「平和問題ゼミナール」
旧ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2008/05/22

第92回配信
第1回配信を発表してから10年が経ちました。これからもよろしくお願いします! 真ん中に、社会党     2008年5月中旬


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5月11日、ベオグラード中心部の第12投票所にて。昼間の有権者の出足はまずまず
    5月11日、セルビアでは議会選、地方選が行われました。コソヴォ独立と欧州連合(EU)接近政策の是非を巡って混乱した政局を収拾するため、親EU派と反EU派が国民の信を問う形になったものです。結果は日本でも報じられている通り、タディッチ大統領率いる民主党を中心とする親欧派が予想を大きく上回る得票で第一党に進出。前回、前々回選挙に続いて第一党(ともに最大野党にとどまった)の座を狙った右派のセルビア急進党は第二位に甘んじ、親欧政権、反欧政権成立の可能性が拮抗する状態になりました。本稿執筆時点も続く組閣工作の動きについては後半でレポートします。

    第90回配信後半で解散時の状況を報告しているように、連立与党を形成していたはずの民主党など親欧政策推進派と、コシュトゥニッツァ首相(肩書きは解散前のもの、以下同じ)が党首を務めるセルビア民主党(以下、DSS)など反欧保守派に分かれ、政府が空中分解してしまったわけですから、文字通り国論を二分する選挙になりました。マスコミ各紙誌には「歴史的(選挙)」という形容詞が躍りました。
    もっとも昨年初めに議会選があり、組閣工作が長引いた末にやっと現在の連立体制が成立してから一年足らず。 さらに今年2月初めには大統領選(第88回配信参照)で現職のタディッチが保守派の雄ニコリッチ・セ急進党党首代行を僅差で破るという、やはり「歴史的」な対決があったばかりです。大統領選以上に庶民の生活に影響し得る議会選ではあるものの、有権者の間に政治疲れがないのかという疑問はありました。
セルビア議会選  5月11日(99・58%開票時点)
定数=250
有権者約675万、投票率60・7%
民主党+4党102(約157万)中道左・親欧派
セ急進党78   (約120万)右派
DSS+1党30    (約47万)右派
セ社会党+2党20    (約31万)守旧派
自由民主党13    (約21万)親欧左派
少数民族諸党主に親欧路線

    5月11日当日は好天に恵まれ、フタを開けてみれば10時までの最初の3時間の投票率は9・98%で、やはり高い投票率を記録した2月の大統領選第二回投票の9・56%をも上回り、議会選史上最高ペースと報じられました。実際11時ごろに筆者が取材したベオグラード第11・12投票所(冒頭写真)も、大混雑までは行かないものの、狭い投票所の外には5、6人の有権者が並んで行列を作っている状態でした。しかし午後に入って出足は急に鈍り、最終的に前回議会選並みの60%に達するどうかというペースに落ち込みました。夕刻、筆者は民主党のシンパと一緒に過ごしましたが、
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「CeSIDの21時」は今やセルビア選挙取材の常識。今回も敏速で正確な結果予測を発表したCeSID関係者
親欧派は直前の世論調査でも苦戦が予想されています。「投票率が低ければ、浮動層の影響を受けやすい親欧派にはさらに不利なことになるね」と心配そうな表情でした。

    20時の投票締め切りを前に日本のテレビ取材班と合流した筆者は、選挙監視団体・自由選挙民主化センター(CeSID)の記者会見に出席しました。 この団体については第62回配信や第88回配信でも触れていますが、選管の公式発表よりも敏速で、21時に発表される最初の独自集計は最終結果と数%程度、その数時間後の発表は1%未満の誤差に収まることで知られています。地元テレビ各局がこの記者会見を中継するのはもちろんですが、外国報道陣にも「CeSIDの21時」で大勢を聞かないと各政党本部取材に動き出せないことはよく知られるようになっており、多目的ホール・サヴァセンター内に設定された会見場は満員でした。
     20時、CeSID関係者は「投票率は60%をやや上回る程度で前回議会選並み」と発表。同時に「集計にいつもより時間がかかりそうなので、次の会見は21時半」と述べると報道陣からざわめきが洩れました。親欧左派・自由民主党のシンパから筆者に「広告代理店に勤める知人は保守派圧勝らしいと言っている」と携帯電話メールが入ります。
    親欧派大敗か、
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「勝利」のマフラーを掲げる民主党関係者。親欧派政権成立は不確かながら、大差で第一党となった同党本部は祝勝ムードで盛り上がった
の雰囲気さえ報道陣の中で感じられる中、筆者たちもゼムン地区にあるセ急進党本部取材への移動に心の準備をしながらのCeSID21時半の会見でしたが、「民主党の大幅リード、103議席程度獲得」と発表があると、会場に大きなどよめきが起こりました。

    最終的には表の通り、 民主党+自由民主党+少数民族諸党では過半数の126に僅かに及ばず、単純な足し算ではセ急進党+DSS+セ社会党の保守連合のほうが多数を占められる結果となりました。しかし第一党として民主党がセ急進党に大差を付けたことから、何らかの工作によっては親欧政府成立の可能性が否定できない、と大方から受け止められました。 民主党本部では22時半頃から祝勝ムード。飛び入りのブラスバンドが演奏を始め、駆けつけた一般市民の中には花火を点ける人もあり、多数の報道関係者も入り乱れてのごった返しの中、大きな拍手に迎えられながらタディッチ大統領ら親欧派の幹部たちが登場。2月の大統領選直後と全く同じ光景になりました。

    有権者数、投票率とも前回(昨年1月)議会選とほぼ同じ。保守の雄セ急進党は得票を昨年の115・3万から今回120・3万とむしろ4%増やしています。それなのに議席を3つ減らしてしまうという一見不思議な現象が起こりました。実は民主党の躍進の他に、セ急進党自身の努力が及ばない選挙制度の落とし穴が理由として考えられます。
    比例代表制で行われる多くの国の選挙と同様、セルビア議会選も投票総数の5%に満たない得票の政党は議席ゼロとする(少数民族政党と認定された党を除く)、という阻止条項=足切りがあります。前回選挙ではセ再生運動、セ年金生活者連合党の二党が10万以上の得票を記録しながら議席ゼロとなるなど、議席ゼロの政党への投票(死に票)+無効投票が44万票(投票全体の約11%)も出てしまいました。ところが今回は、中規模得票能力のある政党が大政党と軒並み共闘態勢を取ったため、死に票+無効投票は19万弱(4・6%)と大幅に減りました。 この結果、250議席の配分の基盤となる真の有効投票、つまり1議席以上を獲得した政党の得票の合計(母票団)は前回比9%増となりました。前回母票団の32・1%=81議席を獲得したセ急進党が、今回4%票を伸ばしているにも関わらず母票団の30・7%=78議席にとどまったわけです。セ再生運動が今回民主党と、セ年金生活者連合党がセ社会党と連携したことが、この不思議な現象のカゲの原因だったと言えます。

    政府・議会解散をコシュトゥニッツァ首相が発表したのが3月8日でしたから、選挙戦は2ヶ月にわたって続いたことになります。前半はコシュトゥニッツァ率いるDSSの猛チャージが目立ちました。
    「EUに
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コシュトゥニッツァ党首率いるDSSは選挙戦前半こそ「にわか右翼」の強い印象を残したが、結果は大幅後退(撮影:吉田正則氏、画像提供:日刊アロー!紙写真部)
向かうのは大いに結構だが、『コソヴォもセルビアの一部である』とEU側から言質が取れないうちは、接近政策を急ぐ必要はない。EU政策だけを打ち出すタディッチ一派はコソヴォ独立を承認してしまうだろう。米と北大西洋条約機構(NATO)がリードするこのような危険な路線を認めるわけにはいかない。我々はコソヴォを守り続ける。コソヴォはセルビアだ!」。 有権者に対し、コソヴォ・カードを切り札に反欧米、反NATO、さらにはオランダ・ハーグの旧ユーゴ国際戦犯法廷への反感も煽り立てて、民主党ほか親欧派を攻撃し続けたコシュトゥニッツァの論は、まるでユーゴ政変以前のミロシェヴィッチ政権のようでした。彼の右傾化に伴い、DSSとセ急進党の連立というシナリオが次第に具体化していきました。しかし最近の選挙ではセ急進党が洗練されたTV宣伝を放送するなど、スマートな右派への変身に成功しているのと対照的に、「にわか国粋」DSSの宣伝は好感がとても持てない時代錯誤なものでした。ベオグラード中心部で5月8日に開かれたDSSの最終集会では、第一次大戦時代のセルビアの軍歌がメインテーマとして流され、かつて学生たちとポップを歌いながらミロシェヴィッチ打倒に向かったコシュトゥニッツァとその僚友もここまで変質したかと思わせました。

    一方、民主党陣営は「コソヴォを放棄せよとは一言も言っていない、むしろコソヴォのセルビア人地区を分割させようとしているのはコシュトゥニッツァ一派だ。われわれはコソヴォ全体を守ろうと主張している」と反論するものの、当初はやや受け身の印象。しかし選挙戦後半には激しい追い込みを見せました。
    具体的な逆転へのカードが切られたのは、正教暦イースター(4月27日)からメーデーへの大型連休で選挙戦のボルテージが一段落している4月29日でした。
    この日ルクセンブルグで開かれたEU外相会談にタディッチ大統領、ジェリッチ副首相、イェレミッチ外相(3人とも民主党)が招かれ、EU加盟への重要な一歩である安定化連合協定(SAA)が正式に調印されました。12月に仮調印の後、閣内コシュトゥニッツァ派の反対から誰も正式調印に赴くことが出来なかった手続きがようやく一段落したのです。
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フィアット社アルタヴィラ副会長(前左)はザスタヴァ社買収決定後の5月6日、クラグイェヴァッツ市ステヴァノヴィッチ市長(前右)と関税免除協定を締結。これもタディッチ大統領(後列中央)らが立会い、民主党の格好の宣伝となった(画像提供:infobiro.tv)
この調印の模様はセルビア国内のテレビでも生中継されました。親欧派のポイント稼ぎでもあると同時に、反EU派の不評をさらに強める危険も大きい、タディッチの政治的ギャンブルでした。
    第88回配信でも触れたように、2月の大統領選でニコリッチ候補が現職のタディッチを苦しめる結果になった原因の一つは、貧困層、失業者など移行経済期の敗者票を保守のニコリッチが幅広く集めたことにあります。今回の民主党はその反省を活かし、「欧州とは仕事の意味だ」という標語を選挙宣伝に掲げて、親欧政策こそが経済問題の解決に向かうと強調していきました。
    4月30日、中部クラグイェヴァッツ市のツルヴェナ・ザスタヴァ社自動車製造部門を伊フィアット社が買収する契約を大統領、ディンキッチ経済・地方発展相らの同席のもと国家的な行事として締結。ザスタヴァ社は没落した旧社会主義自主管理企業の典型(第76回配信参照)です。フィアット社は企業の70%を所有(残り30%は国有)するとともに7億ユーロ(約1120億円)を投資。来年末までに年産20万台、2010年までに年産30万台の生産体制を築き、東欧・旧ソ連市場へのフィアット社の輸出拠点とする。さらに下請け企業などにも5億ユーロ(約800億円)の投資が為され1万人の雇用を創出する、というニュースは、保守派も直接は反論できないだけに、
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余裕の選挙戦を進めたニコリッチ党首代行のセ急進党。第一党の座は落としたが今や保守層を代表する政党として堅実な得票能力を示した
親欧派にとって格好の選挙宣伝となりました(今回選挙でクラグイェヴァッツ市に関しては親欧勢力が大勝)。無論民主党陣営は「安定化連合協定を締結したからこそ、フィアットも喜んで契約を締結した」と自画自賛を忘れませんでした。
    選挙一週間前の週末には、安定化連合協定締結時のタディッチ大統領、ジェリッチ副首相の写真に「国家の裏切り者」という文字を重ねたポスターがベオグラード中心部など数箇所に張り出されました。また5月5日付の日刊ブリッツ紙は大統領に暗殺の脅迫状が送られたことを発表しました。周辺警備は強化されましたが、5月7日ベオグラード市、翌8日スボティッツァ市での民主党の最終集会は事故なく開かれています。

    選挙前の世論調査では議会選「3連勝」が確実視されていたセ急進党は、DSS対民主党の激しい舌戦を静観し、余裕の選挙戦を進めた印象があります。
    「貧困問題の解決こそがセルビア最大の課題だ。我々も外国資本の進出に反対はしないが、民主党の宣伝だけに乗せられるべきではない。自称『民主勢力』が政権にあったこの8年間で、どれほどセルビアの銀行と経済が、農業がダメになったことか。国営企業はことごとく売りに出されたが、対外債務は減っていない。また国内的にはどれほど汚職と腐敗が横行するようになったか、よく考えてほしい」。
    「親欧派はEUに盲目的に突き進もうとしているが、2025年になっても加盟できる保証さえ取れていないではないか。彼らは我々が鎖国政策を進めると言うが、EUとも世界とも国交を続けるべきだ。ただコソヴォを見捨てることが許されないだけだ」。 前述のように選挙宣伝は洗練されたものになりましたが、この党の従来の保守派の立場に変化はありません。 しかし第一党となりながら野にとどまった前々回、前回選挙以上に、今回は政権を取りに行く意欲が強く感じられました。「この春の政局混乱を思うと、政府は選挙後早期に成立しなければならない」とするニコリッチ党首代行は、当初「首相は第一党から出すべきだ」として否定していたコシュトゥニッツァ首班の可能性も選挙戦終盤で示唆し始めています。

    こうした動きの中で11日、国民が下した審判を昨年の前回選との得票差を中心に見ると
        DSS:約19万票減、主要政党では唯一の完敗
        民主党:同党と前回独自参加した中規模政党の合計より約25万票上積み
        セ急進党:第一党の座は落とすが得票4%増のほぼ現状維持議席減に至った一因については上述
    となりました。

SNSと選挙宣伝

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   ネット先進国とはとても呼べないセルビアでも、近年世界規模でユーザーを増やしているMySpaceやFacebook などのソーシャルネットワーキングサービス(SNS)が定着しつつあります(日本の代表的SNSであるmixiはさすがに知られていませんが=笑=)。
   今回の選挙戦で興味深かったのは、主要政党・政治家がいずれも自党の公式HPとは別に、こうした大手SNSサイトにページを持って事実上の宣伝をしていることでした。民主党は立候補名簿記載者の全員がFacebookに登録、タディッチ大統領のページの「サポーター」登録が本稿執筆時点で1000を越えています。またセ急進党のニコリッチ党首代行に対してもMySpaceで323人が「友人」登録、多くのシンパが応援コメントを書き込んでいます。タディッチ50才、ニコリッチ56才はSNSのメインユーザー層より正直なところかなり年上ですが、青年層の共感を得るなど一定の効果は期待できるかも知れません。
   自分の意見が自由に書けて、なお有権者の声がフィードバックで活用できるという点ではブログと同じですが、さらにシンパ同士の輪の広がりから何かが生まれる可能性を見込んで、政治家たちが実験的にSNSを活用し始めたと説明できるでしょう。また日本同様、セルビアでも選挙スポットを動画サイトYouTubeに積極的に発表している政党(自由民主党ほか)もあり、ネット世界の変化とともに選挙戦も変化していく兆しが見られます。


    なおコソヴォのセルビア人住民の間での選挙実施については、議会選と併せて行われる地方選で99年の国連暫定統治以降初めてセルビア人独自の地方自治権力を選ぶことになるだけに、サチ首相らコソヴォ当局は強く反対しました。しかし国連当局は「結果としての二重権力は認めないが、選挙実施を禁止する立場ではない」とし事実上黙認。11日当日も大きなアクシデントなしに投票が行われました。最有力政治団体・セルビア人民族府は従来からDSS系として知られており、選挙前後とも「保守反欧政権の成立を歓迎する。親欧政権が成立したら、セルビア人はコソヴォから難民化して流出するだろう」(ヤクシッチ幹部、17日放送TV−B92ほか)との発言を続けています。


    選挙は終わりました。しかし今回の結果を受けて、議会過半数126を目標にした連立工作という「ゲーム後半戦が始まるのはこれから」(スヴィラノヴィッチCeSID客員論説委員)です。

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保守政権か、親欧政権かはセ社会党ダチッチ党首の一存次第。あのミロシェヴィッチの党が久々に注目を集めている(撮影:吉田正則氏、画像提供:日刊アロー!紙写真部)
    保守・守旧派との妥協を嫌う左派の自由民主党は、セ社会党との連立の可能性を否定。ヨヴァノヴィッチ党首が5月15日の段階で「欧州に向けて前進するための法律は積極的に閣外から支持する」(同日放送TV−PINK)と、政権参加をほぼ断念したことを明らかにしました。本稿執筆現在、次の二つが有力なシナリオとして取り沙汰されています。

        EU派政権=セ急進党(78)+DSS(30)+セ社会党(20)>125

        EU派政権=民主党(102)+セ社会党(20)+少数民族諸党(4〜5)>125

    いずれにしてもセ社会党なしでは多数が形成できず、2000年10月のユーゴ政変以降退潮を続けていた同党が、久しぶりにキャスティングボードを握る立場となりました。議席数では第4位ですが、どちらの政権が成立しても入閣することが決まった一番乗りの政党ということになります。この「便り」の読者の皆さんならご存知の通り、セ社会党とは、故ミロシェヴィッチ前党首に率いられた90年代悪政の主役中の主役です。上の組み合わせで反EU派政権が成立した場合は、ユーゴ政変の雄コシュトゥニッツァと、政変で倒された二政党の連合となります。また民主党と言えば政変のもう一人の雄、故ジンジッチの後継者たちですから、セ社会党込みの親EU派政権になっても、やはりユーゴ政変の「歴史的意義」は部分的に骨抜きにされることになります。しかし世界のどこにおいても、歴史的意義よりも現実主義(という名の無節操)が優先されるのが政治というもの。
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第一党進出を「ぬか喜び」に終わらせたくない民主党は、タディッチ大統領を中心に親欧政権成立へ工作を続ける
ミロシェヴィッチ亡き後、党首の座を襲ったダチッチ氏は「労働、年金、教育、医療保険など社会保障の分野がわが党の政策の柱であり、これを受け入れるならばどの政党とも連立の話に応じる。ただし年来良好な関係にあったDSSと話し合うのが順番としては先」と選挙直後に発表しています。
    5月13日から具体的な動きが始まり、まずセ急進党とDSSが(1)コソヴォ堅持(2)汚職・腐敗との対決(3)経済発展(4)コソヴォの独立を認めない条件でのEU接近政策、の政策四原則に関し合意しました。セ社会党も15日までにこれら右派勢力と二党・三党で会談、これに同党が主張する(5)社会保障・福祉の原則を加えて「政策論では三党合意が出来た、ただし閣僚人事などの詳細についての話し合いはまだ先」(ダチッチ党首)としています。

    無論、親欧派が後手を踏んでいるわけには行きません。タディッチ大統領は「セ急進党とDSSに大差で勝ったわが民主党こそ政権を担当すべきだ。民主党もセ社会党も社会主義インターナショナルに加盟しており(大塚注:実際は双方とも準加盟の「諮問政党」)、貧困層の救済など政策的な類似点は多い。
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どっちに転んでも第4勢力のセ社会党だけは入閣決定。故ミロシェヴィッチ前党首は草葉の陰から何を思うか(旧ユーゴ国際戦犯法廷共通映像)
セルビアの未来を見ながら、社会党と歴史的な和解を実現する時機は熟した」と、言葉を選びながらも事実上のラブコールを送っています。一方のダチッチ党首は「タディッチ大統領の声は尊重したい。だが右派二政党と話し合っている間に、並行して民主党と話すことはしない」とし、表向きは親欧派との交渉開始を否定しています。しかし民主党は16日、「政策上連立可能な全ての政党との対話を強化した」と公式声明を発表、水面下では既にセ社会党とも交渉していることを示唆しました。
    民主党内部に独自の情報ソースを持つと推測される(ただし記事内容もやや親欧派に偏向する)日刊ブリッツ紙は「民主党はダチッチ党首に副首相ポストを提案。社会党側はハーグ法廷との協力に応じる代わりに、ロシアに潜伏している故ミロシェヴィッチの妻と長男の国際指名手配撤回を要求か」(15日付)、「三政党の政策合意はまだ連立交渉のほんの端緒。社会党は二大派閥に分かれているが、経済派は親欧勢力を支持」(17日付)など、連日(憶測?)記事を発表しています。一方、保守論調の代表的日刊紙であるポリティカだけは「ダチッチ党首は民主党との連立はないと明言」(17日付)と、あたかも保守政権成立が迫ったかのような記事を発表、他紙と食い違いを見せています。この両紙よりもさらに憶測記事の多い各大衆紙の一面には、異なる政党幹部の写真が日替わりで「政権奪取」「次期首相はこの人」などと登場し続けています。また筆者の知人の民主党筋は「こじれた場合は民主党が、社会党・DSSから最左派政党の自由民主党と組める議員だけ分断取り込み工作に出る可能性」にも言及しています。いずれにしても民主党が今回選挙での大勝をぬか喜びに終わらせたいはずはなく、本稿発表以降も連立を巡る紆余曲折は続きそうです。
    セルビア共和国憲法では、選挙結果の公式確定から30日以内(6月中旬)に第一回の議会召集が義務付けられており、さらにこれから90日以内に政府が成立しない場合(9月中旬?)は自動的に再選挙になってしまいます。昨年は選挙後この規定ギリギリのところで第二次コシュトゥニッツァ政権が成立しています。保守・親欧各サイドとも今回は「早期に政府を成立させる必要」では一致していますし、上述のコソヴォの政治団体・セルビア人民族府のイヴァノヴィッチ代表は、6月15日のコソヴォ憲法施行前にセルビア本国で保守政権が成立することが望ましい、と発言しています。しかし筆者の経験上、セルビアの政治は9月以降の再選挙も含めて「何でもアリ」。というわけで今回はまだ親欧、反欧どちらの政権が成立するか見通しが立っていない段階で出稿せざるを得ませんが、次回配信以降も重要な動きがあった場合は報告を続けることにします。

(2008年5月中旬)


本稿執筆に当たっては、多くの紙誌、インターネット資料、テレビ番組を参考としましたが、煩雑さを避けるため日付等詳細出典の記載は一部にとどめました。以下に参照した紙誌、サイト等を列挙します。日刊ダナス、日刊ポリティカ、日刊ブリッツ、日刊アロー!、週刊ヴレーメ、TV−B92、TV−PINK、国営セルビアテレビ、セルビア共和国政府、各主要政党公式HP、主要政治家SNSページ、自由選挙民主化センター(CeSID)、Media Centar Beograd、コソヴァプレス、コソヴァライヴ、BIRN、ヤッフー!フランス/ジャパンからアクセス可能な仏語/日本語記事、ウィキペディア・フリー百科事典各語各項目
画像を提供して頂いた吉田正則氏と日刊アロー!紙写真部、infobiro社に謝意を表します。旧ユーゴ国際戦犯法廷共通映像と表示した画像は、法廷内での独自取材を認めない同法廷が報道機関に対し共通の画像・映像として提供しているもので、版権は同法廷のみに存します。画像の一部は、2008年5月に日本のテレビ報道取材に通訳として同行した際筆者が撮影したものです。また本文内容にもこの取材の通訳として業務上知り得た内容が含まれています。これらの本ページへの掲載に当たっては、通訳上のクライアントから承諾を得ています。画像・本文とも無断転載はかたくお断りいたします。
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