関連         トップページへ


時事問題
具体的内容
31

「わが国の電気通信産業に対する今後の規制のあり方

---特に、接続規制・ドミナント規制とNTTに対する構造規制について
30 「価格の適正化」 2006.4.26 舟田正之「消費者取引における価格の適正化」遠藤浩・林良平・水本浩監修『現代契約法大系 第4巻』(有斐閣,1985年)133頁以下

29

独占禁止法改正----審判手続を中心に

「日本エネルギー法研究所月報」174号(2005年6月)掲載の小論である。ここでは、今回の改正のうち審判手続を中心にして、その概要と、そのポイントを説明し、その背景について議論の一端を提示した。

28

判例評釈 防衛庁談合事件

2005.4.10 防衛庁石油製品談合刑事事件=東京高判平成16・3・24-----入札談合における基本合意・個別調整と「相互拘束」・「共同遂行」の関係を中心にして----

27

課徴金の強化

2004.3.17公正取引委員会に設置された独禁法研究会は十月、課徴金の水準を引き上げる一方、談合などを通報した事業者には課徴金を減免する制度を新設することを柱とする報告書をまとめた。  

26

『ローカル番組』------地方テレビ局による番組制作やローカルの情報サービスをどう維持し発展させるか

2003.3.25 放送規制の緩和が進みつつありますが、地方テレビ局による番組制作やローカルの情報サービスをどう維持し発展させるかについては、逆に新たな規制枠組みを考える必要があるとも考えられます

25

課徴金制度の強化に向けて(暫定第二版)

2003.4.5(暫定更新しました) 入札談合など、まだまだ独禁法違反が多くて、課徴金制度が違反行為への抑止力として機能していない為、強化する必要があると考えます。

24

建設現場の不当取引問題

2002.4.21  ゲストブックにいただいた書き込みから考えました。

23

「刑事罰の量刑、裁判官、陪審制度など」

2001.11.25 書評をしてみました。

22

「NHKのホームページを禁止・制限する主張に反対!」

2001.11.12 以下は、総務省「NHKの子会社の在り方等に関する論点整理についての意見募集」(平成13年10月18日 http://www.soumu.go.jp/comment/index.html)に応じて、提出した私の意見です。

21

独禁法違反行為に対する刑事罰強化の必要性

2001.11.2 先日、私のこのホームページを見た若い研究者から、ここには経済刑法、特に独禁法違反行為に対する刑事罰についての欄がありませんね、との指摘がありました。私の研究メモの一部を公開します。

20

「NTTフレッツアイサービスへの苦情について」

2000.11.24 この問題は、この1ヶ月の間、多くの紛争が生じ、多くの報道がなされています。私が関係したこの件についてのクレームの顛末をなるべく客観的に掲載します。

19

「情報公開は組織の内と外をつなぐ」

2000.11.14 本稿は、「立教経済人クラブ」の機関誌に掲載されたものです。転載を許可頂いた同紙の発行責任者である、すがた誠氏(立教大学法学部卒、練馬区議)に感謝申し上げます。

18

「通信インフラの設置・利用のあり方」

2000.11.13 本稿は、「行政&ADP」10月号掲載されたものです。 転載を許可していただいた(社)行政情報システム研究所にお礼申し上げます。

17

特殊法人等の情報公開制度の構築に向けて

2000.9.4 今年7月、政府の行政改革推進本部「特殊法人情報公開委員会」の報告書「特殊法人等の情報公開制度の整備充実に関する意見」(以下、「意見」と略記)が公表されました。

16

続・セールス電話は迷惑

2000.7.14 セールス電話は迷惑の続編としてのやりとりです。

15

「NTT再々編成の視点」

2000.7.7 日経新聞平成12年7月1日付け朝刊「NTT再々編成の視点」(藤井良広)は、明確な論旨で感心しましたし、いくつかの重要な論点も提示されているように思われます。

14

「官製談合」と独禁法

2000.6.15 「官製談合」の疑いがかけられている事件が続き、それへの法的ないし行政上の対応のあり方が問題となっている

13

セールス電話は迷惑!

2000.5.1 寄せられたご意見をちょっと掲載させたいただきました。(EMさん、よろしくお願いしますね。)

12

個人情報保護法をめぐる2つの小話

2000.3.1 特別法がなくても、「個人情報の横流し」は民法上の不法行為・あるいは刑法に触れる場合もありますよね。

11

航空業における新規参入

2000.3.1(特に、エア・ドウーについて)

10

「適正な電力取引についての指針(案)」について

1999.10.31 私の議論を整理して再論します。

9

「信書の独占」とヤマト運輸による地域振興券の輸送

1999.10.31 ある記者の取材を受け、用意したコメントです。

8

『買ってはいけない』について

1999.9.25 話題の本です。

7

「いわゆる『リストラ』と日本的経営」

1999.8頃 日本でのリストラについて考えてみました。

6

「医療サービス競争?」についての最近の動き

1999.7.7 またまた、怒ることが続いています。

5

「電気事業法改正後の『託送』と料金制度」

1999.6.7 平成11年改正された電気事業法の要点他についてのコメント

4

ケーブルテレビの「独占」?

泉水さんの


HPへの投稿へのコメントです。
3

ドコモの複合割引について

1999.2.28 郵政省から料金変更命令が発出され、ドコモ問題が当面決着しましたが、独禁法の問題・及び移動通信に関する新しい通信政策の策定はまだ未解決のままです。

2

「麻酔専門医」をめぐる制度について

米国では、病院で手術を受けるとき、麻酔専門医を選べるというシステムであり、ある病院が手術と麻酔専門医を「抱き合わせ」たことが独禁法違反になったということを読んで、ビックリしたことがあります。

1

医療サービス競争?

表記のテーマに関して、思いついたことをあるメーリングリスト、及び知人宛にEメールを出したところ、多くのコメントを頂きました。以下はそのやり取りの一部です。

 




独占禁止法改正----審判手続を中心に

 以下は,「日本エネルギー法研究所月報」174号(2005年6月)掲載の小論である。ここでは、今回の改正のうち審判手続を中心にして、その概要と、そのポイントを説明し、その背景について議論の一端を提示した。

 この小論を書くに当たっては、多くの文献、議論等を参照し、詳細なメモを作成したので、いずれ論文の形にまとめて公表することとしたい。

1.改正のポイント

独占禁止法の改正法が,平成15年10月の独占禁止法研究会報告書公表以来多くの議論を経て,平成17年4月20日に成立し,同月27日公布された。施行は,「公布の日から起算して1年を超えない範囲内で政令で定める日から」となっており,明年1月には施行される予定とのことである。

今回の改正の最大の目玉は,いうまでもなく課徴金算定率の引上げ(改正法7条の2第1項,第4項)であり,製造業等の場合,売上額の6%→10%の引き上げとなった(その他,小売業・卸売業,および中小企業の場合はそれぞれ軽減されている)。

これと同時に,課徴金対象範囲の拡大,課徴金減免制度の新設,犯則調査権限の導入なども行われたが,この小論では,審判手続等の見直しについて簡単に見てみよう。

公取委のサイトに掲げられている「独占禁止法改正法の主要なポイント」*によれば,審判手続等の見直しのポイントは,以下の3点にある。

http://www.jftc.go.jp/pressrelease/05.april/050420-2.pdf

(1)意見申述等の事前手続を設けた上で排除措置命令を行い,不服があれば審判を開始(勧告制度を廃止)

(2)審判中は課徴金を強制徴収しない(審判後,納付命令が維持された場合は,金利を付加して納付)

(3)審判官審判に関する規定の整備

 

2.審判の迅速化・効率化

 これら3点のうち,改正の真のポイントは(1)であり,従来の勧告→応諾→勧告審決,または勧告→不応諾→審判→審判審決,という流れを変えて,最初から排除措置命令を行い,不服がなければそのまま確定し,他方で審判請求をすれば審判→審決という流れになる(改正法49条,50条。なお,現行法では,審決には,勧告審決・同意審決・審判審決の3種類があったが,改正法ではすべて審判を経た審決となる。改正法66条参照)。 

この改正の第一の目的は,前記ポイントの(2)の裏返しの表現であるが,課徴金納付命令は,現行法と異なり審判になっても失効しないことにするという点にある。排除措置命令と同時に課徴金納付命令を出して(ただし,このことは規定上は明記されてない),その日から「3月を経過した日」が課徴金の納期限となる(改正法50条3項)。

前記の独占禁止法研究会で議論があったように,現行制度では,課徴金は課徴金審決が下されるまでは払わなくてよいために,いわば「ごね得」ねらいの審判の無用な増加をもたらしているのではないかという意見があった。勧告を受けた企業は,課徴金相当額の資金調達先送り等のため,あるいは経営者としての思惑ないし戦略(株主総会を乗り切る,損害賠償請求訴訟で不利にならないように,時間が経てば風化して社会の関心が薄まるなど)から,とりあえず違反事実はないとして勧告を応諾しない,または,勧告は応諾しても課徴金納付命令は争っておく,という行動様式をとるということがあるとも言われていた。そこで,直ちに課徴金納付命令を発出して,その時点で課徴金の納付義務が発生するとしたわけである。もちろん,行政処分を争うことは国民の権利であるから,そのこと自体を抑制するものではない。

第二に,「審判手続の効率化」が挙げられる。先に触れた独占禁止法研究会報告書では,以下のような記述がある(第4「審判手続等の見直し」を参照)。

すなわち,今後,「更なる審判件数の増加及び審理の長期化が予想される。----違反事実の確定後,課徴金納付命令のための調査段階で,改めて違反事実と密接に関連する加算要件事実を調査することは非効率的であるほか,課徴金納付命令に係る審判で違反事実と密接に関連する加算要件事実の有無を審理することは被審人の手続上の負担が過重なものとなりかねない。また,加算制度や措置減免制度が導入されることとなると,事業者にとって,課徴金額を早く知りたいという要請が更に強まることが予想される」。

排除措置命令と同時に課徴金納付命令を出すことで,不服のある者については審判で違反事実の有無と課徴金賦課の要件を充足しているかという点を同時に審理できることになり,両方の審判を併合することも可能である(改正法64条)。特に現行制度では,違反行為を確定してからも,課徴金をめぐる審判で再度,違反行為を審理せざるを得ないこともあり(詳細は省略),その場合,既にかなり時間が経ってしまっていることなど問題があった。

ただし,課徴金納付命令を出すためには,違反行為とそれによる売上額を全部,個別の事業者ごとに計算しなければならないから,両方の命令を出すまでの事前の作業が大変になることは否定できない。しかし,現行法の下でも課徴金納付命令を出すための調査・審理には膨大な作業を要しているはずであり,これは手続の順序がどうであろうとも同じであるから,一部の批判にあるように,本改正が審判の「長期化に拍車をかける」とはいえないであろう。

 

3.審判における適正手続

前記ポイントの(3)審判官審判に関する規定の整備とは,適正手続の要請に対応するものである。

既に,2004年4月の「『独占禁止法改正(案)の概要』に対する日本経団連意見」においても,「『制裁』として課徴金を執行するのであれば,デュー・プロセスの確保は当然の前提であり,現行の糾問主義的な審査・審判手続から対審構造的な手続へ抜本的に見直すべきである」とされていた。具体的には,「行政手続法18条で採用している処分庁側の関係資料について,審判開始決定時点において,全面的に閲覧・謄写する」,「審判官の独立性を高め,委員会がその判断を尊重する仕組みに改める」,「直接主義の要請からも,事実認定は審判官の専権事項とすべき」,「審判官に裁判官経験のある法曹資格者を登用すること,審判官への公取委員会の舞台裏での介入排除,アクセス禁止の担保,審決案への意見があった場合の公開,開示」,「公取委職員中心の審判官の体制では『独立した職権行使』が望めないため,審判官の合議体のうち,過半数は裁判官経験のある法曹資格者とすべき」,「審査・審判官のファイアー・ウォール」等が主張されていた。

これに対し,公取委の前記ポイントでは,「現行制度においても適正手続を確保」として,以下の諸点が挙げられている(括弧内は舟田)。

a. 当該事件審査に関与したことがある者は審判官として当該事件を担当できない(現行法51条の2ただし書 → 改正法56条1項)

b. 審判手続において取り調べた証拠による事実認定(現行法54条の3→ 改正法68条)

c. 審判官は独立して職務を行う(現行規則32条)

d. 審判事務については事務総長の指揮監督の対象から除外(現行法35条第3項→ 改正法の同項も同旨)

さらに,前記ポイントは,「今回の改正においても一層の適正手続の保障」として以下を挙げている。

e. 審判指揮などの審判手続に係る審判官の権限の明確化(改正法56条2項,60条など)

f. 審判における被審人に不利益となる審査官の主張変更の禁止(改正法58条2項)

g. 規則を定めるに当たっては,手続の適正の確保が図られるよう留意する旨の規定を設ける(改正法76条2項)。

h. 審判官として法曹資格者を積極的に採用,審判官2名を増設

この中で,c.の審判官の独立性については,前記規則で「審判官は,その職務を公正迅速に,かつ,独立して行わなければならない」とされているが,ここにおける「独立」は,誰からの「独立」かという疑問がある。

両当事者(被審人と審査官)からの独立性は,行政審判制度である以上,当然であり,規定で担保すべきものでもないと思われる(一種の精神規定か)。それを超えて,経団連意見にあるような,審査官・審判官のファイアー・ウォールをどう設定するかなどの問題はあり得るが,両者とも同じ行政庁の職員間の役割分担という本質は変えようがないと考えられる。

これ以外を考えてみると,公取委事務総長からの「独立」なら,法律で明記されている(前記d.参照)。また,政府ないし政治的圧力からの「独立」は,委員(法28条)で十分と思われる。審判官は裁判官(憲法76条3項)とは違い,行政庁の職員に過ぎないからである。

最後に残る問題は,審判官の,委員からの独立である。「審判官への公取委員会の舞台裏での介入排除」を主張する経団連意見のように,審判官は裁判官の独立・自由心証主義と同様に,自己の判断によって審判を行い,審決案を作成すべきであるとするか,それとも,審判官には裁判官のような身分保障もないのであるから,委員からの指揮命令があればそれに抵抗せよということは無理であり,また敢えて委員の意向に反する審決案を作成しても委員会によって覆される仕組みなのであるから,意味のない議論であると考えるかであろう。

ともあれ,解釈論としては,上記諸点にあるような改正法の仕組みは適正手続には反しないと解されるが,立法政策論として,これが最善かどうかについては議論は分かれるであろう。本改正案を国会に提出する際に出された自由民主党独禁法調査会「独占禁止法の見直しに関する取りまとめ」(平成16年10月)において,「審査・審判の在り方等」について検討を開始するとしている所以であろう。ただし,公取委はあくまでも行政庁であるから,経団連意見にある「糾問主義的な審査・審判手続」という基本的性格は依然として維持されるべきであり,これと適正な「対審構造的な手続」とをどう両立させるかという観点から検討すべきであると考えられる。

 





判例評釈 防衛庁談合事件

以下は,ジュリスト1288号(2005年4月15日号)掲載の判例評釈の元になった原稿である。1900字の長さになったので,ジュリストにはその重要部分だけを載せ,有斐閣の許諾を得て,ここに全文をアップする次第である。

防衛庁石油製品談合刑事事件=東京高判平成16・3・24-----入札談合における基本合意・個別調整と「相互拘束」・「共同遂行」の関係を中心にして----

<事実の概要>

防衛庁調達実施本部は,全国の自衛隊の基地等で消費する石油製品を一元的に調達しており,調達する石油製品は,ガソリン,灯油,軽油,A重油及び航空タービン燃料の5種類である(以下、「本件各石油製品」という)。調達実施本部は,本件当時まで,その調達する石油製のほとんどを指名競争入札の方法により発注していた。被告会社等(被告会社10社,および現在は解散している2社)は、その石油製品の納入等の事業を営んできた事業者である。本件談合行為を行ったのは、この被告会社等であり、エッソ石油はこれには関与せず、自社の実績のある物件を中心にシェアを確保すればよいとの姿勢であった。被告人9名は,上記の被告会社等に所属する従業者である。

被告人等は、平成10年4月7日ころ,「弘済企業株式会社会議室において会合を開催するなどして,調達実施本部が平成10年度第1期暫定分として指名競争入札の方法により発注する本件各石油製品につき,平成9年度における各被告会社等の油種ごとの受注実績を勘案して受注予定会社を決定するとともに,当該受注予定会社が受注できるような価格で入札を行う旨合意し、さらに,同期暫定分の防衛庁調達実施本部発注に係る本件各石油製品の納入先基地名及び発注数量等を基に上記合意に従ってそれぞれ各被告会社等に配分して受注予定会社を決定し,もって,各被告会社等が共同して,防衛庁調達実施本部が同期暫定分として指名競争入札の方位により発注する本件各石油製品の受注に関し,各被告会社等の事業活動を相互に拘束し,遂行することにより,公共の利益に反して,本件各石油製品の油種ごとの上記受注に係る取引分野における競争を実質的に制限し」た(下線は舟田が付したもの。括弧内は判決「罪となるべき事実」からの引用。以下、判決のどの部分からの引用かも示す)。

さらに、平成10年度第1期補正分、同第2期分、および同第3期分についても、同様の事実が認定され、これら4回の受注調整会議による談合が本件違反行為とされている。

その後、調達実施本部による本件各石油製品についての指名競争入札に関し、大手業者の希望に沿うように割高な価格で落札が決まる不透明な入札が繰り返されていたという報道がなされ、平成10年4期から本件受注調整は行われなくなった。

長年にわたり行われてきた本件各石油製品調達の実態の概要は以下の通り(「争点についての判断」第2から第6)。

当初入札は,その1回目では,全物件について全業者が予定価格を上回る金額で入札を行い,再度の入札として, 2回目には二,三社を残してそれ以外の業者が,3回目には1社以外すべての業者が入札を辞退し(「辞退札」),入札した1社の金額も予定価格を上回るため,全件が不調となる。続いて,契約2課担当官は,予決令99条の2に基づく各物件の随意契約締結のための交渉として,当初入札3回目に残った1社を相手に,商議を行う(「商議権者」)。この商議は,業者ごとに,個別の物件についてではなく,油種ごとの単価について行われる。しかし,業者が当初入札予定価格中の基準価格以下の価格を申し出ることはなく,予決令99条の2は予定価格を超える金額での随意契約を禁じているため,随意契約の成立に至ることはなかった。

そこで,契約2課担当官は,商議経緯を勘案し,原計2課から示されていた,5市況の平均値や平均変動額等に基づいて算出された「計算価格」(又は「上限価格」)の範囲内で,油種ごとの基準価格につき,当初入札予定価格中のそれを上回り,業者が納入に応じてくれるであろう金額を定める。この「最低商議価格(最終商議価格とも「指値」とも呼ばれる。)」に対し,各業者の提出する見積額の金額も当初入札予定価格を超えているため,商議も全件不調に終わっていた。

 次に調達実施本部は、全物件について,同じ指名業者を対象に新たに入札を実施することとし,原計2課では,基準価格を最低商議価格に引き上げ,固定経費は従前どおりとして,新たに予定価格を算定し,必要な場合には増加額の予算増加措置を受けた。その上で、この「再入札」で商議権者が予定価格と同額で入札し,それ以外の業者は予定価格を上回る金額で入札し,商議権者が落札した。

被告会社らの主張は、以下の通り。「・判示各指名競争入札において,落札価格は調達実施本部によって定められ,指名業者間の価格競争は調達実施本部によって排除されており,調達実施本部が指名競争入札の方法により発注する本件各石油製品の取引分野(以下「本件取引分野」という。)において,被告会社らが競争を実質的に制限する余地はなかった。・被告会社らは,防衛庁に対する石油製品の迅速確実な納入を図るために,受注調整会議を開いて納入責任会社を決めていたものにすぎない。」(「争点についての判断」第1)

 

<判旨>

一. 競争は排除されていたかについて。

「調達実施本部担当官は、業者に対し、予定価格の算定方法等を教示・開示していた」。「調達実施本部担当官らとしても,当初入札予定価格等が指名業者に推測されていることは認識していたものと認められる」。「このような入札が繰り返されてきたことから,少なくとも契約2課担当官の中には,指名業者間で何らかの受注調整が行われており,そのために上記のようなパターンになっていると察知している者がいたと認められる。」(「争点についての判断」第5の3)

「長年,このような事績が行われてきて・調達実施本部側にも最低商議価格を提示してこれを決着させる手続(一物一価制)によることのメリットがあり,これを当然視し,これを是認する意識まで生じていたことは否定できない。しかし,そのような調達実施本部側の主導性は,あくまでも、当初入札及び商議全件不調を受けて,最低商議価格の提示以降の段階であり,業者側の受注調整行為が先行していたことにかんがみれば,遡って,調達実施本部側の対応が,当初入札の自由競争性に影響を及ぼしていたとみることはできない」。「このような現状が長年行われてきたことにより,入札に関し、不適切ないし違法の疑いのある措置やルーズな措置が,特に,再入札で行われてきたものと理解できる」。「本件当時に行われていた指名競争入札のやり方は,業者の受注調整行為が先行しており,これに応じて,調達実施本部が最低商議価格を提示してこれで決着させるやり方は,調達実施本部側にも調達遅延をもたらさない,油種ごとの単価を統一価格とすることによる便宜,会計検査院に対する説明もしやすい,事務処理の迅速化などのメリットがあり,このような手続が続けられてきたものと解されるが,だからといって,調達実施本部により当初より自由競争が阻害されていたなどとは,受注調整行為を行っていた者がいえる筋合いではないというべきである。」(同第7)

「そこでは,業者間の競争が見られず,何らかの受注調整が行われていたことは当然疑われたところであるところが,----調達実施本部担当官らは、本件各石油製品の調達の確保や効率性を優先させた事務処理を行っており,----これらの事務処理は・発注者である調達実施本部においても,競争の確保や入札手続の公正を軽視する姿勢を示したものといわざるを得ない。もとより,被告会社等が,その利益のために本件受注調整を行い,自由競争経済秩序を損なってきたことは明らかであり,調達実施本部の上記の姿勢もこれを受けてのものであるものの,長年にわたる経緯及びその結果としての本件当時の実情を視野に入れれば、調達実施本部側の対応にも,問題があったというべきである。」(「量刑の理由」3)

「被告会社等の担当者において,本件受注調整には本件各石油製品の円滑な調達に役立らている面があると考えていたことはうかがわれるが,」(「争点についての判断」第8の3)、「被告会社等の担当者は,被告会社等が前年度実績並みの受注割合を確保し,価格競争による落札価格の下落を防止し,さらには,予定価格再算定によって受注価格を引き上げることを目的として,本件受注調整を行っていたものと認められる。」(同第8の4)

 

二.「一定の取引分野」について

「本件公訴事実における『一定の取引分野』は,防衛庁調達実施本部が発注する本件各石油製品の発注期ごと(平成10年1期については暫定分と補正分とに区別される。)に,同一油種に係る発注物件全体を対象とする取引分野であるところ,関係証拠によれば,上記取引分野は,油種ごとに指名された11ないし13の業者が,全国各地を納入先とする数百件という多数の物件を受注するというもので,各期の合計受注金額はそれぞれ約19億円から約110億円であり,各期の油種別の合計受注金額もそれぞれ約2200万円から約68億円に達するという大規模なものであったことが認められる。----本件が,その都度基本ルールを確認・合意しつつ行われてきた継続的な入札談合事案であることにもかんがみると,本件各石油製品の各発注期の油種ごとの受注に係る指名競争入札が,独占禁止法2条6項にいう『一定の取引分野』に該当することは明らかである」(同第12の1)

 

三.本件における実行行為について

「弁護人は,被告人らが上記合意(基本ルールの合意行為)をした事実は認められない,検察官が主張する合意は一般的抽象的であって,事業活動の相互拘束性に疑問がある,基本ルールの合意に基づく個別受注調整行為は,不当な取引制限罪の実行行為には当たらないなどと主張している」。

「被告会社等の担当者の間で,『前年度における油種ごとの受注実績を勘案して受注予定会社を決定するとともに当該受注予定会社が受注できるような価格で入札を行う』旨の基本ルールが合意された始まりが,相当以前に遡ることは、先に認定したとおりである(第2の2,第4)。そして,各期の発注の都度,そのときどきの被告会社等の担当者が受注調整会議に集まるなどして,まず,その基本ルールに従うことが確認・合意され,次いで,その合意に基づいて当該期の個別受注調整が決定されてきたものと認められる。----各被告会社等が共同して,調達実施本部が指名競争入札の方法により発注する本件各石油製品の受注に関し,各被告会社等の事業活動を相互に拘束し,遂行したのであって,以上はいずれも本罪の実行行為に該当するものである。」(同第12の2)

 

四.被告会社の各所為は,「いずれも包括して」,独禁法 95条1項1号,89条1項1号,3条にそれぞれ該当する。被告会社コスモ石油を罰金8000万円に,以下、各社 7000万円から300万円までに,それぞれ処する。被告人山本を懲役1年6月,他八名を懲役1年から6月とし、それぞれその刑の執行を猶予する。

 

<評釈>

一.本件事案の背景

本件は、独禁法違反事件にかかる告発・起訴事件として9件目(連合国占領下の3件を除く。詳細は根岸・舟田=独禁法概説318頁参照)であり、この後、第二次東京都水道メーター刑事事件=東京高判平成16年5月21日(有罪)が出ている。

本事案につき、公取委の勧告を応諾した出光石油ら8社に対しては、勧告審決(平成11年12月20日)、および課徴金審決平成17年2月24日)が下されており、他方で、これを争ったコスモ石油ら3社については審判中である。なお、例えば出光に対する課徴金は6億円超であるから、上記の罰金額に比べて一桁大きいといえよう。

また、本事案の対象となった平成10年は、防衛庁調達実施本部の各種の不祥事が明るみに出てきた時期である(各種新聞報道の他、例えば、防衛装備に関する事案であるが、「防衛庁調達実施本部が舞台の背任事件」ジュリスト1143号101頁参照)。その後も、公取委による同本部の談合事件が続いている(例えば、防衛庁航空機用タイヤ談合事件・車両用タイヤ・チューブ談合事件=勧告審決平成17年1月31日)。

 

二.判旨一の事業者側の競争性の有無について。

これは、本件のようないわゆる官製談合のケースにおいて、受注者側がしばしば抗弁として持ち出す議論である。そこでは、受注者側が競争を制限しているのではなく、発注者の指示に従っているだけであり、受注者側にはそもそも競争する余地がない、と主張される。

しかし、この抗弁は、これまですべて否定されてきた(下水道談合刑事事件=東京高判平成8・5・31高刑49・2・320。本件については、泉水文雄「日本下水道事業団発注電気設備工事談合事件」公正取引553号38頁以下(1996年),川島富士雄「入札談合の成立と発注側の幇助」平成8年度重判解231頁以下(1997年)等を参照。最近では、郵政区分機(東芝・日本電気)事件=審決平成15年6月27日。本件については、若林亜理砂「入札談合における「意思の連絡」の立証――東芝・日本電気に対する件――」公取委審判審決平成15・6・27ジュリスト1258号179頁以下(2003年)参照。ただし、本件は別の理由で、本審決は取り消された。屋宮憲夫「官製談合における『意思の連絡』」平成15年度重判解250頁以下(2004年),江口公典「独占禁止法上の既往の違反行為に対する排除措置命令の要件――郵便区分機類に係る不当な取引制限事件東京高裁判決――東京高判平成16・4・23」ジュリスト1279号143頁以下(2004年)等を参照)。

 本判決も、同様に受注者側に競争の余地があるということを縷々述べており、その限りでは正当である。発注者(調達実施本部)は、事業者の誰かは受注すべきことを強く要請しているが、どの事業者が受注すべきかまでは決めていず、またその価格についても、予定価格等についてかなりの程度受注者側に働きかけているが、不調等を受けて新たに予定価格を算定している過程を見ると、受注者側の積極的な行為が作用したことも事実である。

もっとも仮に、誰が受注予定者になるか、その応札価格はいくらかまで、すべて発注者が決めたとしても、それに応じるか否かは受注者側の自由な意思によることは否定できないから、受注者側に競争の余地がないという抗弁はもともと成立しないと考えられる。

なお、本判決は、被告会社等の利益状況について詳しく検討し、「概して,販売担当者として,当初入札予定価格によって売買をすることも許されると判断できるものであり,また,他の取引先と比べて遜色のない利益が生じ得るものであったといえる」と認定している。これは、受注者側は調達実施本部の意向に逆らえないという主張に答えたものであろうが、法的判断として必要だったかは疑問である(なお、同様の問題につき、正田彬「東京都発注の水道メーター談合刑事事件」ジュリスト1133号197頁(1998年)、島田聡一郎[判比]現代刑事法30号109頁(2001年)をも参照)。

本判決がこの検討の中で、「うまみのある物件だけ談合して、うまみの少ない物件を受注しないことは調達実施本部が許すわけがなく」と述べていることには、発注者側も実質的には本件談合にかなりの程度荷担していたと裁判所も認めていることが窺え、本判決には同趣旨の認識がその他の各所にも現れていると思われる。

 

三.発注者側の責任

(1)不当な取引制限の行為主体

上記の発注者側の責任という点は、判決についての批判というより、発注者側(具体的には、国と調達実施本部の職員)も起訴すべきだったのではないかという問題である。

本判決も、「調達実施本部側の主導性」、「調達実施本部側の対応にも,問題があった」等々と述べており、発注者側が本件談合を消極的にせよ容認し、あるいは荷担していたことを認める記述をしている。もちろん、具体的な立証の困難性の問題はあろうが、少なくとも理論的には調達実施本部と受注者側が共同して談合を維持・運営していたとして、ともに不当な取引制限に当たるとする可能性があると考えられる。

不当な取引制限において、取引の両当事者をともに違反行為者とすることが可能であることについては、学説において古くから説かれていることであるので、ここでは詳論は避ける(「官製談合は、----買手独占、取引の片務性という実態があるとしても、発注者の単独行為であって、受注者はその指図に従っているだけであるとまではいえないであろう。この場合は、両当事者が共同して不当な取引制限に当たる行為を行っていると見るのが妥当である」舟田・後掲57頁参照)。この場合は、刑事罰としては共同正犯として構成することもあり得ると考えられる。

もちろん、これまでこのような取扱いがされた例はない。発注者側の責任を判決が認めた事例としては、前出の下水道談合刑事事件=東京高判平成8・5・31があるが、ここでは、同事業団それ自体ではなく、その職員が幇助犯とされたに過ぎない。仮に、不当な取引制限の行為主体は競争事業者に限るという従来の多数説に従った場合でも、刑法上は身分なき共同正犯も可能かという問題もあると思われる。なお、国も、本件のような売買の当事者であれば独禁法上の「事業者」に当たるから、ここでは多数説に従って、不当な取引制限の行為者にはなり得ない発注者である国(あるいはその職員)も、刑法上は共同正犯たり得るかという問題である(以上については差し当たり、川島・前掲・平成8年度重判解233頁参照)。 

ただし、国の職員はともかく、国それ自体が刑事罰の対象となるということ、また、調達実施本部ではあまりに長年多くの職員が「実行行為」を行ってきたので、その中の誰と特定することが可能か、などを考えると、上の議論は現実性が薄いようにも思われる。ただし、前者の点は、発注者が地方自治体や特殊法人・認可法人の場合はどうかと視野を広げてみると、現実性のある検討課題であると考えられる。

(2)会計検査院

会計検査院との関係についての判示部分も興味深い。「歴代の調達実施本部担当官は,会計検査院から落札価格の価格水準が一律でないことを問題視されることをおそれていた」。「そこで、調達実施本部は、同一油種の基準価格を同一とする『一物一価』の方針をとり」(「争点についての判断」第3)。「上記平成9年度決算検査報告において市況最低値を採用した予定価格に問題があると指摘され,過去の会計検査院の指導と正反対の指摘だったので驚いた旨供述している」(同第5)。

 競争入札が機能していれば、すべての入札物件につき「一物一価」になるはずはなく、会計検査院は、落札価格だけを見ずに、競争が有効に機能しているかという点をこそ調べるべきであろう。

 

四.「一定の取引分野」

判旨二.の「一定の取引分野」について、本事案についての前記勧告審決では、「調達実施本部発注の本件石油製品の油種ごとの取引分野」としており、本判決のように発注期ごとで分けていない。判旨二はその理由として、油種別の合計受注金額が大規模なものであったこと、継続的な入札談合事案であることを挙げている。

 公取委の排除措置・審決においては、事業者(被告会社等)による市場への違法な侵害を排除して競争秩序を回復し、かつ課徴金賦課につなげれば足りるのに対し、刑事事件では自然人による具体的な実行行為をとらえ、また罪数を確定する必要がある(後述)という違いによるものと理解することもできよう。

 

五.相互拘束・共同遂行---時効、罪数等との関係

(1)最近の独禁法刑事事件判決における「遂行」

本件における実行行為についての事実認定・解釈については、判旨三末尾の「各被告会社等の事業活動を相互に拘束し,遂行したのであって、以上はいずれも本罪の実行行為に該当」する、という部分について検討しておく必要がある。

従来の刑事判決においては、「拘束し、もって競争を制限----」とし、「遂行」については触れないことが通例であった。これは相互拘束だけを不当な取引制限の行為要件と解する多数説とも合致していた。これに対し、本判決は前記引用のように、「相互に拘束し」と「遂行した」を共に挙げている(本判決の後に出た前記の第二次東京都水道メーター刑事事件=東京高判平成16・5・21も、「相互に拘束し,遂行した」という部分は同文)。

刑事判決においては、法2条6項の「不当な取引制限」の要件として、「実行行為」という用語が用いられることがあり(前掲・下水道談合刑事事件=東京高判平成8・5・31)、特に、第一次東京都水道メーター刑事事件=東京高判(平成9・12・24高刑50・3・181)は、「事業活動の相互拘束とその遂行行為を共に実行行為と定めている」と述べ、これに触発されて、基本合意が「相互拘束」であり、個別受注調整行為が「遂行行為」であるという解釈の提案がなされた(芝原邦爾「不当な取引制限罪における『遂行行為』説」ジュリスト1167号101頁以下(1999年)参照。以下、「遂行行為説」と呼ぶ)。本説は,その後,「『遂行する』(遂行行為)とは各事業者が事業者間の合意に基づいて,その合意内容を実施すること」であると変化している(同『経済刑法』(岩波新書,2000年)144頁参照)。

この遂行行為説に対しては既に的確な批判がある。すなわち、(1)「共同遂行」も独立した実行行為であり、「相互拘束」がなくとも不当な取引制限の要件を充足するという点では、遂行行為説は妥当である、(2)しかし、共同性のない「遂行行為」という概念は不当な取引制限の要件にはない、(3)基本合意と個別受注調整行為の両者が「相互拘束」に当たるし、基本合意が立証できない場合も、共同の個別受注調整行為が立証されればそれが「相互拘束」に当たるのであり、これをことさら遂行行為とする意味はない(正田彬「不当な取引制限の罪における共同遂行行為と行為者」ジュリスト1174号56頁以下(2000年)。その他の学説等については、舟田・後掲52頁、注55)。

昨年に入って、本判決や続く前記の第二次水道メーター刑事事件=東京高判が、初めて「遂行し」という文言を入れたのは、前記の遂行行為説を採用したようにも見える。

本件においても、「検察官は,本件公訴事実について,『公訴事実の対象には基本ルールの合意行為が含まれる。』と釈明したほか,前年度の油種ごとの受注実績を勘案して受注予定会社を決定するとともに同社が受注できるような価格で入札を行う旨合意することが,独占禁止法2条6項の『相互にその事業活動を拘束』する行為に当たり,上記合意に従って受注予定会社を決定することが,同条項の『遂行』する行為に当たると釈明した」(「争点についての判断」第12)。さらに,判旨の立場は明確ではないが、前記のように「遂行し」と加えていることから、この遂行行為説に拠ったようにも見える。

 

(2)遂行行為説

合意が法2条6項の「相互拘束」に当たるならば、その時点で市場支配力は形成された(既遂となる)と解することについて、今日ほとんど異論はない(合意時説。参照、石油価格カルテル刑事事件=東京高判昭和55・9・26高刑集33・511)。基本合意が認定されれば、不当な取引制限の要件は既に充足されたのであり、それに加えて「遂行行為」を認定することは不要である。

この点までは異論がないところであるが、前述の遂行行為説をめぐる議論、および本判決が「遂行し」と述べた背景には、以下の事情がある。

第一に、刑事罰については、基本合意が3年以上前に行われたのであれば、状態犯説によると、それ以降、個別受注調整によって談合が続いても時効にかかってしまうのかが論じられてきた。その他、排除措置の期限経過(1年、法7条2項但し書き)、罪数、共犯の成立等も問題にされてきた(金井貴嗣ほか編『独占禁止法』(弘文堂,2004年)51頁以下、69頁以下,金井貴嗣「不当な取引制限罪の構造と課題」法学新報106巻7・8号128頁(2000年))等を参照)。

前記の第一次東京都水道メーター刑事事件=東京高判は,継続犯説を採用したと一般には解されている。しかし、これは傍論に過ぎないと解する意見もある。本事案では、次に述べるように、毎年の会合における談合を確認しているから、継続犯とする必要がなかったというのがその理由である。

そのような事案と事実認定であるにもかかわらず、東京高裁が、不当な取引制限の罪は「競争が実質的に制限されているという行為の結果が消滅するまでは継続して成立し」と明確に判示したことは重視すべきであるとも思われるが、そもそも継続犯と状態犯については、刑法上、多様な議論があるようであり、ここでそれに立ち入ることは差し控える(子木曽国隆『私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律 注解特別刑法 補巻3』(青林書院、1996年)59頁以下,田中利幸「不当な取引制限の罪の性質---継続犯か状態犯か」独禁法審決判例百選(第6版)262頁以下(2002年)、大山徹「継続犯としての不当な取引制限(1)」杏林社会科学研究19巻3号49頁以(2003年)、およびそれらに所掲の諸文献を参照。なお、林美月子「状態犯と継続犯」神奈川法学24巻2・3号1頁以下(1989年)や田中・前掲・独禁法審決判例百選(第6版)263頁などをふまえると,こうした継続犯・状態犯という区別自体が問題のようにも思われるが、この点は刑法学固有の領域の問題であり、ここでは措くこととする)。

継続犯説によれば、相互拘束は基本合意形成後も継続して実行されていることになるから、時効等の問題はなくなる。しかし、これには前記のように異論もあるようであり、遂行行為説は状態犯説の可能性も残すことを考えて提唱されたと理解される。

第二に、本件や最近の事例で多く見られるように、基本合意がいつ誰によって形成され、どのような内容かが不明確であるが、個別の調整行為は明確に立証される場合に、前記遂行行為説が意味を持つと主張されている(芝原・前掲ジュリスト1143号100頁)。

 

(3)入札談合の具体的要素への分解

上記の点を検討する前に、入札談合における基本合意と個別調整、さらにそれ以降の過程を以下のように整理しておく。

a 基本ルールを形成する合意(=基本合意の形成),

b その後(よくある事例としては毎年)参加者が集まって従前の基本ルールに従うこと,あるいはそれを一部変更して適用することを確認する合意(=基本合意の確認・修正),

c この確認を受けて,基本ルールに従って個別の物件の受注予定者を決定する行為(=個別調整),

d これを承けて,当該調整を実現するための各種の実施行為、例えば、見積書の提出等の事前の各種手続きを行うこと,応札,落札者による契約の締結行為等。

このうち、b の基本合意の確認または変更は、近年の事例でクローズアップされた点であり、従来は、a の基本合意を前提にすぐc の個別調整に移るという事例が多かった。入札談合では、a 基本合意、c 個別調整、そしてd 実際の応札を経て契約までの実施行為という3段階が通例であり、これに対し、通常のカルテルでは、カルテル協定と個別の取引におけるその実施という2段階しかない、という説明もなされたところである(舟田・後掲28頁、およびそこに所掲の文献を参照)。

ここで前もって,本稿の立場を示せば,「基本合意、および個別調整の際の合意は『相互拘束』」に当たり、それに基づいて入札参加者等が入札する等の行為が『共同遂行』」に当たる」(舟田・後掲52頁)。ここで,前者(基本合意、および個別調整)は,前掲のa からc に当たり,後者(契約までの実施行為)は,前掲のd に当たる。なお、後者は、従来のカルテルに関する議論(前記の合意時説、実施時説など)において「実施」行為とされた部分であることも、以下の議論にとって示唆的であると思われる。

後者の諸行為は、前者(「相互拘束」)が立証された場合には、とりたてて違法行為とする必要はないものであるが、意思の合致、合意の成立についての立証が困難である場合でも、入札参加者等がそれぞれ独立に行ったものではなく、主観的にも客観的にも共同して行われたことが合理的に推認できると認定できることをもって、「共同遂行」がなされたと解することができる。この共同遂行の解釈は、これまで判決・審決では採用されていず、学説の中でも少数説である。

以下、本判決や他の学説を見つつ検討していこう。

 

(4)基本合意と個別調整とも明確に立証された場合

以下、2つの場合に分けて検討する。

A. 第一次水道メーター刑事事件などこれまでの多くの刑事事件のように、基本合意の下で毎年または個々の入札ごとなどに個別調整が行われ、基本合意と個別調整の両者とも明確に立証できる場合は、何をもって相互拘束・共同遂行とすべきか。

独禁法上の解釈としては、基本合意の下で毎年または個々の入札ごとに個別調整が行われるのであるから、基本合意の形成も、また個別調整も、ともに「相互拘束」に当たると解されてきたことは前述の通りである。

仮に状態犯説によって基本合意の形成(前掲のa )が時効にかかるとしても、新たな相互拘束である個別調整(前掲のb )を不当な取引制限の罪に問うことには何の障害もないと考えられる。状態犯の例として挙げられる窃盗罪のような行為の場合は、その後で盗んだ財物を毀棄しても、財物窃取後の違法状態は窃盗罪の処罰により評価され尽くしていると考えられているが、入札談合の場合は、基本合意を形成しても、そのルールが適用される個別の入札物件についての調整(前掲のc )は、それ自体、「相互拘束」=実行行為として評価すべき実質を持っていると見るべきである(「不可罰的事後行為」の否定)。

特に、第一次水道メーター刑事事件の事案のように、毎年基本ルールの改定が明確に行われ、それが立証される場合は、改定の度ごとに新たな法益侵害が生じたとして、それぞれが「相互拘束」に当たるとし、独禁法上は、基本合意(改定)と個別調整の2段階で「相互拘束」が行われ、不当な取引制限の要件が充たされると解される。

これを前提に、刑事罰の対象となる行為を考えれば、前掲のb 「基本ルールを確認・合意」した行為と前掲のc 個別調整がともに「相互拘束」に当たるのであるから、仮に状態犯説によっても時効が問題となる余地はない。ただし、この場合、前掲のa 基本合意の形成行為は、状態犯説によれば時効にかかることになる。

これは、下水道談合刑事事件=東京高判および第一次水道メーター刑事事件=東京高判の立場であって、前記(五(3))の各要素のうち、b の基本合意の確認・修正と、c の個別調整を違反行為ととらえているわけである。その前提として、a の基本合意が形成された後の個別物件に関する受注調整は、単に基本合意をいわば単純に当てはめ適用する行為ではなく、b の基本合意の確認・修正によって、新たな合意が形成されたという事実認識がある。

 

(5)基本合意の立証ができない場合(本件事案)

B. 以上のAの場合と異なり、本件などのように、基本合意がいつ誰によって形成され、しかも、どのような内容かも不明確であるが、基本合意がなされたこと自体は疑いなく肯定され、しかも、個別の調整行為は明確に立証される場合はどうか。

上記の遂行行為説は、このような場合に、「実務上意味を持ってくる」と説く(芝原・前掲ジュリスト1143号100頁)。これによれば、(甲)基本合意の「形成行為自体を証明することができない場合も、その基本ルールに基づいて個別調整行為が行われたことを証明できれば」、これを「遂行行為」とすることができる。(乙)基本ルールの「内容がごく一般的・抽象的なものであるために、その合意によって一定の取引分野における競争の実質的制限の効果を生じさせる程度には至らない」場合も、「遂行行為」とすることができる。

前提として、これは刑事裁判における解釈・立証の問題であって、その特質から、公取委の審決あるいはその取消訴訟における解釈・立証とは異なることもあり得る、としよう。後者の手続において独禁法違反を法的に確定する場合、違反行為者は「事業者」であるが、前者の刑事裁判においては、基本合意の形成行為がいつ誰(自然人)によって形成されたかを特定しないと、それを実行行為(相互拘束または共同遂行)と認定できない、と考えられているのであろう(芝原・前掲『経済刑法』148頁参照)。

本判決は、談合に従って入札しようという「旨の基本ルールが合意された始まりが,相当以前に遡る」(判旨三)ことを認定し、「本件が、その都度基本ルールを確認・合意しつつ行われてきた継続的な入札談合事案である」(判旨二)としたが,その基本ルールの形成が,具体的にいつどこで誰によってどのような内容の行為か,という刑法上の実行行為としては立証されていないと考えられているのであろう(前掲引用の(a)の場合)。

しかし他方で、「受注調整会議に集まるなどして,まず,その基本ルールに従うことが確認・合意され,次いで,その合意に基づいて当該期の個別受注調整が決定されてきた」(判旨三)としている。

前掲の談合の過程で示せば、本判決では、a の基本合意があること自体は認定し、しかしその具体的な形成の事情は分からないとし、b 基本合意の確認とc この確認を承けて行われた個別調整は具体的に立証されたとしているのである。なお、本件事案では、毎年の1期ごとに調整会議が行われ、そこで・基本合意の確認だけでなく、「油種ごと」、「納入先基地名及び発注数量等」とあるので、cの個別調整まで、すべて決めていたようである。

そうだとすれば、この意味で立証不充分な、曖昧な基本合意と明確に立証できる個別調整行為とのいわば「合わせ技」で、基本ルールに基づいて個別調整行為がなされた、という解釈も妥当なものといえよう。具体的な形成行為の事情は不明で、内容も曖昧であれ、少なくとも「談合でやろう」という基本合意があること、および、それに基づいて個別調整行為がなされたことは立証できたからである(金井貴嗣『独占禁止法』(青林書院、2002年)46頁以下に示されている「相互拘束行為」+「共同遂行行為」は、この趣旨のようである)。

 

(6)「相互拘束」と「遂行」

ただし、本判決が、個別調整を上記のように「相互拘束」ではなく、「遂行」としたとすれば疑問である(前掲の金井『独占禁止法』も「共同遂行行為」としている点は疑問)。

本判決は、基本ルールがあることを前提に(ただし、前述のようにそれは具体的事実としては立証できない)、その「基本ルールを確認・合意」した行為(前掲のb)および個別調整(前掲のc)は立証されたとしたのであるから、それぞれ、b「相互拘束」の再確認およびc 新たな「相互拘束」が行われた、とすべきであったと考えられる。

本件事案では、前記のように、平成10年4月7日ころ,弘済企業株式会社会議室において、被告人らが会合を持ち、しかも、その内容も証言等によって明確に明らかにされている。個別調整がこうして行われたこと自体は、被告会社等も否定していないのであり、まさに「相互拘束」(前掲のb )の実態を持ったものであった。

これは事実認定を解釈に結びつけるレベルの議論であるが、理論的に本件において個別調整を「遂行」とすることが疑問である理由は以下の通り。

(ア)遂行行為説において、「相互拘束」と「遂行」の違いはどこにあるのか、明確な説明はない。特に、法文中の「事業活動の---遂行」という文章の中で「遂行」をどう概念構成するのか不明である。

刑法上、立証が強く要請される具体的な実行行為というイメージに合うのが「遂行」という文言なのかもしれないが、基本合意の「相互拘束」も実行行為であることは本判決も認めているところである。なお、前述のように、この説においては、「遂行」がc の個別調整か(ジュリスト論文の立場)、またはd の各種実施行為(『経済刑法』の立場)のいずれに当たるとするかがやや曖昧であるが、これも上の具体的な実行行為というイメージと関係があるのかもしれない。

個別調整とは、基本ルールの下で、特定の入札物件につき、誰が受注予定者になるかを決定することであるが、基本ルールから受注予定者を自動的に決めることができないことも多く、そこで改めて話し合い、調整が必要になり、さらに、受注予定者以外の入札事業者は幾らで応札するか、など決めるべきことがある。本件のような、当初入札、辞退札、商議、再入札という複雑な過程を経る場合はなおさらである。前述のように、個別調整も、違反行為(実行行為)としての重みを持っていると評価すべきだというのは、この事実を指している。したがって、特定の入札物件についての個別調整も「相互拘束」に当たり、これだけを遂行ないし遂行行為とする理由はないと考えられる。

(イ)遂行行為説は基本合意と個別調整という2段階の談合刑事事件について提唱されたのであるが、不当な取引制限にはこれ以外に多様な類型があるにもかかわらず、この談合の場面だけに通用する解釈論を提示したに過ぎない。

また、それら多様な類型をふまえて構成された、「相互拘束」と「共同遂行」についての従来の一般的な解釈(例えば、多数説は、前者が行為者内部の関係で、後者はそれが外部化された形態と整理し、少数説は「共同の認識」をもって事業活動を行うことであると解する)との関係も不明である。

遂行行為説において、唯一、価格カルテルについて、「協定をする行為が『相互拘束行為』であり、それに基づいて各事業者が値上げを実施に移す行為が『遂行行為』となります」という記述がある(芝原・前掲『経済刑法』151頁以下)。ここで、「値上げを実施に移す行為」が具体的に何を意味するか不明のところもあるが、カルテル価格で販売する行為であるとすると、カルテル協定が立証できない場合に、この販売行為だけで「遂行行為」があったとするのは疑問であり、共同性を何らかの形で立証しなければならないと思われる。そして共同性が立証されれば、それは多数説における「相互拘束」、または少数説における「共同遂行」に当たるのである。

(ウ)基本合意についての立証が困難であれば、個別調整だけを取り上げて相互拘束による競争の実質的制限に当たるとすれば足りるのであって(なお、1回限りの入札談合も不当な取引制限に当たることについては、舟田・後掲47頁以下参照)、この点でも相互拘束と「遂行行為」という一般論の形をとった新しい解釈論を提示する必要もない。

 もちろん、基本合意の下での個別調整という実態に合った解釈をするのが最も望ましいことは言うまでもないが、刑事裁判において基本合意の立証が困難であれば、立証の容易な個別調整だけを不当な取引制限の罪に問うことは当然許されると解される。

 

(7)罪数

基本合意と数次の個別調整の2段階で談合が行われる場合の罪数をどう解するかは、まさに刑法学の領域の問題であり、筆者には専門外のことであるが、以下簡単に述べてみる。

この場合の罪数については、論理的には、基本合意だけに着目すれば単純一罪、逆に個別調整だけを見れば併合罪になろう。しかし、前者(単純一罪)は、前述のような個別調整が違反行為に当たることの重みを軽視しているし、後者(併合罪)は基本合意の下で行われた一連の違反行為という実態が明確な事案については問題があるようにも思われる。

状態犯説によれば、基本合意の形成で既遂に達し,犯罪は終了したことになるのであるから、このように基本合意だけを見るとすれば単純一罪という扱いになり、前出の石油価格カルテル刑事事件=東京高判はこれに拠っているとも見られる(金井・前掲・法学新報106巻7・8号116頁以下参照)。

これに対し、継続犯説によれば、a の基本合意形成による法益侵害と犯罪行為が継続すると捉えるので、これだけに着目すれば単純一罪とすべきとも考えられる。しかし、継続犯説でも、a の基本合意形成と、b の基本合意の確認・修正、ないしc の個別調整を同性質の別の犯罪行為と考えれば,包括的一罪としても矛盾しない、という考え方もあるようである。

前記の第一次水道メーター刑事事件=東京高判は、b の基本合意の毎回の修正が数次にわたって行われたことを違反行為とし、これら複数の実行行為をとらえて併合罪としたが、同判決がとった継続犯の考え方によっても包括的一罪とする可能性もあったとも思われる。

a の基本合意を違反行為とする場合は、状態犯・継続犯の問題と切り離せないとも思われるが、bの基本合意の確認・修正ないしc の個別調整を違反行為とする場合には、状態犯・継続犯の問題を別としても、併合罪または包括一罪とすることになると考えられる。

なお、本件事案は、b とc が同時に行われているが、例えば土木工事などでよく見られるように、b の基本合意の確認・修正を毎年1回行い、それを基に、個別の入札物件ごとにc の個別調整を行う場合には、b とcのどちらを「相互拘束」行為=実行行為とするかに拠って、罪数が変わってくる。一般にはb の基本合意の確認・修正がなされれば、c の個別調整はそれに従ってなされるにとどまるから(ただし、この段階で揉めることも多く、談合からの「離脱」問題が実際上大きな論点となっている)、bの行為が実行行為とすべきであり、その個数だけの併合罪または包括一罪とするべきであろう。

併合罪または包括一罪の違いは、単純に加算するか否かであり、後者は数個の行為がそれぞれ独立して構成要件を充足しながら,全体的観察により結局1個の構成要件によって包括的に評価される場合であるとすると、基本合意の下で数次の個別調整が行われるという2段階で「相互拘束」が行われたという構成にもっとも調和するのは包括一罪(本判決の立場)であると考えられる。(岡田外司博[判批]ジュリスト1111号232頁以下も参照)。

 なお、上のことは、前述のA.B.の2つの場合で異なることはないと考えられる。いずれの場合でも、基本合意が形成され、その下でb 基本合意の確認・修正とc 個別調整が行われたことには変わりがないからである。

 

(8)まとめ

以上検討してきたように、本件では、b の基本合意の確認およびc の個別調整における意思の合致は明確に立証されているのであるから、ここでことさら「遂行」と呼ぶ意味はなく、「相互拘束」とすべきであったと考えられる。

なお、本件判決が刑事事件についてのものであり、具体的な実行行為を立証されることが要求されることを考慮しても、「相互拘束」と「共同遂行」の行為主体は、あくまでも「事業者」であるから、事業者の行為としての「相互拘束」と「共同遂行」の解釈は、刑事事件でも変わるはずはない。刑事事件特有の問題は、事業者の行為としての「相互拘束」または「共同遂行」が立証されたとして、次に、それが自然人の具体的な実行行為によってなされたことと結びつけられるかという点をクリアーしなければならない、ということにあると考えられる。逆に、後者の自然人の具体的な実行行為から、「相互拘束」と「共同遂行」の解釈を独自に行おうとするのは論理的に妥当ではないように思われる。

本件では「相互拘束」とすべきであったとする前提として、前述のように(五(3)末尾)、前述の遂行行為説に対する批判に従って、「相互拘束」があったとまでは立証できないが、主観的にも客観的にも共同して行うことを「共同遂行」と捉えるのが妥当である。

本判決が採った、基本ルールに基づいて個別調整がなされたという解釈・構成は妥当と思われるので、罪数については、本件事案についても(B. の場合)、前述(A.の場合)と同じく包括一罪とした本判決に賛成する。

最後に、本稿では、前記A.B.2つの場合について、遂行行為説を検討したが、これ以外に、様々な場合があるであろう。

例えば、本件事案とは異なるが、「前任者から業務を引き継いで、合意の内容を認識して、合意の内容を実施する行為を行っている」だけであれば、基本ルールに基づく個別調整行為とは認定できないこともあり、この場合は共同遂行とすべきである、という意見がある(金井・前掲・法学新報106巻7・8号128頁)。これらについて検討することは、他日を期したい。

<参考文献> 本文中に挙げたもの以外。

舟田「談合と独占禁止法」日本経済法学会年報25号24頁以下(2004年)

藤田稔「平成15年度独禁法審決・判例研究(上)」NBL790号94頁以下(2004年)




「課徴金の強化----独禁法改正の提案」

<A>

読売新聞12月29日付朝刊 けいざい講座「課徴金の強化」

 価格カルテルや入札談合など、価格に影響を与えるカルテルを行った事業者には、独占禁止法に基づき、課徴金が課される。課徴金制度は、事業者からカルテルによって得た不当な利得をはく奪する趣旨で設けられたものだ。個々の不当利得を算定することは不可能なので、売上高経常利益率の平均値を参考にし、課徴金の額は、カルテルの実行期間における事業者の売上高の原則6%(小売業は2%、卸売業は1%)とされている。

 公正取引委員会に設置された独禁法研究会は十月、課徴金の水準を引き上げる一方、談合などを通報した事業者には課徴金を減免する制度を新設することを柱とする報告書をまとめた。      

 引き上げ案は、カルテルが「不当利得」だけでなく、「社会的損失」ももたらしていることから、この損失分も徴収すべきだという考え方に立つ。

 不当利得は、その商品や役務を不当に高く購入させられた需要者の損失に等しい。これに対して社会的損失とは、違反行為による価格引き上げの結果、商品・役務を購入できない需要者が出ることによる損失や、関連する商品・役務の価格も上昇することでその需要者が受ける損失などの波及的な損失を指す。

 課徴金引き上げが提案された背景としては、第一に、国際的な競争の影響を受けにくい公共工事等の分野において、カルテル・談合体質が繰り返されているという事情がある。カルテルなどの競争制限行為は、当該産業の効率化への努力をつぶす弊害をもたらす。第二に、わが国の独禁法における排除措置、課徴金、刑事罰などの抑止力が、国際的にみて低いことも挙げられる。

 消費者の利益を確保し、経済再生を図っていく上で、独占禁止法違反行為に対する執行力・抑止力を強化する必要があると判断されたわけである。

一方、違反事実についての情報を提供したカルテル参加者に課徴金を減免する制度は、「リーニエンシー」(leniency=制裁減免)と呼ばれる米国の制度を手本としている。逆に、繰り返し違反行為を行うなど悪質な事業者には課徴金を加算する制度も提案されている。

 価格カルテルなどの独禁法違反行為は近年ますます複雑・巧妙化しつつあり、カルテルの存在を立証することが困難になっている。その中で米国や欧州連合(EU)では、当局によるカルテル事件の摘発が最近増加している。その要因は減免制度の導入である。また、減免制度には、カルテルから自発的に離脱するきっかけを企業に与えると同時に、役職員などの法令遵守意欲を高める効果も期待される。

 ほかに報告書は、課徴金の対象となる違反行為を、現行の価格カルテルに限らず、非価格カルテルや私的独占などへ広げることも提案している。

(この赤字の部分はスペースの関係から、大幅に縮小した)

  課徴金の引き上げに対して、日本経団連は、不当利得を超す分は制裁、処罰にあたり、憲法が要請する「二重処罰の禁止」に抵触する恐れがあると反対している。カルテルに対しては刑事罰や排除措置や発注官庁による指名停止措置・違約金条項などが制裁として機能しており、とりわけ刑事罰との関係では「制裁としての課徴金を課すなら法人に刑事罰を科さないか、逆に刑事罰に一本化すべきだ」というのがその主張である。

 しかし、学説や最高裁では、1つの違反行為に対し課徴金と刑事罰を重ねて課しても、そのことでただちに憲法で禁止する二重処罰に当たるわけではないと解釈している。

実態面でも、排除措置はカルテルをやめさせるだけで、制裁・抑止効果を持たない。指名停止も実効性に乏しいと指摘される。刑事罰は、公取委が告発するのは悪質かつ重大な事案だけで、過去の告発は一〇件に過ぎない(有罪七件、無罪一件、係属中二件)。

 刑事立証には膨大な費用と時間を要する。刑事罰に一本化した場合は、多くの事案が排除措置だけで済まされてしまうであろう。争うとしない違反行為者に行政命令だけで賦課できる課徴金は事案の迅速処理という点で有効性が大きい。

刑事罰と課徴金の選択という提案は考慮に値するが、仮に悪質重大な違反行為には刑事罰だけを科すという振り分けをするなら、刑事罰は最高五億円で、課徴金は現状でも百億円規模の金額になることもありうるという現状を変えなければならず、新たに多くの難問が出てくるだろう。

 本来は、被害者(特に消費者)が民事訴訟によって自らの損害の賠償を求めるのが筋だが、損害賠償請求は近年になって数件の提訴があっただけで、ほとんど機能してこなかった。多くの障害を克服するために、立証責任の見直し、団体訴訟制度の創設などの検討が望まれる。独禁法の実効性を確保するためには、課徴金や刑事罰、排除措置、損害賠償、指名停止などの手段をバランス良く機能させることが求められるのである。

 

<B>

昨年から今年にかけて、課徴金問題について数編を公表しました。

1. http://www.pluto.dti.ne.jp/~funada/Jijimonndai.html#課徴金制度の強化に向けて

2003年4月、このホームページに掲載したもの。

2. 「課徴金制度の強化にむけて」NBL774号8頁以下(2003年12月)

3.  上記の読売新聞に掲載した記事

4. 「課徴金制度の強化----補足的メモ」立教法学掲載予定(この3月25日の卒業式の頃発刊予定)。

 

独禁法の改正が産業界・自民党の抵抗で暗礁に乗り上げているという報道が出ていますね。

私の目には、これも当然のように思われます。1つは、今の小泉政権には、独禁法強化を進める強い動機も力もないだろうということ、もう1つは、課徴金強化の提案と同時に出された、「独占・寡占の見直し」は、あまりに早急であり、十分詰めた議論がなされていないし、内容的に現行独禁法とどこが違ってくるかなど、明確ではないからです。

 

<c> 本小論についての補足

上記の読売新聞掲載記事「課徴金の強化」について、紙幅の制約から誤解を招く点もあるので、若干の弁解を。

 

1.「指名停止も実効性に乏しいと指摘される。」

これは、原案は、「乏しい場合もある」。技研システム国家賠償請求事件=東京高判平成15・4・24は、誤った勧告で指名停止などの損害を受けたことを理由にしていますし、指名停止に実効性がある場合もないとはいえないでしょう。しかし、痛みがないように停止の時期や期間を考慮したとの指摘も多い。この実態もさらに調査検討すべきでしょう。

また、「指名停止」は、指名制度それ自体を廃止する方向にある中で、正確には、入札参加排除(指名停止,および一般競争入札の場合における参加資格の否認)と書くべきでしょう。

ただし、国交省関係では、従来通り指名停止と呼んでいる。

「指名停止、指名回避、指名留保、不選定等の名称のいかんを問わず、一定の要件に該当するため、工事を受注させるのにふさわしくない有資格業者について、部局長がその所属担当者に対し、一定の期間、指名の対象外とすることを定める措置をいう。」「工事請負契約に係る指名停止等の措置要領中央公共工事契約制度運用連絡協議会モデル」の注3(平成15年5月29日 最終改正)

http://www.mlit.go.jp/chotatsu/contractsystem/dangou04.html

 

2.「刑事罰と課徴金の選択という提案は考慮に値する」

 これは事案ごとに、どちらにするかを公取委が振り分けるというアイデア。これについては、すでに、阿部泰隆「課徴金制度の法的設計」松田保彦ほか編・『国際化時代の行政と法』(成田頼明先生横浜国大退官記念)(1993年、『政策法学の基本方針』(弘文堂、1996年)229頁以下に所収)が、来生氏の振り分け案を批判し、独自の振り分けを提案をしていますが、結論的には私はどちらもまずいアイデアではないかと考えています。これについては近く公刊の論文(前記<B>の4)で敷衍して述べます。

なお、これまでの課徴金の最高額は,日本セメントに対する15億9千万円余。さらに審判中の事件では,ダクタイル鋳鉄管事件の被審人クボタには,707,208万円の納付が命じられています。

もっとも、和解では、協和エクシオ事件(審判審決平成6・3・30審決集40・49。3社合計で2億4千万円の課徴金)では、日本電気の子会社は米軍側からの損害賠償請求を受け、約47億円を支払ったという(阿部前掲266頁の引用する読売新聞1991年5月17日付け朝刊)。この種の巨額の和解金は、国際カルテル事件などで、最近も記事になったような記憶があります。

この刑事罰と課徴金の選択(振り分け)制については、反論もあり得るでしょう。現行の併科制のままでも、刑事罰にはそれ特有の痛みがあるのであって(烙印付け機能=「感銘力」、倫理的非難という本質や世間の評価)、金額だけではない、という伝統的な意見もあるからです(佐伯氏はこの反論を一蹴していて、この感覚の違いも興味深いことです)。

 

3.「損害賠償請求は近年になって数件の提訴があっただけで---」

 これは、根岸・舟田『独占禁止法概説』331頁に、25条訴訟は20件に満たないが、民法709条訴訟は60件を超えているとあるように、正確ではない文章。

もとの文章に書いた、「被害者(原告)が勝訴した事件は近年になって数件現れてきた」の方が正確で、これに住民訴訟における勝訴事件も加えれば、数十件にのぼるかなど迷いました。しかし、住民訴訟の制度が改悪され、他方で、私訴がそう増加するものではないだろうとも思われます。

 






『ローカル番組』------地方テレビ局による番組制作やローカルの情報サービスをどう維持し発展させるか

                                   平成15年3月25日

                              

1.放送政策研究会の最終報告

 総務省の放送政策研究会の「最終報告」がようやく出ました(平成15年2月27日)。3年近く、44回の会合を重ね、今の放送事業をめぐる様々な問題を検討し、極めて重要な議論と指摘が行われたものであり、同研究会の委員諸氏と事務局に敬意を表したいと思います。

 その検討の中心は、いわゆる「マスメディア集中排除原則」の緩和のあり方です。私も、この問題について同研究会で昨年7月に報告をし、それを論文にまとめました。(注1)

(注1)舟田「マスメディア集中排除原則の見直し-----一試案」立教法学62号1-50頁(2002年11月)、同「マスメディア集中排除原則の見直し試案」月刊民放2002年11月号10-21頁(2002年11月)。後者は、前者の一部を要約し掲載したもの。

 

この点についての同報告の指摘は、私の意見と共通する点も多く、それを更に広い視野から深めてまとめたものと思われます。

ここでは、表題にあるように、地方テレビ局(=ローカル局)による番組制作やローカルの情報サービス(以下、この両者を「ローカル番組」と略記)をどう維持し発展させるかについて、前記報告・論文を一部修正することについて述べたいと思います。

結論を前もって示すとすると、ローカル番組の維持・促進に関する何らかの規制を導入すべきであり、したがって、この点については前記の放送政策研究会最終報告の慎重な立場には疑問が残る、ということです。

 

2.ローカル局制作のドキュメンタリー番組

 朝日新聞の「私の視点」(平成15年1月25日付け朝刊)では、松石泉「地方テレビ局 系列超えた番組流通を」が掲載されています。

同様のことを大分以前、私も書いたことがあります(注2)。そこでは、放送文化基金賞をとったあるローカル局制作のドキュメンタリー番組を、NHKがその受賞作品を再放送する枠の中で再放送しようと許諾を求めたところ、系列東京キー局の意向で当該ローカル局が拒否したという例を取り上げ、民放ネットワークの弊害と批判したものです。

(注2)舟田「放送事業と競争秩序(2)」公正取引504号45頁以下(1992年10月号)。

 

私自身の経験でも、瀬戸内地方のテレビ局が制作した豊島問題に関する優れたドキュメンタリー番組を別のテレビ局の再放送枠で偶然見ることができて、民放ネットワークの拘束が番組流通を阻んでいるとしたら、視聴者にとっても、また制作した放送局にとっても不幸なことであり、こういう秀作が番組流通市場で自由に流通できたら、と思ったものです。

 しかし、ある放送関係者から以下のメールを頂き、上の私の考えはローカル局の経営実態を知らない、素人の希望だと痛感しました。

「ネットワークでいわゆるドキュメンタリーの放送枠がないのは、そういう放送をキー局が拘束しているわけではなく、ドキュメンタリーそのものが『視聴率的に』商品価値が薄いというただその1点に問題があります。

この点はキー局だけではなくローカル局も同じです。ネットワーク協定によって、ゴールデンタイムには『ネット番組』を放送することになっていますが、ゴールデンタイムの中にも、ローカル局が自由に編成できる枠が僅かながら存在します。

したがって、ローカルでいい番組を流通させたいのなら、その枠内で自由に番組を流通させることが可能です。また、ゴールデンタイム以外なら、数多くのローカルタイムがあります。そこをどう使おうとこれも自由です。しかし、ほとんどのローカル局はそこでドキュメンタリーを流通させることは考えていません。ローカル枠といえども『数字をとらなくてはならない』。さもなくば、その枠の収入が減るだけでなく、その周辺のスポット価格が下がってしまうからです。

ご指摘のドキュメンタリーなどは、各局とも深夜の深い時間、ないしは土日の午後枠の『通常は売れない時間帯』に放送しているのが精一杯という実情です。」

ローカル局制作の秀作をどう流通させるかについては、インターネットを利用すればいいのではないかということも検討すべきでしょうが、そのためには著作権問題など多くの課題があり、また放送とインターネットは、「通信と放送の融合」として代替性が増しているとしても、まだ多くの視聴者にとって、両者の間にはかなり違いがあることは言うまでもないでしょう。 

しかし、現在のローカル局の問題は、そのような番組の流通問題以前に、ローカル局の制作力それ自体が低下している、という危機にどう対処するか、という点にあるようです。ここで、制作力とは、主に資金的な要素を指しますが、それに関連してヒト(人材)、制作ノウハウその他の問題もあるようです(ここでは後者の点はふれないことにします)。

 

3.キー局によるローカル番組の支配・拘束?

少なくとも現在では、以前の私の旧稿(前注2)で指摘したような、ネットワーク・キー局によるローカル局の番組編成についての支配・拘束ということはないのかもしれません。各ローカル局は、自主的判断で『売れる時間帯』には視聴率の高いネットワーク番組を充てるのが経営合理的だから、結果としてローカルが売れない時間帯に僅かに放送されている、ということかもしれません。

それはともかく、「ゴールデンタイムの中にも、ローカル局が自由に編成できる枠が僅かながら存在します。」ということは、逆に、それ以外の時間帯については各ローカル局には協定上、『ネット番組』を流す義務があるのではないでしょうか。

そもそも、キー局とローカル局の間における民放ネットワーク番組に関する協定がどんな内容か、これらは私企業間の契約という法的性格から公開されていないのですが、いくつかの資料から私たちもかなりの程度知ることができます。例えば、民放連編『放送ハンドブック(新版)』(東洋経済新報社、1997年)283頁以下には、TBS系列の「ネットワーク基本協定」の一部と、日本テレビとX局がかわした「業務協定書」が掲載されています。

後者には、「第2条 両社は一定の時間内において継続的に同一番組を同一時間に放送することを原則とする」とあり、「第3条 両社のネットワークタイムは、『NTV・X局ネットワークタイムに関する覚書』による」と規定されています。この協定に違反した場合につき、即時解約と損害賠償についても規定されています。

これはいうまでもなく、契約両当事者の「合意」によるものですが、キー局とローカル局が対等な立場で合意したものではなく、独禁法上よく議論されていることですが、キー局の「優越的地位」を前提とした合意であると考えられます。もちろん、キー局の「優越的地位」は、一般には両者の経済合理性に基づくものであり、それ自体が違法になるではなく、その濫用行為が行われた場合にのみ独禁法違反の問題が生じるに過ぎません。

この例からも窺われるように、キー局によるローカル番組の拘束が明文化されていると解してよいでしょう。しかし、ローカル局にとって、『売れる時間帯』にネットワーク番組を充てるのが経営合理的だから、このような合意を遵守しているというのが実態なのでしょうから、これは「優越的地位の濫用」に当たらないと思われます。

しかし、仮にあるローカル局が、ローカル番組をローカル枠と定められていない時間帯に、ネットワーク番組を差し替えてローカル番組を編成し放送したいと考えた場合には、キー局も交渉に応じて協定の一部変更等に応じることが望ましいと考えられます。

ネットワーク番組に関する協定については、ローカル番組についての拘束条項を公開させるなどの公的規制も考えられるところですが、ここでは立ち入った検討は割愛します。

もっとも、民放ネットワークとローカル局の関係には、複雑で多様な諸側面があり、また5ネットワークにはそれぞれ固有の事情もあるようです。(注3)

(注3)例えば古いものですが、南條岳彦『メディアのしくみ ―――新聞に制圧される地方テレビ局』(明石書房、1966年)の最終章には、ネットワーク批判があります。ここは、キー局よりも新聞による人事支配がローカル局を蝕む有様に力点を置いて書かれています。

しかし、番組支配についても、例えば、「ダイエーは、地方発信情報になるか」では、プロ野球の中継か録画ナイターかで、ネットワークと地方テレビ局の利害が対立したとき、「ネットワークにしばられたローカル局に選択の自由はなかった」などの記述があります。

なお、菅谷実=中村清編著『放送メディアの経済学』(中央経済社、2000年)137頁以下、151頁以下、および、磯本典章「日本におけるテレビジョンネットワーク加盟契約に関する私法分析」学習院大学大学院法学研究科『法学論集』2号27頁以下(1994年)をも参照。

 

4.キー局・ローカル局の経営と「地域密着性の要請」

 今のローカル局の経営は、基本的には、各地の地域経済の地盤沈下による広告収入の減少に悩みつつ、地上波放送のデジタル化のための投資をしなければならない、という状況にあるようです。

他方で、キー局の方も、地方ほど深刻ではないにしても、同様の広告収入の減少とデジタル化投資に対応しなければならない状況です。そこで、キー局は、これまでのいわゆるネット配分(ないし保証金)を徐々に減らし、ローカル局にリストラを要請しているようです。

「ローカル制作であっても、それが視聴率のとれるものならキー局は喜んでゴールデンタイムに枠を設けるでしょう。しかし、残念ながらローカル局にはそのような番組を作るだけの体制も資金も(あるいはノウハウも)ありません。」

 それはその通りでしょうが、それでも各ローカル局は、たとえ視聴率のとれない番組であっても、ゴールデンタイムに載るかどうかはともかく、売れない時間帯ででも、ネットワーク番組と違う番組を、ネットワークに関係なく調達または制作し編成・放送する、という努力ないし姿勢が必要でしょう。地上波放送に要請される「地域密着性」と呼ばれてきた法的・政策的要請の意義は、ここで繰り返すまでもないでしょう。

また、これと別に、ネットワーク全体の情報サービスにとって、各地域の放送局が地域メディアとしてどのような役割を果たし、どのような地位を占めているかは極めて重要な要素です。各地域のローカル局が、地域で人々に親しまれ、信用され、有用であると受け止められていることが、キー局発のネットワーク・ニュースの価値にもつながります。信用あるローカル局を「地域の顔」として持たない限り、キー局そのものの位置も下落するでしょう。

しかし、キー局の経営方針が前述のようなものである限り、各ローカル局に対し効率化というプレッシャーをかけ、経費削減と収益の向上・維持を要請することだけに傾くおそれも強いと懸念されます。

 

5.ローカル番組維持・充実のための経営方策または制度・政策

このような状況の中で、ローカル番組の維持・充実のためには、具体的にどうすればいいのか?

これに対しては、第一に、以下のような指摘があります。

「放送全国市場シェアの5割を越すキー局に対し、シェアの1%前後しか持たない地域の各ローカル局には、ネットワークに頼るしか経営を成り立たせていく道はありません。そういう中で、何とか余力を作り出し、その余力で何とか『地域メディア』としての努力を行っているのが現状です。それが、自社制作率10%程度という数字です。」

 これは、具体的には、ローカル局に対するキー局のネット配分あるいはネットワーク協定(特に、ニュース協定)による資金的支援を維持・強化すべきだという主張なのでしょう。

 第二に、私の上記論文(前注1)は、これまでマスメディア集中排除原則と地域密着性の要請によって、各ローカル局が細切れに設立され、放送対象地域として固定化されているのが、上述のローカル局の自主番組の充実にとって1つの障害であるというなら、これらの規制を緩和して、力のあるローカル局になって欲しい、という発想から、集中排除原則の緩和を提言したものです。

 キー局またはネットワークに経営的に依存したローカル局が、自主的な番組編成を行うことは困難であろうし、5つの民放ネットワークが全国の地上波放送番組のほとんどを支配するという傾向がこれ以上進まないように、ネットワークの力を抑制する必要があると考えられるからです。

 ネットワークの評価という点では、上記の第一の立場とは正反対ということになります。

 第三に、この第二点だけでは不十分とすれば、より具体的なローカル番組政策として、番組の義務づけ等の制度を新設する、という案も考えられます。前記拙稿では、以下の3案につき比較検討しました。

A1案------「地域密着性の要求は、放送番組のローカル性の面では、十分その効果を発揮していない」から、「法律の根拠をもって一定分量のローカル放送を義務づけざるをえない」(臨時放送関係法制調査会答申書1964年)。

A2案------自主規制に委ねる。これには、例えば現在の放送普及計画にあるように、公的に何らかの抽象的な要請を定め、その具体的な実施については事業者団体である程度具体的な基準を策定する、あるいは、そのような団体による基準を策定せず、事業者が行うローカル番組を公表させる制度とする、など様々な態様があり得よう。

A3案------ A2案のような措置も不要であり、放送事業者の全くの自由に委ねても、ローカル番組は残る。

B案------現行の株主地元要件は、「表現の自由」とのかねあいでやむを得ないから、これを維持し、あとは放送事業者の自主性に委ねてよい。

 これらのうち、B案については、前掲の論文では、株主が地元住民であるからということからローカル番組が充実するという効果が期待できる、という因果関係は疑わしいとして、消極的に評価しました。

 A2案については、例えば自主規制において、各社が最低限実施すべきローカル番組比率を定めることは、過剰な自主規制ではないかという意見もあろう。そうすると、A1案は(明示しませんでしたが)、それより強い意味で過剰規制ではないかというニュアンスを出しました。その上で、「上述の諸案のうちでは、A2案かA3案を選択すべきではないか」と述べました。

これは、規制緩和という基本的立場を強く意識したものであり、特に放送事業については「放送の自由」の要請があるので、A1案のような直接規制には疑問があるとしたものです。

また、前述の3で述べたような、キー局・ローカル局の経営という視点からも、それらの自主的な判断として「地域密着性の要請」を充たすようなローカル番組を作り放送するであろう、という期待もありました。

しかし今の時点では、これは、法律家の陥りやすい視野狭窄による主張ではないかと思うようになっています。その理由は、まさにこれまで述べてきたような、現在の民放各局の経営環境と経営姿勢についての疑問にあり、そこでは従来から批判されてきた視聴率一辺倒、経営優先の姿勢が露わになって、視聴率をとれないローカル番組をますます冷遇するようになるだろうという認識です。

したがって、私は現時点では、A3案のように、なんらの措置も不要であり、放送事業者の全くの自由に委ねてもローカル番組は残る、という意見には疑問を持っております。少なくとも、A2案にあるように各放送局がそれぞれの地域に固有の情報を扱う番組や各局独自の制作による番組をどれだけどのように放送しているかについて、報告・公表をすべきであり、そこには今後のローカル番組に関する方針・計画なども含めてはどうかと考えるようになりました。

 

6.「最終報告」におけるローカル番組政策について 

 この点につき、前掲の放送政策研究会報告は、「ローカル番組比率規制や地方プロダクション比率等を義務付けるといった番組への直接規制という手法も想定し得る」として、その可能性に言及しています。しかし、すぐその後に、「表現の自由との係わりなどを考慮すると、番組への直接規制よりも出資比率等を通じた間接的な手法を用いる方が表現の自由に対する制約につながるおそれが少ない面があることに留意する必要がある」とも述べられています(同報告・1(5))。

これは、ローカル番組比率規制が「表現の自由」を侵害するから憲法違反であるということではないと思われます。「表現の自由に対する制約につながるおそれが少ない面がある」という慎重な文章は、これを指しているのであり、しかし、ローカル番組比率規制はなるべく避けるべきだという趣旨に読むべきでしょう。

 これについては、まず「出資比率等を通じた間接的な手法」が効果的か否かについては疑問があるということは前述の通りです。また、番組への直接規制にも様々な手法があり、この最終報告にも ローカル番組比率規制だけではなく、「ローカル局の地域性確保など番組制作向上につながる目標を自ら定め公表し------」という、よりソフトな案なども提示されていますし(同報告・3(3))、同様なことは私の前記報告・論文でも取り上げてあります。

 これらの議論に対し、今度は民放の側でどのような対応を示すかが期待されているといえるでしょう。例えば、昨年で中断した「地方の時代」映像祭が本年度から復活するということです。この種の映像祭類は少なからず行われているようですが、本詳論の冒頭(2.)で述べたように、表彰するだけでなく是非受賞作品を全国のテレビ局で再放送して欲しいものです。ゴールデンタイムではなく『通常は売れない時間帯』での再放送であっても、そのことが十分周知される措置があれば、私のように録画して見る視聴者も含め、一定の意義があると思われます。

 

 




「課徴金制度の強化に向けて」(暫定第2版)

                                      2003.4.7.

<長文ですので、以下に概要を示します>

1.昨年末から、公取委の「独禁法研究会の独占禁止法研究会措置体系見直し検討部会」で、課徴金の機能強化の方策を検討する作業が進行中。

2.課徴金制度の強化の理由

3.競争制限行為の悪影響は、「不当利得」分だけではなく、より広く各種の「広義の社会的損失」に及ぶから、独禁法違反行為者からこれに相当する金額を徴収すべきである。

4.課徴金は、競争秩序の侵害をもたらした者に対し原因者負担原則と同様の考え方に基づき国が徴収し、競争秩序の「原状回復的措置」を図る制度であり、私的救済とは性格を異にする。

5.課徴金を「制裁金」として構成し直す案が最も望ましいが、次善の案として、現行法の「非制裁的な行政的措置」という性格を維持しつつ、「広義の社会的損失」を算定の基礎とすることを検討すべきである。

6.経済学上の、不当利得(=超過利潤)だけではなく死重的損失(デッドウェイト・ロス)をも考慮すべきであるという議論、および課徴金賦課確率を算定の根拠に含めるという案は検討に値する。さらに、違法行為のもたらす諸々の外部効果(=外部不経済)をも「広義の社会的損失」に含めて、それを課徴金の算定基礎に含めるべきである。

7.「広義の社会的損失」の算定の方法としては、例えば、当該商品に係る売上高全体(産業の規模)の1割と見なし、これを行為者の間で、それらの売上高に応じて配分するのはどうか。

8.課徴金の対象となる違反行為を、非価格カルテルや私的独占などへ広げるべきである。

 

<本文>

1.議論の状況

独占禁止法は、価格カルテルやその他の価格に影響を与えるカルテルを行った事業者に対し、公正取引委員会(以下、「公取委」と略記)が課徴金を賦課することとしています(同法7条の2)。

この課徴金制度の見直し作業が、昨年末から、公取委の「独禁法研究会の独占禁止法研究会措置体系見直し検討部会」において行われています。(その議論の状況については、公取委のホームページを参照。第一回会合は、http://www.jftc.go.jp/pressrelease/02.november/021125.pdf

私も、同部会に1メンバーとして参加し、その第1回目の会合から、課徴金制度を「広義の社会的損失」を徴収するという性格に変えて課徴金を増額すべきではないか、と主張してきました。また、現行の課徴金制度は、価格カルテルおよび価格に影響を与えるカルテルに限って課徴金を賦課することになっていますが、課徴金対象行為をそれ以外のカルテルや私的独占に当たる行為にも広げるべきではないか、と考えております。

以下では、主としてこの2点に焦点を絞って私の暫定的な意見を述べます(この他、課徴金手続の改善や、刑事罰との関係なども検討対象となっていますが、ここでは省略)。しかし、その理論的根拠や実際上の諸問題等について十分考えがまとまっているとはいえません。皆様のご意見を頂きたいと思います。

 

2.課徴金制度の強化の理由

現在、課徴金制度の強化を検討する理由は、私の整理では、以下の3点に集約される。

第一に、事業者の「バレもと」(「バレてもともと」と考えて、カルテルを行うこと。これは特に課徴金の賦課されない違反行為に顕著であるが、課徴金が不当利得と同額であれば課徴金を徴収されても損しないことになる。)、あるいは、課徴金を徴収されるリスクを考えても違反行為を敢えて行うという行動様式によって、違反行為を繰り返すなどの悪質な事業者が後を絶たないことからも、現行の課徴金の抑止力は不十分ではないかと思われる。

また、同じ業界の別の地域で、あるいは関連産業で、同じような入札談合が次々と摘発され続けていることなどからも、現行の課徴金が違法行為の抑止に十分ではないという推測が成り立つ。

第二に、米国やEU等との比較においても、日本の課徴金はまだ低いという分析もある(以上の2点については、本部会の第1回会合に提出された公取委事務局提出のペーパーが説得的である)。

第三に、課徴金は、価格カルテル、および「対価に影響がある」カルテルに限って賦課されることになっている(独禁法7条の2第1項)。しかし、それ以外のカルテルや私的独占に該当する行為は、同じように「競争を実質的に制限する」ものであり、それらによる実際の被害や競争秩序の侵害という基本的悪性という点から見て、課徴金についても価格カルテルと同列に扱うべきであると考えられる。

なお、課徴金制度の強化という論点とは別に、複雑巧妙化する事案に対応するため、カルテル参加者にカルテル離脱・情報提供を促すような課徴金賦課制度(課徴金を減免する制度)を構築することが有効である。これは、具体的には米国で採用されているリニエンシー・ポリシーないしアムネスティ・プログラム(Corporate Leniency Policy)(1993年全面改正)を日本でも導入しようということである。

米国調査において、「ほとんどの弁護士は、企業にとっては、米国、カナダ、EU、日本のうち一国がリニエンシー制度をもっていないことは、企業が米国においてリニエンシーを申し出るインセンティブを損なっており、これらの国・地域に類似したリニエンシー制度を設け、かつ各国の競争当局がリニエンシー制度について国際協調をすることが重要である」、という意見であるとのことである(泉水文雄・米国調査報告より ※1)。

この意味での課徴金減免制度も、独禁法の実効性の確保・強化を目指すものであるが、直接には課徴金の減免という効果を持つものであり、またこの点については、前記米国調査報告や高橋岩和・ドイツEU調査報告※2 が同部会に提出され、その他これまでにも多くの研究調査が既になされていることもあり、ここではふれないこととする。

 

3.「不当利得」から「広義の社会的損失」への転換

3-1

「行政措置であっても制裁的なものはあり得る。その水準が過度なものでなければ,憲法上の問題はなく,課徴金の性格を不当利得+社会的損失の範囲内とすることは水準として適当であろう。」(同部会の第3回議事概要より)

 この発言の意味は、課徴金を違法行為に対する「制裁金」ではなく、現行の行政措置であるという構成を維持しながらも、その算定の基礎を「不当利得」だけでなく、違法行為が社会に与えた損失までカバーするように増額すべきである、ということである。事務局サイドからも、原則は不当利得の徴収であるとしても、実効性の確保に必要と認められる要件に該当した場合,例えば,繰り返し違反行為を行った場合には社会的損失まで加算する、ということも考えられるのではないかという問いかけがあった。 

課徴金の性格については、昭和52年の本制度導入の段階では、値上げカルテルをした事業者に対して公取委による排除措置をかけてカルテル協定を破棄させるだけでは、事業者は何の痛痒も感じず、繰り返し違反行為を行うことになる。この「やり得防止」のために、違法カルテルによる値上げ分の「不当利得」を徴収するのが課徴金制度である、という分かり易い説明であり、これは課徴金を初めて導入するための社会的説得力を有していたと思われる ※3

しかし前述のように、それ以降、課徴金が数多く賦課されながらも、違法カルテル、特に入札談合がなくならないこと、しかも幾つかの産業では「累犯」ともいうべき事件が少なからず見られることから、「不当利得」を徴収するという現行の課徴金は十分な抑止力を持っていないと考えられる。

3-2

独禁法全体についてのエンフォースメントの更なる強化が求められている現段階では、課徴金の強化について以下のように考え直すべきである。カルテル等の競争制限的行為による悪影響は、行為者の「不当利得」分より広い範囲に及び、差し当たりこれを「広義の社会的損失」と呼ぶことにする。
この「広義の社会的損失」に含まれる要素を列挙してみよう。

第一に、取引の相手方に損害を与える。
これは、値上げカルテルに典型的に見られるように、多くの場合、ほぼ従来の「不当利得」に当たると考えられる。しかし、独禁法違反行為には、例えば間接の共同ボイコットや不当廉売による排除行為(私的独占)など、競争事業者に向けられる行為もあり、また、これらの場合には損害は、当該違法行為がなかったら競争事業者が得たであろう利益(=逸失利益)も含まれる。
第二に、取引の相手方と取引する間接の取引相手方など、当該取引の上流・下流への悪影響。
第三に、当該商品に関連する商品等の取引にも悪影響を与える 。※4

これら第一から第三は、主として損害を受ける者に着目した区別であり、第一について簡単に示したように、損害の中味は多様であり得る。特に、ここには後述(6)のデッドウェイト・ロスは含まれていない。例えば、値上げカルテルによって灯油の価格が上がったので購買量を少なくして寒いのを我慢した、という消費者の損害などがこれに当たる。

この他、値上げカルテルを念頭に置けば、一般論としてカルテルの弊害として説かれているのは、当該産業における革新的契機、効率化への努力をつぶすことであり、また「カルテルの波及性」と呼ばれているように、このことはさらには関連産業にも対抗的なカルテル、さらには元のカルテルに便乗したカルテルないし協調的価格行動を容易にするなどである。

また、いわゆる「官製談合」に典型的に現れるような、事業者と行政担当官やその上司、さらに政治家との癒着を生むこと、または不明朗な関係を強化することも、独禁法違反行為がもたらす弊害である といえよう(経済学で、moral hazardの問題と呼ばれることに相当するのであろう)。

これらの悪影響は、「不当利得」分も含まれるが、特に上述の第一から第三に挙げたことはより広く「広義の社会的損失」として捉えるべきであり、独禁法違反行為者からこれに相当する金額を徴収すべきではないか 。※5

3-3

独禁法違反行為者に対して私人である被害者が請求する損害賠償請求や不当利得返還請求では、請求する者の金銭的損害だけが問題となる(ただし、この場合でも米国の懲罰的損害賠償のような制度もあり得るし、不当利得を定める日本の民法704条も、悪意の受益者には「受ケタル利益」以外の分の返還請求をも認めている)。

しかし、公取が賦課する課徴金は、そのような私的救済の対象となる損害の範囲と一致させる理由はなく、上記のような社会に与える広い悪影響を、一定の算定方式によって算定した金額であってよいと考えられる。

私人による損害賠償請求や不当利得返還請求については、近年、原告の請求を認められる判決がようやく数件現れたとはいえ、まだごく僅かな事例に限られている(私的救済をより容易にすべきであるという論点もあるが、これについても早急に是正することのできない多くの困難な問題があり、ここでは省略)。私人による民事的救済制度は、もともと前述のような広い損害、悪影響を回復するものではないこととも併せ考えると、独禁法違反行為によって競争秩序ないし社会の受けた被害を国が金銭面で回復し、同時に、そのような制度が機能していることを事業者に周知させることを通じて独禁法違反を効果的に抑止するという課徴金の機能は無用になるどころか、ますます重要なものとなっていると考えられる。

そもそも、課徴金は行為者の「不当利得」分しかとるべきではない、と論理必然的に決まるわけではなく、社会的観点から合理的な説明ができる趣旨であれば足りるのではないか。そして、独禁法違反行為者から「広義の社会的損失」を国が徴収し、これを公益に資するように使用することで、社会全体の衡平を図るという制度には、それなりの合理性が認められると考えられる。

 もっとも、具体的な制度設計の段階では、「社会的損失」をどう算定するかが問題である。現行の課徴金制度と同様に、何らかの擬制をするとしても、客観的に合理的なものと説明し得るような算定法式が必要であろう。

 以下、上の議論をより明らかにするために、別の角度からの諸議論との比較をしてみよう。

 

4.原因者負担原則との親近性

 課徴金制度における不当利得の徴収については、「原状回復的措置」という説明もなされてきた。例えば、課徴金を「競争秩序を回復するに足りる実効性のある排除措置」の一環ととらえる説明がなされている 。※6

独禁法違反行為の影響が、行為者とその取引の相手方だけでなく、上のように広く及ぶことを考えれば、それらを含めて徴収する方が「原状回復的措置」というに相応しい。また、この影響とは、被害者の私益として特定できる直接の不当利得分(ただし、その算定は擬制に基づく)だけでなく、当該行為が競争秩序全体に与えた広範囲な損害の総体であり、さらに理論的には競争秩序という法益は私益の集合とは一致しない。

したがって、独禁法違反行為による社会的損失を可能な限り回復するという役割は、国の行政庁たる公取委が担うに相応しいものであり、そのために排除措置と課徴金を併せ課すことにより、公取委は競争秩序の維持という任務をより的確に遂行することになると考えられる。

もっとも、「原状回復」と言うためには、徴収した金額を損害を受けた者に再配分しなければならないとも考えられ、そのような主張もある ※7。これも1つの考え方であるが、この立場でも特に少額の被害者などへの再配分を完全に行うことが実際には不可能であるので、その限りでは国が被害者に代わって徴収、収受することを認めざるを得ないことになる。

「原状回復的措置」は公取委の任務であるが、そのために当該損失を与えた違反行為者に課徴金を賦課することは、環境法において説かれている原因者負担原則(汚染者負担原則。環境基本法37条参照)に相通じるものがあるといえよう。環境法等の領域においては、原因者負担原則に基づいて、公害健康被害の補償等に関する法律による汚染負荷量賦課金・特定賦課金、また公害防止事業費事業者負担法における「公害防止事業費」の制度が設けられており、その他、自然公園法(29条)、自然環境保全法(37条)、下水道法(18条の2)などにも同様の規定がある。

課徴金は、前述のように、違反行為によって損害を受けた者の私的利益と切り離し、競争秩序の侵害という悪性について、原因者負担原則に基づき国が徴収し、しかし、その徴収した金額の用途までは問わない※8 (この点で、原因者負担原則に基づく公害防止事業費等と異なる)、と割り切ることも、あながち不合理とは言えないであろう。

 なお、ここでは課徴金の法的性格について検討する余裕はないが、類似の制度として、これまでは、国税通則法65条以下の加算税と68条の重加算税、および国民生活安定緊急措置法11条の課徴金が挙げられて検討されてきた。しかし、前者は租税制度の一環として制度化されているものであり、また追徴金は制裁という法的性格を明確に有するものである。また、国民生活安定緊急措置法における課徴金については、特定標準価格を超える販売を禁止していないし、超過利得を徴収するだけで行為を抑制する効果はないから、義務を前提とした強制措置と考えることには無理がある、と説かれている 。※9

上記のように、競争秩序への侵害の回復という法的目的により近いものとしては、前述のように環境保全のための経済的手法のうち、租税の性格を有するもの(いわゆる環境税)以外の賦課金制度(たとえば、前掲の公害防止事業費などであるが、諸外国にはより多様なものがあるようである)も、理論的な比較検討の対象とすべきではないかと思われる 。※10

 

5.「制裁金」か「非制裁的な行政的措置」か

5-1 二重処罰の禁止

課徴金を「制裁金」として構成する立法論も有力であり、1つの選択肢であると考えられる ※11。私見では、課徴金を制裁金として構成したとしても、ここから直ちに違憲となるものではないと考えられるし、学説でもそのような意見が有力であると思われる。特に、刑事罰の量刑において、課徴金を賦課されたという事実を斟酌して具体的な量刑が行われるとすれば ※12、実質論としても二重処罰には当たらないと解される ※13。また、「制裁金」として構成することにより、公取委の裁量の幅を広げて具体的な行為の状況によって課徴金の額を増額または減額する仕組みにした方が、制度の目的により合致した運用が可能になると考えられる。

この点につき判例を見てみれば、ラップ価格カルテル刑事事件東京高裁判決(平成5年5月21日)は、同一の行為に対し課徴金と刑事罰の双方を課すことが二重処罰の禁止にふれないことの理由として、「刑事罰とは趣旨、目的、手続き等を異にする」ことが挙げられているし、この論旨はシール談合審判取消請求事件最高裁判決(平成10年10月13日)でも同様である。

しかし、シール談合不当利得返還請求東京地裁判決は、同様の違いを述べながら、さらに「その課徴金の額は、具体的なカルテル行為による現実の経済的利得とは切り離し、原則として売上高に一定の率を乗じるという画一的な方法委より算定されるのであって-----」、「課徴金が実質的に制裁ないし刑罰の性格を有することになるものでない」から、憲法29条に違反し、同法29条および31条の趣旨にもとるものではない、と述べる。

また、これまでの公取委の各種文書も、課徴金が制裁としての法的性格を持たないから二重処罰の禁止にふれないと述べている※14 。 

したがって、前掲のシール談合不当利得返還請求東京地裁判決や従来の公取委の説明にこだわるならば、課徴金を制裁金の性格のものに変えることは、憲法に反しないかという疑問が生じる可能性がある。

そこで、以下では次善の策として、現行法における課徴金の性格を変えずに、その機能をより強化する制度のあり方を考えることにしよう。現行課徴金制度の性格を確認的に述べておけば、それは「社会的公正を確保し、違反行為の抑止を図り、カルテル禁止規定の実効性を確保するための行政上の制度」である(平成2年「課徴金に関する独占禁止法改正問題懇談会」報告書 ※15)。

5-2 刑事罰の有効性・妥当性と限界

ただし、この「制裁金」説の中には、EUのように、刑事罰との併科を止めて行政上の「制裁金」に一本化するという説、あるいは、企業には制裁金だけを賦課し、実行行為者たる役員・従業員には刑事罰を科すという説があるが、刑事罰を廃止するという点は疑問である。

独禁法違反行為は「企業犯罪」、「組織ぐるみの犯罪」であるという社会的評価が重要であり、刑罰の峻厳性は特に重大・悪質な独禁法違反行為に適合する性格のものであると考えられる。これは理論の問題というより、刑罰・課徴金についての人々の社会的認識にかかるものであり、例えば、わが国で直罰としての公害罪が新設され、公害企業が初めて刑事裁判で有罪とされたときの社会の受けた衝撃は極めて大きかったし ※16、その後、各種の経済規制の違反行為に刑罰が科されるようになり、あるいは従来は死文化していた刑事罰規定が実際に適用されるようになったのも、企業犯罪ないし経済犯罪への厳しい社会的認識の定着によるものであると考えられるのである ※17

また、企業やその役員・従業員は刑罰を科されるかもしれないという可能性を示すことが、違反行為に対するもっとも効果的な抑止力となろう※18 。これまでは、建設談合などにおける例のように、独禁法違反が摘発され課徴金が課される危険性があっても敢えて法違反行為を犯すという行動様式が見られるが、そこには、役員までは刑事罰までは科されず、従業員に対してのみ科される例が多かったことも一つの原因になっているのかもしれない。すなわり、実行行為者とされた従業員を懲戒解雇するという、「トカゲのしっぽ切り」で収まるだろうという楽観主義があるようにも推測される。特に会社の役員、特にトップに対する峻厳な刑罰が科されるようになれば、刑事罰の持つ抑止力が次第に働くようになると思われる※19

しかし、日本における特有の事情に起因する、刑事罰の限界も指摘しておく必要がある。公取委が刑事告発に慎重なのは、検察当局が刑事罰の対象を絞っていることによるものだという指摘があり※20 、また、裁判に持ち込んでも極めてレベルの高い事実の立証が求められるのではないかという懸念が公取委と検察当局の双方にあるようにも推測される。また、現在の量罰規定の仕組みを、独禁法の各規定の名宛人が「事業者」であるとこと平仄を合わせて、法人自体を処罰するように変えられないかという問題もあるが、これは刑法の基本原則と抵触するという意見が有力なようである※21

5-3 裁量の有無

課徴金が制裁の性格を持たないことの理由として、公取委には課徴金を賦課するか否か、またその額について裁量が認められていないから、ということが挙げられることがある。しかし、裁量がないから行政上の措置であり、裁量があれば制裁金となる、という二分法は論理必然ではないように思われる※22

秩序罰(行政庁が科す制裁金)についても、行政庁に対しあまりに広い裁量を認めることは憲法に違反すると説かれているし※23 、逆に、制裁の法的性格を有しない行政上の措置であっても、一定の基準にしたがった裁量を認めることは可能であると思われる※24

法治主義あるいは国民の権利保護という観点からは、裁量があるかないかが問題なのではなく、その根拠が可能な限り明確に、または客観的に定められているか、また裁量統制の仕組みが行政手続および司法審査において保障されているか等が問題なはずである。課徴金に関する独占禁止法改正問題懇談会報告書(平成2年)は、「行政上の措置としての課徴金制度の性質上、その要件は客観的基準によるべき」であるとするが、これは客観的基準による裁量を否定する趣旨ではないであろう。ただし、制裁ではない以上、行為者についての「主観的な事情は考慮されるべきではない」 ※25

 以上の議論をふまえれば、違反行為の抑止のための特別の行政的措置という従来の課徴金の理解を前提として、ただし不当利得の徴収を目的とするということではなく、課徴金の算定の基礎として不当利得だけでなく、広義の社会的損失を含めて算定し、公取委に一定の裁量を認めることも可能であろう。

なお、仮に課徴金を「制裁金」として構成し直す場合も、その算定の基礎として本稿で述べている「広義の社会的損失」の議論が生きる点も多いと思われる。

 

6.経済学上の考え方との関係

6-1 課徴金賦課確率

経済学的なアプローチによれば、後述(6-2)の死重的損失の徴収という考え方と並んで、違法行為の抑止力に係るインセンティブ・メカニズムとして課徴金制度を構成する考え方がある ※26

インセンティブ・メカニズム論における、課徴金の水準を決定する際に、課徴金が実際に賦課される確率を考慮に入れるという考え方は、社会全体のメカニズムとして一定の合理性・説得力を有しており、1つの政策的選択肢であることには異論はない。

しかし、違法行為が発見されなかった行為者、あるいは事件選択で落とされた行為を行った者の不当利得分まで、摘発された違法行為者から徴収するという点は、自分の行為に対する責任のみを負うという意味での「自己責任」原則という市民法の前提と馴染みにくいようにも思われる(ただし、全く採用できないとまではいえないであろう。米国や日本の法的議論においても、制度設計として課徴金賦課確率ないし違反摘発率の考え方の導入を提示するものがある ※27。)

 また、違法行為の抑止インセンティブとして、課徴金賦課確率を考慮して算定するという考え方は、違反行為の事前抑止という局面では合理的である。しかし、それでも敢えて違法行為を行った事業者を摘発した場合に、その事業者にどの位の金額を賦課するかという事後処理の局面では、違法行為の抑止という観点は意味をなさない、とも考えられる(ただし、当該事業者の累犯を防止するという意味はある)。

 

6-2 不当利得(=超過利潤)と死重的損失(デッドウェイト・ロス)の和

前述(3-2)の「広義の社会的損失」のうちの第一から第三は、経済学における均衡論の不当利得(=超過利潤)と死重的損失(デッドウェイト・ロス)の和の大部分に相当すると考えられる(ただし、正確にはこれに当たらない損失もあろう)。それ以外の損失、特にmoral hazardの問題などは、経済学の用語では、「外部不経済」の部分となるのであろう。

本来、消費者に帰属すべきものが生産者に帰属した分を取り戻すという「不当利得」制度では、これら両者の和ではなく、不当利得(=超過利潤)の分だけを徴収することになるが、これでは死重的損失は失われたままであり妥当ではないことは、この経済学上の議論からも明らかである。

 消費者余剰を、完全競争均衡の場合と同様に最大化するとすれば、不当利得と死重的損失の和を徴収することに意味がある。

ただし、経済学においては、不当利得(=超過利潤)と死重的損失の差異が重要であり、死重的損失が独占による社会的損失であるのに対し、不当利得は余剰の再配分に過ぎないと説かれる。(課徴金のベースは、超過利潤であって、デッドウェイト・ロスは入れないというのが経済学の通常の考え方のようである。)

しかし、制度としては、余剰の再配分こそが重要であり、不当利得が誰に帰属すべきかに注目しなければならない。すなわち、生産者は自らの違法行為によって、この不当利得を得たのであるから、これを吐き出させることが社会的な正義に適うものであるといえよう※28

 

6-3 諸々の外部効果の考慮

しかし、上の6-2の議論は、市場均衡理論の枠内の議論であり、そこには違法行為のもたらす諸々の外部効果(=外部不経済)は視野に入っていない。

ここで外部効果とは、具体的には、前述(3-2)の「広義の社会的損失」として列挙した要素のうちの、第一から第三以外の要素がこれに当たるのであろう。これらを抜きにした社会的損失の算定は、競争制限行為の反社会的悪性の重要部分を看過することになり、少なくとも理論上は不十分であると思われる。

 

以下は、「法と経済学」を勉強しているある若手研究者とのメールのやりとりの一部である。

舟田:デッドウェイト・ロスよりもより広く、独禁法違反による事業者間の、またより広く関連事業者、政治家、行政との間の不明朗な関係は「外部効果」と言えますか? 経済学には、これについての立ち入った研究はないでしょうね。

某氏:いや、少なくともRonald Coarseに始まる、社会的な取引費用(transaction cost)に関する理論系譜の中にはそういったmoral hazardの問題も当然含まれますし、いわゆるprincipal-agent theoryと言われるものの応用は、そういった社会における諸関係から生ずる諸費用も考慮した上で、制度設計に関する一定のpolicy implication(政策的含意)を導き出す、というのがlaw & economicsの一般的思考方法だと思います。

ただし、そういった社会費用(外部不経済)を計量化するようなモデルは、恣意性が高すぎて、政策的含意として意味のあるものとは言えないので、せいぜい、言葉の上で叙述されるに過ぎませんが。

 

7.全体の「広義の社会的損失」の算定と、個々の行為者への配分

7-1 直接の取引のない事業者の扱い

シール談合課徴金納付命令審判事件(前注7)において、社会保険庁との直接の取引がない、したがって売上げのない事業者は、カルテルの参加者でありながら、課徴金は徴収されなかった。過去にも、多くの事件においても同様の処理がなされており、これが公取委の解釈・運用の仕方として定着してきている。

当該商品の売上げのない事業者には課徴金は賦課しないという運用は、「不当利得」の徴収という前提に立った現行法の解釈・運用としては、一定の合理性を有すると解される。

しかし、課徴金の趣旨の基本が違反行為の抑止であるとすれば、違反行為による直接の利得だけでは不十分のように思われる。

たとえば別の例で、四国ロードサービス(株)ほか3社に対する件 (平成14年(勧)第19号 、勧告審決平成14年12月4日)は、日本道路公団四国支社の保全工事の競争入札について、これまで受注を独占してきた四国ロードサービスの談合の勧誘に対し、中国地区において保全工事の受注実績を有する3社がこれに応じて、落札しないような「逃げ札」を出して、四国ロードサービスの独占的受注に協力した、という事件である。

 この場合も、中国地区3社は四国支社に対する売上げはないが、競争制限的行為に加担し、何らかの見返りを得たのであろう(おそらく、中国地区の道路公団の保全工事に四国ロードサービスが参入しないという地域分割)。

 前述のシール談合課徴金納付命令審判事件における日立情報も、下請によって一定の利得を得ていることは明らかである。これらの場合、売上げがない事業者が課徴金を賦課されないというのは、実質判断として妥当ではないように思われる。以下述べるように、利得ではなく、社会的損失と構成すれば、この点もクリアできるのではないか。

7-2 広義の社会的損失の総額の算定

本稿で説いている「広義の社会的損失」説によれば、「一定の取引分野における競争」が制限されたのであるから、当該取引分野や影響を被った関連産業分野における「広義の社会的損失」をまず算定し、それを個々の行為者にそれぞれの寄与分に応じて(すなわち、直接の取引の売上高に応じてではなく)配分する、という二段階の処理となる。

したがって、前記のシール談合事件を例に取れば、社会保険庁と直接の取引を行った事業者A,B,C,Eと、この取引はない事業者Dの4社の、当該シールに係る取引総額を課徴金算定の基礎とし、それを一定の算定式によって配分して、課徴金が賦課されるべきこととなる。これが影響を受けた「一定の取引分野」であり、取引段階が異なる事業者Dが含まれることになるが、例外的にこのような場合には取引段階が異なる事業者も含めて取引分野が成立していると見るべきである(参照、シール談合刑事事件判決(東京高裁判決平成15年4月2日)※29

この場合でも、取引段階が異なる事業者が行為者となる場合には重複賦課がおこる可能性はある。しかし、重複賦課部分を精算ないし調整する必要は必ずしもなく、各事業者の売上高に応じて社会的損失を与えているから、それぞれに一定割合を乗じた金額を徴収すべきであると言えないであろうか。

さらに、関連産業分野(たとえば当該商品の原材料、または当該商品を用いて製造・提供される商品)も当該談合の影響を被って価格が上昇したということが何らかの資料から合理的に推測されれば、これらの影響をも課徴金の算定の基礎に加えることができるとすべきである。この点は事柄の性質上厳密な立証を要求することはできないから、何らかの擬制を用いるか、当該談合が消滅した後の価格の下落についての資料等から推測することで足りるとするべきであろう。

上記の擬制としては、例えば、「広義の社会的損失」を、当該商品に係る売上高全体(産業の規模)の1割と見なし、これを行為者の間で、それらの売上高に応じて配分するということも考えられる。

米国の量刑ガイドラインでは、「基礎額」に非難可能性スコアを乗じるという方法であり、この「基礎額」は、(1)犯罪レベル罰金額表の金額、(2)違反行為によって得た利益(売上高の10%)、(3)違反行為によって与えた損害(売上高の20%)、のうちもっとも金額の高いもので、通常は、(3)が用いられるとのことである※30

日本の現行法では、不当利得は売上高の6%が原則とされているから、上の米国の算定方法を参考にすれば「広義の社会的損失」を売上高の10%とすることにも一応の理由があると考えられる。

それとも、売上高ではなく、当該事業に対応する総資産(多角経営をしている事業者も多いから、その場合にはこのような限定が必要になる)の3%などの算定方法があり得るか、今後の検討課題であろう※31

 なお、「広義の社会的損失」を売上高の10%とする案についての問題としては、第一に、利得であれば利益率等の統計資料があるので、それをもとにした不当利得額の擬制は一定の数字を基礎としたといえるのに対し、「広義の社会的損失」にはそのような統計資料が存在しないこと、第二に、こうして賦課する金額を上げれば、二重処罰に実質的に近づくという批判があり得ることであろう。これら2点は、既に本稿でふれたところから、いずれも課徴金の算定基礎を「広義の社会的損失」とすることについての決定的な障害になるとは考えられないが、大きな論点であることは否定できず、今後さらに議論がなされるべきであろう。

 

8.課徴金の対象となる違反行為を私的独占などへ広げる案

8-1 「対価に係る」という要件

 本部会第四回(2月18日)の会合では、以下では以下のような議論もあった(私の整理による)。

 「私的独占の要件である支配・排除行為には,多様なものがあり得る。このうち,『対価に係る』行為であれば,価格カルテル等と同様の競争制限効果があり,また,違反行為によって事業者は同様の経済的利得を獲得していると考えられる。したがって、この場合には,価格カルテル等と同様に課徴金の対象とすることが考えられるのではないか。」※32

しかし、「対価に係る」行為に限って課徴金を賦課するということは、前述の「広義の社会的損失」説からは疑問である。

「対価に係る」という要件は、日本経済全体が、長期間にわってインフレと恒常的な物価上昇に悩んでいた課徴金制度の立法時(昭和52年)の状況を反映している。しかし現在では、売上高、シェアや取引上の地位を維持する競争制限的行為がむしろ目立っている。したがって、私的独占違反事件においても、抑圧的な「支配」行為よりも、競争「排除」行為が多いのは当然ともいえる。そして、対価に直接働きかける競争制限行為のみならず、このような競争排除行為も、同じ反競争性を有していることはいうまでもない。

翻って考えれば、価格は市場全体における需要と供給の結果として決まることであり、あるいは個別の価格決定過程について考えても、それぞれの具体的な取引の一つの結果に過ぎない。独禁法上は、価格だけではなく、市場全体の需要や供給、あるいは個別の取引過程における(価格以外の)取引を制限すること自体も問題のはずである。

また、前述のように、不当利得としないで、広義の社会的損失を取り戻す(その重要部分は、不当利得であるが)とすれば、「対価に係る」という要件に限る理由もなくなる 。※33

 

8-2 行為要件の明確性

 価格カルテル以外の競争制限行為、すなわち私的独占や、「対価に係る」ことのない不当な取引制限にも課徴金を賦課することの最大の難関は、違反行為の具体的な行為類型を明確化することが困難である、という点にある。

金井・前掲は、この点から米国でいう「ハードコア・カルテル」に限って「制裁金」としての課徴金を賦課すべきであると主張する。ただし、同論文で比較している米国の場合は、日本の課徴金と違って刑事罰をかけるのであるから、構成要件「明確性」の要請は日本の場合よりも厳しくなることに注意すべきであろう。

また、米国との比較で重要な点は、第四回の部会議事録における泉水発言にあるように、米国でいう「ハードコア・カルテル」を日本では私的独占としている例が見られる、ということである。日本の独禁法における不当な取引制限の要件、特に「相互拘束」、「共同遂行」の解釈はかなり狭く、米国でハードコア・カルテルとなる行為も、日本の場合は私的独占に該当とする他はないという例が少なからず存在する。すなわち、米国で刑事罰の対象となる行為が、日本では課徴金の対象にもならない、ということである。

実体法上の要件に関する解釈・運用がある程度固まっているとすれば、不当な取引制限や私的独占などの実体法上の要件をどのように改正するかという立法論も、重要な課題であろう。ただし、解釈論で解決できるという説もあり※34 、この点も検討を要する。

 

8-3 課徴金の対象とすべき競争制限行為の類型

既に数年前から、課徴金の対象とすべき行為類型を、特に私的独占についても拡大すべきであるという意見が出されていた※35

私的独占にも課徴金を賦課すべき理由は、これらに説得的に述べられているので、ここでは繰り返さない。しかし、まだ具体的な提案はほとんどなされていないようであり、今後より綿密な議論が期待される。以下はその一つの叩き台として提示するものである。
 その際の基本的観点は、重大な違反行為であって,違反事業者が違反行為によって明らかに社会的損失をもたらすこととなるものとしては,どのような行為類型が考えられるか、ということである。
第一に、不当な取引制限については、事業者間の共同行為によって競争制限をもたらす行為であるから、原則として課徴金の対象とする。
 まず、不当な取引制限に当たる諸行為のうち、米国の反トラスト法における「ハードコア・カルテル」は、すべて対象とすべきである※36 。ここには、価格カルテルのほか、数量制限カルテル、市場分割カルテルないし取引先制限カルテル、共同ボイコットなどが含まれる※37

 なお、カルテルは通常は売り手側が行うものであるが、買い手が行う場合(いわゆる「購入カルテル」)も、これと同様に解すべきである。

むしろここでは、課徴金を賦課する対象から除外すべきカルテルを明示することが重要である。具体的には、技術制限は、「権利の行使」(独禁法21条)についての解釈上の問題があり、また技術制限と製品制限には、競争を促進すると認められる標準化、規格化との区別が難しい場合がある等の検討をすべきである。

詳論は割愛するが、技術カルテル、製品カルテル、設備投資カルテルなどは、必ず市場における競争に悪影響を与えるわけではなく、競争中立的ないし競争促進的なものもあり得る。すなわち、これらのカルテルについては、米国における「合理の原則」に近い考え方によって、個別に競争制限効果を見て「競争の実質的制限」をもたらすか否かを検討すべきである ※38

このような「非ハードコア・カルテル」の場合に、カルテル当事者は、その主観においては専ら経営合理的観点からカルテルを行い、その際、価格競争などは制限しないことから、当該カルテルの競争制限効果を看過するか、または誤ってそれを軽視したという事情があるかもしれない。その場合でも、「不当な取引制限」に当たるか否かは、主としてその客観的効果に着目して考えられるべきであり、上述のような場合であっても当該カルテルを行うという点(「相互拘束」または「共同遂行」という行為要件該当性)では故意であるから、独禁法違反と解すべきである。(ただし、刑事罰が問題になる場合には、故意には違法性の認識も含まれるという解釈もある。参照、石油カルテル刑事事件・東京高判昭和55年9月26日高裁刑集33巻5号359頁)

これに対し、課徴金を賦課すべきか否かという点では、この種のカルテルは、その意図が反競争的なもの以外である可能性があり、また上述のようにその競争制限効果も間接的または部分的な場合や、むしろ競争促進的な効果もある場合もあり得ることから、課徴金の対象から除外すべきであると考えられる。

第三に、私的独占に該当する事業者の単独行為のうち、手段自体が独禁法違反に当たる(具体的には不公正な取引方法に該当する)場合、あるいは、その行為要件に該当する(すなわち、公正競争阻害性=市場要件は別として)場合は、行為者も、自己の市場支配的地位(またはそれに近い地位)についての認識があり、かつその手段の反競争性を認識すべきであるから課徴金の対象にする、という考えはいかがであろうか。

特に、再販行為を手段とする私的独占についての議論であれば(例えば、野田醤油事件・東京高判昭和32年12月25日高民集10巻12号743頁)、上の主張は分かりやすく、受け入れやすいように思われる。再販行為は、不公正な取引方法の諸類型の中でも、「それ自体違法」とされるからである。

しかし、例えば、反トラスト法において従来は「それ自体違法」とされた「抱き合わせ」行為についての米国の判例や議論の展開に見られるように、行為要件に該当しても独禁法には違反しない手段であると判断される場合もあるから、上のように不公正な取引方法に当たる行為を手段とする場合は行為者もその違法性を認識すべきだと言えるかには疑問も残る。

更にましてや、行為要件に該当する(すなわち、公正競争阻害性=市場要件は別として)場合という限定は、拘束条件付取引に見られるように、あまりに行為要件が広いため、限定の機能さえ果たさないともいえるかもしれない。

したがって、この第三点は、現在のわが国における不公正な取引方法の解釈・運用の下では、再販を手段とする場合に限られるとするのが妥当とも思われる ※39

第四に、私的独占行為のうち、前述の第三に当たらない行為も、課徴金の対象とすべきであろうか。

本部会では、「対価に係る」私的独占の場合、および「非対価型の競争事業者排除行為」によって「何らかの経済的利得を得ている」場合を対象とすべきではないかという意見があった(以下、A案と呼ぶ)。

まず、上述の検討からも明らかなように、「対価に係る」(=対価型)と「非対価型」を区別して議論する必要はないであろう。対価型であろうとなかろうと、競争秩序を侵害する行為であることには変わりなく、この点で課徴金の賦課の有無を区別する理由はない、というのが原則であると思われるからである。

私的独占行為に課徴金を賦課すべきかという一般論のレベルでは、私的独占も、不当な取引制限と同一の要件である「競争の実質的制限」をもたらすのであるから、競争秩序の侵害という観点からは、価格カルテルと同様に課徴金を賦課すべきである。そして、私的独占行為に課徴金を賦課するべきであるのは、「何らかの経済的利得を得ている」からではなく、これまで述べてきたように、当該違法行為によって競争秩序の侵害、したがって社会的損失がもたらされているからである。

複数の事業者による競争制限だけ課徴金を賦課し、単独の私的独占行為には賦課しない、という制度はバランスが悪く、同一の法益侵害に対しては異なる扱いをすべきではない、というのが筋論であろう。なお、近時の見解の中に、「私的独占の手段が19条に当たる場合、私的独占規制を使うのは『カッコイイ』または『事件処理の社会的感銘力が大きい』からにすぎ」ない、という見方がある(泉水・前掲・法律時報71巻11号11頁を参照)。しかし、上述のこの筋論からは、これは排除措置ないし規制の実際の機能だけから見ただけの議論であって疑問である。

以上を前提としたとしても、同一の侵害行為でも、その行為の形態によって措置が異なることも十分あり得るという反論も予想される。その理由は、課徴金を賦課するには、要件の明確さが要請されるということであろう。

しかし、公取委の審決が下されて排除措置を受け、私法上のサンクション(損害賠償など)を受けるには、現在の構成要件(「支配」または「排除」)で問題ないとされているのに、課徴金を賦課するためには要件が不明確である、ということを余りに強調することには疑問もある。

また、私的独占の行為要件である「排除」・「支配」については、その用語の印象だけからは、あまりに広すぎるという懸念が生じるかもしれない。この点については、これまでも解釈論において限定ないし明確化が図られてきたし、今後もその努力が続けられるべきであろう。それと同時に、これまで私的独占についての判例や公取委の審決を見てみれば、私的独占に該当するとされた行為は、当該行為のなされた状況をもふまえれば、明白に反競争的、「不当な手段」と評価すべきものであると言えるものであるということも指摘してよいであろう。

もっとも、このように述べると、私的独占行為を課徴金対象に組み入れることによる弊害として、公取委は、明確性の要請を充たさなければならないというプレッシャーの下で、正式な手続き(審決)によって私的独占とすることに消極的になるおそれがある、ということが考えられる。これまでも、警告・注意という、法律上の明文の根拠のない、非公式な手続きが多用されることへの批判がなされてきたが、この傾向が加速されるのではないか、さらには不当な不問処分が増えるのではないか、という懸念である。

そこで、「不当な手段で排除」した場合に限る、という提案もある(A’案とでも呼ぶべきか)。この趣旨は、前掲の第三(再販を手段とする私的独占)に該当すれば課徴金の対象とするので、問題は、当該手段が、それ自体としては一義的には違法といえないが、独禁法ないし競争政策の観点から不当(=反競争的)と判断される行為の場合も課徴金の対象とするということである。これによって、当該行為の重大性によって対象を狭めるとともに、予測可能性も高めることができると考えられる。

また、排除が実際に行われた場合にのみ、課徴金を賦課するという案も考えられる(A”案)。「排除」とは、他の事業者の排除が実際に行われ、市場から退出した場合に限られず、その事業活動が困難になれば足りると解されている。しかし、課徴金賦課の要件としては、他の事業者を市場から退出させたという事実を加えるという説である。しかし、退出という決断それ自体は、当該事業者の経営判断によることであって、排除行為を行った事業者には関係ない様々な事情がかかわるから、この説の妥当性には疑問がある。

要件の明確性を端的に高めるためには、これまでの実際の運用例と全く異なり、事業者にとって不意打ちと考えられてもやむを得ないような行為については、裁量で課徴金を賦課しないということを許容する制度も考えられるであろう(B案)。これを具体化するためには、これまでの判決・審決で私的独占とされた行為を、ある程度一般化してガイドライン等で類型化する作業が必要となろう。

またこれとは異なり、私的独占の行為要件である「支配」・「排除」のうち、「排除」による私的独占の場合にだけ課徴金を賦課するという案も考えられる(C案)。「支配」と「排除」を比べると、「排除」の方が要件として明確であり、またそそ結果(または、その予測)も明確である。これに対し、他の事業者の支配は、子会社等に対する親会社の支配行為など、一般に多くみられる現象であり、その中で独禁法上の「支配」に当たるとするためには、行為者の市場における地位や市場全体の状況などを併せ考えなければならない。もっとも、これ自体は「排除」でも同じなのであるが、競争事業者がある市場から駆逐される、という点で分かり易いとはいえよう。

なお、「排除」は、競争行動の本来的機能であって、それとの区別が曖昧であるという批判が古くからなされてきた。しかし、他の事業者の排除は、本来、商品・役務をめぐる売り込みの結果として、すなわち買い手による商品・役務の選択によってもたらされる場合は独禁法の本来の趣旨に合致するが、それ以外の手段による排除は、もともと競争の趣旨から疑問である、ということも言えよう ※40

さらに、私的独占は、単独行為としても行われるが、「他の事業者と結合し、若しくは通謀」することによっても行われる。後者のタイプ(「結合的行為」)は、日本医療食協会事件やパチンコ特許プール事件などに見られるものであり、このタイプの私的独占行為は、カルテルと同様と扱っても、事業者にとって不意打ちとはならないと考えられる(D案)。共同ボイコットも当然この類型に含まれる(これは同時に不当な取引制限にも当たると解される)。

以上検討した論点のうち、少なくとも第一点と第二点については、課徴金の対象に含めるべきであるという結論を下すことができると考えられる。特に第一点のカルテルについては、かなりの範囲で現行法の解釈論によっても同一の結論を引き出すことが可能であるが、異論もあるであろうから、法改正によって明確にした方がよいであろう。これに対し、第三点の私的独占行為への拡大については、A案からD案まで提示してみたが、ここで結論を出すことは困難である。今後の議論の展開に期待したい。

また、諸外国との比較も重要であるが、この点は各国でかなり事情が異なるので慎重な検討が必要である。米国のように、「ハードコア・カルテル」に限って刑事罰をかけるという制度と、EU・ドイツのように私的独占に該当する行為まで制裁金を課す制度には、それぞれの制度の背景や行政庁のあり方から見てそれなりの合理性があると思われるが、日本の課徴金と多くの点で異なることは明白である。これらの比較研究についても、さらに慎重な議論が要請されよう。

〔以下、脚注〕


※1 これは本部会に提出されたものである。参照、http://www.jftc.go.jp/pressrelease/02.december/021224.pdf これは、その後、泉水「米国反トラスト法における刑罰減免制度」公正取引629号33頁以下(2003年)に収録された。

※2 これも、前注1にあるように、高橋「EU競争法における制裁金及びドイツGWBにおける過料の減免制度の目的と機能」公正取引629号42頁以下(2003年)に収録された。

※3 差し当たり、正田彬『全訂 独占禁止法・』(日本評論社、1980年)62頁、川井克倭『カルテルと課徴金』(日本経済新聞社、1985年)74頁以下等を参照。

※4 東京都水道メーター事件・勧告審決平成9年4月18日(審決集44巻221頁)において摘発されたのは、東京都のみであるが、千葉県,横浜市等でも価格が下がった。これは,どこか1箇所で談合があり,価格についての相場観が定まってしまうと,その効果が他の地域・他の類似商品にも波及していた結果であり,1箇所で摘発すると,それが崩れるということではないかと推測される。米国の量刑ガイドラインも,このような違法行為の波及する影響を勘案した広い意味での社会的損失を含めて,不当利得の2倍の額を量刑の基礎額としているものであるという意見がある。

※5 なお、独禁法の保護法益は、消費者価格に関わるカルテルの場合で言えば、「公正な競争によって形成された価格で商品を購入する利益」(鶴岡灯油事件第1審判決)であるが、これは単なる金銭的な利益だけではなく、公正かつ自由な市場において、商品を選択し、取引をすることができるというチャンスであり、これを「公正かつ自由な競争秩序の中で取引する自由」と呼ぶことができよう。カルテルなどの競争制限行為は、この意味での取引の自由を侵害しているのであり、金銭的な損害に止まらない性格のものであることに留意する必要がある。以上については、舟田「『公正な競争』の規範的意義(下)」公正取引424号40頁以下(1986年)、「消費者による石油価格カルテルの損害賠償請求」昭和60年度重要判例解説221頁以下(1986年)等を参照。

※6 正田・前注3『全訂 独占禁止法・』552頁。

※7 阿部泰隆「課徴金制度の法的設計」編集代表松田保彦ほか『国際化時代の行政と法』成田頼明退官記念(良書普及会、1993年)115頁以下を参照。なお、シール談合事件の課徴金納付命令審判事件における被審人の同様の主張をも参照(平成8年8月6日審決集43巻120頁参照)。

※8 もちろん、国は社会全体のために公費を支出するという建前があることは当然である。この点については、競争秩序回復のための特定財源とする方が筋が通ると考えられるが、一般財源とすることでも原状回復という性格を損なうものではないと考えられる。特定財源か一般財源かは、財政制度の観点からの考慮がまず必要であるからである。ドイツの環境賦課金の収入の使途につき、特定財源か一般財源かの議論があったことにつき、高橋信隆・岩崎恭彦「リスク制御手法としての環境賦課金」立教法学63号15頁以下(2003年)を参照。

※9 畠山武道「行政強制論の将来」公法研究58号169頁(1996年)、およびそこに引用されている諸文献を参照。

※10 行政法上の位置づけについては、曽谷俊文「経済的手法による強制」公法研究58号220頁以下(1996年)(特に、221頁以下の「Bタイプの課徴金」)、畠山・前注9「行政強制論の将来」、阿部泰隆・前注7「課徴金制度の法的設計」115頁以下、塩野宏『行政法・』(有斐閣、第三版、2003年)214頁以下、高橋信隆・岩崎恭彦・前注8・立教法学63号1頁以下(2003年)等を参照。

※11 例えば、金井貴嗣「独占禁止法違反に対する課徴金・刑事罰の制度設計」日本経済法学会年報22号17頁以下(2002年)。

※12 ラップ価格カルテル刑事事件判決(東京高裁判決平成5年5月21日高刑46巻2号108頁、審決集40巻731頁)では、量刑において「課徴金を課せられ納付していること」を諸事情の1つとして挙げている。なお、シール談合刑事事件判決(東京高裁判決平成15年4月2日高刑46巻3号322頁、審決集40巻776頁)でも、量刑において指名停止等の「相応の社会的制裁を受けていること」を考慮したとあるが、課徴金のことは明示されていない。

※13 「実質論としても」と述べたのは、刑罰と行政制裁金・行政上の措置(現行の課徴金)が法的性格を異にするという一般論だけではなく、実際に課される制裁を両者あわせ考慮して、あまりに過酷で「処罰」的であるか否かを判断するという意味である。参照、曽谷・前注10・公法研究58号227頁およびそこに所掲の諸文献を参照。

※14 詳しく述べているものとして、シール談合事件の課徴金納付命令審判事件についての審判官の意見(審決集43巻110頁以下、特に132頁以下)を参照。

※15 これについては、差し当たりジュリスト977号(1991年)所収の座談会・論文等を参照。

※16 当時の状況をよく表しているものとして、例えば、田尻宗昭『四日市・死の海と闘う』(岩波新書、1972年)、同『公害摘発最前線』(岩波新書、1980年)を参照。

※17 インサイダー取引についての社会一般の認識の変化も同様であり、これについては例えば、西田典之編『金融業務と刑事法』(有斐閣、1997)220頁以下参照。なお、上村達男「資本市場制度改革」ジュリスト1240号8頁以下、11頁以下(2003年)も参照。

※18 平林英勝「公的執行の役割と課題」日本経済法学会年報22号17頁以下(2002年)。

※19 独禁法違反行為が実質的に初めての刑事事件となった石油カルテル価格協定刑事事件では役員が有罪となったが、その後は告発自体がしばらくなかった。平成2年以降の事件でも,ストレッチフィルム事件,水道メーター事件やダクタイル事件では,役員も刑事罰を受けている。法務省の「犯罪白書」(平成12年度)によれば,平成元年以降で,合計13役員が刑事罰を受けた。ただし,全体の20%弱に過ぎず,証券取引法では,6割以上が役員であるのと対照的であるともいえる。

※20 古城誠「公取委エンフォースメントと私訴」日本経済法学会年報22号8頁(2002年)参照。

※21 私も法人それ自体の刑事責任をとらえるべきだと考えてきた(座談会「独占禁止法の刑事罰強化をめぐる問題」公正取引508号45頁(1993年)参照)。経済法学ではこの立場を取る者が多い。例えば、古城誠・前注20・日本経済法学会年報22号8頁、江口公典「独占禁止法上の従業員処罰について」公正取引622号38頁以下(2002年)等を参照。しかし、刑法学の考え方では、「法人に犯罪能力を認めるとしても、法人それ自体の行為というものはありえ」ないとされている(差し当たり参照、西田典之「独占禁止法と刑事罰」『岩波講座 現代の法6 現代社会と刑事法』(1998年)189頁以下、207頁)。

※22 議論の状況については、金井・前注11・日本経済法学会年報22号31頁以下、平林・前注18・日本経済法学会年報22号74頁以下等を参照。

※23 碓井光明「行政上の義務履行確保」公法研究58号137頁以下、145頁(1996年)。

※24 阿部・前注7「課徴金制度の法的設計」146頁。

※25 金井・前注11・日本経済法学会年報22号32頁参照。

※26 千本木修一ほか「課徴金の算定方法の選択とその効果」彦根論集332号67頁以下(2002年)、本部会に提示された小田切宏之ほか「措置体系見直しについての経済学的考察」・公取委ホームページ http://www.jftc.go.jp/pressrelease/03.february/03022402.pdfなどを参照。

※27 古城誠・前注20・日本経済法学会年報22号1頁以下、同「公正取引委員会の独禁法執行」ジュリスト1228号101頁以下、104頁以下(2002年)参照。

※28 このことは、以下のことと関連があるのかもしれない。「法と経済学」の議論においては、「分配の問題は効率性と分離して考え得るとするのが通常である」(川濱昇「『法と経済学』と法解釈の関係について」民商法雑誌108巻6号820頁以下、834頁以下(1993年))。本論文は、今日の時点においても上述の議論を検討する上で欠かせない重要な業績であると思われるが、私の理解力の制約からここでこれ以上検討することはできない。

※29 同判決については前注12参照。なお、根岸哲・舟田『独占禁止法概説』(有斐閣、2002年)136頁をも参照。

※30 金井・前注11・日本経済法学会年報22号29頁参照。

※31 これに対し、「独占禁止法研究会手続等関係部会報告書」(平成13年)では、「例えば、EUにおける制裁金のように違反行為者の事業活動全体による売上げを課徴金算定の基礎とすることも1案である」と述べる。違反行為者は、それぞれの企業規模を基礎として各事業活動を行っているという面もあるから、本文で述べたように当該事業に限るという必要はないとも考えられる。

※32 この点については、既に前注31「独占禁止法研究会手続等関係部会報告書」でも示唆されていた。

※33 私的独占について課徴金を課すこと自体に疑問を提示する議論もある。来生新「私的独占・独占的状態に対する措置」日本経済法学会編『独占禁止法講座 第2巻 独禁法の理論と展開・』233頁以下(2002年)およびそこに挙げられている文献を参照。

※34 正田・前注3『全訂 独占禁止法・』225頁以下等。

※35 前注31の「独占禁止法研究会手続等関係部会報告書」の他、川濱昇「私的独占の規制について」・後藤昇・鈴村興太郎編『日本の競争政策』(1999年)199頁以下、211頁、泉水文雄「私的独占規制の展開と課題」法律時報71巻11号10頁以下、15頁以下(1999年)、丹宗暁信・岸井大太郎『独占禁止手続法』(有斐閣、2002年)126頁(和田建夫執筆部分)など。

※36 「当然違法」とされるハードコア・カルテルの意義についてふれた最近の研究として、林秀弥「競争法における関連市場の画定基準(一)(二)−『一定の取引分野』をめぐる独禁法上の課題とその解決方法に向けて−」民商法雑誌126巻1号50頁(2002年)参照。

※37 市場シェア・カルテルも、市場分割カルテルの1変種であると捉えて良いと思われる。なお、価格カルテル以外のカルテルが課徴金の対象となったケースとしては、ダクタイル鋳鉄管事件がある(勧告審決平成11年4月22日・審決集46巻201頁。課徴金納付命令平成11年1月22日審決集46巻550頁。審判開始決定平成12年2月10日審決集46巻465頁。)。これはダクタイル鋳鉄管製造業者3社が平成8年度におけるダクタイル鋳鉄管直管の3社間の受注シェアを決定し,実際の受注シェアが当該決定したものとなるよう受注数量の調整を行う旨合意していたもので,明白な価格カルテルではない。その他、川重冷熱工業株式会社ほか大型吸収式冷凍製造業者4名に対する件・勧告審決昭和55年10月21日審決集27巻87頁もシェア協定の事例である。

※38 その他、営業方法、品質・規格、広告・表示などについてのカルテルがある。これらについての最近の研究として、矢部丈太郎「不当な取引制限概念の再構成」阪大法学50号693頁,721頁以下(2001年)以下参照。この点に関する最近の経済学の議論については、柳川範之・大東一郎「カルテル規制」後藤晃・鈴木興太郎編『日本の競争政策』(東京大学出版会、1999年)71頁以下、80頁以下等を参照。

※39 矢部・前注38阪大法学50号733頁は、再販行為それ自体を課徴金の対象とすることを示唆する。

※40 詳しくは、川濱「独占禁止法2条5項(私的独占)の再検討」『京都大学百周年記念論文集 第2巻』323頁以下、354頁


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  「独禁法違反行為に対する刑事罰強化の必要性」          2001年11月

 先日、私のこのホームページを見た若い研究者から、ここには経済刑法、特に独禁法違反行為に対する刑事罰についての欄がありませんね、との指摘がありました。
 たしかに、経済法、特に独禁法に関する制裁の1つとして、刑事罰を活用すべきか等については、過去に座談会などで議論したことはありますが、まだまとまった論文は書いていません。
 わずかに、岩村修二・加藤秀樹・金子晃・芝原邦爾・西田典之・舟田正之「座談会 独占禁止法の刑事罰強化をめぐる問題」公正取引508号38頁以下(1993年2月号)がある程度です。

 以下は、私の研究メモの一部です。

 特に、後記の5の防衛庁石油製品談合事件では、起訴された実行者(若手社員)に対する制裁が社会的に見て、あまりに酷であり、他方で、当該談合によって事業を行ってきた会社・経営者に対して甘すぎるのではないか、という素朴な疑問があります。

 ご指摘をなさった方も含め、刑法の研究者が、経済事犯への真摯な対応を研究されることを期待しています。

1. 法人の犯罪能力

   最高裁判決・昭和40・3・26刑集19巻2号83頁

   1 法人自身の過失行為を認め、犯罪能力を肯定した。
   2 法人の機関による選任監督の注意義務違反の推定。
    本判決を前提に、独禁法95条は、過失責任と解する者もあるが、無過失を主張して責任を免れることを許す理由はなく、
    「結果責任」を定めた特別規定と解すべきである(正田『全訂 独占禁止法』U669頁)。

2. 法人の犯罪は、実際には誰によってどのように行われると認定すべきか?

  第一説−−法人の機関によって行われた場合は、「法人の行為」であり、それ以外の場合は「監督責任」
  第二説−−「業務につき重要な決定権を与えられた高級職員」の行為を「法人の行為」とする。
  第三説−−従業員のすべてについて、一定の場合、「法人の行為」とする。 判例・通説は、第三説。
 しかし、これは日本の企業の職務遂行システムと乖離しており、第二説をとるべき。
 なお、これとは別に、独禁法95条の2の定める代表取締役の責任は、監督責任と解すべきである。

3.刑事罰の峻厳性

 独禁法違反行為は、当該産業あるいはより広く社会全体の競争制度の機能を損ない、ある意味では個人の財産に対する罪(窃盗罪など)よりも、法益侵害は著しいと考えられる。
 談合罪や収賄罪も、個人の不当な利得を否定する規定であるが、これよりもより公益侵害が悪質である、とも思われる。いわゆる「組織ぐるみ」の犯罪が蔓延するような企業社会から、はやく脱しなければならないことは言うまでもない。
 たしかに、戦時中、あるいは敗戦直後の経済統制法に違反した者に対する刑事罰は、今日の倫理観からすれば疑問が多いが、独禁法違反、あるいは証券取引法(たとえば、インサイダー取引)違反など、経済秩序・競争秩序を否定するような行為は、刑事罰によって、強力な抑止効果を期待すべきである。

 企業のトップも、自分が刑事罰を受ける可能性があると認識すれば、安易に談合などを放置できなくなろう。
 他方で、独禁法違反行為と税法(脱税)・証取法とを比較すると、日本の世間の見方、犯罪としての成熟度としては後者の方が一般には刑事罰の峻厳性に見合う悪性を有しているという意識が多いのであろうことは認めざるを得ないかもしれない。
しかし、米国などで独禁法違反によって日本人・日本企業が厳しい刑罰を課される実例も増えてきており、世間の見方も徐々に変わりつつあるとも思われる。
また、犯罪としての悪性の実態も、自由競争経済体制を標榜し、それを基礎に各種の制度と運用、企業活動がなされていることから、反競争的な行為は証取法等と同様の反社会的な悪性を有しているのであり、この認識がひろまることが必要であると思われる。

4.独禁法の刑事罰関係の規定、検察庁との関係の整備

 以上の認識を前提とすると、犯罪捜査権をもつ検察庁による事実の解明能力と、公取委による調査のための強制処分の違い(独禁法46条4項参照)があり、これをどう理解するか、このままで刑事罰を強化することには困難があるとの指摘があります。
実際の法解釈ないし運用・執行のレベルでも、検察庁の独禁法違反行為の重大性に対する認識が不十分ではないか、また、公取委の調査の効果等に対する裁判所の評価が低すぎるのではないか(実際には、過重な立証責任が要求されているなどの指摘がある)、のなどの問題がある。
 さらに、課徴金制度はかなり高額に上るから、これで足りるという意見もあるが、課徴金は価格カルテル(談合もこれに当たる)にしか適用されず、審決等において違反はないと頑張る間は課徴金はとれないため、責任をとらされる経営者は最後まで違反はないと言い続ける方が得になる等の制度の不備が放置されている。

5.談合行為者が有罪とされた場合の会社の対応

 多くの場合、談合システムは古くから出来上がっており、実行者は末端の若手(役職もない)。
 談合の実行行為者は、石油元売り各社の若手社員(30歳前後)が多く、仮に有罪判決が下りて刑事罰を受けると、かれらは「前科者」となって、一生会社が面倒を見るつまり「飼い殺し」になることが多いと推測されている。
 しかし、防衛庁石油製品談合事件では、新しい展開が見られた。
 コスモ石油株式会社ほか10社が、防衛庁調達実施本部発注に係るガソリン,軽油,灯油,重油及び航空タービン燃料の指名競争入札で談合したとして、公取委は独禁法3条違反で審査中。公取委は検事総長に告発(89条1項 1号)。これを受けて、検察は上記11社等を起訴(現在、刑事裁判が継続中)。

 本件では、驚くべきことに、ある被告会社の被告人は会社から懲戒解雇された。会社側は、社内で独禁法遵守のマニュアルを配布してあるから、本件行為は当該被告人の個人的責任であるという理由によるようであるが、これは妥当か。
実態は「会社ぐるみ」の組織犯罪ではなかったか?しかし、当該マニュアルがあり、会社の方針として談合による受注活動を組織的に行っていたことを示す明確な文書はないであろうから、この点の立証は困難であろう。

 また、この会社側の措置が通るとなると、独禁法遵守マニュアルの配布は、会社の免罪符として機能していることになる。
 いずれにせよ、末端の若手を実行行為者として刑罰を課すことの不合理性がより顕著になりつつあり、前述(2)の「業務につき重要な決定権を与えられた高級職員」の行為を法人の行為とし、取締役クラスを刑事罰の対象とすべきであるとの意見が有力に説かれている。検察庁も、若手社員をとらえて「トカゲのシッポ切り」を許さないような法適用が要請されていると思われる。

 





「いわゆる『リストラ』と日本的経営」

1.リストラの本来的意義

リストラクチャリングは、もともとは、個別の企業が展開している諸事業・諸商品 ミックスの変更・統合・再編・撤退、特定事業部門の分離独立、成長事業分野の新規事業化などにより、自社の事業構造を再構築しようとする企業行動を指している 。*

* 例えば、1987年に行われた公正取引委員会による「リストラクチャリングの実態調査」(公正取引委員会事務局「リストラクチャリングの実態について」(社)日本経済調査協議会、1989年)所収)参照。

したがって、この意味でのリストラクチャリングは、「経営の多角化」、商品のラインアップを揃える戦略、多店舗展開などを推進してきた大企業に特有の課題である。単品生産に近いメーカー、多店舗展開をしていない販売業者にとって、上述の狭義のリストラクチャリングはあり得ないことになる。もっとも、ある程度の規模の企業は、何らかの意味で複数の事業部門、複数の商品をもっているから、程度の 差はあれ、リストラクチャリングの可能性を持っていると言えよう。

2.日本の大企業にとってのリストラ

(1) 日本の企業にとって、これが目新しい経営方法と写るのは、特に不採算事 業部門の撤退を積極的に推進すべきだとする点にあると思われる。
何故なら、第一に、日本のほとんどの大企業は、成長第一主義、シェア獲得至上主義であり、売上高を伸ばすこと自体が経営目標であったから、一部であれ事業部門を閉鎖し、撤退することには消極的であった。「大きいことはいいことだ」という素朴な信念があったわけである。もっとも、これは単なる信仰ではなく、企業規模が大きいと、社会的認知が高まり商品に対する信頼も得ることが容易であり(「あの大企業が売る商品だから良いものだろう」という、これも「信仰」)、さらに企業規模が大きいことは取引量も膨大であるため、取引の相手方(例えば、原材料の供給者、下請け事業者など)に対して、有利な取引条件を押しつけることができるという点で、実際上の利点もある。

なお、このような素朴な「規模の利益」信仰、シェア第一主義は、欧米の大企業が、利益第一主義であることと対照的であると言われる。実際、日本の多くの大企業は、ひたすら規模の拡大を求めてきた結果、利益率は必ずしも良くない。巨艦と称される日立の悲劇はその象徴である。

第二にまた、これは、多くの場合、当該(失敗した)事業部門を開始した経営責任を問われることにもつながることを、経営者が警戒するという事情もある。

第三に、日本の大企業の特徴として、長期的経営戦略を重視し、短期的には赤字であっても将来のためにそれを甘受するという傾向が強いとされており、これも不採算部門からの撤退を渋らせる原因となることも多い。

(2)リストラへの「横並び」転換

これらの日本の大企業の特徴は、戦後からほとんど一貫して成長過程にあった場合には、よい方向に機能してきたということも指摘されている。しかし、いわゆるバブルがはじけて、長期的不況の中では、上述のような企業行動様式は放棄せざるを得ないことになる。

その背景に、上述の第一点から第三点で述べた日本企業に特有の事情が変わったのか、という問題があるが、基本的にはこれらには変化はないようにも思われる。それほど、近年の不況は深刻であるということであろう。

そこで、日本の大企業も、数年前から不採算事業部門の撤退・縮小を積極的に推進する傾向にあるが、そこで不要になった被用者を配置転換させるのは容易なことではない。成長部門がそうあるわけではなく、また特に転換が困難な中高年労働者はいわゆる「肩たたき」(=勧告推奨退職)を強いられることになる。

現在では、リストラクチャリングの本来の意義である書事業部門の再編成に限らず、企業がコストを切り下げるためにもっとも効果的(てっとりばやい)な首切り( =解雇)を組織的に推進することを「リストラ」と呼ぶことが多いようである。

いわゆる「日本的経営」とは、終身雇用、年功序列賃金、企業内組合(「三種の神器」と呼ばれる)をキーワードとし、例えば1970年のOECD調査は、このような日本型経営システムが高度成長の基本的要因であると分析し、このような見方は、これまで広く受け入れられてきた。*

* 例えば、吉田和男『日本型経営システムの功罪』(東洋経済新報社、1993年)参照。この種の研究文献は無数にあるが、差し当たり、青木昌彦・小池和男・中谷巌『日本企業の経済学』(TBSブリタニカ、1986年)は、経営学ではなく、経済学の観点からの分析として興味深い。

「生首は切らない」、「賃金切り下げはしない」のが経営者の腕であり、経営にに敵対的な労働組合運動が下火になった原因であるが、この「日本的経営」の原則がなし崩し的に消失しつつある中、当然ながら日本の企業と労働者の関係には深刻な変化が見られる。

補遺

何故、首切りをするようになったか。以前は、「解雇の自由」という法的な解釈がありながら、実際には「経営上の理由による解雇」は、少なくとも中堅企業以上ではほとんどなかった。ここには、法的制度と実務の乖離という興味ある現象が見られたのであるが、これは経営上の理由による解雇は、経営の失敗と見なされ、経営者の責任問題だったという事情がある。

しかし、不況が長引き、不要な人員整理が経営者の腕の見せ所と見なされるようになると、正面からの「経営上の理由による解雇」も少なからず行われ、また、そうでなくとも、それ以前から一般化していた推奨勧告退職制度を背景に、事実上は強制的な勧告退職が増えだしたと見ることができる。

3.「デフレスパイラル」から脱出できるか?

 ここから生じる多くの問題は、さておくとして、ここでは二点指摘しておく。

第一は、ここから生じている雇用不安、あるいはより広く被用者の将来の生活への不安と、いわゆる「デフレスパイラル」との関係である。不況の原因は、消費が落ち込んでいて、企業の投資意欲が殺がれたままということにあるが、何故消費が落ち込んだままか?

答は簡単であり、いつ首切りになるか分からない、賃金も上がらないという状況では、なるべく倹約・節約しようという消費行動が大勢となる。そうすると、企業の販売量も減少し、価格もずるずる下落を続ける。その結果は、さらなるリストラで ーーー、という悪循環(=デフレスパイラル)に陥っているわけである。*

* この種の議論も数多くなされているが、例えば、金子勝「『自己責任』が 生む悪循環 セーフティネットの再構築を」朝日新聞99年1月7日付け夕刊参照。

政府は、この対策として、財政改革を一時凍結し、財政支出を大幅に増やし、減税を実施し、さらには(馬鹿げた発想が実現してしまった例として後世に残るであろうが)地域振興券まで実施したが、全く効果はない。

それほど財産がない大多数の庶民にとって、老後の生活の保障がなく、また、万一大病や大事故に出会うと悲惨な結果になる現在の日本の状況では、つつましく(数年前には「清貧」という言葉がはやったね)生活する他はない、というのが合理的な生活設計であろう。これに満足しない多くの人々が、「自己破産」への道を歩んでいることも周知の通りである。

広い意味での社会保障を充実させることが、一時的には財政悪化を更に進めるとしても、結局は豊かな社会への近道であると思われる。(この点は更に多くの論点があるが省略)

4. 産業再生法案について

政府が現在検討中の「産業活力再生特別措置法」案の基本は、企業のリストラを促進させるために、企業が「得意分野」を選択し、経営資源を集中する計画を提示すれば(上述のリストラである)、税の減免など各種の優遇措置を与える、というものである。(例えば、日経新聞99年7月13日付け朝刊参照。)

これに対し、例えば日経新聞99年7月16日付け朝刊の社説「産業再生で最良行政の再生は困る」は、「事業再構築は企業の自己責任で進めるのがスジだ」、「役所の最良が働き、役所の意に添わない事業再構築が阻まれたり、ゆがめられたりする恐れがある」と批判する。

法案の詳細が分からないので、その仕組みが妥当かどうかはここでは判断できないが、少なくとも、上の社説もかなり一方的なものではないか。「事業再構築は企業の自己責任で進めるのがスジだ」と言うなら、何故、リストラを進める特定の企業だけ公的な優遇措置を与えられるのか。「自己責任」は、利益も損失も自分で引き受けるのでなければならないはずである。特定の企業だけ公的な優遇措置を与えられるということは、その他の納税者の不利益になることはいうまでもない。

公的な補助を受ける以上は、公的な監視を受けるのがスジである。
例えば、銀行の「貸し渋り」を防止するために公的資金が各金融機関にばらまかれたが、「貸し渋り」は減らず、各金融機関は自己の財務体質の改善を図ったに過ぎない、ということは政府自身も認めたことであり、同じようなことをここでも繰り返すべきだというのであろうか。

日経新聞及び産業界は、優遇措置はなるべく厚く与えてくれ、しかし、政府・国民は口は挟まず、自由に経営させてくれ、という主張であろうが、日本の納税者は、このような「金は出すが、口は出さない」太っ腹な人ばかりであろうか。

* 通産省の産業調整政策には、長い歴史があり、本法もその延長上にあると見ることができる。例えば、小宮隆太郎・横堀恵一「1980年代の日本の産業政策」・鴨武彦・伊藤元重・石黒一憲『リーディングス 国際政治経済システム』第一巻( 有斐閣、一九九七年)162頁以下参照。

 


「医療サービス競争?」についての最近の動き

 

99年7月1日、医療審議会は、カルテの開示につき、賛成と反対の両論併記の中間報告を答申しました(同日付けの各紙を参照)。

他方で、厚生省は、インターネットのホームページにおける医療機関の広告・情報提供等が広がる中、広告規制の大幅緩和を決定とのこと。(「病院がホームページネットで揺らぐ広告規制」日経新聞99年5月10日付け)

ここには、事業者(医療機関)の自主的な情報開示、広告なら広く認め、開示の義務づけにつながるような規制には慎重という、「規制緩和論」の一般的傾向が滑稽なほど明白に出ています(もっとも、カルテ開示については、自主的な開示も強制的開示につながるということで反対が強い)。

消費者(=患者)の観点からの主張は弱く、無視されがちであり、これも近年の「規制緩和論」の一般的傾向と同じです。

一般に、「情報公開」は、当事者の自主的な情報公開、一定の事項についての法的な開示義務づけ、そして他者からの開示請求に応じる義務(逆に言えば、開示請求権を一定の範囲で認めること)の3つの意味があり、前二者だけでは、当事者に都合の良い情報だけが開示されるにとどまる危険性が強い。

ここまで書いて、今日(7月7日)の朝日新聞朝刊を見ると、「ETV特集 情報公開・カルテ公開」で「わが子を亡くした母親がカルテを見せてほしいと訴える姿ムムム」の紹介があった。これは見逃して残念。

なお、一般の商品広告にも同じことが言えますが、商品広告については、第二の法的な開示義務づけ(特に、何が危険かなどの「不利益表示」の義務づけ)も、不十分なままであることは周知の通りです。最近、テレビも見られるパソコンという宣伝に乗せられて、どんな映像かをメーカーに電話で問い合わせたところ、8インチサイズなら問題ないが、それ以上拡大すると画質が劣化するとのこと。

担当者いわく、「パソコンはテレビじゃないですからね」、オイオイ、そんなら今頃ことさら「テレビも見られるパソコン」なんて宣伝をしないでくれよ!

これは「不利益表示」かどうか、限界事例でしょうが、消費者にとっては必要な情報には違いありませんから、「8インチサイズなら問題ないが、それ以上拡大すると画質が劣化する」と明記すべきでしょう。

詳しいパンフレットにもその旨の断り書きはないし、メーカーの相談窓口はいつも話し中で、ようやくつながって上のことを聞き出した次第。

またまた、怒ることが続いています。





「電気事業法改正後の『託送』と料金制度」

平成11年、電気事業法改正が成立した。その要点は、第一に、電力会社以外の供給者が大口の需要家に対し、電気の小売をなすことを可能としたことにある。需要家そのために電力会社が保有する送電ネットワークを新規参入者が利用できるように、小売託送の制度を創設したこと、第二に、この自由化の対象とならない需要家に関する料金規制を、現行の認可制から、料金引き下げなど需要家の利益になるような場合には、届出による変更で足りるとしたことにある。

この改正は、発電部門への競争原理の導入を図った平成7年の改正に次ぐものであり、その直接の契機は平成9年の春頃から電力料金の内外格差が問題とされたことにある。当時の通産大臣により9電力会社のさらなる経営効率化を図るため、垂直分離、すなわち発電・送電・配電の各部門の分割までも検討するとの談話が出され、これらを受けて電気事業審議会における議論が開始され、本年1月21日付けで同審議会・基本政策部会報告及び同・料金制度部会中間報告が公表された(通産省のホームページ、あるいは電力新報社編『電力構造改革 供給システム編』・『電力構造改革 料金制度編』同社、1999年)を参照)。

これらをうけて、今国会に前記法改正案が提出され、可決成立した。

しかし、この改正法は制度の枠組みだけを示しており、その詳細な制度設計、運用のあり方については、同審議会の基本政策部会・料金制度部会の下に合同小委員会を設置し、さらにその下に「適正取引ワーキンググループ」と「料金ワーキンググループ」を置いて、この3月から検討が始まった。

以下は、上記の合同小委員会に委員として参加し、議論を重ねる中で、各委員のペーパーの1つとして、私が提出したものである。このペーパーの特徴は、第一に、私が以前より電気通信における「接続」問題にかかわってきたこと、また専攻が独禁法を中心とする経済法学であることから、電気事業法と独禁法との比較・対比ないしそれらとの整合性を念頭に置いたものであること、第二に、この合同小委員会における議論の進行の中で書いたものであるので、議論の進行に合わせた書きぶりになっていることである。例えば、冒頭には「1.会計と料金算定」とあるが、これは合同小委員会において、電力会社から、過去の会計データをもとに、託送部分を括りだして託送料金を算定した報告がなされたことをうけたものである(本ペーパー3.(1)で、東電案として述べている)。

このペーパーを書くにあたっては、多くの方から直接あるいはEメール等でご教示を頂いた。ここに厚くお礼を申し上げる。それらについても、近いうちに、よく整理した上でこのホームページに掲載したいと考えている。

 

電気事業法改正後の「自由化部門」に関する託送・料金制度のあり方について

                             舟田 正之

                                99/5/15

1.会計と料金算定

 会計制度の問題と、託送料金の算定方法は、もちろん相互に関連すべきではあるが、言うまでもなく論理的には別である。会計は、各会計年度に託送等の取引が終わったあとで、それを一定のルールによって整理して表し、また、それを次の託送料金に反映させるためのものであり、社会的説得力、透明性という点でも重要であるが、その静態的特質をふまえて競争の動態的展開をおさえるような設定をしないように留意すべきである。

 当然のことながら、競争が有効に機能していれば、事業者が会計データから料金を算定し、それをそのまま取引条件として設定することはあり得ず、料金は競争の中で決定されるものである。逆に、会計データから算定され設定された料金が実効性を持って市場で通用するとすれば、その市場では競争が十分働いていないことを意味する。

 託送サービスの基盤である送配電網では、競争がほとんどあり得ないから会計から料金を算定する他はないが、冒頭に述べた会計と料金の関係をふまえ、以下の諸点に留意する必要がある。

 第一に、(これは今回の合同小委員会の課題ではないが)、託送以外の代替的手段をなるべく生かし、競争を可能な限り促進するような政策が望まれる。すなわち、立法論として、託送以外の小売供給の手段、例えば、現行法の「特定供給」の制限を緩和することや、改正法(2条1項7号)では想定されていないことであるが、新規参入事業者(以下、IPPと略記)が自前でユーザーまでの送配電網(の一部)を設置することを認めるなどを検討すべきであろう(IPPとなることを計画している事業者から同種の要望が出されている)。なお、これは、電気通信事業に関する制度がこれまで辿ってきた道でもある。

 第二に、一般電気事業者の託送サービスについて会計データから算定された料金は、適正なコスト回収を保障し、同時に超過利潤を防止するために、託送サービスの総収入と総費用によって枠づけられるが、その枠の中での料金構成にはかなりの幅で政策的な自由を認めてよいと考えられる。公益事業料金論の用語で言えば、会計によって全体の「料金水準」は決まるとしても、その中における「料金体系」にはかなりの工夫の余地があるということである。

 第三に、会計データから算定された料金は、託送サービスの総収入と総費用によって枠づけられるということの意味は、かなり限定的に解される。後述のように、確定された会計データは過去の会計年度のものであり、それが当該年度(あるいは次年度)の託送料金を直ちに決定するべきものではない。また、公正報酬率規制の場合は、あくまでも将来の総原価と総収入の予想に基づくものであり、これは実現された託送にかかわる実際の会計データと異なるのは当然である。

 以上のことから、第一回目の会議での南部発言にあったように、あまりに会計の議論にとらわれて、効率化へのインセンティブ、競争の導入という政策的観点が二次的になっては本末転倒である。八田委員の潮流を組み込んだ託送料金の提案も、この観点から積極的に取り入れるべきであろう。

 

2.託送・接続に関する電気事業法と電気通信事業法の比較

(1) 託送料金に関する2原則

 電気事業審議会基本政策部会報告(平成11年1月21日)によれば、託送料金につき、第一に、託送コストの公正回収原則、第2に、事業者間公平の原則、と記述されている。これに対応する改正電気事業法24条の4を見てみると、第一原則は3項1号がこれに相当するが、第2原則は同項2号・5号がわずかに(より一般的な不当差別の禁止であるから)関係するもののようである。

 このように改正電気事業法において第2原則が明確化されていないことは、電気通信事業法の場合、会計に関し、特別の会計制度を要求していること(同法38条の2第9項)、事業者間公平の原則に相当する規定(同条3項3号)が明示されていることと対照的である。

 なお、電力会社のプレゼン(第二回資料11,12頁)では、「お客さま」として、エンドユーザーと託送依頼者であるIPPを区別していず、後者は「特高のお客さま」に置き換えてとらえられている。したがって第2原則も、すべての「お客さま」の公平の問題のように読める。しかし、第2原則は、特に電力会社とIPPとの間の公平の問題としても捉えるべきである。(そうでないと、両者の間の公正な競争が制度的に担保されたことにならない)

(2) 接続会計の2方式

 電気通信事業において接続会計制度が導入された理由は、「指定電気通信設備」(NTTの地域通信のための電気通信設備)の管理部門と利用部門の会計を分離し、指定設備の利用条件を、NTTの指定設備利用部門とNCC(新規参入事業者)との間で同一にすることにある。(「接続の基本的ルールの在り方について」電気通信審議会答申(平成8年)第3節2参照)

 接続会計の在り方に関する討論の初期の段階においては、接続役務とユーザー役務(非接続役務)との会計分離(米国方式)と、卸部門(指定設備管理部門)と小売部門(指定設備利用部門)との会計分離(英国方式)とが議論され、最終段階においては後者(英国方式)が採用された。その理由は、公正競争の促進において、不可欠設備である指定設備の提供条件がNTTの指定設備利用部門とNCCとの間で同一になることを確認するためには、米国方式では無理であり、英国方式がその役割を果たし得るからと説明されている。

 また、電話役務損益明細表(電気通信事業会計規則別表第2様式第23)が改正され、接続役務を括り出すことにより、サービス間のクロスサブのチェックのための情報提供が可能になっている。

 英国方式は、独占分野の不可欠設備を競争分野へ提供する際の条件の同一性を確保し、公正競争を促進しようとする目的にかなうのに対し、米国方式は不可欠設備を有する事業者におけるサービス間(主として、独占分野から競争分野への、例えば基本電話サービスから高度サービスへの)の内部相互補助を監視し、ユーザ料金の適正性を担保する目的にかなっていると考えられる。

(3)競争者間の公平性

 電気事業においても、電気事業への公正競争の導入、ひいては電力消費者の利便向上のためには、送電線を管理する部門が、送電線管理部門を有する電力会社の発電・大口・小口電力配電部門(すなわち、電力会社の利用部門)とIPPとを同一の取引条件で扱うことが必要である。

 しかし、改正法が既に示唆しているように、接続会計に相当する特別の会計分離を行わず、また電力会社と新規参入電力会社の間の公平を直接担保する制度を作らずに、現行の電気事業会計制度をそのまま利用して託送制度を作ることも、あり得る選択肢であろう。

 電気事業の場合と異なり、電気通信事業においては、地域通信分野における前記の不可欠設備の存在がありながら、ユーザーに向けた競争がほぼ全面的に行われており、ユーザー料金は原則自由化され、また、ユーザーとの取引関係と事業者間の接続等の取引関係は切り離されて制度化されている。そこでの事業者間の接続料は、いわば「卸料金」(キャリアーズ・レート)であり、これとユーザー料金の算定方式が異なることは自明の理である。

 これに対し、電気事業においては、発電部門における競争が一部導入されているが、電気通信の場合のような競争の全面化の状況にはなく、したがって自由化部門と非自由化部門との公平性が強く要請され、改正法において両部門間のクロサブ防止が最優先される規定ぶりになっていることにも、それなりの理由があると思われる(改正法24条の4第3項の1号と2号を比較されたい。前記の第1原則の優位性とも呼べよう)。

 ただし、この前提に立つとしても、前記の第二原則、すなわち電力会社と新規参入電力会社が託送部門の利用について同一条件を享受し得るような、何らかの制度的工夫、あるいは、それを検証できるような仕組みが要請されるのではないか。

(4)接続に関する会計制度

 この制度として、これまでの議論では、現在の電気事業会計から託送コストを括りだす配賦ルールを設定し、そこではABC会計制度の考え方を用いることが提案されている。

 しかし、第一に、そもそも会計制度は、その情報提供の相手方の区別ないし情報公開の目的という観点からは、以下の3種に分かれる。

 その第1は、利用者(ユーザー)のための会計制度である。この種の会計情報を利用者一般に公開することにより、利用者料金等の適法性・妥当性を検証し、公益事業者としての「説明責任」を果たすための会計情報公開として捉えられる。

 第2は、直接的には競争事業者のため、またそれらと既存事業者の間の競争を通じて最終的には利用者のためになる会計制度である。これは、競争者(これには潜在的競争者も含まれる)に対し、既存の事業者のコストと収益を開示させ、公正・適正な託送料金を実現し、競争者の事業計画に資することを通じて、公正な競争を促進することにつながる。

 第3は、株主・投資家のための会計制度であり、これには証券取引法上のディスクロージャーと商法上の諸制度がある。しかし、商法に基づく貸借対照表、損益計算書、前2者の附属明細表、及び証券取引法に基づく有価証券報告書において表される区分経理では、共通経費の配分が十分明確には行われていないこと等から、今後より一層いわゆるセグメント会計を精緻なものにする方向に改善されるべき点が多いと主張されていることは周知の通りである。

 現行の電気事業会計規則は、第1の目的のものであるが、第3に代替されることになっている。これは、第3の会計よりも、同規則に基づく会計の方がより精密なものであるから、ということであろう。

 これを第2の目的にも利用しようということが提案されている訳であるが、基本的な目的が異なるこれら3種類の会計を1つのもので済ませることでよいか検討の余地があるのではないかとも思われるが、私の専門外のことでもあり、ここではこれ以上立ち入らないこととする。(なお、電気通信事業において、第2の会計制度を特に創設する必要性があるとされたことについては、前記審議会答申第3節1を参照)

(5)ABC手法

 また第二に、電気通信事業にける接続会計では、上記の会計分離に加え、共通費(製造間接費)の配賦を精緻にするためABC手法の採用、接続料原価の範囲の精査(例.営業費や純粋基礎研究費の除外)、及び機能毎にアンバンドルした費用の把握が同時に行われている。

 これは、被規制企業と規制行政庁の双方にとって大変な作業であるが、それにもかかわらずその有効性には限界があることも一般の理解となっている。ABC手法は、接続会計のみならず、従前の事業部収支ないし部門別収支にも応用可能な手法であるが、接続条件の同一性の担保という点で事業部収支は不十分であることから、共通費配賦方法の一つに過ぎないABC手法を仮りに事業部収支に適用したところでその効果は疑問視されると考えられる。

 そこで電気通信における接続料金については、長期増分費用方式、その中でも特にボトムアップモデルの検討が進められている。英国において、世界に先駆けて長期増分費用方式が採用されたのは、ABC手法を用いた会計分離ですら限界があるとの認識に起因している。即ち、ABC手法は所詮歴史的原価の配賦方法を精緻にするだけであるから効率化を加味することはできないこと、またABC手法によっても共通費の配賦の恣意性を完全には払拭できないことがその限界とされている。

(6)既存の会計制度の活用

 上の議論に対しては、以下のような議論もあろう。すなわち、現在でも電気事業は電気通信に比べて相当詳しい会計整理を行っているので、これと毎年の仮想託送収入、つまり託送料金収入+自社送電電力の託送料金計算値のバランスを見れば、著しくギャップがあるかどうかは今の制度でも一目瞭然である。現在の電気事業会計をベースとしてABC方式を導入し、非自由化部分との会計バランスの問題を含めて、これを生かしていくことが現実的な方法である、と。

 以下では、上記引用文で「毎年の仮想託送収入」とある点に特に注意しつつ、具体的な料金算定方法につき項を変えて検討しよう。

 

3.託送料金の算定方法

(1) 東電案・事務局案

 2回目の会議で提案された案(以下、東電案と呼ぶ)は、過去(平成9年度)実績の会計データをもとに、託送部分を括りだして託送料金を算定した場合が示された。ただし、これは「試算値」であり、実際の託送料金設定にあたっては、一般供給料金と同様に、将来の一定期間(原価計算期間)における効率的な事業運営に必要な原価を予測し、託送料金を設定するということのようである。この点では、第3回会議で提示された事務局案である「公正報酬率保証方式」と同内容となる。

(2)実績との乖離の問題

 上の案によると、将来の予測値に基づく託送料金で原価計算期間における託送サービスが実施された後、その実績値とは当然のことながら乖離が生じる。(なお、公正報酬率規制一般について、この点の備えがない点が問題であることにつき参照、舟田「NTTの割引料金制度の申請について」ホームページ

http://www.pluto.dti.ne.jp/~funadaの「経済法の時事問題」の欄)

 事務局案によれば、この乖離の処理については「電力会社の自主的な説明に委ねてはどうか」とあるが、これでは、前記の第1原則と第2原則が制度的に確保されたと言えるか疑問である。

 この点につき、ユーザー料金については、電気事業審議会料金制度部会報告(本年1月)で、余剰利益が出た場合は「事業者は、その配分等につき、経営効率化計画等において十分に説明を行い、経営責任を明確化する必要がある」とされている。この意味は、実体法的には事業者の自由な処理に委ねてよく、ただし、手続法的観点から、説明責任を尽くすべきである、と理解することができる。前記の事務局案は、これと平仄を合わせたものであろう。

 しかし、繰り返しになるが、これでは実体法の問題として、乖離は制度的には問題にしないというに等しく、前記の第1原則(ここでは特に、コスト回収ができなかった場合が問題ということになろうか)と第2原則の実定法化として不十分とも思われる。もっとも、両原則とも、前記引用文のような手続的な処理に委ねるという趣旨も含んだ上での「原則」なのだ、という理解も可能ではある。

 仮に上の理解が成立するとしても、最低限「経営責任を明確化する」ための具体的な手続は、この時点で明確化し、例えば省令(あるいは少なくともガイドライン、審議会答申等。電気通信事業の場合は、後述のように省令とNTT接続約款で定めている)に明示する等のことはすべきではなかろうか。具体的には、毎会計年度ごとに、託送にかかる実績値を公表させ、そこで明らかにされた乖離等に関する分析を事業者と規制行政庁の双方が開示し、それに基づく事業者による具体的な処理の仕方を規制行政庁が認めたことを公表する(認めない場合は、改正法24条の4第3項1号または2号に基づき変更命令を出すことができると解することができるかも検討を要する)等の手順を検討してはいかがであろうか。

(3)電気通信の場合―――実績原価主義と事業者間での利益還元(profit

sharing)について

 上述の点につき再度、電気通信の場合を見てみれば、接続料の算定は、当該年度の前の年度の実績原価によるというのが現在の制度である。例えば、平成10年度の接続料は9年度の会計により算定される(9年度実績は10年7月末に会計結果が判明するので、これに基づく接続料金を10年4月に遡って適用)。また、9年度については、本来9年度実績に基づく接続料金を適用すべきであったところ、8年度実績に基づく接続料金が適用されていたことから、両者の差分を「精算」する(前記電気通信審議会答申第4節4、及び「接続の基本的ルール案に関する意見及びそれに対する考え方」・4(4)を参照)。

 この「精算」を米国の例に倣って「利益還元」と呼ぶことができるかどうかは見方が別れるが、仮にそう呼ぶとすると、電気通信事業における利益還元は、変更後と変更前の接続料金の差分の半分はNTT指定設備管理部門の効率化努力分と見做して同部門に配分し、残りの半分はNTT指定設備利用部門とNCCとがトラヒックに応じ按分して受け取るものである(指定電気通信設備の接続料に関する原価算定規則第14条及びNTT接続約款71条)。

 利益還元と呼ぶ見方からすると、差分の半分が効率化努力として妥当な分け前かどうか議論はあるにせよ、指定設備を設置する事業者(NTT)に対する効率化のインセンティブとして機能し得るということになる。

 これとは別の見方によれば、電気通信の場合でも会計を基礎とする以上、前述の東電案・事務局案とは異なる意味ではあるが、必然的にタイムラグが生じるので、何らかの方式で再計算をして精算をしなければならない。そこで上述の利益還元方式が採られたのであり、かなりの煩瑣な作業を要するが、透明かつ明確な手続きによって、かつ一定の実体法上のルールに基づいて会計値と実績値を整合させる点では、前述の東電案・事務局案よりは優れているといえよう。

 しかし他方で、NTTの接続料が実績原価主義を採っている際の最大の弱点は、非効率性の排除が出来ていないという点にある。まさにこの点を補うために長期増分費用方式の導入が考えられているところである。

 ただし、実際の運用のレベルで、例えば平成10年度の接続料の算定に際して、特に需要増加が著しいISDNの提供に必要なISM交換機能についてのみは例外的に将来原価により算定することとし、その際には一般物件費の伸び率を年度毎に30%減と見込むなど、若干の将来への効率化要素を折り込んだ算定がなされたなどの工夫がなされている。

(4) 利益還元の実効性?

 本合同小委員会においても、前記の公正報酬率規制をかけた後で「再計算」するという案が示唆されたことがあるが、電気通信の場合と異なり、電力において利益還元が問題にあるような状況になるであろうか。前記のような公正報酬率規制だけでは、電力会社自身が託送料部門で黒字が出るように運用する可能性は低いのではないか。また、電気通信では、技術革新が著しいこと、またトラフィックも急増していることから、毎年「利益」が出ているように見える。これに対し、電力事業では、そのような事情にあるかどうか疑問が残る。

 さらに「利益」ではなく、逆に損失が出たときに、託送依頼者(新規参入者)から半分とることが、実際上可能であろうか。電気通信においても、これまで損失がでて接続事業者(NCC)から過去の分を徴収した例はなく、万一損失がでた場合に、接続事業者が支払うという事態は実際にはあまり考えられていない。これは現行の実績原価主義には、前記のようにそもそも批判すべき点があること、したがって制度も過渡的なものと了解されているからと推測される。

(5)米国の通信における利益還元

  なお、米国FCCは従来州際アクセスチャージにおいてプライスキャップ規制に利益還元制を組合わせていたが、現在は、利益還元は行われていない。(プライスキャップ第4次報告・命令 1997年5月7日)。その理由は、次の通り。

(a) 利益還元制は既存の地域電話会社の努力に対する恩賞を減じ、プライスキャップ規制が有する効率化インセンティブを阻害するものであること。

(b) 既存事業者は、非規制分野のサービスのコストを利益還元制の規制を受けている分野に移して利益還元を免れようとすること。

(c) プライスキャップ規制のX値を達成可能でかつ厳しいものにすることにより、消費者にアクセスチャージ値下げの恩恵を与えることができること。また、X値の方が、既存事業者の実際の生産性の指標として信頼がおけること。

(d) 利益還元制に依存しないようにすることこそ、前向きのコストが意思決定において中心となる競争市場への移行に欠かせないこと。

 なお、上のことからはプライスキャップ規制が有効に機能しているように見えるが、事実はこれに批判的な見方も強く、実際に、米国の地域電気通信会社の独占に対しては、いわゆる96年通信法とこれに基づくFCC規則によってかなり強引な参入促進策が採られたこと、これに対し、地域電気通信会社は訴訟等において抵抗していることも周知の通りである。

 

4.ユーザー料金について

(1)独禁法と自由化部門における料金

 今回の改正法の下では、自由化部門においては基本的に電力会社も取引するか否かの自由をもち、またその取引内容も自由であるという基本的原則を立てており(18条1項・2項、19条1項、21条1項本文など)、これは抽象的にはあり得る立法ではあるが、独禁法の基本的考え方からは、小売託送による直接競争がこれから始まる今の段階では既存の電力会社の独占がまだ依然として強固であることを前提とすると、上記のような「自由」ということはあり得ず、一般的に電力会社が仮に不当に高い料金や、あるユーザーに対し不当に差別的な取引条件を押し付けるおそれがあると考えられる。

 したがって、このような場合には、独占力の濫用を予防する仕組みが必要であり、改正法にある一般供給に関する「供給約款」の認可(19条)、あるいは最終保障約款に対する規制方式(届出プラス料金変更命令)と同様の規制方式を用意するのが通例である。例えば、電気通信においては、競争原理の導入後も、第一種事業者に対する供給義務と約款の認可はかなりの間規定されていたし、これは競争を導入した他の諸国でも同様である。

 ただし、これは既存の電力会社の独占がどの程度のものかによるから、新規参入者がすべての地域において急速にユーザーを獲得し得る状況にあるとすれば、既に潜在的競争の圧力が強く存在することになり、そうであれば上記のような一般的な独占規制は過剰規制であるということになろう。

この点は、託送の料金や技術条件その他の参入状況次第であり、新しい制度が実施されないと正確には分からないことである。そうだとすれば、前記の改正法の原則の下で、各電力会社が自主的に「標準的な料金」についてのメニューを公表し(前記基本政策部会報告第2章第1節2(注14)参照。以下、「標準的メニュー」という)、個別的には独禁法の適用に委ねるということも否定すべきではないとも思われる。

しかし、その場合でも、個別具体的な取引条件が独禁法上違法か否かを判断するために、ある程度具体的な判断基準ないし判断要素をガイドライン等によって明確にし、取引の予測可能性を高めることが要請されよう。これは、公取委の権限であることは言うまでもない。

この独禁法上の観点から自由化部門における自由料金につき、ここで前もって一般的に言えば、少なくとも改正法の実施後しばらくは、既存の電力会社の独占が継続する蓋然性が高く、したがって電力会社によるサービス提供の拒否や特定のユーザーに対し差別的な取引条件を申し出ることには合理的な理由が必要とされると解される。すなわち、合理的な理由のない取引拒絶は、「不当な取引拒絶」あるいは「私的独占」に当たるし、例えば後述の単なる「戻り需要」であることを理由とする取引拒絶、あるいは不利な取引条件の押しつけは、「不当な差別対価」あるいは「私的独占」に当たる可能性がある。参考としては、北国新聞社事件、東洋製罐事件、ゼンリン事件(調査中)などが挙げられよう。

(2)自由化部門における自由料金と最終保障約款

これに対し、電気事業法上は、自由化部門における料金は最終保障約款による場合のみ問題にするという仕組みになっている。この最終保障約款については通産大臣への届出と料金変更命令が規定されているが、これとは別に、最終保障約款による取引に対して、独禁法が適用になることは言うまでもない。

そして、前述の独禁法上の観点からは、既存の電力会社の独占がかなりの程度継続する限り、自由化部門のすべてのユーザーに対し「標準的メニュー」を公表することが要請されると考えられる。しかも、この「標準的メニュー」に、現行の約款と同様に、可能な限り詳細に、各種のユーザー群ごとの特殊事情に合わせた料金体系を明示することが望ましく、それを前提とすれば、これ以外の取引条件の提示をなす理由はないことになるのではないか。すなわち、「標準的メニュー」と最終保障約款とは一般的には一致すべきもののように思われる。

(3)最終保障約款の問題

電気事業法における最終保障約款の規制には、最終保障約款の適用対象、及びその内容に対する規制基準ないし判断要素のあり方という、互いに関連する2つの問題がある。

 第一の点について、改正法では、最終保障約款の適用対象は、特定規模需要のうち、その供給区域における「一般電気事業者以外のものから電気の供給を受け、又はその一般電気事業者と交渉により合意した料金その他の供給条件により電気の供給を受けているもの」を除く、という定義になっている(19条の2第1項)。

このうち、前段は明確であるが、後段(一般電気事業者と交渉により合意できなかった場合)については、前記のように具体的にどのような需要に対して適用されるべきかについては、事前のルール設定がなされていない。「合意できなかった場合」と手続的に定義されているだけで、実体法上の要件は不在である。

 最終保障約款の適用対象として前記基本政策部会報告には、いわゆる「戻り需要」が挙げられている。仮に「戻り需要」であることだけで、最終保障約款の高い料金を払わなくてはならないとすれば、これは新規参入に対する一種の脅しに近く、新規参入に対する大きな参入障壁になり、またこれ自体が独禁法上の「不当な差別対価」に当たる可能性がある、とも考えられる。

 「ノルウェーでは、そういうユーザーに対しては、punishmentとして、高い料金が課される」との説明もある。これは乗り換えユーザーだからなのか。しかし、競争とは、需要者が、供給者を自由に選択できることから始まるのであって、いったん新規参入者と取引した者には、戻れば高い料金を課すというのでは新規参入に対する不当な参入障壁を許すということではないか。

これに関しては、いったん新規参入者と取引した者の需要は、電力会社の設備投資計画・運用の中で一般供給における臨時電力や自家発補給電力と同様に、常時は使用されない臨時的な需要に応じるものであり、限界供給力によることから、一般供給料金と比べて割増し料金とされるべきであるという説明がある。

 この種の臨時電力類似の需要は、一般電気事業者の設備投資・運用において通常予想しないものであるから、これに応じるにはそれ相応の割高な料金をつけるのが合理的である。八田委員は、戻り需要に対し、「通常の規制料金の例えば2割増を上限とするような規制が最初からあった方が良いのではないかと思います。その際、需要家がいつ戻るかという予告の期間が十分長ければ、上限をもっと低く押さえるということが考えられます」と述べている。

一般電気事業者の需要予測との関係で割増料金をとるのは合理的であるが、それは「戻り需要」だからではなく、前記の発言の後半が示唆するように、ユーザーからの一時的あるいは突然の申し込みに応じるために余分の設備対応を要するからである。したがって、「戻り需要」であろうとなかとうと、この種の特別の負担をかけるユーザーに限って、最終保障約款における割増料金を適用するとすべきではないか。  

なお、「戻り需要」の他に、最終保障約款がどのような場合に適用されるのかは、前記基本政策部会報告や従来の議論を見る限り不明である。

第2の点については、第一回目の会議で大要以下のように発言した。

 「最終保障約款は、どの供給者とも交渉が成立しないユーザーに適用される。この約款の料金原則は改正法19条の2第2項で極めて一般的抽象的に規定されているだけなので、不当に高くなるおそれがある。特定規模電気事業者から供給を受けられないユーザーは、電力会社と交渉しても結局、最終保障約款による供給に頼らざるを得ないことになるのではないか。

最終保障約款による料金が、他の合意に基づく料金よりも高いとすると、不当な差別的料金として独禁法の適用を受ける可能性があるのではないか、これは『不当な差別対価』の解釈の違いにもよるがーー。」

自由料金に対する独禁法の適用については前述したが、この自由料金と比較して最終保障約款の内容(料金等)が不当に高いなどの場合は、それもまた独禁法上の「不当な差別対価」となると考えられる。

(4)ルールの明示

 前述のように、改正法が自由化部門について一般電気事業者による料金設定を自由としたこと、また、最終保障約款についてもごく緩い、抽象的な要件のみを規定するにとどめた理由は、改正法の基本的前提として自由化部門に関しては競争原理を導入した以上、原則として規制が及ばない、自由な取引関係とすべきだからということであろう。しかし、(1)で述べたように、既存の独占的立場にある一般電気事業者に、事業法上そのような形式上の自由な関係を認めても、実質的には(独禁法の基本的考え方からは)独占力あるいは「優越的地位」の濫用は許されない、と考えられる。

 最終保障約款の取引条件はどうあるべきかも含め(改正法19条の2第2項をより具体的に示すべきことは前述した)、事前にルールを公的に明示しておかないと、個別の取引コストと紛争処理コストばかりかかって、合理的な制度とは到底言えまい(さきに引用した八田発言もほぼ同旨)。

 この点につき、原則は、上述のところから明らかなように、どのような特定規模需要に対して最終保障約款を適用するか、それは何故か、及び、それが他の合意に基づく特定規模需要に対する料金その他の取引条件と異なる場合にはその根拠を、一般電気事業者側が説得的に示すということであろう。この点をおさえれば、そのルールの形式は、省令やガイドライン等でも、あるいは審議会の答申を受けて各一般電気事業者の約款の中で示すということでもよいであろう。

5.情報の問題

 特定規模電気事業者とユーザーの間は、改正法では基本的に自由であり私契約の世界と構成されているので、その取引条件は原則として企業秘密に属する。取引当事者が双方とも多数で取引が大量であれば、一般の財のように市場価格が成立するが、この場合は、供給者(特定規模電気事業者及び一般電気事業者)が少数であろうから、それらの者の間の協調的寡占の危険性があるのではないか。ユーザー(「特定規模需要」に当たるユーザー)は、同種の需要に関する取引情報を持たず、供給者との間に情報格差が生じるであろう。それとも、託送の条件次第では、そしてユーザーの立地条件によっては、あるユーザーにオファーする可能性のある特定規模電気事業者がかなりの数現れるともかんがえられ、そうだとすると上に述べたことは杞憂だがーーー。

 また、一般電気事業者と特定規模電気事業者の間にも、この種の取引情報の偏在が生じるのかもしれない。なお、これら両者間に、一般電気事業者の送配電網に関する情報格差があることは言うまでもない。

 この情報格差を埋め、取引を円滑にするために、供給者間で取引条件、価格情報を流すと、黙示のカルテルになる危険性が生じる(従来から、中小企業団体による情報カルテルの議論がある)。

 これらはいずれも杞憂かもしれないが、この種の新規の取引、しかも情報が偏在する可能性のある場合には、取引情報のあり方について注意する必要があるとも思われる。一足飛びに「プール制」の構築について議論することとは別に、米国における情報システムなどを参考に今後検討すべきであろう。


ケーブルテレビの「独占」?

泉水さんのホームページに以下のことがあり、僕のゲストブックにふれているので、下記のように書いてみました(長すぎてゲストブックに書き込むことはできませんでしたすみません)

質問

教えて頂きたいことが有るんですが皆さん宜しくお願いします。

インターネットもここ数年で一気に普及しまして我が大阪市港区でもケーブルTV会社運営の24時間常時接続10Mbps/Dwというサービスが始まりました。早速接続の申し込みをしましたところ利用料の支払いはクレジットカード(VISA,Masutar,JCB)でのみの支払いしか受け付けないと言われました。私はカードは持っていないので振込みとか郵送での支払いをお願いしたのですがやはりダメだと言われました。このケーブルTV会社は都市開発整備公団から共同TVアンテナケーブルを独占的に管理使用を委託されていているので他には同様のサービスを行える会社は有りません。そこで教えて頂きたいのは、、、、

1) サービスを受けるにあたって支払いをクレジットカード3社のみに限定するのは独禁法に抵触するのではないか。

2) クレジットカードを持たない者にサービスを提供しないというのは電気通信事業法における利用者の差別にあたるのではないか。の2つです。宜しくお願いします。

なおケーブルTV会社は「シティウェーブ大阪(CWO)」http://www.cwo.co.jp/インターネット接続会社は「CWO/ZAQ」http://www.zaq.ne.jp/で別会社になってる様です。

せんすい さん 投稿日1999年05月17日(月) 11時40分電気事業法のことはわかりませんので、立教大学の舟田先生のホームページでもご訪問ください(掲示板があったはず)。独禁法についても、なかなか難しいので、だれか他の人、答えてください。

考え方は、いろいろ、ありえます。

1)拘束条件付き取引にあたらないか。この行為で排除されるのは、3社以外のクレジット会社及び他の金融会社(機関)でしょうが、これが不当な拘束条件付き取引の公正競争阻害性をもたらすかどうか。不当な拘束条件付き取引の公正競争阻害性に関する見解の対立によって結果が異なるかもしれません。私は、自由競争を阻害するとまではいえないと思いますので、これに当たるというのは難しいと思います。

2)優越的地位の濫用に当たるか。当たるという人もいるでしょうが・・・少なくとも類似の先例はこれまでないんじゃないかな。

3)「都市開発整備公団から共同TVアンテナケーブルを独占的に管理使用を委託されてい」ることで、1)2)の問題は影響を受けるか。さてどうでしょう。

4)関連問題?:Aは地方都市で数千人規模の職員を要する有力な公立の事業所です。Aは職員の給与振り込みを事実上強制するとともに、振込先を地元の2銀行に限定しており、2銀行に口座を持たないX氏は自らの好まない銀行への口座の開設を迫られたとします。これは法律上どう評価されるでしょうか。この場合で、この2銀行は職員の指定する他の銀行へ無料で給与金額を自動転送するサービスを実施しているとすればどうでしょうか。たわお さん 投稿日:1999年05月17日(月) 13時12分

回答ではないですが,私も関連問題を付け加えさせて下さい。 

・1)が独禁法に違反しケーブル会社

and/orインターネット接続会社はVISA,Mastar,JCB以外とも取引をしなければならないとするならば,ある会社が何かの工事を発注するときに,予め選抜したいくつかの事業者だけに見積もりを提出させるといった行為も独禁法に違反する場合がありうるのでしょうか?

たわお さん 投稿日:1999年05月17日(月) 13時16分

先に出した関連問題では,見積もりを出してくれた事業者のどれか1社と契約することが前提となってま

す。ちょっと言葉足らずでした。

せんすい さん 投稿日:1999年05月17日(月) 16時44分

誤解を与えるおそれがありますので、追加です。

私のコメントの1)について、

自由競争を阻害するとまではいえないと思いますので、と書いたのは、「大阪市港区でもケーブルTV会社運営の24時間常時接続10Mbps/Dwというサービス」を前提に、他のクレジット会社や金融会社の自由競争が阻害されるおそれがあるかを問題にしています。全国規模の事業者、とくに公益事業者それに近い者などでは話が違ってきますし(独禁法に違反するとまで直ちにいえるわけではありませんが、この事例とは別の考慮が必要でしょう)、この事例でも学説は分かれる可能性もあります。一般論へ広げるのは危険ですので注意してください。あなちゃん さん 投稿日:1999年05月17日(月) 16時56分返信有難うございます。

> 立教大学の舟田先生のホームページでもご訪問ください(掲示板があったはず)。

早速見に行ってきます。

  私のコメント(舟田)

興味深い問題ですね。

(1) CATVを利用するインターネット接続サービスは、早くて安定的なので人気があるようです。「このケーブルTV会社は都市開発整備公団から共同TVアンテナケーブルを独占的に管理使用を委託されていているので他には同様のサービスを行える会社は有りません。」とありますが、これはケーブル経由の同サービスに限った場合でしょう。しかし、このサービス提供の市場は、電話回線経由による事業者が多数ありますから、競争減殺のおそれはなく、独禁法違反の問題は起きないでしょう。

 稀なケースとして、このCATVを利用するインターネット接続サービスは、特定の接続機器とソフトを必要とし、まだ結構高いようですので、既にこれらを買って用意したのに、あるいは他の同種サービスを別の地域に住んでいたときに利用し、引っ越したので同じサービスを別のCATV会社から受けようとして、代金はクレジットでと要求されたらどうか、という問題があるかもしれません。

 程度は低いですが、これも一種の「ロック・イン」(顧客囲い込み)と言えるのではないでしょうか。もっとも、たかが数万円と習熟の時間、面倒くささ位なら、囲い込まれたとは言えないかな。

(2)それにしても、このケーブル会社は、本気で商売する気があるのですかね。客が払いたいと言っているのに、(おそらく)処理を簡単にするために、クレジット・カードだけにして、などというのは信じられません。

(3)「都市開発整備公団から共同TVアンテナケーブルを独占的に管理使用を委託されてい」ることで、この問題は影響を受けるか。

 インターネット接続サービスについては、上記の通りですが、ケーブル経由の映像サービスについての方がむしろ独占的地位、あるいは「隘路」の問題を惹起しそうです。この点は、最近は、地上波放送の再送信のほか、各種の衛星放送があり、それら全部を提供して、エンド・ユーザーの選択に委ねるのは伝送容量の点から不可能であり、あるいはすべて光ファイバーにすれば可能ですがコストがかかりすぎるので、CATV会社がそのうちのどれを選択するかで、衛星放送会社の命運が決せられるという可能性がでてきました。

 米国の場合、これが70年代から独禁法上の問題になったこと、また衛星番組供給事業者とCATV会社の間の垂直統合への契機になったことなどは、日本の参考になるでしょう。



「ドコモの複合割引について」

 平成11年1月22日、ドコモ(NTT移動通信網株式会社ほか8社)に対し郵政省から料金変更命令が発出されました。3月1日にドコモから新しい料金が届けられ、電気通信事業法上の問題はこれで一段落です。しかし、独禁法の問題、及び移動通信に関する新しい通信政策の策定はまだ未解決のままです。

以下、簡単な報告です。あいかわらず、整理された文章ではなく、経済法の研究者をメンバーとするメーリングリストや、その他多くの方々へ出したメールに若干手を入れ並べたものですが(ただし、後日、若干の手直しをしました)、ご関心のある方に読んでいただいて、ご意見をいただければ幸いです。

私からのメールがほとんどで、相手方(郵政の担当官、通信事業者や、独禁法の研究者)からの返事などをほとんど出せないのが残念です。ただし一部は、差出人の了承は得ていませんが、ご迷惑をおかけしないと考える範囲で掲載します。

<1>事実経過

(1)営業譲渡

郵政省は、98年11月30日、NTTパーソナルグループ各社からNTTドコモグループ各社へそれぞれPHS事業を譲渡することを認可し(電気通信事業法16条)、NTTドコモグループ各社は、12月1日からPHS事業を開示した。

(この間の経過については、「企業事件簿 NTT2巨人の相克、本体とドコモ反目孫会社パーソナル泣いた」(竹内雄平)朝日新聞平成9年11月13日付け朝刊が比較的正確で公平な報道をしていると思われる。その他、「NTT系のPHS各社 自力再建を断念 ドコモへ移管検討」日経新聞平成9年2月18日付け朝刊、「子会社ドコモが親会社NTTを超える日」週刊朝日平成9年6月19日等参照)。認可等の行政処分に関しては、行政法学上、「条件」を付すことは原則として許されないと解されているが、明文の規定がある場合は別であり、同法89条は、「認可にはーー条件を付すことができる」とある。これに基づき郵政省は、本認可に条件を付し、以下のような文を公表している。(以下、同省のホームページより引用)

「PHSの事業譲渡後、NTTドコモグループ各社が携帯・自動車電話事とPHS事業を兼業することになることから、他の携帯・自動車電話事業者及びPHS事業者との間の公正有効競争条件を確保する観点から、別紙2のとおり本件認可に際して条件を付すこととしました。

 PHSサービスの収支について、電気通信事業会計規則(昭和60年郵政省令第26号)に基づき分計の上、郵政省に報告すること。

 携帯・自動車電話サービス、PHSサービスの料金は、それぞれのサービス別収支に基づいたものとすること。

 携帯・自動車電話サービスとPHSサービスの複合端末機器によりサービスを提供する場合には、使用するサービスを利用者が選択でき、かつ、使用中のサービスを確認できる等、公正競争及び利用者保護に配意したものとすること。また、他の電気通信事業者から携帯・自動車電話とPHSの複合サービスの提供に関する提携の要請があった場合には、この協議に応ずること。

 自社における携帯・自動車電話サービスとPHSサービスとの間の接続条件は、合理的な理由がある場合を除き、他の電気通信事業者との相互接続条件と同一であること。また、上記の接続条件を郵政省に報告すること。

 PHS事業の研究開発成果の開示についても、NTTからのドコモ分社時の「NTT移動通信網(株)の研究開発成果の開示について(4.9.25)」に沿って行うこと。

 顧客情報の使用に当たっては、「電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン」を遵守すること。」

なお、営業譲受け等には独禁法16条の規制がかかり、営業の譲受けをしようとする場合は公取委に届けることとされている。ドコモ各社はこの届出を行い、公取委は今のところ、これが「競争の実質的制限」には当たらないとの判断をしたと推測される。

なお、独禁法との関係では、NTT及びドコモによるNTTパーソナルの設立が、独禁法10条の株式保有の制限等に当たらないかという問題が、平成9年4月頃報道されたことがある(例えば、日本経済新聞平成9年4月11日付け朝刊。これ以前の事情についてであるが、公取委年次報告平成7年版(平成8年発行)177頁以下を参照)。

 

(2)複合割引(ブランド名「ファミリー割引」)

ドコモは、平成10年11月24日、12月1日より以下のような「ファミリー割引」を実施すると発表した。(以下は、NTTホームページより転載)
「NTTDoCoMoは、携帯・自動車電話及びPHSを、家族などで、複数ご契約の場合に、基本使用料の割引を行う『ファミリー割引』を実施します。『ファミリ−割引』は、家族などで、携帯・自動車電話及びPHSを、最大5回線まで一括請求でご利用頂く場合に、基本使用料を割引くサービスです。なお、本サ−ビスはドコモグループ一斉に実施し、割引率も各社同一です。 (以下で、主回線は料金請求を行う代表の契約者回線。副回線は主回線以外)主回線ムムム基本使用料の5%割引+継続利用割引(注)副回線(最大4回線まで)15%割引(継続利用割引は適用されません)

提供条件

l 携帯・自動車電話の個人名義

l 口座振替支払でかつ一括請求

l 携帯・自動車電話及びPHSの主回線と同一の個人名義等

l 主回線の一括請求に組み込む

(注)継続利用割引:利用年数に応じて基本料金を自動的に割引くサービス。
1年〜2年で7%、2年〜3年で8%、3年〜4年で10%、4〜5年で12%、5年以上で15%の割引。」

 

(3)料金届出制・料金変更命令・意見申出

平成10年5月、電気通信事業法が改正され(11月より施行)、電気通信サービスの料金については、従来の原則認可制(一部は届出制)からすべて届出制に変更された(同法31条1項)。

これに従って、前記のドコモによる複合割引制度は、届出と同時に12月1日より実施されている。

しかし、本改正は届出制への変更とともに、料金変更命令の制度を定め、これについて以下のような発動要件を規定している(法31条2項)。

  1号 料金の額の算出方法が適正かつ明確に定められていないとき

  2号 特定の者に対し不当な差別的取扱いをするものであるとき

  3号 他の電気通信事業者との間に不当な競争を引き起こすものであり、その他社会的経済的事情に
     照らして著しく不適当であるため、利用者の利益を阻害するものであるとき

 また、本改正では、意見申出制度も導入された(法96条の2)。これに関しては、本改正の実施のあり方を検討した郵政省ないの研究会の報告書「電気通信分野における新たな料金制度の運用の在り方」(平成10年9月8日公表)で、以下のように述べられている
(この報告書も郵政省のホームページに掲載されている。なお、私もこの研究会に参加し、そこで得られた知見や私の意見等を私のホームページに掲載してあるので、参照頂ければ幸いである。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~funada )

 

「電気通信分野においては、競争が進展し、サービスの高度化・多様化が進んだことによって、電気通信事業者の役務に関する料金その他の提供条件や業務の方法に関するトラブルが多発しつつあり、利用者利益の保護及び公共の利益の確保を図る観点から、利用者等からの苦情その他の意見を幅広く受け付けて、行政に反映させる仕組みを設ける必要性が高まっている。今回、料金が原則届出制に移行することもあり、変更命令等の行政措置を的確に行使していくことが電気通信役務の適正化のためますます重要となってくるが、こうした措置を実効性のあるものとするため、利用者や競争事業者からの苦情その他の意見の申出を受け付ける制度を設けることとする。意見申出を受けた郵政大臣は、これを誠実に処理した上、その結果を申出者に通知するものとする。」

 

この意見申出制度が初めて活用されたのも、前記のドコモの複合割引に関してである。本割引に対し、他の携帯電話事業者やPHS各社等からこれを電気通信事業法違反、あるいは通信政策上の措置をとるべきであるとする多くの意見が郵政省に提出され、これが新聞等で報道されたことから、本問題に広く関心が寄せられたところである。

1999年1月5日、郵政省は、ドコモの「複合回線割引」(ブランド名「ファミリー割引」)が電気通信事業法31条2項2号に規定する不当な差別的取扱いに該当するとして、料金変更命令の手続きに入ることを決定、公表した。これを承けて、公聴会・電気通信審議会を経て、料金変更命令が下されたことは冒頭述べたとおりである。

 

(4)公取委への措置要求

 上の動きとは別に、DDIポケットなどドコモの競争事業者は、98年末、公取委に対し、独禁法45条に基づいて、ドコモの今回の料金制度が独禁法に違反しているとして、事実を報告し適当な措置をとるべきことを求めた。これは、日経新聞99年1月30日付け朝刊で報道され(「DDI、公取委にNTTドコモを私的独占と訴え」)、本問題があらためて注目されることとなった。

<2>私の暫定的意見ムムム朝日新聞98年12月11日付け朝刊「ドコモの割引論争 規制復活なら逆効果」によせて(98/12/12記)

(1)「認可時代の料金規制を復活させる」?

これらの文章からも推測できるが、この記事は、従来からの頭で、郵政省対事業者(ドコモ・競争事業者)という図式に乗っただけの議論である。行政における「振興」と「規制」をわけるべきだとの主張も、いわゆる「第三者機関」をめぐってさんざん議論されたことであり、それに今回のドコモの複合割引制度問題を引っかけただけの記事のように思われる。

ここでは電気通信サービスの料金規制について、認可制から届出制への移行だけにふれているが、電気事業法改正によって成立した「料金変更命令」が、単に規制行政庁の「規制」を温存したのではなく、それを、各事業者・消費者の意見をふまえて、透明な形で行う、法的な規制に変えたものであることを無視している。

「本来競争上の公正、不公正の判断は公正取引委員会の仕事のはずだが、日本では通信に限らず、とかく民のもめごとに監督官庁が首を出す例が多い」とあるが、本問題は独禁法の問題であるとともに、電気通信事業法上の問題でもあることは明らかである。

また、「民のもめごと」とあるが、本件はドコモの料金が電気通信事業法又は独禁法の規定に照らして違法かどうかの問題であり、私人が他者の行為を違法と考えた場合に、その救済を行政庁に求め、それを受けて第1次的に行政庁が判断し、当該私人がそれに納得いかない場合に、裁判所に持ち込むという方式は一般に採用され、それなりに評価されていることである。すべて裁判所に直接訴えるべきというのであれば、それはコスト、裁判にかかる時間などを無視した議論である。

問題は、「監督官庁が首を出す」やり方であろう。この点で、上述のように、今回導入された「届出制+意見申し出+料金変更命令」という新しい方式は、透明な行政を期待できると思われる。

それとも、NTTでもドコモでも、料金設定などのにつき全く自由でありだれも口を出すな、という主張なら、これは別であるが、そこまでの「自由主義」ではないであろう。もっとも、立法論として前述の料金変更命令の仕組みを止めて、より自由な料金制度に変えるべきだという議論ならあり得るが、少なくとも現行法を前提とする以上、規制行政庁は法に従って料金変更命令の発動要件に合致するか否かを検討する作業に入るのは、その義務である。

 

(2)ユーザー(消費者)は、本件割引によってどのような利益を受けるか、という観点からの議論が最も重要である。

その前提は、各移動通信サービス(携帯電話、PHS )に関し、各社の端末機・通信サービスの料金・機能(つながりやすいか、音質はどうか等)はどうか、あるいは各社の経営全般等について、ユーザーが必要な限りで正確な情報を得ていることである。

この点につき、近年の移動通信サービスの急速な普及の過程において、ユーザーは、この種の正確なサービス情報を十分には与えられないまま、各社の料金とNTTあるいはドコモ等々のブランド・イメージによってのみ選択しており、今回の複合割引制度はその傾向に拍車をかけただけではないのか、という疑問がある。

前記記事は、PHSが「消費者に支持される新しいサービスを生み出せるかどうかがカギになる」と述べており、これは正しい議論である。割引もサービスの一形態ではあるが、ドコモの携帯電話とPHSを抱き合わせれば、1台目5%、2台目以降15%割引になります、という本割引制度は、前述の消費者の適切な選択のあり方という観点から見て、いかがなものであろうか。すなわち、何か革新的な技術を用いるとか、便利さがあるというのでなく、単にドコモとPHSを持っていれば安くする、というのでは、露骨にドコモの携帯電話に寄りかかってPHSの売上を伸ばそうとするだけではないのか。

(なお、ここで「抱き合わせ」という用語を使ったが、独禁法上の「抱き合わせ販売」は「主たる商品」についての取引の相手方に対し、「従たる商品」についての取引を強制することであり、本割引制度では相手方は強制されているわけではなく、自由に選択できるのであるから、独禁法上の「抱き合わせ販売」には当たらないと解される。)

消費者の利益という点では、携帯とPHSの両方の機能を持った端末が発売されるということなら、新しい技術の実用化であって消費者として選択肢が増えたことになり歓迎すべきことであり、これ自体に競争事業者が文句を言う筋合いはおそらくないであろう。もっとも、この場合でも当該端末の価格及びそれによる通信サービスの料金の設定の仕方、あるいは販売方法等は問題になるであろうし、これらは、後述のようにドコモの市場支配的地位という構造的問題にどう取り組むかという点を抜きにしては論じられないのであるがーーー。

(3)不当な「内部相互補助」あるいは「不当廉売」の審査・検証方法不当な内部相互補助か否かについて、ドコモ側としては従来のネット・レベニュー・テストを用いて、これをクリアしているから原価割れではなく、割引を受けない他の顧客に不利益をもたらすものではないから不当ではないと主張するのであろうが、この点は疑問である。

ネット・レベニュー・テストは、当該割引等を始めるとして、割引開始後3年ないし5年の後の収支の予測に基づくテストであり、割引による減収を上回るユーザー増あるいは利用増によって、割引を受けないユーザーに不利益にならないという予測が合理的に成り立つかどうかを検証するものである。
独禁法の不当廉売については、ある商品やサービスが原価割れかどうかを、そのような将来の、しかも数年先の収支の予測で見るという事例はこれまでなかったし、そのような解釈や立法政策論もなかった。その理由は明白であり、数年先の収支の予測の合理性を検証することは極めて困難であり、また、当該企業はそのような長期的な収支予測では、原価を償うように計算するはずであるから、すべての商品・サービスが原価割れと言うことはあり得ないということになるのである。

前記のように、私は今年の電気通信事業法改正による新しい料金制度に関する研究会に参加し、その経過報告を私のホームページに掲載してある。そこで、「電気通信事業法改正にともなう通信料金の届出制への移行」 と題して、<1> 「料金に対する事前規制から事後規制へ 」で、冒頭以下のように述べた。

「規制緩和の主張の1つは、事前規制=事後監視型から事後規制=事後監視型へ、という標語であった。

しかし、これを主張した経済学者や企業、そしてマスコミの論調は、その事後監視の意味を法的に十分つめて考えているとは言い難いと思われる。」

従来の料金認可制(事前規制型)では、料金の認可は、その後の3年ないし5年間の収支予測を下に「 公正な報酬」かどうかを審査する仕組みであった。しかし、これでは企業側が、数字を合わせてかなり自由に料金を設定することが可能で、それが事後的に本当に正しいかどうかを審査する仕組みはなかった。これに対し、今回の法改正による料金変更命令(事後規制型)では、前記の研究会での議論でも明らかなように、この事後審査(レビュー)が可能になったと考えられている。

今回のケースでも、ドコモの携帯電話・PHSのそれぞれについて、現在時点で原価を割っていないかを審査し、それと今後の予測(こちらは従来のネット・レベニュー・テストでよいのかもしれない)と併せ総合的に検討し、その適法性を審査する、という動態的な、あるいは時系列的な見方が要請されると考えられる。少なくとも、将来の予測の数字だけで原価割れしていなければよい、とは言えず、事後規制である以上、現在時点での原価割れか否かが中心となるべきものと思われる。

(4)独禁法上の不当廉売の疑い

静態的な料金と原価の水準だけを見るとして、すべてのPHS事業者が赤字であれば、市場価格(=料金)が各社のコストを下回っているだけであるから、各社の料金が原価割れとしても、それ自体として直ちに不当廉売となるわけではない。また、DDIポケットだけ黒字で、その料金に対抗するために他社が同じ料金帯を設定しているのであれば、同じくどの社の価格も不当廉売ではない。すなわち、「市場価格」が、各社の原価を下回っていても、そのことが直ちに不当廉売となるものではない。

しかし、仮に、ドコモが今でも赤字で、しかも価格を引き下げ、それが今の市場価格を全体として更に引き下げるようなものである場合は、不当廉売の可能性が出てくるのではないか。すなわち、静態的な料金と原価の水準だけでなく、当該料金(あるいは割引料金)を設定する意図及び客観的効果の方が重要である。

問題となる料金設定の意図・効果を動態的な市場の実態をふまえて見るべきだとすると、前記(3)で述べたように、ドコモのPHS部門が3年後には黒字転換するから、という料金設定の理由付けは、原価割れを正当化する事由にはならないと思われる。ドコモがPHSの料金を引き下げれば、対抗上、他の社も同じ値下げをせざるを得ず、3年間、すべてのPHS事業者が赤字に苦しみ、その結果、資本力あるドコモだけが生き残るということになるとすれば、それは、独禁法の目的とする「商品の価格と品質」による競争の結果ではなく、まさに赤字に耐えられる「資本力」の競争(仮にこれも競争と呼ぶのなら)の結果である。これをネット・レベニュー・テストで黒字になるから原価割れではないということだけでは、到底「公正な競争」が担保されているとは言えないであろう。

朝日新聞1998年12月19日付け朝刊の記事によると、北海道国際航空の就航を前に、既存の航空会社も値下げに踏み切るところもあり、しかし、日本航空の福岡路線の新料金につき、公取委幹部は「競争制限的な要素を含んでいる」とコメントしたとのことである。この日本航空の新料金は、新規参入の便の前後の時間帯に飛ぶ便だけを極端に安くするもののようで、露骨に新規参入者をねらい打ちして市場から排除しようとする料金政策と見ることもできるもののようである(「公取委競争政策に転換点」日経新聞平成11年1月5日付け朝刊をも参照)。

また、「再点検 規制緩和 エネルギー」日経新聞98/12/11付け朝刊は、電力の自由化が実現すると、「新規事業者による乗り換えのおそれのある顧客に対してだけ優待料金を適用するような行動が起きることも考えられる」と述べるが、この優待料金も上記の例と同様に、不当廉売、不当な差別料金、あるいは私的独占に該当する可能性があると思われる。なお、電力自由化の下では、新規事業者に乗り換えた顧客には、既存の電力会社に課されている「供給責任」ははずされ、再び既存電力会社と契約しようとすればこれを拒否できるとすべきであるとの主張もなされているが、これは上の「優待料金」とは逆の脅しに近いと思われる。

上記の航空サービスの競争でも、また、86年頃から始まったNCCとNTTの間の長距離通信の競争においても、新規参入者は、既存事業者よりもどれだけ安いということを武器に参入するのが一般である。仮に、これに対抗して、既存事業者が新規参入者と同水準の料金あるいはそれより安い料金を付けたとすると、新規参入者は全く顧客を獲得することはできない。
 また、既存事業者は参入のないところでは、値下げする理由はない。長距離通信の競争が始まってからも、NTTが常にNCC各社よりもやや高い料金をつけていたのは、ある程度の料金差であればNCCに対抗できること、また他の競争のない区間まで値下げして全体の売り上げを減らすこととのバランスを考慮したからであって(航空の例と異なり、国内の電気通信においては特定区間だけの値下げは今までなかった、という事情がある)、規制行政庁がNCCを不当に保護したからではない。したがって、NCCが全国展開をほぼ終わり、かつNCCとNTTの接続が公平かつ妥当な料金でという方向になりつつある中では、NTTとNCCの料金差が接近してきていることは当然であろう。なお、国内通信分野と異なり、国際通信分野では、既存事業者(KDD)の構造的優位性がもともと小さかったので、国内通信で10年かかったことが数年で急速に実現し、現在では既存事業者と新規参入者との料金差はほとんどない。

それはともかく、前述の航空の例とはかなり事情が異なるが、移動体通信全体の中で、携帯電話ではドコモの「一人勝ち」が進んでいることを背景に、ドコモが弱いPHSをテコ入れするために、携帯との抱き合わせ割引という手段で、他のPHS事業者を不当に排除するものではないか、検討の余地があると考えられる。

(5)差別的料金

一般に、ベースとなる料金があり、特定の者に対してのみ割引料金を適用するという料金制度については、上記の不当廉売ではなく、差別対価(独禁法19条、2条9項2号に基づく一般指定3項)、あるいは電気通信事業法31条2項2号(「不当な差別的取扱い」)に該当するか否かが問題になる。換言すれば、当該料金制度全体の中での割引の位置づけを考慮しつつ、割引料金を適用される利用者と、適用されない利用者との間の差別が不当かどうかをまず問題にすべきである。

独禁法上の前例として、第二次北国新聞社事件、及び中部読売新聞社事件は、本来であれば前記の差別対価か否かが問題になる事例であったと説かれている(実際には、前者の事件では新聞業についての特殊指定、後者の事件では行為者が異なることから不当廉売だけが問題になった)。

広範囲のサービスを提供する有力な事業者は、しばしば複数のサービスを関連づけて販売する方式を採用する。これは、経済学的には「範囲の経済」として、合理的な経営の仕方であると説かれる。しかし、それが市場全体の中で、反競争的と評価されれば、個別企業の経営という観点からは合理的であったとしても、独禁法の観点からは違法と判断されることがあるである。

今回のドコモの複合割引は、市場の競争の中でやむを得ない、あるいは競争の観点からも合理的な手段か、それとも、ドコモの提供するPHSの料金・品質によってではない優位性を武器にして、すなわち、ドコモの携帯電話における有力さをテコにして、他事業者を市場から排除しようとする不当な差別対価なのか、が問われることになる。

(6)料金と市場構造の問題

以上、不当廉売と差別対価についての仮説例についての議論である。これが今回のドコモの割引制度に当てはまるかどうかは、具体的な市場の状態等につき綿密に検討しなけれならないであろう。なお、本割引制度は、独禁法上はむしろ「私的独占」の方が適切のようにも思われる面があり、研究材料としても格好の素材であると思われる。

また、この問題の背景には、ドコモがNTTの子会社として、NTTから人、物、金といったリソースを引き継いでいるとの構造的格差の問題と、現在のドコモの57%というシェアからくる市場支配力をどのように見るか、という構造的問題がある。これらは、NTTとドコモの株式保有関係、ドコモによるPHS会社の営業譲受けの可否(及びその条件の可否)等として、独禁法上も以前から問題にされてきた事柄である。もちろん、これは電気通信政策としても重要な課題であり、電波の割り当て(無料で行われており、また、NTT系とNCCへの割り当て比率は50:50であった。その後の、ドコモの急伸後の割り当て事情は私には不明)も含め今後検討すべき問題であろう。

<3> コメント(98/12/某日)

上のメールに対して、以下のようなご意見を頂きました(念のためにお断りしますが、DDIポケットの方ではありません)。

(1)「赤字(原価割れ)を加速させること」と「ネットレベニュムテストをクリアしていること」をどう見るか、との問題については、ネットレベニューテストをクリアできるのであれば、理屈上は、PHS事業の赤字幅は多少なりとも改善されるということになるのでしょう。但しネットレベニューテストは、将来需要をどう見るかという点で事業者側の恣意性を排除し切れませんので、ドコモが机上で作成したこうした数値をもって公正競争上の問題はないと結論づけるのは、危険だと思います。

(2)また、ネットレベニューテストをクリアしたといっても、それが意味するのは、割引料金適用によるPHSの追加収入(MR)が追加費用(MC)を上回るので、PHS全体の収支には悪影響がなく、通常料金による利用者の負担増をもたらさないというだけの、あくまでもドコモの内部収支の問題であって、料金認可の基準としてならともかく、他事業者との関係で競争制限的か否かの判断基準にはならないのではないでしょうか。

(3)本件は競争政策上の問題であり、ドコモのPHS単独会計云々より、こういったサービスを提供できるのが現時点ではドコモだけであり、それによってドコモの市場での優位性が明らかに一層高まるだろうことをどう見るか、というのが論点ではないかと考えます。

(4)「こういったサービスを提供できるのが現時点ではドコモだけ」という点については、これが公正な環境下での自由競争の結果であるなら、特に問題はないでしょうが、郵政省の肝入りで出発したPHSを何とか自力で再建していこうという専業事業者もまだいる中、NTTグループ内で簡単に営業譲渡の話をまとめ、さっさと他のPHS事業者の駆逐に走るような行動をどう見るか、また「ドコモの市場での優位性が一層高まるだろうこと」についても、こうした状況や、そもそもドコモのシェア拡大の背景には、NTTグループとしての技術力・ブランド力・資金力等の蓄積があったこと等を考えれば、単純に自由競争の結果だから問題なし、と片づけてしまって良いのか、ということです。ドコモ側は「顧客利便の向上」を錦の御旗に掲げるのでしょうが、同じ図式の問題は再編成後のNTTグループに関して種々発生するのではないかと懸念されます。

(5)移動体分野に限っても、近い将来デュアルモード端末の問題が出てくるものと思われますし、公取委にはこの機会にドコモ問題、さらにはNTTグループ問題に、もう少し真剣に取組んでもらいたいと思います。(郵政省はもちろんですが。営業譲渡に伴いセット割引をやろうとすることは当然予想されたはずで、本来なら認可前にきちんと解決しておくべき問題だったはずです。)

<4>舟田発、郵政担当官へ(98/12/某日)

今回は、初めての料金変更命令ということで、いろいろ大変だと思います。
しかし、不透明な行政指導ではなく、法律に基づいた行政処分であり、しかも聴聞会など意見を正式に聞くというスタイルの試みとして、評価されるでしょう。実体法の問題としては、法律の条文が「不確定概念」を用いているため、異論も予想されます。特に、ドコモ側は、大々的に広告を打っていることもあり、法的に争うことも考えるのではないでしょうか。

私は常々NTTなど事業者の方に申し上げているのですが、行政のスタイルを批判するなら、規制される側もスタイルを変えて、法的に争うのが筋でしょう。
そして、どちらが裁判で負けるにしろ、両者とも第三者である裁判所の解釈を聞いたのですから、メンツがつぶされたわけではなく、恥じるところはないと思います。FCCが裁判で負けることもあるのはご存じの通りで、それでも平然と、自分たちの見解は正しかったと信じているが裁判所には従うと言い、場合によってはそれなら法改正という対応をとることもあり、これは法律家には当然の対応のように思えます。

以上が筋論ですが、行政庁・被規制企業とも、このような小さな割引料金を正面から争うのはあわないし、これからも同種の問題が続けて起きる可能性があるから、一般的な形でルール作りの方が大事、という判断もあり得るでしょう。前記の行政スタイルの原則と、実体法上の筋道さえ、明確にしておけば、どちらもあり得るように思います。

 

<5>舟田発、郵政担当官・通信事業者等へ(99/1/20)

以下述べることは、独禁法の問題であり、電気通信事業法にはあまり関係しないでしょうがーーー。

ドコモの割引制度が、直ちに、独禁法違反になるかどうか、事実関係が十分明らかではないこともあり、私にも分かりませんが、形としては私的独占の典型であるようにも思えます。

あるサービス市場で独占的地位にある事業者が、独占的サービスをてこ(leverage)として、競争的サービス市場に進出ないし売り上げを伸ばそうとする行為だからです。この意味での「てこの理論」が今でも維持されているかは私には不明ですがーーー。

例えば、岡田「アメリカ版トラスト法における独占行為の規制」北樹出版、1988年86頁以下参照。

但し、上の議論は、携帯電話とPHSが、別個のサービスであることが前提になるでしょう。独禁法10条の規制においては、両者は同一の(サービス)市場にあるとするのが公取委の立場ですが、私的独占あるいは不公正な取引方法では、この大きな市場の中に、携帯電話とPHSが別個の市場として認識できると考えることも可能でしょう。私的独占あるいは不公正な取引方法の場合は、もっぱら当該行為との関連で市場が画定されるのですから。あるいは不公正な取引方法の場合は、市場の画定は不要という解釈もあり得ます(私は、この立場です)。なお、郵政省の若い人と以下のような問答をしました。

(1)ユーザーへの情報提供は適正か?

サービスの品質については、例えば、800メガはユーザーの急増で、「ハーフ・レート」にし、したがって音質が悪いこと、1.5ギガは透過性が足らないこと、など情報提供しているか?

(2) 料金についての情報提供はどうか?

また、料金体系のあり方として、ユーザーにとっては、複雑な割引の氾濫ではなく、単純な料金制度が分かりやすく望ましいのではないか。(米国においては、競争の中で、固定系では、従量制から固定制に変わりつつある。移動系では、どうか?)

ご回答

(1)について

ハーフレート化については、NTTドコモでは、利用者に対して「フルレート」「ハーフレート」という言葉は使っておらず、「限りある電波資源を有効に利用するため、初期型デジタル携帯電話機を電波の利用効率の高い最新機種へお取り替えします」と周知しており、利用者は、自分の端末機が電波上どのような状態なのかは知らないというのが現状です。

また、1.5ギガの透過性については、全く周知しておりません。ただし、携帯電話は、契約約款上、利用者に対して音質の保証は行っていません。

(2)について

米国における移動系の料金体系の動向については、申し訳ありませんが、現在のところ十分な調査はできていない状況です。
一般論としては、利用者から見て、分かりやすい料金体系が望ましいと考えておりますが、基本的には市場の判断に委ねるべきことだろうと思います。

米国の長距離系の料金については、1995年ごろから、複雑な割引料金プランから、距離や時間帯によらない一定料金(フラットレート)が主流となってきているようでありますが、これについても規制の結果そうなったのでなく、個々の事業者それぞれの販売戦略に基づく競争と消費者の選択の結果であると認識しております。

しかしながら、利用者を明らかに惑わすような料金体系は是正するよう指導すべきと考えており、また、選択料金についてはプランごとに他の提供条件を変えるというような場合(例えば標準プランには付加機能を付け、ローコールプランには付加機能を付けないというような場合)は、利用者が選択できることにはなっているものの選択の条件が異なっていることで問題があり、そこに合理的な理由が必要になると考えております。

また、選択料金の損益分岐点については利用者に明示していくよう指導しているところです。

 

<6> 審議会の前に(99/1/21)

舟田発、郵政担当官へ

明日の審議会において、以下の点を発言しようと思います。
行政の裁量が大きいという批判に対して、以下の諸点をふまえるべき。
 各社が「公正競争上の適切なルール」を主張しているのは、事業法31条2項の定、あるいは報告書の記述では不十分であるとの認識による。

第1に、本命令制度は伝家の宝刀としての位置づけである。事後規制は、もともと、事前規制(料金認可制)をやめるべきであるという考えに基づく規制緩和のためであるし、事業者・ユーザーへの影響も大きいから。

第2に、命令発動の適正性は、法律上の要件を満たすことの他、以下の2点によって担保される。

(1)不当な差別的取扱いは、「重大で明白」に主眼をおくべき重大性は、25万加入か、今度の見通しは? 今のところ、競争事業者への影響を考えれば、重大と言ってよいであろう。

明白性は、郵政省の意見でよいであろう。

(2)ドコモだから厳しく見た。ドコモの割引は、影響が大きいから。ドコモの質問に対する郵政省の解答では、競争分野でも規制する、としているがーーー。

a. ドコモがNTTの子会社であり、そのグループ経営の一環として、PHS営業譲渡、一体的事業化ということが背景にある。

 他のNCC各社なら、同じことをしても本件のような違法性を問われることはまずないと考えるべきであろう。

b. 競争分野か否かを常時、調べておく体制が必要。

 市場ないしシェアは、どうとるべきか。携帯とPHSを1つの市場ととるか、また、固定電話も含めてか?携帯とPHSを1つの市場と考え、そこにおけるドコモの地位が独占的だから厳しく審査したと言うべきではないか。また、そうであれば、この独占的構造をどう扱うのか。NTTとの関係を薄めるとか、NTTブランドの使用を禁止するとか、より踏み込んだ政策を検討すべきではないか。

 前記(1)の差別の細かい根拠だけに絞り、(2)のこれらa,bの2点を別問題として扱うときは、裁量の恣意性への批判、また本問題の本質を故意に避けた(本命令案は、差別の根拠なしに絞っているが、その背景には競争問題がある)、という批判を逃れられないであろう。

少なくとも、料金だけではなく、NTTのグループ経営への歯止めを検討すべき。例えば、本割引のような各種サービス・各社の提供サービスを一体化してユーザーを囲い込むような戦略には、厳しくその妥当性・適正性を見るとか、NTT持株会社化、及びPHS営業譲渡の際の郵政の出した条件を今後さらに検討するとかーーー。

 

<7>郵政担当官から舟田へ(99/1/21)

変更命令の諮問については、迅速な事案の処理が利用関係の安定化に資するとの考えから、(中略)御理解をいただいて参ったところです。

また、本件は、いろいろ検討すべき複雑な問題をはらんでいるとは思いますが、変更命令の理由自体は、比較的単純ではないかと考えております。(中略)「審議会として十分な時間をとり慎重に審議すべき」という御意見はまさに正論で、行政としてとやかく申し上げる立場ではありませんが、迅速な御判断をお願いしたいということでいろいろ取り組んできた点を御斟酌いただければ幸甚です。よろしくお願いします。

(中略)いずれにせよ、今回のケースは今後、各方面で大いに批判的に議論して頂くことになると覚悟(?)しております。

 

<8>審議会の議論(99/1/22)(正確には、郵政省のホームページに掲載されている議事録を参照)

事業政策課長の答弁

「PHS事業化のさいの許可方針で、地域網の事業者(NTT )とは切り離して行うことなど、条件を付けた。」

舟田発言

「独占か競争かは、程度問題であり、かつ流動的。その具体的な認定は難しい問題である。

しかし、今後の問題として、PHSと携帯の結合自体の当否、ドコモあるいはNTTのサービスと結合したサービス、例えば携帯・加入電話と国際通話・長距離通話の間の複合割引などが許されるか、検討すべき。

 今回、決定することには賛成。

 ドコモの主張に対しては、本割引制度の効果など、これからの動向を見たのでは遅い。独禁法でも、一旦顧客が移ると戻りにくいから、緊急停止命令の制度があり、中部読売新聞事件ではこれが適用された。」

 

<9> 舟田発、郵政担当官・通信事業者等へ(99/2/23)

審議会の翌日(1月23日)付けの新聞報道にあるように、今回の決定は、問題の本質に正面からは答えていないのですが、少なくとも議論は少し行われたということは言えるでしょう。

しかし、以前書いたように、予想されたこととはいえ、料金変更命令(処分)の取り消しを求める等の訴訟がなされないことになったのは残念です。以前、AT&Tによるマッコウー・セルラー買収のケースをある研究会で取り上げ、勉強したことがありますが、そこでの詳細な議論に驚嘆しました。これと比べると、今回の各事業者と郵政のペーパーはごく簡単なもので、今後の議論に委ねられているということでしょう。

また、今回のことから図らずも(?)、表示の問題が出てきました。携帯電話、PHSの音質等につき、ユーザーへの情報提供が不十分という点は、前述<4>から明らかで、情報開示義務を課すとか、考えてもいいのでは?

なお、この点は、この4月から音質の良い携帯電話がIDOから発売され、これで大きく変わるか見物です。僕も、ドコモから乗り換えようか、思案中ムムーー。

もっとも、技術革新で従来の支配的事業者のシェアが大きく減少する場合、それだから以前の市場支配もなかったと言えるかというと、これは別問題でしょう(マイクロソフトのウィンドウズでも同じことが言えます)。たとえ、数年間の市場支配でもその間になされた(その市場支配を背景に行われた)違法な反競争的行為、及びそれによって受けた損害ないし競争上の不利益が、その後の技術革新後の変化で帳消しになるわけではないでしょう。これは、以前からドイツでも議論されていた点です。当時の議論では(今でもそうでしょうが)経済学者は、長期的な視点で見るので、上の議論には批判的でした。

 

<10>ある取材に答えて(99/2/1)

公取委の処理の進行は分かりません。そもそも、独禁法45条は、申告できるだけで、公取委は処置を執る(あるいは独禁法違反なしとする決定)の義務はありません。

独禁法3条前段(私的独占)、あるいは19条違反(不公正な取引方法)かどうかは、かなり難しい問題です。私的独占に該当するためには、「支配」「排除」という要件に該当すること、また「競争の実質的制限」に該当することが必要です。

前者については、「排除」に当たるかが問題ですが、ドコモの行為が、競争者の排除になるのか、例えば、今回の複合割引だけが問題の行為とすると、変更命令を受けた複合割引は25万契約だけとのことで、これも本命令でいずれなくなりますから、少し弱いでしょう。結局、さまざまなドコモの行為を総合すると、競争者の排除になるという主張をするのでしょうが、その立証は不可能ではないにしても、かなり難しいでしょう。

また、「競争の実質的制限」の点も、ドコモは激しい競争が行われているという反論をするでしょう。ドコモがNTTとの関係もあり、構造的に支配的地位にある、という主張が通るかどうかです。

19条違反の点は、特に差別的取扱いに当たるかどうかですが、これも今回の複合割引だけが違法行為とすると、これは本命令でなくなりますから、「既往の行為」に対する違法宣言審決を出すかどうか、という問題になります。携帯とPHSの複合割引それ自体が、不当な差別的取扱いに当たるという主張はあり得ますが、これまで一般指定3項などの適用例が少ないことから、審査は予想できません。

私個人は、独禁法違反の可能性はあると考えていませが、公取委の判断については分かりません。

これ以外に、ドコモが近い将来に複合端末を売り出すとすると、これを発売前に未然に19条違反として公取委に調べておいてくれ、という要求もあるでしょう。これは、具体的な独禁法違反ではなく、公取委の一般的判断を要求しているというように受け取るべきでしょう。

>舟田教授

>DDIグループが、先の割引問題関連でドコモ

>の独占問題を公取委まで持ち込みましたが、今後、どのような予定で調査などが行

>われるのでしょうか。最終的に判断が下されるのはいつ頃になりそうでしょうか。

>また、新聞報道では是正は難しいとの見方も載っていましたが、舟田教授から見て

>どう思われますか。また、その理由などもお聞かせ下さい。

 

<11>ある独禁法研究者より(99/2/2)

舟田先生へ

 新聞報道だけでは、DDIの主張する事実が今ひとつよくわかりませんが、一応理屈だけでは以下の通り考えていますが、いかがでしょうか。

1.通報だけでは調査するに過ぎない点は、その通り。

2.今回の割引申請行為だけで排除行為・反公共の利益・一定の取引分野における競争の実質的制限を満たすのは困難という点、同感です(ことに排除と競争の実質的制限)。しかし、たとえ個々の要素行為に直ちにはっきりと違法性を認め難いとしても、先生ご指摘の通り、わが国における無線通信市場の歴史的文脈全体の流れの中でドコモによるその他の行為(例えば、接続交渉問題・サービス戦略・料金設定政策等)の積み重ね全体を捉えて、ドコモは、あるいは親たるNTTとドコモは通謀して、NCCsないし潜在的NCCsを排除しようとしたという構成の追求は可能なのではないでしょうか(私は、先生よりも、やや積極的スタンスですが)。
もちろん、成功する見込みのある構成かどうかは、事実如何によるわけですが、ともあれ、今回の申請行為だけでなく、より広い範囲で個々の反競争的疑いのある行為を全体的にプロットしてゆけば、あるいは違った展望も開けてこないでしょうか。マイクロソフトのケースも、最初から、あんな展開になると予測した人は少なかったのではないでしょうか。

3.上記の中で、親たるNTTとドコモの関係とその具体的関わり方という点は、一度競争政策的観点からおさらいして、この時点でその合法・違法性を確かめておく価値のある点だと思います。

4.たとえ今回の申請行為だけに限っても、郵政省の説明がどうであれ、競争の視点から把握しようとすれば、やはりドコモの市場における地位が支配的であるからできたこと(その徴表)という側面はあるのではないでしょうか。とすれば、もちろんこれも事実如何によるわけですが、結果として否定されたけれども、公取委として、既往の違法行為の存在の宣言として、「このような申請行為は違法であった。今後しないように。」と、いう余地が全くないわけでもないのでは。

5.ともあれ、今回のDDIのような争い方は、わが国テレコム行政のあり方にとって大変好ましいと思います。大蔵省もあんなに変わっているのだもの、郵政行政もそろそろルール・ベースドなそれに変わるべきなのでは、と思います。独禁法に訴えるという手法がその一助となるように思われます。以上、ジャンメールでした。

 

<12>舟田からの返事(99/2/3)

(1)NTTの「グループ経営」への危惧

 「ジャンクメール」と謙遜なされていますが、大筋は説得的であり賛成です。特に、3の「親たるNTTとドコモの関係」を「一度競争政策的観点からおさらい」すべきだという主張は、重要だと思います。

もともと、NTTの持株会社化決定の際、その趣旨は、完全な分割でもなくこれまでの経営体制の継続でもない、という妥協だったのですが、私は、そのときに朝日新聞に掲載したコメントで、「これから、持株会社傘下の各子会社がどれだけ自主性・独立性をもって事業活動を行うかどうかがポイント」と指摘しました。持株の点で持株会社の支配下にあっても、子会社に相当程度の経営の自主性を与えることは可能であり、各子会社が独立の競争単位として他の通信事業者と、あるいは各子会社同士が競い合うことが、日本の電気通信産業全体にとっても、またNTT自体にとっても望ましい、と考えたからです。

この点からは、まさにドコモは、これまで(前)大星社長の指揮の下、NTTとは一線を画して独自の経営努力を重ねたことによって、多くの技術と販売戦略の革新を実現し、一旦下降したシェアを挽回したということは多くの指摘の一致するところです。

持株会社という形態は、分権化と集中化のあやうい相克の中にある、という私の認識はいかがでしょうか。最近のNTT関係者が、ドコモとの関係も含め、「グループ経営」等の標語の下、一方的に集中化のベクトルに傾いているような発言をするのを耳にしながら、危惧の念を持ちつつ、今回のドコモの料金政策を考えてきました。

翻って考えると、真藤(元)社長はNTTの経営の刷新を「電話線にぶら下がるようなこと」をやめよう、という方針だったと記憶しています。加入電話からの収入に依存していれば安全なのですが、これでは競争的な民間企業とはいえない、という趣旨だったと理解していいでしょう。今回のドコモの複合割引が、成功した携帯電話にPHSがぶら下がることを目指した、というのが私の印象です。このことを以下(2)で敷衍してみます。

 

(2)有力事業者による複数の商品・サービスの結合販売

市場支配的事業者、あるいは有力事業者が、複数の商品・サービス(以下、A・Bと呼ぶ)を販売・提供しており、その主力商品・サービスがAであり、かなりの販売高ないし固定客をつかみ、あるいは商品差別化に成功しており、これに対しBは激しい競争の中にある場合、事業者はAとBを結合して、B市場における有利な地位を得ようとするのが通常である。

その際、BがAの補完品(complementary goods)であれば、いわゆる「抱き合わせ」販売をする誘因が生まれる。東芝エレベーターを買ったユーザーに対し、同社(あるいはその子会社)のメインテナンス・サービスを受け、かつ修理用品を買うように要請し、独立系事業者のメインテナンス・サービスを受けるユーザーには修理用品を販売しないとして、独禁法違反となった東芝エレベーター事件も、その1例と言えよう。経済学の教科書では、カメラとフィルム、IBMのマシーンと周辺機器などの例が挙げられてきた。

Ordover,Sykes,Willig,in;Antitrust and Regulation(1985)、 at 115 ff.「支配的企業は、補完製品のメ−カ−を不利にするような反競争的行為(=他の事業者を市場から排除し、経済的ウェルフェアーの損失をもたらす行為)をとるインセンティブを有する、これは伝統的な経済学の教えに反するが。ムムムそのための戦略として以下の4つが挙げられる。排他的垂直合併、タイイン(抱き合わせ販売)、略奪的製品イノベーション、ライバル企業が必要な補完製品を獲得する能力への障害を作ること」。

「例;ATTは、ライバルが地域電話の端末を使うことを禁じた。参照、MCI v.AT&T 462 F.Supp.1072 (N.D. ill. 1978) 。手段は何であれ、結果は最終消費者の補完製品の不十分な供給である。」

また、このような典型例ではなくとも、ある取引Aを「テコ」として、別の取引Bを有利に運ぼうとすることは、多様な形態をとって現れる。いわゆる「相互取引=互恵取引」も、また、優越的地位の濫用の1つである「押しつけ販売」も、このバリエーションと考えることができる。取引当事者間の関係、商品・サービスの特質・競争状況などで、多様な形態に分かれると言えるであろう。

ドコモのケースも、携帯電話がそれほど強い顧客吸引力を持っていないから、また、AとBの関係が補完品ではなく、PHSを携帯電話とは別個に選択できるから、抱き合わせ販売や押しつけ販売など強引な販売方法をとることはできず、AとBを一緒に買えばお得ですよ、というよりソフトな誘引方法を採ったと言えよう。

ドコモの複合端末の発売を許すかどうかも、マイクロソフトによるパソコンのOSとブラウザー・ソフトの組み合わせと似た関係にある。

あまり整理されていませんが、いずれ誰かきちんと整理して理論構成して欲しいものです。(年をとってくると、こうして若い人にバトンタッチする権利が生まれるような気がするものですね)

<13> ある独禁法研究者との問答(99/2/6)

 また、ドコモについて返事を頂きました。議論を喚起するため、これはキャリアの方にもBccで送ります。(と言うほどには、法的に詰めた議論ではなく、感想めいた駄文ですがーーー)

 

> 舟田さん。

> 答案採点や修論読みが一段落したので、楽しみにしていた(本当のこと

>。泣いてください、舟田さん〔笑〕)舟田オジサンのドコモ3回シリーズ

>のメールを読みました。

> 頭がまとまらないまま、コメントします。

> 1.独禁法上の問題として考えれば、メール中の「ある独禁法研究者よ

>り」にあるように、「わが国における無線通信市場の歴史的文脈全体の流

>れの中でドコモによるその他の行為(例えば、接続交渉問題・サービス戦

>略・料金設定政策等)の積み重ね全体を捉えて、ドコモは、あるいは親た

>るNTTとドコモは通謀して、NCCsないし潜在的NCCsを排除しよ

>うとしたという構成の追求は可能なのではないでしょうか」という意見に

>同調します。この点については、パチンコ機私的独占事件の周到な事実認

>定を思い出します(別に、ぼくがやったわけじゃないですが)。つまり、

>実施許諾の拒否という「点」だけに視野を限定していたとすれば、特許法

>との関係で衝突を生じ、私的独占と認定することには相当の困難があった

>と思われますが、公取委は、実施許諾拒否を含む被審人の行為をいわば「

>面」として広く認定し、周知の結論を導いています。もちろんこの事件だ

>けではないでしょうが。

> 2.舟田さんの1月24日のメール「ドコモ報告」に「僕も、ドコモか

>ら乗り換えようか、思案中」とありましたが、その後いかがですか。ぼく

>は、たまたま非ドコモなのですが、そのせいで、上述1の「歴史的文脈全

>体の流れ」における「ドコモによるその他の行為」を経験したと感じてい

>る一件があります:

> 数ヶ月前にB5ミニノートパソコンが手に入ったので、すでに持ってい

>る非ドコモ(tu-ka)の携帯とつないでモバイルをやり、(遠方での集中講

>義を目前にしていたこともあり)駅や新幹線なんかで最先端のカッコイイ

>ところを(とくに周りの女性などに)見せつければ楽しいだろうなあと思

>い、接続機器を買うために秋葉原へ出掛けました。しかし、数十分後には

>計画を断念し、今日に至っています(残念)。

>なぜか: 数軒の電気店のドコモ(シャレです)tu-ka の接続機器を持っ

>ていないのです。そして、そのうちの一つか二つの店では、「お客さん、

>携帯電話そのものをドコモに換えませんか。そうすれば、接続機器はすぐ

>手に入るし、値段もずっと安いですよ」といわれました。価格比較をして

>もらったところ、現に2割か3割ほどドコモが安かったように思います。

>なんですか、これは。もちろん、tu-ka の機器を注文すれば売ってくれる

>のだから、絵に描いたようなというわけにはいきませんが、背景にドコモ

>の有力な地位にもとづく「排除」的行為がきっとあるなという気がして、

>非常に気分が悪く、モバイルでモテようというウキウキ気分は吹っ飛んで

>しまいました。なんだか、ほんとにカッときました。

> ドコモの行為が背景にあるという証拠は何ももちあわせませんが、以上

>ご報告です。汚い奴に取り込まれてなるものか、ということで、その後そ

>のまま。tu-ka の直営店に行けば買えるのですが、もういいや、という感

>じ。

>

<14>舟田からの返事

「1.「わが国における無線通信市場の歴史的文脈全体の流れの中でドコモによるその他の行為(例えば、接続交渉問題・サービス戦略・料金設定政策等)の積み重ね全体を捉えて、ドコモは、あるいは親たるNTTとドコモは通謀して、NCCsないし潜在的NCCsを排除しようとしたという構成の追求は可能なのではないでしょうか」という意見に同調します。」

 

 これが正しいかどうか、難しい問題ですね。

 一方では、前回書いたように、ドコモはNTTとは一線を画して、様々な革新的経営を遂行した、という意見があります。
 他方で、特に、端末機器メーカーとの関係で、各メーカーがドコモ優先路線を継¥続したこともよく指摘されてきたことです。ドコモは各種の革新的な端末機器を次¥々に発売し、他の競争事業者が出遅れたことが、競争上の優位性を築いた原因であ¥る、ということも以前から主張されてきました。

 メーカーとしては、(貴兄は、パソコンとの接続機器のことで怒ってますが)一¥番のお客さんであるドコモを大事にし、それが売り上げ増につながり、それが価格¥の相対的優位性を築き、またどこでも売っているという利点も生む、という良い循¥環が生まれたのでしょう。逆に、他のキャリアは、ユーザーが少ないから、メーカ¥ーにとってドコモほど大事にする必要はなく、また価格も相対的に高くなる、とい¥う悪循環が生まれたと推測されます。

 同様なことは、以前からNTTについても指摘されてきたことですが、実際のことは¥分かりません。ドコモがメーカーとの間で、共同開発の契約をし、そこで守秘義務¥を課し、他社への転用を禁じた(と推測される)ことは当然でしょうが、それが他¥の競争事業者に対する「排除」行為に当たるのか、不当妨害などの不公正な取引方法に当たるのか、ある程度は証拠が出てこないと今の私には判断できません。
 なお、米国のAT&Tは、地域電話会社を保有しつづけるより、機器部門を保有することを選んだ、と言われたことを思い出しました。NTT分割の議論の中でも、メーカーとの共同開発体制をどう判断するかがポイントの1つでしたね(NTTはこれを「クリーン・ルーム何とか」と名付けていました。NTTとの共同開発から離れて、他社とつき合うことには、クリーンにしてから、という意味だったようです。当時の資料はどこかにしまってあるはずですがーーー)。

 なお、NTTと競争してきたNCC各社も、ドコモと競争してきた携帯電話の各社も、国内メーカーとの共同開発を諦め、海外のメーカーからの技術導入・機器購入に頼った、ということのようです。

 その中で、NTTと競争してきたNCC各社の方々が、国内地域通信網がNTT仕様になっていることが最大の技術的障壁になっている、とこぼしていたことも思い出しました。(これらについては、私は詳しくは知りませんし、理解もできていないのですがーーー)

 いずれにせよ、メーカーとの関係は、 NTT、ドコモ、各メーカー、各販売業者にとっては、合理的な契約関係(及び契約に書いていない取引関係、信頼関係)なのでしょうが、それが競争秩序の観点からも、公正・妥当なものと評価することができるか否か、が問題でしょう。

 そう言えば、共同開発のガイドラインとの関係はどうなんでしょうね。これは貴兄の専門ですね。また、具体的な材料が出てきたら、議論しましょう。

<15>舟田からの補足メール(99/2/8)

 前記<11>のメールの中で、「背景にドコモの有力な地位にもとづく「排除」的行為がきっとあるなという気がして、ーーー」という文章に対し、あるキャリアの方からご教示を頂きました。(これもキャリアの方にもBccで送ります。)

 それによると、ドコモでは、すべてのパソコンに対応するかどうかの動作確認をしてから、モデム・カード等を販売(ドコモ自体は販売していないのでしたっけ?)、あるいはカード・メーカーとの技術交換をしている。

 これに対し、他の携帯電話会社では、このような煩瑣な作業をしていないのではないか。

 したがって、販売会社としては、ドコモなら客に安心して売れるし、また販売量もかなり出るので、「ドコモならあります」、という状態になるのではないか。
 ドコモが、販売業者にコミッションを払うなどの流通対策はいっさいしていない、ということでした。

 なお、私は、多くの通信事業者の方々と長くつきあいをしていますので、この業界の一種の常識めいたものは書いていないのですが、研究者の方々にはあまり馴染みのないことなので、断るべきことが多くあるでしょう。

 その1つは、通信業界の中で、自前で技術開発をしているのは、既存キャリアであるNTTとKDDだけと言ってよいほどで、ほとんどのNCCは、他からの技術援助・導入、それにNTT出身者を中心とした小規模な自前の技術陣でまかなっている、ということです。

そして、前のメールでは、NTTあるいはドコモに対する批判的な主張だけが強く出ているかもしれませんが、同時に、両者の技術的レベルの高さは、おそらく誰も異論なく敬服しているでしょう。

 私が問題にしているのは、その開発の仕方、メーカーとの関係、海外の技術との関係(グローバル・スタンダード)などの制度問題です。また、販売会社との関係がどうなのかは私には分かりません。この種の調査は、公取委がすべきなのでしょうか。

 

<16>舟田より(99/2/26)

以上のメール交換の過程で、私がこの問題に熱心に取り組んできだのは、規制産業である電気通信産業において、規制緩和と競争激化という流れの中での個別的規制と独禁法による規制との交錯が見られること、独占部門が残っている規制産業において競争を促進するための制度整備のあり方、という一般的関心の他に、80年代に入ってから長く議論されてきた、いわゆるNTT問題が背後にあるのではないかという認識があるからです。

 この点は、NTTにおける事業部制の推進の一環としてのNTTからのドコモの分離(平成4年)の意味、及びNTT持株会社化決定の際の条件の再検討にまで及ぶのでしょう。

振り返ってみれば、平成8年2月にまとめられた電気通信審議会答申「日本電信電話株式会社のあり方について」では、競争部門である長距離通信部門と独占が残る地域通信部門の間の内部相互補助や後者の資源(助など)が前者に流用されることが、公正な競争を阻害しているという基本的観点に立ったものであったし、東西の地域通信会社が相互に競争するなど、NTT各社が独自の事業活動を展開することが期待されたものです。

また、平成8年末の郵政省とNTTの合意による持株会社化決定の際には、「公正有効競争を担保するための条件を、長距離通信会社と地域通信会社との間に確保する」という条項が設けられていました。

今回の割引料金は、従来のドコモの独自路線、競争志向から、NTT持株会社体制の始動と併せて「グループ経営」(NTT各社がNTTグループの一員であることを強みとして競争すること)への転換を象徴するものではないか、という印象もあります。

 バブル期の多角経営から「本業回帰」を目指す企業が増えている中、NTTが上の意味での「グループ経営」志向を強めることは、公正かつ自由な競争の実現という点からも、またNTT各社の効率的で生き生きとした事業活動という点からも憂慮すべきではないでしょうか。

<17> 追記(99/3/5)

3月1日、NTTドコモは、料金変更命令を受けて、改訂した複合割引を6月1日から実施することを郵政省に届けたことを公表しました(3月2日付け各紙報道より)。

(現行届出料金)

・主回線につき基本使用料の5%割引+長期契約割引

・副回線につき基本使用料の15%割引

                ↓

  (新料金案)

・主回線につき基本使用料の5%割引+長期契約割引

・副回線につき基本使用料の10%割引+長期契約割引

 

 この新料金は、前記命令が、副回線の割引率は、長期契約割引相当分を含むものとしているにもかかわらず、契約期間によらず一律に割り引くことには合理性がない、としていたことをふまえたものです。

 これによると、副回線につき基本使用料の10%割引+長期契約割引とあるので、長期のユーザーについては、現行の料金よりも割引率が高まることになります。

これは、上述の競争上の問題を何ら解決していないことは明白であり、電気通信事業法上は今後に持ち越されたことになり、他方で、公取委による独禁法の適用があらためて注目されます。また、公取委の判断とは別に、競争事業者からドコモに対し、独禁法違反を理由として料金制度の実施の差し止め請求、あるいは損害賠償請求が訴求されれば、裁判所の判断が下されることになります。

 

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「麻酔専門医」をめぐる制度について
 米国では、病院で手術を受けるとき、麻酔専門医を選べるというシステムであり、ある病院が手術と麻酔専門医を「抱き合わせ」たことが独禁法違反になったということを読んで、ビックリしたことがあります。

 今週号の週間文春98/10/15に、浅山健『患者はこうして殺される』の紹介と著者へのインタビューによる記事があります。

 そこでは、医療事故の多くが麻酔による事故で、その原因は、麻酔専門医の絶対数の不足(「かけもち麻酔」)、前進麻酔は約5万円、脊椎麻酔は約6千円と固定されていることからくる麻酔専門医の待遇の悪さなどが指摘されています。
 「医療制度疲労の代表が、麻酔の問題でしょう」とあります。「外科が上で、麻酔は下という風向き」を変えるには、「麻酔科医をアウトソーシング(外注)」にすることが必要と提案されています。しかし、そうなると、支払額が増えるから病院としては承知しない、職員としておけば、使い放題だから、ということのようです。

 アウトソーシングだけでは抜本的な解決策にはならないような気もしますが、「医療コーディネーター」を導入すべき、という提案には賛成。
 カルテを公開し、セカンドオピニオンを制度化しても、患者は誰に相談すればよいのか。それは、専門知識をつけた、「医療コーディネーター」=患者の味方が大事ということです。

 競争の中で、専門的知識のない患者は、「選択の自由」を実質的に行使できるようなシステムがないと、競争は無意味でしょう。

 競争は、規制緩和や自由化だけでは弱者の不利に働くだけですから、競争を実りあるものにするための「ファイン・チューニング」、微妙な仕掛け、多様なシステム化が必要ということの1例でしょう。

 NHK テレビ『 MR 』を見続けて、自分ももうすぐ救急治療センターに運ばれるだろう、などと恐れている僕としては、「医療コーディネーター」が競争市場の中で信頼を得ていくことを切望しています!

 なお、サービス提供者とユーザー・消費者の間で、情報の媒介・分析・アドバイスをするコーディネーターが重要というのは、他の分野でも同様で、僕は、電力の自由化などについても既に論文で書いていますが、特許技術の利用について、「カギを握るのが専門知識を持つアドバイザーの存在」という新聞記事もあります。日経新聞「『眠れる特許』が目覚めぬわけ」98/10/11朝刊参照。

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「 医療サービスの競争?」

 表記のテーマに関して、思いついたことをあるメーリングリスト、及び知人宛にEメールを出したところ、多くのコメントを頂きました。以下はそのやり取りの一部です。

<1> 舟田発 Date: 98.8.14

 医療関係について2つ。

1 医療サービスの広告制限

(1) 先日、朝日の記事の中で、ある医師が自分の新しい試みについてホームページを見てくれというのがありました。
 患者が、治療方法や薬の詳細を知りたいとかや、適切な医者の選択などの際に、各種の医療情報を探ろうとしてもなかなか信頼できる情報源がないというのが現状だと思います。もっとも、この種の情報を扱った出版物、あるいは「良い医者ーー」などの本は、巷にあふれていることは承知していますがーー。

 医療法69条1項、「医業若しくは歯科医業若しくは病院若しくは診療所に関しては、文書その他いかなる方法によるを問わず、何人も次に掲げる次項を除くほか、これを広告してはならない」 同条1項には、許される広告事項として、医師である旨、診療科名、病院の名称・電話番号・所在地、診療日等のほかは、「その他厚生大臣の定める次項」とあるだけです。
 これは弁護士法の同種の制限と同様に、専門職であるから、一般の営業のような広告・宣伝による競争をすべきではない、という趣旨でしょう。弁護士法による広告制限については、三宅氏の著書に批判的にふれられていますが、この医療法の広告制限はいかがでしょうか。少なくとも、医師が、単純に広告で患者を集めようという営業目的によるものではなく、自己の研究・医療経験等につき、ホームページで情報として出すことについては、むしろ歓迎すべきではないかと考えられます。

 それとも、これは前掲の「その他厚生大臣の定める次項」で明示的に承認されていることでしょうかねぇ。
 ただし、例えばタクシーなどの広告に、近眼手術で画期的な技術が開発されているなどという広告を見ると、これを単純に信じて被害を受ける人も多いのではないかなどと考えてしまいますがーーー。

(2)また、これを超えて、営業目的であっても、患者の利益になるような広告を制限することは、結局、国民の利益を損なっていると言えるでしょう。その例として、今日(98年8月)14日付けの日経新聞夕刊「生活家庭」では、「病院にユニーク外来続々、患者ニーズ掘り起こす」として、「健康増進外来」、「診療ストレス外来」、「禁煙外来」などが紹介され、しかし、上の広告制限のため、これらも「表向きにはリハビリテーション科や精神科となっており、ユニークな内容がガイドライン一部の人の目に触れる機会はほとんどない」とあります。
 公取委は、こういう点を医療法を所管している厚生省に改善するように意見を出すべきではないでしょうか。

(3)もっとも、疑い深いオジサンとしては、医者や各種医療機関がこの種の医療サービスのユニークさを競うようになると、ネーミングだけで質のあやしい病院も出てくるのではないでしょうか。そこで、大学でも米国に倣って実施が始まった各大学での「自己点検・自己評価」に基づく大学基準協会(一種の「格付け機関」)による「相互評価」の公表のような、「第三者機関」による評価が整備されるのが望ましいでしょうね。
 もっとも、各種の格付け機関への批判に見られるように、この「第三者機関」自体も、複数設立し、信用を得るために一定の情報公開を義務づけ、相互の競争にさらして、評価の質を高めることも考えられるでしょう。今のところ、各大学での「自己点検・自己評価」も、大学基準協会による「相互評価」も、まだ十分な評価を得るところまではいっていないようですーー。

(4)ここまで書いて、旅館について、「日本観光連盟推奨旅館」とか、「○適マーク」を思い出しました。後者は確か、消防署の検定を受けて合格した旅館で、これをうけた旅館が全焼して死傷者がでて、その検定のずさんさが非難された事件がありました(記憶があやしいかな)。
 こう考えると、「質の評価」というのは、難しいなぁーーー。

2 獣医の競争

 獣医の治療費が、獣医によって、まちまちなことはご存じでしょう。
 例えば、先日のテレビ番組でも詳しい実地体験の番組が放映され、また日経新聞98/8/2朝刊コラム「春秋」でも、以下のような記事が載っていました。
 「高額で不明朗な治療費というペット愛好家の不満は日本獣医師会にも殺到している」。「不明朗という批判については、近く全国調査し、基準料金的なものを公表する予定」。しかし、公取委は、「『初診料などを決めるのも平均値を公表するのも談合で摘発する』と強硬。自己責任で、良い獣医を捜せと明快だ。理屈は分かるが、消費者が支払い時に判断する基準ぐらいは必要だ」。
 この点は、先に述べたことと逆で、何でも[競争]とだけ言えば済むものではありません。競争が公正かつ自由に機能する前提条件が必要で、消費者に情報がなければ選択のしようがないことは明らかです。選択が「いきあたりばったり」では、公正な競争にならないでしょう(私自身も、先日、歯医者で高額の治療を受けたとき、同じ経験をしました)。
 日米経済構造協議のとき、内外価格差に関連して、通産省は価格情報を収集し、消費者に広める機関を作ったのではなかったですか? その後、この点の充実などは話題にも上りませんね。

 米国では、中立的(つまり、企業からの広告を収入としない)情報誌である「コンシューマー・レポート」がかなり購読され、力を持っているようですが、この種の情報誌が「暮らしの手帖」など少数あるだけで、発行部数も少ない日本では、消費者は価格情報をとるのに、大変なコストがかかり、それでも適正な情報を入手するのは難しいものです。こうして(収集・判断能力はあやしいけど、意識だけは)価格にうるさい僕でもそうなのですから、一部の忙しい人、あまり気にしない人などは、選択をいつも誤っているのでしょうね。

<2> コメント、その1

舟田先生

 私は運動不足からか最近太り気味で、健康診断でもいろいろチェックが出始めましたので、健康には気になっているところです。
 お問い合わせとは全然関係なのですが、インターネットを注意して見ていると以下のようなページがあり、リンクを張ってときどき利用しています。ご参考までに。

 最初のものは、アンケートに答えていくと、自動的に診断され、なかなか楽しいものです。

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/thi/thi.html

http://db.nihs.go.jp/tip/tipdb.html

http://www.health.co.jp/

http://www.so-net.or.jp/vivre/

http://www.secom.co.jp/well/index.html

http://www.dik.co.jp/wa/ww/dr/index_1.html

http://wwwinfo.ncc.go.jp/NCC-CIS/0sj/indexj.html

 (舟田注)このうち、http://www.so-net.or.jp/vivre/ を試しに、覗いてみると、これは会員制のウェッブサイトで、商業的な色彩の強いという感じを持ちましたが、ここでも素人が専門家を判断することの難しさを実感します。

<3> コメント、その2

メールをありがとうございました。大変興味深く読みました。
1.について、先生のおっしゃる通り、いわゆる「日本の名医300人」のような本がありますが、それ以上の情報を入手することはなかなか難しいです。私は自分に子供が出来、判断を仰ぐためいざ「病院に」という段階になって、初めて行く「産婦人科」、どこに行ったら良いのか大変悩みました。
産婦人科というところは単純に「子供を産むための病院」ではなく、「婦人病」を主に扱うところもあれば「お産」に重きを置いているところもあります。「子供が出来た」と病院に行っても「うちでは出産は扱いません」と言われ、更には妊娠は病気ではないので保険が利かず、フルでお支払いをしなければならないという様な笑い話にもならないことがおきます。

 更には最近は少子化もあるせいか、出産そのものに自分の主義を反映したいというオカアサンが増えています。病院側でもお産で「あくまでも自然体を求める」ところもあれば「必要であればすぐにでも帝王切開」というところ、また個人病院、大学病院という規模の差、また安全のため個人病院だが大学病院との連携を取るところ、出産後「母子同室」を推奨するところ、母乳主義のところ、「母子別室」を基本にホテルのような快適さを提供するところ、今話題になっている「うつ伏せ寝」をさせるところ、させないところとその中身はバラエティに富んでおります。
 先輩妊婦を探し出し、口コミで病院の内容を聞き出すことは容易なことですが、問題は産婦人科の持つ「他の病院へ鞍替えする人を善しとしない」傾向です。自分の妊娠を確かめるために必ず一度は病院へ行くことになります。そこで妊娠が判明し、2−3回そこで検診を受ければなんとなくそこで生むことになってしまい、田舎へ里帰り出産をするという理由でもない限り他の病院へ移るための推薦状なんて先生は喜んでは書いてくれません。3ヶ月、4ヶ月と妊婦になっていくうちに様々な情報が集まり、「この病院はどうやら私の産みたい方法とは合致していない」と思っても、その時点で「病院を替えたいので、紹介状を書いてください」と担当医に申し出ることは難しいです。

 保険の利かない妊娠出産なのですから、もっと情報が流出されればと思うのですが、いかがなものでしょうか?一番わかりやすいのは「経験済みのオカアサンたちの選ぶ病院」かもしれませんね。

2.の通産省の行っている内外価格差調査について;余談

私はソニーに勤めている頃、まさにこの担当をしておりました。(ソニーは少々変わっていて、この手の官公庁関係でも平気で若い人を抜擢するので、他社の部長クラスの御えらい方々には不思議そうに見られておりましたが)。
93年当時の通産省による内外価格差の調査方法は我々からすると「それちょっと大丈夫?」というようなものでした。

1.MITIから国内で売られている商品のモデル(たとえばウォークマンのコレコレ)を指定され、国内での製造原価、標準小売価格及び市場価格を調べ、数字を提出。

2.同様にこれと適合する主要海外都市で売られている(であろう)海外モデル名を提出することを求められます。

3.その後実際に現地のMITIの担当官がお店に行って海外モデルの価格を見て、国内価格とのの差を比べるいうものです。

 が、現地で当該適合商品がない、などという調査報告もままありました。理論的には理解できるのですが、現状とかけ離れていることをMITIは自覚する必要があったと思います。まず電気製品の場合、単純に日本で売られているものが同時に海外モデルとして売られるわけではなく、また世界一ディーテールにこだわる日本の消費者向けについている細かい機能のほとんどは、アメリカやヨーロッパでは必要とされません。結果、日本モデルと海外モデルは市場価値から見ても「似て全く否なるもの」になっており、これの価格を比べることにどれだけの意味があるのだろうと疑わざるを得ませんでした。

 メーカーの命である製造原価まで出させて(もちろん細工はしてありますが)そこまでして集めた資料は本当に、何に使われているやら、と疑いたくなるほど「単なる報告書」に終わっているのでは?と疑問を感じます。
 日本は官僚が動かしていると言われますが、どうも「要領が悪いやっちゃ」との印象がぬぐえないこの頃です。日本はどこへ行くんでしょうね。

<4> コメント、その3(Y氏より)

 舟田正之 先生へ

 先生のメールの内容とは直接の係わりはありませんが、「医療サービスの競争」に関連して、少々お話申し上げます。
 小生が住んでおります多摩ニュータウン地区には、「多摩南部地域病院」という名称の総合病院があります(多摩市)。この病院は、小生が調べたところによりますと、社団法人・東京都医師会及び東京都が出資・設立した財団法人・東京都医療公社が設置した(こんなことを言うと何ですが)「普通の」大学病院・総合病院に比べると数段優れている(との印象を受ける)立派な病院です。小生の下の子が原因不明の全身痛で入院した時、小生の妻は「ホテルみたい」と言っておりました。
また、診療・治療の「質」に関しても、地元ではとりたてて悪い評判は聞きません。
 さて、多摩南部地域病院の話を出したのは、何も建物や造作の立派さ・綺麗さを言うためではなく、この病院の患者受入方法が通常とは異なるからです。すなわち、この病院は、他の病院・診療所から紹介された患者しか診療・治療をしない、というやり方をとっています。要するに、「一見さんお断り」の病院ということです(「紹介予約制」病院と言うようです。救急指定病院ともなっており、救急の場合は受入れるそうです)。
 そのため、(普通の総合病院・大学病院に比して)非常に空いています。普通の大学病院・総合病院でも「風邪ぐらいでは来ないで下さい」と言っているようですが、その病院に行く・行かないは、最終的には患者の側が決め、患者が診察を希望すれば診察を受けることができます。しかし、この多摩南部地域病院の場合は、患者の側が診察を希望しても、紹介がなければ診察を拒否されます(過去にはそういう実例があったようですが、最近では地域住民にもこの仕組みが知られているので、診察拒否の例はないか極めて少ないようです)。

 このような方法を採る理由とされているのが、医療の「分担」です。この病院は高度・専門的な医療・治療を行い、通常の医療・治療は地元の病院・診療所で行う(そして、手に負えない場合は、多摩南部地域病院に紹介する)、ということのようですが、地元の「噂」では、当初、東京都は「普通」の総合病院を建設する予定であったものの、(地元)医師会の反対を受け、結局、医師会側の要求に応じて、「一見さんお断り」の総合病院となった、とのことです。
 もとより、噂の真偽は不明ですが、小生はかつてこの病院の患者受入方法が医師法(*注)に違反しているのではないか(???)、また、独禁法にも違反しているのではないか(8条違反???)、と文句を言ったことがあります。その時、病院及び東京都(担当部局は忘れました)の担当者は、「この病院は地域住民の健康とともに、地元開業医の財布を心配して作られた」旨をはっきり言っておりました(そこまで言うのか、とびっくりした覚えがあります)。彼(女)たちが言うには、「もし普通の総合病院と同じ方法をとると、患者は皆、この病院に来てしまい、地元開業医はやってゆけなくなる。だから紹介制の病院にした。」とのことでした。

 人の命に係ることであり、また、医療の「分担」という理屈もそれなりに説得力があるので、単純に「自由な競争がよい」という答えにならないとは思います。それでもやはりこの「紹介予約制」は「何かヘンだ」、という気がしないでもありません。一度、いろいろな観点から(競争という視点からだけではなく)考えてみよう、とは思ってはいるのですが・・・・・。
 以上、「医療サービスの競争」に関連して、こんなこともある、ということで、メール致しました。

<5> Y氏のメールに寄せて、I氏より

 前略、舟田先生、

 Y氏が提示された「紹介予約制」病院についての問題を興味深く拝見しました。実は、私も「紹介予約制」を盾に治療を拒絶されたことがあります。
 S県に赴任する以前から、歯の治療を受けており、東京でのかかりつけの歯科医から「今度痛みがでたら大学病院or総合病院の口腔外科に行くように」といわれていたのですが、最近その必要が生じたため、S県内で唯一口腔外科のあるS医科大学付属病院(国立)に行ったのですが、「紹介予約制」を理由に治療を拒否されました。同院の説明によると、市内・県内の歯科医の紹介状(and/or)診断書がないと治療を行わないシステムを採っているとのこと。合点がいかないので、さらに説明を求めたところ、事務局長(?)らしき方が、「S県内の医療の質の確保」とそのための医療の「分担」の要請から行っていることであり、何ら問題はない、といってました(結局、同医大口腔外科出身でS市内で開業している個人医院を紹介され、現在そこで治療を受けています。ちなみに、担当歯科医の診断では、私の患部はS医大に廻す必要はない程度だそうです)。
 以前、何で読んだのか定かではないのですが、医療の質の向上のための専門化と分担化が「紹介予約」システムの狙いであるが、同時に大学病院での治療費負担(50%)ももう一つの背景にあるという指摘をおぼろげながら記憶しています。しかし、患者側が50%負担の意思を明示したにも係わらず、治療を受けつけないというのは-特に口腔外科の看板を掲げているのが唯一S医大にしかないのに、です-、Y氏もいわれるような医師法の規定の問題も含めて、違和感が拭えません。
 S医大の場合、医師会が設立に絡んでいる(Y氏のふれた)多摩南部地域病院とは違い、国立であるという点で、同列に取り扱えない部分もあるかもしれませんが、まだまだ「医」の分野には不透明な部分が多すぎるなというのが、率直な感想です。

<6> 舟田より前記のメールを頂いたI氏へ

 貴重なご経験の話をお聞きしました。
 医療施設の専門化は、結構な方向だと思いますが、それを隠れ蓑にして、競争制限が行われているとしたら、問題ですね。医療法のご指摘の規定は、診療拒絶を禁止したものですが、専門化を進めるなら、患者の立場に立った、それ相応の法制度が整備される必要があるのではないでしょうか。
 ところで、Y/I両氏のメールは、他のメンバーにも興味あることだと思いますが、私だけでなく、他の方にも転送なり引用として送ってよいものでしょうか。

<7> Y氏より(など、同様のメールをI氏からも頂きました)

舟田正之 先生へ

「患者の側に立った、それ相応の法制度の整備」というご指摘に全く同感でございます。さて、転送・引用の件でございますが、転送・引用して下さってかまいません(ただ、小生と病院側とのやりとりは口頭(電話)で行われたもので、また、「噂」も取り上げております。この点お含みおき下さい)。

<8>ある医事法研究者より

 頂きましたEメールの第一の点につき、少しばかり私見を述べさせて頂きます。
 そこ(前記<1>の1(2)やコメントとして掲載したメールーーー舟田注)に述べられている点は特定機能病院についてですが、この点は、もちろん医師会のエゴが大きな原因でしょうが、患者の方も何でも総合病院(病院)に行くことに問題があります。病院に行って、‘1時間待ちの3分間診療’だの、‘検査づけ’だなどと言うのなら、普段から近くのかかりつけの医師を選んでおくことです。とりわけ子供の場合などは、子供の体質などを熟知してもらう医師を決めておく努力が必要でしょう。何かにつけて、近隣の医師の情報を口コミでもよいから入手しておくべきで、これが親の役目でしょう。ダメな親に限って、子供が日中具合を悪くしても放置しておき、夜中にあわてて往診を依頼し、少しよくなるともう知らん顔というのが通例です。これは僕自身が多く体験したところでもありますが。普段の努力をしないで、軽い風邪でも大病院に行くことにより、多くの重い疾患の患者が迷惑を受けているところでもあります。医師法19条1項の診療拒否にあたらないかについては、近隣に全く医師がいなかったり、緊急の場合には別ですが、そうでなければ、その近隣の医師に行けばよいわけで、診療拒否にはあたらないと考えています。

 丁度、憲法14条1項で問題になる女子大学に男子の入学を認めないのと同じ理屈で、他の大学でも学び得る余地があれば、法の下の平等に反しないとされています(通説)。ただし、僕はこの見解には多少異論がありますが、この点については後日また詳細に論じます。
 医療法69条1項の‘広告しうる事項’についてですが、ご指摘のようにきわめて問題があるところです。論点は多々あるのですが、主として一般論と診療科目についてだけ、つたなき私見を述べさせて頂きます。

 そもそも医師(歯科医師)について広告を制限しているのは次のような理由によるものと思われます。
 すなわち病院(診療所)の経営上、その業務内容を患者に知ってもらうことが必要であり、そのために広告は必要でしょう。それとともに、患者の立場からは、自分の疾患につき、どの病院どの診療科に行けばよいかを知るためには、病院や医師についての情報を知らなければならず、広告は重要な判断資料となります。だから病院に広告を認めることは、患者の立場から見て望ましいといえるでしょう。

 ただ一般の商品やサービスを売るための広告活動と同一視してよいかは疑問があります。いわば、医療の場の問題は、人の生命・健康に直接影響があるわけで、このような医療に固有の問題は無視できないということです。
確かに病院についても自由に広告を認め、その結果患者の知ることができる情報量が増大してはじめて正確な判断を下しうるといえましょう。しかし、これは、あくまでも与えられる情報が正確かつ客観的であることが前提でしょう。
 これが一般の商品やサービスを売るための広告であれば、たとえ問題が生じても損害を回復しうる余地もあり、場合によっては自分の不明を恥じてあきらめることもあるでしょう。いわばこの場合は、広告は売手と買手という当事者間の問題としてとらえるべきであり、消費者の自己決定権の行使として放置するというのが資本主義経済におけるルールというべきで、消費者は賢くなければならないし勉強もしなければならないでしょう。もちろん度を過ぎた広告は詐欺罪に該当することもあるでしょう。しかし、現状の医療法における広告の制限がよいと主張しているわけではありませんし、問題を抱えていることは否定できません。

 医療法70条1項の診療科名を例にとります。近時の医療技術の飛躍的な発展、医療水準の向上に伴い医師の診療は事実上著しく細分化されているにもかかわらず、法の定める診療科名の追加・変更は必ずしもこれに対応するものではありません。

 1978年にこの点の改正があったのですが、この時には呼吸器外科、美容外科、矯正歯科の追加があっただけで、とうてい時代の要請に答えるものではありませんでした。美容外科などを追加するなら、もっと必要な診療科名が多数あったはずです。美容外科は当時反対が強かったにもかかわらず、自民党と厚生省が強行したもので、当然政治献金などの見返りがあったでしょう。

 その後16年間もこの点の改正はなく、1996年の改正まで放置されました。仮に法律の改正が無理だとしても、診療科名の追加・変更は政令に委任されているのですから、時代の変化に対応する改正ができるはずで、またそうでなければ法が政令に委任した意味はまったく失われるわけです。

 しかるに厚生省は適切な措置をとらず、かえって姑息な手段でこれに対応するばかりです。例えば厚生省は法で定められた以外の診療科名であっても、病院の建物の内部に掲示することは差し支えないとし(平成6.4.28総10号健康政策局総務課長回答)、さらに、敷地内であれば、建物の外に出す広告板は建物の内部の広告としてみる、といったきわめて安直な指導をしてます。

 さて1996年の改正ですが、ここではアレルギー科、リウマチ科、心療内科歯科口腔外科を新たに加え、従来の理学診療科をリハビリテーション科に変更しました。この点は十分とはいえないまでもよかったと思います。

 花粉症の患者は、目が充血しかゆければ眼科、鼻がグシュグシュすれば耳鼻咽喉科、咳がでれば内科だが、子供ならば小児科と迷い、いわゆる医師や病院を梯子する患者がでてくるわけです。皮膚炎、ぜんそく、アトピー性疾患なども同様で、診療科の選択次第で治療法は違ってくるわけです。

 リウマチ科の新設も当然で、従来関節の疾患と考えられていたために整形外科が中心でしたが、現在では全身性の疾患であることが判明し、有効な医薬品もでてきて、内科にもリウマチの専門医が多くなってきています。日本リウマチ学会は、その構成員は整形外科医と内科医とが半数ずつにようで、一般的には早期診断や薬物療法は全身状態を把握し、薬の副作用の知識もある内科医が適当であり、ある程度病状が進行し関節に障害が及んでいる状態であれば、整形外科医の手術による回復が望まれることになりましょう。

 リウマチはいまだに原因が不明確で、治療法が確立していないので、内科医も整形外科医もともに全身状態のチェックを怠りがちといわれ、患者は内科・整形外科の両方の知識と技術をもつリウマチ専門医の診察によるのがベストであり、この診療科名の追加により、リウマチ患者は専門医を探すことが容易になるでしょう。 上記以外のアレルギー科や心療内科についても同様です。

 医療法69条1項は「文書その他いかなる方法によるを問わず、何人も広告してはならない」と規定していますから、病院自身はもちろん、新聞・雑誌・テレビ等すべての当事者がこの対象となるわけです。したがって、同条は広告の主体・手段を問わないのですから、広告の意義が重要になります。広告の意義については、古い大審院判例が「不特定大衆に了知せられるべき方法をもって一定の事項を告知するの義にしてその書面によると否とを問わず、了知すべき者の範囲に多少の制限あるを妨げるものではない」(大判大正14.3.11)としていますが、これはほぼ現在でも判例・通説でもあります。しかし、実際問題として、具体的事例につきそれが広告にあたるか否かは、社会通念により判断する以外に方法はなく、その告知方法・対象・患者の誘引意図の有無等を基準に判断することになるでしょう。

 少なくとも現行法による制限が厳しきに過ぎ、しかもその運用はきわめて不適切で安易に過ぎる点が多いと思われます。例えば、医師が経歴や学位等を表示することは許されず(相手方が医師に限定されている場合の挨拶状なら許される)、したがって名刺に表示することもダメということになりかねなません。また○○温泉病院との表示も違法となります。

 新聞・雑誌・テレビ等の報道のなかで、記事として病院が紹介されているのは、患者の誘引の目的でない限り医療法にいう広告にはあたらないと解すべきでしょう。しかし、雑誌といっても“安心”とか“健康”といった雑誌の記事の多くは広告ではないかと疑わしい記事が多いことも確かであり、結果的には多くの患者がこれらの記事を頼って遠方から受診にくることは間違いありません。

 いわゆる健康雑誌が一般的な記事の体裁をとりながら、基本的には患者誘引の目的の広告である場合には、病院からの依頼の有無にかかわらず、ここにいう広告にあたるでしょう。しかし、患者誘引の目的の有無の判断の立証はきわめて困難です。

 そのことが、厚生省が病院(医師)についての多くの違法と思われる広告を放置しておく結果をもたらしているものと思われます。この点からいうと、むしろ広告の制限をゆるめ、患者に情報を与えてその判断に頼ることの方がよいのではないでしょうか。

 ちなみに、ドイツ・アメリカ(多くの州)でも広告は認められていないようで、患者は電話帳その他類似のもので病院を探すようです。以下いくらでもあまり筋の通らぬ話が続きますが、省略。

<9> 後記

 公正取引委員会は、1998年12月28日、静岡県の浜北市医師会(会員71人)に対し、会員の広告活動を制限していたとして、勧告を出した。
 勧告書によると、同医師会は、バス・電車などの車内広告の禁止、他の広告の設置時期も新規会合や移転時に限る、などの細かい広告自粛規定を決定し、会員のほとんどがこの規定を守っていた、という。

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