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祖母の祥月命日である。いま、お経が終わった。今日でまる三十年となる。三十年前、伸ちゃんと兄と三人、プラモデルを作った。明確に供養の意図があった、と後に伸ちゃんは言っていた。私には半々であった。伸ちゃんと兄に付いて行く子供の頃のままの私であった。そのときプラモデルを作ることが供養であるというような話は、もちろん、一切しなかった。言葉に出すと何かが薄れてしまうという思いがあった。それは私にもわかった。でも、私には半々であった。半々のまま二人に付き従っていた私の行為も、そのまま供養であったのかもしれない。子供の頃のままだ。
夢を見た。母を抱きかかえながら、ごめん、ごめん、ごめん、と謝っていた。母は笑っていた。が、死にそうだったのだ。母は庭にいた。動けないでいた。何かの治療のために外にいたのだが、私は母が外に立っていることを忘れていた。体は冷え切っていた。体をさすりながら温もりの戻ってくるのが分かった。生きていてくれてよかった、と思った。ごめん、ごめん、ごめん、と繰り返しながら、体をさすった。ずっと、そうしていた。母はずっと笑っていた。年をとった母の笑い顔であった。
夜。テレビドラマ「サイレントプア」を見る。四月二十二日の日記の続きとして、ふとドロンジョ様を思い出したので、これも付け加えておきたい。深田恭子は深田恭子のままでドロンジョ様にも里見涼にもなり切ることの出来る役者さんであった。
昨夜の夢、ひょっとしたらサイレントプアと関係しているのかもしれない。そう思うと安心する。
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