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日本代表チーム、PK戦の末パラグアイに惜敗。ワールドカップで日本チームを応援する楽しみが終わってしまった。寂しさを感じる。盛り上がっていた気持ちが萎んだということか。
最初、敗れて残念と書こうとした。書こうとて、残念に引っかかってしまった。言葉の使い方として、こういう場面で使うのはまったく正しい使い方だし、辞書的な意味としての「期待に反していて物足りない気持ち」も、その通りだと思う。それでも、引っかかってしまうのは、選手の無念さと比較してしまうからだろうか。選手の無念と比べたら、こちらの残念さなど屁みたいなものであるが、でも、そういうことではない。残念の内実が何であるのか、それが気になったのだろう。言い方を変えれば、盛り上がっていた気持ちの内実が何であるのか、と言うことである。
日本チームが敗れて、わたしに失うものがあるかというと、そんなものは何もない。勝ち続けたとしても、同じことである。自分の努力が報われるのでも、自分自身の経験としての達成感があるのでもない。と言って、この気持ちの盛り上がりを否定しようと言うのではないのだ。たとえば恋をするときの気持ちの盛り上がりや小説、映画の感動を考え合わせて見る。ある種の共感なのだろうか。共感する喜びがあるのかもしれない。
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