「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

最終更新 10:07 99/05/19

第20回配信<ユーゴ戦争便り・第7弾>
天使でも悪魔でもなく


 

(左)「まずはゆっくりシャワーが浴びたいよ」25日ぶりに釈放され、同僚との再会を喜ぶシュニッツラー記者   (右)「釈放だ、と突然言われ、大和田大使の顔を見た時は本当に嬉しかった」とヴェーバーさん(いずれも11日在ユーゴ日本大使館にて 撮影:D・Spica)
   5月11日、ユーゴ軍にスパイ容疑で拘束されていたドイツ人2人が釈放されました。民放テレビSAT1の記者P・シュニッツラーさん(56)と政治学の大学院生、B・ヴェーバーさん(29)です。ドイツは空爆開始後ユーゴとの国交が断絶されたため大使館も閉館、同国の利益代表を兼ねていた在ユーゴ日本大使館が、引き渡しなどこの突然の釈放劇の実務を担当していました。日本大使館での記者会見によれば、ヴェーバーさんは4月4日に、シュニッツラー記者は4月16日にクロアチア国境近くでユーゴ軍の軍事警察に身柄を拘束され、スパイ容疑で取り調べを受けていました。
   シュニッツラーさんの話。「4月6日にベオグラード市内のホテルにあった車とテレビ機材が軍事警察によって没収されました。これでは仕事のしようがないので、10日後の16日にクロアチアから出国しようと思ったのですが、スレムスカ・ミトロヴィッツァ付近で警察に止められ、のち機材を没収された時と同じ軍事警察官が来て拘束されました。その時はきちんとした説明もなく、何が何だか分からないままベオグラードに連れ戻されました。拘置されてから『お前は逮捕された』『お前はスパイだろう』と言われて初めてスパイ容疑が掛けられたのだと分かりました。暴行などはなく、取り調べはフェアーなやり方でしたが何日も続きました。この間在ユーゴ大和田大使と2度面会が許されました。今日取り調べが終了し起訴されるかどうか決定があると聞かされていましたが、突然午後になって『帰っていいぞ』と言われました。」
   シュニッツラーさんは捜査判事の一人から、帰りがけに「ミロシェヴィッチ・ユーゴ大統領の意思で釈放された」と言われたそうです。単なる誤人逮捕、証拠不充分、不起訴というだけの可能性はあるでしょう。しかしこの釈放劇の背景としては、先週末の中国大使館誤爆を契機に国際的に空爆続行に疑問符が投げかけられ、ドイツではフィッシャー外相の緑の党がこの空爆をめぐって党内で紛糾する中、ユーゴ=ミロシェヴィッチ当局が国際世論、なかんずくドイツの世論を軟化させようとカードを切ったのだという見方が有力です。ただそれよりも、記者会見に出席した私(たち日本の報道陣)は、報道関係者(プレス)がスパイ容疑で拘束されるのは決して他人事ではないという感を強く覚えました。
大使が差し入れたものは?

記者団   シュニッツラーさんと2度目の面会をされた時は何か差し入れをされましたか?

駐ユーゴ大和田大使(写真)   ドイツ語の本がいくつか蔵書にあるので本にしようかと思ったのですが、政治関係の本が多く、これではまずい。で1冊だけ政治と関係ない本でM・エンデの「果てしない物語」があったのでこれを持っていきました。シュニッツラーさんが読んだかどうかは聞いていません。
   戦争なんだから、当局の報道への介入はある程度仕方ないとも思う一方で、セルビアクロアチア語圏の友人にプライベートの電話をする時は「もしかしてもしかするとこの会話も聞かれているかもしれないし、ユーゴ当局の悪口はあまり言えないなあ」という気持ちが働くのは当然のことながらあまりいい気分ではありません。それにこの「便り」用にデジタルカメラで撮影できる場所も規定で制限を受けています。いやそれよりもシュニッツラー氏のようにスパイ容疑を掛けられて逮捕されたり国外退去になるのが一番私個人としてはイヤですね。私は断じてユーゴ当局の回し者でもない代わりにNATOや自衛隊のスパイでもありませんが、外国プレスはスパイ同然とみなされても仕方がないのが戦争というものです。「89年にベオグラードに来てセルビアクロアチア語を勉強し、少し話せるようになった頃の91年ユーゴ紛争が始まり、以後は報道通訳としてスロヴェニア・クロアチアからボスニアの現場を渡り歩き今日の空爆に至ったんだ」と今のベオグラードで言っても、誰に信じてもらえるでしょうか?軍事機密こそありませんが、様々な旧ユーゴ関連の資料や地図を持っていますし、コーディネート用の住所録にはいろいろな要人の電話番号もありますしねえ。

   報道の受難といえば、さる7日の中国大使館誤爆では死者4人という当初発表でしたが、このうち軍駐在武官は重傷だったとのことで、死亡した3人は光明日報の許杏虎特派員と夫人の朱頴さん、新華社通信の邵雲環特派員で、朱頴さんも含めればいずれも報道関係者だったことが明らかになりました。爆撃のあった夜中の12時頃に30人もの人が大使館にいたのは当初謎でしたが、どうもプレス関係者もこの空爆が始まって以来「大使館なら安全だから」と寝泊まりさせられていたらしいのです。
   それってあんまりだと思いませんか?「プレスは生命を張って現場に行くんだから死ぬ確率がただでも高い」とか英雄気取りを言うつもりはありませんが、少なくとも他の職業と比べても安全とは言い難い仕事をしている人々が、よりによって「ここなら安全だから」と寝泊まりしている場所で被害に遭ってしまうのは。

ノヴィベオグラード地区の中国大使館は7日誤爆を受け世界的なニュースになった
(写真提供:www.net4s)
   今週はそんな訳で、いろいろ自分の関わっているプレスの仕事に思いを馳せざるを得ない週でした。
   月曜の10日は、中国大使館関連(爆撃から既に4日目)で日本の某テレビの夕方・深夜ニュースのレポートをしてほしいという電話で起こされました。電話の音で私と一緒に起こされたJは不機嫌そうに、「スルドゥリッツァやニシュでセルビア人の市民がたくさん死んでも大したニュースにならないのに、中国大使館だと4日目でも大ニュースなのね」と言います。いや確かに彼女の言うことに理がありそうです。報道する側が、たとえウソをつかないまでも、何を言わないか、どのニュースを大きく取り上げてどれを小さく扱うか、によって世の中の動きは変わってしまうことはあり得るでしょう。例えばここベオグラードで行われているのはピンポイント爆撃ですから、町じゅうがボロボロというイメージからは(第18回で書いたミロシュ公通りを除いて)まだ遠いのが現状ですが、確かにベオグラードが空爆されているんだから、それを大げさに言えば日本で私のレポートを聞いている人に、私たちの住んでいる町はもうボコボコ状態なのだと思わせることも出来るでしょう。レポート用の原稿を作りながら私の頭の中で考えは大きく飛躍して、「結局、報道というのは現実に似たもう一つの世界、パラレルワールドを作ってしまっているだけなのかも知れないな」という嘆息に行き着いたのでした(このJの意見は深夜ニュースの方で少し反映させたつもりです)。いずれにしても、今現在は全国ネットのテレビで電話レポートを送る、通訳よりさらに責任のある立場だと自覚しなければいけませんね。
   報道関係者は受難のキリストでもなければ、悪魔でもないのだと思います。もちろん天使のような顔をして悪魔のようなウソをつくことは理論的には可能ですが、特別に持ち上げることもなければ、貶めることもない、ただ自分の発表内容に大きな責任を負う職業だという風に考えています。

影が薄かった「私的訪問」

   明石康・元国連事務総長旧ユーゴ問題特別代表(うーん、懐かしい肩書きですね)がミロシェヴィッチ・ユーゴ大統領と会談すべくベオグラード入りしている、との情報は8日の時点で日本から入っていましたが、土曜8日、会談なし。日曜9日、会談なし。Jの大叔母などからは「本当に来てるの?ニュースで何にも言わないわよ」と言われて私まで不安になってしまいましたが、ようやく月曜10日になってミロシェヴィッチとの会談が実現したようです。しかし中国大使館関連で地元ニュースもまだ大変だった時期、ちょっとタイミングが悪い訪問でした。国営テレビの19時半のニュースで、ミロシェヴィッチと中国大使の話し合いは3分以上の扱いでしたが、その後の項目で明石氏の「私的訪問」は、双方の意見交換をした、という程度の約1分。日本のメディアによれば「NATOのコソヴォ展開ではミロシェヴィッチに譲歩の構えなし」(AFP/共同10日)、「日本の戦後復興協力にトヨタ、日産など具体名を挙げ期待」(毎日新聞13日、いずれもネット版)など、それなりに突っ込んだ内容の話し合いだったようですが、地元ユーゴで残した印象は???でした。

   13日から14日の夜にかけては、コソヴォ南部プリズレン近郊のコリシャの道路際で寝ていたアルバニア人に爆撃がなされ、少なくとも83人(国営タンユグ通信発表、セルビアテレビは100人とする)が死亡しました。北大西洋条約機構(NATO)側は週末になって攻撃を認めましたが、「もともとコリシャはユーゴ軍の施設があり攻撃目標だったので、(技術的な意味では)誤爆ではない。むしろユーゴ軍がアルバニア人を『人間の盾』としてそこに野営させていたのではないか」と発表しています。
   中国大使館の一件にしても、皆さんもご存知の通り、NATOが使用していた(CIAなどアメリカが主に作成した)地図資料が古く、「ここに大使館があるとは知らなかった」という発表があり世界が唖然としたばかりです(ちなみに日本大使館も現中国大使館の隣に建っているはずでしたが、92年の経済制裁の影響で建設が始まらず、まださら地になっています)。大使館の住所くらいは電話帳でも分かるものですし、もし地図の言い訳が本当だとしたら世界最強の軍にあるまじき低レベルの話だし、実は大使館と承知の上で狙っていたらもっと悪いし、何とも困ったものです。
   コリシャは「人間の盾」だとしたらケシカラン話ですよ。でも、だから結果的には誤爆だとしても技術的には誤爆じゃない、とNATO側に開き直られても死んだ人たちが浮かばれないと思いますが・・・
   誤爆ではなく軍事施設を狙って当てたケースでも、例えば8日のクラグイェヴァッツでは町の中心部の兵舎が攻撃されましたが、兵舎機能の方はとっくにどこかに引っ越していて、被害に遭ったのは周辺の学校、病院、住宅地にいた市民(地元日刊紙ヴェチェルニエ・ノーヴォスティによれば20人、うち8人は女性)でした。大きな誤爆ならニュースになりますが、空爆開始当初から出ているようなこのようなケースはもう地元でもあまり大きな扱いを受けないことがあるほど日常化してしまっています。
日刊紙ヴェチェルニエ・ノーヴォスティも空爆開始50日の特集を発行。被害にあった施設の写真が中心だ
   水曜12日は空爆が始まって50日目(つまり、8週目に突入ですね)ということで、各メディアが「総決算」的な記事を発表していました。英BBCによれば、現在までの延べ飛行数18800、攻撃箇所275、ユーゴ軍用機被害80以上、軍事空港9、橋35、石油精製施設2、兵舎20%、武器庫20%などが破壊されました。NATO側の主な損害はF117A(ステルス)、アパッチヘリコプター2機、F16戦闘機など約1億ポンド(202億円)、NATOの出費は攻撃参加国全体で12億ポンド/月(2400億円)とのことです。因みに湾岸戦争でのアメリカの総支出が400億ポンド(8兆円)、ヴェトナム戦争では3300億ポンド(66兆円)という概算も挙げられています。面白かったのは同じネット版BBC12日の記事で、(文字通りの引用ではありませんが)「弱者を守る、という建前で『男を上げるために』始めた空爆が、誤爆でどんどん評判を落としている。対空砲火に当たるリスクを避けて高度1500フィートから行っている爆撃は英雄的とは言えない」というイギリス的なちょっとヒネクレた皮肉がありました。

   暮らしの方の話題をまとめておきましょう。前回の大停電ではお騒がせしてしまいましたが、その後7日と13日にも発電、変電施設への炭素繊維弾攻撃があったものの現在ベオグラードのほぼ全域で電気・水事情は安定しています。ただし一部の大通り以外では街灯がついていません。先日早朝にゴミを捨てようと思い、家のすぐ前の収集箱まで行き当たるのに一苦労してしまいました。共和国広場の美術館や国立劇場もライトアップがなくなり夜は真っ暗なようです。参謀本部や内務省、アメリカ大使館など破壊された建物の並ぶ夕方のミロシュ公通りを通った時は、薄暗がりに目を凝らすと視野に激しい破壊の痕が浮かび上がりなかなか不気味でした。空襲警報が夜だけでなく昼も短時間ながら発令されることが多くなりました。ただ空爆そのものは中国大使館以来少し(ベオグラードでは)静かになっています。
   クルニッチ・ベオグラード市行政局長も「電気・水はまた安定した。最大の問題は市交通局の燃料不足だ」と言っています(12日)。確かに午後のバスの混雑がかなり激しくなり、経済制裁でやはり燃料不足だった93年頃の状況に似てきています。一部路線が統廃合されたり運転区間を短縮されています。環境汚染の方は市環境保護局が「水、空気の汚染度は基準以下」と発表し、「パンチェヴォ騒動」(第17回・18回参照)も収まりつつあります。しかし10日には機械関係の被害だけで危険物質の流出はなかったようですが、バリッチの化学工場が攻撃を受けました。またユーゴ領内のドナウ沿岸全域でスポーツフィッシングを含む釣りが禁止され、理由としてはノヴィサド、パンチェヴォなど沿岸地域石油関連施設の破壊による汚染が挙げられています。
ノヴィサドの壊された橋が絵葉書になった。ベオグラード中心部のミハイロ公通りで1枚5ディナール(約35円)
   小学校、中等(高等)学校は形式的には例年通り6月15日で正式に学年修了となりますが、3月23日時点の成績(仮評価)が原則として最終評価になるようです。6月6日まで成績の不充分な児童・生徒などを対象に補講が認められています。大学は逆に「安全上の理由で出席できない学生には措置を講じる」として講義を再開しました。市の中心部の高校1年のJのハトコは「特に成績も悪くないし、無理に中心部まで通うことはない」と言われ既に夏休み。とは言え空襲警報下あまり出歩くこともなく、「かえって退屈だなあ」と家でこぼしています。
   仕事柄夕方から夜にかけてのニュースはフォローしますが、深夜はベオグラード近辺で爆音が激しくなければ、うんざりするようなニュースを離れてテレビ映画、という日が続いています。大使館誤爆以降北京ではアメリカ映画が禁止されてしまったとの話も聞きましたが、当地では空爆開始当初は自粛されていたものの現在はハリウッドものも平気で映画館・テレビで上映されています。ロシアの巨匠N・ミハルコフがカンヌ映画祭のオープニングを「Barber of Siberia」で飾り、その後の記者会見で「ユーゴ空爆は停止すべきだ、」と主張して話題になった日の夜は同監督の近作「太陽に灼かれて」(TV PINK)。木曜日はA・パチーノの好演が光る「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」、金曜日はM・ライアンとT・ハンクスのライトコメディー「めぐり逢えたら」(いずれもTV パルマ)。普段ハリウッドもののコメディーなんて映画館でもテレビでも見ない私ですが、この頃はこうしたテレビ映画が唯一の息抜きになっています。

   国連ベースの事態解決へ向けて、政治の舞台では少しずつ動きが出てきています。まだ日本で出ているほどの楽観論はこちらでは感じられず、比較的静かな夜が続く中市民はアナン国連事務総長やチェルノムィルディン露大統領特使のニュースを通して成り行きを見守っているところです。(99年5月17日)

●常設リンク

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HelpB92を日本語で読むことができます 空爆作戦の即時停止を!

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第14回「ベオグラード(非)中立宣言」    第15回「警戒、警戒!」
第16回「反NATOで『団結』」    第17回「エコロジーの相当ヤバい話」
第18回「史上初のネット戦争」    第19回「ベオグラード大停電」


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