|
![]() |
第92回配信
第90回配信後半で解散時の状況を報告しているように、連立与党を形成していたはずの民主党など親欧政策推進派と、コシュトゥニッツァ首相(肩書きは解散前のもの、以下同じ)が党首を務めるセルビア民主党(以下、DSS)など反欧保守派に分かれ、政府が空中分解してしまったわけですから、文字通り国論を二分する選挙になりました。マスコミ各紙誌には「歴史的(選挙)」という形容詞が躍りました。
5月11日当日は好天に恵まれ、フタを開けてみれば10時までの最初の3時間の投票率は9・98%で、やはり高い投票率を記録した2月の大統領選第二回投票の9・56%をも上回り、議会選史上最高ペースと報じられました。実際11時ごろに筆者が取材したベオグラード第11・12投票所(冒頭写真)も、大混雑までは行かないものの、狭い投票所の外には5、6人の有権者が並んで行列を作っている状態でした。しかし午後に入って出足は急に鈍り、最終的に前回議会選並みの60%に達するどうかというペースに落ち込みました。夕刻、筆者は民主党のシンパと一緒に過ごしましたが、
20時の投票締め切りを前に日本のテレビ取材班と合流した筆者は、選挙監視団体・自由選挙民主化センター(CeSID)の記者会見に出席しました。
この団体については第62回配信や第88回配信でも触れていますが、選管の公式発表よりも敏速で、21時に発表される最初の独自集計は最終結果と数%程度、その数時間後の発表は1%未満の誤差に収まることで知られています。地元テレビ各局がこの記者会見を中継するのはもちろんですが、外国報道陣にも「CeSIDの21時」で大勢を聞かないと各政党本部取材に動き出せないことはよく知られるようになっており、多目的ホール・サヴァセンター内に設定された会見場は満員でした。
最終的には表の通り、 民主党+自由民主党+少数民族諸党では過半数の126に僅かに及ばず、単純な足し算ではセ急進党+DSS+セ社会党の保守連合のほうが多数を占められる結果となりました。しかし第一党として民主党がセ急進党に大差を付けたことから、何らかの工作によっては親欧政府成立の可能性が否定できない、と大方から受け止められました。 民主党本部では22時半頃から祝勝ムード。飛び入りのブラスバンドが演奏を始め、駆けつけた一般市民の中には花火を点ける人もあり、多数の報道関係者も入り乱れてのごった返しの中、大きな拍手に迎えられながらタディッチ大統領ら親欧派の幹部たちが登場。2月の大統領選直後と全く同じ光景になりました。 有権者数、投票率とも前回(昨年1月)議会選とほぼ同じ。保守の雄セ急進党は得票を昨年の115・3万から今回120・3万とむしろ4%増やしています。それなのに議席を3つ減らしてしまうという一見不思議な現象が起こりました。実は民主党の躍進の他に、セ急進党自身の努力が及ばない選挙制度の落とし穴が理由として考えられます。
政府・議会解散をコシュトゥニッツァ首相が発表したのが3月8日でしたから、選挙戦は2ヶ月にわたって続いたことになります。前半はコシュトゥニッツァ率いるDSSの猛チャージが目立ちました。
一方、民主党陣営は「コソヴォを放棄せよとは一言も言っていない、むしろコソヴォのセルビア人地区を分割させようとしているのはコシュトゥニッツァ一派だ。われわれはコソヴォ全体を守ろうと主張している」と反論するものの、当初はやや受け身の印象。しかし選挙戦後半には激しい追い込みを見せました。
第88回配信でも触れたように、2月の大統領選でニコリッチ候補が現職のタディッチを苦しめる結果になった原因の一つは、貧困層、失業者など移行経済期の敗者票を保守のニコリッチが幅広く集めたことにあります。今回の民主党はその反省を活かし、「欧州とは仕事の意味だ」という標語を選挙宣伝に掲げて、親欧政策こそが経済問題の解決に向かうと強調していきました。 4月30日、中部クラグイェヴァッツ市のツルヴェナ・ザスタヴァ社自動車製造部門を伊フィアット社が買収する契約を大統領、ディンキッチ経済・地方発展相らの同席のもと国家的な行事として締結。ザスタヴァ社は没落した旧社会主義自主管理企業の典型(第76回配信参照)です。フィアット社は企業の70%を所有(残り30%は国有)するとともに7億ユーロ(約1120億円)を投資。来年末までに年産20万台、2010年までに年産30万台の生産体制を築き、東欧・旧ソ連市場へのフィアット社の輸出拠点とする。さらに下請け企業などにも5億ユーロ(約800億円)の投資が為され1万人の雇用を創出する、というニュースは、保守派も直接は反論できないだけに、
選挙一週間前の週末には、安定化連合協定締結時のタディッチ大統領、ジェリッチ副首相の写真に「国家の裏切り者」という文字を重ねたポスターがベオグラード中心部など数箇所に張り出されました。また5月5日付の日刊ブリッツ紙は大統領に暗殺の脅迫状が送られたことを発表しました。周辺警備は強化されましたが、5月7日ベオグラード市、翌8日スボティッツァ市での民主党の最終集会は事故なく開かれています。 選挙前の世論調査では議会選「3連勝」が確実視されていたセ急進党は、DSS対民主党の激しい舌戦を静観し、余裕の選挙戦を進めた印象があります。
こうした動きの中で11日、国民が下した審判を昨年の前回選との得票差を中心に見ると
なおコソヴォのセルビア人住民の間での選挙実施については、議会選と併せて行われる地方選で99年の国連暫定統治以降初めてセルビア人独自の地方自治権力を選ぶことになるだけに、サチ首相らコソヴォ当局は強く反対しました。しかし国連当局は「結果としての二重権力は認めないが、選挙実施を禁止する立場ではない」とし事実上黙認。11日当日も大きなアクシデントなしに投票が行われました。最有力政治団体・セルビア人民族府は従来からDSS系として知られており、選挙前後とも「保守反欧政権の成立を歓迎する。親欧政権が成立したら、セルビア人はコソヴォから難民化して流出するだろう」(ヤクシッチ幹部、17日放送TV−B92ほか)との発言を続けています。 選挙は終わりました。しかし今回の結果を受けて、議会過半数126を目標にした連立工作という「ゲーム後半戦が始まるのはこれから」(スヴィラノヴィッチCeSID客員論説委員)です。
反EU派政権=セ急進党(78)+DSS(30)+セ社会党(20)>125 親EU派政権=民主党(102)+セ社会党(20)+少数民族諸党(4〜5)>125 いずれにしてもセ社会党なしでは多数が形成できず、2000年10月のユーゴ政変以降退潮を続けていた同党が、久しぶりにキャスティングボードを握る立場となりました。議席数では第4位ですが、どちらの政権が成立しても入閣することが決まった一番乗りの政党ということになります。この「便り」の読者の皆さんならご存知の通り、セ社会党とは、故ミロシェヴィッチ前党首に率いられた90年代悪政の主役中の主役です。上の組み合わせで反EU派政権が成立した場合は、ユーゴ政変の雄コシュトゥニッツァと、政変で倒された二政党の連合となります。また民主党と言えば政変のもう一人の雄、故ジンジッチの後継者たちですから、セ社会党込みの親EU派政権になっても、やはりユーゴ政変の「歴史的意義」は部分的に骨抜きにされることになります。しかし世界のどこにおいても、歴史的意義よりも現実主義(という名の無節操)が優先されるのが政治というもの。
5月13日から具体的な動きが始まり、まずセ急進党とDSSが(1)コソヴォ堅持(2)汚職・腐敗との対決(3)経済発展(4)コソヴォの独立を認めない条件でのEU接近政策、の政策四原則に関し合意しました。セ社会党も15日までにこれら右派勢力と二党・三党で会談、これに同党が主張する(5)社会保障・福祉の原則を加えて「政策論では三党合意が出来た、ただし閣僚人事などの詳細についての話し合いはまだ先」(ダチッチ党首)としています。 無論、親欧派が後手を踏んでいるわけには行きません。タディッチ大統領は「セ急進党とDSSに大差で勝ったわが民主党こそ政権を担当すべきだ。民主党もセ社会党も社会主義インターナショナルに加盟しており(大塚注:実際は双方とも準加盟の「諮問政党」)、貧困層の救済など政策的な類似点は多い。
民主党内部に独自の情報ソースを持つと推測される(ただし記事内容もやや親欧派に偏向する)日刊ブリッツ紙は「民主党はダチッチ党首に副首相ポストを提案。社会党側はハーグ法廷との協力に応じる代わりに、ロシアに潜伏している故ミロシェヴィッチの妻と長男の国際指名手配撤回を要求か」(15日付)、「三政党の政策合意はまだ連立交渉のほんの端緒。社会党は二大派閥に分かれているが、経済派は親欧勢力を支持」(17日付)など、連日(憶測?)記事を発表しています。一方、保守論調の代表的日刊紙であるポリティカだけは「ダチッチ党首は民主党との連立はないと明言」(17日付)と、あたかも保守政権成立が迫ったかのような記事を発表、他紙と食い違いを見せています。この両紙よりもさらに憶測記事の多い各大衆紙の一面には、異なる政党幹部の写真が日替わりで「政権奪取」「次期首相はこの人」などと登場し続けています。また筆者の知人の民主党筋は「こじれた場合は民主党が、社会党・DSSから最左派政党の自由民主党と組める議員だけ分断取り込み工作に出る可能性」にも言及しています。いずれにしても民主党が今回選挙での大勝をぬか喜びに終わらせたいはずはなく、本稿発表以降も連立を巡る紆余曲折は続きそうです。 セルビア共和国憲法では、選挙結果の公式確定から30日以内(6月中旬)に第一回の議会召集が義務付けられており、さらにこれから90日以内に政府が成立しない場合(9月中旬?)は自動的に再選挙になってしまいます。昨年は選挙後この規定ギリギリのところで第二次コシュトゥニッツァ政権が成立しています。保守・親欧各サイドとも今回は「早期に政府を成立させる必要」では一致していますし、上述のコソヴォの政治団体・セルビア人民族府のイヴァノヴィッチ代表は、6月15日のコソヴォ憲法施行前にセルビア本国で保守政権が成立することが望ましい、と発言しています。しかし筆者の経験上、セルビアの政治は9月以降の再選挙も含めて「何でもアリ」。というわけで今回はまだ親欧、反欧どちらの政権が成立するか見通しが立っていない段階で出稿せざるを得ませんが、次回配信以降も重要な動きがあった場合は報告を続けることにします。 (2008年5月中旬) 本稿執筆に当たっては、多くの紙誌、インターネット資料、テレビ番組を参考としましたが、煩雑さを避けるため日付等詳細出典の記載は一部にとどめました。以下に参照した紙誌、サイト等を列挙します。日刊ダナス、日刊ポリティカ、日刊ブリッツ、日刊アロー!、週刊ヴレーメ、TV−B92、TV−PINK、国営セルビアテレビ、セルビア共和国政府、各主要政党公式HP、主要政治家SNSページ、自由選挙民主化センター(CeSID)、Media Centar Beograd、コソヴァプレス、コソヴァライヴ、BIRN、ヤッフー!フランス/ジャパンからアクセス可能な仏語/日本語記事、ウィキペディア・フリー百科事典各語各項目 画像を提供して頂いた吉田正則氏と日刊アロー!紙写真部、infobiro社に謝意を表します。旧ユーゴ国際戦犯法廷共通映像と表示した画像は、法廷内での独自取材を認めない同法廷が報道機関に対し共通の画像・映像として提供しているもので、版権は同法廷のみに存します。画像の一部は、2008年5月に日本のテレビ報道取材に通訳として同行した際筆者が撮影したものです。また本文内容にもこの取材の通訳として業務上知り得た内容が含まれています。これらの本ページへの掲載に当たっては、通訳上のクライアントから承諾を得ています。画像・本文とも無断転載はかたくお断りいたします。 Zahvaljujem se na saradnji: infobiro.tv, g. Masanori Yoshida i Odeljenje fotografije dnevnog lista "Alo!". Zabranjena je svaka upotreba teksta i slika bez odobrenja. |
<プロフィール> <最新レター> <バックナンバー> <旧ユーゴ大地図>
<落書き帳(掲示板)> <関連リンク集> <平和問題ゼミナール> <管理者のページ>
※ 2008年3月よりセルビアの国ドメインが.yuから.rsに移行しましたので、筆者メールアドレスが変わります(本稿執筆現在は併存状態です)。
当サイトは、リンクフリーです(事後でもいいので連絡ください! →筆者メール )。
必ずカバーページ(http://www.pluto.dti.ne.jp/~katu-jun/yugo/)にリンクをはってください。
CopyRight(C)2008,Masahiko Otsuka. All rights
reserved. Supported by Katsuyoshi Kawano & Kimura Peace Seminar |