「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

最終更新 99/05/11 15:52

第19回配信<ユーゴ戦争便り・第6弾>
「ベオグラード大停電」

※管理者注 : 大塚さんのいるベオグラードの電気・ネット事情等により、今回は本文
素材を数回に分けて送っていただいたため、日記仕立てにしております。


1999年5月5日

3人の米兵捕虜釈放のニュースが巷を賑わせていた5月2日夜、北大西洋条約機構(NATO)軍はセルビア最大の火発オブレノヴァッツAプラント(ベオグラード南西40キロ)、コストラッツ(同東方60キロ)などの発電施設、ニシュの変電施設に炭素繊維弾(正確な日本語での訳語は不明。黒鉛製の繊維状導体を散布して発電施設のショートを引き起こす)を投下、セルビア北部、ボスニアのセルビア人共和国北東部など広域が停電状態に陥りました。上水道もポンプを使う大半の地域で断水、コンピューター回線を含む電話事情も大幅に悪化しました。3日経った5月5日現在も各地で給水・給電制限が続いており、ベオグラード西部(ノヴィベオグラード、ゼムンなど)の住宅地では全く電気、水が使えない状態です。私たちの家では昨4日夜は6時間ほど連続して電気、水が出ましたが深夜から再び停電と断水。全体の電圧が低いため各地域で時間給電をしていると推測されますが、当局からは具体的な発表がなく、いつ電気と水が来るのか分からない状況です。この2日間は電気と水が来るとゲリラ的に料理、洗い物、洗濯、シャワー、携帯電話やラップトップコンピューターの充電、テレビニュースのフォローなどをおお慌てでやる繰り返しでした。ここでの停電、断水(特に冬期)は私も何度も経験しています。またさらに長期の停電をJを始め地元住民は経験していて、慣れっこと言えば慣れっこなのですが、40日以上に及ぶ空爆の中でやはり市民の中で大きなダメージになっている印象は拭えません。私も92年停戦直後のヴコヴァール(クロアチア)、デイトン和平直後のサライェヴォなどの取材に同行した経験からパニックに陥らずに済んでいます。しかし(前回までの配信に書いた通りベオグラード南西部の私の自宅近辺にはまだ空爆の被害がなく、)直接生命の危険を感じることのなかった私も今回の停電には「ちょっと参った」気分です。

 まあ92年から95年のサライェヴォ、あるいは95年の神戸に比べたら私が書く話は失笑を買ってしまう程度のものかも知れません。でも私の経験を書いておくのも、ベオグラードでこういうことがあった、という記録を残しておくくらいの意味では無駄にならないと思います。

5月2日(日)=21時5分 40日(40夜)連続の空襲警報発令。例によって無視し私はラップトップで「(旧)ユーゴ便り」第18回の仕上げのレイアウト、Jはデスクトップでインターネットを続ける。Jが訳すニュースは3人の米兵捕虜釈放の話題がメイン。ブルガリアは5つあるユーゴ国境のうち2つの閉鎖を決定、残りの3つも時間の問題という。最悪の事態になったら脱出ルートはルーマニア経由しかないね(クロアチアはJのヴィザが問題、ハンガリーはベオグラードから比較的遠い上に「敵」NATO加盟国、ボスニアはやはり距離もあるし多国籍軍平和安定化部隊(SFOR)がいざとなればすぐ国境閉鎖に動く可能性あり)などと話しているうちに、
=21時45分 停電、デスクトップのコンピューターダウン。予備に買っておいた電気不要の電話をセット、市東部のJの実家に電話したが東部でも停電、街灯も消えているという。今どきこんな電話が役に立つとは思わなかった。ろうそくを点ける。近所のタクシー運転手ミリヴォエがアマ無線を傍受、「オブレノヴァッツがやられちまったらしい」と第1報。すぐには信じられなかったが大規模停電だという予感があり断水に備えて風呂に水を張り始めるが既に水圧が弱くなっている。やがて完全断水。水道局に勤めるJの大叔父に聞いたらやはりポンプが動かないのだろう、と言う。
=22時10分 電池式のラジオでラジオ・ベオグラードの10時のニュースを聞いていたら突然放送中断、他の局もほとんど入らない。普段聞こえるはずがないクロアチアラジオ(FM)が妙にクリアに聞こえる。携帯電話で某テレビのウィーン特派員に連絡を図るが携帯もネットがダウンしているらしく掛からない。通常の電話でウィーンに第一報。ボスニア・セルビア人共和国北東部のラジオ・ビエリーナをFMで発見。ビエリーナの町が停電しているとDJが報ずる。ズレニャニン、シャバツなどセルビア北部各地のリスナーからも停電の報。
=22時49分 ラジオ・ビエリーナにも「オブレノヴァッツ」攻撃の未確認情報が入り、やがてオブレノヴァッツのリスナーから「Bプラントは大丈夫、Aプラントが攻撃されたらしい」の報。
=22時50分 自動車のラジオを聞いていたJの大叔父が「ラジオ・パンチェヴォも復活したが自家発電で放送している」と言う。ろうそくは節約のため1本だけ使っているが、空襲警報のため窓を開け、寝室、居間、トイレなどを行き来するのにまたドアを開けているためすきま風が寒い。
=23時 ラジオ・ビエリーナにノヴィサドのリスナー「ノヴィサドも真っ暗」。東京のテレビ外信部から携帯に電話。こちらから掛けられないが外から掛かることは可能なことを確認。オブレノヴァッツが本当にやられたらしいと外電が打っているとのこと。取りあえず朝ニュース用電話レポートをやってほしいが、今自分がどういう状態かを主に話してほしい、20分後くらいにまた電話する、と言うので「ローソクの下で原稿をまとめるのは難しい、20分後には携帯が完全にダウンするかも知れない」と言ったら「じゃあこのままやり取り形式で行きましょう」ということになりローソクを点けていること、水を張っていたら止まったこと、ラジオも放送できていない局が多くセルビア人共和国のローカル局が頼りなこと、などを話す。
「あれ、オレのカードどれに入ってたっけ?」2人で3台の携帯電話を持ったのはよかったが、どの電話用にどの電源コードを使うのだったか・・・
=23時30分 自分の携帯電話のバッテリーが上がったらカードだけ入れ替えられるようにJの携帯電話の電源を切ってもらう。満月に近く真っ暗という感じではないが、ろうそくか懐中電灯と思しき電気が近所でもチラホラ点いているだけ。まあ時間も遅いけど。やることもないので横になることにする。 
=夜刻 ラジオ・ビエリーナの情報更新が遅くなってきたのでベオグラードに近いラジオ・パンチェヴォに切り替え。セルビア電気公団「オブレノヴァッツAが特殊な物質による攻撃を受けショートした。復旧を急いでいるが病院、水道局、製パン工場などの電気を優先させる。地域ごとに時間差は出るが電圧を徐々に上げていくのでパニックにならないように」「各家庭では電球1個以外のスイッチは切ってほしい。特にレンジ、冷蔵庫、ボイラー(風呂などで水を熱して溜めておくタンク)などは点けないように」「ベオグラードの各病院は自家発電でやりくりしているので心配ない」
=夜刻 ラジオ・パンチェヴォに私の知人でもある軍事評論家のM・ラザンスキが出演。「炭素繊維弾は湾岸戦争でも使われたもので・・・」と説明。「空爆開始から40日経っても防空軍に被害が出ていない(1日から2日に掛けてもF16、A10、ハリアーなどが撃墜されている)ことからNATO側が防空軍対策で取った作戦だろう」
=5月3日6時 起きたら電気は来ていたが水なし。ラジオパンチェヴォ「水道の変電施設に障害が出てベオグラード広域で依然断水中」
=7時 空襲警報解除。
=10時 電気あり、水なし。日本大使館から毎日恒例の安否確認の電話。館員F氏の自宅は依然電気も水も来ていないとのこと。わが家は診療所や警察、水道局に近いことから電気が来たのかも知れない、とJと話しているうちに水が来た。電話で他の地域を聞いてみるがやはり水、電気がない所がほとんど。
=11時30分 軍用機の飛来で衝撃波の爆音。最近のJと私は空爆、対空砲火、衝撃波が聞き分けられるようになっている。特に警報発令なし。Jの実家近くではスーパーマーケットなどに電気がないため、売り子が店の入り口に客を並ばせて買いたいものを言わせ、中から取ってくるシステムにしているという。
=12時 携帯電話は通常化、テレビのウィーン特派員から連絡「クリントン・小渕会談で日本は原油制裁を支持する発言をしそうだ(会談終了後解禁になる時間付きオフレコレベル情報)」。あーあ、日本人がニラマれるようになったら中国人のフリして暮らしていくか。J、Jの大叔母と「どうせ5回も6回も同じ所を攻撃するNATOのことだから、本気でオブレノヴァッツ復旧を期待する方がおかしい」と悲観論。
=13時 買い物。パンが少なくなっており、一部の店ではJの実家近辺と同じシステム(上記)を取っている。新聞なし。
=14時 「(旧)ユーゴ便り」第18回仕上げ、ほぼ出来上がり停電の報を最後に追記として付け加えていたら
=14時50分 再び停電。20分は電気なしで使えるデスクトップで「便り」最後の仕上げをして管理者河野氏にメールを送ろうとユーゴのネットサーバーEUネットに電話。普段は大混雑のEUネットだがみな停電しているのかすぐにつながる。信号あり。しかしメールがサーバーまで届いてもそこから先に進むのかどうか不安にかられる。

 この間市場の雑貨コーナーではろうそくよりも懐中電灯と電池の方がよく売れていました。上の記録にも書いたスーパーマーケットで売り子が入り口で注文を聞くシステムですが、行ってみると確かに大きなマーケットは奥が真っ暗で、万引き対策と商品管理(肉を売っている冷蔵庫もダウンしていますし、棚に積んである缶詰などに客がぶつかって散乱しても困るでしょう)の両方の意味があるように思えました。新聞は2日後の4日からやっと復活。日本大使館のある商社ビルは自家発電がダウンしてしまったらしく、一時電話が通じませんでした。

 私は報道関係の仕事をしている手前一般住民の生活の視点とはまた少し違いますが、こうした状況で準備していて良かった、と思ったものを書いておきます。

  1. ろうそく。後日懐中電灯も買いました
  2. 電気を使わない電話
  3. 携帯電話をJと私の2人とも持っていてバッテリーダウンに対応できたこと(日本と違いヨーロッパではソフトウェアに当たるSIMカードを入れ替えることで他人の電話機を自分のものと「交換」できます)。後日念のため電池でも動く携帯電話(300マルク也)も購入しました
  4. ラップトップコンピューター
  5. 電池式のラジオ
  6. 台所のレンジはガス2つ、電気2つが使えるが、空爆開始以来ガスはこういう事態に備えて使わずに節約していたこと 

 Jから「和風でも洋風でもいいけど、1回でたくさん作って何日か置いておける料理が出来る?」と尋ねられ、「カレーならまだウィーンで買ったカレー粉があるし、ルーは冷蔵庫に入れておけば5、6日はもつぜ」と言おうとして思わず口をつぐみました。それは冷蔵庫がまともに機能していたら、の話でしょう。停電の間も全く冷蔵庫を開けないわけにはいかないでしょうし、電気が来たり来なかったりの状態が続けば中の温度も当然高くなっているに違いありません。「うーん」と私は唸ってしまいました。逆に、電気が来たら1時間で夜食と翌日の朝食分くらいにはなるものなら作れます。十数年前東京の6畳下宿で培った「生きる知恵」を最大限に生かそう、と自分を励ますことにしました。焼き肉系やスパゲッティだけではつまらないし、今日は電気と水が来た途端に作り始める煮込みです。

  1. 鍋に水とブイヨンキューブを入れて沸かす。
  2. 牛肉、人参、ジャガイモその他好みの野菜を一口大に切って次々鍋に入れていく。 
  3. アクを取りながら野菜が柔らかくなるまで煮込んだらトマトジュース、塩、胡椒で調味。当地のトマトジュースは唐辛子入りの辛いものがあって、これを使うとチリ味みたいになり美味。これだけでは淡白過ぎるという向きは酢かとき卵1を加えてもマル。以上45分で完成。 

 最後に、停電になって初めて気が付いたインターネットの効用について簡単に書いておきます(前回ネットのことを集中的に書きましたしね)。普段夕方の信用できない国営系ニュースをフォローし、夜はJにAPやCNNやBBCやロイター、あるいはNATO大本営のホームページ(どれも私の大苦手の英語です)を読んでもらって、さらに私が仏語のAFPやルモンド、Yahoo経由で日本のメディアを読むなどして国営系で出たニュースの「裏を取る」作業をしていました。もちろん西側メディアだから信用できる、セルビア国営だから信用できない、というほど物事を単純に考えてはならないことは、第14回以降をお読み頂いた方にはよくお分かり頂けるはずです。しかしそうやって両大本営プラス各国メディアの情報を読むことで、真実とは言わないまでも「まあ真相は何となくこんなことじゃないか」「真相は分からないが世界はこういう風にこの事件を把握してこれからの物事が動いていくだろう」くらいの(自己満足プラスアルファ程度の)所には到達できるわけです。もちろん短波ラジオを使えばBBC、VOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)、DW(ドイッチュ・ヴェッレ)、自由ヨーロッパ、ラジオ国際フランスなどが私の第一外国語セルビア語で、またラジオ日本も聞くことができますから同じなのですが、ネットではこの作業をより短時間に能率的に進めることが出来る、そんなことをネット環境が悪化した今になって自覚している次第です。

 いずれにしてもサーバーへのアクセスはおろか管理者河野氏へのメールをコンピューターで打つのも時間勝負みたいになってしまいました。今後はちょっと今までのペースでの更新が難しくなりますがご了承下さい。

世界最大のギャンブラー?

 第16回でも紹介したNATO軍の撒いているビラの新しいものをまた2種類入手しましたので訳を付けて紹介します。

1つは例によってNATO攻撃で始まるものです(写真上)。
この数週間、セルビア軍と警察はスロボダン・ミロシェヴィッチの直接の命によりコソヴォの町や村をゴーストタウン化してきました。何千もの家が焼かれたり壊されたりしました。家長は妻や子どもから引き離されて射殺されています。何千人もの罪のない人々が殺されている可能性が高まっています。何十万もの人々がミロシェヴィッチの追い出し政策の犠牲となって難民化しています。皆さんの愛国心を彼らの蛮行と一緒にさせるような間違った方向に向けさせないようにしましょう。
北大西洋条約機構
    は弱者を守ります
(裏面は第16回で紹介したものとほぼ同じ)

 もう1種類はユーゴ大統領S・ミロシェヴィッチの顔写真付きです(写真下)。  スロボダン・ミロシェヴィッチは既に何年もセルビア人の未来をギャンブルの対象にしてきました。彼の政治によってクライナ、東スラヴォニア、バラーニャ(大塚注:いずれもクロアチアでもともとセルビア人が多かった地域。95年以降クロアチア軍の軍事介入により大半のセルビア系住民が難民化した)、サライェヴォが失われました。彼はまたもコソヴォでの住民追い出しによってギャンブルをやろうとしています。賭けの対象はセルビア人揺籃の地です。セルビア人が世界に誇る土地ですしセルビア人の生命がかかっています。それを全部ミロシェヴィッチ個人のものであるかのように賭けさせていいのですか?(裏面は空爆で炎上する建物の写真)  

 

1999年5月6日

 今日はだいぶ電気、水の状況がよくなりました。市東部のJの実家では今夜現在は断水しているとのことですが、私たちの家では今日は停電、断水がありません。地元の新聞などで少し状況も分かってきたのでもう少し停電の話を続けます。 今日6日付の日刊紙「ダナス」「ヴェチェルニエ・ノーヴォスティ」によれば、昨日は風が強かったためコストラッツ変電所で拭き落としたはずの炭素繊維が再び絡み付いてショート、予定よりもベオグラード他の電力復旧が遅れたようです。またモンテネグロも空爆による直接被害とこのセルビアの炭素繊維のために電力事情は決して良くないとのことです。
 市中心部にある「ダナス」編集部(昨秋の情報統制でセルビアから「追放」されモンテネグロで登記したが、実際はベオグラード「支局」を中心に活動)は昨日朝8時30分から停電、コンピューターに慣れた記者陣は久しぶりに照明のない部屋でペンを執って仕事をしなければならず、しかも通信社からのテレックスも入らない、使える電話は1台だけ。「なくなって分かる電気の有り難味」という実感のこもった内輪話が出ていました。トロリーバスと市電は当然のことながらほぼ全面運休。市交通局とは異なり燃料の優先権が低い民営バスは、停電とは直接関係ありませんが燃料不足で運行本数が減っているとのことです。
 私たちも近くのスーパーに買い物に出かけました。電気は来ていて今日は中に入れましたが、アイスクリームの棚は全くのカラ。肉、冷凍食品は鶏肉を除けば通常に近い状態でした(恐らくこのスーパーの倉庫が自家発電で冷蔵しているのでしょう)。他にはコーヒーがなくなり、ビールなどが品不足になっているのが目立ちました。

「さっきスゴい音がしてさ、今見えるところで燃えてるよ」チャットのナマ情報も信頼度は低いが貴重なナマの声だ
 前回配信でインターネットのことを書きましたが、一つ付け加えておきたいのはインターネット回線を使ったセルビア語でのチャットのことです。私よりもJの方が達人の域に達しているのですが、空爆が始まってからも時々後ろで見せてもらっていると各地からいろいろな情報が入って面白いです。「今ドーンって音がしたけど南部の方じゃない?」「いやオレ南部に住んでるけどこっちからは遠かった」「アマ無線も同時に聞いてるんだが、どうも西部のXXXの建物の方みたいだ」等々、虚報や誤報はつきものですが時にはラジオのニュースや市広報センターよりも早い時があります。今日はベオグラードは静か、やっと電気・水も夜に入ってベオグラード全体で落ち着きましたがノヴィサドへの攻撃が激しかったようで、「隣りの団地に当たったよ」なんてのがありました。おいおい、コンピューターなんかやってないで避難しろよ。アメリカやカナダ、オーストラリアなど「ネット先進国」に住むセルビア人も時々入ってきて、こういう「生の空爆情報」をチャットから得ているケースがあるようです。

 今日はG8外相会議の地元での反応をテーマに某テレビへの電話レポートを送りました。発表された声明そのものはあまり目新しいものではありませんでしたが、取りあえずユーゴ側が空爆開始直前に意図していたように国連の場に移りそうです。まだ空爆がこれで止まったわけではありませんが、次第に政治決着の方向へ物事が動き出しそうなこと、ベオグラードは電気、水もほぼ復旧し夜空も静かなことから周囲でも楽観的な雰囲気が感じられることなどを原稿にまとめました。しかし高村さんももう少し記者会見で喋ってほしかったなあ。

1999年5月8日

 早朝G8のレポートを送ったため昨日7日は昼過ぎまで寝ていましたが、テレビの外信部から叩き起こされました。「ニシュの病院が直撃されて死人が出ているらしい」。慌ててニュースを見ました。結果的には病院、市場などニシュの中心部(砦のそば)に直撃、15人死亡の惨事でした。こうなると毎週「今週の誤爆」コーナーが作れそうだな。そんなことも思っていながら夜の9時過ぎになりました。今日は久しぶりに落ち着いて電気を使いながらの料理(マッシュルームピラフと鶏のソテー)にするか。

 21時20分、軍用機の飛来音とともに停電。あーあ、またゲリラ料理かなあ。しばらく経って変電施設がまた炭素繊維でやられた、というニュースが入りましたが、それよりも今夜は軍用機といい対空砲火といい妙に近く聞こえます。停電騒動以来、今週は4日以外は空は静かだったのですが、爆撃の音も遠くないところでいつになく頻繁に聞こえました。0時ごろ東京に電話、テレビ外信部に停電と空爆激化を知らせましたが、その直後また爆音が相次ぎ、ノヴィベオグラード地区の中国大使館
「誤爆」で大破した中国大使館(写真提供:www.net4s)
が攻撃された、という信じられないニュースが入ってきました。コーディネート用の住所録を漁って新華社通信を見つけ電話しました(中国の特派員はほぼ全員セルビア語が話せます)が誰も出ないまま。空爆開始45日目、ベオグラードでは今までで最悪の夜でした。

 1時ごろまた電気が復旧、3時ごろまでに被害状況は軍参謀本部(道の向かいのセルビア共和国政府も相当の被害)、連邦内務省(以上中心部)、中国大使館(新華社通信特派員を含む死亡4)、ホテル・ユーゴスラヴィア(死亡1)。この辺をまとめて外信部と電話、これからレポートという時にまた近くで軍用機と対空砲火がガンガン来ました。これにはさすがにJも私もビビッて、原稿を打ち込んだデスクトップの電源コードを抜いてガラス窓のそばの席を離れ廊下に避難、廊下の床に座っての電話レポートでした。

 今朝寝ているうちに停電になっていましたが、今日は18時になってやっと電気が来ました。夜のうちにまた断水。という調子で電気・水はまた不安定な状況に逆戻りです。ニシュといい中国大使館といい、もうNATOのやっていることは支離滅裂という印象です。いつになったら終わるのか。何人市民の被害を出せば終わるのか。またまた「ちょっと参った」気分に支配されています。

 それにしても、東京の某テレビ外信部のAさん。日曜日の最初の停電の時も、昨日の停電の時もたまたま私のレポートの「受け」の担当だったのですが、ろうそくの下で話していたら、日曜日は「そちらのテレビの放送はどうですか?」。やはり停電中だった昨日の最初のコンタクトでは、「情報こちらからファックスで送りましょうか?」。うーん、2人で携帯電話3台持っていても報道関係者は楽じゃありません。この次は自家発電機ですね。(99年5月8日)

●常設リンク

HelpB92...OSAKA,JAPAN

「Mirの会」へのリンク

HelpB92を日本語で読むことができます 空爆作戦の即時停止を!

「AAR難民を助ける会」のサイトにリンク

「クロアチアに行こう!!」にリンク

非政府組織「難民を助ける会」です いつもお世話になっています

第14回「ベオグラード(非)中立宣言」    第15回「警戒、警戒!」
第16回「反NATOで『団結』」    第17回「エコロジーの相当ヤバい話」
第18回「史上初のネット戦争」


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