「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

最終更新 99/06/09 21:39

第21回配信<ユーゴ戦争便り・第8弾>
出国した(言い)わけ


出発前日の5月23日は朝から停電、断水。おまけにあいにくの雨だったがバーベキュー大会を決行。久しぶりにJの両親や私たちの友人が集まって楽しい時を過ごした。ただし洗い物は雨水の助けを借りたりひと苦労
   ちょうど空爆開始から2ヶ月めに当たる5月24日、Jと私は停電と断水の続くベオグラードとユーゴを離れました。「ユーゴ戦争便り」という副題で4月以降、空爆の続くベオグラードからこのサイトへ情報を送り続けてきましたが、8月上旬まで日本に一時帰省、休養の予定です。皆さんもご存知の通り、本稿執筆中の6月8日現在、ユーゴ当局のチェルノムイルディン=アハティサーリ案受諾を受け、また国連安保理決議、G8ケルンサミットを控えて、空爆と戦争の「終わり」が何とか見えながらも北大西洋条約機構(NATO)軍とユーゴ軍・警察代表の交渉は物別れ、まだ必ずしも予断を許さない状況です。7日夜(現地時間)は再びベオグラード近辺に空爆があったとの情報も入っています。しかし現地の生の情報を楽しみにして頂いてきた皆さんには申し訳ありませんが、この「ユーゴ戦争便り」は取りあえず今回で打ち止め、「(旧)ユーゴ便り」も6月中はお休みを頂こうと思っています。今後の状況にもよりますが、執筆方針を「平和問題ゼミ」の木村先生や当ページ管理者河野氏と協議の上、また7月にはリフレッシュしていい原稿を書きたいと思っています。  

   「ユーゴ戦争便り」を書き始めた第14回で、ベオグラードに居残りたい、残るのは決して野次馬や英雄気取りからではない、と少しカッコつけた書き方をしました。その気持ちにはウソはなかったと思っていますし、今回の出国も、生命の危険を感じて脱出した、というわけではありませんから、あくまで一時帰省のつもりです。ただ発電・変電施設への攻撃が行われ停電と断水(丘の多いベオグラードでは上水道にポンプを多く使っています。このため大規模停電があると断水が起こりやすいのです)が恒常化した5月からは、かなり生活がしにくくなっていたことは確かです。またJと私の一番の親友ふたりがそれぞれアメリカとギリシャに逃れました。知人の中には予備役で動員された人、空爆の少ない田舎へ疎開する人などが出て、コンタクトも取りにくくなるケースが出ました。しょっちゅう電話で世間話をして、時には家や町の中で会ってまたいろいろな話をする、というセルビア的な友達付き合いは空爆(5月下旬からは昼も空襲警報がしばしば発令されるようになりました)、停電、断水の中で難しくなっていきました。
   もちろん95年1月の神戸、92年から95年のサライェヴォの人々の経験に比べれば、まだまだ生易しい方かも知れません。発展途上国の中には電気や水に事欠いても楽しく暮らしている人もいるでしょう。でもベオグラードでベオグラードらしい暮らしが出来なくなりつつあり、和平が成立しても急に生活状況が良化する見通しが立たない中でずっといることに意味があるのか。私たちも何度か話し合いました。NATO加盟国ハンガリー国境閉鎖に備え私はルーマニアのヴィザを、Jは日本のヴィザを取りました。
   「私たちはもうこの年だし、外国に出ようとは思わない。私たちと君たちの家と2つ心配するところがあるよりは自分たちの心配だけで済む方がいいし、日本という行ける国があるんだったら、国境閉鎖になったりもっとひどい状態になる前に出て、向こうで様子を見た方が賢明じゃないのか。」  Jの父親からそう言われ(まあ親の言うことですから本音かどうかは差し引く必要があるとは思いますが)、いつでもハンガリーへ出られるように準備を進めました。そして初めて24時間以上の連続断水を経験した5月23日夜、出国を決めました。夜の時点で電気はあったのですが、コンピューターの資料をフロッピーディスクにコピーしている間にまた停電。ろうそくの下での荷造りも大変なので翌朝大慌てでの旅支度でした。 

ブダペスト(ブダ漁夫の砦とドナウ川)
   5月後半。ヨーロッパはどこでも緑の美しい季節です。通る村の菩提樹やマロニエの並木はまぶしく輝いています。幸いハンガリー国境閉鎖には至らず、また空襲警報も発令されていません。ベオグラードを発ってヴォイヴォディナに入ったミニバスの景色は本当にのんびりしたもので、空爆がずっと続いていたことを忘れてしまうほどです。ただティサ川にかかる橋を渡る時と工場の近くを通る時はやはりいい気分ではありません。ベオグラード以外の地域では昼でも空爆が続いているのを知っているからです。ブダペストへの同乗者は他に軍参謀本部の特別出国許可を取った陸上競技連盟の関係者(男性)2人と、ハンガリー経由でチェコへ行くという老母娘(母親の方は83才とのこと)、それにこの母娘が連れている犬2匹。成人男子は軍参謀本部の許可がない限り原則として出国ができない状態が続いています。まあ戦時体制ですからある程度は仕方ないですね。運転手も20代の男性ですが、もちろん許可証を持っています。橋が破壊されて幹線を通ることが出来なくなっているノヴィサドまでは田舎道、途中からノヴィサド=スボティッツァの幹線に入りましたがこれもところどころ迂回しながら約3時間でスボティッツァ郊外、ケレビヤの国境です。
   「必ずこの許可証に書いてある期限までに帰ってくるように。分かっているな。」国境係官は外国人の私よりも陸上競技の男性の方に厳しい眼ざしを向けました。しかし特別に厳しい書類審査や持ち物検査があるわけでもなく、平時の国境と同じような、どちらかと言えばのんびりした雰囲気での出国でした。ただハンガリーと行き来する車はやはりほとんど女性か60才以上の老人の運転です。私の予想に反してハンガリーナンバーの車もユーゴ側に入ってきていました(ヴォイヴォディナのハンガリー人は国境の向こうの本国に親戚があるケースがとても多いと聞いています)。
   ブダペスト空港に近づくと、夕暮れの空に飛行機雲がたくさん見えてきました。今年初め、第2Bターミナルが新規オープンしたため閉鎖してもいい状態になっていた第1空港はNATOが使っているとのことです。今この最新のNATO加盟国の首都の第1空港がロジスティックに使われているのか、ユーゴ空爆に出撃する飛行機のために使われているのか正確なところは明らかではありませんが、複雑な気持ちにさせられるという点で私たちにとっては同じことです。空港からはタクシーに乗り換え。夜になっていましたが電気がコウコウとついています。ハンガリーという国がユーゴを追い越し、ブダペストが年々「西側」の装いを増しながら美しくなること。この国の目指す「西側」、NATO諸国では電気や水があるのは当たり前なこと。その当たり前を少し懐かしく感じていること。どうしたっていろいろな思いにとらわれてしまいます。朝ベオグラードから電話予約したブダペストのホテルにチェックイン、ホッと一息してJの母に電話しました。:「無事にブダまで着きました。電気も水もありますよ。」  Jの母:「また今日の昼から電気も水も出てるわよ。よかったら帰ってきなさいよ。」

ペストとブダをつなぐ一番美しいセーチェニー橋を歩いて渡ってみた。同じドナウにかかる橋なのに、空襲警報発令中のベオグラードのパンチェヴォ橋は車で全速力で走り抜けなければならない
   ブダペストではコーディネーターという意味では同業の日本人、福井祐介さんにお世話になりました。在住8年、本業は画家なのですが、今もどんどん増えている日本人観光客のガイドの仕事をしています。「今年はユーゴ空爆の影響でキャンセルする欧米の観光客が増えていて、バスの運転手なんかも『大打撃だ』、って嘆いてますよ。日本人はあまり関係ないようですが、やはりキャンセルしてきたケースもありました」。国境を越えれば隣の国で戦争やっていても別の国の話、というのが島国日本よりむしろ陸上の国境を知っているヨーロッパの人たちの実感だとも思うのですが、逆に「戦争ならば何でもアリ」を知っていて隣国ハンガリー観光を自粛するのもヨーロッパ人なのかも知れません。それならばNATO加盟国の中で空爆長期化に反対しているのがギリシア、イタリアと言った旧ユーゴに隣接する観光国なのも頷けます。クロアチア、スロヴェニアの観光も大きなマイナスになりそうだ、という懸念は耳にしています。
   福井さんの奥さんのレイカさん。「私の親戚が空港のそばに住んでいるので知っていますが、ハンガリー人一般はまだブダペスト第1空港がユーゴ空爆に本格的に使われていることは知らされていません。それに今度の空爆は、中国大使館の誤爆などを除けば軍事施設だけに当たっていて、市民には被害が出ていない、とニュースなどで言っています」。いやもうNATOも大本営発表なのにはびっくりしませんけど。 
   夏休み前とは言え、ペストの中心部ヴァーツィ通りやヴェレシュマルティ広場では、日本人観光客に混じってセルビア語をずいぶん耳にしました。大半は女性ですが、ユーゴを出てハンガリーに来た人、あるいは第三国をめざす人が少なくないことは容易に想像できます。

   ともあれ、ブダペストで数日のんびりした後フランクフルト乗り換えで成田行きの飛行機に乗りました。この数年は毎年のように一時帰省していますし、電気、水があるのが普通だということにはブダペストで慣れました(?)から、日本に帰ってきたことには特別の感慨はありません。ただ日本で新聞を読んでも、某テレビ局の番組に出演してもやはりベオグラードとユーゴの情勢が気になる毎日です。最初にも書いたように6月中はこの「便り」もお休みさせて頂きますが、遠からず和平が成立し、次回は久しぶりに穏やかな日本発「(旧)ユーゴ便り」を書ければいいな、と思っています。では皆さん また7月にこのページでお会いしましょう!(99年6月8日)


*6月の休載期間中も落書き帳(掲示板)へのご参加よろしくお願いします。なお筆者日本帰省中のメールアドレスはユーゴ滞在時のアドレスとは異なりますのでご了承下さい。

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<ユーゴ戦争便り・バックナンバー>
第14回「ベオグラード(非)中立宣言」    第15回「警戒、警戒!」
第16回「反NATOで『団結』」    第17回「エコロジーの相当ヤバい話」
第18回「史上初のネット戦争」    第19回「ベオグラード大停電」
第20回「天使でも悪魔でもなく」


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