夜の記憶 May. 1999

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99/05/02 (Sun.)−薬のショットバーがほしい

 といっても、麻薬の話ではありません。
 まばたきをすると右目が痛い。ものもらいの兆候を感じ、薬用の目薬を出してきた。ものもらい用の目薬は、よく効くやれ効くすごく効く。しかし効くのはいいのだが、すぐに治ってしまうため使いきる前に賞味期限(賞味じゃないか)が来てしまうのだった。この目薬は、たしか去年買ったものだ。花粉症が全盛の時期にものもらいになってしまい、このときは右目にものもらい用目薬を差し、左目に花粉症用の目薬を差すという生活だった。このときのものもらいも数日で治ってしまい、目薬はたっぷりと中身を残したまま、引き出しの奥にしまわれていたのだった。使用期限は来年の2月。おそらく今回のものもらいもすぐに治り、結局前回と今回だけ使われたところで期限が来てしまうのだろう。
 そういえば、味の素に関するほとんど都市伝説と化している逸話に、味の素のびんの穴を少し大きくするというものがある。伸び悩んでいた味の素の売り上げが、穴をほんの少し広げただけで大幅に伸びたという話だ。じゃあもし目薬の一滴を調節できたとして、薬用目薬の一滴の量を増やしたらどうなるか。売り上げ大幅増…とはやっぱりいかず、最後まで使いきることがないから売り上げは変わらないのではないか。むしろ容器を小さくしてもらいたい。半分の量で値段が2/3、いや1/4の量で値段が半分でも、たぶんこちらを選んだほうがお得なはずだ。どうせ使いきる前に使用期限が来てしまうのだから、一度に買う量は少ないほどよい。
 もっといけば、薬を計り売りする店があるとよい。目薬に限らず、風邪薬や頭痛薬、胃腸薬を使いきらないまま使用期限が来てしまうくらいなら、1粒あたりの値段が少し割高でも、その場で1日や2日ぶんだけ買えるほうがよいような気がする。もちろん薬事法のアレコレで実現は難しいだろうが、こないだの二日酔いにはこの薬だったから、今日の二日酔いにはあの薬を、なんていろいろ試せたら面白いではないか。


99/05/03 (Mon.)−視界いっぱいの画(え)を

 新宿南口のタカシマヤタイムズスクエアにある、東京アイマックス・シアターに行ってみた。ここは、視野をほとんど覆う巨大スクリーンに映像を映す特殊映画館である。演目は『EVERESTエベレスト』。エベレスト登頂に挑む人々を描くドキュメンタリーだ。
 本編が始まると、視界のほぼすべてが映像で占められてしまう迫力に圧倒される。撮影には、おもにかなり広角寄りのレンズが使われており、注視する対象は撮影範囲の中心にごく小さく出る程度。この構図が、人間の実際の視野に近く、目だけがネパールにあるような気分になれる。カメラがぐるぐる回るカットでは、すぐに目が回ってしまった。
 ここまで臨場感があると、ただひたすら目に驚きがある。脳が視覚の処理に忙しい。心地よい興奮と酩酊感。満足感とともに、少しふらつきながら映画館を出たのだった。


99/05/04 (Tue.)−フォトレタッチ劇場〜ちょっとした妄想(1)

[photo:8.6k]


99/05/11 (Tue.)−新しいPowerBookとAppleスマートローンの謎(解決篇)

 3月28日の当欄で、Appleスマートローンとその対象製品の新製品投入時期について書いておいた。今日はその答え合わせ。スマートローンは5月5日に終了し、そして今日、新しいPowerBook G3が発表されたのだった。
 前回の、iMacを対象にしたスマートローンは、新製品発表→ローン終了→新製品発売という、そりゃないぜ度が高い流れになっていた。今回はローン終了→新製品発表という順番。新しいPowerBookは今のところ米国Apple社のみで発表され、アップルコンピュータ株式会社からはまだ発表がない。
 いずれにせよ、今後スマートローンが行われるとしたら、その終了時期にはまたAppleに動きがあるかもしれないね、という話でした。


99/05/12 (Wed.)−家庭用ロボットが登場した日

 愛玩用のロボットが製品化され、この7月に発売されることになった。
 「AIBO」(アイボ)という名前のそれは、自ら見、聞き、感じ、判断して行動する。ふと手塚治虫の『火の鳥』に出てくるロボット「ロビタ」を思い出した。ロビタはロボットのくせに、間違えたり失敗したりする。そのことが人間くささとなり、親しみを持たれヒット商品になる。
 買う愛玩用ロボットといえば電気羊。P.K.ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、電気羊を所有することがステータスとなっていた。「AIBO」は25万円で、即座に役に立つ商品ではないぶん、確かにステータスになるかもしれない。
 面白いのは、「AIBO」にはリモコンを使って自由にコントロールできるモードもあるということだ。先ほどまで自律的に動いていたロボットを好きなように動かせるというのは、なにか倒錯した楽しみを感じる。ある程度育てたたまごっちをリセットする「たまごっち殺し」のような、子供じみてはいるが抗しがたい黒い心。でもこの機能は、「AIBOを買ったけれどどうしたらいいかわからん」という人のためのもので、愛玩ロボットがもっと一般的になればなくなってしまうのだろう。
 それにしても「AIBO」、1999年にして家庭向けにロボットが売られる時代になったというわけで、何ともすごいものだと思う。25万円かぁ。ロビタや電気羊はいくらだったのかなぁ。


99/05/13 (Thu.)−PowerBookの使い心地

 米国Apple社に続いて、アップルコンピュータ株式会社からも新しいPowerBook G3が発表され、月末から発売されることになった。しかしどうもPowerBookというのは、使い勝手においてWindowsノートよりもずっと無理のある製品だという気がする。
 もちろんMicrosoftシンパなつもりはない。家では今でもMacintoshがメインマシンだし、爆弾(=システムエラー)さえ出なければ、MacOSそのものは自分にとって使い勝手が良いOSだと言える。なによりMacOSには、Windowsと比較して「デザインされている」という実感がある。
 それでも、ノートパソコンでMacOSを使おうという気にはまったくならないのである。出先で爆弾が出たらイヤだから? それもあるが、MacOSというOSは基本的にノートパソコンというハードウェアに向かないと思うのだ。
 Windowsと比べると、MacOSはマウスへの依存度が高い。というより、マウスを使わなければならない操作が多い。[ファイル]などのメニューを開くには、Windowsなら[Alt]+[F]だがMacOSではキーが割り当てられていない。キーボードによるタスクの切り替えも、Windowsであれば[Alt]+[Tab]。一方MacOSでの[command]+[Tab]というタスク切り替えの操作は、ようやくバージョン8.5になって採用されたものだ。また、Windowsではキー操作だけでファイルをコピーできるが、MacOSではそうはいかない。
 ノートパソコンには、マウスの代わりとしていろいろなポインティングデバイスがついている。[G]と[H]と[B]のキーの中心にポッチがついているもの、スペースキーの手前に指でなぞる部分がついているもの。薄型ノートの流行ですたれてしまったが、トラックボールというものもあった。最近のPowerBookは、なぞり型が続いている。これらを使ってみたことがある人はわかるだろうが、どれを使っても操作性はやっぱりマウスには及ばない。ThinkPadのポッチ(トラックポイント)もよくできてはいるが、人差し指の付け根が痛むし、マウスと比べるとどうしても「よっこいしょ」感が強い。ノートパソコンにマウスを接続して使うケースがよく見られることからも、マウス以外のポインティングデバイスが使いやすいものではないことがわかるだろう。
 そこへきて、マウス操作への依存が大きいMacOSである。PowerBookで、扱いにくい「なぞり型」デバイスを使わなければファイルのコピーすらままならないとなると、ストレスがたまっていやんなっちゃうはず。
 このあたりが、MacOSがノートパソコンに合わないと思う部分なのだ。じゃあどうすればいいのかといえば…上で挙げた操作はOSデザインの根幹にかかわるだけに、解決方法はないのだった。もしノートで使いやすくなるようカスタマイズされたMacOSが出たとしたら、それは今のMacOSとはだいぶ違うものになるだろう。それはそれで面白そうな気もする。自分で想像してみるのもいいかもしれない。


99/05/14 (Fri.)−情報は手もとにまとめておこう、と日記には書いておこう

 「情報は手もとにまとめておこう」と痛感したこの数日。出先から電話しようとした相手の電話番号がわからない。あのメールに書いてあったのにその場で書き写して/PHSに入力していない。メールを読んだ時は、すぐにその番号が出先で必要になるとは思わなかったのだ。とほほ。これが2件。
 出先から電話しようとした相手の電話番号がわからない。家のメモ用紙にはメモしてあるのに書き写して/PHSに入力していない。メモした時は、すぐにその番号が出先で必要になるとは思わなかったのだ。とほほ。これが1件。たて続けにこういうことがあると、自分の情報管理能力の低さにやんなっちゃうよ。ある朝ぼくは店のおじさんと…(うそうそ)
 しかしこれでも、以前よりはましになったのだ。昔は電話番号を聞くと番号だけメモしておくものだから、あとでメモを見返してもその番号が誰のものかわからない。もしかしてその場でしか使わない番号(なにかの問い合わせ先とか)かもしれない。最近はさすがに、電話番号を書いたらそれがどんなに自明でも、どこの番号かを書いておくようになった。いつ自明じゃなくなるかわからないもんね。こういうのはもう習慣だから、意識していないとなかなか「くせ」が治らない。この数日のように、何度もまとめて痛い目に会ってようやく、意識が重い腰を上げて習慣改革に乗り出してくるのだった。習慣改革の第一歩としてとりあえず、情報は手もとにまとめておこう、と日記には書いておこう。


99/05/15 (Sat.)−前を見る車

 富士重工が、車にカメラを積んで車間や車線を認識させるという手法を発表した。今年度中にはレガシィに搭載するという。大変なことになってきた。この手の運転支援技術は各社が開発にしのぎを削っているようだし、この調子で進めばカーナビと組み合わせて本当に自動運転の世界がやってくるような気配を感じる。このへんのハイテク具合を見ていると、「車が未来になってゆく」というより、「未来が車でやってくる」という印象である。楽しみ楽しみ。


99/05/16 (Sun.)−愛玩ロボット「AIBO」を見た日

 銀座のソニービルに展示されている「AIBO」を見てきた。デモンストレーションは18日からとのことで、今のAIBOはただ1頭(?)が檻ならぬプラスチックのケージ内でただわしわしとパフォーマンスモードに入っているのみ。自律モードの動きについては、備え付けのテレビモニタに繰り返し映し出される、CM用とおぼしき映像からしか知ることができなかった。残念。
 自分の目当てがほかの人の目当てにもなっているのでは、という心配は誰でも抱くはず。今から観に行くこの映画、もしかしたら混んでるのじゃないか、とかね。AIBOの展示も押すな押すなの大盛況だったりして、と思わないでもなかったが、AIBOの周りにはわずか数人。愛玩ロボットの登場に興奮している向きとしては「案外こんなもんなのかなぁ」とちょっと興ざめだ。もちろん人が少ないおかげで、じっくりとAIBOの動きを観察できたのだけれど。
 さてそのAIBOの動き、やっぱりそれほどスムースではない。首をかしげたり頭をかいたりといった動作の1つ1つが、かく、かく、という感じでややぎこちない。すごく気になっている関節のモーター音は、残念ながらケージにはばまれ聞こえなかった。個人的には、モーター音は少し大きめなくらいがロボットらしくていいと思っている。ウィーン、カシン、カシンなんてうなりながら動いたらカッコいいではないか。愛玩方面を追求するならそれじゃダメだろうけれど。
 AIBO本体の材質はプラスチックのように見えた。爪や肉球(!)はグレーで、これは明らかにプラスチック。重量と耐久性から考えると、本体はマグネシウム合金なのかも?
 モニタに映されていたAIBOの映像では、人のうしろについていく様子や、鏡に映る自分を首をかしげながら見る様子、ボールで遊ぶ様子などが紹介されていた。AIBOが市販されるというのはやっぱりトンデモナイ事態なんじゃないか、と改めて感じた。
 といった具合でひとまずAIBOから離れ、銀座でほかにもあれこれ見たり買ったりしたあと、もう一度ソニービルの中をのぞいてみた。AIBOの周囲にだいぶ人が増えている。なんとなくいい気分になって帰宅。

[photo:AIBO]


99/05/17 (Mon.)−パソコンで宇宙人を探せ

 4月8日の当欄で、「速いパソコンを買ったらSETI@homeに参加すべし」と書いた。データ解析用のプログラムのうち、Windows版MacOS版が13日からいよいよダウンロードできるようになったと聞いたので、リンクし直してみました(ダウンロードページへのリンクは今のところ英語のページからのみのようだ。UNIX版はすでに公開中)。今日はダウンロードしたところまで(サイズはMacOS版が200KBほど、Windows版は700KBほど)。実際にプログラムを使ってみた様子は後日。


99/05/18 (Tue.)−ドッペルゲンガーかコスプレか

 新宿で偶然、知人のD氏を見つけた。場所はゲーセン。向こうはDance Dance Revolution(以下DDR)をプレイ中。後ろ姿を見ながら、踏み終わるのを待つ(まめちしき:DDRをプレイすることを「踏む」という。DDRの主眼が「踊る」ことではなく、「矢印を踏む」ことであることから)。プレイが終わり、さて声をかけようとすると、こっ、これは別人!しかしこのシチュエーション、この背格好、この服装、この髪型。どれをとってもD氏そのものだ。一体こんな偶然があっていいものだろうか。もしかしてこの人はドッペルゲンガー?にしては、顔は別人とわかっちゃう程度の似ぐあい。じゃあコスプレ?としても、なぜあえてD氏のコスプレをする人がいるのかわからない。謎の人はさっさとゲーセンを出ていってしまった。真相は闇に葬られたのだった。


99/05/19 (Wed.)−着メロに関するよしなしごと(1)〜着メロの仕様を公開してもらいたい

 まんぷくやの着メロページであるところの「着メロMeMo」、最近は更新がとどこおっている。いや、もちろんほかのページの更新もかなーりとどこおっているのだが、「着メロMeMo」の怠慢の理由はほかのページとはやや違っている。
 「着メロMeMo」は、まんぷくや内では一番人気のようで、たまに着メロがらみでメールをいただいたりする。着メロというネタはほかのページ(赤瀬川原平だのリオのカーニバルだの)よりも一般性が高いし、Yahoo! JAPANにも登録してあるしね。作る側としても着メロというものは実際面白く、アイデアはアレとかコレとかまだまだいろいろたくさんある。じゃあなぜページが更新できないのかといえば、それはひとえに手間がかかりすぎるからなのだった。
 1つ着メロを作るとする。PHSに入力して、Webに載せられる程度のものができあがったとしよう。Webに上げるには、PHSに入力されたデータを1音1音見ながら、HTMLファイルに入力し直さなければならない。ここがネックになっているのだ。入力することそのものが面倒なのではない。PHSに入っている着メロのデータをそのまま取り出せないのが歯がゆいのだ。
 さらに、「着メロMeMo」の着メロを自分のPHSなり携帯電話なりで使ってみたいと思った人がいたとして、この人もページを見ながら自分の電話にメロディを1音1音入力し直さなければならない。この状況は、本を読むために本の内容を読者がすべて書き写さなければならないようなもので、はなはだ効率が悪い。せっかくこちらのPHSには入力済みのデータがあるのに、それを相手の電話にコピーすることができないのだ。これも申し訳ないと思い、ますます更新しようという気が失せてしまう(DoCoMoのPHSどうしなら「きゃらメール」に着メロを添付して送信できるが、お互いの電話番号ときゃらメールセンターの電話番号をやりとりせねばならず、不特定多数に着メロを配布するのは事実上不可能といえる)。
 いくつかのメーカから、着メロを編集するソフトウェアが発表されている。中には、作った着メロを携帯電話に転送できるものもあるようだ。これなら、こちらはそのソフトウェアで作成した着メロのデータをWebに上げておけばよいことになる。使う側は、データをダウンロードしてそのソフトを使えば、面倒な打ち込み作業をすることなく、自分の携帯に着メロを転送できるわけだ。
 あいにく、自分が使っているNTT DoCoMoのPHSに着メロを転送できるソフトはまだないようだ。しかし、着メロの仕様さえ公開されれば問題はすべて解決する。たとえば、DoCoMoのPHSなら「きゃらメール」を契約しておけば、「電話番号@cmchuo.nttpnet.ne.jp」などといったアドレスへ送信された電子メールはPHSで受信できる。これに着メロのデータを添付できるとしたらどうだ。少なくとも、着メロを電話に入力する手間は省くことができる。実際のインターフェースとしては、ページの着メロのリストから希望の曲をチェックし、自分のPHSのメールアドレスを入力して[送信]ボタンをクリック、のようなもので十分。簡単なCGIを通せば、この程度は容易に実現できるはずだ。
 しかし現在のところ、少なくともDoCoMoのPHSに関しては、着メロの仕様は公開されていないらしく、具体的にどういう形式のデータを送信すればPHSの側で着メロになるかがわからない。DoCoMoは「公開するようなものじゃない」と考えているのかもしれないが、そんなことはまったくない。「きゃらメール」の受信には1通5円の通信料がかかる。着メロの仕様を公開することで皆が「きゃらメール」を利用するようになれば、確実にDoCoMoの収益に貢献するだろう。こちらとしても、PHSに入力→HTMLファイルに入力→見た人が自分のPHSに入力、という2度手間3度手間がかからず精神衛生上非常によろしい。そうなればあの曲もこの曲も、着メロにして公開しようという気分になるというものだ。DoCoMoには、着メロの仕様公開について前向きに検討してもらいたい。


99/05/20 (Thu.)−つげ義春『蟻地獄・枯野の宿』

 新潮文庫がこのところ、次々とつげ義春のマンガを出している。今月の新刊はラッシュの3冊目、『蟻地獄・枯野の宿』。
 80年代の作品が主の『無能の人・日の戯れ』、70年代の作品が主の『義男の青春・別離』とくれば今回はその通り、60年代の作品がほとんどである。特に66年ごろまでのものが中心で、これらはつげの脂が乗りきって『ねじ式』や『紅い花』を発表する、67年から68年に至るまでの作品だ。
 作家の初期作品を読む楽しみの1つに、のちの傑作に至るまでの試行錯誤や、その作家が根元的に持っている要素を見つけやすいということがある。たとえばこの頃のつげの画風は、白土三平につげ風味が少し混じった程度だが、『不思議な手紙』(初出1958年12月)には、すでに細い描線の影が生み出すリアリズムが見えて興味深い。
 『おばけ煙突』(初出1958年11月)では、ドラマの流れに直接関わらないコマを差し込む手法がわかりやすく使われている。セリフもなくなにも起きないコマを使って、作品全体の雰囲気や情感をたくみにコントロールする。ああこれは『海辺の叙景』(初出1967年9月)のルーツだなとわかる。新潮文庫には未収録(現在は小学館漫画文庫の『紅い花』で読めるはず)のこの作品、極端にセリフが少ないながら、絶妙なコマ割りによって確かな読後感が残るいい作品なのだ。
 ここまで書くために、上の3冊だけでなくつげの古い単行本をひっくり返しているうち、作品の初出を年代順にまとめてみたくなった。こういう資料はWWWのどこかに絶対あるとは思うが、明日自分でもやってみよう。


99/05/21 (Fri.)−つげ義春作品初出一覧(抜粋)

 『無能の人・日の戯れ』『義男の青春・別離』『蟻地獄・枯野の宿』(以上新潮文庫)、『ねじ式』『紅い花』(以上小学館文庫(いずれも初版1976年4月20日))に掲載の作品から。

 いや、なんつーか作品多すぎてどこをどう見たらいいかわからん感じですね。ポイントは『懐かしいひと』(1973年3月)が『義男の青春』(1974年11月)の前にもう発表されてるあたり。あと単行本『ねじ式』『紅い花』は、今ではもしかしたら入手困難か、もしくは絶版になってしまってるのかもしれませんが、1967年から68年にかけての名作がたくさん読めるのでぜひ探してみてもらいたいところです。


99/05/22 (Sat.)−SETI@homeを使ってみた

 先日ダウンロードした「SETI@home」のプログラムをセットアップしてみた。MacOS版の場合、プログラムは機能拡張の形で提供されており、インストール後に再起動が必要になる。Windows版はその必要もない。
 ネットワークの設定やプログラムの動作設定も、よほど英語アレルギーがきつくなければ別段難しいことはない。ダイアログボックスの質問に答えていくといったんインターネットへ接続し、300KB強の未解析のデータをダウンロードしてくる。これをひたすら解析しようというわけ。スクリーンセーバーとして、一定時間パソコンに触らなければ計算を始めるようにもできるし、MacOS版ではホットキー(特定のキーを押すと計算が始まる)を指定したり、Windows版ではほかのプログラムを使っているときも裏で黙々と計算するようにもできる。ダウンロードされたデータの解析にはかなり時間がかかるようで、我が家のPowerMacintosh 7600/132(PowerPC604/132)ではおそらく100時間弱、PC/AT互換機(Celeron/338MHz)でも40時間ほどかかりそうだ。
 プログラムがせっせとデータ解析している様子を見ていると、これこそコンピュータの仕事にふさわしいと思えてくる。せっかくパソコンがあるのだから、ユーザが寝ていたり外出したりしている時間も計算させない手はないわけだ。なんとなく、1秒いくらで時間貸しされるスーパーコンピュータの気分。さらに、こうして自分のコンピュータが解析したデータの中に「当たり(=宇宙からのメッセージ)」が入っているかもしれないわけだから、少しの時間でも計算に割り当てたくなってきてしまう。データ解析をする時間が長ければ、それだけたくさんの宝くじを買っていることになるのだから。皆さんもぜひ、当たりを目指して家庭で、あるいは職場で宇宙探査してみてもらいたい。

[SETI@home screenshot]


99/05/26 (Wed.)−登場、ThinkPad240

 とうとうIBMから薄型B5ノートが出てしまった。その名はThinkPad240
 仕様を我が家のThinkPad535Xと比べてみると、薄くなってサイズは少し大きくなって、軽くなって速くなってハードディスクの容量とメモリが増えて、バッテリ駆動時間とPCカードスロットが減って、消費電力と液晶サイズと解像度は変わらず、表示可能色数が増えてキーが減ってキーピッチは広がってTrackPoint(赤いポッチ)は機能向上、で標準価格はぐっとお安くなった、というところ。
 個人的には、「pageup」「pagedown」などのキーがなくなってしまったらしいのが残念。さらに個人的な事情だが、NICOLA(≒親指シフト)配列を使っている身には、変換キーの幅が狭くなってしまったように見えるのも非常〜に残念なところだ。
 それにしても、ソニーからVAIOが登場して以来、すっかり薄型ノートの時代になってしまった。VAIOの後を追うように、マグネシウム合金の外装、25mm前後の薄型ボディを持つマシンが各社から次々と発売され、「バイオモドキ」だの「銀パソ」だのと言われたのも今では昔。もはや定番の製品として普遍性を獲得してしまったため、あえてそういった言われ方もされなくなってしまったようだ。一方、IBMはこの「薄型」の流れに乗り遅れていた。ノートパソコンのトップブランドの1つと言っていいThinkPadがこれまで薄型モデルを出さなかった裏には、ThinkPadのブラックボディというプライドが、銀色のマグネシウム合金に対して拒否反応を示していたという事情もあるらしい。
 そこへ、ついに登場した薄型ThinkPadの240である。ThinkPadの製品ラインアップは、これまで型番でわかりやすく分けられていた。240はどうだろうか。
 ThinkPadは、型番の流れを重視してきている。B5サイズのコンパクト(といってもいわゆる「薄型」以前のコンパクト)ノートは530→535、これよりも小さいシリーズは220→230→235と進んできた。おまけとして、ThinkPadではないが超コンパクトなパソコンの「PalmTop PC110」という型番には、小さな220のさらに半分だぜという気概が現れている。そして今回の240。タテヨコのサイズだけから考えれば、53x番台がふさわしいこの製品に「240」という型番を付けてきたのは、「大きさは53x番台だが、コンパクトさの実感は2xx番台並み」という印象を持たせるための戦略なのだろうか。そのわりには「キーピッチ18mmを実現」など、製品紹介のトーンは単なる小ささよりも「コンパクトながら実用的」という具合だ。このあたり、伝統的な型番ルールと製品戦略にややちぐはぐさがあるようにも思える。
 それでも、ThinkPad240はIBMにとって、これまでになく意欲的な製品であることは間違いない。個人的な嗜好から「どうしても欲しい」機種にはならなさそうで、これは嬉しいような残念なような複雑な気分だが、市場が240をどう受け止めるか、興味はつきない。


99/05/27 (Thu.)−強風の報酬

 『恐怖の報酬』という映画がある。油田の火事を消し止めるため、トラックでニトログリセリンを運ぶことになった男たちのサスペンスドラマ(未見ですが)。ところで今日は風が強かった。その結果はといえば

  1. 電車が止まった
    強風で電車がストップし、トラックでニトログリセリンを運ぶことになった男たちのサスペンスドラマ。
  2. 前を歩く女の人の香水の匂いがカタマリとなって襲ってきた
    強風で香水の匂いに襲われ、トラックでニトログリセリンを運ぶことになった男たちのサスペンスドラマ。
  3. あやしい雲を見た
    強風で雲ゆきが怪しくなり、トラックでニトログリセリンを運ぶことになった男たちのサスペンスドラマ。

 次々に襲いくる難関!手に汗にぎる緊張感!誰にも予想できないどんでん返し!…いや、もういいです。


99/05/28 (Fri.)−果しなき睡眠不足の果に

 最近は暑かったり涼しかったりで、布団の枚数を調節するのが難しい。寝苦しい布団の中で考えた。「人生の1/3は布団の中」なんて言うけれど、実際そんなに寝ているだろうか。最近の統計では、日本人の平均睡眠時間はたしか7時間台で、昔と比べて短くなってきているという結果が出ていたはず。子供の睡眠不足もだいぶ前から言われている。
 先日、「日本人の出生率が改善しなかった場合、西暦3x00年(詳細失念)の日本の人口は1人になる」という話を聞いたが、同じように「日本人の睡眠不足が改善しなかった場合、西暦×年の日本人の平均睡眠時間は0分」なんてことになったらヤですね。


99/05/30 (Sun.)−フォトレタッチ劇場〜ちょっとした妄想(2)

千代田線・明治神宮前駅にて

[photo:2.3k]


99/05/31 (Mon.)−ねじ式筋肉痛

 昨日突如思い立ち、2年ぶりくらいにバイク(ホンダのCBR250R Hurricane)を出してみた。もちろんバッテリーは上がっていてセルは使えないから、押しがけすることになる。チョークを開けギアはセカンド、クラッチを握ってそりゃあーってな具合にバイクを押してゆき、ここぞというところでクラッチを戻す。後輪がロックするその瞬間にアクセルをふかせばエンジンがかかる…はずなのだが、何度やってみてもうまくいかない。バッテリーが上がっている以外に、なにか問題があるのだろうか。なにしろずっとほっといたから、どこか腐ってしまったのかもしれない。汗だくになったが、エンジンは最後までかからなかった。
 バイクはとても重い。エンジンさえかかればすばらしい加速を見せてくれるのだが、その一歩が踏み出せなければただの鉄塊である。何度も押しがけするうち、腕の負担がきつくなってきていたのだ。特に左腕に無理がかかっている。案の定今日は筋肉痛。左腕の三角筋の下部、上腕二頭筋と三頭筋の間あたりが一番きつい。あいたたた。右腕でそこを押さえる。はっ、このポーズはねじ式


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