My Favorite Things 

僕の好きな音楽、小説映画を集めてみました。特に脈絡のない本当にがらくた箱のようなものですが。

音楽

ゴールドベルク変奏曲   ヨハン セバスチアン バッハ  (グレン グールド P.)

グールドのゴールドベルグの録音は、センセーショナルなデビューを飾った1954年の演奏と、死の直前の1981年の二枚がある。(何という因縁!)そしてどちらも素晴らしい。映画「羊たちの沈黙」の中で、檻に入れられたレクター博士が朝食の前に、このレコードを聞いている印象的なシーンがありました。    

フランス組曲          ヨハン セバスチアン バッハ  (グレン グールド P.)

無伴奏ヴァイオリン パルティータ   ヨハン セバスチアン バッハ (ギドン クレメール Viol.)

クレメールの躍動感あふれる演奏。ベルギー映画「無伴奏 シャコンヌ」では、クレメールが音楽監督を務めてヴァイオリンを演奏していました。  

ピアノ ソナタ イ長調 k331「トルコ行進曲付き」  モーツアルト (グレン グールド P.)

誰でも知っているモーツアルトの曲ですが、初めて聞く人はそのテンポの、通常の演奏とあまりにも違うことに戸惑う。グールドは、あるジャーナリストの、なぜあなたはモーツアルトの指定通りのテンポで弾かないのか、という質問にこう答えている。「それはモーツアルトが間違っているのだ」と。

幻想曲 ニ短調  モーツアルト  (ダニエル バレンボエム P.)

明と暗、陽と陰、モーツアルトの両義性

子供の情景  シューマン  (マルタ アルゲリッチ P.)

前奏曲集第一巻  ドビッシー  (ベネデッティ ミケランジェリ P.)

夜のガスパール  ラベル  (マルタ アルゲリッチ P.)

ルーマニア民族舞曲  ベラ バルトーク  (アンドラーシュ シフ P.)

農民たちの踊る姿が見えるようで、バルトークのルーマニアやハンガリーの民謡から採譜したピアノ曲は僕のお気に入りです。

グノシエンヌ  エリック サティ  (アルド チッコリーニ P.)

ピアノ ディスタンス  武満 徹  (松谷 翠 P.)

武満徹の著書に、「音、沈黙とはかりあえるほどに」というのがありますが、この曲を聞くと、音と沈黙の距離について考えてしまいます。

バラード   ジョン コルトレーン 

コルトレーンのサックスが本当によく歌います。(曲が歌ものと言うこともあるけれど)

カインド オブ ブルー   マイルス デイビス

夜中に一人で聞いていると心にしみてきます。キャノンボールもエバンスも良いし。

ワルツ フォー デビー   ビル エバンス

テイク ラブ イージー   エラ フィッツジェラルド

ばりばりスキャットで歌いまくるエラも良いけれど、ギター一本でしっとり歌うエラも良いですね。ギターはジョー パス。

ナウ ザ タイム   チャーりー パーカー

カーメン シングス モンク   カーメン マックレー

モンクの曲をカーメン節で歌う。もんくありません。

テザード ムーン   菊池 雅章

サマー タイム    ビリー ホリデー

サマー タイム    ジャニス ジョップリン

ジャニスのこの曲は聞く度に背中がぞくぞくします。nnn nathigと音のつまるところで。

イマジン       ジョン レノン 

僕は60年代に高校生だったので、そのころの高校生の例に漏れず、ビートルズにどっぷり浸かっていた時期があった。特に、ジョンのあのメッセージ性の強い歌詞には引かれていました。

エ・ララ・ライエ   ジョアン ドナート

最近、日曜の朝にコーヒーを飲みながら、または車を運転しながら、このアルバム良くを聞いている。ドナートの無理のない自然な歌声が、なんとも気持ちが良い。

文学

 100年の孤独   ガルシア マルケス

架空の村マコンドでの一家の隆盛と、降り続く雨の中で滅んで行くまでの100年間を幻想的に描く、マルケスの世界。

 予告された殺人の記録   ガルシア マルケス

予告され、誰にも止められたはずなのに、実行されたミステリアスな殺人の記録。これは映画化もされていて、映画もなかなかよかった。

 緑の家   バルガス ジョサ

独立して最初の仕事をしているときにこの本を読んでいたので、その建物に「かさべるで」(緑の家)という名を付けました。 

 ボルヘス怪奇譚集   ホルヘ ルイス ボルヘス

夢のなかの現実、小宇宙のなかの大宇宙、倒置され、入れ子状になったボルヘスの世界。

 マラケッシュの声   エリアス カネッティ

カネッティのマラケッシュでの体験を綴る紀行文。音、色、におい、皮膚の感覚がそのまま伝わってくる傑作。

 桜の森の満開の下   坂口 安吾

 火宅の人   檀 一雄

まさに無頼派そのままの檀一雄の生活が描かれている。沢木耕太郎による夫人の目から見た檀一雄、「檀」も面白い。

 同時代ゲーム    大江 健三郎

故郷の森の歴史と神話をめぐる作品の一作目。

 ゴヤ    堀田 善衛

ゴヤの生涯をたどる堀田善衛のライフワーク。一枚一枚の絵から謎解きのようにゴヤの生活をあぶり出すのは見事で、ミステリーを読んでいるよう。これ以降の、スペインをめぐる作品はどれも面白い。

 ローマ人の物語   塩野 七生

ローマの建国から滅亡までを画く、塩野七生のライフワーク。年一巻ずつで、全15巻の予定。2003年の時点で12巻まで進んでいる。この人のエネルギーには脱帽。
追記: 2006年の末、に全15巻が完結しました。この15年間、毎年お正月には、新刊を読むのを楽しみにしていたので少しさびしい思いがします。

 海の都の物語    塩野 七生

 羊をめぐる冒険   村上 春樹

かみさんが読んでいる村上春樹を横目で見ていたのが、いつの間にか村上ワールドにはまりこんでしまいました。

 アンダーグランド   村上 春樹

地下鉄サリン事件の被害者60人に、村上春樹が一人一人インタビューしたドキュメント。特異な事件に関わる被害者の心身の傷の深さが浮き彫りにされるけれども、僕にとって興味を引いたのは、一人一人の生活がそこにはあるという当たり前のことだった。村上春樹は事件との関わりだけでなく、被害者の生い立ちを丁寧にインタビューしている。たとえば僕たちは電車に乗っているときに、周りの人々の一人一人の生活について考えることはない。抽象的な「人間」として見ているのではないだろうか。サリン事件の加害者たちの視点もそうであって、一人一人の人間の生活にまで及ぶ想像力があれば、あのような事件を引き起こすことは出来なかったはずと、この本を読みながら考えてしまった。

 心臓を貫かれて   マイケル ギルモア

望んで銃殺刑になった殺人犯、ゲイリー ギルモアの弟のマイケルの書いた悲劇へと至る一家の歴史。村上春樹の翻訳と言うことで読み始めたけれど、なかなかすごい本です。

 本当の戦争の話をしよう  ティム・オブライエン

これもやはり村上春樹の翻訳。ベトナム戦争を題材にした、短編集。当時のアメリカの若者にとって、ベトナム戦争とは何だったのかが、生々しく画かれている。それは同時代に生きていても、我々日本人には、理解できないものがあるという、当然のことに驚くと共に、読み進む内に、じわじわと心の中に、染み込んでくるものがあることに気が付きます。

 偶然の音楽  ポール・オースター

去年(2003年)はすっかりポール・オースターにはまってしまった。巧みなストーリー展開と、物語の不条理性は、昔、カフカや、カミユを読んでいた頃を思い出しました。「幽霊たち」、「シティ・オブ・グラス」、「ムーン・パレス」「孤独の発明」、「鍵の掛かった部屋」、「最後のもの達の国で」、「リヴァイアサン」と、手に入る本は立て続けに読んでしまった。

 雨月物語  上田秋成

グスターボ・アドルフォ・ベッケルという、18世紀の作家の「スペイン伝説集」を読んだ。これはスペイン各地に伝わる怪奇譚を集めたものだけれど、表現の美しさに感心して、そこから、ふと、雨月物語を思い出して読んでみました。原文と現代語訳を比べながら読んだのだけれど、原文も比較的分かりやすく、その文章の美しさには圧倒されました。

 レイモンド・カーヴァー全集

レイモンド・カーヴァーの短編・詩・散文、そして奥さんであったテス・ギャラガーのレイに関する文章を網羅した全集で、全7巻を村上春樹が翻訳している。
僕は、この全ての作品が好きだけれど、特に遺作となった「使い走り」が素晴らしい。これは、チェーホフの臨終の場面を描いた作品。研ぎ澄まされた、無駄なところのまったくない文章は、レイが最期に到達した世界を示している。自らも、余命が幾らもないことを医者より宣告されている時期に書かれている。その時期についての、テス・ギャラガーの文章も興味深いものです。

 ドン・キホーテ  セルバンテス  萩内勝之 訳

去年(2006年)は、昔に読んだ本をいろいろと読み直してみた。ひとつには、ここのところ新訳、改定訳がいろいろと出てきたこともある。マルケスの「100年の孤独」、カフカの「城」、フィッツジェラルドの「グレート ギャツビー」、そして、新訳ではないけれど、昔とは違う訳で、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」。歳をとって、読み方が替わってきていることもあるけれど、訳によっても随分と理解の仕方が変わってくる。

ドン・キホーテの翻訳はとても斬新で楽しいものでした。セルバンテスがこの本を出版した、17世紀初頭のスペインで、熱狂的に読まれた雰囲気が良く伝わってきます。特にサンチョ パンサの駄洒落と地口の連発には、思わず笑ってしまいます。ドン・キホーテとサンチョ・パンサのやり取りは、漫才の「ボケ」と「突っ込み」のよう。

 コレラの時代の愛  ガルシア・マルケス

若き日に破れた恋を忘れられずに、51年9ヶ月と4日の間、女を待ち続けた男と、やがて成就した恋の話。マルケスの作品には、さまざまな男と女の愛が描かれているが、最新作の「わが悲しき娼婦たちの思い出」も愛についての、興味深い物語でした。

内容とは関係のないことですが、新潮社のガルシア・マルケス全集の装丁はとても洒落ていて、気に入っています。

 砂の惑星  スタニスワフ・レム

レムの小説としては、二度映画化された、「惑星ソラリス」が有名で、そこでは海そのものが、ひとつの生命体として描かれていました。「砂の惑星」では、かってこの惑星を訪れた、知的生命体が滅んだ後に、残された機械たちが、熾烈な生存競争の中で、高度に進化して、人間に襲い掛かると言う話。動物と同じように、学習能力を持った機械は、自然淘汰を繰り返して、進化するという、奇想天外な発想が、奇妙にリアリティを持っている。

 ローズウオーターさん、あなたに神のお恵みを  カート・ヴォネガット

莫大な富を持ち、隣人愛に満ちて、ユートピアを夢想する男の物語。ヴォネガット独特のユーモアと、シニカルな社会批判に満ちている。ヴォネガットは、SF作家といわれることを嫌っているようだけれど、作品のテーマを極端に推し進めると、それはいつもSF小説というスタイルになるようだ。ここでは「富と人間」の関係がテーマになっているし、「ネコのゆりかご」では、アイスナインという最終兵器を手に入れた独裁者の「権力と人間」について、「スロターハウス5」では、「戦争と人間」、そして、「プレイヤーピアノ」では人間から労働を奪う、自動機械について語られている。

PS.今年の4月にカート・ヴォネガットはなくなったそうです。好きな作家の新しい作品が読めないのは悲しいことです。遺作となった、「国のない男」を早速読みました。エッセイ集ですが、ユーモアと、シニカルな批判に満ちた、ヴォネガットの思想に触れることが出来ます。

 オウエンのために祈りを  ジョン・アーヴィング

これは、奇跡の物語だ。短い時間に起きる奇跡ではなく、長い時間を掛けて、一人の男の上に成就される奇跡の物語。なんという話だろう。
主人公オーエンだけでなく、その周りのグレーヴズエンドの人々が生き生きと描かれている。オーエンの友人で、物語の語り手となるジョニー、その母親のタビー、祖母のハリエット、母親の夫となるダン、いとこのヘスター等々、全ての登場人物が自分の知り合いであるかのようにリアルに感じられる。
そして、長い物語の中に出てくるさまざまなエピソードが、最期の数ページで全て必然性を持っていたことに気づかされる。

 未亡人の一年  ジョン・アーヴィング

今年(2007年)はマルケスに始まって、アーヴィングに終わる年のようだ。二人とも、あふれる想像力の中から物語を作り出す名人と言えると思う。ありえないようなエピソードを、読者にリアルなものとして納得させるところも二人は似ている。
未亡人の一年では、絵本作家のテッドと妻のマリアン、娘のルーシー、マリアンを40年間思い続けるエディー、全員が作家である。ルーシーは、経験からしか小説を書けないエディーの想像力の欠如を非難する。
テッドは、助手に雇った、高校生のエディーの作品を読んでこういう「ディテールだ、エディー。ディテールを具体的に書くんだ。読者はディテールからイメージを喚起されるんだ。」これは、物を作る人間にとっては、いつも心すべきことに違いない。

映画

 エデンの東

ジェームス ディーンの3本の映画は全て好きだけれども、やはりこれが一番。原作、監督が良いこともあると思うけれども。

 イージーライダー

60年代終わりから70年代にかけてのいわゆる、アメリカンニューシネマといわれたものには、僕のお気に入りが多い。その時代に学生だったこともあるのだけれど。アルパッチーノ、ダスティン ホフマン、ジャック ニコルソン、ロバート レッドフォード、といったスター達もその頃でてきた。

 山猫

ヴィスコンティの作品にも好きなものが多いけれど、やはり一番はこれ。特に主演のバート ランカスターが良い。ヴィスコンティーの作品は舞台に凝っていて、貴族の館、衣装、小道具にまで使われているものが全て本物のよう。仕事柄、そっちの方にもつい目がいってしまう。

 暗殺のオペラ

ベルトリッチの作品は「ラスト エンペラー」のような大作よりも、このころのものの方が好き。これは、原作がボルヘスのせいか特に気に入っている。

 そして船は行く

フェリーニの作品にはもっと有名で、優れたものもたくさんあるけれど、この映画のなかの、月夜のなか、ビニールで出来た、海のセットのなかを行く船のシーンがとても美しくて、妙に印象に残っています。

 ローズ

ジャニス ジョップリンをモデルにしてベット ミドラーが主演のロック歌手を演じる。歌えて演技が出来るという点ではベットは適役。最近は怪優という感じもするけれど。同じような役柄で「フォー ザ ボーイズ」もよかった。

 2001年宇宙の旅

アーサー C クラークの原作をキューブリックが見事に映像化。シュトラウスのワルツに合わせて宇宙ステーションが廻るシーンや、最後にボーマン船長がたどり着く、真っ白な部屋のシーンなどが印象的だった。もっとも、映画だけでは内容を理解するのはちょっと難しくて、原作を読んで初めて解るところも多い。

 ボギー俺も男だ

このころのウッディ アレンの映画は本当におかしい。洒落てて、ウィットとユーモアがある。ダイアン キートンも良かったし。

 バグダッドカフェ

これはとても不思議な映画だった。ちょっとおかしくて、もの悲しいところもあるけれど、見終わっていつまでものんびりした優しい気持ちが残る。こういう映画って意外と少ないですね。

 ナイツ オン ザ プラネット

一夜の間の、ニューヨーク、ロスアンジェルス、ローマ、パリ、ヘルシンキ、のタクシードライバーと客とのやりとりをオムニバスで描いた、ジムジャームッシュの作品。話の設定がユニーク。特に一話目のウィノナ ライダーのひきりなしにタバコを吸っている、若い女性ドライバーが良い。僕はこれですっかり彼女のファンになってしまった。

 欲望のあいまいな対象

若い女の二面性に翻弄される初老の男の話なのだけれど、見終わって、えっ!やられたと思う。実はこの女性が二人一役、その現れる面によって、髪型や服装が違うだけでなく、全く違う俳優で、顔も後から考えると全然似ていないのだけれど、映画を見ているときは気が付かない。ルイス ブニュエルにしてやられたと誰でもが思うだろう。

 髪結いの亭主

奇妙な、静かな、そして激しい愛の物語。

 ドゥ ザ ライト シングス

はじめは笑わせておいて、だんだん深刻に、そして悲惨な結末が。スパイク リー監督。

 テルマ&ルイーズ

この映画ではなんと言ってもスーザン サランドンがかっこいい。僕はこれで彼女の大ファンになってしまった。彼女のでる映画は、はずれがない。

 チゴイネルワイゼン

僕は日本映画はあまり見ないけれど、鈴木清順だけは例外。ストーリーが良いし、何しろ美術が良くて、映像が凝っている。

 ダメージ

若い女に翻弄されて、破滅して行く、外交官を描く、ルイ マルの遺作。

 グレン グールドをめぐる32章

ゴールドベルグ変奏曲にちなんで32のグールドに関する断章からなる作品。グールドがドライブインの客達の喧噪を、音楽として聞き取っているシーンなど興味深いエピソードがちりばめられている。

 パルプフィクション

バイオレンス映画でユーモアがないと、見終わって後味が悪いけれど、そのてんタランティーノの映画はすごく笑わせる。そして最後のシーンがしゃれているし。トラボルタもこの映画ですっかり復活した。

 アイ・アム・サム

ショーン・ペンが、知的障害がある父親として、愛する娘の親権を、剥奪されそうになりながらも、障害者の仲間に助けられて戦う役柄を、見事に演じています。この人は、どんな役をやっても本当にうまい人ですね。

 ミスティックリバー

クリント・イーストウッドと言う人は俳優としても、もちろんいいけれども、監督としても優れた作品が多い。「バード」「許されざる者」「マディソン郡の橋」と独特の暗い画面に、重厚さが加わってきた。この映画では、やはり主役のショーン・ペンが良い。

 めぐり会う時間たち

バージニア・ウルフの小説を軸に、時代も場所も違う、3人の女性たちの苦悩を画く。その時代と場所の移動のテンポがすごく決まっているし、各場面に共通する、ちょっとしたライトモチーフの使い方がいい。三人の女性を演じる、ニコール・キッドマン、メリル・ストリープ、ジュリアン・ムーアも本当に良い。

 トーク・トゥー・ハー

スペインの監督、ペドロ・アルモドバルの「オール・アバウト・マイ・マザー」に続く作品。この映画を見ていると、映画が総合芸術であると、あらためて、認識させられる。絵画的要素、音楽、文学的要素、そのすべてがここ統合されていて、しかも映画でなくては表現できないものが。映画の1シーンで歌われていた、「ククルクク・パローマ」は本当に心に染み込んでくる歌でした。

 硫黄島からの手紙

イーストウッドが撮った「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」を続けてみた。太平洋戦争末期の硫黄島の戦いを、アメリカ側のエピソードと、日本側からの両方の視点で描く、というアイディアが面白い。特に「硫黄島からの手紙」にイーストウッドの戦争に対する考え方が明確に出ていて、興味深い。ここで、イーストウッドは、逃げられない運命の極限の中では、誰もが、善人も悪人もなく、ただ一人一人の人間として存在していることを描いている。僕は、中村獅童の演じていた、過酷な鬼軍曹が、地雷を抱いて自爆しようとして、死に切れずに、やりきれないむなしさを、その表情に浮かべているところが印象に残っています。

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