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Monologue

. 逆順 .

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2010/05/19
数万年の間ずっと人間は火を見つめながら暮らしてきた。ささやかな炎の踊りをこよなく愛してきた。この火の進化した形として、文明は電球を作り、湯沸かし器を作り、電子レンジを作り、ライターを作り、電気毛布を作り、そしてテレビを作った。炎を眺める代りにテレビを眺めて夜を過ごすようになった。そのテレビ放送があと一年で終わる。
このあと炎を眺める生活に戻るかどうかは不明だけれど、文明が人間に何をもたらしたのかを問い返すいい機会になるだろう。あるいは、文明とどう付き合い、どう折り合いをつけるか、少なくとも、文明に隷属しないための知恵をどう廻らしていくか、人間社会全体として、そのような機運を盛り上げていく好機でもあると思う。
地デジを買うお金がないからこんなことを言っているのではない。断じてそうではない。そうではなく、純粋なる動機で「地デジ反対」と叫びたい。


[27]
2010/05/20
心貧しき者。がらんどうの心をひっくり返して、裏返して、洗い清めて、何もないことを再確認すべきではないのか。ものに感じる力を呼び戻すために、がらんどうであることをもう一度認めなければならない。真実でないものを詰め込んではならない。誤魔化してはならない。誰かを愛することで柔らかく深まっていく心の襞があり、それは共鳴する力だと思う。

誤魔化さず、孤独で、豊かに共鳴する心を獲得する手段、方策、手順としては、樹木の世話、部屋の掃除、大いなる力と万象に跪き祈ること、美しいものを見ること、とりあえず思いつく限り並べてみたが、まずは、心の貧しさを自覚することだ。思い付きではなく、深く自覚することだ。


鶴瓶の家族に乾杯に出ていた少女、かえさん、ドラマチックな顔をしている。上蒲刈島の中学校を卒業したばかりの十五歳の少女で、まだあどけない顔をしていると言うことも出来るのだが、何かドラマを思わせる顔だ。かえさんを主人公にした小説を書いてみいと思うような顔である。映画かなあ。日常の常識人と一歩隔てた位置にいる少女の設定か。生活の臭いがしないと言うことか。マイペース少女、ふわっと生きる女、かな。


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2010/05/28
加藤登紀子の「あなたの行く朝」を繰り返し聞く。信ちゃんと繰り返し繰り返し聞いた夜を思い出す。それから、高野悦子の二十歳の原点を少し読み返す。端正な文章である。もどかしい思いだ。何かに届かない。


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2010/06/23
日本生命を解約する。保険金の支払いが困難になってしまった。損得勘定でいろいろ考えてみようとしたが、分からない。保険の損得勘定を考えようとすると、人生を損得勘定で考えることに繋がってゆく。そもそもそれが無理なのだ。保険金を払うと、銀行口座の残高が厳しいことになる、それで解約、何も考えることはない、いいタイミングだ。
解約払戻金と配当金が可也の額戻ってくる。念願の自転車を買おうか。自転車さえあればほかに何も要らないような気がしてくる。自転車があれば、自転車があれば、である。


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2010/06/30
日本代表チーム、PK戦の末パラグアイに惜敗。ワールドカップで日本チームを応援する楽しみが終わってしまった。寂しさを感じる。盛り上がっていた気持ちが萎んだということか。
最初、敗れて残念と書こうとした。書こうとて、残念に引っかかってしまった。言葉の使い方として、こういう場面で使うのはまったく正しい使い方だし、辞書的な意味としての「期待に反していて物足りない気持ち」も、その通りだと思う。それでも、引っかかってしまうのは、選手の無念さと比較してしまうからだろうか。選手の無念と比べたら、こちらの残念さなど屁みたいなものであるが、でも、そういうことではない。残念の内実が何であるのか、それが気になったのだろう。言い方を変えれば、盛り上がっていた気持ちの内実が何であるのか、と言うことである。
日本チームが敗れて、わたしに失うものがあるかというと、そんなものは何もない。勝ち続けたとしても、同じことである。自分の努力が報われるのでも、自分自身の経験としての達成感があるのでもない。と言って、この気持ちの盛り上がりを否定しようと言うのではないのだ。たとえば恋をするときの気持ちの盛り上がりや小説、映画の感動を考え合わせて見る。ある種の共感なのだろうか。共感する喜びがあるのかもしれない。


[31]
2010/08/30
緑川の堤防沿いの、用水路脇の野アザミです。
いい写真が撮れました。
子供のころは「あざみの花」を何か恐ろしいもののように思っていました。言葉の響きだろうと思います。葉っぱのとげとげしさを表しているのでしょうか。今はそのとげとげしさも含めて気に入っています。


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2010/10/19
窓を開けると金木犀の花の匂いが漂ってきます。秋だなあ。
もう朝は寒いです。自転車、頑張ってます。五十一歳の秋、関節を冷やさないようにしなきゃね。脚力こそが自身の存在の根源のような気がしています。
九月の半ばから銀行やら保険関係やらの実社会と関わりながら、生活してきました。疲れた。髪の毛も短くして社会人らしく立ち振る舞ってきたのでした。あとは郵便局の手続きだけです。全て終わったらどこか遠いところの温泉にでも行きたいなあ。


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2011/10/19
白石野峠(蕨野峠)標高310メートルの峠越えです。
峠に差し掛かる手前から、あ、あそこが峠だと分かった。うれしかったこと。
何度も挫折した峠です。峠には道祖神が祀ってありました。手を合わせました。昔の人の気持になれた気がしました。


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2011/12/20
自転車改造計画、完了しました。もうママチャリとは呼ばせない。
まず、ペダル、サドルを交換。機能上の変化はなし。シートポスト250ミリだったのを300ミリに交換。サドルが十分な高さを確保できるようになりました。次にハンドルを真っ直ぐなのに交換。例の如くエンドバーをミドルバーにしての取付。これで快適に乗れるかと思ったら、なんか窮屈なんだな。ハンドルとサドルの距離は少しだけ長くなっているはずなのに、窮屈なんですな。姿勢が変わったのかな。
で、ステムも交換することにしました。ハンドルの軸みたいなやつね。ハンドルの突き出し10センチ。メーカーが日東です。日東って紅茶屋さんかと思っていたら、自転車の部品も作ってるんだな。で、これがすんごい格好いい。ちょっとアンバランスかも知れん。

自転車が変わってしまった。サドルって、どっかり腰を下ろすものではないんですね。ペダルに力を入れると自然と腰が浮いてくる。今までにない軽快さです。いい。


[35]
2012/10/04
日奈久温泉から御立岬まで走ってきた。
地図では上田浦駅までしか海岸沿いの道はないのだけど、実際はその先もずっと伸びていて、その道が素晴らしい。自動車だったら、ミゼットがようやく通れるくらいの道幅ね。ほとんど自転車専用道路。湾じゃないから海が広い。光る海を眺めながらぼうっと走ることが出来る。もうすっかり虜にされてしもうた。やられた。いかれてしまった。

そのあとの山道はちょっと大変だった。充実感と疲労感を宥めながら、御立岬から眺めた海も良かったけれど、いま思い返して、頭の中のおおかたを占めるのは、いかれてしまったほうの海で、夢のようでごんす。
ふうううと溜息つきながら反芻してるのす。


[36]
2013/09/19
枕草子188段に出てくる「たはれ島」です。宇土半島の付け根、住吉海岸のすぐ沖にあります。たわいのない島です。
熊本弁で、「倒れる」を「たわる」と言うことがありますが、関係あるのかどうか、島の名前の由来は不明だそうです。

枕草子188段は8つの島の名前のみが列挙されており、その3番目が「たはれ島」です。父親の肥後下向に付き添って、子供の頃、清少納言自身もここを船で通ったのではないかと思っています。

島は、浮島、八十島、たはれ島、水島、松が浦島、籬の島、豊浦の島、たと島。

十五夜の月を待とうと思って、住吉海岸まで自転車でやってきたのでしたが、でも待ちきれずに、帰り道の田んぼの中で、月、見ました。


[37]
2014/04/08
少し気持ちが塞いでいる。昨日、出掛け際、車をシャッターの柱に擦ってしまった。少しバンパーに傷が付いたこと、バンパーの固定が怪しいこと、シャッターのレールが曲がってしまったこと、修理すれば済むことである。大きく気持ちが塞ぐようなことではないはずだ。とは言うものの、落ち込んだ気持ちを回復させるのは、これまた難しい。貧乏生活に修理代は痛い。修理代のことで落ち込んでいるのだろうか。そうではないようだが、とにかく修理代で済む話である。あとは、気をつければいい。それだけの話である。

兄に頼まれていたパソコンの回復作業が思いのほかうまくいって、いい気になっていたようだ。そのいい気になっていたことが、よくなかった。いい気になっていると碌なことはない。そういうものだ。

不安な気持ちは、それが薄れていくのをひたすら待つのもひとつの策である。人には不安を乗り越える力があるのだ。何もしなくとも乗り越えられるのである。とりあえずはそれでいい。だが、一通り乗り越えたら、この不安の正体を振り返らなければならない。不安に陥って身動きの取れなかった自分自身を振り返らなければならない。積極的に対応しようとしなかった時間を振り返らなければならない。


[38]
2014/04/10
何もやる気が起こらない。以前だったら、さっさと修理をしていたに違いないのだが、それも出来ないでいる。ストレスのない無重力生活がわたしの生きる力を削いでいるのかもしれない。その弱々しさが不安に繋がっているのだろう。生きる力を回復する手立てとは何であるのか。苦手な人とは会わない生活を続けていると免疫が弱くなると聞いたことがある。そう言うことなのだろう。嫌なことから逃れてばかりしていては危ういと言うことだ。そう言うことだ。


[39]
2014/04/12
車とシャッターの修理が終わった。
半開きのシャッター越しに、こんにちは、と声が掛かって、近所の生田農機具店の奥さんが区費の集金にいらしたのだった。それから、あっと言う間だった。あっという間に修理が出来た。ありがたい。修理代も最初はいらないとおっしゃった。それならば千円いただきます、と言うことで千円だけお支払いした。登明寺でパソコンの整備をしたときに私が受け取った金額も千円だった。無料では申し訳ないと相手が思っているときに頂く金額である。ありがたい。ご近所のありがたさも、心に留めておくべきである。

元気になった。すっかり元気になった。免疫の件は考えておかねばならない。気持ちをコントロールするとは言わない。気持ちの落ち込みについて、その元となったもの、解決法、対処法、あるいは飼い馴らす方法を知らなければならない。今回はしばらく何もしないで待つ方法を採った。採ったというより、ただ、何もしなかった。今回考えたことの一つが謙虚ということである。思い上がりの反対だ。謙虚であることが、大きな柱であるように思う。


[40]
2014/04/16
車のシャッター衝突事件に囚われて、自転車に乗ったことも何も書いていない。もともと自転車に乗るために出掛けようとしていたのだ。シャッターの柱を擦ったときにはもう出掛けるのも止めようかと思ったが、それから、お茶を飲みながら、衝突そのものはたいしたことではなく、気持ちの問題に過ぎないのだと理解できた。結果、出掛けて自転車に乗った。バンパーの緩みが分かっていたら、と言う問題はあるとしても、とにかく出掛けた。自転車に乗った。

菊池川沿いの道はのどかであった。初めての道なのに懐かしく思うくらいにのどかであった。平野部に入った後で、幾つもの川と合流して次第に大きな川となっていくようだ。菊池から山鹿まではまだ小川である。この小川の持つ懐かしさだったのだろう。

緑川は平地に入るともうすでに大きな川の様相を見せる。川の個性を考えるのも興味深い。地形の違いだけではなく、流域に住む人々の性格も関わっているように思う。性格と言うよりは、自然に対するときの物の見方、感じ方だろうか。


. 逆順 .

かめゐ
かめhr @ pluto.dti.ne.jp