「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

最終更新 99/12/03 21:28

第27回配信
クロアチアの曲がり角


いつもより少し早く11月末に初雪の降ったザグレブ(聖マリア教会と聖ステファン大聖堂)
   某テレビのドキュメンタリー(1月上旬放送予定)取材の仕事でボスニアのモスタルに長期出張していましたが、11月末にベオグラードに帰ってきました。前回配信ではこの間も更新をしたいと書きましたが、約束が果たせませんでした。皆さんごめんなさい。
   今回の仕事では、モスタルのロケ終了後クロアチアの首都ザグレブに寄る機会がありました。W杯、カズ、とサッカーファンの間では知名度が高まったクロアチアですが、その他のテーマでは日本の報道の関心を呼ぶニュースもしばらくなかったので、私にとっては1年半ぶりの滞在でした。しかし、11月1日に倒れたトゥジュマン大統領の病状がいよいよ深刻、1月3日に予定されている議会下院選では経済不況などから政権交代も予測されており、旧ユーゴ解体時代をリードしたトゥジュマン=クロアチア民主連合(HDZ)の民族主義政権が一気に終焉を迎える可能性が高まっています。こうした現状とは直接関係ない仕事での滞在だったので直接取材は必ずしも十分出来ませんでしたが、地元メディアやインターネットの資料の助けを借りながら、曲がり角に立つクロアチアの事情をまとめてみたいと思います。

   3年前から外国での手術療養を繰り返していたトゥジュマン大統領にはガン説も囁かれていましたが、私がモスタルに滞在していた10月末にザグレブで行われたサッカー・チャンピオンズリーグのクロアツィア対マンチェスター・ユナイテッド戦(大統領自らが会長となり、伝統あるディナモというクラブ名をクロアツィアに変えてしまったことは第13回配信でも触れました)を観戦する姿がテレビにも映っていました。しかしその直後の訪問先ヴァティカンで腹部の不調を訴えザグレブの病院へ直行、2度の手術にも関わらず病状は悪化、本稿執筆中の12月1日現在も危機的な状態が続いています。トゥジュマン個人には失礼ながら報道的な言い方をすれば、客観的に見て彼が再び大統領府に戻るのは奇跡を期待するのに近くなりました。
大統領病状悪化を伝えるクロアチアの各紙

   しかし大統領が倒れる前から、この冬か来年始めに実施が予定されていた下院選では、与党・クロアチア民主連合(党首はもちろんトゥジュマンです)の苦戦が予想されていました(その理由については本文後半で詳しく説明します)。議会では少しでも選挙結果を有利に導こうと与党が選挙法改革を提案し、反対する野党との間での激しい議論が続いていました。そうこうするうちに11月の議会を解散し選挙を公示する憲法上の期限がきてしまいましたが、選挙日程を議会が決定してもそれにサインをするはずの大統領は重体。憲法では大統領が恒久的に執務できない状態になった時だけは議会議長が代行できる、と定めていますが、まだ与党は自分たちの独裁党首が「恒久的に執務できない状態」だとは認めたくない。そんなわけで一時は「大統領も議会議長もいない憲法上の空白に乗じて、トゥジュマンの親衛隊のような軍タカ派がクーデターを起こすのではないか」というウワサも流れ、ザグレブ入りを予定していたモスタルの私たちテレビ取材班もクロアチア事情に注意を払わざるを得ませんでした。結局議会は「大統領が臨時に執務不可能な状態」を宣言し、代行としてのパヴレティッチ下院議長が1月3日実施で下院選を公示するというウルトラCをやってのけ、何とか憲法危機は回避された模様です。
ディナモ=クロアツィア?
たかがサッカー、されどサッカー。大統領自らが会長となって「クロアツィア」に名前を変えれば、野党側は「聖なる名ディナモ」を選挙宣伝にまで使って・・・。もとディナモの応援団BBB会長でもあったHDZ副党首Z・ツァニュガ(NKクロアツィア事務総長)は11月上旬トゥジュマンを病院に訪問後記者会見を開き、「私は大統領と直接話したが、『ディナモ=クロアツィア』にチーム名を改めてもいいという意見だった」。ツァニュガの話の信憑性や真面目さをめぐっては議論が沸騰しましたが、結局クラブの改名の是非は近く会員投票で決定されることになりました。
   年明け早々の下院選は、大統領がまだ「臨時空席」だとしても、新たに大統領選が実施されることになるとしても、旧ユーゴの中できわめて重要な意味を持つことになりそうです。90年、共産党一党独裁体制崩壊直後の選挙で大勝したトゥジュマン=クロアチア民主連合政権は、トゥジュマン個人独裁とクロアチア右翼賛美を色濃く打ち出しながらユーゴ連邦解体、戦争をひた走ってきました。しかし9年が経ち、クロアチア、ボスニアの戦火も少しずつ過去になりつつある中でこの民族主義政権も過去のものになるのか。そこがポイントです。野党は第1党のクロアチア社会民主党(中道、HSLS=ブディッシャ党首)と第2党の社会民主党(旧共産主義者同盟系、SDP=ラーチャン党首)が連合を形成することに成功し、中立系の各紙を読む限りでは日の出の勢い、という感じです。さらに12月1日、野党第2グループ4党連合とHSLS−SDPは、「選挙結果のいかんに関わらず現与党・HDZとは連立を組まない」という協定を締結し、政権奪取へ足場を固めつつあります。
   一方クロアチア民主連合はタカ派でトゥジュマンに近いパシャリッチ大統領顧問官、最大派閥を押さえているシェクス議会副議長、財界の支持を得ているハト派グラニッチ外相の3派閥が大統領後継者をめぐり、あるいは選挙対応をめぐり依然不協和音をきしませ続けている状態です。トゥジュマンの個人崇拝が当てこめないHDZの脆さがここに来て急に明らかになってきました。10月(つまりトゥジュマンが倒れる前)に実施された世論調査では、各社によりバラツキはあるものの、HDZとHSLS−SDPが30%台で均衡。私見では一番信用できるPULS社のアンケート(10月中旬実施、母集団1800)によれば、都市部ではHSLS−SDPが41%、HDZは16%。農村部でもHDZは「一番人気」ながら25%に過ぎず、政権交代は大いにあり得るシナリオだと言えます。

(左)11月25日、ナーマ百貨店の前に集まった従業員たちは (右)イリッツァ通りに出て市電を止めてしまった
   11月25日、ザグレブ最中心部の国営系百貨店ナーマの従業員たちは賃上げを求めてストとデモを決行しました。ザグレブへ行かれたことのある方はご存知だと思いますが、この町の中心部では正午に大砲の「ドン」が聞こえます。「ドン」とともに目抜き通りイリッツァに従業員百数十人が繰り出し、市電が止まってしまったためこの日の午後の交通はしばらく大混乱が続きました。
   ザグレブは中欧を代表する美しい町ですし、空爆被害や経済不振にあえぐ冴えないベオグラード、あるいは復興めざましいとは言え依然傷跡の残るサライェヴォから来ると店先の品揃えの良さに大きな経済格差を感じます。しかしこの国の経済不振は見かけの華やかさとは裏腹にかなり深刻なようです。失業率は20%(「フォーリン・アフェアーズ」誌11月号による)に近い状態。年金は遅配が続いています。私が仕事で利用したタクシーの運転手たちも「次に空港に行くのはいつだ、何時にホテルに迎えに行けばいいか」、としつこいことはベオグラード以上で、利用客が少ないことは容易に想像できました。
1994 1995 1996 1997 1998
社会総生産(BDP)総額(10億米ドル) 14.6 18.81 19.87 19.95 21.32
BDP成長率 (%) 5.9 6.8 6.0 6.5 2.7
1人当たりBDP(ドル) 3,139 4,029 4,392 4.,267 4,663
インフレ年率(年末、%) -3.0  3.7 3.4 3.8 5.4
クーナ/ドルレート(年末) 5.63 5.32 5.54 6.30 6.25
輸出(100万ドル) 4.26 4.63 4.51 4.17 4.54
輸入(100万ドル) 5.23 7.51 7.79 9.10 8.38
累積対外債務(10億ドル) 2.82 3.34 4.81 6.62 8.20
1人当たり対外債務(ドル) 606 715 1,077 1,146 1,282
   左の表はクロアチア中銀が発表している主な経済指標です。92年の独立後、月率35%前後の高いインフレが続いていましたが93年秋のヴァレンティッチ首相時代にマクロ経済の改革は一応成功、インフレが押さえられ94年には独自通貨クーナが導入されました。このクーナは旧ユーゴの中ではスロヴェニアのトラールに次ぐ強い通貨ということになっています。また国民総生産(旧共産圏では社会総生産)もスロヴェニアには及ばないものの、ハンガリー、ポーランドなどと同水準で南東欧(バルカン)諸国には水を開けています。しかし見かけの安定を保つために今まで実施された唯一の政策は外貨借款で、財政赤字の補填とインフレ防止のためにこれを続けてきた結果、対外債務は90億ドルにのぼり、人口一人当たりの債務額にすると(あの)ロシアの倍になってしまいます。安定が続いている間に@旧国営・社会主義セクターを民営化、輸出トレンドを作るなどして生産を拡大、外資の導入を図るA財政規模を縮小してさらに安定を続ける、などの方策が政府には当然必要だったわけですが、94年に240億クーナだった歳出は99年には500億クーナに拡大し、とても財政縮小とは言えません。しかもその使い道は高速道路の整備(HDZが前回の選挙前に選挙宣伝で使いました)などで、産業の発展整備には直接結びついているとは言えないものが目に付きます。また表でも明らかな通り輸出が伸び悩み入超傾向が拡大しています。昨年ごろから唯一の頼りだった外貨借款が滞りはじめ、クロアチア経済の翳りは深刻になってきました。増税、生産マイナス成長(一番悲観的な予測によれば99年のGDP/BDPは前年比マイナス1・5%)、失業率増大・・・。もともと旧ユーゴ圏は物価水準が給与水準に対して高いところですが、最近のクロアチアではさらに市民の生活が苦しくなっているのです。「外国からの借金を続けてカバーしていなければインフレは月率40%でもおかしくない」と経済専門家のサンティーニ氏は財政規模縮小の必要を強調しています。
   また国営企業の民営化も発展のカギとなるはずですが、必ずしも順調ではありません。10月初めにはクロアチア電話局の民営化・部分売却が行われましたが、国際電信電話の大手ドイチュ・テレコムがまず35%を8億5000万ドルで買収しました。当初評価額が24億から30億ドルでしたから、その35%は8・4億から10・5億、つまりほとんど当初評価に上乗せがないことになります。今後は石油公社INA、クロアチア保険、各銀行などの民営化・売却が予定されていますが、クロアチア電話局より業績などで落ちる企業がほとんどで、大きな国家収入は期待できないという見方が有力です。
ザグレブは美しい町だ。クロアチアにはもっと政治的に良い国になってほしいし、経済的に発展してほしいと思う(バーン・イェラチッチ広場にて)
   経済のじり貧状態の中で、有効な政策を取れない政府。それが現政権の人気が急落している第一の原因です。93年に野に下るまでトゥジュマンの右腕だったS・メシッチ元議会議長はこう証言しています。「残念ながらトゥジュマンには分からない分野がたくさんあったし、特に経済がそうだ。・・・彼は解決の仕方が分からない問題でも自分だけで解決しようとした。だから民営化の方法も誤ったし、それが彼の政治的キャリアの傷として残るだろう」(「グローブス」誌11月19日号)。民族主義に訴えるだけで政治的人気をさらった政権が、経済的に無策であることはクロアチアのみならずセルビアでも、ボスニアでも目の当たりにすることが出来ます。クロアチアが行き当たった経済と政治の曲がり角、それが独裁政権のツケなのだと言えるでしょう。
   他の東欧諸国を見ても、外資導入と民営化はクロアチアが「生き残る」ために避けられないプロセスだと思われます。クロアチア系イギリス人で英王立国際問題委員会のC・ツヴィイッチ氏(「グローブス」誌11月19日号)はブディッシャ=HSLS新政権の誕生に期待を隠しません。「HDZ政権は旧社会主義巨大企業に多くを頼る部門、つまり繊維、造船、観光、鉄鋼などにこだわり過ぎている。しかし私は電気、サービス、農業、単品食品工業がこの国の生き残る道だと見ている。もっと小さなビジネスを奨励する政策が必要だ」。では外国資本を導くにはどうしたらいいか。同氏は「ボスニアに対する政策が変わらなければならない」と明言しています。

   経済の話は結局また政治に戻ってきてしまうのもバルカンの宿命なのでしょうか。セルビア(ミロシェヴィッチ)とクロアチア(トゥジュマン)が旧ユーゴ解体に際しボスニア分割・併合で合意したことは今までにも噂レベルでは出ていましたが、最近のクロアチア各紙誌に重要な証言が出てきて、事実であったことがほぼ確かになりました。ボスニア戦争の第2期(93年)にボスニア人とクロアチア人が激戦(特にモスタルなどヘルツェゴヴィナ地域)を繰り広げたことの原因はここにあります。また現在もクロアチア人が自分たちの領土支配を既成事実化しようとしていること、さらにクロアチア本国のトゥジュマンとHDZタカ派がこれを間接的に支持していること、などが和平合意事項の実施の障害になっています。10月にもトゥジュマンは「ボスニアでクロアチア人の権益を守るためにはクロアチア人地域(エンティティ)が必要」と、ボスニアが独立国であることを半ば無視するような従来の主張を繰り返しています(モスタルの「現地レポート」は私が取材に同行したテレビの番組放送終了後にこのページで報告する予定です)。
クロアチア人とボスニア人の権益がぶつかる分断の町、モスタルはボスニア和平履行最大の障害となっている
   しかしクロアチア本国はこの「タカ派政策」のために大変な損をしています。モスタルのクロアチア人が和平実施を妨害し続けていることや、ヘルツェゴヴィナ地域のクロアチア人戦犯がハーグの国際法廷になかなか引き渡されないことなどのため、クロアチアはEUを初めとする国際社会から制裁圧力を掛けられています。隣国スロヴェニアがEU入り、NATO入りへ着々と足場を固めているのに対し、クロアチアはまだEU加盟申請も出来ていない状態です。
   外貨だけが頼りの現状、EU入りを狙う将来を考えると、対ボスニア政策が変わらなければ、つまり政治的に先進国のウケを良くしなければ経済状態も良くならない、というのが上記ツヴィイッチ氏の考えです。「ヘルツェゴヴィナのクロアチア人に対して、『クロアチア人として本国の我々も助けるけれども、あなた方はボスニアの住民であり、ボスニアという国家が機能することが重要だ』と明言することが必要だ」。
   前述のメシッチ氏はトゥジュマンという人物(と彼の作り上げた独裁体制)についてこう結んでいます。「彼は(ティトー型個人崇拝と社会主義という)一時代が作り上げた人物で、民主主義というものが分かっていなかった。彼は最後の政治的リーダーであって、この後のクロアチアに現れるのは経済的リーダーだけだろう」。1月3日、有権者は戦争と政治の時代にピリオドを打つべきだと判断するか、HSLS−SDPの経済の時代は時期尚早と判断するか。しばらくクロアチアの動向に注目が必要なようです。(99年12月上旬)


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