「平和問題ゼミナール」
旧ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2008/04/23

第91回配信
コソヴォにもっと光を    2008年4月中旬


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3月30日、定期演奏会を直前に控えてのリハーサル(ゲネプロ)に熱が入る柳澤寿男さんとコソヴォフィルハーモニー管弦楽団。プリシュティナ市青年会館レッドホールにて
    今回配信は、独立宣言からひと月少しが経ったコソヴォ3月末の現地報告です。

    コソヴォフィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者、柳澤寿男やなぎさわ・としお)さんのことを前々回配信で紹介しましたが、彼の指揮による定期演奏会が3月30日首都プリシュティナの青年会館レッドホールで行われました。コソヴォ独立後初の定演を日本人が指揮するという注目のコンサートですので、本番前の練習、リハーサルにもお邪魔させて頂きました。
    「ここは弦はもっとスタッカートで、フルートはリズムを気を付けてね。では練習記号Bの3小節前から」。
    優しい口調ながら的確な指示が、アルバニア語交じりの英語で柳澤さんから伝えられます。3時から休憩を挟んで約3時間、濃密な練習が続けられました。
    今回の演目は弦楽合奏でE・グリーグの組曲「ホルベルクの時代から」(通称「ホルベルク組曲」)、管・打楽器を交えたメインがA・ドヴォルジャークの交響曲第9番「新世界より」。新世界交響曲は柳澤さんの選曲だったと言います。

大塚:独立後初の定演で新世界交響曲というのは、親米感情が強く、今回独立にも米の政治的テコ入れが強くあったと言われるコソヴォに引っ掛けての選曲ですか?
柳澤:もちろんそれもなかったわけではありません。チェコ生まれのドヴォルジャークは、ドイツ中心の西欧音楽にスラヴ東欧の民俗的要素を取り入れて成功した作曲家で、その後新世界=アメリカに渡り、向こうの民謡に似た旋律を入れた新世界交響曲が代表作になったという人です。
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2000年創立と歴史は浅いコソヴォフィルだが、若い団員が多く将来性を感じさせる
そういう西欧、スラヴ東欧、アメリカという様々な要素があるこの曲は、これから世界に向かって開かれていく、開かれていかなければならないコソヴォに相応しいものだと思えたのです。でも今はそれよりも、独立して気分も改まり、みんなで新しいものを作り上げようという気持ちで一杯です。新世界交響曲はコソヴォフィル初演になるので不安もありますが、いいコンサートにしたいと思っています。

    2月の独立記念演奏会でベートーヴェンの「歓喜の歌」などを指揮したヤシャリ音楽監督は、事務の仕事もほとんど一人でこなさなければならないので多忙ですが、柳澤さんの指導を信頼をもって見つめていました。
    「プリシュティナ大学にも音楽学部はありますが、現時点では人材不足は否定できません。また給料は決して良くはありませんが、団員は概ねよくやっていると思います。コソヴォの音楽はまだこれからですが、ぜひ応援して下さい」と語る音楽監督。練習の終わった柳澤さんに声を掛けます。
    「トシオ、ゲネプロ(通し稽古)はのんびり流す方がいいぞ。本番まで数時間しかないのに熱の入り過ぎた振り方をすると、演奏者も力が入って本番で疲れてしまうからね」。
    「大丈夫ですよ監督、本番前には休憩時間も十分あります。逆にゲネプロと本番の振り方を変えると、本番でびっくりしてしまう団員もいるでしょうから」。
    和気藹々の音楽監督と指揮者、
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スコピエ、ティラナなどの管弦楽団指揮の経歴もあり、「バルカンの温かい音」をよく知る柳澤さん
とてもいいコンビに見えました。

    日が替わって、本番直前のゲネプロになりました。3日前の練習に比べ、やはり柳澤さんの指揮ぶりはとても熱気のこもったもの。演奏にもそれが伝わっているのが、聴いている筆者にもよく分かりました。
    新世界交響曲の第三楽章は、冒頭からティンパニが聴かせどころですが、いきなり出るタイミングを間違えて音楽になりません。ゲネプロとは言え、さすがに柳澤さんも止めてやり直しを命ぜざるを得ませんでした。

柳澤:有名な曲でも初演の場合は楽譜勝負になりがちで、時々あのような失敗につながってしまうのです。メロディーや聴かせどころで、こういうのがあると本番も怖いんですけどね。ちゃんと要所で合図を出すようにします(苦笑)。
大塚:しかし日本の音楽は正確さばかりを追求しがちですよね。それとは違う良さが、ここの音楽にはあるような気がします。
柳澤:日本のオーケストラは出だしの音を揃えるとか、リズムをきちんと刻むとかいう<点>の部分を合わせることに気を使う傾向があります。一方欧州は、超一流どころは別ですが、ここはドルチェ(甘美に)で行こうとか、この後はずっとコン・ブリオ(生き生きと)で通そうとか、まず<面>を揃えて情の部分で音楽を作っていこうとします。私自身もコソヴォだけでなくティラナ、スコピエ、サライェヴォで振っていますし、ベオグラード、ザグレブなどの音を聴いています。技術的に一流には及ばなくても、やはり彼らの表情の出し方はとてもヨーロッパ的で、なおかつバルカン特有の温かみをも感じさせますね。
大塚:ドヴォルジャークは貧しくて出稼ぎでアメリカに行ったわけではなくて、作曲家として成功してから、まだ未発展だったアメリカの音楽の質を向上させるために音楽学院長として招かれているそうですね。そういうドヴォルジャークの履歴と、コソヴォフィルを育てようとしている柳澤さんの今を重ねて見たくなってしまうのですが?
柳澤:コソヴォフィルは2000年に創立、実際に動き出してからまだ6、7年の若いオーケストラで、団員も若いでしょう?
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「お疲れ様、素晴らしかったよ!」。大成功のコンサートを終えてヤシャリ音楽監督が柳澤さんの成功を祝福した
実力はまだまだですが、将来のあるオーケストラだと思っています。オーケストラは一人ではどうにもならない、共同=協働作業だということを、団員が身をもって理解し始めてくれているところです。今日のゲネプロでは弦のアンサンブルもだいぶ良くなっていますよね。真の協働が進んでいることを私は嬉しく思っています。

    青年会館レッドホールは小じんまりした会場で、ステージの段差がないだけでなく、ステージと客席の境もコーンセット(道路工事やスポーツの練習に使うプラスチック円錐柱)で仕切っているだけです。開場してお客さんが入り始めてからも、仮設楽屋に入りきらない団員が空いている客席で試し弾きを続けます。その近く、柳澤さんはプリシュティナ在留邦人の方々とやはり客席で談笑する、というとてもアットホームな雰囲気です。それでも照明が整えられ、客席すぐ脇を通って柳澤さんが指揮台に立つ頃にはほぼ満員となりました。最前列にはヒセニ文化・青年・体育相(本稿執筆時に初代外相に指名、外務省が設置され次第就任予定)の姿もありました。
    グリーグで流麗な弦楽のアンサンブルが響いたあとは新世界交響曲。柳澤さんも団員も、もちろん通し稽古をさらに上回る熱気と集中で、第一楽章序奏部を盛り上げて行きます。「家路」として有名な第二楽章のイングリッシュホルンの旋律、第三楽章冒頭のティンパニも今度は無難に過ぎました。フィナーレの連打がディミニュエンドで消えると、会場は大きな拍手に包まれました。柳澤さんも最高の笑顔、コンサートは大成功でした。

    コンサートマスターのシハナ・バディヴク=ホッジャさんは興奮さめやらぬ声で、「私たちの特性であるバルカンの感情と、柳澤さんのもたらした日本の規律がとてもいいコンビになりました。コソヴォフィルにとって意義のある第一歩だったし、これからも柳澤さんと仕事を続けたいです」と言います。柳澤さんは「団員のみんなと作ってきた音楽を今晩こうした形で結実させることが出来て嬉しいですし、団員だけでなくお客さんとの充実した一体感も感じました。コソヴォ文明開化への道をこのオーケストラと一緒に歩んで行けることを、とても幸せに感じています」と満足の表情でした。
    

    2月17日の独立宣言からひと月半。直後にクチ副首相は「一ヶ月以内に100カ国からの承認が期待できる」(ネット版産経新聞2月26日付)と強気の発言をしましたが、実際に3月末までにコソヴォを承認した国は日本を含め36カ国(国連非加盟の中華民国=台湾を除く)と、意外にスローペースで物事が進んでいるようです。プリシュティナでは国際機関の現地上級職員である地元アルバニア人に、匿名を条件に国際関係の文脈で率直な話を聞くことが出来ました。

    「コソヴォ独立は、及び腰の欧州連合(EU)が米の強引な圧力に応じざるを得なかったというのが正直なところだと認めざるを得ない。むろん露中が反対する中での国連加盟は難しい。コソヴォ独立の基盤を提示したのはアハティサーリ国連事務総長特使だったのに、独立宣言後も国連諸機関は独立国、国連加盟国ではないものとして対応し続けなければならなくなっている。
    その代表格が国連コソヴォ暫定行政機構(UNMIK)だ。『将来のコソヴォ独立を想定した』国連安保理決議1244によって『暫定的に』展開していたはずなのに、現在も半端な形で残留せざるを得ない状況になっている。
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確かに旗売り(左=プリシュティナ)は新国旗を売っているが、市街で一般に見かけるのはアルバニアの赤黒鷲旗(右=プリズレン)か米星条旗の方が多かった
EU加盟国が全て独立を承認したわけではないし、たとえ承認したからといってすぐにEUミッション(ICOEULEX)がUNMIKに替わろうというのは、セルビア人住民の反対だけでなく国際法的にも無理がある。EUミッションへの権限移行には時間がかかるだろう(大塚注:4月9日コソヴォ議会は憲法草案を採択、任期満了によるUNMIKの行政が停止される6月15日の施行とした。本稿執筆時現在、この日付以降のUNMIK名称変更・規模縮小が各方面で取り沙汰されている)。
    このように国際法上、形式論上の『穴』がある中での独立強行だったのだから、セルビアとの関係を重視する近隣国や民族問題を抱える国はもちろん、ブラジル、インド、南アなど、直接国益に影響しない地域の有力国が承認を控えているのは当然だ。コソヴォにはイスラム教徒が多いので、3月13〜14日にセネガルで開かれたイスラム諸国会議機構(OIC)首脳会議での一括承認を期待する声もあったが、反応は乏しいものだった(大塚注:セルビアのイェレミッチ外相は、今秋の国連総会の場でコソヴォ独立の合法性に関し国際司法裁判所の意見を求め、さらなる国際承認にブレーキをかける外交戦術を明らかにしている=4月12日付日刊ダナス紙[セルビア])。

    今年後半以降も国際社会での地位進展に前進が見られない場合、国内世論では退潮したアルバニアとの合併論が、米大統領選の結果次第で再浮上する可能性もあるだろう。国連加盟国アルバニアに入ってしまえば国の地位で悩むことはない、これを米の青信号でやってしまおうという案だ。
    ヒラリー・クリントン候補が勝った場合は、コソヴォ独立をカゲで後押ししたビル・クリントン政権の国務長官ホルブルック氏の復活が期待されるし、マケイン候補が勝った場合も現在の共和党外交路線が継続されるので、コソヴォに有利な風が吹き続ける。まだオバマ候補だけはどのような外交政策を取るかが読みにくい。
    ちなみに新国旗があまり目立たないのに気付いたと思うが、やはりアルバニア民族の伝統的な象徴である赤黒鷲旗(現アルバニア国旗)への愛着はそんなにすぐ打ち消せるものではない。各都市で抵抗があり、サチ首相ら政府が『少なくとも市役所には新国旗を掲げるように』と内部通達を出したくらいだ」。

    ひと月半前の高揚はどこへやら、といった感じで、現在の首都プリシュティナは落ち着きを取り戻しています。確かに省庁など公的機関はともかく、民間セクターで新国旗を掲げている店舗などは皆無に等しい状態でした。もちろん、普段はバッタもののサッカーユニフォームでも売っていそうな店には、赤黒鷲旗に混じってコソヴォ国旗も売っていましたが。「新国旗は概ね抵抗なく受け入れられている」とした前々回配信は、部分訂正せざるを得ません。

マケドニアNATO加盟は先送り

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   前回配信で注目した北大西洋条約機構(NATO)のブカレストサミット(首脳会談)は4月3日に閉幕しました。 クロアチア、アルバニアの来年正式加盟が内定、マケドニアに関してはギリシアとの国名問題解決を待つとし先送りになりました。サミットで採択されたブカレスト宣言では米が支持するグルジア、ウクライナの将来加盟も初めて明言され、露プーチン政権の反対にも関わらずNATO東方拡大続行が路線として打ち出されています。懸案のミサイル防衛問題では協調の方向が見られるなど、コソヴォ独立まで冷却の一途を辿っていた米露関係の関係修復が一定程度には示されたサミットでした。その直後の4日、米ブッシュ大統領はクロアチアを訪問。新たな同盟国の誕生をサナデル首相らと祝いました(写真、画像提供:クロアチア共和国政府広報局)が、この際アルバニアのトピ大統領、ベリシャ首相らとともにツルヴェンコフスキ大統領らマケドニア首脳も出席。ブッシュ大統領からマケドニアの早期加盟を「約束」する発言があり、同国のNATO入りは時間の問題という印象を内外に強く与えました。グルエフスキ首相ら与党連合は野党の反対を押し切って4月12日議会を解散、6月1日の総選挙実施を決定しました。国名とNATO加盟を巡って揺れた中、国民の信を問い直し安定政権の下で改めて問題に取り組む構えです。

    「ウチは狭いから泊められないけど、安くていいペンションがある。それで良ければぜひプリズレンに来てくれ」と、中南部の代表的都市の旧友ジェルジ青年(仮名)が迎えに来てくれました。彼の運転で10年ぶりのプリズレンに向かうことにしました。
    ツルノリェヴァ峠を越えるとスハレーカから平地に入り、
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(左)コソヴォの喫茶店では小型自家発電機は必需品(右)需要はかつての4倍、カストリオット火発は故障がち。劣悪な電気事情に、電気公団の大型汚職を疑う市民も少なくない
そしてプリズレン。10年ぶりですがよく覚えている道です。峠では完全に暗くなっていましたが、ヘッドライトと、下の方に見えるスハレーカの街の明かり以外は真っ暗です。ボスニアの山中と同じで市外での街灯はもともと数が少ないのですが、それが一本も点いていません。自然にジェルジとは、前々回配信でも触れた劣悪な電気事情の話題にならざるを得ませんでした。
    「旧ユーゴ時代に13万人だったプリズレンの人口は25万に倍増しているが、同じことはコソヴォの都市部全体で起こっている。電気需要はかつての4倍に増加し、カストリオット(セルビア語名オビリッチ)火発はパンク状態だ。だが同火発のコソヴォCプラント建設計画は全く進んでいない」。
    「でもジェルジ、コソヴォでの戦争が終わって9年になるし、独立以前の今春までにも国際援助はあったはずだ。あのボスニアだって和平9年後の04年には、少なくとも電気・水道といったインフラでは全く心配ない国になっていたが」。
    「セルビアのコシュトゥニッツァ政権は表立って『コソヴォに電気を輸出している』とは言えないし、コソヴォも大っぴらに『セルビアから買っている』とは言いにくいわけだが、実際には独立以前から中間会社を使った取引がある。コソヴォ側はレジェピ元州首相(現ミトロヴィッツァ市長)が運営するチェコ資本のCEZという会社がそれで、コソヴォ電力公団は給電状況が危機的になると、この会社を通してセルビアから輸入している。レジェピは出来るだけ安くセルビアから電気を買って、公団に出来るだけ高く売りつけてボロ儲けをしているという噂だ。S・シュク国連事務総長特別副代表(UNMIKのナンバー2)は、電力公団の民営化やコソヴォCプラント建設に関して在任中から黒い噂がいろいろあったが、昨秋アメリカに帰国したきり契約延長打ち切りでコソヴォに戻れなくなった。国連内部の調査を受けているからだ。こんな状態だから、援助するはずの外国が発電プラント建設に二の足を踏むのは当然だろ?世界のどの国でも多かれ少なかれ汚職はあるが、ここの汚職はケタ違いなんだよ。コソヴォはこの9年、マネーロンダリングや密輸の温床、つまり欧州のブラックホールだった。独立したからってすぐに変わるわけがない」。
    3月25日にはプリシュティナ空港公団のアジリ経理部長、石油精製製品小売(ガソリンスタンド)大手コソヴァペトロール社のユサイ会長らが逮捕されたばかりでした。
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観光都市として発展が期待されるプリズレンは、現在のコソヴォの中では瀟洒な印象を受ける町だ
空港が法外な量の備蓄燃料を法外な高額でコソヴァペトロール社に発注し、密転売や不正経理で双方が私腹を肥やしていた疑いを持たれています。
    「サチ首相は、コソヴォを法治国家にするというポーズを見せるために彼らの逮捕に踏み切らざるを得なかったが、実際に汚職発覚が怖くて眠れないのは首相自身だと思う。一方で昼間のヘッドライト強制など、コソヴォにしては高額な罰金を規定した道路交通法を採択し、一般市民からは不満も出ている」と言うジェルジは、サチ政権は任期満了まで権力の座にしがみつくだろうと予想します。本稿執筆中の4月4日、オランダの旧ユーゴ国際戦犯法廷でハラディナイ元州首相の無罪が宣告されました。党首である同氏の公職凍結により昨秋の議会選で伸び悩んだコソヴォ未来連合は、今後有力野党として再伸張する可能性も出ています。

    ルリャさん一家は独シュトゥットガルトでの出稼ぎ6年の経験を活かし、プリズレン旧市街に近い場所にペンション・オルタシュ(1泊20ユーロ)を開業しました。ご主人のネヴルズさんは「プリズレンはコソヴォの代表的な観光都市です。夏には多くのお客さんが訪れるようになっています。それでインターネットもケーブルTV経由で各部屋に完備したのですが、自家発電では全部はカバー出来ません。ここまで停電続きでは外国のお客さんにも申し訳ないし、恥ずかしいですよ」と嘆きます。確かに停電時の部屋でも照明は大丈夫でしたが、インターネット用のルーターは明滅を止めていてがっかりでした。状態の良好な時でも「4(時間電気あり)・2(時間なし)」体制。「3・3」体制になる場合もあり、実際には自分のいる場所でいつ電気が切れるか、いつ戻ってくるか分からないのが現実です。4月3日コソヴォ電力公団はカストリオット火発コソヴォBプラントの不調を理由に、現行給電制限の継続を発表しています。レストランやインターネットカフェなどの店舗を中心に、プリズレンのどこかの街区では昼夜を問わず小型自家発電機の音がゴウゴウと鳴っています。ジェルジは「カストリオット火発の石炭が、風向きによってはプリシュティナに火山灰よろしく降ってくるのは周知の事実だが、この火発が十分機能しない今はコソヴォじゅうで自家発電機が空気を汚している。中南部ではジャコヴァ(セルビア語名ジャコヴィッツァ)などで白血病の増加が指摘されている。現親米政権は決して悪影響を認めようとしないが、これは99年に空爆で使用された劣化ウラン(第41回配信参照)のせいではないかという噂が出て、野菜や上水道に不安を抱く人が増えている。コソヴォは残念ながら環境に関しては欧州最悪だと思うよ」と言います。

    プリズレン市の行政は年間予算約1500万ユーロ(約24億円)で、人口20万を越える市としてはかなり小規模なものながら、公共事業に力を入れていることに気が付きます。
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民族精神の象徴プリズレン連盟博物館(左、モスク手前)展示の地図を基に大塚が作成した19世紀後半当時の統一アルバニア目標境界線(右、白い破線)。現在のアルバニア、コソヴォ全土初め6カ国にまたがる
コソヴォでは農地にビニール袋やペットボトルなどゴミが散乱しているのを見るのは珍しくありませんが、ここではむしろ稀です。 歩道も10年前に比べるときれいに整備されていました。アルバニアで建設が進む高速道路(シュコダル〜プリズレン〜プリシュティナ)は来年後半にはコソヴォ国境までの開通が予定されています。コソヴォ国内の高速建設は近くプリシュティナから着手される予定ですが、中南部までの開通が当分は望めない中、プリシュティナへ行くより短時間でアルバニア海岸やティラナへ行けるようになる、というプリズレン地元の期待があります。逆にアルバニアからの観光客も増加が見込まれ、観光都市として今後さらに発展する素地は十分あるように思えました。
    04年3月の暴動(第78回配信囲み参照)で破壊されたセルビア正教関連の施設(聖母リェヴィシュカ教会、神学校など)は、EU指令を受けたコソヴォ州(当時)予算により復建されました。前述のペンションで筆者と同じ時期に泊まっていたオーストリアのお客さんは非政府機関(NGO)の職員で、クロアチアなど中欧諸国が連合して進めている国際平和構築プロジェクトのために滞在しているとのことでした。しかしセルビア人が多く住んでいた市内の団地は放火されたまま廃墟になっていたり、アルバニア人住民が入っていたりで、99年以前少なくとも3万人を数えた非アルバニア人(うちセルビア人約1万)の帰還はあまり進んでいません。

    13世紀に建立された聖母リェヴィシュカ教会は、現存するセルビア正教の教会・修道院の中でも最古のものの一つです。セルビア人にとってプリズレンは由緒ある町ですが、同時に現在のアルバニア本国を含むアルバニア人全体にとっても民族精神の歴史的拠点と呼ぶべき町です。19世紀末のオスマントルコからの自治権強化要求であると同時に、セルビア、モンテネグロ両王国の領土進出への抵抗でもあったアルバニア民族運動(プリズレン連盟、1878〜81)の中心地だったからです。
    プリズレン連盟博物館は、99年のユーゴ空爆開始直後セルビア人警察などによって破壊されましたが、昨年修復し再開しています。展示室の入り口には、プリズレン連盟当時の指導者たちが考えていた統一アルバニアの領土が大きな地図に示されていました。これには現在のアルバニア、コソヴォ両国全土の他、モンテネグロ、セルビア、マケドニア、ギリシアの一部も含まれています。「これが大アルバニア建設の目標になるよ」と、ジェルジに冗談とも本気ともつかぬ口調で言われてみると、筆者はプリシュティナで聞いた国際機関職員のアルバニア・コソヴォ合併論を思い出さざるを得ませんでした。

    戦争が起こらない分には大アルバニアを主張するのも大いに結構。旧敵国セルビアの首都に住むとは言え日本人である筆者は、肯定もしない代わりに否定的な感慨もなく状況のウォッチを続けるだけです。ただ、まずは停電の心配のないコソヴォを作ってくれないと、次にここへ来ることに気が引けてしまいます。

(2008年4月中旬)


本稿発表時現在、日本国外務省はコソヴォ全土を対象に「渡航の延期をお勧めします」など高レベルの危険情報を発出していますのでご注意下さい。「旧ユーゴ便り」には読者の皆さんにコソヴォ渡航を推奨する意図はありません。 執筆に協力を頂いた柳澤寿男、B・ヤシャリ両氏とコソヴォフィルハーモニー管弦楽団の皆さんに謝意を表します。柳澤氏の姓の「柳」の字は、正しくは「木」偏に「夘」です。画像を提供して頂いたクロアチア共和国政府広報局に謝意を表します。また画像の一部は、2008年2月、3月に日本のテレビ取材の関係者としてコソヴォに滞在した際筆者が撮影したものです。本文内容にもこれらの取材業務上知り得た内容が含まれています。本ページへの掲載に当たっては、取材関係者から承諾を得ています。画像・本文とも無断転載はかたくお断りいたします。
Zahvaljujem na saradnji/suradnji: g. Toshio Yanagisawa, g. Baki Jashari i Kosovska Filharmonija, Ured za odnose s javnoscu Vlade RH. Zabranjena je svaka upotreba/uporaba teksta i slika bez odobrenja.


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