「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

最終更新 2000/07/07 21:50

第48回配信
聖ヴィトゥスの影


前大統領ハーグ移送強行に抗議する社会党・急進党シンパの集会(連邦議会前、6月30日)
   6月28日(正教=ユリウス暦15日)はセルビア正教では「聖ヴィトゥスの日」です。聖ヴィトゥスは3世紀ディオクレティアヌス帝の時代のシチリアの人だと言われています。特別にこの聖人を祝うというわけでもなく、セルビア正教会の宗教祝日としての扱いはイースター、クリスマスやセルビアの守護聖人サヴァの日に比べると低いのですが、この日は一般にセルビア民族意識の高揚する日として、歴史上セルビアの転機、そして試練をもたらした日として知られています。1389年のこの日、コソヴォポリエでオスマントルコとの戦いに敗れ、セルビア王国は滅亡。以後400年以上にわたってこの地域はオスマントルコの支配下に入ります。しかしそれは「敗れてヨーロッパ・キリスト教世界の砦となったセルビア」の誇りの始まりでもありました。1914年、オーストリア領ボスニアでフェルディナンド皇太子が軍事演習をこの時期に決行したのは、オーストリアからの独立を目指すボスニアのセルビア人が、この日を民族の祝典の日としていることを承知して敢えて選んだのではないかと言われています。しかし6月28日、演習の閲兵を終えてサライェヴォに帰って来た皇太子は、プリンツィップ青年の放った銃弾に倒れることになります。その結果が何を巻き起こしたかは、このページをお読みの皆さんならご存知の通りです。スターリンが1948年、コミンフォルムからユーゴ共産党を除名、ティトーの独自路線が始まったのもこの日でした。
   21世紀最初の聖ヴィトゥスの日は、再びセルビアに転機をもたらしました。ベオグラード市内に拘置中だったミロシェヴィッチ前大統領がオランダ・ハーグの旧ユーゴ国際戦犯法廷に移送されたのです。1989年6月28日、コソヴォの戦い600周年式典で数十万の群衆を前にしてミロシェヴィッチが行った演説は、その後のユーゴ連邦崩壊、戦争と混乱の日々をリードした民族主義と共産主義の奇妙なアマルガムの出発点として、また彼自身の栄光の頂点として記憶されていますが、それからちょうど12年後の同じ日が、良くも悪しくもセルビア現代史に名を残すであろうミロシェヴィッチの命運尽きる日となったことは、聖ヴィトゥスが仕組んだ皮肉ではないかという気がしてしまいます。

3月末の逮捕劇直後に訪ユした英クック外相(当時)は、間接的な言い方ながらハーグへのミロシェヴィッチ引渡しを要求していた(第44回配信参照)
   当の戦犯法廷のみならず、国際社会は3月末の逮捕劇(第44回配信参照)後もユーゴ政府に対しハーグ法廷への協力、なかんずく戦犯として訴追されているミロシェヴィッチ前大統領の引渡しを要求していました。6月12日、国際通貨基金(IMF)はユーゴ向け2億4900万ドルのスタンドバイ融資を決定しましたが、アメリカの委員が「ハーグへの協力姿勢が十分に示されていない」と反対に回る異例の決議の結果でした。6月29日にはベルギー・ブリュッセルでユーゴへの国際援助会議が予定され、総額12億ドルの援助・融資が決定する場が設けられたのですが、アメリカは直前まで出席の是否を明らかにせず、「このまま米が不出席なら他の出席者にも影響が出るだろう。結局約5億ドルのマイナスで総額7億ドル程度の話になってしまう」(6月15日、欧州連合外交筋)と言われ、政府に大きなプレッシャーがかかりました。
   たとえ「悪虐非道」が分かっていても、自国国民を外国法廷で裁くことを法的に許している国は殆どなく、ユーゴ憲法も同様です。ユーゴ国内の政治家、法律家の見解は「憲法で引渡しを禁止している以上不可能だ、クロアチアやボスニアのように特別法を作る必要がある」という説と「ハーグは国連が創設した法廷であり、ユーゴも昨秋から再び国連の一加盟国に戻った以上、引渡しは憲法に関係なく生じる義務だ」という説に二分されました。
   コシュトゥニツァ連邦大統領はセルビア民主野党連合(DOS)政権、これと連立政府を構成するモンテネグロの社会民族党(SNP)関係者らとの協議を重ねましたが、SNPの移送反対で不調に終わりました。第45回配信で解説したように、先日モンテネグロ議会選挙で「独立反対・連邦維持」の声を集めて予想外の大善戦を果たしたSNPは、もともと10月政変までは親ミロシェヴィッチ勢力だった上、DOSとの「ねじれ連立」入閣を果たした後もミロシェヴィッチ支持の声を集めていることは間違いないからです。またコシュトゥニツァ大統領と、彼の率いるDOSのセルビア民主党も「合法的にやるのが望ましい」として、クロアチア同様「ハーグ協力特別法案」の通過を図りました。しかし現在の連邦議会でDOSは過半数を占めておらず、SNPの協力がなければ法案は通りません。ミロシェヴィッチのハーグ移送で団結したジンジッチ・セルビア首相らDOS幹部らは議会審議をあきらめ、「議会の承認が要らない連邦政府政令で突破」に作戦を変更しました。6月23日、モンテネグロ出身のジジッチ首相らSNPの閣僚6人が不在、という異例の事態の中で行われた閣議は「ハーグ協力特別政令」を決定しました。前大統領を支持するセルビア社会党・急進党シンパらの反対集会が始まり騒然とする中、ミロシェヴィッチ弁護団と社会党はユーゴ連邦憲法裁判所に同政令の違憲審議を申し出。ついに国際援助会議の前日になってしまいました。憲法裁判所は、10月政変をもたらすことになった昨秋の選挙でコシュトゥニツァの勝利を認めず、第2回投票の実施を発表した「社会党寄り人事」のままです(バルカンのような「二流国」だけの話ではありません。司法の真の独立が実現している先進国がどのくらいありますか?)。
連邦政令の差し止め判断が出た数時間後、ジンジッチ・セルビア首相は共和国権限で移送に踏み切った(写真=FoNet)
   28日13時、憲法裁は問題の政令について「この後違憲審議を開始するので、それまで実行は差し止め」と発表しました。フィラ主任弁護士は「この国でも司法は機能していることが分かって良かった」と、しばらくミロシェヴィッチの移送がなくなった安心感を表明。しかし16時頃から今度はセルビア共和国政府の動きがカシマシくなって来ました。ジンジッチ首相は「共和国政府が責任を引き受ける」と臨時閣議を実施し、共和国政令でハーグ移送を可能にしてしまいました。18時40分、ラジオB92の第一報「ミロシェヴィッチ被告は拘置所からハーグに向かって移送されている模様」。やがてロイター電、英スカイTVなどの外国メディアもこれを認めるニュースを流し始めます。筆者は19時過ぎにミロシェヴィッチが昼までは確かにいた中央刑務所(兼拘置所)前に日本のTV取材班と一緒に到着しましたが、誰も本当に移送されたのかどうかが分からないまま、怒れる社会党シンパと報道陣で騒然とした雰囲気に包まれていました。ミーラ前大統領夫人、イギッチ社会党副党首らが駆けつけますが、報道陣にはノーコメント。
   20時、ベオグラードの最中心部にある共和国広場で社会党の集会が開かれましたが、この頃には移送のニュースが本当らしいという話になり、シンパの怒りは報道陣に向けられました。地元FoNet通信のカメラマンがリンチ同然、独ARDはTVカメラを壊され、米ABC、ベオグラード市営スタジオBなどのTV局も暴力を受けました。私たちも「社会党シンパ、怒りの声」を聞くのが取材の定番ですが、この日はとてもマイクを向けられる雰囲気ではなく、遠くから望遠ズームでこわごわ取材です。29日1時15分、オランダのTV画像を中継していた地元テレビの画面に、ハーグ郊外スヘヴェニンゲンの拘置所に着陸するヘリコプターが現れました。ミロシェヴィッチのハーグ移送が確認された瞬間、彼の時代が確実に終わりを告げた瞬間でした。
   7月3日、弁護士なしで望んだミロシェヴィッチ被告の第1回公判が行われ、罪状認否の席上同被告が「国連総会に基づかないこの法廷の正当性は認めないし、弁護士の必要も感じない。これは北大西洋条約機構(NATO)のユーゴに対する犯罪を正当化するためのニセ法廷だ」などと述べる模様はベオグラードでも生中継されました。

DOSのミ前大統領移送強行を不服とするモンテネグロ出身のジジッチ連邦首相が辞意を表明、連邦政府は崩壊した
   社会党シンパが収まらないのは当然ですが、セルビア共和国が取ったこの強行措置は、DOSと連邦連立政府の中にも余波を巻き起こしました。 騒動の翌日の29日、かねてから「非合法手段で移送なら政府を離脱する」としていたジジッチ連邦首相(SNP)が辞意を表明、連邦政府は8ヶ月で崩壊しました。またコシュトゥニツァ大統領が党首を務めるセルビア民主党も、同じ理由で独自の議員クラブを設定しDOS離脱の動きを強めてました。本稿執筆現在、コシュトゥニツァ大統領が新たな連邦政府を成立させるべく組閣工作に入っています。ユーゴ憲法は大統領がセルビア人なら首相はモンテネグロ出身者、と規定しており、SNPが「連邦維持」の大義の下にDOSと和解するか、連邦政府に関しては同じモンテネグロの連邦維持派「ユーゴのための共闘」連合の民族党(NS)など他の政党に任せるか、あるいは再選挙か、が焦点になっています。またこれと連立するDOS側もセルビア民主党を含めるのか、同党は閣外に出るのか、についてまだ憶測が飛び交っています。

   命運尽きてなお騒動の(カゲの)主役であり続けるミロシェヴィッチには脱帽です。

   29日、ラブス副首相らが出席したブリュッセルのユーゴ援助国際会議は、ユーゴ側の期待を上回る総額12億8000万ドルの援助・融資(取決め済みで開始されている援助約5億ドルを含む。援助64%、融資36%。)を取り決めました。詳細なプロジェクトの内訳はまだ発表されていませんが、道路・電気などの基幹インフラ、年金など社会福祉、中小企業援助ほか様々な分野に使われる見通しです。欧州復興開発銀行(EBRD)が2億ドル強、欧州連合(EU)が1億9600万ドル、2国間ではアメリカが1億8000万ドル、日本もドイツ、イタリアに次ぐ5000万ドルの出資を約束しました(なお日本政府は10月政変以降、難民援助とともに越冬対策、小麦用肥料などに1000万ドル相当の援助を実施しています)。ミロシェヴィッチをハーグに送ったことのご褒美というわけで、DOS政権にとっては取りあえずめでたし、めでたしです。
   しかしなぜハーグにミロシェヴィッチを(社会党の言葉を借りれば)「売らなければ」ならなかったのか。後半はユーゴの経済事情についてレポートします。

DOSのブレイン、経済学者グループ「G17」出身のラブス連邦副首相は「経済派」の領袖
   この移送騒動前日の6月27日、セルビア共和国議会でエポックメーキングな民営化法案が成立しました。これによりユーゴは社会主義から決別することになりました。
   ティトーとともに旧ユーゴが異彩を放っていた時代、非同盟外交と並ぶこの国の政策の柱は独自の自主管理社会主義でした。資本主義でもソ連型国家統制社会主義でもないそのシステムでは、主な財産は「社会のもの」「労働者のもの」とされました(従来「(旧)ユーゴ便り」では非民営セクターの大企業などを「国営」と書いていますが、実際は「社会有」とするのが正確な書き方です)。しかし、かつて西側の研究者からも注目された自主管理は、ティトーの死と冷戦構造の崩壊とともに有名無実化し、ミロシェヴィッチ時代には大企業の非能率の代名詞となって行きました。石油ショック以後の構造転換に遅れを取り、重工業になお頼らざるを得ないユーゴでは70年代後半以降、ブラジルなど他の中進国同様対外債務が膨大、長年の不況と泥沼のインフレがスロヴェニア他の先進地域で独立運動を加速させる契機となりました。しかしミロシェヴィッチ=社会党政権は民営セクターの存在を認めたものの、基幹企業に関しては社会党の幹部をトップに据えた「ニセ民営企業」とするか、国家の統制を強めながら「事実上国営・建て前社会有企業」を存続させるだけで、根本的な経済政策に関しては「無策」に限りなく近い状態を続けていました。
   一国の国力を占う重要な数字として挙げられるのは国民一人当たりの国内総生産です。統計上は世界一の金持ち国・日本が32000ドル程度。独立10年、旧ユーゴと旧社会主義圏の経済を圧倒的にリードするスロヴェニアが昨年の推定値で10000ドルに到達、EUの下位ギリシア、ポルトガルに追いつく勢いです。ユーゴは2000年の推定値が1250ドル程度ですが、計算レートが不明のため、一説には800ドル程度しかなく、旧ソ連を除くヨーロッパではアルバニアに次ぐ最貧国ではないかとも言われています。対外債務はGDPの1・5倍に当たる125億ドル。失業率はレイオフ(強制休暇)を除いても30%以上、統計上の平均月収は140マルク(約7500円)に過ぎません。統計外の副業収入などがあるため、数字を全て鵜呑みにするわけには行きませんが、一般市民の73・8%が1日2ドル以下の収入、19・98%が1ドル以下の収入で、「中央アフリカやパキスタンなどと変わらないレベル」(シュコヴィッチ社会科学研経済調査部)と言われています。10年以上にわたる経済無策のツケに、経済制裁、99年の空爆が手伝って、ユーゴ国民の多くが生活苦に直面しているのです。
平均月収で買える量
品目2000年4月2001年4月
牛乳(L)445216
パン(kg)374183
豚肉(kg)2320
砂糖(kg)215128
食用油(L)13194
コーヒー(kg)2419
   10月政変後に中銀総裁に就任した若手経済学者ディンキッチのテコ入れで通貨は安定し、1ドイツマルク=30ディナール前後の為替レートは幸い大きく崩れてはいません。政府の目標は2001年のインフレ率30%以内。しかし4月には電気が60%、7月からは電話代が35%値上げ。豚・牛肉も6月中に11%値上げなど、ジリジリとインフレ圧力はかかっています。本稿執筆中に発表された6月のインフレ率は3・9%で、今年上半期トータルでは23%に到達、30%の目標は難しそうです。表は昨年4月と今年4月、平均月収で買える各食品の量を示したもので、購買力が落ちていることが分かります。
   ヤドランカさん(50、商業)は「収入が少なくて電気代も電話代も足りないので困っています」。女子大生のミラナさんは「電気料金の安くなる夜にコンピューターを使っています。昼は母が家事をしますが、その時にコンピューターも使っていると母に悪くて」(いずれも日刊ダナス紙6月23日付)。
「輸出入の自由化で厳しくなるかもなあ」人参などを促成栽培し首都に出荷しているヴェリコ・セロのアントニエヴィッチさん(写真提供:石川郁子氏)
   政府は誰もが根本的な改革をしなければならない、と強調しています。民営化を進め、外資導入を促進する。銀行システムを機能させ、投資が安全に出来る環境を整える。関税、法律などの障壁を低くして輸出を育てる。方向は見えています。今はユーゴを追い越してはるか先を行くハンガリー、ポーランド、チェコ、スロヴェニアなどの経験から学べばいいのですから。それは非能率な大型社会主義企業を清算・民営化するのですから、失業者が大量に発生するでしょう。農業を始め、国家の保護に慣れた国民の心理を変えなければならない、大変な痛みを伴った改革ですが、EUへ、NATOへ近づこうとしている他の中東欧諸国が一度は通っている道です。
   問題は改革のスピードです。ラブス連邦副首相やジェリッチ共和国蔵相、ヴラホヴィッチ同民営化担当相らはIMFの推す急激改革路線を指向しています。「5年以内に社会有企業はなくなり、全て民営セクターか国営企業になる」(ヴラホヴィッチ民営化担当相)。しかし経済学者の中には緩速改革を唱える動きもあります。「一度に『鎖国状態』を解くと大量消費材などが外国から大量・急速に流入し国内産業が潰されてしまう。大企業の民営化は大量の失業者の発生を前提としているが、雇用受け入れ先として中小企業を育ててからでも遅くはないのではないか。せっかく民主化政権が誕生したのに、無理な改革を進めれば反動勢力が強くなってしまうだろう」というのが緩速改革論者の論点です。

   この春からは毎月のようにストが頻発、まだストをしていない業種はないくらいではないかと思われます。2月には郵便電話局がスト。3月には教員が20から40%の賃上げを要求するストで学校は大混乱。昨秋10月政変の直前にDOSを支持して機動隊と衝突寸前の事態に至ったコルバラ炭鉱(第36回配信参照)さえも5月14日にはストを決行しました。7月5日には警察官がスト権制限に引っかかる違法を承知で集会を決行する前代未聞の事態があり、「組合」の主催者は懲戒処分になりました。
   セルビア中部のクラグイェヴァッツ市は自動車・武器産業のツルヴェナ・ザスタヴァの企業城下町です。不況が続いた上に99年空爆を受け、工場は破壊されました。従業員は2万人が強制休暇対象となり、わずか700円程度の月収しか受け取っていません。残った数千の従業員で「開店休業」状態を続けていましたが、4月、企業幹部が大半部門の操業停止を決定。これに怒った従業員たちはカギをこじ開けて工場内部で「働かせろ!」と座り込みストに入りました。
(左)ツルヴェナ・ザスタヴァの国産車(右)自動車の町クラグイェヴァッツ
現在政府はザスタヴァ再編成案を討議していますが、組合側は従業員の失業対策がはっきりした形になるまでは政府案は受け入れられない、としています。
   5月にはタクシー運転手が税額控除を求め、また医療関係者が賃上げを求めて同じ日にストに入りました。面白かったのはタクシー運転手と医療関係者がお互いのストを「支持」し合ったことです。片方は税金の払いを少なくしたい(タクシー)、一方は税金をもっと寄越せ(国営セクターの医療関係者)と、本来は利害が対立しているわけですから、「支持」し合うのはおかしな話なのですが、政府に対しゴネる点では、まあ同じでしょうか。労働者は国家が保護してくれるもの、ストでゴネれば何がしかは勝ち取れる、という自主管理社会主義の悪しき遺産が、まだ一般市民の考え方の中には残っているのです。
   セルビア政府は4月から6月にかけて、税制改革に関する諸法案を通過させ、6月27日にはついに懸案の民営化法案も成立しました。これからの政府は、ないカネは約束できない。これからは自由に外国資本と競争してもらう。能率の悪い社会有企業はどんどん失業者を出す。一言で言えば、初期資本主義に近いエゲツない世界が待っているはずですが、まだ国民の間にその危機感は希薄だと言わざるを得ません。
   「いやニンジンみたいにセルビアで出来る農産物も、ハンガリーなどから輸入自由化するらしい。困ったもんだよな」と言うのは、ベオグラード郊外ヴェリコ・セロで促成野菜の栽培をするアントニエヴィッチさんです。先進国でも農業政策はなかなかの難物ですが、ユーゴでは農業は国家保護の代名詞のようなものでした。1月から新経済政策を実施し、今年はインフレは大丈夫か、と思っていても、農産物の買い上げの時期に当たる秋になるとミロシェヴィッチ政権の造幣局が紙幣を刷らざるを得なくなり(つまりないカネを作ってしまい)、結局インフレが進む、という構造でした。今年の小麦の公定買い上げ価格はキロ当たり7・5ディナール(約15円)と決まりましたが、農民の間からは不服の声が聞こえて来ています。
民族主義政治だけでなく、経済政策もメチャメチャだったミロシェヴィッチの時代が終わり、セルビア(ユーゴ)は新しい試練の時代に入る
ヴェセリノフ共和国農相は「輸出入は自由化されたので、この価格に不満なら外国に売るのは自由だが、周辺国の価格もユーゴより高いことはないことを覚えていてほしい」と述べています。ないカネは、ない。社会不安、経済不安を引き起こさずに乗り切れるか。連邦・共和国両政府のこの秋の課題です。
   「もう領土で争うのが国益、という時代ではない」(スヴィラノヴィッチ連邦外相、7月2日TV BK)、「経済のシステムを根本的に改革することだ」(ヴラホヴィッチ共和国民営化担当相、週刊エコノミスト誌7月2日号)。聖ヴィトゥスの日とともにミロシェヴィッチ時代は終わりを告げ、ユーゴは新しい時代に入りました。それは平和ではあれ、試練の時代かも知れません。今ユーゴではミロシェヴィッチ政権の民族主義のみならず、経済面での社会主義という、ティトー以来50年以上にわたってこの国を支配してきたシステムがドラスティックに変わろうとしているのです。それは単にシステムの変化というにとどまらず、人々の基本的な考え方にまで影響を及ぼす大変化です。ハンガリーや他の中欧諸国には10年以上遅れを取りましたが、もう後戻りは出来ません。(2001年7月上旬)


画像を提供頂いた石川郁子氏に謝意を表します。アントニエヴィッチさんの写真の版権は同氏に、またジンジッチ首相の写真の版権はFoNet通信に属します。その他の画像は日本のテレビ取材に同行した際(99年3月、2001年3月、6月)筆者が撮影したものです。また本文にもこの取材の通訳として業務上知り得た内容が含まれています。これらの掲載に当たっては、筆者の通訳上のクライアントから許諾を得ています。画像・本文の無断転載はかたくお断りいたします。


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