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「わが国の電気通信産業に対する今後の規制のあり方---特に、接続規制・ドミナント規制とNTTに対する構造規制について」

        この小論は、表題について私が行ったある講演の原稿を基にしている。

ここでは、ここ数ヶ月政府・与党などにおいて議論されている、NTTに対する構造規制に対し消極的な意見を述べるとともに、わが国の電気通信産業は現在、新しいIP網への転換期にあるので、その形成のあり方を検討すべきであるとしている。

      本稿は、本年6月に掲載したものであるが、その後加筆・修正して、以下の表題で雑誌ジュリストに掲載した。

 「次世代ネットワークと規制システム---接続規制・ドミナント規制・NTTに対する構造規制を中心に」 ジュリスト131850-157 頁(20068月)

                            

1.   競争と規制の併存---「公正な競争」のための規制

  私の専門は、「経済法学」という分野で、主として独占禁止法と各種の経済的規制を研究対象としています。

 独禁法は、「公正かつ自由な競争」の維持・促進を目的としています(同法1条)。しかし、競争原理が全く機能しない、あるいは完全には実現しない場合もあり、その1つが「自然独占」と言われた分野です。ここでは規模の経済が大きく働くので、独占的な事業者が現れるのはやむを得ないとされ、その代わりに公的規制によって国民などユーザーの利益を確保することとされてきたのです。

 従来は、電気通信分野も、この自然独占が妥当する分野だとされたのですが、その後の技術革新等によって、電気通信分野の中の多くのサービス分野は競争に適するようになったために、競争原理が導入されたわけです。

 しかし、それでも、加入者回線部分などは未だにボトルネック(「不可欠施設」とも呼ばれます)のままであることなどから、実際に競争が有効かつ公正に機能するために、接続規制、ドミナント規制(=支配的事業者規制)、NTT法による規制など各種の規制が行われてきました。

その結果、新規参入も多様に行われ、これによってこの分野は著しく競争的になり、その成果は、料金の低廉化・サービスの多様化などとして現れていることは周知の通りです。

 

2.独占から競争への過渡期

2-1.NTTのボトルネックと市場支配力

 

電気通信分野に競争原理を導入し、電電公社を民営化した1985年の制度改革から既に20年が経過したわけですが、わが国の電気通信産業には依然として、競争が有効に機能していない部分があります。

 第一に、NTT東西のボトルネック独占があります。具体的には、NTT は電柱・管路等の敷設基盤を有し、かつ加入者回線など地域通信網において圧倒的な重みを持っています。加入者回線の94.7(契約回線数ベース)NTT 東西です。

 第二に、通信サービスの面でも、通信市場売上高15.7兆円に占めるNTT グループ(NTT東西・NTTコム・ドコモ)のシェアは約65%です(04年度ベース)。

 うち、固定電話サービスでは、加入電話契約のことは前述の通りで,さらにマイライン契約については、76から60%です(市内、市外、県内市外、県外、国際電話の区別があります)。

 さらに、携帯電話サービスでは、ドコモが54.4%のシェアをとっています(いずれも059月末ベース)

 以上のNTT各社の高いシェアは、各社の企業努力の成果という面もあるでしょうが、同時に、公社時代からのキャリアであること、第一点であげたボトルネック独占を持っていることと関連していると考えられます。

2-2.接続規制とドミナント規制

これら2つの独占的要素に対応して、現行の電気通信事業法によって接続規制とドミナント規制が行われており、これは前述のNTT各社の状況として挙げた2点を踏まえると、現在でも必要な規制であると考えられます。

「接続規制」は、接続料・接続条件の役款化、接続会計制度、網機能計画が大きな柱となっています[i]

「ドミナント規制」(=支配的事業者規制)は、2001年に導入されたものであり、東西NTTとドコモ9社に対し、情報の目的外利用の禁止、特定の電気通信事業者に対する差別的取扱いの禁止などを定めたものです。これは、前述の接続規制とは異なり、ごく簡単な、概括的規定があるだけで、しかもこれを実際に発動した例はほとんどないようです。

2-3 光ファイバー敷設競争

 近年、NTT東西と電力会社等との間で光ファイバー敷設・サービス提供に関する競争が激化しており、地域によってはNTT東西のシェアが半分を割ることもあるようです。そこで、NTTは光ファイバーを接続規制の対象から外すべきことを主張しています。

 現在、ブロードバンド(DSL,FTTH,CATV,無線)の契約数は約2200(05年末現在)で、うち、DSLは約1400万、FTTHは約460万、CATVは約320万となっています。

これについてのNTT各社のシェア(契約数ベース)は、DSLについては39%、光ファイバーでは59.2%となっており、電話に比べてブロードバンド・サービスでは他の競争事業者も有力であることが分かります。

 しかし、光によるFTTH は、従来のメタル回線によるDSLとサービスとしての代替性が高く、両者を含めた「ブロードバンド・サービス」として捉えた方が妥当だと思われます。また、アクセス網としての光ファイバーは、ボトルネック性のある電柱・管路基盤に構築されること、NTT 東西はメタルから光への置き換えが容易であること、も考慮すべきでしょう。

 したがって、NTTの光ファイバーも接続規制の対象に含める現行規制は妥当だと思われます[ii]

 

3.既存の電話網から、IP網・NGN(次世代ネットワーク)

3-1 これからのIP網における接続規制

現在、インターネットやIP電話などによって、映像配信など多様かつ高度なIP 網の利用が増えていく中で、先進諸国の通信ネットワークは、電話交換網の世界からIP(インターネット・プロトコル)網へと移行する過程にあると言われています。NTTKDDIなど各通信キャリアはより高度なIP 網を構築するため、次世代ネットワーク(= NGN )を構築しつつあります[iii]

こうしたIP 網への移行過程において、これまでの規制はどう変わるべきでしょうか?

これからのIP網の基本的構造は、これまでの回線交換網と同様に、いくつかの階梯(ヒエラルヒー)から成る構造のようです。したがって、技術的にネットワークをオープン化することはもとより、どの階梯でどのような条件で他の事業者に接続させるかについて検討する必要があり、その際には、前述のボトルネック独占をふまえて現行の接続規制を組み替えることになるでしょう。

 

3-2 IP 網に関するドミナント規制

現在のIP網においても、物理網レイヤー、通信サービスレイヤー、プラットフォームレイヤー、コンテンツ・アプリケーションレイヤーに至る複数のレイヤー(事業領域)ごとに機能が分化しつつあります[iv]

そのうちの特定のレイヤーにおける機能だけを提供する事業、例えば、コンテンツ提供事業も成立します。この場合は、他のレイヤーにおいてサービスを提供する事業者と契約してエンド・ユーザーにサービスを提供するわけです。

しかし今後は、このようないわば「独立型」ではなく、これら複数のレイヤーを単一又は複数のプレーヤーが組み合わせてビジネスモデルを構築する「垂直統合型」の比重が高まるといわれています。

今後のIP網に関する接続規制について特に注意する必要があるのは、NTTが、通信サービスからコンテンツ・アプリケーションまで一体として提供する垂直統合型の事業を展開し、回線設備のボトルネック独占による強みが上位のレイヤーにも影響する可能性があるということです。

例えば、コンテンツ・レイヤーだけで事業を行う、前述の「独立型」事業者と、同じような事業を行うNTTの関連会社が、対等な立場で競争できなければならないわけですが、仮にNTTの関連会社だけが、その下のレイヤーであるプラットフォーム機能を担うNTT子会社から有利な取扱いを受けるようなことがあれば、「公正な競争」は望み得ないわけです。

これに対処するには接続規制だけでは不十分であるとすれば、新たなドミナント規制が必要になるのかもしれません。

具体的には、コンテンツ・アプリケーションを通信網の上で円滑に流通させるための機能(例えば、QoS、認証・課金等の機能)のオープン化・平等取扱いを確保することが必要です。

あわせて、ボトルネック設備を保有するNTT 東西がその子会社等と連携して市場支配力を濫用したり、優越的地位の濫用を図る可能性があるとも主張されており、これらについても検討する必要があるでしょう。

ただし、「公正な競争」が阻害されるおそれ、あるいは市場支配力が濫用されるのではないかという懸念を理由とするドミナント規制は、オープン化と不当な差別禁止を骨子とする緩い規制にとどめるべきです。仮に、市場支配力の濫用などの行為が実際に行われるとすれば、まさに独占禁止法違反の問題として処理されるべきであるからです。

なお、上記の接続規制とドミナント規制については、ブロードバンドやIPの世界は急速な技術革新や市場構造の変化が進展しつつある分野ですので、定期的に競争ルールを見直して修正するなど、透明な規制プロセスの確保が必要と思われます。

 

4.NTTの在り方を見直す必要はあるか

4-1 NTT持株会社形態の見直し

以上の規制=競争ルールの見直しは、NTT の在り方と密接に関連します。

私の提案の第一は、NTTの組織に手を加えることは、既にこれまで何度も繰り返されてきたことであり、また、それらにおいて経験したように、多くの議論と労力・時間が必要でありますから、現在取り組むべきことは、上の3.で述べたIP網の発展に即した見直しを進めるべきである、ということであります。

NTTの構造分離については、拙速は避けるべきであり、実際に働いている方々の労働意欲、効率化への努力の芽を削ぐようなことのないように慎重に見直しをすべきでしょう。

 

私の提案の第二は、上に述べたように、NTTの構造分離など抜本的な見直しは措くとしても、NTT各社の関係を最小限変えるべき点はないかについても検討すべきであるということです。

その中でも最も明確な論点として、通信網のIP化は距離区分の概念をなくしますから、東西が地域(県内)会社であることは変えざるを得ないということです。現在は、NTT法における個別の認可で対処していますが、今後は県間・県内という区別は廃止していくべきでしょう。

そうすると、NTT東西とNTTコミュニケーション(Nコム)との分離は意味を失うのかという問題が出てきます。これは次の第三点と関連しますが、基本的には、まずはNTT各社の自主的な判断によって、Nコムは県間の基本通信サービスを担うというより、インターネット関連などの新しい各種サービスを競争的に行う事業体として独自の意義を持つのではないでしょうか。

さらに、NTTの地域会社を東西の2社に分けたことは今日では意味がなくなっているかどうかを再検討する必要があるのかもしれません。東西2社に分けた趣旨は、いわゆる「ヤードスティック競争」をさせてお互いに比較しつつ独自の効率化を推進すべきだということ、また、地域通信市場における競争を促進するために、相互参入を目指すべきだという2点にありました。しかし、そのいずれも実際には実現していないように思われ、上記の制度趣旨は実態に即して見直す必要があるようにも思われます。

 

そこで、私の提案の第三は、NTTグループ各社の関係の見直しです。

昨年秋に発表されたNTT の「中期経営戦略」は、持株会社主導によりグループ各社の経営資源の再配分を目指すものであり、「グループ内の連携の強化」、「IPベースのシームレスなサービス」などが目立つことから、競争事業者から「独占回帰」ではないかという懸念の声が上がっていることはご承知の通りです。

NTT持株会社が株主利益の最大化の観点から中期経営戦略の策定をし、そこでグループ一体経営を図ろうとすることは、経営側から見て経済合理的であり、持株会社形態である限り、グループ各社の統合への誘引が働くのは自然だともいえます。

しかし、NTT持株会社は、99 年の再編成のときから、グループ内の各社が相互に競い合うことが期待されていました。翌2000年の審議会答申にも、「東西NTTNTTドコモ、NTTコムが相互に依存することなく、グループの内外、国内・国際の徹底した競争にさらされることを通じて経営力の向上を図ること」、「グループ各社の自主・自立の経営体制の確立」が要請されるとあります[v]

このような要請が、NTT持株会社として採り得ないということであれば、持株会社形態を見直し、資本分離などの抜本的改革も必要になるのかもしれません。そもそも96年にNTTの持株会社化が決定されたのは、資本分割と一体性の維持という対立に対する妥協の産物であり、グループ各社の自主・自立の経営体制がなければ、持株会社化の意義の大半が失われてしまうからです。

私の個人的意見は、NTT持株会社の当初の趣旨である、グループ内各社の「緩やかな連合体」という基本的性格を維持すべきではないか、というものです。特に、上場しているドコモやNTTデータなどは、NTT持株会社以外の少数株主もいるのですから、これらの会社については、それらの独自の利益ないし企業戦略を許容してはどうでしょうか。そのことが結局は、NTTグループ全体の利益に貢献することになると思われます。

 

4-2 ドミナント規制を強化すればNTT 見直しは不要か

<注>

経済学上の有効競争論をふまえて、独占禁止法・競争政策における議論では、「市場構造」に着目した規制を「構造規制」と、また、「市場行動」に着目した規制を「行為規制」と呼ぶのが一般です[vi]。そして、NTTのような大企業の資本構造を変える、特に企業分割をするとすれば、それは同時に電気通信産業における「市場構造」にも大きく影響するので、これを「構造規制」として捉え、前述の接続規制やドミナント規制のように、NTT各社の行為を規制することを「行為規制」と呼んでいます。

 

 仮に、NTT の資本構造に全く手を付けず、中期計画に示唆されているように、NTT持株会社による統合傾向が強化されれば、ますます行為規制(接続規制・ドミナント規制)を強化する必要が生じ、場合によっては、独占禁止法を適用すべき事例も出てくることも起こるかもしれません[vii]。このような独占力の拡張のおそれを未然に防ぐために、現行のドミナント規制を強化するということも検討しなければならないとも思われます。

逆に、NTT 構造分離が進めば進むほど、行為規制の必要性が低下するということになります。

しかし、構造分離の例として、例えば、KDDIやソフトバンクが主張しているようにNTTのボトルネック部分(アクセス回線部分)を分離しても、そこのボトルネック性は残るわけですから、今度はそれへの規制をどうするか、という問題が生じます。また、そのように分離して設立されたアクセス回線会社は、いわば光ファイバー設備建設独占企業となるだけですから、効率的な事業主体として活動するかどうかには疑問があります。

むしろ、電力系通信事業者やCATV事業者による光ファイバー敷設競争を促進し、無線アクセスの普及方策を進めることなどによって、ブロードバンドに関する設備競争も活性化させ、NTT東西の固定アクセス回線網に対する競争圧力をかけ続けることの方が本筋であるように思われます[viii]

そもそも、NTT東西のアクセス回線網あるいは地域通信網がボトルネックであるということは、事柄の性質上、やむを得ない性格のものであって、それ自体が悪性を持っているわけではありません。それを公正にオープン化しているか、ボトルネックを利用して市場支配力を形成・強化していないか、だけが問われるべきです。

 

そこで、まずは現行の接続規制では不十分な点がないか、あるいは今後のIP網の高度化の過程で、規制システムを変えるべきことはないか等について検討することが重要であるように思われます。

その際には、NTTのボトルネック部分についての「機能分離」を検討してはいかがでしょうか。これはいわば,構造規制と行為規制の中間的な位置づけになります。

その参考になると思われるのは、英国BT において本年1月から実施されているアクセス網の機能分離です[ix]。もっとも、英国と日本は違う環境にあり、機能分離といってもかなり幅がありますから、日本においてどのような機能分離が望ましいかを慎重に検討すべきでしょう。

さらに、今はIP網を高度化し、NGNを構築していきつつある状況です。このことをふまえつつ、ボトルネックのオープン化のための行為規制をまず進めるべきだと思われます。

[1]  なお、これまでわが国の接続規制について訴訟で争われたのは、東京地裁平成17422日判決が唯一の事例です。本件は、KDDI5社が、総務大臣によるNTT東西の加入者回線網の接続料認可を争ったものです。これについては、舟田「NTT東西の加入者回線網の接続料認可に対する取消訴訟」メディア判例百選(有斐閣、2005年)214頁以下を参照。

 また、接続規制は、GATSの電気通信付属書及び参照文書においても取り上げられており、メキシコがこれらに違反するとして米国が紛争処理手続を求めた事案につきパネル判断が下されている。これについては、小寺彰「電気通信サービスに関するGATSの構造 米国・メキシコ電気通信紛争・WTO小委員会報告のインパクトと問題点- RIETI Discussion Paper Series 05-J-001 , http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/05j001.pdf (2005)滝川敏明『WTO法—実務・ケース・政策--』(三省堂、2005年)162頁以下、および田村次郎『WTOガイドブック』(弘文堂、第2版、2006年)155頁以下に所掲の諸文献を参照。

 

[ii]  この問題については、例えば、日経コミュニケーション2003623日号75頁以下、同2003811日号96頁以下などを参照。
一部には、光ファイバーのシェアは、設備量保有シェアで議論すべきであるという主張がなされています。光ファイバーは、ダーク・ファイバーから、専用線やBフレッツ・サービスのために使用されているものまで多様なものが含まれているようで、シェアの取り方は簡単ではないのでしょう。

 しかし、光ファイバーの設備量それ自体を対象とすべきという議論は、市場における競争を的確にとらえるものではないと考えられます。

 第一に、競争市場におけるシェアは、ユーザーに提供しているサービスの売上高(これが不適当なときは売上数量)について算定するのが原則です。同じ問題は、製造業における生産集中度と出荷集中度(これは、「出荷シェア」と「販売シェア」に分けられることもある)の関係などについて起こるものですが、原則は後者(出荷集中度)によって市場支配力の有無・程度を見るべきものでしょう。
 第二に、しかし同時に、各社の潜在的能力も「総合的事業能力」を見る上で重要です。八幡・富士合併事件における「粗鋼」の生産能力について、これと同様の議論があったことは周知の通りです。上述の設備量保有シェア論は、この第二の点にかかわるものでしょう。
 上述の競争論とは別に、電気通信事業法上の接続規制の仕組みを見てみますと、同法33条は、「第1種指定設備」は、メタルと光を区別していないし、個別のサービスのシェアと直接連動するものではなく、市場におけるサービス競争の物的前提である電気通信設備が「不可欠設備」(essential facility=ボトルネック設備)かどうかを見るものです。

また、同条には、「その一端が利用者の電気通信設備(移動端末設備(----中略---)と接続される伝送路設備)」とあるから、「接続」されていない光ファイバーは算入しない、という解釈は妥当と考えられます。

また、電気通信回線のような全国に敷設される設備が、「不可欠設備」に当たるかどうかについて実際の判例で問題になったことはありませんが、都市部以外の多くの地域ではNTTしか敷設していず、またはユーザーや競争事業者にとってアクセス可能でない、という事態は、シェア50%(同法331項、同法施行規則23条の23項参照)なら当然あり得るでしょうから、合理的な閾値といえましょう。したがって、光ファイバーについての、各地におけるNTTのシェア低下から、それを直ちに第1種指定設備から光を外す、という論理は出てこないように思われます。

もちろん、光ファイバーについての設備投資インセンティブを考慮し、あるいは、競争状況いかんでは、光ファイバーを第1種指定設備から外す、という政策もあり得るでしょう。しかし、少なくとも、米国とはケーブルによるブロードバンド・サービスの比重が異なるなど競争状況が全く異なることには注意すべきです。

ただし、日本でも最近は、CAYV事業者や電力会社あるいはその子会社等による自前の光ファイバー敷設・サービス提供が増加しつつあること、また、電柱等の敷設基盤も、コロケーション規制や新たな電柱添架ポイントの開放などによって、他事業者も加入者回線を自前で敷設する環境が次第に整いつつあること等々にも考慮すべきです。

 

[iii]  次世代ネットワークについては、差し当たり、総務省「IP化の進展に対応した競争ルールの在り方に関する懇談会」(第6回)(平成18年4月26日)の「資料1-2 配付資料」23頁、あるいは、「資料2 森川博之」を参照。

http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/ip_ka/pdf/060426_2_s1-2.pdf

[iv]  米国で始まったレイヤー型競争モデルについて、谷脇康彦『融合するネットワーク』(かんき出版、2005年)171頁以下を参照。

総務省「情報通信新時代のビジネスモデルと競争環境整備の在り方に関する研究会」報告書(平成14年)では以下のように記述しています。

 

本報告書では、事業領域(レイヤー)について、端末、ネットワーク、プラットフォーム、コンテンツ・アプリケーションの4つのレイヤーに分類している。このうち、「端末レイヤー」は通信端末機器の製造・販売に関わるレイヤーを、また「ネットワークレイヤー」は電気通信事業法が対象とする電気通信事業(第一種電気通信事業及び第二種電気通信事業)を指す。更に、「プラットフォームレイヤー」は認証・課金、コンテンツ配信事業、著作権管理等の事業を含むレイヤー、「コンテンツ・アプリケーションレイヤー」はコンテンツやアプリケーションの制作・販売等の事業を含むレイヤーを指す。

さらに、同報告書は、以下のようなビジネスモデルを指摘している点が特徴的です。

"「レイヤー縦断型のビジネスモデル」は、単一事業者による「垂直統合型ビジネスモデル」と複数事業者による「協働型ビジネスモデル」の2つのビジネスモデルで構成されている"(報告書第2章(P17))

報告書URL  http://www.soumu.go.jp/s-news/2002/020606_3_01.html

 

 しかし、複数のプレーヤーが個別の契約によって取引を行う場合を「独立型」と、また、より強い結合(独占禁止法上の用語では、「固い結合」による場合。基本的には資本的な結合であり、一方的な出資、相互の出資関係以外に、共同出資会社による場合も含む)で組み合わせる場合を「協働型」と、さらに、1社が複数のレイヤーにおいて活動する場合を「垂直統合型」」とした方が、競争の実態を見る上では適切と思われます。

  上の「独立型」のビジネスモデルでも、他のレイヤーにおける事業者と継続的な契約関係を結び、それらが提供するサービスと組み合わせて、自己のサービスを提供することになります。しかし、それらのい契約関係は、上記の「協働型」における「固い結合」ではなく、単なる取引上の契約関係にとどまる点が特徴的です。

  上の意味での「協働型」は、例えばNTTグループの各社による組み合わせを典型とするのですから、競争政策・競争法の観点からは、1社の単独提供による「垂直統合型」に近いとも言えます。独占禁止法上の概念としての、「固い結合」と「ゆるい結合」との区別については、差し当たり、根岸哲・舟田『独占禁止法概説』(有斐閣、2004年)65頁を参照)。

米国での議論においては、一般に「垂直統合型」」を"vertically integrated business model"という言い方が一般的であり、ここでは、上の「協働型」をも含む意味で用いられているようです。これに対し、上の3分類では、「独立型」(independent)、「協働型」(jointly cordinated)、「単独型」(single)という分け方になるのでしょう。

 

[v]  電気通信審議会「IP革命を推進するための電気通信事業における競争政策の在り方 第一次答申」(200012月)。これについては、田中栄一「NTT再編関連三法の成立についてーNTT再編成と接続問題を中心に」ジュリスト111966頁以下(1999年)、舟田IT革命推進のための電気通信審議会第一次答申について」ジュリスト119852-58頁、119948-61頁(2001年)参照。

[vi]  「市場構造」、「市場行動」などについては、差し当たり、根岸哲・舟田『独占禁止法概説』(有斐閣、第二版第二刷、2004年)29頁以下を参照。

[vii]  例えば、NTT東西とドコモの結合サービス、あるいはNTT東西とNコムをともに選択すれば割引にするという料金体系は、他の競争事業者を排除するおそれがあるとして私的独占に該当するという解釈が成り立つという可能性もあると考えられます。

[viii]  同時に、ボトルネック部分を最小限にすることが必要であり、この点は、電柱の利用方法など多様な検討がなされているようです。

[ix]  が国でも接続会計でNTT東西のボトルネック部門につき管理部門と利用部門を分けていますが、あくまでこれは接続料算定の基礎となる会計データをとるためのものでしかありません。すなわち、企業会計として別個に制度化されているわけではありません。

また、BTの場合では、組織面において、事務所にしたり、情報遮断の徹底、アクセス部門とそれ以外のBT組織との取引等はすべて競争事業者と同じにする、といった措置を講じています。ただ、人員がアクセス会社からBTの他の部門に移動することそれ自体は禁止していないようです。

なお、給与もアクセス部門のみの業績に連動することとされております。

BTは、アクセス平等委員会(Equivalency of Access Board)という委員会を作って、ここでアクセス網のオープン化が真に機能しているかをチェックしています。この委員会はBTの役員、社外取締役、それに部外の有識者3名の計5名で構成されて、接続ルールについて競争事業者から問題提起された場合には、この委員会でBTの対応状況などを監視するとともに、OFCOMに措置状況を報告します。

NGNについては、BTの公約では、

1)ネットワーク設計上のいかなる決定も他事業者との事前の正式協議なく行なわない、

2)BTは最も効率的な態様でNGNを設計・構築した場合の費用に基づき、当該ネットワークアクセスの料金を設定する、

3)業界団体がPSTN(既存の電話網)からNGNネットワークへの移行に関する合意の形成を目指して設立され、かつ、当該業界団体がOfcomにより支持される場合、BTは当該団体に参加することに合意する、

4)Ofcomが設置するNGNに関する紛争処理機関制度への参加にBTは同意する、

等とされています。

以上のように、 BTはNGN構築について、ネットワークの構成、アクセス料金などについて競争事業者の同意を得てから設定することに完全に同意するとともに、NGNネットワークへの移行に関する合意の形成を目的とする業界団体との討議機関への参加、紛争処理機関への参画などについても同意しています。

以上については、差し当たり、以下を参照。

関啓一郎「英国『電気通信の戦略的レビュー』とIP時代の通信政策----BT(ブリティッシュ・テレコム)の仮想分割と次世代ネットワーク移行体制について」CIAJ JOURNAL 20059月号10頁以下。

総務省「IP化の進展に対応した競争ルールの在り方に関する懇談会」(第6回)の配付資料、「諸外国における競争政策の動向」。

http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/ip_ka/pdf/060426_2_s5.pdf



 「価格の適正化」 2006年3月

 

舟田正之「消費者取引における価格の適正化」遠藤浩・林良平・水本浩監修『現代契約法大系 第4巻』(有斐閣,1985年)133頁以下

 

* 以下は,今回,私の不公正な取引方法に関する論文集をまとめるに際し、若干加筆・修正したものである。ただし,内容の大部分は執筆当時のデータのままにとどめ,法律改正など最小限の注を入れるにとどめている。

全体として,本論文が書かれた80年代前半の日本の経済状況を反映し,インフレを基調とする経済における小売価格の持続的上昇と,競争法上の課題との関連,という課題意識に基づいている。

本論文の三.では、日本でも優越的地位の濫用の規制によって、不当な高価格も規制されうることを示した。これは,多くの場合、ドイツ競争法において違法とされている「搾取的濫用」と重なるといえるであろう。もちろん、ドイツ・ECの競争法における「市場支配的地位」と、日本の独占禁止法における「優越的地位」は異なるが、「市場支配的地位」を有するとされた事業者の多くは、取引の相手方に対し「優越的地位」にあると認められるであろうから、「多くの場合」という限定付きで上のようにいえるであろう。この点に関する最近の事情については,泉水文雄「独禁法の比較法---市場支配力の視点から」日本経済法学会編『経済法講座2 独禁法の理論と展開(1)(三省堂,2002)107頁以下を参照されたい。

 ただし、高価格という価格水準それ自体に対する規制には難しい問題も多いが,そのような高価格が形成される価格システムないし当該取引における価格構造に着目すべきことを説いているものである。

 

一.問題の設定

二.市場支配的事業者による不当高価格販売

三.優越的地位の濫用による不当高価格販売

 

一.問題の設定

購買者たる消費者と供給者たる事業者との間の取引において、後者が設定する価格が不当に高い(不当局価格販売)、あるいは不当に低い(不当低価格販売)と判断されるのはどのような場合であろうか、また、その場合にとり得る法的手段としては、どのようなものがあり、かつ、その有効性の有無・程度はどうであろうか。「消費者取引における価格の適正化」という表題の内容を広く捉えれば、このような大きな問題となろう。しかし、ここには数多くの論点が含まれており、したがって、ここではまず、問題を整理した上で、本稿の対象をより限定した形で提示するという作業が必要である。

第一に、今日のわが国における諸経済分野ないし諸事業活動には、独禁法の適用を受けるものと、その適用を(一部)除外されて、その代わりに特別の監督・規則に服するものとがある。そのうちで、事業者の価格設定について、後者のタイプに属するもののうち、いわゆる公共料金と呼ばれる価格決定方式は、一般に、原価主義がとられているので、競争を前提にした一般の価格形成とは区別して考えなければならない[]。また、公共料金制度以外にも、独禁法の適用を除外される価格決定方式がある。例えば、不況カルテル(独禁旧二四条の三---現在は削除)、再販売価格維持契約(独禁二四条の二---現行法では23)などの場合であるが、これらについては、各々の制度ごとに、価格決定の仕方および内容に対する規制のあり方を検討すべきものである。以下では、独禁法の適用を受ける一般の経済分野ないし事業活動を考察の対象とする。

第二に、右の独禁法の妥当する領域において、独禁法による一般的規制と並んで、その他の諸々の法律による価格規制が様々の形態においてなされることがある。例えば、民法九〇条や物価統制令による暴利行為の禁止、さらに、いわゆる投機防止法や石油二法などがあるが[]、ここでは独禁法上の規制に限定して考えることとする。

第三に、不当高価格販売と不当低価格販売のうち、本稿では前者のみを取り扱う。両者は、性格を全く異にするものであり、前者が、取引の相手方に対する供給者の(すなわち、タテの)力の濫用を本質としているのに対し、後者は、自己の競争者に対する供給者の(すなわち、ヨコの)力の濫用という性格を有している。したがって、これら両者は、各各異なる法的評価を受けるべきであり、わが独禁法上、不公正な取引方法に限っていえば、前者は一般指定一四項、後者は同六項と区別して取り扱われ、また例えば、西ドイツ(現ドイツ)の競争制限禁止法(Gesetz gegen Wettbewerbsbeschränkungen. 以下ではGWBと略記する)においては、前者は搾取的濫用(Ausbeutungsmißbrauch)、後者は妨害的濫用(Behinderungsmißbrauch)として、両者を峻別して論じられている(この点については後述する)

第四に、以下では、実体法上の違法性の議論を中心とし、違法とされた場合の行政上の処分(「排除措置」)、あるいは損害賠償請求訴訟などの問題にも立ち入らないこととしよう。ただし、前者の排除措置の問題は、ここでの実体法上のテーマと関わって論ずべき点もあるので、その限りでふれる必要がある(本稿,三.45参照)。これに対し、損害賠償請求訴訟は、テーマとは別に検討することが可能であり、また、近年の石油カルテル消費者訴訟を契機にかなり論議された問題であるので、ここでは割愛する[]

以上を要するに、本稿のテーマは、自由な競争市場において、事業者が消費者に対する取引につき、不当に高い価格(ないしそれに直接関連する取引条件)を設定し、独禁法上、違法と判断されるのはどのような場合かということである。

 

二.市場支配的事業者による不当高価格販売

1 価格カルテル

 消費者が購買者として市場に関与する場合に、そこに成立する価格が独禁法違反行為によるものであるというケースは多様である。

その主要なケースを挙げれば、第一に、メーカーあるいは販売業者(卸売業者・小売業者)がカルテルを結んで、価格を人為的に形成する場合がある。メーカー間で価格カルテルが結ばれる場合、今日の消費財のほとんどは、メーカーから直接消費者に販売されるのではなく、様々の形態をとる販売業者の手を経るのであるから、メーカーが各々、販売業者をある程度掌握し(いわゆる流通支配あるいは流通系列化)、あるいはタテ・ヨコの販売業者間の関係が競争制限的状態にあるときに、そのカルテルによる高価格がほぼそのままの形で転嫁されて消費者価格にまで及ぶことになる。これに対し、小売業者間に価格カルテルが形成される場合は、消費者価格それ自体が対象とされるのであるが、現実には数の多い小売業者の価格カルテルは実現不可能ないし困難なことも多い。したがって、今日の大衆消費財の価格がカルテルによって維持あるいは引き上げられる場合の典型は、メーカーのカルテルと各メーカーの流通支配との組合せによる場合であるといってよいであろう。

2. 再販売価格維持行為

 第二に、消費者価格が、メーカーによる販売業者に対する再販売価格維持行為によって高水準に維持されるという場合がある。この再販行為の背後に、メーカー間のカルテルが存在していれば、上述の第一の場合に当たるが、それが存在しなくとも再販行為がなされることもあり得る。ただし、再販行為は当該商品の消費者価格を、競争に委ねる場合よりも高い水準に維持しようとすることであるから、それによって、他の競争メーカーとの競争において不利な状況になり、自己の供給する商品の販売量が減少することがない、という条件の下でのみ採用される経営戦略である。

例えば、①野田醤油事件[]のように、野田醤油が最高の格付けとシェアを有し、再販行為によって小売段階での安売りが防止されている場合、他の三メーカーは、野田醤油と同等の格付を維持しようとする限り、野田醤油の価格設定と同一歩調をとらざるを得ない。このように、市場支配力を有するメーカーによるプライス・リーダーシップが再販行為を可能にし、また逆に、この再販行為によって当該メーカーの価格支配力が維持・強化されるという場合がある。この場合には、本件に対する東京高裁判決が判示するように、再販行為だけではなく、当該メーカーの市場支配力それ自体を私的独占(他のメーカーの「支配」、独禁二条五項参照)として捉えることができるとすれば、その方が競争制限の実態に見合った法の適用であるといえよう(いわゆる「間接支配」説)

また、②右のように、あるメーカーが、他のメーカーを「支配」するのではなく、複数の有力メーカーが、カルテルを結ばずに、相互協調的な競争制限状態を作り出し、各々が再販行為をするということもあり得る。

さらに、③ある有力メーカーが、自己の商品についての製品差別化に成功し、消費者が、その商品は他のメーカーの供給する商品とは異なるものであると受け取るようになれば、当該商品だけで一つの市場を形成すると見ることもでき、この場合には、他のメーカー品との価格競争の影響を受けずに、再販行為をすることができるようになる(なお、これは、当該メーカーが市場支配力を単独で獲得していると見ることができるとすれば、①の場合の一つの特殊な形態であるともいえる)

3. 管理価格

(1) 

上述の価格カルテルおよび再販行為による不当高価格販売に対しては、独禁法上、前者の場合は不当な取引制限(独禁三条・二条六項)、後者の場合は不当な再販売価格維持行為(独禁二条九項四号、一般指定一二項)として規制がかかることになり、ここで立ち入って論じる必要はないであろう。

ところが、今日の先進資本主義諸国においては、このような明確な独禁法違反行為によらずに、少数の寡占企業が、競争が有効に機能していない市場において、その販売価格を市場メカニズムに委ねるのではなく、自己の価格政策の下に置くことに成功する、という状態が、多くの協調的寡占市場の下で広く見られるようになってきている。このようにして形成される価格は、「管理価格」と呼ばれる。一般に、自由な競争市場においては、価格は需要・供給という市場全体の条件によって、企業にとっては他律的に決定されるのであるが、管理価格は、当該企業の設定した価格が、競争の圧力に十分には曝されず、あるいはそれに打ちかって、ほとんどそのまま市場価格として通用するのである。

このような管理価格を実現することのできる寡占企業は、上述のような明白な独禁法違反行為をしなくとも、市場における価格を決定ないし左右し得るのであるから、より強力な市場支配力を有しているわけである。にもかかわらず、独禁法の定める要件に該当する行為がないか、あるいは、その立証が困難であるために、このような人為的価格決定が広まっていったのであり、これは物価政策上も問題にされるとともに、独禁法上の新しい解釈論および立法政策論が要請されるに至ったのである。

2

 管理価格とは、独占禁止懇話会による定義によれば、「市場が寡占状態にあることを原因として生ずる需給やコストの変動に対して下方硬直的な価格で、カルテルによる価格操作や政府による価格支持制度等を伴わないものをいう[]」。すなわち、少数の巨大企業が市場の大部分を占める寡占市場においては、これらの企業の間に価格設定についての相互依存性[]が生じ易く、これがそれら大企業の取引の相手方に対する価格設定のさいの優越性――これを、当該企業の価格設定力ということができる――をもたらす。

もっとも、管理価格という現象は、右のような寡占的市場構造から直ちに生ずるというよりは、少なくとも「それほどでない寡占状態にある市場構造の下では、企業の積極的な競争制限的市場行動がこれに加って管理価格が形成される」(前記独禁懇見解)。この競争制限的市場行為としては、製品差別化と大規模な広告宣伝、再販売価格維持、流通経路の支配などが挙げられる。

他方で、「高度の寡占状態にある市場においては、企業が上述したような特別の市場行動をとらなくとも、その市場構造が、それだけで十分管理価格形成の因となるほど競争制限的である」、とも説かれている。(前記独禁懇見解)。この点に関しては、それ自体の理論的可能性を否定するものではないとしつつ、第一に、「この種の見解は、市場の他方の当事者をどのように想定しているか」が問題であること、第二に、右の見解は、共同の認識に基づいて斉一的に行われた価格行動の共同行為性を否定するものではない、との批判的意見が提示されている[]

このうち、第一点については、非競争的な高度寡占市場における寡占的大企業であっても、取引の相手方との関係で、管理価格の市場状態が生じ得ない場合もあるのであるが(殊に双方独占に近い場合)、管理価格論の多くは、例えば新聞の中央三紙の一斉値上げの事例のように、寡占的企業の価格設定力を当然の前提としていたように思われる。しかして、このように価格設定力が認められる場合に、前記引用の当該企業による「特別の市場行動」(競争制限的市場行動)が全くないかどうかは問題である。プライス・リーダーシップなどは、反競争的行為が全くなくとも起こりうるという議論があるようである。その理論的な当否は措くとして、実際には、何らかの反競争的行為が行われていることが多いのではないかと推測されるし、独占禁止法の解釈・適用に当たっては、まずはこのような観点から、不当な高価格が人為的に設定・維持されているのではないかを検討すべきであると考えられる。例えば、私的独占の解釈において、野田醤油事件で議論された、いわゆる「間接支配」が何らかの人為的な契機によって維持・強化されていることを捉えること、また、暗黙のカルテルを間接的な、あるいは経済学上の知見に基づいた証拠によって立証する工夫を進めること、あるいは、不当な高価格に至るおそれのある市場集中を事前に防止するように集中規制を強化するなどである。

また、第二点は、不当な取引制限の要件である「相互拘束」、「共同遂行」(独禁二条六項)の解釈の問題であり、今日でも学説の対立が続いているが、事実として、高度な寡占状態にある市場においても、明確な価格協定が存在したことが明らかにされた事件(板ガラス価格協定事件[])があり、少なくとも、前述のような「寡占市場が備えているといわれる特殊な性格が、当該市場を独占禁止法の対象外に追いやる[]」ことのないような法解釈・運用が要請されているということができよう[10]

(3)

 以上を要するに、管理価格という現象に対しては、それをもたらす様々な行為に対して、独禁法上の私的独占、不当な取引制限、不公正な取引方法の各規制をかけることにより、そのがなりの部分を抑えることが可能なはずであると考えられる。

しかし、高度寡占的市場構造の下で、前述のような独禁法違反行為を特定し、法違反を立証できる形で取り出すことが、実際上困難な場合があることも周知の通りであり、これは基本的には、そのような市場構造自体を変えるための企業分割の問題であろう。ところが、昭和五二年改正によって新設された「独占的状態」に対する措置(独禁八条の四・二条七項)は、「抜けざる宝刀」と呼ばれるように、過剰な(狭すぎる)要件が課され、実効性はほとんどないといってよい。ただし、そこでの市場における弊害要件として、相当期間にわたる価格の下方硬直性が規定されているので、構造要件を充たすような寡占的大企業も、この弊害要件に該当しないような価格行動を行うであろうと期待する向きもあるが、これが本制度の本来の機能でないことは言うを侯たない[11]

さらに、昭和五二年改正は、管理価格が、少数の寡占的大企業の斉一的価格行動(いわゆる一斉値上げ)によって実現されることから、一定の要件を充たす寡占市場において同調的値上げが行われた場合、公取委がその値上げの理由の報告を求め、それを公表するという制度を新設した。しかし、これは単に報告徴収・公表の措置を定めるにすぎず、当初期待されたような不合理な同調的値上げを自制する効果どころか、各企業がその値上げ行為を杜会的に正当化する論理(殊に、コストの上昇)を展開する機会を提供するという、独禁法とは無縁の機能が殊に最近強まりつつあるように見受けられる(この価格の同調的引き上げの報告徴収制度は、平成17年独占禁止法改正で削除された)[12]

右に見たような管理価格に対する独禁法上の諸規定による規制の実際から、寡占的大企業の設定する非競争的価格に対しては、当該市場の状況と関連した行為規制(私的独占、不当な取引制限、および主として流通支配を対象とする不公正な取引方法の規制)と並んで、寡占的大企業とその取引の相手方との間のタテの取引関係に着目し、当該大企業の有する経済力の濫用を規制するという性格を有する「取引上の地位の不当利用」の規制(独禁二条九項五号、一般指定一四項-以下では、「優越的地位の濫用」という)が重要な意義を認められることとなるのである。これについては、節をかえて、やや詳細に検討することとしよう。

三.優越的地位の濫用による不当高価販売

1. 若干の事例

 大企業が、自己の取引上の地位が相手方に対して優越していることを利用して、不当に高い価格あるいは相手方にとって不当に不利益な取引条件を押し付ける行為の事例として、次の三つのケースをまず挙げる。

(1) 第二次北国新聞杜事件[13]

 石川県内で六割以上の市場占拠率を有する北国新聞を発行しているX(北国新聞社)は、富山県を主たる販売地域とする富山新聞の販売拡張を目指して、両紙がほとんど同じ内容の紙面であるにもかかわらず、富山新聞を月ぎめセット二八○円、北国新聞を同三三〇円とした。東京奇裁は、「Xが富山県下においてとくに低い定価で販売することは、石川県において有する北国新聞の優越的地位にもとづく資力をこれに投入することを意味し、……この方法によって競争するときは、富山県下の競争各紙は不当な圧迫をこうむり、その販路顧客を奪われる危険」があるとして、「新聞業における特定の不公正な取引方法」三項の禁止する地域的定価差別(現行告示では、一項)に該当すると判断した。

なお、この新聞業特殊指定では、差別対価を一律に禁止している点で、不当性を要件とする、一般指定における差別対価の規定とは異なる。しかし、本決定は上のように、本件差別対価の実質的な反競争性についても考慮した上で判断しているので、新聞業特殊指定についての先例としてのみならず、独禁法上の差別対価に関する先例としての価値が高いと評価できると考えられる。

本決定に対しては、「差別対価による低価格販売を行う前提となる高価格自体の当否が問題となり」、北国新聞の定価が、石川県下におけるXの市場支配力によって設定された価格であるとすれば、この不当高価格を独禁法上問題とすべきである、との批判がある[14]。他方で、本決定は、富山県下の競争を問題にし、一種の不当なダンピングによる競争者の駆逐――ヨコに向けられる力の濫用として、GWB上は不当妨害・妨害的濫用に当たる――として捉えているように見え、差別対価の不当性をこの点にみる説も有力である[15]

本件が、具体的事案として、両説のいずれの見方が妥当するものであったかはさておき、前者の高価格を問題にする説が理論的に成り立つとすれば、差別対価規制は不当高価格規制という機能を果たすこともあり得ることになるわけである。

(2)  岐阜商工信用組合事件[16]

 本件は、被告信用組合が、原告(債務者)に相当な担保を供させていたにもかかわらず、拘束預金を強制したという事案であるが、第一審判決は、右のような即時両建(融資関係の成立と同時に、拘束預金を強制すること)という形態それ自体が「不当」である(すなわち,独禁二条九項柱書の「公正な競争を阻害するおそれ」、および同項五号の「不当に」という実質的違法性の要件を満たす)と判示した。これに対し、第二審判決および最高裁判決は、「不当に高い金利を得る目的」に着目し、適正と認められる預金水準を超えていることが不当であるという考え方を示した[17]。これら両者の対立は、優越的地位の濫用規制の実質的違法性の捉え方に連なるものであった。

また、本件の争点であった両建預金の強制は、金融機関による貸出金利の上乗せという実質的機能を有していたことから、金利規制という外的条件の下で、現実の市場金利がそれ以上の高水準であることの反映として両建預金の強制が一般に広く行われていたのであって、むしろ市場における競争の現われというべきであり[18]、したがって、このような行為は、金利規制あるいは経済的弱者の保護(殊に、利息制限法上の規制)の観点から規制されることはあっても、独禁法上の違法性はないのではないか、という疑問が生じる。この考え方によれば、強制された預金額についての貸出金利と預金金利の差は、実質的には、借り手が必要としていた融資額に対する貸出金利にプラスされるべきものである(すなわち、実効金利の形成)。そうだとすれば、両建預金を規制することは、実質的に上乗せされた貸出金利(実効金利の高さ)についての規制にほかならない。不当高価格に対する規制を検討する場合には、このような、価格そのものではないが、価格に直接的に影響する取引条件をも対象とする必要があろう。

この種の取引条件が最も一般に問題となるのは、メーカーが販売業者に支払うリベートであって、リベートが価格の一部を構成する(すなわち値引きと同じ機能を有する)と見ることができるとすれば、リベート規制は価格規制という実質を有することになる。これに関連して、第二次粉ミルク事件における払込制を優越的地位の濫用であるとする独占禁止法研究会報告に対して、払込制はリベートの一種とも考えられる場合があるから、それを一律に違法とするのは、リベート禁止に連なり疑問である、という批判がなされ[19]、ここにおいて、価格の一部として見るべきリベートと、価格とは別の機能を有するリベートとの区別という問題が提起されたと考えることができるのである。

(3) ビタミンB12事件・ヴァリウム事件

 わが国には、ある商品の価格が不当に高いこと自体を取り上げて、優越的地位の濫用に当たるとした事例はこれまで存在しないが、西ドイツにおいては、GWB二二条(市場支配的事業者の濫用に関する規定。現行GWBでは19)に基づいてこの種の不当高価格規制を行った事例が相当数ある。もっとも、それらの事例のほとんどは、違反事実なしとして手続中止になるか、あるいは、事業者が自発的に値上げを撤回したことで手続中止とした例が多く、正式の決定・判決が下されたのは、今日まで四件にすぎない[20]。この四件の中でも、ビタミンB12事件とヴァリウム事件の二つは、連邦通常裁判所(BGH)まで争いがもちこまれ、BGHは、傍論ながら不当な高価格販売を市場支配的事業者による濫用行為として規制しうることを認めている。これら二事件については、わが国でも既に研究があるので、詳細は省略するが、事案は、ビタミンB12およびヴァリウム・リヴリウムについて市場支配力を有する製薬会杜(各々メルク杜およびロッシュ社)が、これらの価格を極めて高水準に設定していたことが市場支配的地位の濫用に当たるかというものである。

GWB二二条は市場支配的地位の濫用、独禁法上の優越的地位の濫用は取引上の地位の濫用を各々対象とする、という差異はあるが、後者の規定に基づいて、競争の機能によって成立する価格ではなく、力によって設定された価格を、「力の濫用」として規制しうるのではないか、という問題を、前者(GWB二二条)をめぐる議論を参考にしながら検討することによって、不当高価格販売規制の問題に有益な示唆を与えることができるように思われる。

2. 優越的地位濫用規制の基本的性格

(1) 独禁法二条九項五号(「自己の取引上の地位を不当に利用して相手方と取引すること」)は、昭和二八年の同法改正に当たって新設された。その理由は、この改正によって、カルテルおよび合併に関する規制が緩和され、また旧八条(「不当な事業能力の較差」)の規定が削除されたので、ある程度の経済力の形成ないしその存在自体は法認されることがあり得ることとなり、したがって、この経済力の濫用に対する規制手段を置いておく必要があると考えられたからである[21]。なお、この規定の新設については、当時検討中であったGWBの草案が、「市場支配的事業者」の濫用行為に対する規制を定めていたこと[22]が影響を及ぼしたといわれている。さらに、GWB草案では、行為主体を市場支配的事業者に限っていたが、わが国では事業能力の較差に基づく弊害を広く規制しようとする見地から、「市場支配的」という要素が要件とはされなかったし、本号の新設に産業界も賛成したという事情があった。

さて、本号を根拠として、旧一般指定(昭和二八年公取委告示二号)一〇号は、「自己の取引上の地位が相手方に対して優越していることを利用して、正常な商慣習に照して相手方に不当に不利益な条件で取引すること」と規定し、昭和五七年の改正(公取委告示一五号)の一四項においても、押付販売(同項一号)および協賛金等の禁止(同項二号)を取り出して規定した他は、ほぼ右掲の旧規定を踏襲している(同項三号および四号)

(2) 他方で、学説は、本規制をめぐって、顕著な対立を示している。第一説は、「本号の行為は、直接には競争秩序に影響を及ぼすことのないもので」あるが、強いて本法全体と整合性を保つように理解するとすれば、「第一に、自己の取引上の地位を不当に利用して相手方と取引することは、自己の競争者としての地位を不当に強化することであり、第二に、それによって、中小企業の健全な発達を妨げることは、その者の競争者としての地位を弱めることであるから、結局において、公正な競争を阻害するおそれがある、と解する」ほかはないと説く[23]

これに対し、第二説は、不公正な取引方法とされる行為は、取引の場における「力」の不当利用、および競争の場における「力」の不当利用、の二つの型を含み、本号は、前者の規制についての総括的な定めである、という理論構成に立脚する。今日の経済杜会においては、企業間の個別的な従属関係が必然的に成立し、これ自体を排除することはできないが[24]、「そこに生じる『力』とそれによる支配を前提としながら、公正な競争秩序の維持を媒介として、従属者の権利を擁護し、その自主性、競争機能の自由な行使の確保を図るためには、支配力の行使の制限という方式をとらざるをえないことになる」。ここから、本号の趣旨は、「相手方の競争機能の自由な行使を制限し、あるいは相手方が競争機能を自由に行使しえない状態にあることに乗じて、公正な競争秩序を前提とすれば、課すことのできない不利益な条件を課して取引を行い、相手方の競争機能の自由な行使を、さらに困難にする行為を行うことなどを制することにある」と解されている[25]

さらに、近年に至り、本号を、前掲の第一説が対象とする「市場全体における競争」ないし市場集中の問題と切り離し、「経済力の集中」(「国民経済において大企業の占める地位が高くなること」)を予防し規制するための規定として把握する説も現われている[26]

3) 本号の基本的性格をめぐる論争にとって、最も重要と思われるのは、公取委内に設けられた独禁法研究会がまとめた報告書「不公正な取引方法に関する基本的考え方[27]」にある二種類の考え方の対立である。

同報告書は、一方で、前掲の今村説を受け継ぎながらも、不公正な取引方法の実質的要件である「公正競争阻害性」の解釈につき、「①自由な競争、②競争手段の公正さ、③自由競争基盤の確保の三つの条件が保たれていることをもって公正な競争秩序と観念し、このような競争秩序に対し悪影響を及ぼすおそれがあることをもって、公正競争阻害性とみることができる」と述べる。しかして、これらの三つの条件のうち、③が濫用規制の趣旨であり、これは、「取引主体が取引の諾否及び取引条件について自由かつ自主的に判断することによって取引が行われているという、自由な競争の基盤が保持されていること」を意味する(以下、「三条件説」という)。

他方で、同報告には、右の理論構成と並んで、次のような別の意見が付記されている。「ア『公正な競争』とは、価格と品質のみを通じて顧客を獲得しようとする個々の競争行為の集合によって構成される競争(いわゆる『能率競争』)を意味し、この『公正な競争』の『阻害』とは、ある事業者の力の濫用によって、その取引の相手方が、価格と品質によって商品・役務を選択する可能性を奪われ、あるいはその選択の判断が歪められることである。イ さらに、公正な競争を阻害する『おそれ』とは、上記の意味での力の濫用(裏から言えば、取引の相手方の実質的自由の不当な侵害)がなされる抽象的一般的危険性が認められることである」。

不公正な取引方法の規制を、私的独占等の「競争の実質的制限」に関する規制とは性格が異なる、固有の規制対象と目的をもつものと考え、かつ、それを一つの法原理で統一的に構成する、という点で、後者(付記意見。以下、「力の濫用」説という)の理論構成が妥当であると思われる[28]。ただし、ここで一点だけ付記意見の上記引用部分を修正すべきことを述べておく。不公正な取引方法に該当すると判断されるある事業者の力の濫用の向けられる相手方は、諸行為類型によって異なり、ここで問題としている優越的地位の濫用の場合は、取引の相手方であるが、例えば、不当低価格販売の場合は、当該行為者と競争している事業者である(これは、前述1の第三点でふれた「搾取的濫用」と「妨害的濫用」の区別に相当する)。したがって、力の濫用は、取引の相手方、または競争事業者のいずれか、あるいは同時に双方に対してなされるのである。

前者(三条件説)の立場については、そこで掲げられている三つの条件のうち、①の「自由な競争の確保」は、「競争の実質的制限」に関する諸規制の目的そのものではないか、②の「競争手段の公正さ」の内容が、「自由な競争が価格・品質・サービスを中心としたもの(能率競争)であること」であるとすると、それは、③の「自由競争基盤の確保」の内容と実質的には同じことではないか、等の疑問がある。もっとも、そこでは、③が、①および②を「可能ならしめる前提条件でもある」と補記されているが、ここには既に、①~③が、各々次元の異なる条件であることが示唆されているのである。すなわち、これら三条件との関連で後者の立場から理解すれば、「公正な競争」は、②の価格・品質等による競争ということであり、その「阻害のおそれ」は、③における「取引主体の自由かつ自主的な判断」の侵害のおそれと同一の事態を指している。

後者の「力の濫用説」によれば、不公正な取引方法の基本的性格は、当該行為者による「力の濫用」、すなわちその力が向けられた者の実質的な「取引の自由」の侵害ということにあり、それによって、右の意味での「公正な競争」の阻害のおそれが生じることになる。ただし、濫用か否かの具体的な判断基準は、各々の行為類型によって異なり、例えば、垂直的顧客制限のように「競争の減殺」の程度を問題にする余地がある場合(これが前記三条件のうちの①の判断に相当する)、不当な利益提供による顧客誘引(景品付販売など)のように「競争が価格・品質・サービスを中心として行われているかどうかの観点」と「取引主体の自由かつ自主的な判断により取引が行われる」か否かの観点の組合せによるべき場合など様々である[29]。この点についての法解釈学の課題は、これらの判断基準をより細分化された行為類型ごとに(例えば、垂直的顧客制限を、その制限の態様一程度によって細分化する)、より具体化していくことであろう。

しかして、ここで検討の対象としている優越的地位の濫用の規制は、行為類型についての形式的要件が「不利益」(一般指定一四項三号・四号)という漠然とした概念によっているために、具体的な判断基準の形成およびそのブレイク・ダウンに特別の考慮が必要とされるのである。

(4) 「不利益」の解釈は、次項(3.)で検討するが、その前提として、本規制の基本的性格を明らかにしておく必要がある。

前述の「力の濫用」とは,一般に、形式的には行為者の自由な行為のように見えるが、実質的には行為者の有する経済的な力の不当な行使と評価されることを指す。ここで、「力」(Marktmacht. 「市場力」と呼んだこともあるが,これでは反トラスト法におけるmarket power=「市場支配力」と区別が付かなくなるので,単に「力」と表記する)とは、相手方(取引の相手方と競争事業者)に対する相対的な力(「相対的市場力」relative Marktmacht)のことであり、それは同時に市場支配力(「絶対的市場力」。わが国の独占禁止法における,「競争の実質的制限」と置き換えられる)でもある場合を含むが、これに限られない[30]。なお、これと類似する概念である「権利の濫用」は、一般に、形式的には行為者の権利行使のように見えるが、実質的には正当な権利行使ではないと判断される行為を指し、理論的には「力の濫用」とは区別される。

この意味での力の濫用に当たるか否かの具体的な判断基準は、独占禁止法全体の法目的ないし法原理を基礎とした,同法上の「不公正な取引方法」についての各規定の解釈に委ねられるというほかはない。しかし、不公正な取引方法の全体に共通する,理論的な基準としては、問題となる行為が、①イギリスの公正取引法のように、当該企業あるいは当該産業全体の実体的成果に対する総合的評価としての「公共の利益」を害するか否か[31]、あるいは、これとほぼ同様の観点として、西ドイツの公法学者の多くが説くような「経済政策的方向づけ」あるいは「公共の利益」に反するものであるか否か[32]、②一般の民法上の「公序良俗」違反か否か、③仮説としての「想定競争」(hypothetischer Als-ob-Wettbewerb)における行為とは異なるものであるか否か、④競争経済の「秩序原理」としての「経済的行為の自由」(wirtschaftliche Handlungsfreiheiten)を侵害するものであるか否か、の四基準があり得るであろう[33]

この点についての詳細な検討は、別の機会に譲らざるを得ないが、本稿の立場は、前述のように、④の自由の侵害を,行為者の力の濫用と捉えるものである(.2.(3)で用いた用語では、「取引主体の自由かつ自主的な判断」・実質的な「取引の自由」)。この立場から,①~③について簡単にコメントを付すならば、まず、①の「公共の利益」説は、イギリスの場合には妥当する解釈なのであろう。わが独禁法上における不公正な取引方法の禁止も、広義の公共の利益についての政策的判断に基づいて規定されたものではあるが、それが実定法としての独禁法の中に位置づけられた以上、それは単に政策の表現であるにとどまらず、一定の価値判断の実定法化でもあり、独占禁止法上の諸規定から構成されている「公正かつ自由な競争」秩序の一内容を形成しているわけである。そこでは、不公正な取引方法に該当しない取引から「公正な競争」が成り立つのであり、不公正な取引方法に該当する行為は、この競争秩序を侵害するものであるとともに、公正な競争秩序において経済的行為をなすという各人の権利を侵害するものでもあると考えられる。換言すれば、ドイツにおけるGWB上の濫用規制についての議論と同様に、本濫用規制(「不公正な取引方法」に対する規制)によって、「個人の経済的行為の自由という評価のフィルターを通して、一般的な利益が促進される」のである[34]。なお、不公正な取引方法など、独禁法によって禁止されている行為によって、ある者が損害を受ければ、その者は当該行為者に対し不法行為に基づく損害賠償請求をなすことが認められているが、このことは、各人の公正な競争秩序において経済的行為をなす自由が、独禁法によって「反射的利益」としてではなく、まさに各人の権利として承認されているからにほかならない。

前掲の②の「公序良俗」説は、ドイツ民法特有の判例法理の形成を基盤としているものであり、わが国とは事情が異なっている。ただし、右述の各人の経済的行為の自由は、憲法上の基本的人権にその源を求め得ると考えられるとともに、それは私法上の権利でもあること、また、それは公正な競争秩序との関連で内容が定まってくる権利(Freiheit sub lege[35])であることに留意すべきである。

GWB上の議論として最も重要なのは、③の「想定競争」説であるが、GWB(旧)二二条の濫用規制は、市場支配的事業者の濫用行為を対象とするものであり、したがって、当該行為のなされる市場では有効な競争が存在していないことが前提になっている。これに対し、わが独禁法上の濫用規制は、市場支配的事業者のみならず、取引の相手方に対してのみ相対的に優越した地位にある者をも対象としているので、この説をとる余地はないと考えてよいであろう。

既に述べたことの繰り返しを含め整理しておくと,不公正な取引方法の基本的性格は,行為者の「力の濫用」によって競争事業者または取引の相手方の「取引の自由」が侵害されることに求められるから,不公正な取引方法の全体を濫用規制と呼んでもよい。その中で,優越的地位の濫用の規制は,取引の相手方の「取引の自由」の侵害を問題にする諸類型の中で,中心的,原則的な規制として位置づけられ,その他の諸類型(法2条9項の各号の中で,1号=差別取扱い,3号=取引誘引・強制,4号=拘束条件付取引,6号=競争者に対する取引妨害)は,同じく取引の相手方の「取引の自由」の侵害についての,それぞれの行為形態に着目した規定である。これに対し,不公正な取引方法の中で,競争事業者の「取引の自由」の侵害をもっぱら問題にしているのは,不当対価(同項2号)であり,また,その他の多くの類型では(同項1,3,4,6号),具体的な行為によって競争事業者または取引の相手方のどちらかの「取引の自由」の侵害を問題にしていると整理できる。

 

3. 濫用規制と「不利益」

(1)

上述の本規制の基本的性格を前提にすれば、本規制は、国民経済全体あるいは濫用行為の相手方が被った実体的な不利益(当該取引によってもたらされた結果としての価格と、当該濫用行為がなかったと想定した場合の価格の差。容易に連想されるように、これは不法行為の損害についての「差額説」と同様である)を回復すること(だけ)を目的とする弊害規制主義に立つものではなく、相手方の取引の自由の侵害を除去し、「公正な競争」を実現しようとするものであり、あくまでも競争志向的規制(Wettbewerbsorientierung)であると考えられる。

もっとも、一般指定一四項(三号・四号)は、GWB二二条の規制対象の一つとしての搾取的濫用(これは、成果規制〔Ergebniskontroll〕として性格づけられている[36])と同様に、実体的な「不利益」を要件としている。しかし、本規制(および、GWB上の搾取的濫用規制)は、右述のように、違反行為のもたらす成果(Ergebnis)それ自体、あるいは取引両当事者間の利益の配分そのものを修正すること、すなわち当該不利益の解消を図ることを目的とするものではない。すなわち、これは単なる弊害規制ないし弱者保護法なのではなく、公正な競争阻害が「不利益」という形で現われている場合に、その阻害行為を取引の相手方の自由の侵害と評価し、違法との判断を下すものであると考えられる。不利益は公正競争阻害性の徴憑ないし一現象形態であるともいえよう。

以上を要するに、不公正な取引方法とは、競争者あるいは取引の相手方の取引の自由の不当な侵害という性格を有する行為である。その中で、優越的地位濫用規制は、取引の相手方の自由の侵害の有無を、その「不利益」をメルクマールとして判断する点に特徴があると理解することができよう。

(2) 

ところで、具体的には、「不利益」は、対等な当事者間において通常付せられるであろう条件との比較を中心にして判断されると解するのが通説である[37]。本項柱書の「正常な商慣習に照らして不当に」の内容は、「優越的地位の利用が、不利益条件強要の原因となっている[38]」ことであり、図式化すれば、「優越的地位の利用」→「不利益」=「不当性」と表すことができよう。

この解釈の含意は、優越的地位にある者は、取引の相手方に対する「相対的市場力」を行使して不利益を与えてはならず、相手方の取引の自由を認めつつ取引条件を決めるべきであり、そうすれば対等な当事者間の取引でとられるであろう取引条件が成立するであろうということである。GWB二二条による濫用規制は、「市場支配的事業者がその市場力に基づいてはじめて可能となる行為態様……を禁止する」ものであるが[39]、わが優越的地位濫用規制は、これとパラレルに、優越的地位にある事業者がその取引上の優越的地位に基づいてはじめて可能となる行為態様を禁止するものであるということができよう[40]

(3) 

「不利益」の具体的認定については、第二次粉ミルク事件審決において、寡占的メーカーが、販売業者から、自己が定めた価格建による各々の売買差益の一部を徴収し、一定期間保管した後に、各販売業者に払い戻すという内容の払込制をとったことに対し、粉ミルクの売買差益率が一般商品のそれに比して低いことが「不利益」の内容であると読みとれるような判断が下され、これに対する批判がいくつか出されている(本件については、三.1.(2)で既にふれた)。特に、①払込制によって小売価格が一定水準に維持されれば、販売業者も長期的には利益を受けるのであるから、「不利益」とは一概にはいえない[41]、②「扱う商品によってマージンが異なるのは当然であり」、不利益か否かの判断基準に一般商品の売買差益率をもちだすのは誤りである[42]、③販売業者の利益は、タテの取引関係でなく、ヨコの競争関係によって決せられるのであって、メーカーが販売業者に不利益を押し付けているわけではない[43]、との批判は、結論的には必ずしも賛成できないが、「不利益」の意義を明らかにする上で重要な指摘である。

まず、①については、この批判のように、取引の相手方の受ける「不利益」を無限定に広くかつ長期にとれば、相手方が濫用行為による不利益を甘受するのは、広い意味で自己の長期的営業にとって有利であると判断するからにほかならないから、「不利益」と認定されるケースはほとんどあり得ないことになろう。両建預金の場合も、債務者は、融資を受けることによる利益の方が大きいと判断して預金に応じるのである。暴力による強制がある場合は別としてすべての経済的取引は、両当事者とも主観的には利益になるであろうと判断するから成り立つのであり、かつ、そのようにして成り立つすべての取引の集合によって競争が生じている。このように広く捉えると、自由な取引においては、「不利益」も、競争阻害(他人の取引の自由の侵害)もなく、すべてが競争の一現象形態にすぎないということになろう。

しかし、当該行為の型に着目すれば、払込制・両建預金(特にいわゆる即時両建)それ自体は、取引の相手方に明白な不利益を押し付けるものである。その長期的な波及効果として相手方も利益を受けることもあるかもしれないが、ここでの「不利益」とは、当該取引条件それ自体についてのことであって、波及効果ないし長期的な帰趨は別問題であると解すべきであろう。

②については、払込制における不利益の認定は、前述のように、販売業者の売買差益をメーカーが徴収すること自体についてなされるべきであると思われ、したがって、他の一般商品のマージンとの比較は不要である。

ただし、他の商品や地域における取引条件を比較するという方法は、前掲の第二次北国新聞杜事件や西ドイツの価格濫用のケースのような場合には必要であり、GWB上は、比較市場基準等をめぐって精緻な議論が展開されているところである。わが優越的地位の濫用規制については、一般論としては、前述のように、優越的地位になかった場合の取引条件と異なるかという形で考えるべきであり、具体的な判断の材料を得るためには、「有効競争が存在する比較可能な市場における事業者の行為が考慮されなければならない」(GWB二二条四項二号後段)といえよう。ただし、この比較市場アプローチは、第一に、「比較可能な市場」が実際に存在しない場合には用いることはできないし、第二に、北国新聞社事件のように同じような形態(ここでは毎月の新聞代)についての比較でなければならないから、払込制それ自体の不当性が問題になるケースでは、最初から機能しないものである、ということに留意する必要がある。

③のタテとヨコの議論については、「取引上の地位」と競争の機能とは実際上は関連しているのであって、取引の相手方は、不利益を強要されても、容易に、かつ損失を受けることなく、他の取引先を見出し得ないので、当該強要を拒否できないからこそ、取引上の地位の濫用という現象が起こるのである(GWB上の「回避可能性」論)前掲③の批判は、ヨコの競争関係をこれも長期的に見るだけで、現実の取引先変更の困難さ(その典型はいわゆる「ホールドアップ問題」の事例であるが、これには限られないと思われる)などを具体的に踏まえた議論ではないといえよう。

4. 価格濫用に対する規制

(1) GWB二二条は、市場支配的事業者による妨害的濫用と搾取的濫用を規制し、後者の搾取的濫用は、殊に取引の相手方に対する不当高価格販売(「価格濫用」〔Preismißbrauch〕と呼ばれる。これには、不当低価格購買も当然に含まれるが、実際には問題とされた実例はない)を主たる内容としている。わが一般指定一四項による濫用規制も、論理的には、右と同様の行為態様である価格濫用行為を対象とすると解される。このことに直接ふれている事案も学説もないが、本項と同じく独禁法二条九項五号を根拠として定められている特殊指定および特別法には、価格濫用を禁止している例がある[44]

(2) しかし、ドイツGWBにおける価格濫用規制は、一般的に運用することは次の諸点から疑問が多いと指摘されている[45]。なお、もちろん、この議論は日本における前掲の特別法や特殊指定等の形でなされる場合にはそのままでは当てはまらない。

まず規制の実効性の観点から、価格濫用規制は、その審査の困難性の故に長期にわたらざるを得ないが、市場条件、殊に価格やコストは常に変化しており、規制の基礎となる事実認定が処分時(公取委などの行政庁の行政処分による場合。なお、私人間の訴訟において本規制を援用することが可能であり、この場合は口頭弁論終結時が基準時になるがここでは措くこととする)の事実に基づくものであるので、被規制者が処分を審判や訴訟で争う場合には、たとえ処分が適法と判断されるケースでも、審判における判断または司法的判断が下される時点では原処分を執行することは非現実的になることも多いであろう。また、価格濫用規制は、完全独占市場ではない以上、規制を受ける事業者の販売価格の引下げを命じるので、当該事業者の立場を強化するという副次的効果を有する。ここには、短期的な取引の相手方の保護という利点と、中・長期的競争構造上の損失とのコンフリクトがあると指摘されているのである[46]

また、規制のシステム上の考慮からも、価格濫用は、何らかの形における競争制限的行為(本稿二.参照)、あるいは自己の取引上の地位を維持・強化する行為の結果としてなされることが多い。そのような不当高価格の原因行為を規制することが、不当高価格の結果(すなわち、取引の相手方が「不利益」を受けたこと)を公権力によって補償させることよりも優先すべきことは当然である。

これらの事由から、価格濫用は、競争に悪影響を与える副次的効果のない場合に限って、しかも、第一に、市場構造自体に対する規制(殊に、企業結合に対する規制)、および、第二に妨害的濫用規制がともに有効に機能しない場合に、補完的に第三の価格コントロールがなされるべきである、という「三段階理論」が提唱され[47]、独占委員会は、従来の妨害的濫用と搾取的濫用との二分法に代えて、後者を、固有の価格濫用と価格構造濫用に細分し、個々の価格の高さ自体ではなく、そのような価格の成立してくる態様、ないし中・長期的な価格構造に着目すべきことを提案し[48]、連邦カルテル庁もこれらの示唆している方向をとりつつあると見られる[49]この点は、部分的にではあるが、GWB1980年第4次改正によって、「価格・取引条件の濫用」とは別に、濫用的価格構造の典型とされる差別対価を明示する、「市場分割的濫用」(Marktspalkungsmissbrauch)と呼ばれる条項を新設することにつながった(現行のGWB では,1943)

 

5. 価格構造濫用に対する規制

上述の価格の高低それ自体を濫用として捉える価格濫用規制は、多くの場合に現実的には有効な規制方法ではないとしても、様々の形態における中期的ないし長期的な価格構造を監用として捉える価格構造濫用(Preisstrukturmißbrauch)を規制することは、有効かつ妥当な方法であるように思われる。もっとも、前記独占委員会の鑑定書では、価格構造についての定義がなされていないこと等の事情から、議論は錯綜しているようであるが[50]、ここでは、個々の事業者が、自己の商品について具体的な価格を形成する仕方・態様を、価格形成システム(Preisbildungssystem)と呼び、それによって出来上がった価格の単なる高さ〔Preishöhe〕ではなく、当該取引条件の全体的な構造を価格構造として理解しておこう。

濫用と評価される可能性のある価格形成システムの代表例として挙げられるのは、忠誠度リベート(Treurabatt)であり、これはその具体的内容によっては、市場の独占化をもたらすおそれがあるとされている[51]。価格形成システムに対する規制は、価格の高低自体に対する規制と違って、直接的に価格構造に作用し、市場参与者に行為の基準を与えることができる。さらに、価格濫用規制が、不当高価格の結果の後追い的補償にすぎないのに対し、価格形成システム・価格構造に対する規制は、不当高価格の原因を除去することが可能である。

右のようなドイツGBWの市場支配的地位にある事業者に対する価格濫用規制に関する議論は、日本の独禁法上の優越的地位の濫用の解釈・運用についても参考になると考えられる。詳論は別の機会に譲るとして、ここで、前掲の具体的事例に立ち戻ってみれば(.1.(1)(2)参照)、第二次北国新聞杜事件は、地域的差別対価という価格構造に関する事案である。石川県におけるその高価格が、自己の優越的地位によって可能となったものであり、比較市場である富山県におけるその価格が競争価格であるとすれば、前者の高価格を濫用と判断すべきであろう。優越的地位の濫用が、地域的差別対価という価格構造の形で現われた場合である。

次に、両建預金や払込制は、優越的地位を背景にしてはじめて採用しえる価格形成ツステムであると考えられる。これらのシステムでは、価格(規制下の金利あるいは「建値」としての卸価格)だけではなく、融資に際して両建預金を強要した等の要素を総合してはじめて具体的な実質的価格が分かるわけである。優越的地位にある行為者が、はじめからこの実質的価格を要求せずに払込制あるいは一定のリベート制度(特に、累進度の高いリベート)を採用するのは、それによる特定の効果を狙っているからにほかならない。したがって、それに対する法的評価も、実質的価格それ自体に対してではなく、それらのシステムないしその意図・効果に対してなされなければならない。

この点からも、実質的価格からみて「不利益」とは必ずしもいえないとか、それらのシステムは全体として(すなわち、取引を継続することによって)必ずしも「不利益」をもたらすわけではない等の議論は、判断の対象を見誤っているものといえよう。しかして、これらの価格形成システムは、金融機関の借り手に対する、またはメーカーの販売業者・消費者に対する優越的地位を前提にしてはじめて採用し得るものであり、それが後者にとって「不利益」を押し付けるものと判断される場合には、優越的地位の濫用として規制されるべきものと考えられる。

6. 要約 

以上を要約すれば、第一に、優越的地位の濫用は、取引の相手方の取引の自由を不当に侵害する点に、その公正競争阻害性が認められる。

第二に、したがって、その「不利益」の意義も、右の自由侵害の観点から捉えられるべきであり、本規制は、弱者保護あるいは利益の適正な再分配を趣旨とするものではない。

第三に、不当高価格販売に対し、その価格の高さ自体を濫用として規制することには実際の運用上の難点があるが、高価格が形成される仕方(価格形成システム)ないし中長期的価格構造について、濫用の要素がないかを見ることによって規制することができる。

 



[] ただし、公共料金における価格決定も、独禁法と全く無関係な論理によっているのではない。正田彬『現代経済と市民の権利』(成文堂,一九七四年)三〇頁以下、同『消費生活関係条例』(学陽書房,一九八○年)二二〇頁以下、舟田正之「『公共企業法』に関する一試論」『国際電気通信関係法の研究』(一九七九年)八三頁以下(舟田『情報通信と法制度』(有斐閣、1995年)所収)、同「公共企業法における規制原理」経済法学会年報二号(一九八一年)五一頁以下等を参照。

[] これらの諸法については、木元錦哉「経済活動と行政介入---『投機防止法案』を中心として」企業法研究二一六輯(一九七三年)二頁以下、松下満雄『独占禁止法と経済統制』(一九七六年)二四頁以下、根岸哲「経済統制法の仕組みと問題点」ジュリスト五五五号(一九七四年)三五頁以下等を参照。

[] 損害賠償請求訴訟については、舟田正之「鶴岡灯油訴訟」公正取引三七三号(一九八一年)五〇頁以下、それ以降については、経済法学会年報三号所収の諸論稿を参照。

[] 東京高判昭和三二年一二月五日高民一〇巻一二号七四三頁。

[]公取委事務局編『管理価格(独占禁止懇話会資料集Ⅰ)(一九七〇年)一頁以下参照。ただし、価格が下落傾向を示す場合でも、高度の集中構造を背景に、価格先導制ないしそれに近い市場行動に基づくものも管理価格に含めてよいと思われる。御園生等=新田俊三『独占価格』(日本評論社,一九六七年)一九〇頁参照。その他、管理価格については、今村成和『私的独占禁止法の研究(4)Ⅱ』(有斐閣、一九七六年)四八一頁以下、およびそこに所収の諸文献を参照。

[] 価格設定のさいの相互依存的行為については、JS・ベイン(宮沢健一監訳)『産業組織論(上)』(丸善,一九七〇年)三三一頁以下の古典的叙述を参照。

[] 正田彬『独占禁止法研究Ⅰ』(同文舘,一九七六年)三頁以下参照。

[] 公取委勧告審決昭和四六年六月九日審決集一八巻一八頁、同昭和五〇年一二月九日審決集二二巻九二頁。これについては、奥島孝康「カルテルの立証」正田彬=実方謙二編『独占禁止法を学ぶ(新版)(有斐閣、一九七九年)一〇九頁以下参照。

[] 正田・前注(7) 『独占禁止法研究Ⅰ』五頁。

[10]  なお、管理価格を可能にするような高度寡占市場は、各企業の経営努力等による内部的成長によって成立するのみならず、様々の独占的諸行為、および企業集中(殊に、合併)によっても成立する。したがって、後者のような事態の推移を抑える独占禁止法の諸々の行為規制(殊に、私的独占と不公正な取引方法の禁止)、および集中規制(独禁九条~一七条)の厳正な適用が必須であることはいうまでもない。

[11] 本規制を弊害規制として機能せしめようとすることに対する批判として、舟田正之「『独占的状態』に対する規制の意義」経済法二一号(一九七八年)一一頁および同所所掲の諸文献を参照。

[12] 今村成和『独占禁止法(新版)(有斐閣、一九七八年)三六二頁以下にあるこの懸念が、徐々に現実化しつつあることは、新聞記事にもしばしば現われている。例えば、日本経済新聞一九八○年一〇月一四日付け朝刊(「甘くみられた? 公取委」)

なお、本文で述べたことは、例えば西ドイツの競争制限防止法(GWB)(旧)二五条(現行法では一条)における相互協調的行為の禁止規定と異なっている。

[13] 東京高決昭和三二年三月一八日行集八巻三号四四三頁。

[14] 正田彬『全訂独占禁止法Ⅰ』(日本評論社,一九八〇年)三四三頁、三四六頁

[15] 今村・前注(12)『独占禁止法(新版)』一〇三頁、一一八頁以下

[16] 最判昭和五二年六月二〇日民集三一巻四号四九頁。

[17] 筆者は、第1審判決を正当と考えるが、詳細は、舟田正之「宮川対岐阜商工信用組合事件」公正取引三三一号(一九七八年)四〇頁以下を参照。

[18] 三輪芳郎『独禁法の経済学』(日本経済新聞社 一九八二年)一一三頁参照。

[19] 独占禁止法研究会の報告、「流通系列化に関する独占禁止法上の取り扱い」については、野田實編『流通系列化と独占禁止法』(商事法務研究会、一九八〇年)三頁以下、払込制については二六頁以下を参照。これに対して、払込制とリベートとの区別は困難であるとの批判が、川越憲治「流通系列化に関する報告書(独禁研)の読み方()NBL二〇九号(一九八○年)三四頁以下、来生新「流通系列化と独占禁止法」NBL二一八号(一九八○年)三四頁以下にある。

[20] ① BP社事件 BKartA Besch. Vom 29. 4. 1974. 本決定は、ベルリン高等裁判所(Kammergericht:KG)によって取り消された。KG Besch. Vom 14. 5. 1974, WuW/E OLG 1467(=BB 1974, S. 1270).

② ビタミンB12事件 BKartA Besch. Vom 21. 3. 1974, WuW/E BKartA 1482. 決定認容(取消請求破棄)――KG Besch. Vom 19.3.1975, WuW/E OLG 1599(=BB 1975, S. 1270). 決定取消――BGH Besch. Vom 3. 7. 1976, WuW/E BGH 1435(=BGHZ 67, 104).

     ヴァリウム事件 BKartA Besch. Vom 16. 10. 1974, WuW/E BKartA 1526. 本件は、KGBGHを二度経て、最終的には決定取消――BGH Besch. Vom 12. 12. 1980. WuW/E BGH 1678(=BGHZ 76, 142).

④ アウトバーン・ガソリンスタンド事件 LKartA NW Verfügung vom 28. 11. 1978, WuW/E LKartB 197. 決定取消――Beschl. des OLG Düsseldorf vom 26. 6. 1979, WuW/E OLG 2135.

以上の四件のうち、①~③の事件、および正式の決定が下される前に中止になった幾つかの事件については、既に、松下満雄「市場支配的企業の法規制」鈴木竹雄先生古稀記念『現代商法学の課題㈲』(一九七五年)九四七頁以下、菊地元一「多国籍企業と独占禁止法(2)」青山法学論集一八巻四号(一九七七年)一頁以下、小原喜雄「独占的高価格の規制について」今村成和教授退官記念『公法と経済法の諸問題()(一九八二年)四一三頁以下、およびそこに所掲の諸研究において論じられている。しかし、これらには、学説・判例等の全体の流れについての研究はないこともあり、本稿では、特に公法学サイド、新自由主義、連邦カルテル庁系の論者、メストメッカー・シューレの論者の四種類の学説を、実際の法運用とからめて検討する予定であったが、与えられた紙幅の制限上、そこでの検討の一部を以下の考察において援用することとし、GWBそれ自体の研究は別稿に譲ることとした(舟田「取引における力の濫用(1)、(2)」立教法学271頁・281頁(1986年・87年)。本書第 章に所収)

[21] 公取委編『改正独占禁止法解説』(一九五三年)五四頁、同編『独占禁止政策二十年史』(一九六八年)一四五頁、大野「新独占禁止法の不公正な取引方法」公正取引四〇号(一九五四年)三五頁参照。

[22] 高橋岩和「西ドイツ競争制限禁止法制定史」神奈川法学一七巻一号(一九八二年)五三頁以下、六〇頁以下参照。

[23] 今村・前注(12)『独占禁止法(新版)』一四六頁以下。

[24] 正田・前注(14)『全訂独占禁止法Ⅰ』一一九頁参照。

[25] 正田・前注(14)『全訂独占禁止法Ⅰ』四〇九頁、四一一頁。

[26] 来生新「優越的地位の濫用法理の再検討」今村成和教授退官記念『公法と経済法の諸問題的』(一九八二年)二九九頁以下、同「優越的地位の濫用法理の再検討に関する補論」エコノミア七四号(一九八二年)八三頁以下。同様の観点に立つものとして、辻吉彦「事業支配力の過度の集中と優越的地位の濫用」公正取引三八三号(一九八二年)四頁以下参照。

[27] 同報告は、公正取引三八二号・三八三号(一九八二年)、あるいは田中寿編『不公正な取引方法』(一九八二年)一〇〇頁以下に掲載されている。

[28] その詳細については、舟田正之「不公正な取引方法」加藤一郎・竹内昭夫編『消費者法講座 第三巻』(有斐閣、一九八四年)99頁以下を参照。その基本的なとらえ方は,前掲(三.2.(2))の正田・前注(14)『全訂独占禁止法Ⅰ』の所説に拠っている。

[29]  舟田・前注(28) 「不公正な取引方法」参照。

[30]  なお、不公正な取引方法が、市場支配的事業者による行為をも含むことについては、舟田正之「書評・正田彬著『全訂独占禁止法Ⅰ』」法律時報五三巻二号(一九八一年)一〇二頁参照。

[31] 小原・前注(20) 「独占的高価格の規制について」四三五頁以下、横川和博「イギリス法における『不公正な取引方法』規制」法律時報五六巻四号一〇三頁以下(一九八四年)参照。

[32] 西ドイツの以下に紹介する議論は、GWB()二二条をめぐるものであり、ここでは、本条に関する論争にとって画期的な業績である次の二つのモノグラフィーを挙げ、詳細な引用注は最小限にとどめる。

J. F. Bauer, Der Mißbrauch im deutschen Kartellrecht(1972), S. 43ff.; W. Möschel, Der Oligopolmißbrauch im Recht der Wettbewerbsbeschränkungen(1974), S. 148 ff.さらに、後者の立場に立って、独占委員会の特別鑑定書が出されており、後の実務に大きな影響を与えた。Monopolkommission, Sondergutachten1, Anwendung und Möglichkeiten der Mißbrauchsaufsicht über marktbeherrschende Unternehmen seit Inkrafttreten der Kartellgesetznovelle,(1975), 2. Aufl. (1977).

[33] Immenga/mestmäcker, Gesetz gegen Wettbewerbsbeschränkungen, Kommentar(1981),§22 Rdn. 98(W. Möschel 執筆部分)

[34]  W.Möschel, a. a. O., S. 151

[35] Baumbach/Hefermehl, Wettbewerbsrecht, 13. Aufl. (1981), Allg. Rdn. 29.

[36] なお、GWB上の濫用規制の対象については、①競争における事業者の行為態様(これは妨害的濫用と搾取的濫用とに区別されている)、②〃望ましくない"市場成果(Marktergebnissen)をもたらす行為態様、③市場構造の変化(殊に集中)をもたらす行為態様、の三種類に分けて論じられている。Vgl. W. Möschel, a. a. O., S. 153. このうちの②を対象とする市場成果規制(Marktergebniskontrolle)GWB二二条によって可能かどうかは争われているが、①の搾取濫用が同条の対象となることは異議なく認められており、前掲②の規制がかかる成果とは、行為者と相手方との間の取引の(ミクロ的)成果のことである。

[37] 今村・前注(12)『独占禁止法(新版)』一五二頁、正田・前注(14)『全訂独占禁止法Ⅰ』四一八頁。

[38] 今村・前注(12)『独占禁止法(新版)』一五二頁。

[39] ドイツ連邦経済省の『経済顧問鑑定書』(一九六二年)からの引用。vgl. Immenga/Mestmäcker, a. a. O., §22 Rdn. 99; Mestmäcker, Recht und ökonomisches Gesetz (1978), S. 313(上柳克郎=河本一郎監訳『法秩序と経済体制』〔一九八○年〕一二七頁)

[40]同旨、正田・前注(14)『全訂独占禁止法Ⅰ』四一八頁。

[41] 松下満雄「『優越的地位濫用規定』の射程距離(2)NBL一八二号(一九七九年)一八頁。これに対する反批判として、舟田正之「流通系列化と独禁法上の規制(2)」公正取引三五六号(一九八○年)一五頁参照。

[42] 三輪芳朗「独禁法による『流通系列化』規制の経済的分析」国民経済研究協会・企業環境研究センター(一九七七年)一二一頁。

[43]  来生・前注(26)「優越的地位の濫用法理の再検討」三一六頁以下、三三二頁以下。

[44] 下請代金支払遅延等防止法四条一項五号、百貨店についての特殊指定二号~四号など(この点については、正田・前注(14)『全訂独占禁止法Ⅰ』四一八頁以下を参照)

[45] 以下については、vgl. Monopolkommission, a. a. O., Tz. 43 ff.; Immenga.Mestmäcker, a. a. O., §22 Rdn. 149.ただし、本文で挙げる諸点の他に、濫用か否かの判断基準をどうとるか(殊に、連邦カルテル庁の採用するゾッケル理論の可否)の問題があるが、ここでは割愛する。

[46] この価格引下命令が中長期的に競争制限的効果をもたらすという、メッシェルの主張は、小原・前注(20) 「独占的高価格の規制について」等でも指摘されている点であるが、抽象的にはその通りとしても、具体的事案では中長期の間にその他の様々の要素が生まれ、他方で当該事業者も命じられた低価格をそのまま維持する義務を負うわけではないから一概にはそうは言えないとも思われる。

[47] W. Möschel, a. a. O., S. 158ff.; Immenga/Mestmäcker, a. a. O., §22 Rdn. 150.

[48] Monopolkommission, a. a. O., Tz. 7, 46.

[49] z.B. Bundeskartellamt, Tätigkeitbericht 1977, S. 23 ff., S. 76f. dazu vgl. V. Emmerich, Kartellrecht, 3. Aufl. (1979), S. 191.

[50] この点については、D. K. Munzinger, Mißbräuchliche Preise, Preisbildungssysteme und Preisstrukturen nach §22 GWB (1977), S. 101 ff.

[51] Immenga/Mestmäcker, a. a. O., §22 Rdn. 49, 148f., 168. 忠誠度リベートに対するこのような評価は、例えば、第二次GWB改正の際の政府草案理由書に見られる(zitiert  bei Monopolkommission, a. a. O., Tz. 68)。但し、リベートについての議論は、西ドイツではわが国のような建値制を前提にしていないため、わが国には直ちには援用できない。