母猫に置き去りにされたのか、人に捨てられたのか、倉庫の中で子猫が鳴いていました。みゃぁみゃぁと鳴いているのが、なんだかフランス語で鳴いているようにも聞こえてきます。
S'il te plait... apprivoise-moi.
ねえ、よかったら飼い猫にしてよ、と言っているような気がしました。
あたいと絆を作ることが、今のあんたにとっても、まず第一に必要なことなのよ、とでも言うように更にみゃぁみゃぁ鳴いていました。
何ふざけたことを言ってやがる、と思いながらも、倉庫で野垂れ死にされるのも嫌なので、餌だけはやることにしました。
安物のキャットフードを与えながら、
猫好きのお金持ちの家に捨てられていたら、お前も可愛がってもらえて、よかったろうにな。こんな家に捨てられたのも何かの因果なのだと思って、あきらめるんだな。
と、言ったら、またみゃぁみゃぁとフランス語のような鳴き方をします。
Ca ne fait rien. Vous n'avez rien su comprendre.
そんなの何の関係もないじゃん。あんた何にも分かってなかったのね。
と、呆れたような顔をしてみゃぁみゃぁ言っていました。
いま、Penguin Readers の Ripley's Game を読んでいる。Ripley にはこの本能が欠けているのだろうか。本能が意識の支配下に隠れてしまうことは、現代人に共通する傾向としてあるのだろうか。自律神経の失調だとか、免疫系の暴走だとかも、野生から離れていく傾向として現れているように思われる。
エアコンに依存した生活も問題だ。体温調節能力の衰えは、自律神経の衰えであり、野生の衰えである。ま、Ripley の時代にエアコンはなかっただろうけれど。
同じ作者の小説 Stranger on a Train の Bruno も変な人間だ。こちらは現代人の意識の問題ではない。生きることの、存在そのものの根源的な寂しさだろうか。普通は家族や友人との関わり合いで紛らわしている寂しさだが、それが出来ない人間なのだ。「千と千尋の神隠し」に出てくるカオナシとそっくりだ。