「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

必見! 「関連リンク集」大幅リニューアル!!
最終更新 2000/05/27 14:50

第33回配信
ケータイ商戦熾烈なり


わが悪友バーネが愛用している携帯電話はノキア3210(約350マルク也)。軽い上アンテナが突き出していないので使いやすいという
   昨秋はボスニアのモスタルに2ヶ月近く長期出張をしていたことは前に書きました。本拠地ベオグラードを離れてボスニアにこれほどの長い滞在をするのは、96年にやはり日本のテレビドキュメンタリーの取材をアテンドして以来でした。この時の出張準備の際には考える必要がなかったのに、3年後の今回は配慮しなければならなかったことが2点ありました。一つはEメール(3年半前はまだコンピューターも持っていませんでしたし、まさか自分がネットでこのページから情報発信をするようになるとは思ってもいませんでした)、もう一つはやはり96年には自分が持っていなかった通信手段である携帯電話でした。Eメール、というかネット事情については空爆期間中に第18回配信で「史上初のネット戦争」というタイトルで話題をまとめましたが、今回の「(旧)ユーゴ便り」は旧ユーゴ諸国を含む東欧圏で急速に普及しつつある携帯電話の話題です。

     私は97年の春にベオグラードで初めて携帯電話の加入契約を結び、それ以来このマスコミ関係者には不可欠な、とは言え仕事を時々必要以上に忙しくさせてくれる道具を「愛用」しています。しかし残念ながらユーゴの回線とボスニア連邦(サライェヴォ)及びボスニアのクロアチア人支配地域(クロアチアのネットワークを使用)とは利用乗り入れ(ローミング)体制が出来ておらず、昨秋は現地モスタルで私の携帯電話が使えませんでした。このため取材班がレンタル契約をしなければなりませんでした。
サライェヴォで銃弾の痕が残る休業中のホテルの前に立つエリクソンの大看板。ボスニアの象徴的な光景だ(98年秋撮影、第9回配信から再掲載)
   しかしモスタルは何せ、第29回配信にも書いたように町が東西で事実上分断されているところです。従来型の通常電話回線こそ何とかつながっているものの、東モスタル(ボスニア人支配地域)のサライェヴォ本拠の携帯電話回線と、西モスタル(クロアチア人支配地域)のクロアチア本国の携帯電話回線のローミングはありません。東西の庶民の行き来はまだ少数ですが、少なくとも理論的には東西の、互いに携帯電話を持っている人が隣りに並んで座ることもあるわけです。ところが東モスタルの携帯電話から隣りの西モスタルの人の携帯に掛けるには、385というクロアチアの国番号で「国際通話」をしなければならない、ところが西モスタルの人たちはクロアチア本国のザグレブやスプリットには「国内料金」で結構、という奇妙な状況が続いています(昨秋滞在時に聞いた話では、モスタルを含むクロアチア人支配地域の携帯電話網もボスニア内に近く統合されるとのことでしたが未確認です)。

   このようにまだ政治的な状況から発展が阻害されている面はかなりありますが、スロヴェニアでは既に人口当たりの加入契約数では先進国ドイツを上回り「携帯超先進国」スウェーデンに迫る勢い、ユーゴ(セルビア)でも98年に20万だったモブテルの公称加入者数が今年初めには50万を越え、クロアチアでは国営系クロネット(加入者12万)に対抗して去年からスタートしたヴィップネットが早くも年末までに4万を数えるなど、旧ユーゴ各国での携帯電話はこの数年めざましいスピードで普及し続けています。

地域98年03年
北米73.5157.3
西欧92.0187.3
東欧7.626.2
ラテンアメリカ26.761.5
アフリカ・中東7.523.1
アジア太平洋100.0295.4
   プラハから中央アジア、カムチャツカまで、旧東欧、ソ連圏のビジネスニュースをまとめたギリシア系の英字週刊「New Europe」紙を開くと、毎号のように「某国電話局株をブリティッシュテレコムが買収へ」、とか「某国携帯電話にエリクソンも参戦」といった電信・電話関係の情報が書かれて賑やかです。左に示した表は、世界各地域の1998年の携帯電話利用者数(推計、単位100万)と2003年の予想値です(99年12月13日付ポリティカ=AFPによる)。東欧は絶対値ではもちろん小さなものですが、5年間の伸び率(3・5倍)から行けば世界最高になるのが期待されていることが分かります。東欧と言えば西欧大企業の「庭」。AT&T、モトローラなど米系企業を排除してでも、と西欧系の大手が東欧市場進出に熱くなっていることが想像できますね。
日本各社の携帯電話もベオグラードに進出。スカンジナヴィア系に比べると人気は今一つだが・・・
   昨99年クロアチアテレコムの株35%をドイツテレコムが8億5000万ドル(約850億円)で買収したことは第27回配信で書きました。このように日本円にして数十億から数百億が動く話に、ブリティッシュ、ドイツ、フランスの西欧テレコム3強が東欧、旧ソ連各国にモーションをかけているのが現状です。もちろん電話局株の売買だけではなく、携帯電話の運営用機材は電話機メーカーが製造し各国の回線業者に調達契約を結ぶ場合が多いので、エリクソン(スウェーデン)、ノキア(ノルウェー)のスカンジナヴィア2強、独シーメンス、ボッシュ、仏アルカテル、オランダのフィリップスなどが電話機の販売以外にも頑張っています。電話機そのものの販売合戦ではこれらに米モトローラ、お馴染みソニー、パナソニックに韓国の三星なども入って百花繚乱。さらに「つながりにくく切れやすい」従来の電話回線網の改善とデジタル化、ISDN、インターネット業者との提携など、西側大手にとって東欧には大きなビジネスチャンスが転がっているのです。社会主義時代の東欧各国では電信・電話は国の独占でしたが、民営化がトレンドになった今では電話局の売却は直接の外資導入になりますし、外貨が入って電話が便利になるのなら迎える側にとってもオイシイ話。「ベルリンの壁が壊れてデンワ屋が儲かる」構造が出来つつあるわけです。

電話機イコール電話番号となっているNTTなど日本の「一体型」と異なり、ヨーロッパ汎用規格GSMでは電話機の中に利用者が簡単に取り出すことのできるチップカード(SIMカード)が入っており、このカードの方が電話機の「本体」というべき部分になっています。
   例えば出かけた先で友人がノキアを持っていて、私が使っているエリクソンがバッテリー切れになったとします。私は「ちょっと東京に大事な電話をしなくちゃいけないからカードを抜いてノキアを貸してくれ」と言って彼の電話に私のカードを入れれば、ノキアが「私の電話」になり、日本への高い国際通話料は私の勘定につくワケ。バッテリーがダウンしたエリクソンに友人のカードを入れてあると、この間彼に電話した人は「電源が切れているか信号の届かないところにいます」と言われてしまうことになります。
   ここから国や回線業者に関係なく各電話機メーカーがヨーロッパ中で商戦を展開する余地が生じるわけです。利用者は「多機能だからって買ったパナソニックだけど使いこなせないからデザインの可愛いいアルカテルに買い換えようかしら」「ボクは現場仕事が多いから強度と耐水性でエリクソンかな、でも山の中の仕事が多いから受信感度でソニーもいいな」といった選択ができることになります。
   旧ユーゴの隣り、ヨーロッパ最貧国として知られるアルバニアでは、昨年のユーゴ空爆期間中にスウェーデンの雄エリクソンが携帯電話網を強化するため80万ドルを投資しました。空爆中コソヴォからアルバニア人難民の流出が激化した頃、私はベオグラードから日本のテレビ向けに電話レポートを送っていましたが、同じ局の特派員がアルバニアのユーゴ国境に近い町クケシュからコソヴォ難民レポートを並行して送る時期がありました。その際にこの特派員と私は携帯電話どうしで連絡を取り合っていました。西側衛星放送が伝えるクケシュの様子からは、失礼ながらどうも携帯電話が使えるような場所には思えなかったので内心不思議に思っていたのを思い出しますが、今考えるとこのような背景があったわけです。その後唯一の回線業者AMC(国営系)は自社株51から85%を西側に売却の意思表明。少なくとも5000万ドルが動くのではないかと期待されています。
   戦争で電話事情がガタガタになったコソヴォでの動きは速いものでした。国連コソヴォ暫定統治機構(UNMIK)は昨秋に西側大手テレコムやメーカーの他OTE(ギリシア)、AMC(アルバニア)、マケドニアテレコムなどの関係者を集め事実上の入札と思われる会議を開きました。新生コソヴォの携帯電話は独シーメンスの技術導入が有力視されていましたが、実際に「合札」したのは仏アルカテルで、早速「UNMIKトップのB・クシュネールはフランス人だからなあ」とやっかみ半分の悪口が漏れてきました。とは言えさすがはやり手のクシュネールです。ユーゴ、アルバニア他周辺地域の回線を使うのを避け、何とモナコの国番号を使ってコソヴォの携帯電話が機能するように手はずを整えました。これは携帯電話の歴史に残るウルトラCと言っていいのではないかと思います。現在もベオグラードからコソヴォ各地に通常の電話はほとんどつながらない状態ですが、プリズレン(コソヴォ南部)の友人とはモナコ377経由で直接話が出来るようになりました。「おいモナコの様子はどうだい?」「相変わらず芳しくないな」等々。
   モンテネグロでは親セルビア政権時代の96年、ノルウェー・テルノール及びギリシア・ユーロピアンテレコムとの合弁で初の携帯電話網プロモンテGSMが営業を開始、20年の独占契約(営業権2600万マルク)を当時の共和国政府と締結しました。ご存知の通り97年にジュカノヴィッチ現大統領の親欧政権が誕生しましたが、同大統領派もやはりケータイのオイシさが恋しく(?)、今年7月から国営系テレコムモンテネグロで営業開始を一方的に宣言。4年前のプロモンテの契約には「20年間政府は独占契約を他社と締結しない」という排他条項があるため、ユーゴ商工会議所が仲裁に入る対立に発展しています。プロモンテ側は「契約は契約だ」で押すでしょうし、政府・テレコム側は「独占を奨励する法律はブラトヴィッチ前大統領政権の憲法違反だ」として契約を白紙に出来る切り札もあるようで、調停のなりゆきが注目されます。

ベオグラード中心部のテレコム・セルビアではいつもプリペイドカードの更新・購入の行列が出来ている。庶民や若者にもケータイ、の時代がやってきた
   97年春にセルビアで私が使い始めた頃は、まだケータイと言えば政治家や外交官、マフィアなど一部少数の持ち物というイメージが強く、地元報道関係者の間でもそれほど普及していませんでした。気恥ずかしさ半分、自慢半分だったのを覚えています。ところが98年8月に後発の国営系セルビアテレコム(これも49%はイタリア・ギリシア資本です)が国内専用の電話網(064)を開始し、「使いすぎる心配がない」プリペイドSIMカードを導入してから様相が一変、ちょっと余裕のある庶民なら誰でも持てるようになりました。もちろんアルバニアが長年守っているヨーロッパ最貧国の座を脅かすような経済状態ですから みながみな「余裕のある庶民」ではありませんけれども、喫茶店やレストランでケータイを持っている人を見ないことはありませんし、場合によっては「オレのが鳴ってるのかな」と日本でのように何人かが手探りすることも今では珍しくなくなりました。「空襲警報が鳴った時に家族がどこにいるか心配だから」と、空爆が普及を刺激したという指摘もあります。先発の063ことモブテル(51%は親ミロシェヴィッチの民営資本BKトレード)もプリペイドカードを昨年から開始、98年に20万だった公称利用者数は今年初めに50万を突破(2年間で150%の爆発的な伸びですね)。テレコム064と合わせてセルビア(コソヴォを除く)の携帯電話利用者数は70万から80万、つまり人口の約8%にのぼると推定されています。97年当時の従来型電話の回線数は約200万(人口全体の約20%)ですから、先進国並みとは言えませんが8%はそれなりに「普通の持ち物になった」ことを示す数字ではないでしょうか。
   ベオグラードの場合、新聞広告などで中古の携帯電話を扱っている欄を見つければ本体が150から200マルク程度で見つかります。これに国内専用の064のプリペイドカード10マルク程度分を入れれば、トータル250マルク以下で使えるようになるわけです。これなら平均月収が100ドル以下というセルビアでも、平均よりやや上のクラスなら決して高価な持ち物ではないことがお分かりになれると思います。
ボサナッツさん(右の男性)の店は各種携帯電話に対応するバッテリーやカバーを売っている
   電話機販売はもとより、周辺ビジネスも活発になりました。広告専門紙を開くと携帯電話関連の項目にページが多くさかれています。中古売買、修理はもちろん、バッテリーやホルダーの販売、さらには英語などで書かれた使用説明書のセルビア語訳を売る商売も出ているようです。ベオグラード中心部近くでバッテリー、ホルダーなどを扱っている商店のボサナッツさんは、「今まではオーディオテープやビデオテープ、フィルムなどの販売で細々とやっていたんだが、携帯付属品を始めてからは好調だね。ホルダーとバッテリーだけ見ていても、エリクソンやノキアなどスカンジナヴィア系が人気で、軽くて小さい電話がトレンドになっているのがよく分かるよ」とご機嫌でした。

   学校の授業中にベルが鳴る。自動車のヨタヨタ運転。日本の読者の皆さんは既によくご存知の困った現象も、遅まきながら話題になっています。
   2月11日付日刊紙「ポリティカ」はこんな教室での現実を伝えています。あるベオグラードの普通科高校の数学の授業中に携帯電話が突然鳴り、生徒が立ち上がって教室から出て行って廊下で話すというアクシデント。対処に困った先生はびっくりしてこの生徒に校長室行きを命じたのみでした。結局この学校では授業中の携帯オフが義務付けられました。ゼムン中等高校では15才の女子生徒が授業中にしょっちゅう携帯で話していてやはり校長室行きを命じられましたが、「熱い恋のためだ」と校長に釈明したとのこと。教諭から校長に直訴があるまで、同校の教室では携帯の音で授業が妨げられるケースが頻発していたことが分かりました。このケースは両親が登校時に娘に携帯を持たせない、ということで解決しましたが、中等学校での生徒の新しいトレンドになっているのが携帯電話なのだそうです。ケータイを持っていなければ「カッコ悪い」。教師の多くはまだこの新しい事態にどう対応したらいいか分からずにいますし、口頭での注意では不充分な場合が多いようです。V・ミラトヴィッチ文献学高校校長は「最初は大変だった」けれども、学校では授業中の携帯オフを義務付けることで解決したと言います。この新校則はきちんと守られており、今では問題はない、とのこと。
去年の今ごろは空爆で停電が頻発、ローソク、懐中電灯とともに通常の電池でも使える携帯電話を備えたのが今では懐かしい(第19回配信から再掲載)
   ベオグラード第12普通科高校のB・ジュヴェロヴィッチ校長は「市場に携帯電話が登場してすぐに教室にも出現した」と言います。もちろんこの学校でも文献学高校と同じような校則を設けていますが、現在では大半の生徒が携帯電話を持っているとか。文献学高校のカウンセラー、B・ニコリッチさんは、近年携帯電話が生徒の間でステータスシンボルになりつつあると言います。「ケータイがある方が価値がある(カッコいい)、という考え方です。特に裕福ではない家庭の子息が多い学校では(目立つこともあって)その傾向が強いのです」。彼女によれば「親が子どもに携帯電話を買い与える余裕があるなら、せっかく買った電話を取り上げる必要はありません。しかし規則を守り、どこで使うべきかを言いつけるようにしないと」。
   週刊誌「ヴレーメ」5月6日号もケータイのエチケットを特集として扱いました。記事の中でセルビア正教会総主教座ネボイシャ助祭は、教会や葬儀でのエチケットを守るように呼びかけています。「教会は日常生活の出来事や問題から自分を切り離して祈りに来るところですから、携帯電話は可能なら携行しないで来て下さい。墓地での葬儀も同様です。洗礼式や結婚式でうっかりした信者の電話が鳴ることがありますが、聖職者はその都度注意しています」。

   日本とユーゴの経済格差を考えると、ここまで早くユーゴにもケータイ時代がくるとは思えませんでした。91年から始まった戦争中はクロアチア、ボスニアにベオグラードから電話がかけられることさえ信じられなかったのに、今では(上に書いたローミングの問題こそありますが)ベオグラードの出先からザグレブやサライェヴォやプリシュティナの、これも出先の友人に電話が出来る時代になりつつあります。便利になるということは平和に向かっているということだと私は信じたい気持ちですが(ケータイが平和の象徴という単純なオメデタさでいいのか、という問題は取りあえず措いておきましょう)、皆さんはどう思われるでしょうか。(2000年5月下旬)


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