「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
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(Since 98/05/31)
   
最終更新 2002/08/08

第59回配信
政治家に夏休みはない


庶民は泳いで日焼けして、という季節だが(ユーゴ連邦・ノヴィサド市ドナウ河畔にて)
    7、8月は報道関係者の言う「夏枯れ」の季節。議会審議も終わって議員、大臣のセンセイ方はのんびりと夏休み、というパターンが多く、ニュースを追うのが商売のウォッチャーも例年海で英気を養うことになります。しかし今年は旧ユーゴ各国、どうも政治家には忙しい夏が続いているようです。秋には本文後半に掲げた表のように各国の各レベルで選挙目白押し。クロアチアとモンテネグロでは初夏に政府が倒れ、セルビアでは選挙の前哨戦として政争が続いています。大きな動きこそないものの、私も多忙な秋を迎える前にいくつかの国の政治状況を整理しておこうと思います。

女性国防相誕生・クロアチア

    第57回配信で詳しく触れたように、昨年以来与党5党連合の主軸をなしていたラーチャン首相の社民党(中道左派)とブディッシャ副首相のクロアチア社会自由党(HSLS=右派)はことあるごとに対立を続けていました。3月の内閣改造を巡る政治危機は何とか妥協で乗り切りましたが、「次に対立した時はどちらかが連立を解消し政府は倒れる」と言われていました。ラーチャン首相は「まだ議会と政府の任期は半分を過ぎたところ。このまま何とか任期をまっとうするのが有権者に対する政府の責任だ」としていましたが、「次の対立」は早くも6月下旬にやって来てしまいました。
    スロヴェニア東部のクルシュコ原発は旧ユーゴ時代、スロヴェニア・クロアチア両共和国の共同利用を前提として建設された旧ユーゴ唯一の原発です。連邦解体後独立国となった両国は、その利用権を巡って交渉を続けて来ましたが、ようやく昨年末にコパチ・スロヴェニア環境相とフィジュリッチ・クロアチア経済相の間で協定が成立、クロアチア議会の批准待ち、というところまでこぎ着けました。しかしブディッシャ副首相は協定批准に反対の党方針を明らかにし、6月28日の議会は空転。6月末までに議会を通らない場合、スロヴェニアはクロアチアへの電気供給を止めざるを得ないことになってしまいました。
ラーチャン第二次政権主要閣僚
首相 イヴィッツァ・ラーチャン(SDP)
副首相 ゴラン・グラニッチ(HSLS新会派)
副首相 スラフコ・リニッチ(SDP)
副首相 アンテ・シモニッチ(HSS)
副首相兼国防 ジェリカ・アントゥノヴィッチ(SDP)
大蔵 マト・ツルクヴェナッツ(SDP)
内務 シーメ・ルチン(SDP)
外務 トニーノ・ピツラ(SDP)
欧州担当 ネヴェン・ミミツァ(無所属)
文部体育 ヴラディミール・ストゥルガル(HSS)
無任所(首相官房) ゴルダナ・ソボル(SDP)
SDP=ク社民党 HSLS新会派=ク社会自由党グラニッチ派 HSS=ク農民党 他に自由党(LS)、ク民族党(HNS)が入閣
出直し審議となった7月3日、23議席を擁するHSLS議員のうち数名がブディッシャ副首相と党方針に逆らって賛成票を投じたため、協定は賛成80をもって議会を通過しました。
    ブディッシャ党首の堪忍袋の緒はこれで切れてしまったようです。HSLSの連立離脱を宣言、賛成票を投じた議員を除名する、と発表しました。ラーチャン首相も強気に出ました。議会151議席のうちHSLSを除く与党連合と閣外協力する勢力を併せて68、過半数の76には8票が足りません。それにも関わらず80が賛成していたことから、HSLSの裏切り票は意外に多かったようです。同じ3日に自分はいったん辞任し、HSLS抜きで連立政府の組み直しを図る、と発表しました。大方の予想通りHSLSからは「ブディッシャとはもう同調できない」という議員6、副大臣3が名乗りを上げ、今春以降党意とは別行動を取っていたグラニッチ副首相ら4閣僚とともに新会派を結成しました(秋以降に新党が結成される見通しです)。HSLSはブディッシャの自滅で大打撃を受けました。すぐにメシッチ大統領がラーチャンを次期首相候補に指名、閣僚人事を巡って多少時間がかかったものの、グラニッチが副首相留任、同氏率いる新会派が政権を支持するという形で5党連合による第二次ラーチャン内閣が7月30日に発足しました。地域政党などの協力を得て、議会での支持票は84。まずまずの安定した船出です。
    新人事の中で注目されたのは国防相のポストでした。一時的に凍結されていた軍人13000の「リストラ」にサインをしなければならない損な役割だけに、就任を望む人材がいなかったようです。ラーチャンはこのポストをHSLSに代わって自分の社民党で引き受けることに決め、アントゥノヴィッチ前副首相を任命しました。
失業問題は深刻。「大学新卒ですぐ就職が出来るように」がラーチャン政権のスローガンだ(今年3月ザグレブにて)
これによりヨーロッパでも数少ない(フィンランドに前例、現在はフランスのみ)女性国防相が誕生しました。新国防相は「軍に秩序を取り戻せるよう、責任を持って任務に臨みたい。女性にも防衛大臣が務まることをきちんと証明したい」と毅然とした就任第一声を発しています。前職のラドシュ氏(HSLS新会派)も「軍改革の仕事は大変だが彼女なら期待できる。良い人選だ」と評価しています。
    既にクロアチア最大の課題である経済問題については第57回配信で詳説していますが、やはり第二次ラーチャン政権も「失業対策としての雇用創出に真剣に取り組んで行く」としています。中小企業の育成、輸出促進、そして長期的には最低5%の経済成長が公約です。議会で首相は所信を述べ、「今までは連立政権内の対立で政府が機能しなかった、という批判も受け入れよう。だが今度は真摯に改革に取り組んで行く。残された任期は1年半で、決して長くはない。その中で目に見える結果を出さなければならないことはよく承知している」としました。「8月は夏休みなしで閣議を続ける」という政府の最初の重要決定は、ガス・電気料金の値上げになりそうです(日刊ヴェチェルニ・リスト8月1日付)。有権者からの不評を覚悟で大胆な改革を実行出来るのか。その一方では国際通貨基金(IMF)が緊縮財政の障害として問題視している高速道ザグレブ・スプリット線建設については人気取り政策ゆえ譲歩する姿勢を見せないなど、危機的なクロアチア経済のかじ取りには不安要素もあります。しかししばらくの間は、再出発するラーチャン政権の行方を見守りたいと筆者は思っています。

与野党勢力逆転・モンテネグロ


    「ブディッシャ追い出しのための出来レース」と言われながらもクロアチアでラーチャン首相が辞任してから第2次内閣が成立するまでには4週間近くが掛かっていて、日本に比べるとずいぶんのんびりした話だなあとも思うのですが、モンテネグロはヴヤノヴィッチ内閣不信任案が通ったのが5月22日で、それから2ヶ月以上経っても新政府が成立する見通しは全く立たないまま、なし崩しに次の議会選待ち、という状態になりつつあります。もちろんこうした場合に大臣の国務は辞任した前職が務めることになっていますから、「無政府状態」というわけではないのですが・・・。
モンテネグロ共和国議会構成(2001年4月〜、定数77)
自由連合独立強硬
ジ大統領派36独立推進
連邦維持派33独立反対
アルバニア人諸派独立支持
    昨春の選挙以降、モンテネグロの政治状況は独立を巡って「強行」「推進」「反対」の3色に分かれていました(第45回配信参照)。連邦維持派の大善戦でジュカノヴィッチ大統領率いる独立推進政権は過半数39を取れず、独立強行を唱える自由連合と、よその兄弟喧嘩には高みの見物、という態度のアルバニア人2議席の閣外協力で辛うじて議会の半数を抑えることが出来ていたわけです。
情勢流動化で与野党逆転。ジュカノヴィッチ大統領はピンチに陥った
ところが現ユーゴ連邦を解消し新国家セルビア=モンテネグロを発足させる代わりに、モンテネグロの独立は3年間凍結する、と定めた3月の協定にジュカノヴィッチ大統領、ヴヤノヴィッチ首相が調印したことから、自由連合がヘソを曲げてしまいました(第55回配信)。5月中旬、ジフコヴィッチ党首ら自由連合はヴヤノヴィッチ内閣不信任動議を議会提出。大統領・首相派は取りあえず3年間の独立凍結を決めたわけですから、厳密に見ればブラトヴィッチ連邦上院議員ら独立反対派は不信任案に賛成票を投ずる必然性はありません。しかし「野党としては政権にタテ付くのは当然」(ブラトヴィッチ議員)という「反対のための反対」によって不信任案が通り、ヴヤノヴィッチ内閣は倒れました。ジュカノヴィッチ大統領は再びヴヤノヴィッチを次期首相候補に指名しましたが、もともと少数政権なのですから、自由連合の協力なしでは組閣交渉は全く空転するのは当然です。
    自由連合はさらにウルトラCに打って出ました。ブラトヴィッチら独立反対派とまず地方レベルでの「連立」を結成し数市で権力を握ると、今度は議会で同派との協力体制を作り上げたのです。独立反対派33と自由連合6を併せて過半数。正に「何でもアリ」のバルカンらしい事態が生じ、議会は与野党が逆転してしまいました。
    ベオグラード生まれの議会議長、ペロヴィッチ女史(自由連合)に対しジュカノヴィッチ派の女性議員が「あんたのようなヨソ者には、モンテネグロの微妙な問題を議論する資格はない」と暴言を吐き審議が中断するなど、自由連合と与党の蜜月の終わりを示すアクシデントもありましたが、多数野党は着々と歩を進めました。
旧ユーゴ圏で年内に予定されている選挙
9月15日マケドニア議会選
9月29日セルビア大統領選
10月5日ボスニア各レベル選
10月6日モンテネグロ議会選
10月26日コソヴォ地方選
11月10日スロヴェニア大統領選
この他にモンテネグロ 大統領選(年内可能性大)、セルビア議会選(可能性小)、新国家セルビアモン テネグロ議会選(憲法草案で直接選挙が定められた場合)の実施があり得る。ま た新国家の成立に伴うセルビア共和国憲法改正の住民投票も年内実施予定。
新選挙法、報道法が議会を通り、与党ジュカノヴィッチ派の世論操作や選挙操作を難しくした時点で議会選公示を大統領に要求。ジュカノヴィッチ大統領はやむを得ず10月6日に選挙を実施する旨公示にサインしましたが、新しい選挙法は無効だと主張し選挙法案を議会に差し戻しました。しかし議会は7月29日、大統領派議員欠席のもとで法案を再採択。今度は大統領もサインせざるを得なくなりましたが「公示後に新選挙法にサインしたわけだから、今回の選挙は従来の旧選挙法で」というコメントを付け、また多数野党を怒らせています。この問題は本稿発表後も続きそうです。
    「ジュカノヴィッチが不信任されたヴヤノヴィッチを再び首相候補に指名したのは、自分の権力を誇示するための行動だった。彼はまだ議会で自分の政党が少数に転じたことを自覚していないのだ」と多数野党側は言います。彼らの選挙戦術次第では大統領派が意外な苦戦を強いられるかも知れません。年内にはジュカノヴィッチ自身の任期満了で大統領選も実施される見通しです。モンテネグロは政府不在のまま、なし崩しに選挙の秋へ向かおうとしています。

    なお、新国家セルビア・モンテネグロ旗揚げの重要な出発点となる憲法草案については、当初6月末までとされた期限が2度目の延長で8月末まで、と定められました。現ユーゴ連邦と両共和国の議員代表による作業が現在も進行中です。このテーマに関しては草案が発表された段階で改めて「便り」で取り上げたいと思っています。

首相専横で与党に亀裂・セルビア


    クロアチアで5党連合(当初は6党)による政権がスタートした時は、ずいぶん数が多いなとは思ったものですが、案の定HSLSの切り落としを余儀なくされました。一方セルビアで今でもセ民主野党連合(DOS)を名乗る与党連合(!)は細川政権もびっくりの18党(当初)の寄り合いです。しかしこのDOSも「解体前夜」と呼ぶべき状況を迎えています。
10月政変当時コシュトゥニツァの後ろで拍手しているのはジンジッチの右腕ミハイロヴィッチ現内相。「DOS団結」の時代は今や遠くなった(写真提供:伊藤健治氏)
    2000年10月の政変でミロシェヴィッチ政権を倒すことになった当時の両雄/僚友、コシュトゥニツァ・ユーゴ連邦大統領(セ民主党)とジンジッチ・セルビア共和国首相(民主党)が並び立たず対立を続けて来た結果、両者とも人気にはかげりが見え、DOS内部でも不協和音が聞こえ始めています。
    昨年のミロシェヴィッチ前大統領逮捕(3月)、同ハーグ国際法廷移送(6月)の際にはともに国際的な圧力がかかり、危機的なセルビア経済の将来を左右する事態だというのに、緩速改革論者コシュトゥニツァ大統領は「逮捕については知らされていない」「法律がない以上は移送には反対」ときわめて消極的でした。一方ジンジッチ首相はどちらかと言えば急速改革論者で、対外債務見直しが掛かった移送劇の時はコシュトゥニツァと協議することなく共和国閣議でミロシェヴィッチ移送を政令決定してしまいました。
    今年に入り「何もしない大統領」が自分の右腕であるセ民主党議員を使ってジンジッチらDOSの政策にことごとく反対、議会では欠席戦術などで妨害を続けていました。業を煮やしたジンジッチ派は共和国議会への「出席率」が悪い議員50人の資格を剥奪するDOS内の決定を下し、セ民主党が21議席を減らすことになりました。「剥奪された50人の中には他の党も含まれている」ので、セ民主党だけをイジメているわけではない、と言い逃れが出来るところがミソですが、いずれにしてもジンジッチの強権発動、コシュトゥニツァいじめというイメージは払拭出来ません。
ジンジッチ派はDOSのブレインで「経済派」の領袖ラブス連邦副首相をセ大統領候補に擁立
7月26日、セ憲法裁はこの決定を違憲、無効とする判断を下しましたが、同じ日に今度はDOS幹部会がセ民主党を党ごと除名すると決定。またDOSが牛耳る議会内委員会では(一応憲法裁の判断を受けて21名剥奪を取り消しながら、改めて)DOS除名を理由にセ民主党45議席を全て剥奪する決定が下されました。議会は8月末の次回審議で委員会決定を検討する予定ですが、DOS内部には既に最初の資格剥奪対象となった議員分の欠員補充をした政党も含まれるため、定数250の議会に280人ほどが「議員」として出席してしまう珍事態の可能性もあり、混乱が続いています。こうなるとジンジッチのやることは「暴挙」と言われても仕方のないところでしょうか。
    9月29日には現職ミルティノヴィッチの任期切れを受けて共和国大統領選挙が行われます。コシュトゥニツァは実権のない新国家初代大統領を嫌ってこの大統領選に立候補することが確実視されていますが、本稿執筆現在はまだ正式の意思表明がありません。一方ジンジッチ派は経済で実績を挙げているラブス連邦副首相を擁立しました。民主オータナティヴセンターが実施した最初の世論調査が7月30日に発表され、ラブス副首相が20%、コシュトゥニツァ大統領が18%の支持を受け拮抗しています。
改革には積極的だが、王のように振舞うジンジッチ・セルビア首相にDOS内部からも不協和音が(写真=FoNet)
都市部ではコシュトゥニツァ人気は明らかに落ちていますが、まだ地方では「緩速改革・穏健民族主義」の看板は侮り難いものがあるようです。ラブス副首相はジンジッチの民主党元副党首ですが、政治家としてよりも学者グループG17の代表として経済政策を遂行しているイメージが強い人物です。ジンジッチとしては「手の汚れていない知識人」をDOS統一候補としてぶつけ、コシュトゥニツァ人気に対抗したいシナリオだったはずです。しかしジンジッチの強硬な政策に対しDOS内部でも反感が最近強まっており、バティッチ共和国法相率いるキリスト教民主党が独自候補擁立を決定。10月政変の現場指揮官の役割を果たした新セルビア党イリッチ党首もDOSを離脱して自らの立候補を決めました。本稿出稿直前には、民主党以外でジンジッチに最も近いと見られていたチョーヴィッチ共和国副首相、ミハイロヴィッチ内相らのDOS中核グループ(DAN)までもが、セ民主党議席剥奪に反対の立場の長老格ミチューノヴィッチ連邦下院議長を大統領候補として推す動きを見せています。大統領候補が一本化出来ず、ジンジッチ離れとDOS解体が加速するのか。日刊ポリティカ紙8月1日付の「10月政変以降最大の危機」という評価が大げさとは言えない状況になりつつあります。
    こうした事態を解決する一選択肢は共和国議会選のはずです。現在(剥奪決定前)の共和国議会の勢力分布(議席数250)はコシュトゥニツァのセ民主党が45、ジンジッチの民主党が47、民主党に同調すると思われる政党の議席数を併せるとジンジッチ派の優位です。しかし根強いコシュトゥニツァ人気を受けてセ民主党も大躍進する可能性があり、さらにDOS内部でイリッチに続き今後も「造反離脱」が起こる可能性も否定できないことから、ジンジッチ派は議会選実施には今のところ消極的です。
    ジンジッチが立候補しないため、9月の共和国大統領選は直接対決ではありません。しかし「政敵の妨害以外は何もしない」コシュトゥニツァと、「改革には意欲的だが国王のように振舞う」ジンジッチ(の支持する候補)、というのは、セルビアにとってあまり幸福な選択肢ではないように思われます。

(2002年8月上旬)


画像を提供して頂いた伊藤健治氏に謝意を表します。またジンジッチ首相の写真の版権はFoNet通信に属します。本文、画像とも無断転載をかたくお断り致します。

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