"HAJ'MO NA UTAKMICU!"

旧ユーゴスラビアのサッカー事情
 (00年11月8日更新)

 クロアチアやユーゴ、スロベニアのサッカー事情について紹介しています。サッカーのことを、クロアチアとスロベニアでは「ノゴメットnogomet」、ユーゴやボスニアなどでは「フッドバルfudbal」といいます(ボスニアは最近、ノゴメットに変わってきました)。表題の"HAJ'MO NA UTAKMICU!"とは、試合に行こうぜ、というような意味です。ただ「試合に」というと「サッカーの試合」という意味になるのが普通です。(千田)


  •  旧ユーゴ各国1部リーグ99/00年シーズン順位表(00/11/08)
  •  クロアチア1部のティーム名、98/99年シーズン順位表(99/09/22)
  •  ユーゴスラビア1部のティーム名、98/99年シーズン順位表(99/09/22)
  •  ボスニアのサッカー事情。1部リーグのティーム名、98/99年シーズンの成績(99/09/22)
  •  スロベニア1部のティーム名、98/99年シーズン順位表(99/09/22)
  •  マケドニア1部のティーム名、98/99年シーズン順位(99/09/22)
  •  ユーゴのホームゲームはギリシャで(5月11日)
  •  ユーゴの予選参加OK=サッカー欧州選手権(5月10日)
  •  ユーゴ1部リーグは空爆で中断、プレーヤーも犠牲に(5月6日)
  •  ミリャニッチ会長が救援のアピール(3月29日)
  •  ユーロ2000予選、ユーゴ対クロアチア、メンバー発表(99/03/21)
  •  欧州5大リーグのチェコ、クロアチア、ユーゴ出身選手数(Y.S.さん提供)
  •  サッカー関連書籍 (99/09/22)
  •  旧ユーゴのサッカー関連リンク (99/01/21)

  •  クロアチア代表MF対決はスタニッチに軍配(99/02/28)
  •  ディナモのカズ獲得の背景 (99/01/17)
  •  ディナモかクロアツィアか (99/01/13)


  • [メニュー]   [自己紹介]   [最近のボスニア]   [リンク]


     空爆下のサッカー

    ユーゴのホームゲームはギリシャで(5月11日)

     UEFAが5月10日、ユーゴスラビアのユーロ2000予選への参加を引き続き認めると決定したことを受けて、ユーゴ・サッカー連盟(FSJ)は11日、6月9日に予定されているマルタとの試合をギリシャのテッサロニキで開催することを決定。これをUEFAに通知した。試合会場はギリシャ1部リーグのPAOKのスタジアムで収容人員50000人。同スタジアムでは4月下旬、ギリシャ内でプレーするユーゴ人プレーヤー(ギリシャ内ユーゴ代表)とテッサロニキ選抜(ギリシャ1部リーグのイラクリス、PAOK、ARISの3チーム)の親善試合がおこなわれている。テッサロニキでの試合計画は5月26日のUEFA理事会で承認されて後、正式決定となる。なお、6月5日のアイルランド対ユーゴは、当初の日程どおりダブリンで開催される予定。 [このページの最初に戻る]


    ユーゴの予選参加OK=サッカー欧州選手権(5月10日)

     【ニヨン(スイス)10日DPA=時事】欧州サッカー連盟(UEFA)は10日、コソボ紛争で揺れるユーゴスラビアが2000年の欧州選手権予選には予定通り参加できると発表した。ただ、北大西洋条約機構(NATO)軍による空爆が続いていることから、来月9月にユーゴ国内で予定されていたマルタ戦は、中立国で行うこととし、12日までに代替開催地を見つけるよう、ユーゴ側に要請した。 [1999-05-11-16:28]

    出場決定に沸くユーゴ サッカー欧州選手権予選(5月10日)

     【ベオグラード11日共同】欧州サッカー連盟(UEFA)がユーゴスラビアの二○○○年欧州選手権予選への出場を認めたことについて、ユーゴ・サッカー界関係者は十日「政治を介入させない、スポーツマンらしい決定だ」と喜びをあらわにした。
     ユーゴ国営タンユグ通信によると、同日記者会見したユーゴ代表のジバディノビッチ・コーチはこの決定を歓迎。「スポーツに政治を関与させない決定をしてくれたことはうれしい」と語り「ユーゴは(欧州予選での)決勝進出に値する魅力的な試合を展開するだろう」と、自信を率直に表した。
     日本でもプレーするストイコビッチを擁し、昨年のワールドカップ(W杯)フランス大会では戦前「影の優勝候補」とも評されたユーゴは、これまでW杯九回の出場を誇る欧州の強豪。だがボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でのセルビア人勢力支援を理由に一九九四年W杯米国大会、九六年欧州選手権では参加資格をはく奪されていた。
     UEFAの今回の決定は、ユーゴ国内でのホームゲーム開催を禁止したが、空爆で沈滞気味の国内のムードと、参加すらできなかった前回の無念を晴らそうと、チームは意欲を燃やしている。 [1999-05-11-09:48]
    [このページの最初に戻る]


    ユーゴ1部リーグは空爆で中断、プレーヤーも犠牲に(5月6日)

     NATO軍の空爆で3月下旬から中断しているユーゴ・サッカーリーグのレギュラーシーズンは、1部リーグが10試合(10節)、2部が13試合が未消化となっている。各チームとも、空爆の被害にたいするチャリティーマッチなどを精力的におこなっているが、正規のリーグ再開の見通しは立っていない。来年度のヨーロッパ・チャンピオンズリーグ、UEFAカップなどへの参加チームのしめ切りが6月1日に迫っているため、ユーゴサッカー連盟は5月14日頃をめどに、残りの試合をどのようにするか、リーグ戦の再開ができない場合の優勝チームの決定方法などについて、決定をおこなう予定。
     この間の空爆によって、サッカー選手も犠牲になっている。現役の選手で死亡したのは、クラリェヴォ市の「スローガ」に所属していたアレクサンダル・ヴーコヴィッチ(通称アツァ)。ユーゴ軍に徴兵され、勤務していたところ、4月13日に空爆で死亡。1979年3月3日生まれ。20歳だった。クラリェヴォでの葬儀には7000人の市民が参列した。


    ミリャニッチ会長が救援のアピール(3月29日)

     NATOの空爆に対し、ユーゴサッカー連盟のミリャン・ミリャニッチ会長は3月29日、世界の著名なサッカー関係者に、NATOの空爆をやめさせるための救援のアピールを送った。アピールは、FIFAのブラッター会長、UEFAのヨハンソン会長らのほか、ミリャニッチ氏が長いキャリアの中で親しくしている元プレーヤー、コーチらにも送られた。プースカシュ、ディステファノ、コパ、エウゼビオ、ペレ、チャールトン兄弟、ベッケンバウアー、プラティニ、クライフ、ザガロ、ロブソン、カマチョ、ネッツァー、ブライトナー、カルロス・アルベルト、メノッティ、ジャケ、カペッロ、マラドーナ、キーガン、サッキ、ジーコ、リヴェラ、トラパットーニ、パサレラなどなど、そうそうたるメンバーに対して、空爆反対の「声を上げてくれるよう」要請している。 [このページの最初に戻る]


     旧ユーゴスラビアのサッカー情報


    [このページの最初に戻る]   [千田 善のページに戻る]

     クロアチア代表MF対決はスタニッチに軍配

     見ました? パルマ対ペルージャ。試合は3:1でパルマの勝ち(中田クンは残念でした)。もう一つの見所が、クロアチア代表レギュラーMFのマリオ・スタニッチ(パルマ)と、最近代表入りしたミラン・ラパイッチ(ペルージャ)の激突でした。
     スタニッチが右サイド、ラパイッチが左サイドにポジションを取ることが多く、たびたび競り合っていました。前半も何度かぶつかり、スタニッチが貫禄を見せましたが、後半40分過ぎのパルマ陣内ペナルティエリア近くの攻防も見事でした。ラパイッチのドリブルを、スタニッチが体を入れて阻止(ひじも使ったようには見えたけれど)。
     ラパイッチは「ファールだ」と、自分からドリブルをやめて、無言でアピール。フリーキックか。しかしフォイッスルはならない。パルマのホームだから反則にならなかったことに、ラパイッチは不満そうな顔を見せたが、いつものように大げさにレフェリーへの不満は表明しない。やられた相手がスタニッチだったからだろう。「まいりました」ということか。びびっていたのか、ラパイッチ?
     経歴を見ると、二人は1歳違いなのですね。スタニッチはサラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)生まれ。ボスニア国籍も持っているはず(二重国籍)だが、クロアチア代表になったので、ボスニア代表にはなれない(なりたくない?)。16歳で旧ユーゴ1部リーグのジェレズニチャルからデビューしていますね。天才ですね。でも、ボスニアで戦争がはじまったところでザグレブに移籍(ボスニアはサッカーどころではなかったですからね)、以後、ヨーロッパを渡り歩いて、現在パルマ。故郷を捨てた(戦争で追われた)男。
     ラパイッチはハイドゥック出身(代表入りが遅く、プレイヤーとしては遅咲きの印象があるが、ハイドゥックでは18歳からプレー)なので、これまでスプリット生まれかと思っていたら、違いました。彼の出身地、クロアチア中部のノバ・グラディシュカも、91年のクロアチア戦争では戦場になりましたし、95年夏まではセルビア人の「クライナ」に隣接し、ボスニアに近いこともあり、戦争のにおいが立ちこめていたところです。
     グランドで何を話しているのでしょうね。
     「レギュラーポジションは渡さないぞ」とスタニッチ。
     「あ、でも、サイドが違うから、代表では仲良くやりましょうよ」とラパイッチ。
     「でも、タバコをやめないと、ブラジェビッチ監督に嫌われるぞ」
     「そうなんですよ、ボシュコフ新監督からも同じことを・・でも、運動量は他人に負けない、あ、パスが来た」
     「いただき!」とスタニッチ・・・

     (2人の会話はフィクションです。念のため)

    Milan RAPAJIC(ミラン・ラパイッチ)

    所属: PERUGIA
    ポジション: FW/MF
    背番号: 11
    生年月日: 73年8月13日
    生まれた場所: Nova Gradiska (ノバ・グラディシュカ=クロアチア)                  

    シーズン Team (所属/リーグ) 試合(ゴール)

     

     

    1991-92 Hajduk(ハイドゥック=スプリット/ クロアチア1部)   2 (-)
    1992-93 Hajduk(ハイドゥック=スプリット/ クロアチア1部)  17 (4)
    1993-94 Hajduk(ハイドゥック=スプリット/ クロアチア1部)  25 (8)
    1994-95 Hajduk(ハイドゥック=スプリット/ クロアチア1部)  18 (2)
    1995-96 Hajduk(ハイドゥック=スプリット/ クロアチア1部)  22 (6)
    1996-97 Perugia (イタリア・セリエA)  31 (4)
    1997-98 Perugia (イタリア・セリエB)  28 (5)
    1998-99 Perugia (イタリア・セリエA)

    Mario STANIC(マリオ・スタニッチ)

    所属: PARMA
    ポジション: MF
    背番号: 13
    生年月日: 72年4月10日
    生まれた場所: Sarajevo (サラエボ=ボスニア・ヘルツェゴビナ)                    

    シーズン Team (所属/リーグ) 試合(ゴール)
    1988-89 Zelieznicar (ジェレズニチャル=サラエボ/ユーゴ1部)  14 (-)
    1989-90 Zelieznicar (ジェレズニチャル=サラエボ/ユーゴ1部)  14 (-)
    1990-91 Zelieznicar (ジェレズニチャル=サラエボ/ユーゴ1部)  28 (1)
    1991-92 Zelieznicar (ジェレズニチャル=サラエボ/ユーゴ1部)  21 (11)
    1992-93 Croazia Z. (HASKグラジャンスキ=現クロアチア・ザグレブ/クロアチア1部) 26 (11)
    1993-94 Sporting Gijon (スポルティング・ヒホン/スペイン1部)  34 (7)
    1994-95 Benfica (ベンフィカ・リスボン/ポルトガル1部) 14 (5)
    1995-96 Bruges (ブルージュ/ベルギー1部)  30 (20)
    1996-97 Bruges (ブルージュ/ベルギー1部)  7 (7)
    (シーズン途中96年12月に移籍)
    1996-97 Parma (イタリア・セリエA) 13 (3)
    1997-98 Parma (イタリア・セリエA)  23 (4)
    1998-99 Parma (イタリア・セリエA)


    [このページの最初に戻る]   [千田 善のページに戻る]


     「ディナモのカズ獲得の背景」(99/01/17記)

  •  クロアチアのフラーニョ・トゥジマン大統領は98年5月14日、自分の76回目の誕生日に「クロアツィア・ザグレブの名誉会長」に就任しましたが、「名誉」とは名ばかりで、ディナモ(クロアツィア)の実質オーナーは、トゥジマン大統領その人。ホームページにも「クロアチア国家の創生者であり、スポーツの偉大な理解者」で「NKクロアツィアと、クロアチア代表チームのマクシミル・スタジアムでの試合は必ず観戦する」と、紹介してあります。(マクシミルはディナモのホームグランドで、ザグレブ市内北東部、市電の終点にあります。日本でいうと国立競技場のようなスタジアムで、85年のユニバーシアード開会式、サッカー決勝などがおこなわれたところ)
  •   "Ovu odluku ce neki primiti kao politicki nespretnu. Ali, sa samostalnom Hrvatskom, zelim i europski klub. Ne mozemo imati deset velikih, ali dva, Croatiu i Hajduk, mozemo. Jos 1966. htjeli smo promjeniti ime Dinamo u "Plavi 1903", ali nismo uspjeli. Sport je vazan dio drustvenog zivota. I kad smo isli u stvaranje samostalne Hrvatske, koju svijet nije zelio, bili smo svjesni da mnogo pozornosti treba posvetiti sportu. Cestitam upravi i igracima sto ste uspjeli izgraditi Croatiju ne samo u najjaci hrvatski, vec i u jaki europski klub... Cestitam na uspjesima, ali se dokazite u Europi. To sto ste me proglasili pocasnim predsjednikom, vama je i obveza ..."(名誉会長就任に当たってのトゥジマン氏の発言から)
  •  ディナモはトゥジマンの命令で、名前を「HASKグラジャンスキ」に変えさせられ、評判が悪かったので「クロアツィア」に再改名したという経緯は、朝日新聞社の月刊「論座」原稿「3.27欧州選手権予選で会おう、わがクロアチアとユーゴのたたかい」を参照して下さいね。
  •  トゥジマン名誉会長(大統領)は最初、EU諸国からのアタッカーを獲得するようフロントに厳命を出していたのに、だれも来ない(うーむ。そりゃそうだろう)。では、日本から、と、カズに白羽の矢が当たったという事情らしい。つまり、カズの移籍獲得は、トゥジマン大統領のエンドースメントが前提になっているのです。カズの移籍そのものは大いに期待していますが、クロアチア(政府)側の狙いは、カズそのものよりも、ツァニュガ会長や、ブラジェビッチ代表監督のコメントを読むと、日本との関係発展など経済効果にあるようです。だからこそ、カズには、フットボーラーとして活躍してほしい!!
  •  今年のお正月にサラエボに行って来た帰りにザグレブを経由したのですが、警察官もカフェのウェイターもみんな「ミウラ、ミウラ」とにこにこしていました。ただし、12月末の正式契約の際、ある新聞が、「JOKOSO MIURA(ヨウコソ・ミウラ)!」と書くべきところを、「SAJONARA MIURA(サヨナラ・ミウラ)!」と、でかでかとローマ字の大きな見出しで書いてしまったそうです(セルビア・クロアチアの「J」は、英語などの「Y」と同じ)。悪意はないと思いますが、カズ本人が傷ついていないか、心配です。



     「ディナモかクロアツィアか」(99/01/13記)

     カズが移籍したディナモ・ザグレブ(正式名称は「クロアツィア・ザグレブ」=現地ではイタリア語風に「クロアツィア」と発音する。クロアチアという国名をクロアチア語でいうと「フルヴァツカ」)のホームページがクロアチア語だった(注)ので、今回は特別に、翻訳して上げます(実は、ブラジェビッチ代表監督のコメントが面白かったもので、つい・・)。ここにはカズのホームページもできています。
     (注=99年1月20日現在、英語でも掲載されていました。)

    ディナモのホームページから
    <ニュース>
    99/1/10 一軍のトレーニング開始。
     ヴェリミール・ザイェツ監督は、最初のトレーニングを指導。ミウラとリトアニア人ミクレナスを除く全員が集合。(ミウラとミクレナスは11日に合流予定)。
     ティームを2つに分け、メイングランドで30分ハーフ2本のゲーム。気候は寒く、グランドの一部は凍っていた。

    99/1/9 一軍のトレーニング日程発表
     1/10 14時30分集合。ティームを3つに分け、30分のゲームを合計3試合の予定。
     1/11 キャンプ地のポレチ(クロアチア西部海岸地方)に出発
     1/16 夕方、ポレチからザグレブに戻る。
     1/17 オフ
     1/18,19,20 トレーニング
     1/21 マドリードに出発。地中海岸の保養地アリカンテでキャンプ。ホテル・ハイアット・リージェンシーに滞在。スペイン1部リーグのヴィジャ・レアルおよび、ノルウェーのヴァイキング、ほか1ティーム(ノルウェー)の計3ティームと試合予定。
     2/7 スペインからザグレブに戻る。
     2/17 12月に大雪で中止になったクロアチア・リーグ戦のムラードスト127と対戦。
     2/21 春期(後期)リーグ開幕。スラヴェン・ベルーポと対戦(第18節)。

    98/12/29 カズ・ミウラが契約
     日本人のカズ・ミウラが1年半の契約に調印。調印式には双方の代理人、日本から約10人の記者、クロアチアの約20人の記者が同席。きっかり午前9時にサイン。ミウラはその後、こんなに多くの記者がきて、感謝していると挨拶。これより先、ミウラはツァニュガ会長に次のようにのべている。
     「このティームとクロアチア代表は世界中にその価値を示している。そんなところでプレーできるのは、自分にとっても誇りだ。まず、ティームメイトとよく知り合い、その助けを借りながら自分の力を発揮したい。ティームのために全力を尽くし、リーグ優勝して、秋にはヨーロッパ(チャンピオンズリーグ)を舞台に、重要な役割を果たしたい」

     ズラトコ・ツァニュガ会長
     「これは、サッカーだけにとどまらない、クロアチアと日本との新しい関係の始まりだ」

     ミロスラフ・ブラジェビッチ代表監督(ディナモとはいまは関係ない。けど、会見にでてきた)
     「ミウラのことは、昨年(97年)のキリン・カップでの2得点をよく覚えている。結果は4対3で日本がクロアチアに勝ったのだが、ミウラはその試合のベストプレーヤーだった。それが、ミウラをここに連れてきたもっとも大きな理由だ。(GK)ラディッチから90分のうちに2点も取れる選手というのは、特別の注目に値する選手だ。これははじまりに過ぎない。ミウラの後には、まず、東京市長(都知事)を、そしてその後は、アキヒト天皇陛下ご自身をクロアチアに連れてこようではないか。」


    [このページの最初に戻る]   [千田 善のページ]



     サッカー関連書籍(99年2月記)
     わたしがちょこっと協力した、サッカーの本を紹介します。みんな、少しづつ固有名詞の間違いが直っていないけれど、いい本です。買ってあげて下さいね。
  •  宇都宮徹壱著「サポーター新世紀 ナショナリズムと帰属意識」(勁草書房)
  •  宇都宮徹壱著「幻のサッカー王国 スタジアムから見た解体国家ユーゴスラビア」(勁草書房)
     宇都宮さんは、
    「サッカークリック」というホームページで「モノクロームの冒険」というコラムを連載しています。
  •  木村元彦著「誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡」(東京新聞出版局)
  •  金丸知好著「廃墟からのワールドカップ」(NTT出版)(金丸さん、日本の応援席でTVに映ってましたよ)

    [このページの最初に戻る]   [千田 善のページ]


     サッカー関連リンク
  •  朝日新聞社の雑誌「論座」9月号に掲載された 千田 善のワールドカップ観戦記。題して「3.27欧州選手権予選で会おう、わがクロアチアとユーゴのたたかい」
  •  ミュージックマガジン(99年6月号)「NATO STOP STRIKES! またもや政治に翻弄されるスポーツマンたちの痛み」

  •  フランス大会のクロアチアとユーゴの代表選手の日本語表記ワールドカップ情報はこちら。
  •  ユーゴスラビア・サッカー連盟のホームページ
  •  レッドスター(ツルヴェナ・ズヴェズダ)のホームページ
  •  パルティザン・ベオグラードのホームページ
  •  クロアチア・サッカー連盟のホームページ
  •  ディナモ(クロアチア)ザグレブのホームページ(クロアチア語)
  •  ディナモ(クロアチア)ザグレブのホームページ(英語)
  •  カズのページ(クロアチア)
  •  ハイドゥック・スプリットのホームページ
  •  スロベニア・サッカー連盟
  •  がんばれ森山!(スロベニアで活躍中の森山選手のページ)

     このページは未完成(発展途上)です。またのお越しをお待ちしています。  
    お手紙(電子メール)はここをクリック  


    [メニュー]   [自己紹介]   [最近のボスニア]   [リンク]

    z-chida@pluto.dti.ne.jp