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■大村家墓所
 本堂の南西方に隣接し、約3000平方メートルの広さの中に、6メートルをこえる墓碑をはじめ、各種の形式の墓碑が林立し、その規模が大きく、石工技術が精巧で見事な墓碑群である。本経寺大村家墓碑群として、昭和三十九年県指定有形文化財になっている。



■墓所入り口
石柵の向うが大村家墓所である。左方三基は手前より、承応三年(1654)建立の法界塔、天保二年(1831)建立の日蓮大菩薩塔、本経寺開山の日真上人塔である。



■第二十五代純富公の墓
墓所内で最も高い墓碑で、六・九五メートルの五輪塔である。空輪に妙、風輪に法、大輪に蓮華、水輪に経、地輪に法名を銘してある。河内守純富公は、稲の蝗害を除去するため鯨油の使用を始め、幕府に甘藷を献上された。

■諸尊霊の墓
屋根形の笠石をかぶせた棹石塔で、大村家墓所柵外にある。本経寺創建までの領主、即ち大村氏始祖直澄公より第十八代純忠公までの歴代の霊を合祀してある。



■継ぎ墓
第二十二代純長公の女於満志(おまし)の方の墓で、延宝三年(1675)に没している。棹石の上方の角に継ぎはぎが見えるが、反対側にももっと大きな継ぎはぎあるので、このように称している。この理由は不明であるが、キリシタン関係のものを隠匿してあるのではないかなどと言って、キリシタン禁教初期の混乱の一端を物語る説がある。
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-寺院紹介-
本堂境内古い構え寺内部位牌宗宝|墓碑|
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