「平和問題ゼミナール」
旧ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2008/08/30

第95回配信
マスコミは敵だ     2008年8月下旬


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(左)ベオグラードに潜伏し変装していた時期のカラジッチ被告(画像提供:日刊アロー!紙写真部)は(右)ボスニア紛争期とほぼ同じ容貌に戻って7月31日国際法廷に初出廷した(旧ユーゴ国際戦犯法廷共通映像)
    こういう地域にいて情勢ウォッチャーのはしくれをやっている筆者ですから、戦争や空爆を過ぎた21世紀になっても、何の変哲もない一日が突然慌しい日に変わってしまったことは何度か経験があります。ミロシェヴィッチ逮捕(01年3月、第44回配信参照)の時もそうでしたし、ジンジッチ暗殺(03年3月、第67回配信参照)の時も。そのたびに事件の第一報を誰かに知らせてもらって、「言われて急いでTVをつけてみると」などと、このHPでも恥をさらしているわけですが、今年7月21日もやはり同じようなことが起こりました。
    世の中も筆者の気分も夏休みモードでした。夕方のニュースは、ツヴェトコヴィッチ親欧新政権が誕生しながらも、野党勢力の妨害戦術でなかなか軌道に乗らないセルビア議会で、ジュキッチ=デヤノヴィッチ議長が2週間の休会宣言をしたという程度です。ところが、「便り」でもよく写真をお借りすることのある日刊アロー!紙嘱託カメラマンの吉田正則さんから、夜11時半と少し遅めの時間に電話が入りました。
大塚:この時間にどうした、今日は夜番で編集部かい?
吉田:いや今自宅でTV−B92を見てるんですが、どうもカラジッチが捕まったって言ってるようなんです。大塚さんの方がセルビア語ちゃんと分かるでしょうからチェックしてみてくれませんか?
大塚:またオオカミと羊飼いの少年みたいな話じゃないの?
    で、またまた「言われて急いでTVをつけてみると」(苦笑)、世界のトップニュースが正に第一報として流れているところでした。カメラを掴んで現場に飛び出す可能性の高い吉田さんと違い、通訳・取材コーディネーターが本業の筆者はTVやインターネットでニュースを追いかけるのが最初の仕事になります。さっそく日本の報道機関に連絡するなど、吉田さんのお蔭で比較的速い対応が出来ました(後日分かったのですが、私がTVをつけたのは第一報をB92が伝え始めた5、6分後のことでした)。

    ボスニア紛争時のセルビア人支配勢力地域(「セルビア人共和国」)大統領だったカラジッチ被告は、虐殺、虐殺への関与、人道に反する罪など11点でオランダ・ハーグの旧ユーゴ国際戦犯法廷から95年に訴追されています。
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(上)潜伏中カラジッチ被告が馴染みにしていたベオグラード西部の喫茶店には、7月31日の初出廷をTVで見ようという客が多く集まった。TVの周りには一弦琴と変装した容姿の同被告の肖像が(画像提供:infobiro.tv)(下)被告が収容されているハーグのスヘフェニンゲン拘置所
同勢力軍の最高司令官だったムラディッチ大将とともに96年以降行方をくらましており、両「大物戦犯」の逮捕は、潜伏先として強く疑われていたセルビア本国の国際的な課題となっていました。
    カラジッチ逮捕の詳細については政府が発表内容を制限しているため、本稿執筆現在も様々な憶測が聞かれていますが、18日ないし21日にベオグラード郊外の一般交通バスに乗っているところを、事実上の秘密警察であるセルビア国家直属の治安情報局関係者が逮捕したものとみなされています。
    ボスニア紛争当時のカラジッチ被告の顔を知らない人は旧ユーゴ圏では皆無と言っていいほどですが、逮捕時は著しく容貌を変えていました。ハーグ移送前の在ベオグラード特別裁判所での予備取調べの際、戦犯容疑者として逮捕された被告の中には本人であることを否定し、DNA鑑定などで移送前の拘留を長引かせる先例もありましたが、カラジッチ被告の場合は本人であることを即時に認め、国際戦犯法廷の起訴状を受け取ったといいます(7月22日ヴヤチッチ国内担当弁護士談、TV−B92放送)。被告の身柄は7月30日未明、ベオグラード空港からハーグに送られ、翌31日に初出廷、罪状認否が行われました。顔は細くなったものの、ボスニア紛争時とほぼ同じ容貌に戻って姿を現した被告ですが、明確な罪状認否を避けたため、次回8月29日に再び予備法廷が開かれます。この際にも被告が認否を避けた場合は、自動的に起訴事実を否定したものとして主裁判が開始される見通しです。

    12年間行方をくらましていたカラジッチ被告の潜伏先については、セルビア、ボスニア、モンテネグロ各地が噂となり、セルビア人共和国旧暫定首都パレにある被告の家族の家にも、数回にわたり多国籍軍の取調べが入っていました。しかし本人がいたのはこの地域最大の都市であるベオグラードの住宅地でした。瞑想や薬草治療、ヒーリングの専門家ドラガン=ダヴィド・ダビッチ博士を名乗り、医療雑誌に寄稿しているほか、セルビア各地で講演を行うなど表向きの収入もあったようです。また自宅近くの喫茶店でワイングラスを傾け、時にはグスラ(一弦琴=セルビアの民族楽器)を弾く常連客だったといいます。逮捕ニュース後、この喫茶店を取材した前述の吉田さんは「内外のマスコミが殺到するので、店の宣伝になると思っているのでしょう。店主は上機嫌で『これがカラジッチの好きだったワインです』と報道陣にタダ酒の大盤振る舞いでした」とのこと。
    「潜伏」とは名ばかりで、実際はそれなりに優雅にやっていたようですが、犯罪学研究所のクロン所長(心理学)は「外見や職業は変えたが、数百人の聴衆を相手に講演するなど、目立ちたがりで喝采を受けないと気がすまない性格は政治家時代と同じだったのだろう」(7月23日TV−B92放送)とコメントしています。

    セルビア経済のミニ好景気を扱った前回配信からも読者の皆さんにはご想像頂けると思いますが、普段のセルビアとベオグラードは平静そのものの昨今です。
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(左)7月22日ベオグラード最中心部・共和国広場での極右グループの抗議集会でデモ隊と押し合う機動隊員(画像提供:吉田正則氏)(右)今年2月コソヴォ独立反対集会に参加する極右シンパの若者。カラジッチ、ムラディッチの肖像の下に「セルビアの英雄」と書かれている(画像提供:鈴木健太氏)
しかしコソヴォ独立の余波として米大使館放火事件が発生した今年2月21日(第89回配信参照)のように、何かコトがあると騒々しい数日が続いてしまうのは、セルビアのイメージを悪くするだけですから困ったものです。今回もカラジッチ被告逮捕からハーグ移送までの10日間は緊迫した情勢が続きました。ボスニア和平から13年。翌年に姿を消したカラジッチ被告自身は、政治的には既に死んでいます。しかしセルビア親欧政権は逮捕を国際的な点数稼ぎとしたいわけですし、一方民族右派野党はこれに抗議しながら政権との対立を先鋭化したいということで、カラジッチ逮捕の政治的利用を狙う双方の思惑が緊張を生んだと言えます。ことを複雑にしたのは、今春の米大使館放火でも「主役」となった極右の若者たちでした。
    これらの若者たちは、サッカーの暴徒になぞらえて当地でもしばしばフーリガンと呼ばれています。カラジッチやムラディッチなど戦犯容疑者を「民族の英雄」と位置づけるなど、民族右翼色は鮮明ですが、必ずしもセルビア急進党ほか既成右派政党と共同歩調を取るとは限らず、むしろセ急進党が排除しているナチズムにシンパシーを感じているようです。1940年代にナチを仇敵としたセルビアでネオナチが登場するのも、ボスニア紛争をリアルタイムで覚えているとは思えない10代後半や20才そこそこの若者がカラジッチを担ぎ上げるというのも筆者には理解し難いものです。むしろ器物の破壊や機動隊との衝突を面白がって集会やデモに「まぎれ込んでいる」と言っても過言ではないように思われます。
    彼ら非党派極右グループは、
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今やマスコミはデモ隊の敵らしい。7月24日、行進中のデモ参加者から突如蹴られTV−B92のカメラマンが重傷を負った瞬間に撮影していた映像。この19才の青年は5日後に逮捕された(撮影:TV-B92、映像配信:infobiro.tv)
既にカラジッチ被告逮捕の報が流れた7月21日深夜には同被告が留置されている特別裁判所前などに集結していますが、翌日から毎夕の抗議集会を組織し始めました。22日にはベオグラード最中心部の共和国広場で機動隊と小規模の衝突があり、喫茶店の備品やベオグラード夏季芸術祭の展示品が破壊されました。23日からは共和国広場で気勢を上げた集会参加者が路上で抗議の行進を行うという、90年代反政府集会を真似たスタイルをとりますが、行進を取材中の地元TV−B92のカメラマンが、「ブン屋はやっちまえ」の声とともに、行進に参加していた若者から突然強い蹴りを浴びせられ、さらに数名から暴力を受けて足の骨を折る重傷を負う事件が24日に発生しました(蹴った19才の若者は5日後に逮捕されました)。
    今春のコソヴォ独立反対騒動でも、放火のあった米大使館前などで内外の報道関係者がデモ隊から暴力を受け負傷しています。ミロシェヴィッチ政権時代、民主化要求デモを取材する報道陣はデモ隊の側に付き、機動隊の突入に警戒するというポジションでしたが、最近のデモ取材ではマスコミはデモ隊の敵。取材者が機動隊の隊列を盾にしてフーリガンの投石や突入に警戒しているのですから、時代も変わったものです。24日の「カメラマン蹴り」事件を重視した国営セルビア放送は、極右の一連のデモのニュース放送を当面見合わせると宣言。独立マスコミ連合も緊急集会を開き対応を協議する事態となりました
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カラジッチ逮捕への抗議は名ばかりで騒乱が目的か?7月29日の共和国広場で標識柱、ゴミ箱や花壇を破壊し警察への攻撃に使う暴徒たち。この直後に機動隊の突入で潰走した(画像提供:吉田正則氏)
(取材・発表体制に関して統一の結論は出ず)。
    タディッチ大統領は7月24日に「戦犯容疑者を逮捕するのはセルビアの国際的義務で、新政府の意欲を評価する」とカラジッチ逮捕後初めて歓迎声明を発表しました。しかし同大統領ら親欧系政府関係者には脅迫状が相次いだため、要人警備レベルを高めると発表。一方極右グループへの一定の支持を隠さなかったセ急進党など既成右派政党は、29日に抗議の大集会開催を予告。セ急進党は議会選後の国営セルビア放送の報道が民主党寄りになっていると糾弾するなど、カラジッチを「ネタ」に反政府の動きを活性化させたい意図は明白です。ただしマスコミへの暴力を批判し、集会を取材する報道関係者には同党党員が厳重な警備を保証する、としました。しかし同党幹部のラデタ議員が記者会見で「タディッチのような民族の裏切り者は、暗殺された親欧派の故ジンジッチ首相の運命を辿るだろう」と述べる(発言を重視した検察当局が会見の映像を取り寄せています)など、カラジッチ被告逮捕への抗議そのものよりも、今春以降続く与野党対決のムードの中で集会当日を迎えました。
    夜7時から共和国広場で始まった集会は数万の参加者を集め、2時間半ほど大きな動きもなく推移しましたが、最後に保守派の雄ニコリッチ・セ急進党党首代行が演壇に上がる頃、広場から数百メートル離れた地点でフーリガンが機動隊に投石を開始。気が付いたニコリッチ党首代行が「われわれの標的は警察ではなくタディッチだ」と静止を呼び掛けますが、10時頃から本格的な衝突となり機動隊は催涙弾を使用。共和国広場にも機動隊がなだれ込んだため集会は流れ解散。結局負傷74(警察側51、報道関係者3)、未成年を含む逮捕者19、セ急進党ヴチッチ総書記も機動隊から殴打される混乱となりました。右派集会にまぎれ込んでいる暴徒を、既成政党がまったくコントロール出来ないことが改めて明らかになってしまいました。

    この夜が明ける頃カラジッチ被告はオランダに移送され、以後右派の大きな集会は開かれていません。

    5月の議会選結果を受けて発足した親欧政権ですが、実際は故ミロシェヴィッチが率いていたセ社会党の協力を仰ぐ僅差での勝利でした(第92回配信、前回配信参照)。それだけに早めに内外での点数を稼いで権力を確立し、実績で右派勢力に差をつけておきたいところです。
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29日の大集会終盤、催涙ガスの中を演壇から降りて果敢に警察との交渉に向かったセ急進党ヴチッチ総書記だが、自らも機動隊員に服をちぎられ殴打された。コソヴォ独立、カラジッチ逮捕と民族主義者の正念場が続く(画像提供:吉田正則氏)

    カラジッチ逮捕に対する先進国の反応はもちろん好意的で、欧州連合(EU)公式筋は「新政府とともにセルビアは欧州への道を歩き始めている」(EU共通外交安保政策担当上級委員官房、7月23日)としています。しかしEUとの安定化連合協定の批准など、将来のEU加盟に向けた政治的前進については、オランダのティメルマンスEU担当相のように「ムラディッチ容疑者が逮捕されるまではセルビアを手放しで評価するのは控えるべきだ」(24日付FoNet通信)とする慎重論も少なくありません。
    実はカラジッチ被告を逮捕したとされる治安情報局は、逮捕劇の数日前に長官が民主党寄りのヴカディノヴィッチ前法務省刑務局長に交代したばかりでした。となると、コシュトゥニッツァ前首相政権と、前首相に近いと言われたブラトヴィッチ前長官は今まで何をやっていたのか、という声が出てくるのは当然です。カラジッチの居場所を知っていて何もしなかったのではないか、ムラディッチ関連の情報もあるのではないか、等々の憶測が地元マスコミに書かれています。しかしこの「便り」でもしばしば「何もしない首相」として紹介してきたコシュトゥニッツァ前首相は、5月選挙後も議員になる選択をせず自ら率いる政党党首にとどまるのみで、党職以外の公の場には姿をあまり現さず「何も言わない前首相」を決め込んでいるようです。
    セルビア言論では良識派に属するものの、やや憶測記事の多い日刊ブリッツ紙は、「議会が秋に再開し内政が活発化する前、早ければ8月中のムラディッチ逮捕もあり」というシナリオを8月7日付で書いています。現実味はともかく、発足数ヶ月でカラジッチに続いてムラディッチを逮捕することで、新政府が政治的評価を上げることを期待したいと筆者は思っています。
    いずれにしても、セルビア=モンテネグロ時代の政治的課題は(1)モンテネグロ独立(2)コソヴォ問題(3)ハーグ法廷との協力、の三つでした。しかしモンテネグロは一昨年独立、国際的承認はともかくとしてコソヴォは今春独立を宣言。そしてカラジッチ、ムラディッチの大物二人のうち前者が逮捕され、セルビアという国が政治的な転回点に入っていることは間違いないと言えます。右派の支えであったコソヴォ独立とハーグ法廷への抵抗は骨抜きにされつつあります。セルビアの民族主義自体がこのまま退潮するのか、今秋以降も親欧政権と右派野党の対立が激化するのか、成り行きを注目したいと思います。

    大集会の潰走とカラジッチ被告のオランダ移送で、セルビア国内は夏休みの平静を取り戻しています。しかし7月31日、ハーグ初出廷での罪状認否の際の被告の発言が、今度は国際的な波紋を呼ぶことになりました。
    カラジッチ被告は「なぜ97、98年ではなく今ハーグに出廷することになったのか」というオリー裁判長の質問に答え、ホルブルック米国務次官補(当時)との密約があったと説明しました。この点に関しては、罪状認否に前後して被告自身が国際戦犯法廷に対する説明の書簡を書いています(法廷は裁判の公式書類としては取り扱わない決定をしていますが内容を公表しています)。またセルビアの特別裁判所での予備的取調べに際しても同様の発言をしたことが地元報道でリークされています。これらを要約すると、

    96年6月、カラジッチ被告(以下、私)はホルブルック国務次官補(写真)と会談。Richard Holbrooke (c)M.Otsuka私が大統領、セルビア民主党(SDS)党首など公の場から退き、報道・出版等での発言も止めることを条件に、米政府は1)ハーグ法廷の訴追を免除、2)党首を務めていたSDSに党解散などの圧力はかけず、選挙参加を認め、3)向こう6年間60万米ドル相当の生活資金と住居を保証する、という協定を締結した。これはホルブルック本人やクリントン大統領との個人的な協定ではなく、米国家との協定であるとホルブルックは説明した。この協定に関してはオルブライト国務長官やハーグ法廷のゴールドストーン主任検事(肩書きはいずれも96年当時)も承知しているはずだ。
    しかし米の訴追取消し工作はいつまでも実現せず、私の首にかけられた高額の懸賞金も撤回されない。「カラジッチ・ムラディッチ狩り」でボスニアに駐留する多国籍軍の乱暴な摘発が続き、罪のない人々が重傷を負うなどする中、私はホルブルックが手のひらを返したのだと悟り、生命の危険さえ感じるようになった。またハーグ法廷関係者がセルビア人共和国の公的機関に立入り調査を行った際、裁判局関係者を名乗りながら実際には検察局の人間が調査していたことが判明。さらに主任級の検事が、裁判も始まっていないのに私が最高刑(無期懲役)を受けるのはあたかも当然であるような発言をするのを聞くに及び、同法廷の公正性に疑念を抱かざるを得なくなった

    というものです。
    90年代米クリントン外交のエースの一人で、
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ビルト・スウェーデン外相(左、画像提供:クロアチア共和国政府広報局)は否定するが、アルトマン元主任検事広報(右)はホルブルック・カラジッチ密約説存在の可能性を示唆している
ボスニア・デートン包括和平の生みの親であるホルブルック元国務次官補は、「ヒラリー・クリントン大統領誕生で外交・政治の世界にカムバックする」という、本人にとって一番望ましいシナリオこそ消えてしまいましたが、本稿執筆現在もオバマ候補の外交チームの一員として名前が挙げられる(英ロイター電8月21日付)など、米民主党外交の重鎮であることは変わりません。最近もボスニアや旧ユーゴ圏情勢に関して発言を続けています。カラジッチ逮捕直後の日刊ドゥネヴニ・アヴァズ紙 [ボスニア] に対しては、「逮捕は私の政治キャリアの中で最も喜ばしいニュースだった。カラジッチはミロシェヴィッチよりひどい、最悪の男で死刑に値する。ハーグ法廷に死刑はない以上、無期懲役は当然だ」(7月26日付)と述べています。今回の密約話が浮上した直後には米CNNのインタビューに答え、「カラジッチが公職から退くという言質は取った。しかし見返りにアメリカが何かをするなどという話は全くのでたらめである」としています。
    96年当時、ボスニア和平履行会議上級代表だったビルト・スウェーデン外相は「ホルブルックはカラジッチ逮捕に努力していた男で、密約はあり得ない」とスウェーデンのラジオに対して述べました(週刊ヘルツェゴヴァチュケ・ノヴィネ誌 [ボスニア] 8月8日号から再引用)。
    しかし今回は少し意外なところから、密約説の存在を示唆する主張が出てきています。それは99年から昨年までハーグ法廷の主任検事を務めたデルポンテ氏陣営でした。前主任検事自身も「密約説があった疑い」に言及しています(前出ヘ・ノヴィネ誌、再引用)し、前主任検事の広報だったアルトマン氏は、退任後の昨秋に発表した著書の中で「先進国の中で故意にカラジッチ、ムラディッチ逮捕に力を傾注しない勢力があり、その筆頭格はホルブルックだった」としています。今回逮捕後も同元広報は「まだ密約の動かし難い証拠は見つかっていないが、カラジッチ裁判で被告が何を話すか注意深く見守り検証する必要がある」と語っています(日刊ブリッツ紙8月4日付)。この他にもボスニア和平各サイド関係者からホルブルック・カラジッチ協定の存在を裏付ける発言が出始めている一方、カラジッチ被告自身がホルブルック、オルブライトといった大物証人の出廷を要求していると伝えられます。今後展開されるであろう裁判のメインテーマは、むろんボスニア紛争での被告の戦争責任ですが、サブテーマとしてこの密約説が国際的な注目を集めると思われます。

(2008年8月下旬)


2008年8月現在、本稿で触れたデモ等に関連して日本国外務省は「最新スポット情報」により注意喚起を発出しています。セルビアに渡航される方はご注意下さい。
画像を提供して頂いた鈴木健太氏、吉田正則氏、日刊アロー!紙写真部、infobiro.tv、クロアチア共和国政府広報局に謝意を表します。旧ユーゴ国際戦犯法廷共通映像と表示した画像は、法廷内での独自取材を認めない同法廷が報道機関に対し共通の画像・映像として提供しているもので、版権は同法廷のみに存します。画像の一部は、2002年2月、2003年10月に日本の報道機関の取材に通訳として同行した際筆者が撮影したものです。その本ページへの掲載に当たっては、通訳上のクライアントから承諾を得ています。画像・本文とも無断転載はかたくお断りいたします。
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