におさらいしておきましょう。なおコシュトゥニツァ現共和国首相の率いる政党はセルビア民主党ですが、元政敵ジンジッチの民主党と紛らわしいのでDSSと表記します。

    2000年秋のユーゴ政変でミロシェヴィッチ政権を打倒した勢力の二枚看板はジンジッチ民主党、コシュトゥニツァDSS両党首でした。前者はセ共和国首相に、後者はユーゴ連邦大統領に就任し、この国は民主化へ順調に歩みだしたかに見えました。
    しかし両雄相並び立たず。親欧色を前面に打ち出して改革を進め、傲慢すれすれに映る豪腕ぶりを発揮する中道左派ジンジッチと、民族のプライドを守る発言で右派からもウケは良いものの行動力に欠ける印象の中道右派コシュトゥニツァの不和が間もなく表面化。2001年のミロシェヴィッチ逮捕劇、ハーグ移送を巡る対立から、亀裂は修復不可能なものになって行きました。翌02年に入るとジンジッチら民主党は政権から強引にDSSを排除してしまいます。
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並び立たなかったユーゴ政変の両雄、コシュトゥニツァ(左)と故ジンジッチ(右)。暗殺前から両勢力の対立は修復不可能なものになっていた
セルビア共和国大統領選ではコシュトゥニツァがジンジッチの推す候補を上回る得票を記録しますが、投票率不足の規定に引っかかり選挙は不成立。混迷の印象が深まる中で、昨年3月ジンジッチが暗殺されます。
    民主党政権は暗殺の当日にはゼムン・グループとレギヤの犯行と断定し非常事態を宣言。42日間続いた非常事態期間中、取調べのため逮捕・一時身柄拘束を受けた被疑者は計10000人以上、3700件、3500人が起訴対象となりました。コシュトゥニツァの元顧問などDSS幹部に近い関係者も含まれています。民主党はジフコヴィッチ副党首が首相となり政権を継続しますが、数々の政治・経済スキャンダルが発覚し、ジンジッチ生前からのやや「傲慢」なイメージと相まって人気を落としました。昨年暮れの総選挙では極右のセ急進党が第一党に躍進し、民主党は第三党の座に甘んじます。第二党となったDSSが極右を避けた連立政権の中核となり、一時は「一野党党首」だったコシュトゥニツァが共和国首相として復活。選挙後、民主党に対しても連立政権参加の話が持ち上がりますが、ジフコヴィッチ前首相との党内抗争に勝ったタディッチ前共同国家国防相を党首として当分は野にとどまることになりました(第76回配信に詳説)。
    この間、大統領選に関する規定が改められ、投票率50%に満たない場合は選挙不成立とする条項が廃止されて、来たる6月13日に第一回投票が行われます。総選挙の勢いに乗って有力候補に挙げられている極右・セ急進党のニコリッチ党首代行に対し、DSSはマルシチャニン副党首を、民主党はタディッチ党首を擁立して選挙戦が展開されています。

    第三党とは言え、未だ勢力を完全には失っていない有力野党の民主党と、政権に戻ったDSSの対立は、レギヤ登場とともに激化しています。
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レギヤ登場とともに民主党バッシングを激化させたDSSの幹部三人組。ミハイロフ議員(左)、ヨチッチ内相(右)の失言、暴言もありマルシチャニン大統領候補(中)はやや苦戦中
敵の政党を潰すには「犯罪者と結託している」イメージをまとわせるのは有効な手段です。DSSは民主党に対して、
(1)民主党が政権にあった昨年の非常事態期間にコシュトゥニツァに近い筋まで逮捕したことは行き過ぎ(DSS潰しのため非常事態を政治的に悪用した)
(2)首相暗殺時のボディガードに落ち度がなかったかどうかが依然としてうやむやにされている
などの点を批判していました。またDSS発ではありませんが、
(3)ジンジッチ自身がレギヤ閥と対抗するブハ閥を持ち上げようとして殺されたのではないか、という憶測はウォッチャーの間から洩れ続けています。さらに、
(4)レギヤとともに首謀者とされたスパソイェヴィッチは警察との銃撃戦の末射殺されたと発表されているが、彼の死亡写真を見ると至近距離から撃ったようにも思われるので、民主党政権当局が口封じを図ったのではないか、という噂もあります。マルシチャニン大統領候補陣営からは「民主党の後継者ジフコヴィッチ、タディッチらは首相暗殺のタイミングを事前に知っていた」という発言が上がり、これを言い出したミハイロフ選挙参謀が民主党側ならずマスコミからの質問攻めにも答えられずつるし上げられ、選挙参謀の座を解任される事態も起こっています。
    一方民主党はDSSに対して
(1)レギヤのこのタイミングでの登場は、現DSS政権が裁判で民主党を不利に導く証言をさせるためレギヤ本人と行った取引の産物ではないか とし、内務省がレギヤの居場所をかなり前の段階から把握していたのではないかという疑問もぶつけています。これについてはコシュトゥニツァ首相が否定していますが、ヨチッチ内相(DSS)は「レギヤが捕まったことが大事で、どこにいたかはそれほど重要ではない」と発言/失言し波紋を呼んでいます。
     週刊ニン誌5月27日号のアンケートによれば「ジンジッチ暗殺に民主党、DSSのどちらかか双方が何らかの関与をしていたと思うか」に「そう思う」という回答を寄せた市民が何と58%。
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大統領になってもらっては困る(!?)極右のニコリッチ急進党党首代行(左)に挑むタディッチ民主党党首(右)だが、DSSとの政争はニコリッチを利するだけ、の批判も
「暗殺は昨年当局発表通りのシナリオだったと思うか」に「違うと思う」が61%でした。民主党、DSSの双方が「何かを隠している」というイメージだけが独走し始めてしまいました。明らかに大統領選を控えての対立激化というわけですが、このような泥仕合が続いては極右のニコリッチ候補を利するだけではないか、と識者は異口同音にこぼしています。第一回投票でニコリッチの通過はほぼ確実(ストラテジック・マーケティング社6月2日発表予測=36%)。DSSマルシチャニン(同16%)を民主党タディッチ(同28%)がややリード、この2人で二位通過を争う展開となりそうですが、二週間後の上位二名による決選投票で「極右の大統領を避けるための大同団結(DSSがタディッチを支持する、など)」の可能性はほぼ消えてしまいました。
    極右のニコリッチ候補が共和国大統領となった場合、連立政権に参加している経済派のG17は連立離脱を表明しています。セルビア(=モンテネグロ)の政治混迷は深まるばかりですし、何より対外イメージが極端に悪くなってしまうでしょう。既にEUソラナ上級代表(共通外交安保政策担当)は「ニコリッチが勝った場合はEUの協力はストップ」と述べています(オーストリア・ディ=プレッス紙/BETA通信6月2日)し、何らかの国際制裁を受ける可能性も否定し切れません。
    いずれにしてもレギヤ裁判が本格的に始まる第2回公判は6月10日。ちょうど大統領選の3日前で、選挙戦と選挙報道が停止される日になります。翌日の新聞を意識してレギヤがDSSか民主党の選挙不利を導くような発言をすることも、極右を利することも理論的には可能ですし、その意味で「レギヤが大統領選を決める」(週刊ヴレーメ誌)という皮肉も事実から遠くない状態です。ちょっと困ったことになりました。

    5月下旬、大衆週刊誌レヴィヤ92(主要メディアのラジオ・TVB92とは無関係)が、拘置所でレギヤが書いたという書簡/所感を発表しました。「私と家族に着せられた汚名を晴らすために自首した。政治家たちはそれぞれ勝手なことを言っているが、そのウラの側面があることを明かしたい。私は正教徒で愛国者であり、自分のしたことのために後悔したことは一度もない」という趣旨のものです。それはそれで面白いのですが、クリャイッチ裁判長以下関係者は「裁判の進行に影響し得る内容の所感公表は許可されていないし、
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レギヤ公判が行われた日の特別裁判所には、故首相が党首を務めた民主党のシンパなど多くの傍聴希望者が詰めかけた。組織犯罪、戦争犯罪の裁判を目的として昨秋設けられたばかりの施設だ(写真提供:吉田正則氏)
これを発表するマスコミは刑法に触れる可能性がある」と警告しています。どういうイキサツで許可されていないはずのものが活字になってしまったのかは不明ですが・・・。
    目覚しい前進が出来ないまでも、極右以外のセルビアがEUへ顔を向けていることは確かです。そしてEUへ接近するために必要な課題の一つが司法改革です。レギヤ一派がセルビア外の国際犯罪組織とどの程度関係があるのかは現在不明ですが、組織犯罪対策は今や国際的な課題となっていますし、刑事訴訟とは関係なくとも、外国投資が今後増えれば、独立して能率的な商事裁判の必要は大きくなるでしょう。
    ミロシェヴィッチ政権時代、セルビアの司法は非効率で時間がかかる、政治の影響を受ける、賄賂は当然、という世界でした。こうした司法制度改革に全体的なメスが入ったのはようやく昨年になってからのことで、行政府からの独立性を強めるべく法律も徐々に整備されつつある段階です。もちろん日本で最高裁判事の独立性がしばしば疑問に付されることがあるように、先進国でも完全に司法権が独立している国は稀であることは筆者は十分承知していますが、改革に着手しないよりはましです。「ジンジッチ時代は法的基盤のないまま『改革』だけが先走りし、汚職やスキャンダルを招くことになった。私はセルビアを真の『法治国家』にしたいと思う。制度、法律、司法の独立を整備することが、よりよい国家作りの柱だ」、とコシュトゥニツァ首相は言います(週刊ヴレーメ誌6月2日号)。
    現在レギヤ裁判が行われている特別裁判所は、昨年10月に首相暗殺など重要組織犯罪及び戦争犯罪の裁判のために米政府の財政支援を受けて設けられました。ベオグラード市中心部の外れにあり、延べ敷地面積6500平米、防弾ガラス、モニター、マイクなど最新技術を完備した施設です。民主党前政権時代の産物なので、ストイコヴィッチ現共和国法相(DSS)は必ずしも高い評価をしているわけではありませんが、これも司法改革の一端であることは否定できません。現在のところレギヤ裁判に関しては、判・検・弁サイドとも「政治の影響を受けず、きちんとした裁判だけが真実を明らかにする」と、公正な裁判への意気込みを感じさせる発言が続いています。昨年暮れの暗殺関連裁判開始時、非営利団体ヘルシンキ人権センターのビセルコ・ベオグラード支部長は「既に裁判開始前から政治的文脈があまりにも関与し過ぎている」としながらも、「これはセルビア司法の試金石になる。展開を見守りたい」と述べています(日刊ダナス紙昨年12月27日付)。
    残念ながら、まだまだこの国の政治は波乱含みの展開が続きそうです。次回もセルビア発で、共和国大統領選の結果やモンテネグロと共同国家の近況などを中心にまとめる予定です。レギヤの爆弾発言ほか大事件がなければ、ですけれども、予定通りのテーマで書けないことがこのHPではしばしば起こることは読者の皆さんもご存知ですよね。

(2004年6月上旬)


画像提供及び執筆協力を頂いた吉田正則氏に謝意を表します。同氏が今後雑誌等に発表する場合は写真や文章が一部重複する可能性があります。また写真には筆者が2002年通訳業務の前後に撮影したものが含まれますが、本ページへの掲載に当たっては各クライアントの承諾を得ています。画像・本文の無断転載はかたくお断りいたします。


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