「平和問題ゼミナール」
旧ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2005/06/12
「落書き帳」を再開しました!

第81回配信
愛され得ぬ国の青


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セルビアに住んでいるセルビア人でも、セルビア=モンテネグロに住んでいる実感は薄い。馴染まれていない、愛されていない共同国家の現実だ(ベオグラード中心部にて)
    ユーゴ解体後もユーゴを名乗って(詐称して)いた国がセルビア=モンテネグロに改組されて、早くも一年五ヶ月が過ぎました。国家成立が定められた時は第55回配信、昨年実際に新国家がスタートした際には第65回配信でそれぞれ扱っていますが、やはりモンテネグロ、コソヴォ独立問題を三年間凍結するという欧州連合(EU)の強い圧力と地元政治家の妥協の産物であって、国民から愛されても馴染まれてもいない国家だというのが現実です。いやセルビアを愛するベオグラードの住民、モンテネグロを愛するポドゴリツァの住民がいくらでもいるのは知っていますが、セルビア=モンテネグロほど愛されていない、いや当の国民にその存在さえもほとんど意識されることがない国家というのも珍しいのではないかと思えます。アテネ五輪期間中だけは「にわか愛国者」が出てくるかも知れませんが、あと100年くらい経ってまたオリンピックがアテネで行われる頃には「あれ、100年前のアテネ五輪ではモンテネグロとセルビアが一緒の国で参加していたんだねえ。ユーゴがなくなってもまだそんな国が続いた時代もあったのか」程度の歴史の一こまになっている可能性は大きいと思います。ソ連、東独、チェコスロヴァキア、ユーゴ・・・、五輪史ならず過去100年の近代史で新たに生まれながら今はもう存在しない国はいくらでもあるわけですから。

    注:セルビア=モンテネグロ国は隣国ボスニアヘルツェゴヴィナ同様「共和国」「連邦」などの「肩書」がありません。現地では公的な場でもDrzavna Zajednica = State Unionと呼ばれることがあり、本HPでも「共同国家」としていますが、いずれもその加盟(ないし構成)国であるモンテネグロ共和国、セルビア共和国と区別するための便宜的な呼称に過ぎません。またベオグラードは共同国家憲法上「行政の中心」であり厳密に「首都」という言葉では定義されていませんが、国際慣例でもあるので今後とも本HPでは首都と表記します。

    事実上EUが国家成立を定めたベオグラード協定(第55回配信)、そして憲法(第65回配信)では、独立性の強い二つの加盟(構成)国が最低限の共同機能をもって一つの弱い共同国家を運営するという骨子になっています。省庁は外務、防衛(軍)など5つだけ、間接選挙で選ばれる大統領は元首ではあっても閣僚評議会=政府の長である首相の役割に近い、などなど(制度構成はこちらを参照)。
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マロヴィッチ共同国家大統領は国家元首だが権限は最小限。因みにステートユニオンは正式名称ではない
マロヴィッチ初代大統領はジュカノヴィッチ共和国首相率いるモンテネグロ独立推進派与党(社会主義者民主党)のナンバー3です。が、彼の親分格であるジュカノヴィッチ政権は、3年間凍結されているはずの独立キャンペーンには積極的ながら、共同国家の運営にはとても真剣に取り組んでいるとは言えず、これが大きな問題の一つになっています。
    共同国家外務省に勤める知人は「5月の末になってようやく3月の給料が出た」と嘆きますが、セルビア=モンテネグロ軍に至っては5月になって2月の給料が出たそうですから、さらに嘆かわしい状態です。モンテネグロ共和国は共同国家議会運営費にはカネを出さないことを公言しており、議会のあるベオグラードまでのモンテネグロ枠議員の旅費はセルビア側が負担しています。またセルビアと異なり共和国外務省が存在し、近い将来の独立をめざして「モンテネグロ外交」は進めているものの、セルビア=モンテネグロ外務予算はまったく拠出していません(5月6日、マロヴィッチ共同国家大統領とコシュトゥニツァ・セルビア共和国首相の間で合意・確認済み事項)。
    旧ユーゴに詳しい読者の方は、独立前のスロヴェニアのことを想起されると思います。旧ユ社会主義連邦では、小さくて一番豊かだったスロヴェニアが連邦予算への拠出分担を拒否しながら独立への歩を進めていきました。小さい国の方が平均値では豊か、という例をスロヴェニアが実際に示していたわけですが、モンテネグロの場合はこれとは事情が違います。第45回配信でも分析しているように、人口でセルビアの16分の1に過ぎないモンテネグロの国内総生産(GDP)はセルビアの18分の1。つまりセルビアより小さなモンテネグロは発展度・生産性でもやはりセルビアよりやや劣っており、
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ユーゴ空爆被害の復旧もままならぬ窮状が続く共同国家軍が、今度はモンテネグロの「カネ詰まり」でさらに苦しい財政状況に(写真は軍参謀本部、提供:山本邦光氏)
より豊かであるとは言えません。共同国家運営には最低限の協力しかしない。ジュカノヴィッチ共和国首相の態度は、政治的には独立推進派として一応「筋が通っている」とは言えますが、実際には「カネ詰まり」が大きな理由のようです。

    セルビア共和国のディンキッチ蔵相がモンテネグロに噛み付きました。「去年も共同国家軍予算にモンテネグロは予定の3分の2しか拠出しておらず、残りはセルビアがカバーしなければならなかった。カネが出せないならモンテネグロにある軍艦なり兵舎なりを売ってはどうか」。
    モンテネグロ側はジュカノヴィッチ首相が反論します。「モンテネグロはやがて独立するのだから、その時に必要な軍の分くらいはきちんと予算カバーしている。しかし兵力は現在の6800も要らないのだから、セルビアが主張するほど予算を出す必要はない」。
    論争が過熱しそうになった5月11日、防衛最高評議会が急遽開かれ、セルビアは軍事予算にGDPの3・7%を、モンテネグロは2・4%を拠出するという合意が辛うじて成立しました。これによりモンテネグロは今年分の共同国家運営予算に3900万ユーロ(うち共同国家軍に3600万ユーロ)を出す建前になりますが、今年度モンテネグロ共和国予算は GDP比4・5%程度の赤字になる見通しで、実際には補正予算枠を使ってもとてもまかなえそうにありません。経済ウォッチャーは「今回の軍事予算合意は問題を一年程度先送りしたに過ぎない。モンテネグロの独立が決まる2、3年先まで解決しないだろう」と言います(週刊エコノミストマガジン誌5月24日号による)。

    5月19日に政界、実業界の著名人を集めてベオグラードで行われた会議の席上、マロヴィッチ共同国家大統領は「セルビア=モンテネグロにとって最大の目標はEU加盟であり、EUと協力協働を進めることが重要」と強調した上で、加盟交渉前進への障害としてオランダ・ハーグの旧ユーゴ戦犯国際法廷への協力問題(訴追された重要被疑者がまだ出頭、逮捕されていないこと)と、モンテネグロ、セルビア両共和国間の経済システムの統一(「調和化」)が不十分であることの二点を挙げました。

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「いま関税を下げて弱いセルビア経済をさらに弱める必要はない」とディンキッチ・セルビア蔵相(左)。EU加盟への最初の審査(FS)は「不合格になるくらいなら始めない方がいい」とパッテン欧州委員(右)。両共和国の制度調整はまったく進まず、加盟レースでセルビア=モンテネグロは他南東欧諸国の後塵を拝している
    セルビアもモンテネグロもEUに入りたい。しかし当のEUが加盟への早道として合意させた共同国家はうまく機能していません。

    EUの方針は現在のところ「加盟問題は共同国家だけを相手にする」で、モンテネグロ独立は視野に入っていません。そしてEU側から提示された課題が、セルビアとモンテネグロの法体系の統一、特に関税の調和化でした。セルビア、モンテネグロの関税が異なるため、両共和国国境に税関が設けられているのでは「ひとつの国」として機能しているとはとても呼べないからです。その進展によってEUのフィジビリティ・スタディ(FS、EU側が将来の加盟への実現可能性を早期段階で調査する言わば事前審査)を実行、青信号が出た段階でマケドニア、クロアチアなどが既に締結している加盟準備ステータス「EUとの安定協力連合」に進むことになる、と路線が内定しています。
    共同国家成立当初、FSは03年秋までに完了することが期待されていました。しかし豚肉、小麦など56農産品の関税統一(セルビアが関税削減、モンテネグロが若干増大)、銀行の許認可制度や会社登記法の統一など、経済に関する法律整備はこの一年半何も進んでいないに等しいのが現状で、5月11日にベオグラードを訪れた欧州委員会パッテン対外関係委員は「青信号が出ないと分かっているFSは始めるべきではない」と発言。旧ユーゴ圏ほか南東欧諸国はそれぞれの速度でEU加盟をめざしていますが、その中でセルビア=モンテネグロは唯一FSが始まっておらず、加盟レースのシンガリをつとめています。
    セルビア側ではまだ「共同国家に与えられた課題はEU加盟そのものよりも緩い規定なのだし、二つの独立国としてではなく一つの国として加盟問題に当たる方が能率的だ」(EU法センター・ヴカディノヴィッチ所長)という共同国家積極論が消えたわけではありません。しかしディンキッチ蔵相らセルビア経済公式筋では「関税を削減すれば弱いセルビア経済をさらに弱める要因になる。
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悲願の独立を目指し、共同国家運営には最低限の協力しかしないジュカノヴィッチ・モンテネグロ首相
どうせEUにすぐ加盟できるわけではないのだから、関税問題も急ぐ必要はない」という考えが一般的になっていますし、共同国家が存在するうちはEU加盟問題は進展しないだろうという見方は、まだ表立って言う人は少ないものの、ウォッチャーの間では暗黙の了解になりつつあります(以上は日本国際問題研究所の南東欧諸国外国投資環境調査、週刊エコノミストマガジン誌5月31日号、日刊ポリティカ紙6月3日付による)。

    「ベオグラードに来ているモンテネグロの学生はたくさんいるらしいが、ポドゴリッツァ大学の国費奨学金が出ると言われても自分には魅力だと思えないだろう」。「自分の住んでいる国から海がなくなったって、海にもモンテネグロにも行けなくなるわけじゃないし、別に共同国家にこだわりはない」。ベオグラード大学の学生たちはそんな風に言っています。セルビアの団体オルタナティヴ研究センターが国連発展計画などと共同で行ったセルビア=モンテネグロの将来像についての意識調査によれば、モンテネグロとの共同国家が良しとした回答者は54%、別々の国であるのが良いとした人は46%。同センターのニコリッチ所長は、従来共同国家(連邦)指向の強かったセルビアで共同国家離れが強まっていることを示唆しています(日刊ダナス紙5月27日付、6月4日付)。先の共和国大統領選(後述)で次点となったニコリッチ候補は、かつて「大セルビア」を標榜した極右の党首代行です。しかし彼でさえもモンテネグロ独立を是認する発言を続けています。何が何でも独立阻止、という論調は、セルビアでは明らかに退潮しています。
    一方のモンテネグロでは、EUの意向とは逆に、セルビアと別の国として加盟交渉を進めるべきだ、という発言が独立推進政権から最近相次いでいます。ジュカノヴィッチ共和国首相は「セルビア=モンテネグロは、地域の安定を保つためにも二つの独立国となるほうが合理的だ」(5月19日訪問先のスロヴェニアで)、「両共和国は別々に安定協力連合を締結するなど加盟レースを進める方が早道だ」(日刊ヴィエスニク紙 [クロアチア] 6月6日付)と繰り返します。
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モンテネグロ独立反対派の領袖ブラトヴィッチ議員。独立阻止、ジュカノヴィッチとの勢力逆転を目標に対決ムードだ
これを受けて首相の右腕ヴヤノヴィッチ共和国大統領も「両共和国とも共同国家の人質になっている(のだから独立する方がいい)。独立を問う住民投票は必ず実施するし、その結果をEU側は尊重してくれるはずだ」(日刊ドゥネヴニ・アヴァズ紙[ボスニア] 6月25日付)と強調。5月30日同政権幹部のクヨヴィッチ広報は「住民投票のキャンペーンは2006年春の凍結解除を待たず今秋にも開始可能」との見解を一方的に発表しています(CSEES 5月30日付)。

    こんな状態ならば、早くモンテネグロの独立を是認した方がいいのではないか、と読者の皆さんは思われるかも知れません。しかし最近になって同共和国内の独立反対派が再び勢いを盛り返しており、ことは簡単には進みそうにありません。
    ジュカノヴィッチ政権が独立主張を敢えて今繰り返すのは、むしろ共和国内向けの発言ではないかと思われます。一昨年秋の議会選で現政権は過半数を超える39議席(定数75)を獲得。自分の右腕ヴヤノヴィッチと大統領・首相ポストを交換するアクロバットも成功し、独立に向けて足場を固めたかのように見えました(第64回配信参照)。しかしそれ以降の世論調査ではじわじわと独立反対派が復調。昨年9月の時点で独立賛成40・6%、反対37・4%と拮抗、今年4月には賛成39・8%、反対39・7%とほぼ肩を並べてしまったのです(IWPR 4月16日付、5月14日付)。むろん独立の声がこのまま後退し続けるとは思えませんが、これを契機にモ国民党ブラトヴィッチ党首ら独立反対派は一気に勢力を逆転しようと図っています。5月以降、ポドゴリツァ市内で反ジュカノヴィッチ集会が半ば定期的に組織されるなど、モンテネグロ内政は再び独立をめぐる対決ムードに収斂しています。

    と言うわけで、まだ2年後の2006年に共同国家が消滅するかどうかは予断を許さないものの、(いや、正にこのもどかしい先行き不透明のために)セルビア=モンテネグロは迷走していると言わざるを得ません。先頃ベオグラードを訪れたゴツィ欧州委員会委員長官房担当官は「EUは新しい国境(=モンテネグロ独立)を望んではいない。しかしセルビア=モンテネグロが機能していないことは誰の眼にも明らかだ。時間を無駄にせず共同国家の運営・統合を進めてほしい」と改めて要求しています(日刊ダナス紙6月19日付)。

    第65回配信に書いた予定表では、昨年中にも国旗、国章、国歌などが定められていなければならなかったはずですが、未だに議会審議に掛けられていないため、国旗は上から青白赤のユーゴ連邦三色旗を使用しています。
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セルビア(左上)、モンテネグロ(右上)の伝統旗はそれぞれこのくらいのニュアンス、縦横比1:2。下左の「新三色旗」は赤をパントン199C、青を同300C(それぞれ近似値)としたもの、下右の「四色旗」が採用される可能性も出ている。いずれも縦横比2:3
同配信にもあるようにモンテネグロ、セルビアの伝統旗はともに上から赤青白の三色ですが、モンテネグロ政権側に言わせると「わが共和国伝統の青は青でもセルビアの青より薄い青」で、何が何でもセルビアと違わなければならないという議論がありました。となると共同国家はモンテネグロでもセルビアでもないのですから、その旗もやはり両共和国旗とは違わなければなりません。日刊ポリティカ紙5月26日付は、共同国家旗を「青はセルビア共和国旗より薄く、モンテネグロ共和国旗より濃い色にする」という法案(右画像・下左)のドラフトがまとまったと報じました。しかし6月23日付の同紙は、「青を2色にする」四色旗案(同・下右)が検討されている、とも報じています。
    前者の三色旗案について見てみましょう。上の5月26日付の記事には「青は300C、赤は199C」と書いてあります。筆者は光の三原色(RGB系)を使うPCなどの色彩についてはそれなりに知識があるつもりですが、絵の具の三原色(CYMK系)を使う印刷の色彩については素人です。この記事を書いた記者も印刷のことは詳しくないようなので、300Cとは何だ?と思い筆者がネットで調べたところ、米パントン社が国際標準としている色見本の名前だということが分かりました。CYMK系の色は正確にRGB系には「翻訳」出来ませんし、いずれにしてもこのページで私に見えている色と読者の皆さんに見えている色はモニターの設定などで微妙に違うわけですが、専門家によれば300Cは筆者制作による右画像・下左の新国旗の青(RGB#0076C6から#0066CC)くらいだろうとのことです。因みに共和国旗の公式サイズは縦横比1:2ですが、共同国家旗は2:3になる見通しです。
    もちろん共同国家議会を通過しなければ正式の国旗にはなりませんので、8月のアテネ五輪で青白赤のユーゴ連邦旗が出てくるのか、この赤青白、あるいは四色の新国旗が出てくるのかはまだ不明です(7月2日に共同国家議会が開かれ国旗法案が審議される予定でしたが中止、本稿送稿直前の段階では7月中旬以降に先送りが有力となっています)。四色旗はともかく、他の三つの旗がすべて「違う色だ」と言うこと自体、人をバカにした話だと思いませんか?モンテネグロでもなく、セルビアでもない。2年後にはモンテネグロ独立により消滅する可能性もある国旗が、予定を大きく過ぎてもまだ正式決定されていない。実際にはあまり機能していない国家を象徴するお粗末な話になってしまいました。

    前回配信の続報として、セルビア共和国の内政事情のその後をまとめておきます。
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タディッチ・セルビア共和国新大統領(7月11日就任宣誓予定)
    注目の共和国大統領選は6月27日に第2回(決選)投票が行われ、有力野党・民主党のタディッチ党首が極右の最大野党・セ急進党ニコリッチ党首代行を破って当選を果たしました。ミルティノヴィッチ前大統領の任期切れから1年半。4回6次にわたる選挙、選挙の末ようやくセルビア大統領が決まりました。
    6月13日に行われた第1回投票では、予想通りニコリッチが一位通過しました。しかし、急進党は昨年暮れの議会選で106万票を集めたにも関わらず、同党を率いるニコリッチ自身が今回93万票にとどまり、逆に48万しか取れなかった民主党の新党首タディッチは84万票と予想以上の得票。第2回投票を前に極右支持を表明する勢力は政治的に自殺するようなものですから、ニコリッチの票が伸びる要素はあまりありません。この時点でタディッチの逆転勝利は見えていたと言えます。
    昨年のジンジッチ共和国首相(前民主党党首)暗殺事件の首謀者とされるレギヤことウレメク被告の裁判は第1回投票の直前の木曜日に再開、その発言によっては大統領選の行方が変わると見られていました。しかし「自分の証言が政治的に利用されるのは不本意」と罪状認否などを拒否する意外な展開となりました。
    第1回投票の結果が出た後ウレメク被告が語り始めました。ミロシェヴィッチ元ユ連邦大統領逮捕後、秘密警察長官やジンジッチの側近など民主党幹部が、以前に国が摘発押収していたヘロインを西欧諸国に転売するよう命じ、被告ら警察特殊部隊一派がボスニアへ密輸出を実行したことなどを証言しました。このため現民主党党首であるタディッチ候補には逆風が吹いたかにも見えました。
セルビア共和国大統領選
第1回投票(6月13日、投票率47・6%=約305万人)
T・ニコリッチ(セ急進党) 30・4%(約93万票) 極右
B・タディッチ(民主党) 27・6%(約84万票) 中道左派
B・カリッチ(市民団体) 18・2%(約56万票) 中道右派・右派
D・マルシチャニン(DSS) 13・3%(約41万票) 中道右派
5位〜15位得票者省略。単独で50%を越える得票者がなかったため上位2名による第2回投票に持ち越し。
第2回投票(6月27日、投票率48・7%=約318万人、99%集計時点)
B・タディッチ(民主党) 53・6%(約170万票) 中道左派
次T・ニコリッチ(セ急進党) 45・1%(約143万票) 極右
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与党連合マルシチャニン候補(左)は財閥総帥カリッチ候補(中)に票を食われ大敗。この2候補が支持に回り勢いがついたタディッチに極右ニコリッチ候補(右)は逆転を許した(中と右は提供:吉田正則氏、筆者が合成)
しかしここで名前の挙がった幹部クラスはもともと民主党内部でもブラックな噂の絶えなかった面々で、故ジンジッチの名誉やタディッチ候補に大きな影響を及ぼすほどのインパクトとはなり得ませんでした。しかも被告が「雪の降る中を自宅に戻った」とした日はどこにも雪が降っていなかったことが判明するなど、証言は整合性を欠くものとなりました。裁判は現在進行中で、筆者はウレメク証言が真実かどうか判断する立場ではありませんが、少なくとも同被告が「対抗派閥の首領ブハや、自分とともに首謀者とされたスパソイェヴィッチ(昨年警察との銃撃戦で死亡)らはどうか分からないが、首相暗殺をはじめとする悪事には自分は何も関わっていない」というトーンに終始する長広舌を続ければ続けるほど、自身の「男を下げている」印象は強まっているように思います。
    コシュトゥニツァ首相率いる与党連合の中核、DSS(セルビア民主党)は今回大統領選でマルシチャニン副党首を擁立しましたが、昨年暮れの同党の得票より27万票も少なく第1回投票4位の大敗。DSSは「エースで四番」コシュトゥニツァ以外はまだ小物、のイメージが強いことと、携帯電話網、テレビ局などを所有しセルビアのメディア王と呼ばれるBK財閥の総帥カリッチ候補が、右派から中道左派まで広く幻滅票を集めた結果だったようです。政権に参加するG17は「ニコリッチ当選の際は政権離脱」を以前から表明していましたが、マルシチャニン惨敗の結果を受けて「議会選も前倒しで今秋実施を」とDSSに対しけん制を始めました。同じく与党連合内のセ再生運動・新セルビアも第1回投票直後にはタディッチ支持を明言。コシュトゥニツァ首相としては少数政権が内部から揺れるよりは、政敵・民主党の候補を支持する方が得策と判断せざるを得ず、16日に党として公式に、また20日には首相自身も「国家の安定と発展のため」タディッチ支持声明を発表しました。第1回投票で「旋風」となったカリッチ候補は首相、蔵相などのポストを要求しながらではあるものの、自分のテレビ局の人気番組を通じてやはりタディッチを支持。
    「投票率が低ければ接戦かニコリッチ有利」と言われる中で行われた第2回投票は、各政党や中立筋の様々な投票参加キャンペーンにも関わらず、第1回投票をわずかに上回る投票率にとどまり、セルビア一般市民の政治離れが急速に進んでいることを実証しました。しかし追い風に乗ったタディッチは、当日の好天にも助けられたか第1回の2倍以上の票を得ました。ニコリッチも予想を上回る50万の上積みは記録したもののタディッチには約27万票及ばず、当日夜10時には敗北を宣言しました。
    セルビア共和国はこれで国際社会に対する最低限の宿題はクリアしました。EU加盟の遠い目標へ向けて、共同国家がダメならセルビアだけでも早く態勢を整えてほしいと筆者は思います。が、野党党首が勝利したことでコシュトゥニツァの現少数政権が流動化する可能性も高く、単に与野コアビタシオンで安定すると見るウォッチャーはむしろ少数。民主党入閣や臨時議会選などいくつかのシナリオが考えられ、逆に政治混迷は数ヶ月続くのではないかとも言われています。夏休みの時期も筆者は状況のフォローを続けなければならなさそうです。

(2004年7月上旬)


画像を提供して頂いた山本邦光氏、吉田正則氏に謝意を表します。画像の一部は、2002年9月、2003年10月に日本のテレビ報道取材に同行した際筆者が撮影したものです。これらの本ページへの掲載に当たっては、通訳上のクライアントから承諾を得ています。画像・本文とも無断転載はかたくお断りいたします。


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