(2004年 上半期)


えーん、マックのね、ハードディスクがね、おかしくなっちゃったの。
育ちの悪い男のげっぷみたいな、「げげげええっ」って下品な音がするの。
それから「ディスクエラーが起きました」なんてメッセージが出て、
「データが消失したかもしれません」なんておそろしいこと言うの。
おまけに画面は固まっちゃって・・・・
強制再起動っていうの?したら、ダメなの。もう起動しないの。

おろろん・・・

その日は遅かったので、あきらめて電源切って寝たの。

でもね、翌日スイッチ入れたら、ちゃんと起動したの。ヤッホー
で、ノートン先生にね、調べてもらったんだけど、異常ないっていうの。
だけど、しばらく使ってるとまた、「げげげええっ」て音がして、
「ディスクエラーが起きました」なの。

どうしよう・・・

交換して2年しかたたないのにぃ。
前のディスクは5年使っても平気だったのにぃ。
いつもLinuxばっかりで、マック使ってないんで、すねたのかしら。
新しいハードディスク買ってあげるから機嫌なおしてぇ。

(2004.6.15)

任意の単語に、個人的な特別の意味が付与されると、面倒なことになります。
たとえば、竹男さん(会社役員52歳、長女:大学生、長男:予備校生)にとって、「竹筒」という単語は、きわめて滑稽で、かつ卑猥なものです。

そのわけは、小学4年生のとき先生が、
「南洋の土人には、パンツもはかず、竹筒をはめているだけの者がいる。」
とおもしろおかしく話したからです。
その話があまりにもおかしかったので、以来竹男さんは「竹筒」という単語を見聞きすると、笑いを爆発させてしまうようになったのです。
成人してもこの癖は直りませんでした。
「竹筒」という単語によって、一気に小学4年生に退行して、あたりかまわず爆笑してしまうのです。

竹男さんは、普段は冗談など決して言わないまじめな人です。
幸いにも、会社で「竹筒」に出会ったことがなかったので、馬鹿笑いをするところを人に見られることもなく、無事にまじめ人間として通してきました。

ところが、ある日、社運のかかった重要な企画会議の席上で、
「竹筒を利用した環境にやさしい容器」という商品企画が提案されたのです。
これを聞いたとたん、竹男さんは強烈な笑いの発作に襲われました。
必死で笑いをこらえたのですが、提案者がまじめな顔で「竹筒」「竹筒」と言い続けるので、ついにがまんできなくなって、

くっくっくっくっく
わっはっはっはっは
たたた たけ たけ たけづつ 
ははははははははは たけづつ
ひひひひひひひひひ たけづつ

と狂ったように笑い出してしまいました。
笑いながら竹男さんは、今まで築き上げてきた社会的信用が、がらがらと音をたてて崩れていくのを感じました。
目の前が真っ暗になりました。
もうやけくそです。
この際だ、言いたいことを言ってしまおう。

「おい、お前がプレゼンに使ってるのはウインドウズNTだろう。
NTとはどういう意味か知っているか?
いいか良く聞け。
NTとは「ノーパン・竹筒」のことなんだ。
南洋の土人は、ノーパンでしかも竹筒なんだ。
ノーパン・竹筒の土人でも使えるというコンセプトで開発されたんだ。
わかったか。わっはっはっはっは。」

竹男さんは、休養を命ぜられ、やがて降格されました。
降格の理由は「役員にふさわしくない民族差別の言動」だそうです。

(2004.6.2)

今日は、ひどい頭痛がするので、仕事を休んで寝ていました。
夕方になって、頭痛が収まってきたので、気分転換に近所を散歩をしていたら、子供の弾くピアノの音が聞こえてきます。
おや、この曲は「しょんべんむらしのむつよちゃん」ではないか。
やっぱり原曲があったか。

しょんべんむらしとは、漢字で書けば「小便漏らし」なのですが、田舎なので訛るんです。
幼稚園のときに、むつよちゃんという子がいて、この子が毎日おもらしをしていたんです。
毎日と書いたのは誇張ではありません。
毎日なので、みんな慣れていて、先生も「はいはい」と事務的に処理していました。
きっと幼稚園には、むつよちゃん用のパンツが常備してあったに違いありません。

さて、幼稚園児の頃から作詞作曲に手を染めていたわたくしは「しょんべんむらしのむつよちゃん」という歌を作ってしまったのでした。今でもそれを覚えています。しかし幼稚園児の作にしてはメロディーが整いすぎているので、これはきっと盗作に違いない思っていました。本日それが実証されたわけです。

原曲は判明したのですが、むつよちゃんが、なぜ毎日おもらしをしていたのか?という謎は消えていません。
わたくしは、ずっとこの謎について考えてきました。

あるときは病気説でした。
小便ががまんできない病気、あるいは尿意を感じない病気にかかっていたのではないか?

あるときは、精神原因説でした。
先生に注目されたくて、先生にかまってもらいたくて、わざとおもらしをしていたのではないか?
そういえば、むつよちゃんは目立たないおとなしい子でした。

またあるときは変態説でした。
失禁することに性的快感を感じていたのではないか?
あるいは、
失禁を人に見られることに性的快感を感じていたのではないか?

実は長い間変態説が有力だったのですが、今日新しい説を思い付きました。
潔癖症説です。
むつよちゃんは重度の潔癖症で、便所の扉に手を触れることができなかったのではないか?
それどころか便所に近付くこともできなかったのかもしれない。
たしかに幼稚園の便所は不潔でした。

もしそうだとしたら、むつよちゃんは可哀想な子でした。
さぞかし苦しかったでしょう。はずかしかったでしょう。
歌まで作って笑いものにしたわたくしは、何と冷酷で残忍だったのでしょう。

(2004.5.31)

私は方向感覚を過信しているので、知らない土地でも、一人で、地図も見ず、方角も確かめず、いきなり歩き出してしまう悪い癖がある。
当然よく道に迷う。迷えば不安になる。心穏やかではない。しかし人に道を聞くことはしない。川崎ゆきお描く猟奇王の「人にものを聞くぐらいなら死んだほうがましじゃ」という台詞に深い共感を覚えてしまったりするのである。それに道に迷うことは結構楽しいものでもある。

1995年に一人でヤンゴンへ行った。私は旅行嫌いで、それまで旅行らしい旅行といえば、修学旅行と職場の親睦旅行ぐらいしか経験がなく、自慢じゃないが一人でホテルに泊まったことすらなかったのである。
なので、これは私にしてみればかなりの冒険だった。

はじめての海外で、しかも一人旅なのだから、気を引き締めてと思いつつも、ヤンゴンに到着した初日に、さっそく例の悪癖が出てしまった。
夕食をとるため下町へ行こうとして、方角を間違えて反対方向へ歩き出してしまったのだ。
ヤンゴンの夜は早く、道は暗い。行き交う人の顔が見えない。誰そ彼れとはよく言ったものだ。高度成長前の日本もこんな風だったのだろうかなどと考えながら、ぶらぶら歩いているうちに、現在位置が全くわからなくなってしまった。

どこからか、花の匂いが漂ってくる。静かだ。空気が濃い。
道に迷ってしまったのにかかわらず、なぜか不安を感じない。
暗い道を歩きながら、何度もデジャヴュに襲われた。
そのうち、目の前が明るくなった。
白い建物。タマダ・ホテルと書いてある。
このホテルの名前に記憶があった。

橋田信介著「走る馬から花を見る」に、このホテルの前で営業する二人のタクシー運転手が登場する。
中国人のチビチャイとインド人のリッチマン。
人種も年齢も違うこの二人が仲良く助け合って生きていく。
しかし、タクシー運転手では食っていけなくなったチビチャイは、台湾へ出稼ぎを決意する。
一方のリッチマンは、車を失って失業し、そのあげく病気になり困窮する。
チビチャイ、リッチマン、橋田氏の3人は相談する。
結論はただひとつ、チビチャイがリッチマンに車を売り、代金は橋田氏が立て替え、ローンで返済する。これしかない。

橋田氏は書く
「そもそも中国人とインド人の友情なんて珍しいではないか。それに「金満国」の日本人が加わっても不思議ではない。後は、私のカミさんをどうごまかすかだけだ。私たち三人はその日の夜、屋台でビルマ式のうどん、モヒンガーを食べ氷水で乾杯した。食べている途中から猛烈な雨が降りだし、馬鹿な三人の男を水びたしにした。天が嘲っているのである。いつの世も、いずこの地でも、天は不公平なのである。」

(2004.5.30)

風の強い日に外回りから戻った新入社員の石原君。
髪がぐしゃぐしゃになっていたので、洗面所で直していると、背後から咳払いの音。
振り返ると、部長が怖い顔で立っています。

「このやろう、俺がハゲだからって馬鹿にして、俺の目の前で、これ見よがしに髪をとかしやがって!」

びっくりした石原君、言葉も無く呆然と立ちつくすばかりでした。

このことを課長に話すと、
「ああ、君は何ということをしでかしたんだ。
 この会社では、髪をとかすことはタブーなんだよ。
 頭を剃って部長に詫びなさい!」


昼食を済ませた新入社員の丸谷君。
洗面所で歯を磨いていると、背後から咳払いの音。
振り返ると常務が怖い顔で立っています。

「このやろう、俺が入れ歯だからって馬鹿にして、俺の目の前で、これ見よがしに歯を磨きやがって!」

びっくりした丸谷君、言葉も無く呆然と立ちつくすばかりでした。

このことを課長にに話すと、
「ああ、君は何ということをしでかしたんだ。
 この会社では、歯を磨くことはタブーなんだよ。
 歯を抜いて常務に詫びなさい!」


尿意を催した新入社員の村上君。
便所で勢いよく小便をしていると、背後から咳払いの音。
振り返ると専務が怖い顔で立っています。

「このやろう、俺が前立腺肥大だからって馬鹿にして、俺の目の前で、これ見よがしにシャーシャー小便をしやがって!」

びっくりした村上君、言葉も無く呆然と立ちつくすばかりでした。

このことを課長に話すと、
「ああ、君は何ということをしでかしたんだ。
 この会社では、勢いよく小便をすることはタブーなんだよ。
 ちんちんを切って専務に詫びなさい!」

(2004.5.17)

江來君は、非常にしつけの厳しい家庭に育ちました。
とりわけ食事のマナーは厳しく、食事中は絶対に音をたてないよう厳しくしつけられました。

小学校に入学した江來君は、昼食時間になって驚きました。
「ぺちゃぺちゃ」「くちゃくちゃ」「かりかり」「ぽりぽり」という音が四方から響き渡ります。
それは信じられない状況でした。
到底耐えることができない不快な物音に取り囲まれ、とても食事どころではありません。
気持ちが悪くなって、吐いてしまうこともありました。
江來君にとって学校の昼食時間は地獄でした。
教師に事情を話して、別室で食事がとれるよう配慮を求めましたが、 子どもたちを「従順な兵隊になれるよう教育せよ」という使命を帯びている教師は、特例を認めません。
それどころか、江來君は精神異常とみなされ、矯正と称して虐待を受けました。

それでも江來君はめげることなく成人し、立派な軍人となり、クーデターを起こして政権を奪取しました。
独裁者になった江來君は「食事中に音を立てることを禁ずる法令」を自ら起草し、禁を破った者は国外追放に処することにしました。
真っ先に処分されたのは小学校時代の同級生たちでした。
なんと江來君は執念深い男なのでしょう。

(2004.5.15)

貧しい農村に生まれたクサイヤン氏は、幼少のときに両親と死に別れ、無慈悲な養父母に虐待されて育ちました。
小学生時代には級友にいじめられ、教師からもいわれのない差別を受けました。
小学校卒業後は奉公に出ましたが、強欲な雇用主にこき使われ、徹底的に搾取されました。
その後軍隊に入りましたが、悪辣な上官にいたぶられ、何度も死ぬような思いをさせられました。
しかし、クサイヤン氏は様々な苦難を乗り越えて力をたくわえ、ついには軍を掌握し、クーデターを起こして大統領になりました。

最高権力者となったクサイヤン氏が最初に発した法令は、意外にも「口臭取締令」という奇妙なものでした。
彼は「わが国から口の臭い者を一掃する」と高らかに宣言しました。
手始めに軍や政府機関から口の臭い者が追放されました。
次いで口の臭い者が公共交通機関を利用することが禁じられました。
駅の改札口やバスの乗車口には口臭探知機が設置されました。
電車やバスに乗ろうとする人は、口臭探知機に息を吹きかけなければなりません。
探知機が反応すれば、その人は乗車を拒否されます。
取り締まりは次第にエスカレートして、劇場、図書館、美術館、学校などの公共施設には、のきなみ口臭探知機が設置されるようになりました。
ついには、警察官が口臭探知機を携帯し、口の臭い者を逮捕し、投獄する事態になりました。
煙草、酒、ニンニクなどを扱う業者は破産し、かわって口臭防止グッズ業者は大儲けをしました。

なぜ大統領はこれほどまでに口臭を嫌うのでしょうか。
それは彼のつらく厳しい半生において、彼に様々な苦難・苦痛を与えた人々が、皆そろって口が臭かったからです。
彼の頭の中には口臭=悪人=敵という図式が強固に出来上がっていたのです。
そして、臭い息をかぐと、過去のつらく惨めだった頃の記憶がよみがえり、激しい怒りがこみあげてくるからでした。

そんな時、アジアのさる宗教団体から多額の寄付が寄せられました。
長く続いた政情不安のため、財政が疲弊しきっていたこの国にとって、まさに天の恵みでした。
喜んだクサイヤン大統領は、この宗教団体の代表者に、最高位の勲章を贈ることにしました。

ところが授章式で、大統領が勲章を与えようとすると、この宗教団体代表者が臭いのです。強烈な口臭を発しているのです。
幼少時から、様々な口臭に苦しめられてきたクサイヤン大統領ですが、これほど激しい口臭は初めてでした。
大統領は激怒し、その場で死刑を宣告しました。

処刑された宗教団体代表者が、天国へ行けたかどうかは不明です。

(2004.5.14)

半泣きじじいシリーズ7

半泣きじじいは、妻子に逃げられて一人暮らしなので、時々買い物に行く。
その日、スーパーは特売日だったので、レジの前は長い行列だった。
半泣きじじいの動作はのろい。
上着の前をはだけ、ズボンを下げ、腹巻きの中から財布を取り出し、あたりを注意深くうかがいながら、ゆっくりと金を数えている。
後ろで並んでいたご婦人が、動作の遅さにたまりかねて言った。
「ちょっとあなた、早くしてくれませんか。こっちは急いでいるんですから」
すると半泣きじじいは振り返って、
「そう言って人をあわてさせて金を落とさせ、落とした金をかっぱらおうという魂胆だろう。その手はくわねえよ、この盗人め!」
と大声でわめいた。
ご婦人が茫然自失したのは言うまでもない。

(2004.2.28)

今日は、電車を一本やりすごした。
この時間の電車に乗ると「あいつ」がいるからだ。
「あいつ」と言っても、知らない男だ。
なぜその男を避けるのかというと、その男の風貌にたまらなく不快感を感じるからだ。
別に異様な風貌をしているわけではない。ありふれた初老の男だ。
だが、この男の顔の各部分が、かって不愉快な思いをさせられた男たちに似ているのだ。
目はあいつに、口はあいつに、額はあいつに、頭はあいつにという具合に、いやな男のイメージが凝縮されているのだ。
なので、この男の顔を見ていると、怒りが込み上げてきて、思わず拳をにぎりしめてしまうのだ。
顔を見まいとするのだが、ついつい目がいってしまう。
そうして電車の中でひとり悶々としてしまう。
これは危険なことだ。もし話しかけられでもしたら、ヤバイ行動をとってしまうかもしれない。
ということで、「あいつ」が乗っているはずの電車は避けるのだ。
自分は淡泊な性格だと思っていたが、結構執念深いのだなと思う。
そして、衝動殺人なんてものは、案外簡単に起こるかもしれないと思うのだ。

隣の家の男が、やたらと咳払いをする。
それが、自分を馬鹿にしていると感じて、殺してしまったという事件を思い出した。
確かにこの犯人の行動は異常である。
だが、咳払いというものも不快なものだ。
不用意な咳払いが他人を激怒させることもある。
これは身に覚えがある。
パチンコ屋でのこと。
その日はのどの調子が悪く、何度も咳払いをした。
すると、隣から殺気を感じた。
見ると、隣の男が恐ろしい形相で睨んでいる。
身の危険を感じて、あわてて退散した。
殺気に気づかず、咳払いを続けていたら、おそらく殴られていたと思う。
打ち所が悪ければ死んでしまったかもしれない。

(2004.2.24)

オーディオインターフェース顛末記

私は正直いって機械音痴である。
とりわけ録音が苦手である。
自分で歌っているボーカルの録音は、リスナーには大変失礼なことになるが、はっきりいってやっつけ仕事である。
CDやMP3を作るには録音機からパソコンへ録音しなければならないが、これも苦手な作業だ。

音楽関係の作業はMacでやっているのだが、愛用のPowerMacintosh7600は、オーディオ入出力がRCA端子で、ビデオデッキ用の端子も付いていて、けっこう贅沢な作りのマルチメディア対応機である。
オーディオ出力の音質は普通に使っている分には特に不満はないが、オーディオ入力のSN比が悪く、特に録音機と接続した時には盛大にノイズが出る。
MDプレーヤーのアナログ出力とは比較的相性が良く、ノイズが少ないので、音質劣化を承知で録音機からMDに録音して、MDからパソコンに取り込むという方法で、とりあえずしのいでいた。
録音機のデジタル出力は同軸で、MDレコーダーのデジタル入力はオプティカルなので、デジタル同士の接続はできず、MDへの録音はアナログ入力だった。
したがって、アナログ→デジタル→アナログ→デジタル→アナログ→デジタルと変換を繰り返すのだから音質は相当劣化したはずだ。
デジタルでダイレクトにパソコンにつなげるインターフェースの存在など思いもよらなかった。
こうしてパソコンに取り込んだサウンドファイルを何の加工もせず、CDにしたり、MP3にしたりしていた。音質にこだわる人が聞いたらのけぞるに違いない。

そんな横着な私でも、音質を向上させたい欲求はあった。
世の中にはオーデイオインターフェースというものがあって、これを使うと高音質でパソコンに録音ができるということを知り、ネットで調べてみた。
高い!たまたまヒットしたのがプロ用の本格的なものだったようで、高いのにびっくりした。こんな高いものは買えない。
よく調べれば安いものもあったかもしれないが、当時すでに我がMacは旧式化していて、買い換えも考えていたので、こんな投資はできないと即座に断念した。

そんな時、ふらりと立ち寄ったオーディオショップで、CDレコーダーが安く売られているのを見つけて衝動買いした。
録音機から直接デジタル接続でCDを焼き、そのCDからパソコンに録音すれば、従来の方法よりもノイズは減少し、音質劣化も軽減するだろうと思ったからだ。
また、CDレコーダーでアルバムのマスターCDを作り、それを複製すれば、パソコンで作ったよりも良質のCDが作れるだろうと思ったからだ。
以後、新作はこの方式でパソコンに録音するようになり、SN比は確実に向上した。
だが、CDレコーダーによるアルバムのマスター作りは結局しなかった。(その用途にはDATが正解か)

その後、ある事情から、安価なUSB接続のオーディオインターフェースを購入することになった。
Linux専用に中古のPCを買ったのだが、このPCはビジネス用のモデルのためか、音質が悪い。Linuxでの作業中はMP3やCDを流していることが多いので、この音質を何とかしたい。
そこで、適当なサウンドカードまたはオーディオインターフェースを探すことになった。
参考になる記事はないかと書店で手にとったLinux雑誌に、Linuxで使えるUSBオーディオインターフェースの記事があった。さっそく現物を見にパソコンショップへ行った。
コンパクトなサイズ。電源不要。アナログ・デジタル両入出力対応。マイク入力やヘッドフォン出力もある。値段は1万円でおつりが来る。
Windows専用とされているが、雑誌の記事を信じて、細かい仕様は調べずに購入した。
ところが、これがわたしの環境ではすぐには動作せず手こずった。
カーネルを再構築して、とりあえず出力はできるようになったが、入力ができない。
動作は不安定で、ミキサーがロードできたりできなかったりする。
だが、MP3やCDを聞くだけを目的に買ったものだったので、不具合の原因を追求せず、まあサポート外の使用なので、こんなものかと思って使っていた。
音質は良好で、3台のパソコン中では最良のものになった。

さて、最近思うことあって古いアナログ録音の旧作を公開することにした。
オリジナルのアナログテープは見つからず、MDのコピーしか残っていない。
これが録音レベルが低く、音も貧弱なのだ。
これをMP3にしたら悲惨な音になるに違いない。
そこで、件のインターフェースを本来の対応機種であるWindowsに接続して録音し、パソコンで加工してみようと思いたった。
やってみると、デジタル入力では音が出ない。
原因がわからないので、やむなくアナログ入力で録音した。
簡単な波形編集フリーソフトで全体のレベルを上げて、低域を補正しただけだが、結果は自分としては良好。波形編集は難しく、はまると泥沼だという先入観があって、いままで手を出さなかったのだが、やはりやってみるものだと思った。

これがきっかけとなって、メインのMacにもオーディオインターフェースが欲しくなった。
PCIスロットは全部ふさがっているので、USB接続のものとなる。
安いUSB接続のものをいろいろ調べたが、どれも動作条件として「USBポートを標準装備したMac」とある。PCIカードで増設したUSBはサポートしていないのだ。
私のMacは旧式なのでUSBポートを標準装備していない。
増設USBポートでは、機器によっては動作が不安定になったりすることを実際に経験している。これは不安だ。
更に調べると、あるサイトで、さる有名メーカーのUSBオーディオインターフェースを増設USBポートで使ったところ、ソフトがフリーズしまくりで全く使えなかったという記事を見つけて、やはりUSBは止めた方がいいと決断した。

なお、調査中に入手した情報で、「デジタル録音時にはモニタができない機種がある」という事を知り、もしやと思い、件のインターフェースを試したところ、デジタルモードでは、音は出ないけれど、ちゃんと録音されることがわかった。音質も悪くない。
ここで初めて仕様を調べたのだが(笑)、デジタルモードではD/Aコンバーターを通さず、ダイレクトにパソコンと接続されるという。
オーディオインターフェースの音質の重要な要素は、D/Aコンバータにあると思うので、D/Aコンバーターを通さずに、デジタル信号をダイレクトに取り込むなら、ローコストの製品でも音質劣化は少ないはずだ。
ならば、これからはこの環境で録音機から直接録音することにしようか。
私はアンチマイクロソフト派なので、Windowsを使うことに抵抗があるのだが、まあしかたがない。
暇をみて、Linuxで録音できるよう勉強してみたいとも思う。
残る問題は、録音機は接続が同軸、インターフェースはオプティカルと形式が違うということだが、変換器というものがあるというので、その購入を検討しているところである。

ああ、また無知と短慮さをさらけ出してしまった。
はい、お粗末さま。
こんな駄文を書いている暇があったら、新作を作れという声が聞こえてきそうです。

追記 Linuxで録音ができました。音声の加工をLinuxでやるなんてマニアックだと思います。

(2004.2.18)

新しい音源というかシンセサイザーというか、そういうものが来ました。
今まで使っていたものとずいぶん音が違います。
なかなかいい音ですが、使いこなしは難しそうです。
とりあえず試験的に、古いお蔵入りのデータを再生してみました。

とんでもない音になりました。
音源が変わるといろいろとデータを直さなければなりません。
作業すること丸1日。
その結果は、前のとあまり変わらない音になってしまいました。
アチャー!

私は保守的です。
いったんこれと決めたことは容易に改められません。
でも、せっかく作ったのだから、歌も入れてみよう。
こうして「ひらひら」の新録音ができました。
そして駄作を承知で公開してしまいました。

個性の異なる音源が2つになったのだから、これからは2つ使って曲を作ってみようと思いました。
ところがミキサーを持っていないことに気づきました。
わっはっはっはっは。
録音機に付いてるミキサーを流用するという手もあるけど、それはちょっとね・・・・

機材を一つ買うと、続けていろいろ欲しくなるんですね。
でも絶対に機材オタクにはなりません。
そのためにアンティオタキウスと名乗ったのですから。

(2004.1.27)

先日、実に不愉快な音楽を聴いた。
茶の間のテレビから、沖縄民謡「谷茶前」の大編成のオーケストラによる演奏がきこえてきたのだ。NHKの「名曲アルバム」とかいう番組だったようだ。
これは、誠に下品で低俗このうえない唾棄すべきしろものであった。

私は沖縄音楽の愛好者ではない。だから沖縄音楽について論ずる資格はない。しかし原曲の持つニュアンスもエネルギーも生命力もすべて押しつぶした、平面的な棒のような編曲に怒りを感じざるを得なかった。
この編曲者は、沖縄音楽を理解する感性を欠いており、西洋音楽にのみ通用する感性しか持ち合わせていないようだ。
そして、西洋音楽こそが普遍的な音楽体系であり、この意味において「音楽は世界の共通語」であるという傲慢で偏狭な意識が体に染みついているのに違いない。
そうでなければ、こんな愚劣な編曲はしない。

この編曲者は、西洋音楽体系の粗雑なフィルターを通じてしか沖縄音楽を聴くことできず、無謀にもその狭い視野で捉えたものを素材として、これを自己の持つ「西洋音楽にのみ有効な技巧」で加工して、商売にしてしまったのだ。
これが文化帝国主義でなくて何であろう。

更に、この編曲者が拠り所としているはずの西洋音楽の知識・技法をも、表面的なものに過ぎない疑いがある。
オーケストラは、潤いのない、硬質で、薄っぺらな、貧血症的な響きをたてる。
こうした響きは、NHKの大河ドラマのテーマ音楽などでしばしば耳にするから、あるいはこの業界の流行なのかもしれない。
しかし私は、これは響きへの洞察を欠いた、表面的な技巧のみに頼った結果であると断定する。

(2004.1.22)

ついにやってしまいました。
音源を注文してしまったんです。
田舎ですからね、通信販売です。
現物は見てませんし、当然音も聞いてません。
インターネットで仕入れた情報のみが頼りです。
それも、じっくり時間をかけて調べたわけではありません。
当たるか外れるが、博打のような買い物です。
といっても金が余っているわけではありません。
まあ一種の衝動買いです。

新しい音源を買う理由は、今の音源の音が気に入らないからです。
実は買った当初から気に入らなかったんです。
でも売り場の女の子がかわいかったから許したんです。
(ワタナベさん、元気でいるかしら?)
そうして8年も我慢して使っていたんです。
DTM機材はずうっと禁欲していたんです。
広告を見ると欲しくなるからと、その手の雑誌は見ませんでした。
もちろん楽器店は出入り禁止です。
お金のせいではありません。
縁起をかついでいたんです。

私は、たとえば友人から道具を借りたり、安物の道具を入手したりして使ってみて、これはいい「よしやるぞ!」と決心して本式の道具を買うと、そのとたんにその道具を使う時間がなくなったり、意欲がなくなったりして、結局宝のもちぐされとなってしまうようなことを何度も何度も経験しているんです。
代表的なのが楽器ですが、楽器以外にもいろいろあるんです。
カメラとか、オーディオとか、お絵かき系ソフトとか、辞典とか、とにかくいっぱいあるんです。
一番高かったのが車です。
普通の乗用車に乗っていた頃は、悪路を走るのが好きで、山道や河川敷などに進入して遭難して、救援を求めたことが何度もあったんです。なので割高で燃費も悪いのを承知で、RV車に乗り換えたんですが、そのとたんにドライブをする趣味がなくなってしまい、通勤に使うだけになってしまったんです。更に車で通勤するのををやめた後は、めったに使うことのない、高価な鉄の固まりと化してしまったんです。

だから音源についても、本式な高価なものを買ったとたんに、仕事が忙しくなったり、健康を害したり、意欲がなくなったりして、DTMができなくなってしまうのではないかと恐れていたんですね。
これが杞憂に終わることを祈るばかりです。

(2004.1.21)

ぬいぐるみ供養というものがあるそうだ。
不要になったぬいぐるみを、ゴミとして捨てるのに忍びない人が利用するという。

十数年前、よっぱらって自暴自棄な気分で路地をふらついていたら、ゴミ集積所に大きなウサギのぬいぐるみが捨ててあった。
片方の目の周りが汚れていたが、傷みはなくきれいな状態だった。
ぬいぐるみをかわいがる心性など持ち合わせていないが、捨てられたぬいぐるみに自分の姿を見たようで、不憫に思い拾って帰った。
一人暮らしのアパートに持って帰って、書棚の上にほうりあげておいた。

そのころまだ元気だった母がふいに尋ねてきて、このぬいぐるみが欲しいと言ったので、くれてやった。
母はそのぬいぐるみが気に入って、ずっとかわいがったそうだ。
数年後、母は眠るように死んだ。
介護していた姉が台所から戻ってみると、もう息をしていなかったという。
かねてから「この家で死ぬんだ」と言っていたそうだが、そのとおりになった。
件のぬいぐるみは母の最愛の品として棺に入れた。

(2004.1.19)

広島・長崎原爆投下はなかった(匿名希望 主婦 40歳)

捏造された歴史が大手を振ってまかり通り、学校で堂々と教えられている現状に我慢がなりません。
それは、アメリカによる広島・長崎への原爆投下という虚の歴史です。
アメリカは広島・長崎に原爆投下などしていません。
考えてもごらんなさい。いかに戦争とはいえ、自由と正義と民主主義の国、平和を愛する人道主義の国アメリカが、そのような非人道的で野蛮な行為をするはずがありません。
これは共産主義者による謀略です。
アメリカが、さきの大戦で日本国民に対して、許し難い残虐非道の行為を行ったという嘘の歴史をまきちらし、日本国民がアメリカを憎悪するようにしむけ、日米を離反させようとする謀略以外の何物でもありません。
驚くべきことには、この嘘の歴史がアメリカでも信じられているということです。
想像するに、鬼畜ソ連に対抗する必要から、アメリカが核兵器を保有し、いざとなればそれを使用することも辞さないということをアピールするため、アメリカ政府がこの反米謀略宣伝を放任し、逆利用したのでしょう。
また日本に、海外の日本批判を喜ぶ日本人、いわゆる反日の輩がいるのと同様に、アメリカにも反米の輩がいるのでしょう。テレビでよく見る、下手なプラカードを持ってデモをしている、きたない格好をした連中がそれです。
このような共産主義者がまき散らした言説による影響は、共産主義国家が破綻・崩壊し、自由主義が勝利した後にも、社会の隅々に残っていて、様々な害毒を流し続けています。

その一例が、今回のアメリカ産牛肉の輸入禁止措置です。
問題の感染牛はカナダ産であり、アメリカ国内に感染の事実はありません。またアメリカ国内で消費者に何の被害も発生していません。アメリカ政府は安全を宣言しています。
にもかかわらず、日本政府は輸入禁止を解除していません。
これは、官僚に蔓延している反米思想、政府内部に巣くう反米主義者の影響力によるものと考えられます。
日本の牛肉輸入禁止措置により、アメリカの畜産業界は深刻な打撃を受けています。国内の業界や消費者も多大な損害を被ることになるでしょう。私の夫も、安くて栄養のある牛丼が食べられなくなったら困ると言っています。子供も牛丼が大好きです。大好きな牛丼が食べられなくなったらかわいそうです。家計をあずかる主婦として、だまっているわけにはいきません。

こんな状況が続けば、日米の緊密な友好関係にひびがはいり、国益を損ね、国の安全がおかされることにもなりかねません。
政府は一刻も早く、輸入禁止措置を解除しなければなりません。
そして、再びこのような誤った施策がとられることがないよう、危険な反米思想家を省庁内から一掃しなければなりません。

(2004.1.17)

幼稚園時代、お昼寝の時間が大嫌いでした。
なぜかというと、お昼寝のとき、先生が気味の悪い音楽のレコードをかけたからです。
その気味の悪い音楽とは、チャイコフスキーの「アンダンテカンタービレ」でした。
弦楽器の音はおどろおどろしく、メロディーは暗く、もの悲しく、わたしはこの音楽がかかっている間、恐怖にふるえていました。
この気味の悪い音楽を聞くまいと、耳をふさいだり、起きあがって走りまわったり、大声で騒いだりしました。
その結果、あまりの素行の悪さをとがめられ、『そこで反省しなさい』とお寺の本堂に放り込まれました。(お寺が経営する幼稚園だったのです)
誰もいない本堂の中は暗く淋しく、どこからかあの不気味な音楽が聞こえてくるような気がして、恐怖のあまり泣き出してしまいました。
そんなことがトラウマになってか、20歳になって、ウェーベルンの「弦楽四重奏のための5つの楽章」を聴いて感動するまで、ずっと弦楽四重奏曲には親しめませんでした。

ところで、この「アンダンテカンタービレ」について、幼稚園の先生から、『この曲は、雨の夜に、男と別れた女の人が、公園で一人淋しくしている情景を音楽にしたものです』というような説明を受けた記憶があります。
はたして「アンダンテカンタービレ」は失恋の音楽なのでしょうか?
これは疑問です。
あるいは「アンダンテカンタービレ」がBGMとして使われた映画があって、その映画のワンシーンを先生が語ったのかもしれません。
わたしは、時にとんでもない記憶違いをすることがあるので、これも全くの記憶違いかもしれません。
しかし、「男と別れた女」「雨」「夜」「公園」といった言葉と、それを語る先生の姿と、その時の教室の情景が、鮮明な記憶として残っているのです。

(2004.1.16)

困難な事態に直面したときには、「ううじじい」の真似をすると局面が打開します。
「ううじじい」の真似は簡単です。
基本は口です。
口を半開きにして軽く横に引きます。
唇に力を込めて前に突き出します。
猿のような下品な口元になります。
次に眉間に皺を寄せ、めいっぱい凶悪な目つきをします。
背中を丸め、首を突き出します。
そうして、顎を勢いよくしゃくりあげながら、喉に力を入れ、犬が吠えるように、短く、強く「うう」と吠えます。
「うう」「うう」と吠えれば困難は去っていきます。
鏡を見ながら「ううじじい」の真似をすると、ストレス解消に効果的です。
わたしは、むしゃくしゃしたときは、「ううじじい」の真似をして憂さを晴らしています。

ところで、「ううじじいの歌」というのを思いついてしまいました。
これは、聞く人を不快にさせる歌です。非音楽と言っていいでしょう。
現実の音にしていいかどうか迷っています。

うう うう うううううう
俺の名前はううじじい
傍若無人好き放題
恐いものなど何もない
何があっても うう うう うう
どこへいっても うう うう うう
うう うう うううううう
うう うう うううううう
これで何でも思いのままよ
世界は俺の為にある

と、まあこんな歌詞で、これを例の口をして、ろれつのまわらない不快なフガフガ声で、へたくそに歌うのです。
やっぱり、、、、ボツにしよう。

「ううじじい」って何だ?という人は、2003年のお言葉を読んでください。

(2004.1.8)

オリジナル曲を作りはじめて9年になりました。
なんとも月日がたつのは早いものです。
そこで、公開中の31曲の録音時期を調べてみました。

1995年  4 曲
1996年  3曲
1997年  9曲
1998年  なし
1999年  8曲
2000年  なし
2001年  2曲
2002年  3曲
2003年  2曲

寡作ですねえ。
1曲も録音していない年もあります。(安心)
あらためて聴き直してみると、まるで進歩がありません。
精進していないのですから当然ですが。

(2004.1.6)

小泉首相が元日に靖国神社を参拝したという。
なにゆえに彼は靖国参拝にこだわるのか。
その理由は明快である。
すなわち彼は英霊の怒りに脅えているのだ。
古来より神社というものは、怨みを飲んで死んでいった人間を祀るものである。
「どうぞ祟らないでください。安らかにお眠りください。」というわけだ。
小泉首相にとって靖国神社とはそのような場所なのである。
アメリカ帝国主義の忠実な下僕となり、持ってはいけないはずの軍隊を、理不尽にも戦地へ送ろうとしている厚顔無恥な小泉首相ではあるが、多少の良心は残っているのであろう、己の行為に後ろめたさを感じているのであろう。
ゆえに彼はあらゆる批判に耳を塞ぎ、靖国神社へ赴かざるを得ない。
そして英霊に許しを請い「どうか祟らないで欲しい」と哀願せずにはいられないのだ。
哀れな男だ。

 反論が寄せられている。

(2004.1.3)

人並みにあけましておめでとうなどと言ってますが、本心では新年などちっともおめでたくなんかありません。
なぜって、未来に対する夢も希望も無いからです。
人類が破局に向かって盲進しているのに、それを止める手だてがありません。
国際資本主義は人類を確実に破滅に導きます。
SFでおなじみの暗黒の未来社会がまもなくやって来ます。
人類はほんの一握りの特権階級とその奴隷だけが生き残るでしょう。
数十億の人々がかれらの延命のために虐殺されるでしょう。
わたしも、あなたも、あなたの家族も。
そう考えると健康管理なんてばかばかしくなります。
長いことやめていた喫煙を再開しました。
ああ、うまい!
運動もやめました。
食事制限もやめました。
好きなものを好きなときに好きなだけ食って何が悪い!
その結果は下痢です。強烈です。
夜中に何度トイレに行ったことでしょう。
寝ババをせずに済んだのがせめてもの幸いです。

希望がないからといって刹那的に生きてはいけません。

(2004.1.2)

お言葉 2003年

お言葉 2002年


お言葉 1999〜2001年


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