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Monologue

Monologue
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2022/05/26
免許証の更新に行って、更新せずに帰ってきました。

受付窓口で、「3年前に転居して更新葉書が届いていないのです」と言って、確認してもらったら、「この免許証は来年の6月1日まで有効です」とにこやかに答えてくれた。思いも掛けないことであった。今年が更新の年だと思い込んでいた。ぽかんとがらんどうになったような気持ちのまま、受付のお嬢さんと顔を見合わせて笑いあった。

そのあと、とりあえず住所変更の手続きを済ませることにして、「うっかり者でした」と言ったら、「早めに手続きができてよかったですね」とあどけなく微笑んでくれた。こちらのお嬢さんとも顔を見合わせながら笑いあった。

今日はなんとも頬笑ましい一日でした。


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2018/02/11
我が家の倉庫に棲み付いていた野良猫のノラです。
ノラが死んでから、フランスの物語「小さな王子」に出てくる狐の言葉を思い出しました。それからは物語をこしらえるようにしてノラを思い出すことがあります。

母猫に置き去りにされたのか、人に捨てられたのか、倉庫の中で子猫が鳴いていました。みゃぁみゃぁと鳴いているのが、なんだかフランス語で鳴いているようにも聞こえてきます。
S'il te plait... apprivoise-moi.
ねえ、よかったら飼い猫にしてよ、と言っているような気がしました。
あたいと絆を作ることが、今のあんたにとっても、まず第一に必要なことなのよ、とでも言うように更にみゃぁみゃぁ鳴いていました。
何ふざけたことを言ってやがる、と思いながらも、倉庫で野垂れ死にされるのも嫌なので、餌だけはやることにしました。

安物のキャットフードを与えながら、
猫好きのお金持ちの家に捨てられていたら、お前も可愛がってもらえて、よかったろうにな。こんな家に捨てられたのも何かの因果なのだと思って、あきらめるんだな。
と、言ったら、またみゃぁみゃぁとフランス語のような鳴き方をします。
Ca ne fait rien. Vous n'avez rien su comprendre.
そんなの何の関係もないじゃん。あんた何にも分かってなかったのね。
と、呆れたような顔をしてみゃぁみゃぁ言っていました。

それから二年余りが過ぎて、二月の寒い朝、ノラは死んでいました。
かわいがっていたわけでもないのに、ノラがいなくなるとやはり寂しいです。
あんた何にも分かってなかったのね、と言ったとき、ノラは自分は幸せだと言いたかったのだろうかと思い返しています。幸せかどうかを問うよりも、生き物同士として、関わり合いを持てたこと、世話をしたり、喧嘩したり、そう言った事柄の積み重ねが重要なのだと言いたかったのかもしれません。


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2017/02/05
天草上島の太郎丸嶽、次郎丸嶽に登ってきました。山頂は岩山の崖っぷちで足元ひやひやでした。でも海の眺めがすばらしかった。


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2016/12/18
五家荘の雁又山から京丈山の手前まで歩いてきました。登山道には雪が残っていて、一歩一歩ぐぐっぐぐっと雪の緊まる音がします。雪を踏みしめながら歩くのはいい気分です。雪を楽しみながら雁又山までは登ることが出来たのですが、その先、京丈山に向かう道は大変でした。一歩足を滑らせると、深い谷底まで落ちてゆきそうな狭い道です。雪の上に確実に足を乗せながら慎重に歩く、そんな道がいくつか続いて、これは恐ろしかった。でも深い自然の中は気持ちいいです。6時間ぐらい歩いて、よれよれになって帰ってきました。

写真は雁又山の山頂から見た五家荘の山々です。手ブレでピンボケみたいになっています。


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2016/11/28
念願の内大臣分校に行ってきました。
内大臣橋から歩きました。椎葉内大臣林道を往復16キロ、ただひたすら歩いてきました。鹿が頻りに鳴いていました。鹿の縄張りに入って行ったのかもしれないです。

内大臣分校は思っていたよりもずっと狭い谷間にありました。学校があるくらいだから、いくらかの畑地が広がるような場所を思い描いていたのですが、まったくそんな余地もないような谷間でした。子供たちの走り回る場所と言ったら、林道と内大臣川の渓流と山の斜面ぐらいです。そこいらを子供たちが元気に跳び回っている様子を思い浮かべてみました。風の又三郎の編入したお話の中の分校よりも、内大臣分校を、風の又三郎の深層心理は好きになるはずだと思いました。

分校の裏山を少し登ってみました。自然の気に呑みこまれていくような、もののけ姫のこぷこぷした妖怪にでも出遭いそうな、そんな厳粛な感じのする深い森でした。この裏山の奥に平重盛を祀った小松神社があるのですが、そこまでは辿り着けませんでした。

写真は内大臣分校の正門跡です。


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2016/11/14
阿蘇、湯の谷の麓から草千里あたりの杵島岳登山口まで歩いてきました。米塚まで人間の姿を目にすることがなくて、阿蘇の雄大な自然を独り占めしているのだと思ってみたりもしたんですが、やはりこれは異様なことで、なにか終末の世界にいるような気がしました。

でも、あくまで自然は雄大です。道破れて山河在りという感じです。地震の爪痕はすさまじいのですが、草原はそれをどんと受け入れて少しも動じていない、そんな草原の姿でした。


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2016/07/07
久住山に登ったですよ。
地震の影響は思っていたよりも大きくて、我が家は大規模半壊と言うことでした。この家壊れるのかな、などと心配していても始まらないので、久住山に登ってきました。登り切った。何とかなるものなのだ。


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2016/04/08
花祭りです。子供の頃、花祭りには桜が咲いていて、花祭りの花は桜かと思っていたけれど、最近はだんだん桜が早くなって、でも今年はまだ咲いているかなあ。
でも、しかるにまた、ようく考えてみると、伝統的には、花祭りは旧暦の四月八日なのでありました。最近の暦では5月の半ばあたりです。西行は、如月のその望月の頃に桜の花の下で死んでしまいたいと言っていたくらいだから、四月に桜は考えられないことなのでした。
花祭りの花は何の花なのか、空想的には、空から舞い降りる白い蓮華の花びらかなあ。


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2016/01/11
成人の日です。37年前、私は自室に一人でいました。そのときは、成人式ってなにか欺瞞のような、まやかしのようなものと思っていました。でも、姪っ子の成人式は嬉しかったし、親の側に立ってみるととても重要なことだったようです。そのあたりが理解できると言うことも含めて、責任の自覚なんですね。
「おおかみこどもの雨と雪」見ました。雨が家族のもとを離れて森で生きることを決意するとき、森の生き物に対する責任を強く自覚するんですね。雨は森の中で自分の生き方を学ぶんだけれど、もちろん、これは分別のような理性として学ぶのではなく、野性的な本能を磨く中で学び、責任を自覚する。この自覚が雨を大人にしたのですね。いい映画でした。
そうか、成人式を欠席したからぼくは大人になれないんだなと思っていたけれど、それだけじゃなかったんだ。


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2014/12/03
退屈しのぎや時間潰しと言ったものを人生から排除してみたら、どんな生き方になるだろうか。これも線引きの難しい問題である。使命を帯びて生まれてきたわけではない、などと高校生の頃に考えていた諸々を思い出す。

大人になった今、大人らしい、大人のような回答を持ち合わせてはいる。使命や目標は自分で見つけ出し、設定するものである、と言うものだ。異論を挟む余地はないが、高校生の疑問を全面解決するには至らない。高校生は物理法則のような動かしがたい真理を求めていた。物理法則としてみる場合、あるいは数学的にトポロジーで見る場合、自分で設定した使命や目標は時間潰しの範疇に含まれてしまうのだ。

柳沢桂子さんの解釈による般若心経の絶対的実存主義は重要な一つの答えだろうと思う。それから、八木重吉の「うつくしいもの」も併せて考えるべきであろう。

大人の回答もそれなりに重要な考え方ではある。意味があって生まれてきたのではないとしても、人生に意味がない訳ではない。生まれてきた人生の時間はひとつの作品を作り上げていく時間でもある。画用紙に絵を描いていくようなものだ。トポロジー的には時間潰しの画用紙、面白い表現に思えてきた。そうか、ぼくたちはいま絵を描いているのか。

ところで、それはそれとして、なのである。明確な線引きの出来る時間潰しの問題があるのです。とりあえず英語の勉強でもするか、と言って本をめくっていること。そういう生活がしばらく続いている。自転車に乗るべきだ。自転車は意味付けや解釈を必要としない、生きることそのものである、と言っておこう。


[45]
2014/10/10
涼宮ハルヒのような一方的な断定が我々にとって好ましい方法論であったのか、どうか。無矛盾な集合論はそれ自身の無矛盾性を証明できない、と長門有希は言った。限定された世界にとどまっていては、何も明らかにならないのだ。
この一週間の沈黙は何だったのだろうか。


[44]
2014/07/31
7月31日。雨であった。一日家で過ごした。晴れていたら二の丸公園へ行っただろうか。雨が降っていてほっとしたような気持ちがあったようにも思う。考えなくて済んだと言うことか。


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2014/05/06
祖母の祥月命日である。いま、お経が終わった。今日でまる三十年となる。三十年前、伸ちゃんと兄と三人、プラモデルを作った。明確に供養の意図があった、と後に伸ちゃんは言っていた。私には半々であった。伸ちゃんと兄に付いて行く子供の頃のままの私であった。そのときプラモデルを作ることが供養であるというような話は、もちろん、一切しなかった。言葉に出すと何かが薄れてしまうという思いがあった。それは私にもわかった。でも、私には半々であった。半々のまま二人に付き従っていた私の行為も、そのまま供養であったのかもしれない。子供の頃のままだ。

夢を見た。母を抱きかかえながら、ごめん、ごめん、ごめん、と謝っていた。母は笑っていた。が、死にそうだったのだ。母は庭にいた。動けないでいた。何かの治療のために外にいたのだが、私は母が外に立っていることを忘れていた。体は冷え切っていた。体をさすりながら温もりの戻ってくるのが分かった。生きていてくれてよかった、と思った。ごめん、ごめん、ごめん、と繰り返しながら、体をさすった。ずっと、そうしていた。母はずっと笑っていた。年をとった母の笑い顔であった。

夜。テレビドラマ「サイレントプア」を見る。四月二十二日の日記の続きとして、ふとドロンジョ様を思い出したので、これも付け加えておきたい。深田恭子は深田恭子のままでドロンジョ様にも里見涼にもなり切ることの出来る役者さんであった。

昨夜の夢、ひょっとしたらサイレントプアと関係しているのかもしれない。そう思うと安心する。


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2014/04/28
深田恭子のテレビドラマから手繰り寄せて、歎異抄の「善人尚もて往生をとぐいわんや悪人をや」について考えてみた。

まず、善人と悪人に分ける分別とは何なのか。もちろん、この人は善人、この人は悪人、と二つのグループに分けることは出来ない。しかし、善行を積んできた過程や悪行三昧の過程は人それぞれにあるだろう。とりあえず、その過程によって、善人であったり、悪人であったりしてもおかしくはない。

善悪の判断や罪の意識は理屈ではない。心の奥深いところにあるものだ。うまくは言えない。夢の中に現れたり、知らず知らずのうちに自身を方向付けたり、あるいは傷付けたり、そういう罪の無意識があるのだと思う。悪行の業はこのような無意識の罪の意識を伴う。

罪の無意識によって傷つくことは罪の償いになるのか。傷そのものが償いになるとは思えないが、その傷によって気付くものがあるだろう。罪の無意識は比較的容易に罪の意識へつながるのかもしれない。どこまで明確な意識かは分からないが、この意識を持つ者が悪人だとすれば、「いわんや悪人をや」もなんとか理解できる。少し強引だが、とりあえず考えたことのメモである。

罪を償うということ。

罪は償って、マイナス状態から抜け出さなければならない。地獄の業火はそのためにある。ここで焼き尽くされれば帳消しになる、なればいいと思う。地獄の業火の底で仏様が手を差し伸べていてくださる、そう信じて焼かれなければならない。

地獄で焼かれる前に、生きているうちに、焼かれることもあると思う。生前地獄などと言ってみる。焼かれて身奇麗になれると思うのは虫の良い考えだろうか。しかし、そうとでも思わなければ苦しい思いには耐えられない。身奇麗になれる、報われると思って耐えていれば、そこに祈りの気持ちが生まれる。地獄の苦しみによって人は浄化されるのだと思う。

 うつくしくなれた気がする白萩の白に呼ばれたやうな気がする

この地獄の業火に焼かれるのではなく、善行を積んで罪を埋め合わせることは可能なのだろうか、などと考えていたら、善行も苦しみを伴うような気がして来た。涼しげな顔をした、いかにも善人らしい善行とはまた別物の、切羽詰った行為としての善行があるように思う。テレビドラマ「サイレントプア」の深田恭子の生き方がまさにそうである。

善悪の判断は無意識の世界にあると先ほど書いた。本能的なものだ。本能とは野性である。善悪の判断は野性的なものと言うことが出来る。これは人間に限ったものではない。群れを作って生活する種が進化の過程で獲得した本能である。殺さないこと、弱いものをいたわること、これは食欲や性欲と同等の本能である。もちろん、後天的な、社会的なものも表面には存在する。しかしそのような大脳的なものはほんの表面に過ぎない。表面の薄皮のようなものである。基本は、先験的であり、意識されないものであり、小脳に支配される本能なのだ。

それでは残虐性や嗜虐性は何処から来るのか、これも本能かもしれない。正確なことは分からないが、何らかの防衛本能と関わるようにも思われる。だが本能の問題は主要なテーマではない。罪の意識が何処から来るのかを考えたいと思っただけである。社会的に経験的に作られたものだけではない、それが明確になれば、それでいい。


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2014/04/22
深田恭子さん主演のテレビドラマ、サイレントプアを見る。嗚咽しそうになる。深田恭子のせりふの言い回しは素人っぽいと思っていた。今回のドラマ、少し変わってきたようにも思う。どうだろう、せりふの言い回しが下手でも構わないのか。深田恭子にはそういう魅力がある。下妻物語も、平清盛の時子役も、その役になりきることがそのまま深田恭子になりきることと言えるような役作りであった。今回も、深田恭子そのもので説得力がある。そういう特異な役者さんなのだ。


かめゐ
かめhr @ pluto.dti.ne.jp