最近のボスニア(旧ユーゴスラビア)情報

(10/07, 2000)


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 10/06@◎「危機は過ぎ去った」と宣言=ロの認知獲得でコシュトニツ(時事通信)
 10/06@ユーゴ、民主国家建設への道のり険しく(読売新聞)
 10/06@ユーゴ国営報道機関にも自由化の波(読売新聞)
 10/06@ミロシェビッチ大統領「現在も首都に」(読売新聞)
 10/06@ユーゴ、「スパイ」容疑で拘束の英2警官釈放(読売新聞)
 10/06@◎ユーゴ軍、政治不介入の姿勢堅持(時事通信)
 10/06@◇ミロシェビッチ氏はどこへ? 所在巡り諸説◇(朝日新聞)
 10/06@◇ユーゴ政権、実質崩壊 コシュトニツァ氏はロ外相と会談◇(朝日新聞)
 10/06@ユーゴ民主連合、新政権母体の危機管理委設置(読売新聞)
 10/06@<仏>EU・バルカン諸国首脳会議にコシュトゥニツァ氏招待(毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>露外相、コシュトゥニツァ氏の大統領選勝利認める(毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>民主野党連合、新体制確立作業へ本格的に着手 (毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>欧州各国は「民衆革命」を手放しで歓迎(毎日新聞)
 10/06@10月7日付・編集手帳(読売新聞)
 10/06@<ユーゴ>「ユーゴ国民の選択を尊重する」中国は中立的立場(毎日新聞)
 10/06@◎ロシアのユーゴ新政権実質承認を歓迎=米国務長官(時事通信)
 10/06@◎欧米諸国の干渉をけん制=ユーゴ新政権支持も−中国(時事通信)
 10/06@ユーゴ連合コシュトゥニツァ氏、新政権樹立へ(読売新聞)
 10/06@ユーゴ軍が新政権受け入れ 野党連合は「危機委」設置(共同通信)
 10/06@◎政権移譲を歓迎=国連人権高等弁務官(時事通信)
 10/06@<ロシア>イワノフ外相をユーゴに緊急派遣 プーチン大統領(毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>ミロシェビッチ政権の事実上崩壊に米国は歓迎(毎日新聞)
 10/06@<米大統領選>副大統領候補がTV討論 ユーゴにも触れる(毎日新聞)
 10/06@ロシア外相がユーゴ入り 新大統領候補と協議か(共同通信)
 10/06@新大統領就任式を開催へ セルビア民主野党連合(共同通信)
 10/06@ユーゴ情勢で英仏歓迎、制裁解除へ(読売新聞)
 10/06@米もユーゴ経済制裁緩和へ 野党側の姿勢には不満も(共同通信)
 10/06@<ユーゴ>新大統領を宣言したコシュトゥニツァ(毎日新聞)
 10/06@◎ミロシェビッチ氏の亡命は受け入れず=ロシア(時事通信)
 10/06@◎米、ユーゴ「新政権」承認の方向=コシュトニツァ氏との間(時事通信)
 10/06@<ユーゴ>ミ大統領国外脱出なら逮捕   旧ユーゴ国際戦犯(毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>野党連合支持者が与党関連施設を襲撃(毎日新聞)
 10/06@ユーゴ独裁崩壊へ、遅れて来た東欧革命(読売新聞)
 10/06@◎ユーゴ制裁、9日から解除=EU(時事通信)
 10/06@ユーゴ野党国政掌握、革命”の夜、市民歓喜(読売新聞)
 10/06@コシュトゥニツァ氏の就任宣言歓迎…モンテネグロ(読売新聞)
 10/06@政変呼んだ清廉の法学者…コシュトゥニツァ氏(読売新聞)
 10/06@「民主的ユーゴ早期実現期待」…中川官房長官(読売新聞)
 10/06@ミロシェビッチ体制崩壊へ、野党が国政掌握宣言(読売新聞)
 10/06@◇ユーゴ野党連合のコシュトニツァ氏、新政権樹立を宣言◇(朝日新聞)
 10/06@<ユーゴ>虚構の民族主義者に失望と反感 (毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>コシュトゥニツァ氏が“民衆革命”の成功を宣言=(毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>関係者 期待と心配と(毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>河野外相「民主的なユーゴ実現を期待」(毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>英ブレア首相「一緒に再建を」 (毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>露プーチン大統領「民主化に貢献する用意」(毎日新聞)
 10/06@◇コシュトニツァ氏、「新大統領」として国営テレビに出演◇(朝日新聞)
 10/06@◇連邦議会を6日に召集 コシュトニツァ氏、仏外相に語る◇(朝日新聞)
 10/06@「セルビア解放」祝う市民 首都、未明まで解放区に(共同通信)
 10/06@ユーゴ政権、事実上崩壊 野党連合、国政掌握を宣言 (共同通信)
 10/06@◎1年半以内に議会選実施=コシュトニツァ氏−ユーゴ(時事通信)
 10/06@◇ユーゴ体制転覆の夜 野党連合、軍警察に必死の働きかけ◇(朝日新聞)
 10/06@ユーゴ左翼本部にもデモ隊(共同通信)
 10/06@<ユーゴ>民族主義者の指導者求める世論 柴宜弘・東大大学(毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>市民蜂起のきっかけは1人の男の子(毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>首都ベオグラードで勝利に酔うパレード(毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>ミロシェビッチ大統領の動向が焦点(毎日新聞)
 10/06@ユーゴ・コシュトゥニツァ氏が施政方針表明(読売新聞)
 10/06@<ユーゴ>EUはユーゴへの経済制裁を解除 仏外相(毎日新聞)
 10/06@大統領の所在つかめず 飛び交う出国説、避難説(共同通信)
 10/06@◇「ユーゴ国民の声聞き届けられる日が間近」と米大統領◇(朝日新聞)
 10/06@◎国際法廷にミロシェビッチ氏引き渡さず=コシュトニツァ氏(時事通信)
 10/06@ユーゴ大統領は依然首都に…米国防総省(読売新聞)
 10/06@◎ミロシェビッチ氏、依然ユーゴ国内に?=「クーデターを企(時事通信)
 10/06@<ユーゴ>モンテネグロの副首相 コシュトゥニツァ氏支持を(毎日新聞)
 10/06@国際戦犯法廷に協力せず 野党連合のコシュトニツァ氏(共同通信)
 10/06@ミロシェビッチ大統領、軍支配力失う 米大統領補佐官(共同通信)
 10/06@独外相「両手広げ歓迎」 コシュトニツァ候補の勝利(共同通信)
 10/06@ロ軍機の通過許可と報道 ルーマニア政府 (共同通信)
 10/06@ミロシェビッチ大統領退陣期待と英首相  (共同通信)
 10/06@<速報・ユーゴ>「野党候補を新大統領と認知」と国営通信が(毎日新聞)
 10/06@9日にもEU制裁解除 議長国の仏声明 ユーゴスラビア情勢(共同通信)
 10/06@ロ大統領は中立的立場表明 ユーゴスラビア情勢で(共同通信)
 10/06@ミロシェビッチ大統領は首都を退去か(共同通信)
 10/06@実力行使自制をと伊首相 ユーゴスラビアの軍と治安部隊に(共同通信)
 10/06@◎少女1人死亡、103人負傷=ベオグラード(時事通信)
 10/06@◎ユーゴ軍は抗議行動に介入せず(時事通信)
 10/06@ユーゴ首都埋め尽くす群衆、治安隊阻止出来ず(読売新聞)
 10/06@◇ユーゴ野党支持者が議事堂占拠、首都は騒乱状態に◇(朝日新聞)
 10/06@◇「自由求めるユーゴ国民を支持」とクリントン米大統領◇(朝日新聞)
 10/06@ユーゴ野党デモ、議会ビルを占拠(読売新聞)
 10/06@<ユーゴ>野党、最大集会 連邦議会占拠、政権存亡の危機=(毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>野党集会に数十万人 群集の議会突入で首都騒然=(毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>野党集会に数十万人 議会突入で催涙ガス弾、大混(毎日新聞)
 10/06@<ユーゴ>大統領選全面無効を憲法裁決定 野党支持者が議会(毎日新聞)
 10/06@◎一部警官がデモ隊に合流=ユーゴ(時事通信)
 10/06@◎デモ隊が国営TV局を占拠=ベオグラード(時事通信)
 10/06@<コートジボワール>非常事態宣言 大統領選を前に暴動抑え(毎日新聞)
 10/06@最高峰エベレスト頂上からの滑降に挑戦 スロベニア人冒険家(共同通信)
 10/07@ユーゴ首都ベオグラードに祝賀ムード(読売新聞)
 10/07@<ユーゴ>「ミロシェビッチ」という政治家=評伝(毎日新聞)
 10/07@<ユーゴ>中村義博・元駐ユーゴスラビア公使に聞く(毎日新聞)
 10/07@<ユーゴ>野党の決選投票拒否 民衆蜂起が後押し(毎日新聞)
 10/07@<ユーゴ>旧ユーゴ諸国 新たな関係構築へ(毎日新聞)
 10/07@<社説>ユーゴ民衆革命 民主化と改革の道を急げ(毎日新聞)
 10/07@<余録>ユーゴスラビア連邦(毎日新聞)
 10/07@<ニュースキー>ユーゴ新政権発足へ 政府系メディアも変化(毎日新聞)
 10/07@ミロシェビッチ氏、利用した「民族主義」で自滅(読売新聞)
 10/07@◎ユーゴ新大統領に祝電=首相(時事通信)
 10/07@<ユーゴ>ミロシェビッチ氏の存在に野党連合は深刻なジレン(毎日新聞)
 10/07@◇ごみ掃除で新政権誕生祝う ユーゴ首都の市民◇(朝日新聞)

 (注)この「最近のボスニア」コーナーは、一般に報道されている記事に、千田が一部手直しして掲載しているものです。出所は明示しており、各社・各記者の著作権を侵害するつもりはありませんが、著作権上問題があるとお考えの方や、自分(自社)の記事は載せないでほしいという方がいらっしゃれば、このホームページの感想もふくめて、千田あてに連絡してください。
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 10/06@◎「危機は過ぎ去った」と宣言=ロの認知獲得でコシュトニツ(時事通信)

 【ベオグラード6日時事】民衆ほう起でミロシェビッチ政権打倒に成功したユーゴスラビア野党指導者のコシュトニツァ氏は6日、イワノフ・ロシア外相との会談後、「危機は過ぎ去った」と宣言した。
 この発言は、ロシア政府がコシュトニツァ氏を「新大統領」として認知したことを踏まえて、ミロシェビッチ大統領派の策動の余地はなくなったとの見方を示したものだ。ユーゴ連邦軍スポークスマンもこの日、政治には介入しないという軍の基本原則を確認しており、コシュトニツァ氏にとって大きな脅威はほぼ消失した。
 同氏は「ユーゴの状況は著しく正常化に向かっている。危機は過ぎ去ったと思う」と述べた。 [時事通信社][2000-10-06-23:32] 11
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 10/06@ユーゴ、民主国家建設への道のり険しく(読売新聞)

 【ベオグラード6日=佐々木良寿、大内佐紀】ユーゴスラビアで十年余にわたって続いたミロシェビッチ体制を崩壊に追いやった民衆ほう起から一夜明けた六日、ベオグラード市内では多くの市民が新たな未来への期待に胸を膨らませた。新大統領となるコシュトゥニツァ氏を中心に、新体制発足に向けた動きも加速している。戦争と経済制裁に苦しめられた独裁体制から民主国家建設へ踏み出したユーゴ。だが、その道のりは険しいものになりそうだ。
 「私の人生、生活のすべてが変わり得る機会が、初めてやってきた」。ユーゴスラビア野党勢力の権力掌握から一夜明けた六日。夜を徹し、市庁舎前の広場に座っていたという大学生ボヤナ・ジュキチュさん(21)は、感無量の面もちで語った。周辺には、数千人が疲れた、しかし晴れやかな顔で集う。
 彼らは新大統領に何を期待するのか。「世界を自由に見たい。言いたいことを言いたい。軍、警察におびえたミロシェビッチ時代はもうたくさん」というジュキチュさんの言葉に、友人たちが強くうなずいた。
 五日の民衆ほう起は、ミロシェビッチ大統領の所在がつかめないなど、現状では「未完の革命」といえるが、民主化のレールが敷かれたことは間違いない。ただ、国民の期待が現実のものとなるかどうかは、今後の「民主野党連合」の出方にかかっている。
 「連合」の抱える最大の弱点は、小政党十八党の寄り合い所帯という点だ。コシュトゥニツァ氏は九〇年代はじめに、「連合」の選対本部長を務めたジンジッチ民主党党首との路線対立から同党を飛び出した経緯がある。米欧の支援をあからさまに受けてきたジンジッチ氏の政治手法にマユをひそめるコシュトゥニツァ氏は、大統領選では、自党セルビア民主党だけでチームを構成。連邦議会選とセルビア地方選を担当する「連合」とは一線を画してきた。
 「連合」は連邦議会選で躍進し、下院(定数百三十八)で五十五議席、上院(定数四十)では十議席を確保しているが、単独過半数には達していない。これまでミロシェビッチ派だったモンテネグロの社会人民党(上院十九、下院二十八議席)を抱き込み、上院七、下院四十六の社会党の影響力をそぐ必要がある。
 今回の政変で、社会党や人民社会党が守旧派と改革派に分裂する可能性は高いが、「連合」側が分裂する可能性も同様に高いのが実情だ。コシュトゥニツァ氏自身、投票前の本紙との会見で、「政権打倒という目的を果たせば、連合としての結束は必要なくなるかもしれない」との見方を示している。
 政党細分化の危険性をはらむユーゴ民主化の行方。ミロシェビッチ政権下で続いた独立系報道機関締め付けの中でも公正中立な立場を貫いてきたベタ通信のリュビツァ・マルコビッチ編集長は、「今こそ、旧野党はコシュトゥニツァ氏を中心に結束しなくてはならない」と力説した。[2000-10-06-23:06] 12
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 10/06@ユーゴ国営報道機関にも自由化の波(読売新聞)

 【ベオグラード6日=大内佐紀】ユーゴスラビアで野党勢力の政権掌握が進む中、ミロシェビッチ大統領の政権維持の道具の一つとされてきた国営報道機関にも、言論の自由の波が押し寄せている。
 国営タンユグ通信では五日夜、社内クーデターが起き、編集局次長に昇格したドゥシャン・ダコビチ氏(50)によると、「編集幹部が全員交代した」。百五十人の記者のうち八割が編集方針を変えるべきだとの趣意書に署名、幹部連に突き付けたためで、ダコビチ氏は「原稿すべてがミロシェビッチ政権に検閲されるという時代はもう終わった」と語った。
 一方、ミロシェビッチ氏が国民向け演説などで利用したセルビア国営テレビは今や、コシュトゥニツァ派の勢力下に置かれ、五日深夜には同氏の会見を全国に放映したほか、六日も野党勢力の動きを逐一伝えている。
 政府系のポリティカ紙も六日付朝刊で、コシュトゥニツァ氏や「民主野党連合」の動向を詳細に伝え、市民に無料で新聞を配布した。[2000-10-06-22:56] 13
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 10/06@ミロシェビッチ大統領「現在も首都に」(読売新聞)

 【モスクワ6日=花田吉雄】ユーゴスラビア連邦のミロシェビッチ大統領の実兄であるボリスラフ・ミロシェビッチ駐露大使は六日、ロシア国営テレビに出演し、所在不明となっているミロシェビッチ大統領の居場所について、「現在も首都ベオグラードにとどまっている」と述べ、国外脱出したとの情報を否定した。[2000-10-06-22:56] 15 [このページの最初に戻る]


 10/06@ユーゴ、「スパイ」容疑で拘束の英2警官釈放(読売新聞)

 【ロンドン6日=渡辺覚】英テレビ局スカイ・ニュースは六日、「スパイ活動」の疑いで、ユーゴスラビア連邦軍に逮捕されていた英国人警察官二人が同日、釈放されたと報じた。
 二人は全欧安保協力機構(OSCE)に派遣されている警察官で、八月三日、コソボ自治州との境界に近い同連邦モンテネグロ共和国内で、「武器を所持していた」としてユーゴ連邦軍に逮捕された。
 英外務省などによると、二人はモンテネグロの海岸で週末を過ごし、コソボに戻るところだったが、ユーゴ連邦軍は「二人は破壊工作の専門家」だと主張していた。[2000-10-06-22:55] 16
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 10/06@◎ユーゴ軍、政治不介入の姿勢堅持(時事通信)

 【ベオグラード6日時事】5日夜のユーゴスラビア民衆ほう起を受け、ユーゴ軍指導部は6日、情勢を討議する会合を開いた。会合終了後、軍は一切声明を出さなかったが、これは軍が政治に介入しない原則を確認したことを示している。
 ユーゴ軍部隊は民衆ほう起の発生後も、各兵営に通常の状態で待機しており、今後、ミロシェビッチ大統領側に立って出動するような可能性はなくなっている。 [時事通信社][2000-10-06-22:53] 17
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 10/06@◇ミロシェビッチ氏はどこへ? 所在巡り諸説◇(朝日新聞)

 ミロシェビッチ大統領の所在を巡っては6日、様々な情報が飛び交った。
 有力なのは国内潜伏説。野党勢力は「ベオグラードから100キロの村に、側近の兵士らの警護のもとに身を隠している」とみているようだ。
 一方、駐ロシア大使で大統領実兄ボリスラフ氏は「弟は首都にいる。自国を去る理由はない」と亡命の意思がないことを言明している。米国の一部にも「首都説」がある。
 もう1つは国外逃亡説。ユーゴの通信社は航空管制当局筋の話として5日午後8時20分ごろ、軍用飛行場からアントノフ機が3機飛び立ったと報じた。これに似た情報として、ロシアのイタル・タス通信は、軍用機2機が首都郊外の空港から離陸し、航空管制を無視してマケドニア国境を越えて中東に向かったとの管制官の話を伝えた。
 亡命の受け入れ先はあるのか。
 関係のよいロシアは、カシヤノフ首相が「亡命受け入れは検討していない」と言明した。旧ソ連圏のベラルーシのエルモシン首相は、現段階では大統領からの亡命申請はないとしながらも、申請があれば受け入れを検討すると述べた。[2000-10-06-22:47] 18
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 10/06@◇ユーゴ政権、実質崩壊 コシュトニツァ氏はロ外相と会談◇(朝日新聞)

 大統領選の結果をめぐる対立で首都ベオグラードが騒乱状態となったユーゴスラビアで、野党連合統一候補のコシュトニツァ氏は5日夜(日本時間6日未明)、市議会前に集まった数十万人の市民を前に「新政権樹立にとりかかる」と宣言、6日には同国を急きょ訪問したロシアのイワノフ外相と会談、プーチン大統領からの祝福メッセージを受けた。国営タンユグ通信は5日夜、コシュトニツァ氏を「次期大統領」と伝えた。国営の報道機関がこうした報道をしたのは初めて。ユーゴ連邦軍も「不介入」の方針を示し、中立の立場を明らかにした。大統領は所在不明で、13年間にわたるミロシェビッチ独裁政権は事実上、崩壊したとみられる。野党側は6日、暫定政府にあたる危機管理委員会を設置した。
 5日正午前から、連邦議事堂前に集まった群衆は、数度にわたって議事堂に突入、一部を占拠した。
 コシュトニツァ氏は市議会前の演説で「今日、我々は歴史をつくっている」と話した。群衆がミロシェビッチ氏の逮捕を叫んだのにこたえて、「逮捕の必要はない」と述べた。コシュトニツァ氏は、国営テレビ(RTS)にも出演し、超党派で民主国家を建設しようと呼びかけた。
 野党陣営は5日夜、連邦議会を開くため、議員に招集をかけた。早ければ週明けにも新政権樹立を正式に宣言したい考えで、議会に同意を求めるとみられる。
 危機管理委員会は、政治の空白を埋めるために設置されたもので、国内の治安回復にあたる。
 6日未明、ユーゴ連邦軍参謀本部では、数時間にわたって将軍たちが会議を開いた。独立系ベタ通信によると、参謀本部の報道官は6日、「連邦軍は民主的プロセスに介入しない」との方針を明らかにした。また、国営タンユグ通信も軍指導部筋の話として、連邦軍は軍事施設や兵士が直接の脅威にさらされた場合のみ対応すると伝えた。
 ロシアのイワノフ外相は6日、コシュトニツァ氏と会談した後、ミロシェビッチ大統領とも会談するとみられる。
 5日夕、政府寄りの報道をしてきたRTSに市民が押し掛け、放送は一時中断した。夜9時(日本時間6日午前4時)すぎに復旧すると、同局の記者は「これまでは権力を持つ小集団だけに仕えてきた。今後は民主主義と自由の確立に尽くす」との自己批判の声明を読み上げた。政権側のメディアはほぼなくなった。
 野党連合の幹部は国営テレビの取材に、5日の騒乱による死者が2人であることを確認した。このうち1人は少女でブルドーザーにひかれたという。負傷者は約100人と見られている。[2000-10-06-22:43] 19
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 10/06@ユーゴ民主連合、新政権母体の危機管理委設置(読売新聞)

 【ベオグラード6日=佐々木良寿】民衆ほう起でミロシェビッチ政権を事実上崩壊させたユーゴスラビア連邦(セルビアとモンテネグロの両共和国)の「民主野党連合」は六日、権力移行問題を協議する危機管理委員会を設置、新政権樹立に向け動きだした。注目されていたミロシェビッチ大統領の所在だが、ロシア通信によると、六日ベオグラード入りしたロシアのイワノフ外相が同日、同市内のミロシェビッチ氏の私邸を訪れたと報じた。また同外相は同日、大統領就任を宣言した「連合」のコシュトゥニツァ氏に当選を祝うプーチン大統領の声明を伝えた。「ミロシェビッチ体制の理解者」であったロシアが、同氏当選を認めたことで、ミロシェビッチ体制崩壊は決定的となった。
 独立系ベタ通信によると、「連合」は六日、権力移行を協議する危機管理委員会を設置した。この委員会は、「コシュトゥニツァ氏と協力して、軍、警察、予算などの重要部門を担当する」とされており、新政権の母体になるとみられる。
 コシュトゥニツァ氏は、なるべく早い時期に新議会を招集したいとの意向を示している。同氏としては、ミロシェビッチ氏が巻き返す前に、新政権発足の既成事実を作りたいところだ。
 一方、注目されるミロシェビッチ大統領の所在について、ロシア通信は六日、ベオグラード入りしたロシアのイワノフ外相が同日、同市内にあるミロシェビッチ大統領の私邸を訪問したと報じた。ミロシェビッチ氏の動静については、東部の町ボルに潜伏しているとの情報が流れていた。
 また同外相は同日、コシュトゥニツァ氏に面会した。同外相は、同氏の当選を祝福するプーチン大統領のメッセージを伝えた。これは、ロシアによる事実上の新政権承認と言える。
 また新政権樹立のカギは、軍の支持にあるといわれる。軍の正式声明は出ていないが、ベタ通信によると、連邦軍参謀本部報道官は六日、「軍はセルビア共和国の民主プロセスに介入しない。選挙で示された国民の意思を尊重する」と語り、今回の政変に対し、軍が介入しない方針を明らかにした。[2000-10-06-22:42] 20
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 10/06@<仏>EU・バルカン諸国首脳会議にコシュトゥニツァ氏招待(毎日新聞)

 【パリ6日橋本晃】欧州連合(EU)議長国フランスのシラク大統領は6日、クロアチアのザグレブで11月24、25日に開催予定のEU・バルカン諸国首脳会議にユーゴのコシュトゥニツァ氏を招待する意向を明らかにした。同首脳会議には旧ユーゴ連邦諸国の首脳を集め、EUとの関係強化や支援問題を討議する。[2000-10-06-22:30] 21 [このページの最初に戻る]


 10/06@<ユーゴ>露外相、コシュトゥニツァ氏の大統領選勝利認める(毎日新聞)

 ロシアのイワノフ外相は6日、ベオグラードでコシュトゥニツァ氏と会談し、同氏の大統領選勝利を初めて公式に認めた。ミロシェビッチ政権崩壊後、ユーゴ入りする初の外国要人となった点では欧米に先んじたが、それまでは新体制支持の表明をためらい続けた。
 ためらいの背景には、コシュトゥニツァ氏が政権を取ってもユーゴ情勢が安定する保証がないという判断などがあった。
 ロシアのセレズニョフ下院議長(共産党出身)は、「今回の政変はクーデターで、ルーマニアのチャウシェスク政権崩壊や、ソ連崩壊につながった91年夏のクーデター未遂事件を思い出させる」と述べ、合法性への疑いを指摘した。またコシュトゥニツァ氏の手腕にも疑問を呈した。
 かといって、ロシアはミロシェビッチ体制を好んでいたわけではない。「ポスト共産主義の狂信的民族主義の行方がどうなるかのよい例となった」(ルキン下院副議長)などという声もあり、あまり同情していないのが実態だ。
 モスクワが最も懸念するのは、歴史的にロシアと関係が深かったユーゴが北大西洋条約機構(NATO)の支配下に移ることだ。そうならないなら誰が政権を取ろうとかまわない、というのが本音である。【モスクワ・石郷岡 建】[2000-10-06-22:30] 23
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 10/06@<ユーゴ>民主野党連合、新体制確立作業へ本格的に着手 (毎日新聞)

 【ベオグラード6日福井聡】ユーゴスラビア連邦(セルビア、モンテネグロ両共和国で構成)の新大統領としてミロシェビッチ政権打倒を宣言したコシュトゥニツァ氏のセルビア民主野党連合は6日、新政権の受け皿となる「危機管理委員会」を設置、新体制確立作業に本格的に着手した。連邦軍も同日、「不介入」を正式表明、政権移行を静観する姿勢を示した。国際社会でも“民衆革命”支援機運が拡大、米露両国をはじめ内外で「コシュトゥニツァ新大統領」承認の動きが加速している。
 独立系ラジオなどによると、野党連合は6日、秩序確立と新議会招集準備にあたる「危機管理委員会」を設置した。野党連合幹部は、大統領選第1回投票(9月24日)と同時実施された連邦議会選の当選議員が首都ベオグラードに集まり次第、新議会が開催されると述べた。
 ロイター通信によると、コシュトゥニツァ氏は6日、大統領職務の一部をすでに執行。同日中にも連邦議会前で開かれる集会で施政方針を演説した後、セルビア正教会の祝福を受けるという。新大統領の公式就任式は新議会の開会を待って行われる予定だが、日時は未定。
 一方、ミロシェビッチ体制を支えてきたユーゴ連邦軍は6日未明、参謀本部長会議を開き、対応を緊急協議した。独立系ベタ通信によると、参謀本部報道官は同日昼、「軍はセルビアの民主的なプロセスに介入しない」と述べ、事実上の野党支持にあたる中立姿勢を確認したことを明らかにした。これにより、平和的な政権移行の環境が整った。
 【ドキュメント】(日本時間、カッコ内は各現地時間)
◇午前10時50分 中川秀直官房長官が首相官邸での記者会見で、「コシュトニツァ氏の下で、民主的ユーゴスラビアの実現を期待している」と発言
◇6日昼(6日朝) ミロシェビッチ政権の「御用機関」だった政府系ポリティカ紙が1面で「これまでと違った職業倫理と真のジャーナリズムに裏付けられた客観報道に努めます」との声明を掲げる
◇午後1時(午前6時) 野党のジンジッチ民主党首が「ミロシェビッチ氏はルーマニアとブルガリア国境に近いベリアニツァ要塞に身を隠し、『クーデター』を準備している」と発言
◇午後1時20分(午前6時20分) 野党連合が新政権発足まで暫定的に「危機委員会」を発足
◇午後4時20分(午前9時20分) ロシアのイワノフ外相がベオグラードに到着
◇午後8時(午後1時) コシュトニツァ氏がイワノフ露外相と会談[2000-10-06-22:10] 24
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 10/06@<ユーゴ>欧州各国は「民衆革命」を手放しで歓迎(毎日新聞)

 「ミロシェビッチ大統領の時代は終わった」(ブレア英首相)▽「大統領が退陣を拒否することはセルビア国民を重大な危険に陥れる」(シラク仏大統領)
 民族主義を背景に独裁体制を敷くミロシェビッチ政権の崩壊を望んできた欧州各国は「民衆革命」を手放しで歓迎した。
 冷戦終結後に東欧各国が北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)への加盟を目指す中で、ミロシェビッチ政権は欧米と厳しく対立してきた。欧米は旧ユーゴ連邦から独立したスロベニアやクロアチアなどを積極的に支援する一方で現ユーゴ連邦には経済制裁を課し、コソボ紛争ではNATOによる空爆という軍事的制裁も行った。
 それだけに、ユーゴ連邦の歴史的転換は欧州にとっても画期的な出来事になる。EUは9日に外相会議を開き、コシュトゥニツァ氏の新政権が親欧米路線に転換できるように制裁を解除する。これは、ユーゴの国際社会への復帰を促進させてバルカン地域の安定を図るのが狙いだ。
 しかし、コシュトゥニツァ新政権が一気に親欧米路線に走ることはなさそうだ。ミロシェビッチ大統領を訴追している旧ユーゴ国際戦犯法廷について、同氏は「引き渡しに協力しない」と表明している。
 同氏にみられる民族主義的で反米的な思考は多くのセルビア国民の間に残っているとみられる。今後は国際社会がミロシェビッチ時代に受けたセルビア国民の疎外感をどういやすかという問題に直面しそうだ。【欧州総局・岸本卓也】[2000-10-06-22:10] 26
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 10/06@10月7日付・編集手帳(読売新聞)

 シドニー五輪最終日、閉会式の直前に男子バレーボール決勝が行われた。強豪ロシアを破り、金メダルを高々と掲げたのがユーゴ・チームだった◆この国唯一の金メダルに、人々が喜びに浸る時間は少なかっただろう。翌日から全土でゼネストが始まる。ついに数十万の市民が連邦議会などを占拠、ミロシェビッチ大統領の独裁政権は崩壊した◆「六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字」。かつてそう言われた複雑なモザイク国家を長く束ねたのがチトー元大統領だった。没後、しばらくして誕生した独裁政権下、数々の悲惨を見た◆ボスニアでは二十五万人が命を失って、二百万人が住む家を奪われた。大量虐殺、集団レイプ、「民族浄化」という恐ろしい言葉も聞いた◆一九八四年に東欧初の冬季五輪が開かれた美しい首都サラエボは、むごたらしい姿をさらした。五輪開会式の場となった競技場は犠牲者を葬る墓場となった。そして昨年、八十万の難民が逃げ惑ったコソボ紛争は記憶に生々しい◆コシュトゥニツァ新大統領の指導でユーゴは民主化へ歩みだす。その道のりは決して平たんではないだろうが、世界中の人々がシドニー五輪に託した「民族融和」の願いをかなえてくれるよう切に祈る。[2000-10-06-22:01] 27 [このページの最初に戻る]


 10/06@<ユーゴ>「ユーゴ国民の選択を尊重する」中国は中立的立場(毎日新聞)

 【北京6日坂東賢治】中国外務省の孫玉璽報道局副局長は6日、ユーゴスラビア情勢について軍事的衝突を防ぐよう呼びかける声明を発表し、「中国はユーゴ国民の選択を尊重する」と中立的立場を強調した。
 中国は昨年のユーゴ空爆に強く反対するなどミロシェビッチ政権とは良好な関係にあったが、内政不干渉の立場からあえて支援には動かないことを明確にしたものだ。
 声明は「中国はユーゴ情勢を真剣に注視しており、国家の安定維持を呼びかける」と平和的手段による事態安定化を求めた。一方で「ユーゴ国民は外部の干渉なしに問題を解決する能力があると信じる」と指摘し、欧米などの介入をけん制した。[2000-10-06-21:50] 28
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 10/06@◎ロシアのユーゴ新政権実質承認を歓迎=米国務長官(時事通信)

 【ワシントン6日時事】オルブライト米国務長官は6日、CNNテレビに対し、ロシアのイワノフ外相がユーゴスラビア大統領に就任するコシュトニツァ氏と会談し、新政権を実質的に承認したことについて、「素晴らしいニュースだ」と述べ、歓迎した。同長官は「今やロシアも、ユーゴ国民の側に立っている」と語った。 [時事通信社][2000-10-06-21:43] 30 [このページの最初に戻る]


 10/06@◎欧米諸国の干渉をけん制=ユーゴ新政権支持も−中国(時事通信)

 【北京6日時事】新華社電によると、中国外務省の孫玉璽報道局副局長は6日、ユーゴスラビア情勢について談話を発表し、「外部からの干渉のない状況で、ユーゴ人民が直面する問題を解決できると信じる」と述べ、欧米諸国をけん制した。
 しかし、孫副局長はその一方で、「中国は一貫して他国の内政に干渉しない原則を堅持し、ユーゴ人民の選択を尊重してきた」として、政権移譲が実現した場合、中国として新政権を支持する可能性を示唆した。 [時事通信社][2000-10-06-21:27] 31
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 10/06@ユーゴ連合コシュトゥニツァ氏、新政権樹立へ(読売新聞)

 【ベオグラード6日=佐々木良寿】ユーゴスラビア連邦(セルビアとモンテネグロ両共和国で構成)のベオグラードで五日行われたミロシェビッチ連邦大統領退陣を求める大規模集会は民衆ほう起に発展、市民らが五日夕、連邦議会やセルビア国営テレビなどを占拠した。「民主野党連合」の大統領候補、コシュトゥニツァ氏は五日深夜(日本時間六日未明)、「(大統領として)職務を開始した」と述べ、国政掌握を宣言した。
 ミロシェビッチ大統領の所在は確認されていないが、六日ベオグラード入りしたロシア外相が同大統領に面会するとの報道もある。軍も不介入姿勢をとっており、ミロシェビッチ体制は事実上、崩壊した。「連合」は六日、権力移行問題を協議する危機管理委員会を設置、新政権樹立に向け動きだした。
 「連合」が呼びかけた大規模集会には、数十万人が全土から集結、参加者の一部が五日午後四時(日本時間同十一時)ごろ、警官隊の阻止線を突破して、市中心部にある連邦議会やセルビア国営テレビなどに突入し、制圧した。独立系ベタ通信によると、少女一人が連邦議事堂前で抗議行動に使われた掘削機にひかれて死亡したほか、約百人が負傷したという。
 大統領選での当選を主張してきたコシュトゥニツァ氏は同夜、数万人の支持者を前に「今日、セルビアは民主主義の道を歩き始めた」と演説した。また同氏は、セルビア共和国テレビにも「新大統領」として登場、「国際社会と協調する」との方針を明らかにした。
 注目されるミロシェビッチ大統領の所在は、六日昼(日本時間同夜)現在、確認されていない。しかし、ロシア通信によると、この日ベオグラード入りしたロシアのイワノフ外相が六日、同市内でミロシェビッチ大統領に面会すると報じた。また同外相は同日、コシュトゥニツァ氏に面会し、当選を祝福するプーチン大統領の声明を伝えた。「ミロシェビッチ体制の理解者」であったロシアが、コシュトゥニツァ氏当選を認めたことは、ミロシェビッチ氏にとっては致命的な打撃といえる。
 また新政権樹立のカギは、軍の支持にあるといわれる。軍の正式声明は出ていないが、国営タンユグ通信は六日、軍指導部筋の話として、「軍は将兵や軍事施設が脅威にさらされた時のみ対応する」と報じた。これは軍の不介入方針を示したものとみられる。
 一方、「連合」は六日、新政権樹立ヘ向け、第一歩を踏み出した。ベタ通信によると、「連合」は権力移行を協議する危機管理委員会を設置した。この委員会は、「コシュトゥニツァ氏と協力して、軍、警察、予算などの重要部門を担当する」とされており、新政権の母体になるとみられる。
 コシュトゥニツァ氏は、なるべく早い時期に新議会を招集したいとの意向を示している。同氏としては、ミロシェビッチ氏が巻き返す前に、新政権発足の既成事実を作りたいところだ。[2000-10-06-21:23] 32
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 10/06@ユーゴ軍が新政権受け入れ 野党連合は「危機委」設置(共同通信)

 【ベオグラード6日共同】ユーゴスラビアの独立系ベタ通信によると、ユーゴ連邦軍参謀本部の報道官は六日、「軍はセルビアの民主プロセスに介入しない。選挙における国民の意思を尊重する」と言明、政変への不介入とともに新政権受け入れの方針を明らかにした。
 これに先立って、セルビア民主野党連合筋は同日、新政権の受け皿となる「ユーゴスラビア危機委員会」を設置したと述べた。
 軍が新政権の発足を容認したことで、政権移行を阻止する武力介入の事態は回避されたことになり、野党連合によるコシュトニツァ政権発足が平和裏に進められることが確実となった。
 動向が大きなカギを握る連邦軍に関して報道官は「軍は通常の移動をしているだけであり、憲法で課せられた任務を遂行するだけだ」と述べた。野党側の政権移行に中立の立場を守ることを確認したものだ。
 タンユグ通信によると、六日未明、軍は参謀本部会議を開いたが、声明は出されていない。さらに全土でいかなる部隊移動の情報もないという。
 大統領はコシュトニツァ氏の政権掌握宣言に対しても依然、沈黙を守ったままで、ミリャナ・マルコビッチ夫人とともに消息が確認されていない。セルビア東部ボル近郊に身を隠しているとも伝えられるなど情報が錯綜(さくそう)している。
 コシュトニツァ氏が早期実現を目指す新連邦議会の招集とともに、ミロシェビッチ政権下で連邦からの離反を公言していたジュカノビッチ大統領率いるモンテネグロ共和国指導部の政権参画などが大きな焦点となっている。
 野党連合は「危機委」設置を直ちにモンテネグロ共和国指導部に伝え、参加する意思があるか回答を待っているという。
 ユーゴの地元メディアは、コシュトニツァ氏の新大統領就任式が六日午後行われると伝えたが、野党、セルビア民主党当局者はモンテネグロとの関係調整など懸案があるため同日は行われないと言明した。(了)[2000-10-06-21:11] 33
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 10/06@◎政権移譲を歓迎=国連人権高等弁務官(時事通信)

 【ジュネーブ6日時事】国連人権委員会のロビンソン高等弁務官は6日、ユーゴスラビアで政権の移譲が実現する見通しとなったことについて、「ユーゴ国民が、人権と民主主義を今後守っていこうとする意志を勇敢に示したものである」として、歓迎するコメントを発表した。
 また、同弁務官は「新政府の仕事は、基本的人権や法制度に根差した新たな社会を再構築することにあり、その実現に向け支援を惜しまない」と語り、人権委として近く発足する新政権に協力する意向を表明した。 [時事通信社][2000-10-06-20:59] 35
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 10/06@<ロシア>イワノフ外相をユーゴに緊急派遣 プーチン大統領(毎日新聞)

 【モスクワ6日石郷岡建】ロシアのプーチン大統領は5日深夜、イワノフ外相のユーゴ緊急派遣を決め、外相は特別機で6日朝、ユーゴ入りした。ユーゴでは各界の指導者と会見し、ユーゴ情勢の意見交換を行う予定。
 プーチン大統領は5日夜、インド公式訪問から帰国した空港で、イワノフ外相らと緊急会談を行い、「ユーゴの全政治勢力が国民の利益を考え、平和的解決を求めることを望む」との声明を発表したが、コシュトゥニツァ氏支持の立場は打ち出していない。イワノフ外相の報告を受けて、新体制への立場を決定すると見られている。
 一方、カシヤノフ首相は「ミロシェビッチ氏の亡命受け入れの話は出ていない」と言明、ミロシェビッチ氏のロシア亡命の可能性を否定した。[2000-10-06-18:41] 36
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 10/06@<ユーゴ>ミロシェビッチ政権の事実上崩壊に米国は歓迎(毎日新聞)

 【ワシントン5日布施広】北大西洋条約機構(NATO)のユーゴ空爆を主導した米国は、ミロシェビッチ政権の事実上の崩壊を歓迎している。オルブライト国務長官は5日、4年近い在任期間中で「最も重要な出来事」と語った。
 米情報機関は、ミロシェビッチ政権が巻き返しを図る可能性は小さいと見ている。ABCテレビに出演したバーガー大統領補佐官(安全保障担当)は「軍が民衆に対抗することはあるまい。彼(ミロシェビッチ大統領)の友人たちは船から飛び降りた」と語った。
 一方、オルブライト長官は、ロシアやドイツ、フランスなど7カ国の外相と今後の対応を話し合った。対ユーゴ制裁の解除問題などが焦点とみられている。経済制裁は周辺諸国に負担となっているだけに、ユーゴ民主化の条件が整い次第、解除する方針だ。
 長期空爆後も権力を保ったミロシェビッチ大統領は、米国にとってフセイン・イラク大統領と並ぶ「目の上のたんこぶ」だった。「我々は正しいことをした」と言い続けたクリントン政権にとって、民衆の力でミロシェビッチ大統領が失脚したのは快挙である。
 空爆後、ユーゴ周辺諸国の歴訪を重ねたクリントン大統領は、ユーゴの民主化を通じてバルカンの安定を図り、西欧との経済的政治的な融合をめざす方針を打ち出した。この具体化に向けて、クリントン政権はバルカンへの取り組みを強めることになりそうだ。[2000-10-06-18:41] 37
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 10/06@<米大統領選>副大統領候補がTV討論 ユーゴにも触れる(毎日新聞)

 【ワシントン6日清宮克良】米大統領選は5日、民主党のリーバーマン上院議員と共和党のチェイニー元国防長官の副大統領候補同士によるテレビ公開討論が行われ、ユーゴスラビアの民衆ほう起がホットな話題として取り上げられた。選挙の争点はこれまで教育や福祉など内政問題が中心だったが、ユーゴ問題をきっかけに外交に関心が高まる可能性が出てきた。
 公開討論では、ユーゴでの民衆革命を受け、リーバーマン氏が「ベオグラードから良い知らせが来た。恐怖支配の終わりだ。ボスニアやコソボに対するミロシェビッチ氏の侵略や虐殺をやめさせようと努力した米国の指導的な役割を誇りに思う」と述べ、ユーゴ空爆を決断したクリントン政権の成果を強調。さらに「ゴア副大統領は(ユーゴ空爆では)重要な役割を果たした」と力説した。
 湾岸戦争を指揮したチェイニー氏も「ミロシェビッチ氏の終わりをしるすものであり、セルビア人民の勝利である」と評価した。
 リーバーマン氏の発言が示すように、ユーゴでの動きは空爆を決断したクリントン政権の功績となり、ゴア氏への追い風になることが考えられる。ゴア陣営はユーゴ問題で「政府の先頭に立ったゴア氏の役割」をアピールし、ブッシュ陣営の売り物だった外交・安全保障分野でお株を奪う構えをみせている。[2000-10-06-18:00] 38
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 10/06@ロシア外相がユーゴ入り 新大統領候補と協議か(共同通信)

 【モスクワ6日共同】ロシアのイワノフ外相は六日(日本時間同)、モスクワから空路ベオグラード入りした。ユーゴスラビアのミロシェビッチ政権が事実上崩壊したことを受け、政権掌握を宣言したコシュトニツァ氏と今後の情勢について緊急協議するとみられる。
 ロシアとしては、外相を他の主要国に先駆けて政変後のベオグラードに送り込み新政権への協力を表明、ユーゴへの影響力を確保することが最大の狙いのようだ。
 行方が分からなくなっているミロシェビッチ大統領の身柄の取り扱いについても協議するもよう。ロシア外務省筋はインタファクス通信に対し、外相はミロシェビッチ大統領とも会う可能性があるとしている。
 インタファクス通信はセレズニョフ下院議長の話として、外相は同日中にモスクワに戻る予定と伝えた。(了)[2000-10-06-17:53] 40
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 10/06@新大統領就任式を開催へ セルビア民主野党連合(共同通信)

 【ベオグラード6日タス=共同】ユーゴスラビア連邦セルビア共和国の各テレビ、ラジオは六日、セルビア民主野党連合のコシュトニツァ氏の大統領就任式が六日午後一時(日本時間同八時)から開催されると速報した。
 就任式はベオグラードの市議会議事堂で行われ、議事堂外の広場には市民らが集まる。(了)[2000-10-06-17:47] 43
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 10/06@ユーゴ情勢で英仏歓迎、制裁解除へ(読売新聞)

 【ロンドン6日=渡辺覚】ブレア英首相は五日夜、訪問先のワルシャワでユーゴ情勢について「事態は、期待した以上に肯定的な様相を呈している」と述べ、ミロシェビッチ体制が事実上、崩壊したと見られることを歓迎した。
         ◇
 【パリ5日=池村俊郎】欧州連合(EU)議長国・フランスのベドリヌ外相は五日、声明を発表し、ユーゴスラビア連邦の大統領就任を宣言したコシュトゥニツァ氏の求めに応じ、EUの対ユーゴ制裁を「すぐにでも解除する用意がある」と表明、ミロシェビッチ体制が崩壊したと見られる事態を歓迎する姿勢を示した。
         ◇
 【アムステルダム5日=三井美奈】欧州連合(EU)の行政機関・欧州委員会のロマーノ・プローディ委員長は五日夜、ユーゴスラビア連邦情勢について言及、政権交代が実現すればEUがユーゴに科している石油禁輸などの外交制裁を「すぐに解除する用意がある」と述べた。
         ◇
 ◆露は沈黙◆
 【モスクワ支局6日】ユーゴスラビアのミロシェビッチ政権の“後見役”とも見られていたロシアは、同政権が事実上崩壊した事態に、今のところ沈黙を守っている。
 プーチン大統領は五日、インド訪問から帰国し、関係閣僚らとユーゴ情勢を巡る緊急協議に入った。大統領は協議後、「ユーゴが現在の危機を乗り越え、国際社会からの孤立を避け、確たる民主化の道を踏み出すように、あらゆる貢献をする用意がある」と語ったが、野党のコシュトゥニツァ候補の権力掌握を承認するかどうかは明言しなかった。[2000-10-06-16:27] 44
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 10/06@米もユーゴ経済制裁緩和へ 野党側の姿勢には不満も(共同通信)

 【ワシントン6日共同】ユーゴスラビアのセルビア民主野党連合の大統領候補コシュトニツァ氏が六日、政権掌握を宣言したことに対し、米国はユーゴ民主化の実現として歓迎、ユーゴへの禁輸措置など経済制裁緩和に踏み切る方針だ。
 ロイター通信によると、米政府当局者は五日、「民主政権の発足とともに、直ちに制裁緩和に向けた措置を取る」と語った。
 しかし、ミロシェビッチ・ユーゴスラビア大統領を旧ユーゴ国際戦犯法廷で裁くことにコシュトニツァ氏が協力しないと表明している点や、民族主義的姿勢には強い不満を示している。
 米国はミロシェビッチ大統領をコソボ紛争をめぐる「人道に関する罪」で裁くよう一貫して主張しており、同大統領の法廷への身柄引き渡しと制裁緩和の一部を絡める可能性もある。
 コシュトニツァ氏は今回の選挙運動中、北大西洋条約機構(NATO)の昨年のユーゴ空爆についても「忘れてはならない」と力説、有権者を前に対米批判を重ねてきた。
 米政府高官は五日、同氏について「米国はユーゴ民主化を強く支持するが、これはユーゴ野党そのもの、または個人への支持を必ずしも意味しない」ともけん制した。(了)[2000-10-06-16:21] 45
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 10/06@<ユーゴ>新大統領を宣言したコシュトゥニツァ(毎日新聞)

 大統領になったらの問いに「国中から有為な人材を集めて助言を聞き、その後は交渉、交渉、また交渉だ」と語っていた。13年間君臨したミロシェビッチ氏を追い詰めたのは、小型国産車「ユーゴ」を運転し、猫と犬が好きな一見地味なタイプの憲法学者だ。
 ベオグラード大学法学部博士課程を修了後、同大助教授だった1974年、政権批判の論文がもとで解任され、89年にジンジッチ氏らと共に民主党を結成。路線対立で92年に分離してセルビア民主党を創設、以来党首を務めて来た。しかし、同党は移動の際、幹部全員が1台のバンに収まってしまうことから「バン党」と呼ばれ、長く脚光を浴びることがなかった。
 今年7月にミロシェビッチ大統領が憲法を改正し大統領選挙実施を発表した時も、冷静で理論家肌のコシュトゥニツァ氏の人気上昇をだれも予測していなかった。しかし、旧来の野党政治家とは異なり、一度も政権側の取引に応じたことがなく、ミロシェビッチ政権への対決姿勢が一貫しており、腐敗とも無縁だった。
 ミロシェビッチ氏の「大セルビア主義」に対し、「穏健派民族主義者」と呼ばれる。「自分たちのルーツを知った上で誇りを持つことは重要。民主主義と民族主義の調和が現代社会に最も適した政治形態だと信じる」という。ユーゴでは昨年のNATO空爆への反感が今も根強く、同じ野党連合のジンジッチ民主党党首のような欧米派ではミロシェビッチ氏に勝てない政治土壌がある。偏狭な愛国主義者ではないが、連邦内にあるモンテネグロ共和国やコソボ自治州の独立には反対の立場で、今後の連邦運営のさい配が問われる。
 ベオグラード大で法律を教えるゾリカ夫人と2人暮らし。 【ベオグラード・福井聡】
 [2000-10-06-16:20] 46
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 10/06@◎ミロシェビッチ氏の亡命は受け入れず=ロシア(時事通信)

 【モスクワ6日時事】インタファクス通信によると、カザフスタンを訪問中のカシヤノフ・ロシア首相は6日、ミロシェビッチ・ユーゴスラビア大統領の政治亡命受け入れは「検討していないし、することもない」と述べ、受け入れる考えのないことを強調した。 [時事通信社][2000-10-06-16:18] 48 [このページの最初に戻る]


 10/06@◎米、ユーゴ「新政権」承認の方向=コシュトニツァ氏との間(時事通信)

 【ワシントン6日時事】米政府は6日、ユーゴスラビア連邦大統領に就任する見込みのコシュトニツァ氏の新政権を承認する方向を打ち出した。かねて目指してきたミロシェビッチ政権打倒が現実になりつつあるのを受けたものだが、「反米」と受け取れる姿勢も見せるコシュトニツァ氏との間で摩擦が生じる懸念もある。 [時事通信社][2000-10-06-16:14] 49 [このページの最初に戻る]


 10/06@<ユーゴ>ミ大統領国外脱出なら逮捕   旧ユーゴ国際戦犯(毎日新聞)

 【ブリュッセル5日森忠彦】ミロシェビッチ・ユーゴスラビア大統領を戦犯容疑で起訴している国連の旧ユーゴ国際戦犯法廷(オランダ・ハーグ)は大統領が国外に脱出した際は、即座に逮捕を図る方針だ。
 同法廷のデルポンテ主任検察官は4日、「どんなことがあっても大統領の責任は消えない。必ずハーグの法廷に立たせる」と語り、大統領が国外に逃亡しても国際ルートを通して逃亡先に大統領の身柄拘束と引き渡しを求める意向を示した。
 大統領らユーゴ軍幹部5人は、昨年春のコソボ紛争でアルバニア系住民の大量虐殺などを指揮したとして起訴されている。[2000-10-06-16:10] 50
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 10/06@<ユーゴ>野党連合支持者が与党関連施設を襲撃(毎日新聞)

【ベオグラード6日福井聡】ユーゴスラビアの独立系ベタ通信によると、野党連合支持者の一部が5日夕(日本時間6日未明)、ベオグラード市内で連邦議会に続いて与党セルビア社会党の本部ビルも占拠した。また、ミロシェビッチ大統領のミーラ・マルコビッチ夫人が党首を務める連立与党ユーゴスラビア左翼の本部にも同日夕、突入し室内を破壊した。ミロシェビッチ大統領の故郷、セルビア東部のポジャレバツでは、大統領の長男マルコ氏が所有するパン屋が野党支持者に襲撃された。[2000-10-06-16:10] 51 [このページの最初に戻る]


 10/06@ユーゴ独裁崩壊へ、遅れて来た東欧革命(読売新聞)

 【ベオグラード6日=佐々木良寿】ユーゴ連邦のミロシェビッチ体制が民衆ほう起で崩壊状態になったことで、ユーゴにも東欧革命が波及することになった。八九年に雪崩を打つように民主化の道を歩み始めた他の東欧諸国に遅れること十年。冷戦時代には「最も開かれた社会主義国家」と呼ばれたユーゴは、皮肉にも東欧では“最終ランナー”として冷戦の遺制から抜け出した。
 冷戦終了後、ユーゴと他の東欧諸国を隔てる最大の違いは、ユーゴでは一貫して共産党が政権を握り続けてきたことだ。確かに、旧ユーゴでも八九年に各共和国で複数政党制が導入され、セルビアもその例外ではなかった。しかし、共産党は社会党に名前を変えただけだった。
 チトー大統領時代の旧ユーゴは、独自の自主管理社会主義の道を歩き、共産圏の中では、最も民主的で自由な国と見られていた。ユーゴのパスポートは、西側へも東側へもビザなしで旅行できることから、東欧諸国の人々にとっては垂ぜんの的だった。当時の自由な空気を吸って育ったユーゴ国民が、必ず「幸福な記憶」として引き合いに出す時代だ。
 そんな時代を逆行させたのが、ミロシェビッチ氏だった。同氏は、八六年にセルビア共和国共産主義者同盟(共産党)幹部会議長に就任すると、セルビア民族主義を最大のテコとして最高実力者の道を歩み続けた。
 八〇年代末から、旧ユーゴ連邦を構成していたスロベニア、クロアチア共和国などで民族主義に基づく独立の動きが活発化し、九一年になって各共和国が独立し旧ユーゴ解体が決定的になったあとも、セルビア民族主義を前面に打ち出すことで、クロアチアとの戦争やボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に関与。この間、国内では、軍、警察、国営報道機関から良識派を次々と追放。政権基盤を固める一方で、ボスニア紛争を機に発動された対ユーゴ経済制裁に乗じて、一部の側近らと経済権益を分有し、私腹を肥やす体制を作り上げた。八〇年代まで、旧東欧諸国では最も「民主的」と評価されていた国営報道機関は、完全に政権の宣伝機関に成り下がった。
 大統領には、過去、九一年の報道締め付けに対する市民の反乱、セルビア地方選の野党勝利を無効にしたことに端を発して九六年から九七年にかけて行われた街頭抗議行動、そして、昨年の北大西洋条約機構(NATO)空爆と、三度の政治的危機があったが、いずれも野党側の分裂などで態勢立て直しに成功、選挙は不正手段を講じることで生き延びてきた。
 しかし、この間、首脳部は、市民生活からは全く隔絶。与党・社会党筋によれば、社会党幹部は、電話一本で何でも手に入る特権階級と化していた、という。先月二十四日投票の大統領選挙に際しても、民意を無視された市民の怒りの深さを認識できていなかったことが、政権崩壊を呼ぶ最大の誤算だった。
 五日の民衆ほう起で、セルビアが民主化に向かう態勢ができることは間違いない。しかし東欧諸国のなかには十年を過ぎても政治の安定に苦闘している国が多い。ユーゴの場合、ミロシェビッチ体制打倒に向けて結束した「連合」は十八の小政党の寄り合い所帯だ。そのうえ、連邦議会では、社会党とミロシェビッチ氏の夫人ミリヤナ・マルコビッチ氏が率いてきた分党的存在の「ユーゴ左翼」が第一党であることには変わりはない。
 民主化を自分たちの手で成し遂げた、という国民の熱い思いをどこまで保ち続けることができるか、コシュトゥニツァ氏ら指導者の力量が問われるのは、これからだ。[2000-10-06-16:04] 52
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 10/06@◎ユーゴ制裁、9日から解除=EU(時事通信)

 【ブリュッセル6日AFP=時事】欧州連合(EU)のソラナ共通外交安保上級代表は6日、ユーゴスラビアに対する制裁解除開始が9日にルクセンブルクで開かれる外相理事会で決まると言明した。
 ソラナ代表はこの中で、「9日に外相理事会が開かれ、その席で制裁の解除が始まる」と述べた。 [時事通信社][2000-10-06-15:58] 53
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 10/06@ユーゴ野党国政掌握、革命”の夜、市民歓喜(読売新聞)

 【ベオグラード6日=佐々木良寿】「今、新しい未来に向かって歩き始めた」――。ベオグラード市内が夕やみに沈んだ五日午後七時(日本時間六日午前二時)、ユーゴスラビア民衆が新大統領と叫ぶコシュトゥニツァ氏が、抗議行動の舞台となった連邦議会ビルと向かい合って立つ市庁舎のバルコニーから、数万人の支持者に向かってこう力強く宣言すると、同氏の愛称「ボーヨ」の大合唱が地響きのように沸き上がった。市民の力を結集して勝ち取った民主化。まだ、ミロシェビッチ大統領の反撃の懸念も払しょくされてはいないが、市民は夜を徹して、勝利の陶酔感に浸った。
 「革命だ」。そんなつぶやきが広がった。大規模集会に参加した群衆の一部が連邦議会ビルに突入してから“革命”の成否が決するのに時間はかからなかった。窓から火を噴き上げる議会ビル。抗議行動の次の標的となった国営テレビからも火の手が上がった。そして、コシュトゥニツァ氏がバルコニーに立つまで四時間足らず。市民は、武力鎮圧の恐怖を跳ね返し、ミロシェビッチ大統領による十年以上の強権体制に立ち向かった。
 議会ビルへの石段をぎっしり埋め尽くした市民たち。治安部隊から奪い取った防毒マスクやヘルメットを誇らし気に見せる若者。鋤(すき)を高々と掲げる農民。国営テレビ突入の先陣を切ったブルドーザーも議会ビル前に姿を見せた。
 「ほかに方法もあったと思うが、こうなったのもミロシェビッチの責任」とベオグラード大学生のアレクサンダー・プジッチさん。市民の憎しみの対象で「刑務所テレビ」とも揶揄(やゆ)されてきた国営テレビの建物が炎上している場面を、写真に収めようと足を早めていた社会学者のダルコ・ブラティッチさんは「長い道のりだった。もうこの流れをだれも止めることはできない」と、自分に言い聞かせるように、“革命”の勝利に自信を示した。
 「ミロシェビッチが去るまでは、ここに残って勝利を守ろう」と呼びかける「民主野党連合」指導者たち。それに呼応して、五日夜、数十万人が市内中心部で夜を明かした。連邦議会ビル前には、治安部隊を乗せた一台のトラックが到着したが、隊員は市民と祝福を交わすだけ。他の通りでは、二十人余の警官がセルビア人のビクトリー(勝利)のサインである三本指を掲げて、通行人と談笑する光景が見られた。ミロシェビッチ体制を支え、市民に恐怖感を植え付けてきた警察にも、変革を望む気持ちが広がっていたことを物語っていた。
         ◇
 ◆邦人は全員無事確認◆
 外務省によると、ユーゴスラビア連邦全土に滞在している日本人は、百五人。このうち、ベオグラード市内には六十六人がいる。内訳は大使館員やその家族などが二十八人、報道関係者十五人、教員や留学生が九人、永住者七人、通訳など自由業五人、民間活動団体(NGO)関係者など二人。現地の日本大使館からの連絡によると、全員、無事が確認できているという。
         ◇
 ◆「早く平穏に」急展開見守る国内の関係者◆
 日本国内にいるユーゴにゆかりの深い人たちは、急展開のミロシェビッチ体制崩壊を、息をのんで見守っている。
 ユーゴスラビアで避難民に対する支援活動を行っている民間活動団体(NGO)「JEN」(東京都新宿区)は、職員三人が現地事務所との連絡などの対応に追われた。事務局次長の浅川葉子さん(31)は、連邦議会ビルから徒歩十五分ほどの現地事務所のスタッフと連絡を取ったところ、時々、停電が起きるが、電話はつながり、特に業務に支障はないという。現地スタッフは「騒乱はこれ以上、大きくはならないのではないか」と話し、比較的落ち着いた様子だったという。
 浅川さんは昨年四月まで、六年間滞在し、帰国間際には北大西洋条約機構(NATO)の空爆も行われた。「あの時の緊張と比べると、幾分は落ち着いているようだ。混乱状態が終わっても、一朝一夕に避難民の暮らしが良くなるわけではない。今は、早く普通の状態に戻ってほしいと願うのみです」と話していた。
 コソボ自治州出身で、ミロシェビッチ政権から差別政策を受けた経験のある大阪府堺市の飲食店経営、デロバツ・ラモさん(32)は「ミロシェビッチの時代が早く終わり、前向きな考えの人に政権が変わってほしいと思っていた。アルバニア語の新聞、テレビ、授業が禁止されるなど、ミロシェビッチのひどさはコソボに住んだ者にしかわからない」と話す。
 ラモさんの義弟、スマイリュ・ジャコーライさん(35)も昨年五月、コソボから戦火を逃れてラモさん宅に身を寄せ、現在、難民申請中だ。[2000-10-06-15:56] 56
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 10/06@コシュトゥニツァ氏の就任宣言歓迎…モンテネグロ(読売新聞)

 【ポドゴリツァ(モンテネグロ)5日=西田和也】セルビアとともにユーゴ連邦を構成するモンテネグロのジュカノビッチ大統領は五日夜、地元通信社を通じて声明を発表し、「新たな民主社会実現の時が訪れた」とコシュトゥニツァ氏の連邦大統領就任宣言に歓迎の意を表明した。ジュカノビッチ大統領は反ミロシェビッチ路線を鮮明にし、連邦離脱も辞さないとの態度をとってきたが、「セルビアとモンテネグロの健全な関係構築に道が開かれた」として、新体制下での連邦残留に前向きな姿勢を示した。[2000-10-06-14:50] 57 [このページの最初に戻る]


 10/06@政変呼んだ清廉の法学者…コシュトゥニツァ氏(読売新聞)

 【大統領就任演説をしたボイスラフ・コシュトゥニツァ氏=56歳】  九月二十四日のユーゴスラビア大統領選挙で勝利宣言してから十二日目。清廉潔白との定評がある法学者が、世界でも名うての独裁者を打倒、新たな体制を築こうとしている。
 ベオグラードで生まれ、社会主義政権下の旧ユーゴで法学者を志した。専門は憲法。ところが、チトー政権末期の七四年、戦後四回目の憲法改正に反対したため大学を追われた。その後、細々と人権擁護活動を続けていたが、東欧諸国が激動に揺れた八九年、野党「民主党」創設に名を連ね、政治の流れに飛び込んだ。九二年に離党、新たに「セルビア民主党」を旗揚げしている。
 今回の大統領選挙前までは、最大野党「セルビア再生運動」のドラシュコビッチ党首の陰に隠れ、目立つ存在ではなかった。学究肌を残したたたずまい。カリスマ性には欠ける。しかし「言行一致の人」「汚職と無縁の人」との評価が、ミロシェビッチ政権に疲弊した国民に浸透し、今回の政変を招く原動力の一つとなった。
 大の犬猫好き。子供はなく、ゾリカ夫人と暮らす。
 「セルビアはこれから普通の民主国家になる」。「我々の国家を良い方向に変えていく。だが、権力によって私が変わることはない」。ユーゴの人々のみならず、周辺諸国、国際社会が、この言葉に期待をかける。必ずしも一枚岩ではない自陣営の結束をいかに維持し、公約を果たしていくか。越えるべきハードルはまだまだ多い。(ベオグラード 大内 佐紀)[2000-10-06-14:48] 58
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 10/06@「民主的ユーゴ早期実現期待」…中川官房長官(読売新聞)

 中川官房長官は六日の閣議後の記者会見で、ユーゴスラビア連邦の「民主野党連合」の大統領候補のコシュトゥニツァ氏が勝利宣言したことについて、「ミロシェビッチ大統領は民意を受け止めるべきだ。大統領選やデモで示された多数のユーゴ国民の意思は現政権に終止符を打とうとしている。コシュトゥニツァ候補の下で早期に民主的ユーゴが実現することを期待する」と述べた。
 また、外務省によると、実情を把握するため、大和田悳朗・駐ユーゴ大使(悳は「直」の下に「心」)が六日、コシュトゥニツァ氏と主要八か国(G8)の大使らによる会談に出席し、情報収集する予定だ。[2000-10-06-14:37] 59
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 10/06@ミロシェビッチ体制崩壊へ、野党が国政掌握宣言(読売新聞)

 【ベオグラード6日=佐々木良寿】ユーゴスラビア連邦(セルビアとモンテネグロの両共和国で構成)の首都ベオグラードでは五日、ミロシェビッチ大統領退陣を求め、数十万の市民が連邦議会などを占拠する事態に発展したが、先の大統領選挙で当選を主張している「民主野党連合」のコシュトゥニツァ候補は五日深夜(日本時間六日未明)、デモ隊が占拠したセルビア国営テレビに登場、「(大統領として)職務を開始した」と述べ、国政を掌握したことを明らかにした。
 ミロシェビッチ大統領の所在は確認されておらず、政権側の対応に不透明な要素もある。ただ政権維持のカギを握る連邦軍、警察は平静を保っており、北大西洋条約機構(NATO)による空爆でも倒れなかった独裁体制は、内部からの民衆ほう起で崩壊状態に陥った。
 数十万人の市民は五日、連邦議会、セルビア国営テレビなどの公共施設を占拠したが、独立系ベタ通信などによると、少女一人が連邦議会前でデモに使われた掘削機にひかれて死亡したほか、市民一人が心臓発作で死亡。約百人が負傷したという。
 先月二十四日実施された大統領選の第一回投票での当選を主張してきた「連合」のコシュトゥニツァ氏は五日午後七時(日本時間六日午前二時)、市庁舎バルコニーから数万人の支持者を前に演説、「今日、セルビアは民主主義の道を歩き始めた」と勝利宣言をした。また同氏は、セルビア国営テレビにも「新大統領」として登場し、「国際社会と協調する」との方針を明らかにした。
 これまで政権側の“宣伝機関”とされてきた国営タンユグ通信も五日、コシュトゥニツァ氏を「新大統領」と報じた。
 ミロシェビッチ大統領の所在は確認されていないが、野党有力指導者、ゾラン・ジンジッチ民主党党首は六日、セルビア国営テレビに対し、同大統領は、ルーマニア、ブルガリア国境に近いセルビア東部ボルに潜伏、「クーデターを準備している」と警告した。また別の野党筋はロイター通信に対し、大統領は、連邦軍が厳重に保護する中、ボル西方約四十キロの村ベリャニツァにいると語った。
 野党側が完全に政権を掌握するかどうかは、軍と警察の支持にかかっている。軍、警察は六日未明現在、目立った動きを示していない。タンユグ通信は同未明、情報筋の話として、「軍最高首脳部が緊急会議を開いており、数時間以内に声明を出すとみられる」と報じた。
 またAP通信によると、元連邦軍参謀総長で、野党「民主運動」党首のモムチロ・ペルシッチ氏は、「ミロシェビッチ一派がベオグラードの外から反撃を計画している可能性はある」としながらも、「軍の指導部に連絡をとったが、介入はしないと約束した」と語った。ベタ通信も、軍首脳に近い筋の話として、「軍は兵舎にとどまり、街頭行動には介入しない」との姿勢を伝えた。
 ベオグラード市内では五日深夜、一部で商店の窓が割られ略奪も発生しており、ベオグラード市議会は五日夜、新議会を緊急招集。危機管理本部を設置して、情勢正常化に乗り出した。[2000-10-06-14:11] 61
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 10/06@◇ユーゴ野党連合のコシュトニツァ氏、新政権樹立を宣言◇(朝日新聞)

 大統領選の結果をめぐる対立で首都ベオグラードが騒乱状態となったユーゴスラビアで、野党連合のコシュトニツァ氏は5日夜(日本時間6日未明)、市議会前に集まった数十万人の市民を前に「新政権樹立にかかる」と宣言した。国営タンユグ通信は同夜、コシュトニツァ氏を「次期大統領」と伝えた。国の報道機関がこうした報道をしたのは初めて。軍も「不介入」の姿勢で、一部の軍高官はコシュトニツァ氏への支持を表明したと伝えられる。大統領は所在不明で、13年間にわたるミロシェビッチ独裁政権は事実上、崩壊したとみられる。野党側は6日未明、暫定政府にあたる危機管理本部を設置した。同日午後1時から、新大統領の就任式を行う、としている。
 コシュトニツァ氏は市議会前での演説で「今日、我々は歴史をつくっている」と述べ、軍の反撃に備えて主要路を確保するよう民衆に呼びかけた。群衆がミロシェビッチ氏の逮捕を叫んだのにこたえて、「逮捕の必要はない」と述べた。コシュトニツァ氏は国営テレビにも出演し、超党派で民主国家を建設しようと呼びかけた。野党幹部は軍と警察から「不介入」の言質を取ったという。
 国営タンユグ通信によると、連邦軍参謀本部では6日未明、数時間にわたって将軍たちが会議を開いている模様だ。
 野党陣営は5日夜、連邦議会を開くため、議員に招集をかけた。早ければ週明けにも新政権樹立を正式に宣言したい考えで、議会に同意を求めると見られる。
 ミロシェビッチ大統領の所在について、野党側は国内に潜伏しているとみて警戒している。
 野党連合の幹部は朝日新聞の取材に対し、「ミルティノビッチ・セルビア共和国大統領が野党連合に接触を求めた際に、ミロシェビッチ連邦大統領からのメッセージを託された」と明らかにした。メッセージの内容は言えないというが、大統領が国内にいることを強く示唆した。
 独立系ベタ通信は、航空管制当局者筋の情報として、午後8時20分ごろ、軍用飛行場からアントノフ機が3機、飛び立ったと伝えた。大統領が乗っていたのかどうかは確認されていない。
 政府寄りの報道をしてきた国営テレビ(RTS)にも5日夕、市民が押し掛け、放送は中断。夜9時(日本時間6日午前4時)すぎに復旧すると、同局の記者は「これまでは権力を持つ小集団だけに仕えてきた。今後は民主主義と自由の確立に尽くす」との自己批判の声明を読み上げた。
 しかし、大統領が率いるセルビア社会党は5日夜、「破壊行為にはあらゆる手段を用いて、平和な生活を守る」との声明を出しており、強硬姿勢を崩していない。この声明はタンユグ通信がコシュトニツァ氏を「次期大統領」と伝える前に報じられた。
 野党連合の幹部は国営テレビの取材に、5日の騒乱による死者が2人であることを確認した。このうち1人は少女でブルドーザーにひかれたという。負傷者は約100人と見られている。[2000-10-06-13:48] 62
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 10/06@<ユーゴ>虚構の民族主義者に失望と反感(毎日新聞)

 ユーゴスラビア連邦を支配してきたミロシェビッチ体制が終末を迎えた。首都ベオグラードで5日、セルビア民主野党連合の支持者らが連邦議会を占拠した事態は、突然の出来事だった。ルーマニアのチャウシェスク独裁政権崩壊(1989年12月)を思い起こさせるドラマが展開された。だが、89年の東欧民主革命の再現とは形容しきれない異質の要素も残っている。「虚構の民族主義者ミロシェビッチ」に対する失望と反感は民衆だけでなく、軍にも広がっていた。
 記者が鮮明に覚えているのは「セルビア民族主義の擁護者」としてのミロシェビッチ像である。92年10月、初めてベオグラードを訪れた際、当時から強権体制への反発があったものの、ミロシェビッチ礼賛の声を一般市民から幾度となく聞かされた。
 「一つのセルビア」。ミロシェビッチ氏はセルビア人の心情を代弁するかのように、セルビア民族の興隆をぶちまけ、かなりの人気を得ていた。それは、旧ユーゴ連邦に属したクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナにあるセルビア人地域をセルビア本国と統合する「大セルビア主義」の考えだった。
 旧ユーゴ連邦が91年から崩壊していくと、ミロシェビッチ政権はクロアチア、ボスニアに軍事介入した。新ユーゴ連邦(セルビア、モンテネグロで構成)は国連と欧米の制裁を受け、深刻な経済危機に陥る。それでも実権を握るミロシェビッチ氏への支持率は落ち込むことなく、むしろ「セルビアいじめ」への反感が広がる逆効果になっていた。
 セルビア人の心情が陰り始めたのは95年、クロアチアのクライナ地方やボスニアでセルビア人勢力が敗退してからである。当然あるべきと思っていたユーゴ連邦軍の支援は、敗色濃厚になると途絶えてしまった。このときから、セルビア民族主義者としてのミロシェビッチ氏の評判は次第に色あせていった。
 実はボスニア内戦の末期、ミロシェビッチ政権とユーゴ連邦軍の間には微妙な摩擦がうわさされていた。背景について、ユーゴ連邦軍関係者は、ベオグラードからボスニアでセルビア人勢力と敵対するイスラム教徒勢力への武器売り渡しがあったと述べている。記者は西側軍事筋からも、停戦後にもセルビア側から戦車がイスラム教徒勢力に売却された情報を聞いたことがある。
 ボスニア内戦の終結(95年)後、連邦軍は表向き、大統領への忠誠を維持していたが、軍内部の人心は既にミロシェビッチ離れを起こしていた。98年からコソボ自治州でアルバニア系住民との紛争が本格化しても、連邦軍は積極介入する意思を示さなかった。ペリシッチ参謀総長は「北大西洋条約機構(NATO)を敵に回すことはできない」と抵抗し、解任された。実際に武力行使の主役となったのは、ミロシェビッチ派の影響力が残っていた治安部隊・警察である。
 99年3月から約2カ月半にわたるNATOのユーゴ空爆で、連邦軍の不満は一層募る結果になった。なぜなら、「コソボはセルビアの発祥地」との掛け声でトマホーク・ミサイルの標的にされる兵士たちはもはや、セルビア民族主義を掲げた政権の号令を信じなくなっていたからだ。
 9月24日の大統領選以降、拡大の一途をたどる野党連合の抗議デモで、軍はミロシェビッチ体制の枠外にいた。軍は野党連合の大統領候補・コシュトゥニツァ氏に一目を置いていたはずである。それは民主化のリーダーというより、筋金入りの民族主義者としての評価だろう。穏健派と称されるが、セルビアの地位向上を70年代から主張してきた知識人である。
 コシュトゥニツァ氏は5日、演説で強調した。「我々はロシアにも西側にも頼らず、自分たちの力で問題を解決する」。この呼びかけは軍の愛国心にも響く言葉だったに違いない。[2000-10-06-13:45] 63
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 10/06@<ユーゴ>コシュトゥニツァ氏が“民衆革命”の成功を宣言=(毎日新聞)

 【ベオグラード6日福井聡】ユーゴスラビア連邦(セルビア、モンテネグロ両共和国で構成)の首都ベオグラードでの野党支持者による連邦議会などの占拠を受け、セルビア民主野党連合の大統領候補、コシュトゥニツァ氏は5日夕(日本時間6日未明)、「セルビアは解放された」と新大統領として“民衆革命”による政権奪取を宣言、6日に新議会を招集する意向を表明した。野党支持者は占拠から一夜明けた6日未明、各地で「民主主義の勝利」を祝った。ミロシェビッチ連邦大統領の動向は不明だが、権力基盤の軍、警察が野党支持に動いたことで、13年間にわたるミロシェビッチ体制は民衆蜂起(ほうき)によって事実上、崩壊した。 (2、3面、社会面に関連記事)
 コシュトゥニツァ氏は市役所のバルコニーから支持者に向かって「民主的に選出された新大統領」と名乗って演説、「セルビアを戦争に導き、不安、恐怖、不安定に陥れた男・ミロシェビッチ氏に居場所はない」とミロシェビッチ政権打倒を宣言した。さらに「セルビアは民主主義の道を歩み始めた。私は民衆が望む方向で職務を開始した」と表明、民主化推進の考えを示した。
 コシュトゥニツァ氏はベドリヌ仏外相との電話協議で、大統領選挙第1回投票(9月24日)と同時実施された連邦議会選の当選議員による新議会を6日に招集する考えを明かしており、議会承認を経て正式に大統領に就任、新政権を発足させる見通し。コシュトゥニツァ氏は5日深夜、1年半以内に議会選挙を実施する意向も表明した。
 国営タンユグ通信はコシュトゥニツァ氏を「次期大統領」と紹介。野党支持者の占拠に伴い放送を一時中断したセルビア国営放送は5日夜、「新セルビア放送」として放送を再開した。連邦軍首脳は6日未明から、緊急協議に入っているが、ミロシェビッチ大統領を批判し解任されたペリシッチ前参謀長は「軍、警察からデモへの不介入の言質を得た」と語った。ミロシェビッチ氏は姿を見せておらず、所在については情報が錯そうしている。
 5日午後の集会には野党支持者約50万人が結集、警官隊は一時、議会突入を図るデモ隊の一部を催涙ガス弾で制止しかけたが、本格的鎮圧には乗り出さなかった。独立系ベタ通信は医療関係者の話として、混乱で少女1人が死亡、103人が負傷したと報じた。
 コシュトゥニツァ氏は大統領選第1回投票で首位に立ったが、連邦選管が勝利を認めず、野党連合は2日からゼネストで対抗。スト拡大に伴い、各地でミロシェビッチ大統領退陣を求める動きが広がっていた。[2000-10-06-13:40] 66
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 10/06@<ユーゴ>関係者 期待と心配と(毎日新聞)

 日本のNGOグループが共同で旧ユーゴスラビアの難民支援の取り組んでいるJEN(日本緊急NGOグループ)の東京事務所(東京都新宿区)に現地から寄せられた連絡では、街中はデモの人並みでごった返しているが、治安部隊の出動や警察官とデモ隊の衝突などにはなっていないという。政権交代を求める市民が続々と街に繰り出し、平和的なデモが続いている。日本人スタッフらは「現段階では危険はない」と判断、現地にとどまり、自体の推移を見守るという。
 同事務所の事業担当者で今年6月まで約4年間、ニーシュなどで難民の心のケアなどの支援活動を行っていた高木泰子さんは「とにかく、もう血を流すような争いにはならないでほしい。私のかかわった難民には、紛争が起こるたび二度も三度も住む場所を追われて、本当におびえていた。経済も疲弊して大変だろうが、早くこの国を安定させ、難民も安心して暮らせる国になってほしい」と話していた。
 阪神大震災がきっかけでベオグラードの市民たちと交流を続けている「ユーゴの子ども達をよぶ震災被災児の会」の神戸大大学院生、村上友章さん(26)=兵庫県宝塚市=は「交流していた市民の多くは、ミロシェビッチ政権に批判的で、変わらない現状に不満を持っていた。しかし、急激に変わりすぎたら……」と友人らの安全を心配する。
 震災直後、「震災で傷ついた子どもたちを慰めたい」というベオグラード市民から招待を受け、村上さんら被災児童23人が約2週間、現地でホームステイ。3年後、お返しに村上さんらが、ベオグラードの子どもたちを日本に招待した。
 コソボ紛争に巻き込まれ昨年5月、一家5人で大阪府堺市の親類宅に逃れ、難民申請係争中のスマイリュ・ジャコーライさん(35)は「犠牲者が出たことは残念だが、独裁者・ミロシェビッチが退陣することになれば、うれしい」と話す。
 アルバニア人の一家は、故郷のコソボで、セルビア人から“死の恐怖”を味わわされた。妻レムジエさん(30)と3人の子供は、コソボの村の学校で、丸2日間監禁され、スマイリュさんもセルビア人からパスポートを奪われたうえ親類を殺害された。同じ被害者として、大統領選に端を発した国民の怒りが独裁者を追い詰める姿に拍手を送る。
 堺市でレストランを経営するレムジエさんの兄レロバツ・ラモさん(32)の妻智子さん(35)は「最近、家族ではユーゴの話題が出ない日はない。ミロシェビッチが今まで殺害してきた多くの人たちのことを考えれば、退陣は遅すぎるぐらい」と語る。一家は「ユーゴが落ち着いたら里帰りしたい」と事態の行方を見守っている。
 「大きな力(米国)に負けるのは残念だけれど、大統領が交代すれば生活がよくなるという期待もある」。ベオグラード出身で日本人と結婚した川崎市在住のセルビア人主婦、今時ミルカさんは複雑な胸中をのぞかせた。NATO(北大西洋条約機構)の空爆の後ろだてとなった米国に対するセルビア人の恨みは強く、今回の野党の動きも米国が手を貸したと思っているのだ。
 同市の市民グループ「旧ユーゴの子どもたちを支援する会」のメンバーとして、今時さんはこの夏、ベオグラードの難民センターを訪れ、家族ごとにフロアを仕切るついたての購入費用を届けた。日本でユーゴの子どもたちの絵の展示会を開いたり、絵はがきを売って集めたお金だ。
 今時さんは「米国が主役の空爆と経済制裁に加え、ストで電気なども止まり、一般市民は非常に苦しんでいる。外から大きな力(米国)に介入されて負けるのは残念だけれど、大統領が交代して経済制裁が解かれるなら仕方ないとも思う」と語った。[2000-10-06-13:00] 68
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 10/06@<ユーゴ>河野外相「民主的なユーゴ実現を期待」(毎日新聞)

 河野洋平外相は6日午前の記者会見で、ユーゴスラビア連邦の情勢に対する日本政府の立場として「多数のユーゴ国民の意思は、ミロシェビッチ政権に終止符を打とうとしているようだ。わが国は民主的変化を望むユーゴや国民の強い意思に敬意を表すと共に、コシュトゥニツァ氏の下で早期に民主的なユーゴが実現することを期待している」と述べ、現政権の退陣と野党連合政権の樹立を望む考えを表明した。さらに「G8(主要国首脳会議)議長国としての役割を積極的に果たしていく用意がある」との決意を強調した。[2000-10-06-12:45] 69 [このページの最初に戻る]


 10/06@<ユーゴ>英ブレア首相「一緒に再建を」(毎日新聞)

 【ロンドン5日笠原敏彦】英国のブレア首相は5日、ユーゴスラビア政変で同国民に対し、「あなたたちは民主主義を求めた。英国のような国々の友情とパートナーシップが待っている。我々は一緒になって欧州の荒廃したこの地域を再建することができる」と呼びかけた。[2000-10-06-12:45] 70 [このページの最初に戻る]


 10/06@<ユーゴ>露プーチン大統領「民主化に貢献する用意」(毎日新聞)

 【モスクワ支局5日】5日のモスクワ放送によると、インド公式訪問から帰国したロシアのプーチン大統領は、空港内で政府幹部や上下院議長を集めた緊急会議を開催。終了後に「ユーゴスラビアが現在の危機を克服し、国際的な孤立から脱却し、民主化の道に進むため、ロシアは貢献する用意がある」と声明を発表した。さらに、ユーゴの各政治勢力に、これ以上の暴力を許さないよう呼びかけた。
 緊急会議にはイワノフ外相、セルゲーエフ国防相、ウォロシン大統領府長官らが参加した。声明ではミロシェビッチ政権に対する態度は具体的に表明しなかった。[2000-10-06-12:45] 71
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 10/06@◇コシュトニツァ氏、「新大統領」として国営テレビに出演◇(朝日新聞)

 ユーゴスラビア大統領選挙の野党候補コシュトニツァ氏は5日、セルビア共和国国営テレビに「新大統領」として出演、すべての政党が参加する「民主主義と対話」による政治の確立を呼びかけた。
 ミロシェビッチ大統領を支える宣伝機関だった同テレビ局は同日、数時間にわたって放送が途絶えたあと、「新国営テレビ」の発足を告げた。コシュトニツァ氏は、約50分間にわたって司会者の質問に答える対談形式で出演した。
 「新大統領」として紹介された同氏は「きょう、選挙によって政権が交代するという新たな時代が始まった」と述べた。また、与党など他の政党への「報復」はしないこと、国営メディアはすべての政党に開かれているべきとの考えを示し超党派の協力を求めた。
 また「1年半以内に、公正で自由な連邦議会選挙を実施する」ことや、新憲法の制定、ユーゴ連邦内のモンテネグロ共和国との関係改善などの抱負を語った。
 国民生活の困窮の原因となっている欧米諸国によるユーゴへの経済制裁に関しては、来週には解除されるとの見通しを示した。「我が国が真に民主的な国になったことが示せたため、欧州連合(EU)の上層部から早ければ9日にも制裁解除をするとの言質をとっている」と、明らかにした。
 また、ミロシェビッチ大統領を訴追している旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に関しては、あらためて「協力しない」との考えを強調し、ミロシェビッチ大統領を同法廷に引き渡す考えがないことを明らかにした。コシュトニツァ氏は「国際法廷は極めて政治的な場で、米国の法廷だ」と批判した。[2000-10-06-12:40] 72
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 10/06@◇連邦議会を6日に召集 コシュトニツァ氏、仏外相に語る◇(朝日新聞)

 ユーゴスラビアの「次期大統領」コシュトニツァ氏は5日夜、ベドリヌ仏外相と電話で会談し「6日に連邦議会を招集する」と語った。同外相が明らかにした。また、セルビア共和国とともにユーゴ連邦を構成するモンテネグロ共和国の諸政党にも議会に出るよう接触をしている、と語ったという。
 ミロシェビッチ政権と対立していたモンテネグロのジュカノビッチ政権の投票ボイコットにより、連邦議会での同共和国からの議席の大半は親ミロシェビッチ派が占める結果となった。このため、ジュカノビッチ政権は連邦議会の早期解散を要求している。[2000-10-06-12:25] 73
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 10/06@「セルビア解放」祝う市民 首都、未明まで解放区に(共同通信)

 【ベオグラード6日共同=及川仁】未明の道路いっぱいに繰り広げられる若者のダンス。大音量で音楽を鳴らすトラック―。強権支配を続けてきたミロシェビッチ・ユーゴスラビア連邦大統領の政権崩壊がほぼ既成事実となった六日未明、首都ベオグラード中心部はさながら“解放区”の様相を見せた。
 「今晩は、解放セルビア」。セルビア民主野党連合のコシュトニツァ候補は、五日夜、群衆が実力で占拠した連邦議会の反対側にあるベオグラード市議会庁舎バルコニーから、集まった市民にミロシェビッチ政権の終えんを高らかに宣言した。
 連邦議会前から市内最大の繁華街にあるテラジエ広場、共和国広場に続く一帯を、人々が勝利感に酔いながらホイッスルを吹き鳴らして行き交う。数時間前までは、警察の機動隊が放った催涙弾で修羅場と化していた場所だ。
 催涙弾にも屈せず議会に殺到する民衆を前に、機動隊も鎮圧行動を断念。議会に入っていく人々と警官が肩をたたき合う光景も。
 「新たに大統領に選出されたコシュトニツァ氏」と国営タンユグ通信。「こちらは新セルビア放送です」と、放送を再開したセルビア国営放送。ミロシェビッチ政権を支えてきた国営報道機関も、次々と新たな「民主的報道機関」として生まれ変わっていった。(了)[2000-10-06-12:21] 74
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 10/06@ユーゴ政権、事実上崩壊 野党連合、国政掌握を宣言 (共同通信)

 【ベオグラード6日共同=及川仁】ユーゴスラビアの野党支持者らによる連邦議会などの占拠を受け、セルビア民主野党連合のコシュトニツァ大統領候補は五日夜(日本時間六日午前)、連邦議会前に集まった群衆に向け演説し、大統領として政権掌握を宣言した。軍、警察も中立の立場を表明、東欧最後の強権的指導者として君臨してきたミロシェビッチ政権は事実上崩壊した。
 ミロシェビッチ大統領の所在は不明。野党連合に加わる民主セルビア運動のペリシッチ党首(元連邦軍参謀総長)は六日、大統領の権力基盤の軍と警察から不介入の言質を得たと言明した。タンユグ通信によると、ユーゴ軍の参謀本部会議が同日未明、ベオグラードで行われた。終了後に声明が発表される見通し。
 九月二十四日の連邦大統領選で勝利宣言したコシュトニツァ氏は五日、連邦議会と向かい合うベオグラード市議会庁舎のバルコニーから演説し、「民衆が望む方向で職務の遂行を開始した」と宣言。「セルビアは民主主義の道を歩みだした。もはやミロシェビッチ氏に居場所はない」などと強調した。また、ユーゴに科されていた制裁が九日に解除されるだろうと述べた。
 一方、政権の宣伝機関の役割を果たしてきた国営タンユグ通信は、コシュトニツァ氏を「次期大統領」として伝え始めた。
 デモ隊の占拠と前後して放送を中断していた国営放送も五日夜、「こちらは新セルビア放送です」との字幕を流し、放送を再開。コシュトニツァ氏らが出演し「民主主義が勝利した」などと述べた。
 独立系ベタ通信によると、コシュトニツァ氏は先の大統領選と同時に実施された議会選で選出された議員による新たな議会を招集した。民主野党連合の一人が議長に就任するという。
 同通信は、五日の騒乱で少女一人がブルドーザーにひかれて死亡、百人以上が負傷したと伝えた。(了)[2000-10-06-12:18] 75
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 10/06@◎1年半以内に議会選実施=コシュトニツァ氏−ユーゴ(時事通信)

 【ベオグラード6日AFP=時事】ユーゴスラビアのセルビア民主野党連合のコシュトニツァ氏は5日深夜、セルビア共和国国営テレビで演説し、1年半以内にユーゴ連邦議会選挙を実施することを約束した。
 コシュトニツァ氏は「遅くとも1年半以内に、新議会を選ぶために新たに自由な選挙を行う」と語った。 [時事通信社][2000-10-06-12:05] 77
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 10/06@◇ユーゴ体制転覆の夜 野党連合、軍警察に必死の働きかけ◇(朝日新聞)

 「私たちはいま、歴史の現場にいるのだ」。ユーゴスラビアの大統領選で、民衆が押し立てた大統領選挙の「勝者」コシュトニツァ氏は5日、群衆に向かってそう叫んだ。野党連合の首都大集会をきっかけとした5日午後の騒乱状態から、同夜には、ミロシェビッチ体制の「崩壊」と見える段階にまで来た。人々の力がついに専制政治を覆そうとしている。その舞台裏では、市議会の小さな建物にこもった野党連合の幹部らの軍、警察への必死の働きかけもあった。
 5日夕方、連邦議事堂で催涙弾を発射した特殊警察と群衆が衝突したのち、向かいの公園を隔てたベオグラード市議会の建物が野党連合の拠点となった。コシュトニツァ氏以下、主立った幹部は全員、ここに詰めた。記者も続いて市議会に入った。
 市議会と向かいあうセルビア国営テレビ本社では、一時、銃撃戦が起きたが、まもなく群衆が警察を圧倒。占拠された議事堂と国営テレビからは火の手が上がった。市中心部は完全に「解放区」となり、人々は思いおもいに歩き回った。連邦議会のいすを勝手に持ち出し「土産だ」と見せびらかす人も。
 午後7時、市議会を中心に昼間の集会を上回る人数が広場を埋めつくした。
 コシュトニツァ氏がバルコニーに姿を現した。30万人規模の群衆が、一斉にどよめく。背広にネクタイの老紳士からジーンズの女の子まで、一人ひとりがこぶしを突き上げた。
 コシュトニツァ氏は、燃えさかる議事堂を見やりつつ、「今や軍も警察も人民のものとなっている」と語りかけた。「ミロシェビッチのセルビアは最後の時を迎えた。ほかの国々で共産主義が終えんを迎えたように、我々の国でも、それは時間の問題だ」。政権側が反撃してくることを懸念して「私と共にいてほしい。私はあなたと共にいるから」と呼びかけた。
 政府系のテレビ局、市内の警察署……。司会者が、「我々の手に渡った」と発表するたびに、広場中がときの声で揺らぎ、祝祭ムードが盛り上がる。
 だがその最中も、市議会の建物内部では深刻なやりとりが交わされていた。
 午後9時前、会合が続く市長室から出てきた幹部の1人が「戦車隊がベオグラードに向かうかも知れないという情報が軍内部から入った。その人物は『実際は砲弾は込められていない』と言っているが、防衛態勢を整えなければ」と打ち明けた。警備員が、どこからか布に包まれた3丁の機関銃を持ち出してきた。
 午後10時すぎ。会合はいったん休憩に入った。市長室では、2年前に連邦軍参謀総長の座を更迭されて野党陣営に加わったペリシッチ氏が、野党陣営の実力者ジンジッチ氏らと真剣な表情でささやきを交わしながら、携帯電話をかけては、出入りを繰り返した。11時すぎ、ペリシッチ氏が自動小銃で武装した護衛に囲まれ、どこかへ出ていった。
 それから20分後、「軍の信頼すべき地位にある人物から、介入しないとの確約を得た」と、司会者が群衆に明かした。「それでも攻撃しようという大それた者がいたら、我々は絶対に退かないぞ」 張りつめていた空気が一瞬、ゆるんだ。廊下では、野党連合の最長老、ミチェノビッチ民主センター党首が「あとは、ミロシェビッチが、コシュトニツァ氏を大統領と認めますと言えばいいだけだ」と笑顔を見せた。ペリシッチ氏はそれでも「これから数時間がカギだ」と、表情を崩さなかった。[2000-10-06-12:00] 78
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 10/06@ユーゴ左翼本部にもデモ隊(共同通信)

 【ベオグラード6日AP=共同】ユーゴスラビアの野党支持者による連邦議会占拠などが続く中、ミロシェビッチ大統領夫人が党首を務める連立与党「ユーゴスラビア左翼」の本部も五日夕、押し入ったデモ隊に破壊された。(了)[2000-10-06-11:54] 83 [このページの最初に戻る]


 10/06@<ユーゴ>民族主義者の指導者求める世論 柴宜弘・東大大学(毎日新聞)

 ミロシェビッチ政権崩壊への決定的な局面は8日に予定されていた決選投票までずれ込むかという印象もあった。しかしミロシェビッチ政権の支持基盤である地方の農民や労働者が参加した大規模なデモが首都ベオグラードで実現し、ミロシェビッチ大統領が無力であることは明白になった。
 ユーゴ連邦軍や治安警察も事態を容認しており、ミロシェビッチ政権から距離を置いている。ミロシェビッチ大統領側が反撃できる余地はほとんど残されていない。コシュトニツァ氏に政権を委譲し、連邦議会の政治勢力図をにらみながら対抗する以外にはない。だが、コソボ紛争での北大西洋条約機構(NATO)の空爆以来、国民の経済的疲弊による「ミロシェビッチ離れ」は決定的で、政権維持はまず不可能だろう。
 コシュトニツァ氏が広範な支持を集めた理由は、ミロシェビッチ大統領の「反国際社会路線」こそ取らないが、民族主義者だからだ。大統領には協力しないが、セルビア民族感情に訴えることのできる指導者を世論は求めていた。
 89年の東欧諸国の変革の際も、当初は民族主義者が指導者として現れた。コシュトニツァ氏が過渡的段階を受け持ち、次第にジンジッチ民主党党首に代表されるような西欧的な民主主義指導者へと移行していくことが考えられる。
 コソボ自治州やモンテネグロ共和国との関係については大きな変化は見られない。とくにコソボではコシュトニツァ氏をミロシェビッチ大統領以上に民族主義的な人物とみなす論調が強い。また、コシュトニツァ氏は、対外関係で米国と欧州への姿勢を巧みに使い分けている。欧州については経済的理由やユーゴの地理的条件などから一気に接近が進むだろうが、空爆で中心的役割を果たした米国との関係をどう改善していくのかが大きな課題になる。(談)[2000-10-06-11:35] 84
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 10/06@<ユーゴ>市民蜂起のきっかけは1人の男の子(毎日新聞)

 【ベオグラード6日福井聡】市民蜂起が成功したのは、一人の男の子がきっかけだった――。ベオグラードの連邦議会正面入り口で5日午後3時(日本時間同10時)過ぎ、警官隊とにらみ合っていた野党連合支持者の前を男児がするすると駆け抜け、群衆を議会内に引き込むように誘い、入り口に走って行った。警官隊は子供を制止しようと動き、その瞬間に群衆が議会に向かって突き進んだ。
 突入した群衆の先頭に立っていたボバンさん(33)によると、「我々は警察隊の催涙弾が飛び交う中、1歩進み、2歩下がり、また進みと、進退を繰り返していた。突然、男児が警官隊の非常線をすり抜け、議会正面の階段を駆け上がり、議会入り口の扉の方に走り去って行った」という。
 近くで見ていたロイター通信の記者は「この子供を警官隊が制止しようとした瞬間、対じしていた群衆が一斉に入り口になだれ込んだ」と証言。その後、警官隊は結局、入り口の扉を開け放し、群衆が議会内へ入るのを許す形となった。
 前にいた群衆と警官隊はこの後、互いにキスし合い、敵対関係が一気に氷解。これが背後にいた大群衆に瞬く間に伝わり、「警察は我々の側に付いた」との声が上がった。
 男の子はどこから来たか、どこへ行ったかも分からない。だが、ユーゴ市民が最も恐れていたのはミロシェビッチ大統領体制を固めていた警察で、この出来事が今回の市民ほう起成功につながったとみられている。[2000-10-06-11:35] 85
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 10/06@<ユーゴ>首都ベオグラードで勝利に酔うパレード(毎日新聞)

 【ベオグラード6日福井聡】セルビア国旗をなびかせたトラックが駆け抜ける。若者グループが抱き合い、武力介入が懸念されたセルビア治安部隊隊員が民衆と肩を組んで踊った。ユーゴスラビアの首都ベオグラードの連邦議会前広場では5日夜、セルビア民主野党連合による政権奪取を祝い終夜、勝利に酔うパレードが繰り広げられた。「今夜は離れないでほしい。ここは我らの聖地だ。セルビアの新しい夜明けを一緒に迎えよう」と野党連合指導者が呼びかける。「ミロシェビッチ政権が倒れたんだ」。どの顔も喜びにあふれていた。
 5日午後8時(日本時間6日午前3時)、同広場の壇上に野党連合の大統領候補、コシュトゥニツァ氏が駆け上がると、地響きのような歓声が上がった。「今夜、これから連邦議会を招集し、今夜中に新政府を発足させる。もう安心してほしい。警察も軍も我々の味方だ」。演説の声は拍手で聞き取れない。13年間のミロシェビッチ政権下で耐え忍んだ市民が待ち望んだ「新大統領の誕生」だった。
 テレビの制作プロダクション会社社員、コサノビッチさん(26)は「朝からこの瞬間が来ると信じていた。同僚は全員、野党連合支持者でミロシェビッチ支持など一人もいなかった。今夜はここで夜明けまで過ごす」と喜びを隠し切れない表情だ。
 3日前までベオグラードではスト参加率が低く、野党運動の盛り上がりが懸念されたが、政府系銀行職員、マルコビッチさん(26)は「夕方、警官隊が野党支持者に合流し、手を取り合ったとラジオで聴いた時、初めて『勝った』と思った。ミロシェビッチが怖いのは警察と軍を従えていたから。もう大丈夫」と笑顔を見せた。
 演壇に立った野党連合のジンジッチ民主党党首が「警察は我々の側におり、もう人々に銃口を向けることはない」と声を張り上げた。群衆からは「ブルー(警察の制服の色)、ブルー」の大歓声が響く。上空に警察のヘリコプターが飛来し、集会の群衆を祝福するように大きく輪を描いて、夜空に消えた。
 連邦議会ビルは放火され、白い煙が上り続ける。「ミロシェビッチを法廷に引っ張って行かねばならない」。コサノビッチさんが声を上げた。「いや、ヤツがどうなろうと構わない。もうオレたちは自由を得たんだから」と別の男性が言い放った。過去13年間、ベオグラードで最も自由な夜はいつまでも歓喜の声がこだました。[2000-10-06-11:35] 86
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 10/06@<ユーゴ>ミロシェビッチ大統領の動向が焦点(毎日新聞)

 【ベオグラード6日福井聡】ユーゴスラビアのセルビア民主野党連合が呼びかけた反政府集会が5日、民衆蜂起に発展した後、野党連合の大統領候補・コシュトゥニツァ氏は新連邦議会を召集し、新政権樹立に向かっている。一方、退陣に追い込まれたミロシェビッチ大統領の動向が焦点となっている。同大統領の所在は6日未明(日本時間同日午前)、不明のままだ。軍輸送機で国外脱出、セルビア東部に避難――などさまざま憶測が飛び交う中、強権を振るった同氏がどのように裁かれるかが注目されそうだ。
 5日からの事態の推移の中で、ミロシェビッチ氏になお政権確保の芽が残されているとすれば、6日未明の内に軍か警察特殊部隊を動員し、何らかの武力行為を仕掛けることがあり得る。野党連合のジンジッチ民主党党首は、「6日午前3〜5時にクーデターを計画しているとの情報がある」と警告した。
 ミロシェビッチ氏の所在については、「5日午後8時20分、ベオグラード近郊の軍飛行場からロシア製アントノフ機3機が南方に向け飛び去った」「セルビア東部の別荘に少数の側近といる」「なおベオグラード内に潜んで逆襲を計画中」などのうわさが流れている。しかし、真相は不明のままだ。
 いずれにせよ、今後最も焦点になるのは、ミロシェビッチ氏の戦犯問題である。旧ユーゴ戦犯法廷(ハーグ)は昨年5月、ボスニアなどの民族浄化の責任を問い、同氏を起訴した。
 コシュトゥニツァ氏は大統領選挙キャンペーンを通じて、欧米諸国が強く要求しているミロシェビッチ氏の旧ユーゴ戦犯法廷への身柄送致に拒否してきた。ユーゴ国民にとっては、戦犯起訴こそがミロシェビッチ氏の政権固執を一層強めた元凶と映った。さらに、欧米の要求は「内政干渉」でしかない。
 ただし、多くの国民にとってミロシェビッチ氏に苦しめられたとの思いは強い。国民の貧困化が進む中、ミーラ・マルコビッチ夫人は豪華な装丁の自著を数多く出版し、長男マルコ氏はディスコやスポーツ・ランドを経営するなど利権を欲しいままにした。ミロシェビッチ一家が現実に亡命受け入れ先を見つけるのは困難で、今後、国内で司直の下に引き出されるかどうか論議を呼ぶとみられる。[2000-10-06-11:35] 87
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 10/06@ユーゴ・コシュトゥニツァ氏が施政方針表明(読売新聞)

 【ベオグラード6日=大内佐紀】大統領就任を宣言したユーゴのコシュトゥニツァ氏は五日深夜(日本時間六日未明)、セルビア国営テレビとの長時間インタビューを行い、施政方針を明らかにした。番組は、ユーゴ全土に放映され、同氏の権力掌握を印象付けた。
 同氏は、「私は、市民が望む方向で職務を開始した」と、大統領としての就任を宣言、ミロシェビッチ氏については、「セルビアを不要な戦争に導き、不安定に陥れた人物」と非難した。
 また対外関係については、「諸外国と正常な関係を築いて行きたい」と述べ、欧州諸国との関係改善を急ぐ考えを強調。特に、「欧州連合(EU)は月曜(九日)に、セルビアに対する禁輸を解除すると聞いている」と述べ、制裁緩和に期待を表明した。
 だが一方で、「歴史は国民自身が作るもので、セルビアには米国もロシアも必要ない」として自主独立の考えを強調。特に昨年三〜六月の北大西洋条約機構(NATO)軍によるユーゴ空爆については、「一部の国が我々にやったことを忘れることはできない」と指摘し、国民に残る反米感情を代弁した。
 さらに旧ユーゴ戦犯国際法廷には「協力しない」と述べ、同法廷が起訴したミロシェビッチ大統領を引き渡す考えはないことを明らかにした。[2000-10-06-11:30] 89
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 10/06@<ユーゴ>EUはユーゴへの経済制裁を解除 仏外相(毎日新聞)

 【ブリュッセル5日森忠彦】ユーゴスラビア連邦の大統領選を巡って、欧州連合(EU)議長国フランスのベドリヌ外相は5日、「EUはユーゴに対する経済制裁を解除することになる」と語った。9日に開かれる外相会議で、輸出入の制限などを設けた経済制裁の解除を正式に決める見通しだ。
 EUは野党連合側を支援する立場から、9月の外相会議で「野党が政権についた場合は制裁を解除する」方針で一致。9月24日の第一回投票でもコシュトゥニツァ氏が実質、過半数を超えたとの見解から、決選投票は不必要と主張してきた。制裁を解除することでコシュトゥニツァ氏が率いる野党連合側が「新政権」であることを内外に示そうとの狙いがあるようだ。
 ソラナEU共通外交安保政策担当代表も「セルビアは今夜、大きな歴史の転機を迎えた。セルビアが自由な人々の国に移り変わることを期待している」との声明を発表。野党連合による新政権の誕生に全面的な期待と支援を表明した。[2000-10-06-11:20] 90
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 10/06@大統領の所在つかめず 飛び交う出国説、避難説(共同通信)

 【ベオグラード6日共同】事実上失脚したとみられるユーゴスラビアのミロシェビッチ大統領の所在については「ベオグラードにいる」「軍隊とともに東部に避難した」との報道や出国説など、情報が入り乱れており、六日未明になっても行方は分かっていない。
 セルビア民主野党連合筋は大統領がブルガリア、ルーマニア国境に近いセルビア東部ボルの近郊にあるベリャニツァ村で、第九二軽歩兵旅団に警護されて隠れ家にいると指摘している。
 オルブライト米国務長官は五日「五日夜の時点でベオグラードを去ったと考えられる。どこにいるかは知らない」と語った。しかし、米国防総省のベーコン報道官とバーガー米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は同日「まだベオグラードにいる」としており、米政権内部でも見方は分かれている。
 一方、ユーゴのベタ通信は市民による議会占拠が起きた直後の五日夜、ベオグラード郊外のバタイニツァ空港から連邦軍のアントノフ輸送機三機が南方に向けて飛び立ったと伝えた。大統領が乗っていたかどうか不明だが、出国説の根拠となっているようだ。
 ユーゴ最大の民間テレビ「スタジオB」は五日深夜、ベオグラード市内の大統領邸の様子を放映、付近には警備の人影がほとんどなかったと伝えた。大統領邸前には兵士が二人いるだけで、通常の厳重な警戒とは対照的。四、五台のパトカーが止まっていたが警官はおらず、住居にいないことはほぼ間違いなさそうだ。(了)[2000-10-06-11:13] 93
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 10/06@◇「ユーゴ国民の声聞き届けられる日が間近」と米大統領◇(朝日新聞)

 クリントン米大統領は5日、ユーゴスラビア情勢について、「自由をめざす行進が新たな地歩を得た。国民の声が聞き届けられる時が、すぐそこに来ている」と語った。大統領はプリンストン大学での講演で、「ユーゴの人々は国を自分の手に取り戻し、自由になりたいと願っている」と述べ、「ユーゴスラビアを民主主義の世界に受け入れる日が来たら、1日も早く経済制裁を解除する」と強調した。
 バーガー大統領補佐官(国家安全保障担当)は、ミロシェビッチ大統領が国外に脱出したとの情報はない、と述べたうえで、「(ミロシェビッチ体制の)最終章が書かれたのかどうかは、まだ、わからない」と指摘した。また、「ロシア政府に対して、コシュトニツァ氏を新大統領として認知するよう働きかけている」と明らかにした。
 クローリー国家安全保障会議報道官は、ミロシェビッチ氏が東部の国境近くにいる、との野党側の情報について「確認できない」と述べたうえで、「ミロシェビッチ(大統領)には当然、最後の抵抗に打って出る力がある。だが、ユーゴ国民のために、そうした事態が起きないよう願っている」と語った。[2000-10-06-10:39] 94
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 10/06@◎国際法廷にミロシェビッチ氏引き渡さず=コシュトニツァ氏(時事通信)

 【ベオグラード6日AFP=時事】ユーゴスラビアのセルビア民主野党連合のコシュトニツァ氏は6日未明、セルビア共和国国営テレビに対し、ミロシェビッチ大統領を旧ユーゴ国際戦犯法廷(ハーグ)には引き渡さないと言明した。
 コシュトニツァ氏は「ミロシェビッチ氏の問題について尋ねられるたびに、わたしは断固として(同法廷に)ノーと言ってきた」と語った。コシュトニツァ氏は同法廷を「米政府の政治的圧力の道具」と指摘している。 [時事通信社][2000-10-06-10:36] 95
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 10/06@ユーゴ大統領は依然首都に…米国防総省(読売新聞)

 【ワシントン5日=坂元隆】米国防総省のベーコン報道官は五日午後(日本時間六日未明)、ユーゴスラビアのミロシェビッチ大統領夫妻が依然ベオグラード市内にとどまっていると述べた。
 ベーコン報道官は「たしかに多くのうわさが流れているが、現段階でだれかが(国外へ)退去したことを確認するようなものは何もない。我々の知る限りミロシェビッチ大統領夫妻はベオグラードにいる」と話した。
 またユーゴ軍の動静について、ベーコン報道官は「過去数日間目立った配備や警戒態勢などはない」とし、軍が平静を保っているとの見解を明らかにした。[2000-10-06-10:35] 97
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 10/06@◎ミロシェビッチ氏、依然ユーゴ国内に?=「クーデターを企(時事通信)

 【ベオグラード6日時事】ユーゴスラビアの野党筋は6日、群衆ほう起で事実上政権の座を追われたミロシェビッチ大統領がユーゴ東部の町ボル付近で軍の保護下にあると述べた。しかし、居場所の最終確認はされておらず、情報は錯そうしている。
 複数の野党筋は、同大統領がボルの約40キロ西方のベリヤニツァの軍陣地で歩兵旅団の保護下にあると述べた。これより先、民主野党連合のジンジッチ民主党党首も国営テレビで、ミロシェビッチ氏がボルにいると指摘、クーデターを狙っていると警告した。 [時事通信社][2000-10-06-10:31] 99
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 10/06@<ユーゴ>モンテネグロの副首相 コシュトゥニツァ氏支持を(毎日新聞)

 【ロンドン5日笠原敏彦】ユーゴスラビア連邦を構成するモンテネグロ共和国のブルゾン副首相は5日夜、英BBC放送に対し、大統領就任を宣言したセルビア民主を政治的に支持するとともに、「新政権はバルカン半島全体の情勢を改善するだろう」と期待を表明した。
 副首相は、連邦制のあり方や同共和国に駐留する連邦軍の問題などに触れ、「コシュトゥニツァ氏との対話により多くの問題を解決していきたい。政権が安定するまで(解決を)先延ばししてもいい」と述べた。また、今回の政変で連邦軍が動く可能性はないとの見方も示した。
 モンテネグロ政府は大統領選には参加せず、ミロシェビッチ政権続投の場合は連邦離脱も辞さない構えを見せていた。[2000-10-06-10:10] 100
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 10/06@国際戦犯法廷に協力せず 野党連合のコシュトニツァ氏(共同通信)

 【ベオグラード6日共同】ユーゴスラビアの国政掌握を宣言した野党連合の大統領候補コシュトニツァ氏は五日夜のセルビア国営放送に出演、旧ユーゴ国際戦犯法廷には「協力しない」と述べ、ミロシェビッチ大統領を同法廷に引き渡すつもりがないことを明らかにした。
 同氏は、旧ユーゴ国際戦犯法廷は「国際法廷ではなく米国の法廷だ」と言明。ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ両紛争での米国の一方的な戦犯訴追に対する不信感を表明した。(了)[2000-10-06-09:46] 101
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 10/06@ミロシェビッチ大統領、軍支配力失う 米大統領補佐官(共同通信)

 【ワシントン5日共同】バーガー米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は五日夕(日本時間六日朝)、米公共テレビのインタビューで、ユーゴスラビアのミロシェビッチ大統領が既に軍、治安当局を支配する能力を失ったとの見解を示した。
 しかし、補佐官は大統領警護部隊について「特別警察が流血の事態を招きかねない懸念が残っている」として、大統領に忠誠を誓う一部が残っているとの見方を示唆した。(了)[2000-10-06-09:45] 103
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 10/06@独外相「両手広げ歓迎」 コシュトニツァ候補の勝利(共同通信)

 【ベルリン5日共同】ドイツのフィッシャー外相は五日夜、ARDテレビのインタビューに答え、ユーゴスラビア野党連合のコシュトニツァ候補が勝利を宣言したことについて「われわれは両手を広げ、セルビア国民を民主主義の家族の一員として受け入れる」と述べ、歓迎する考えを示した。
 外相はまた、ロシアに対してもコシュトニツァ候補の勝利を認めるよう強く要請した。(了)[2000-10-06-09:05] 104
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 10/06@ロ軍機の通過許可と報道 ルーマニア政府(共同通信)

 【ワシントン5日共同】米ABCテレビは五日夕(日本時間六日朝)、米国防当局の情報として、ユーゴスラビアに隣接するルーマニア政府は六日、ロシア軍輸送機がルーマニア上空を通過してユーゴに入ることを許可したと報じた。
 米情報機関がロシア軍航空機の動きを注視しているという。
 同テレビはロシア軍機の役割やミロシェビッチ・ユーゴ大統領が出国することには直接言及していないが、大統領の今後の動向を予想する報道の中で触れ、ロシアへ出国する可能性を示唆した。(了)[2000-10-06-08:53] 105
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 10/06@ミロシェビッチ大統領退陣期待と英首相 (共同通信)

 【ワルシャワ6日共同】ポーランド訪問中のブレア英首相は五日夜、ユーゴスラビアのミロシェビッチ大統領が退陣する可能性が高まっていると述べ「そうなれば、セルビアだけでなく欧州全体にとって朗報となる」と述べた。
 首相はポーランドのブゼック首相とともにポーランド・テレビのニュース番組に出演し、ユーゴ情勢について見解を示した。(了)[2000-10-06-08:51] 106
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 10/06@<速報・ユーゴ>「野党候補を新大統領と認知」と国営通信が(毎日新聞)

 ユーゴスラビア連邦のミロシェビッチ政権退陣を目指すセルビア民主野党連合支持者らが5日、ベオグラードにある連邦議会や国営メディアを占拠した。国営タンユグ通信は、野党連合の大統領候補、コシュトニツァ氏を新大統領と認知したと報道。同氏は新議会を招集しており、ミロシェビッチ政権は崩壊しつつある。
 ユーゴ独立系通信社は、ベオグラード郊外の軍飛行場から5日夜、軍輸送機3機が飛び立ったと伝えたが、搭乗者は明らかにされていない。また、BETA通信は5日、兵舎にとどまるユーゴ連邦軍は、野党連合の行動に介入しないと報道した。
 一方、クリントン米大統領は5日、「ユーゴスラビアに民主主義が回復し次第、同国への制裁を解除する」と述べた。[2000-10-06-08:50] 110
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 10/06@9日にもEU制裁解除 議長国の仏声明 ユーゴスラビア情勢(共同通信)

 【パリ5日共同】欧州連合(EU)議長国フランスのベドリヌ外相は五日、ユーゴスラビア野党連合のコシュトニツァ候補の演説や、国営メディアが同候補を次期大統領と報じたことを受け「九日にもEUの対ユーゴ経済制裁を解除する」とのEU声明を発表した。
 声明は「コシュトニツァ氏をセルビアの合法的国家代表と認める」とした上で「同氏の求めに応じ、EU議長国として、九日のEU外相会議で制裁が解除されるよう必要な手続きを直ちに開始する」と述べた。
 外相はユーゴ大統領選直後の先月二十六日に「ミロシェビッチ大統領が敗北したと認定し、制裁解除を各国に諮る」との声明を発表、大統領退陣に向け圧力をかけてきた。
 EUはコソボ紛争が激化した一九九八年三月、輸出信用供与の停止などの制裁を開始。同紛争による対ユーゴ空爆中の昨年四月には、石油禁輸など強力な制裁措置を追加した。(了)[2000-10-06-08:21] 111
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 10/06@ロ大統領は中立的立場表明 ユーゴスラビア情勢で(共同通信)

 【モスクワ5日共同】ロシアのプーチン大統領は五日夜、ユーゴスラビア情勢について緊急声明を発表、各政治勢力に「平和的」解決を呼び掛けた。
 しかし、インドからの帰国直後にモスクワの空港で声明を読み上げた大統領は、窮地に立ったミロシェビッチ大統領や勝利宣言した野党のコシュトニツァ大統領候補のいずれにも言及せず、中立的立場を強調。コシュトニツァ候補の勝利認定を避けた。
 同時にプーチン大統領は「ユーゴの国際的孤立脱却や民主的発展に向け貢献する用意がある」と述べ、コシュトニツァ政権が誕生した場合の協力の用意を示唆した。(了)[2000-10-06-08:20] 112
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 10/06@ミロシェビッチ大統領は首都を退去か(共同通信)

 【パリ5日共同】アイルランドからの報道によると、オルブライト米国務長官は五日、ユーゴスラビアのミロシェビッチ大統領について「もうベオグラードにはいないとみている」と語った。パレスチナでの衝突収拾をめぐって協議したエジプトからの帰途、アイルランドでの給油前に機内でフランス報道機関に明らかにした。
 「ワシントンからの連絡によると、五日夜の時点でベオグラードを去ったと考えられる。どこにいるかは知らない」と話した。(了)[2000-10-06-08:13] 114
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 10/06@実力行使自制をと伊首相 ユーゴスラビアの軍と治安部隊に(共同通信)

 【ローマ5日共同】イタリアのアマート首相は五日夜、ユーゴスラビアの軍と治安部隊に対し「暴力に訴えることなく、変革を求めるセルビア人の意思を認める」よう呼び掛ける声明を発表した。
 声明は、先の大統領選挙の結果を守ろうとする市民の勇気ある行動は「民主的かつ真に欧州的なセルビアへの方向転換」を目指す決意を示していると指摘、イタリアと欧州連合(EU)は全面的に支持すると述べている。(了)[2000-10-06-08:09] 119
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 10/06@◎少女1人死亡、103人負傷=ベオグラード(時事通信)

 【ベオグラード5日AFP=時事】ユーゴスラビアの独立系BETA通信は5日、医療関係者の情報として、ミロシェビッチ大統領の退陣を要求する同日の大規模デモで、少女1人が死亡し、103人が負傷したと伝えた。
 また、ベオグラードの救急隊員はAFP通信に対し、ギリシャのジャーナリストを含む負傷者の一部は銃弾を受けていると語った。 [時事通信社][2000-10-06-06:23] 121
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 10/06@◎ユーゴ軍は抗議行動に介入せず(時事通信)

 【ベオグラード5日AFP=時事】ユーゴスラビアのBETA通信は5日、軍高官に近い筋の話として、ユーゴ軍は兵舎にとどまり、ミロシェビッチ・ユーゴ大統領反対勢力の行動に介入しないと伝えた。
 同筋によると、ユーゴ軍は「軍の憲法上の役割を尊重」し、国内の最近の事態に中立を守っていたという。 [時事通信社][2000-10-06-05:55] 122
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 10/06@ユーゴ首都埋め尽くす群衆、治安隊阻止出来ず(読売新聞)

 【ベオグラード5日=佐々木良寿】立ち込める催涙ガスの白煙。鼻を突く刺激臭。広場を埋めた群衆が、怒号とともに入り口に殺到する――。ユーゴスラビアのミロシェビッチ大統領の退陣を求め、首都ベオグラードに集まった数十万人の野党支持者の一部が五日、治安部隊の阻止線を破り、ついに連邦議会ビルに突入した。政権側がどう対処するかは不透明だが、バルカン半島最後の独裁的政権が窮地に陥ったのは確かだ。
 議会ビル前に集結した数万人はこの日、阻止線を張る治安部隊と小競り合いを繰り広げていた。治安部隊は数十発に上る催涙ガス弾を発射。そのたびに逃げ惑う群衆。鼻や目を押さえ、うずくまる若者があちこちで見られたが、煙を上げる催涙弾を治安部隊に投げ返す猛者もいる。
 広場を埋める群衆は増えつづけ、その圧力に堪えられないという形で、治安部隊の阻止線が緩んだ。一気にビルの階段を駆け上がる数百人。ビル占拠まではさほど時間がかからなかった。入り口付近でユーゴ連邦旗を振る者もいる。治安部隊はいつのまにか姿を消し、ビルの窓からは黒煙が上がり、広場の隅には、踏みつけられたミロシェビッチ大統領のポスターがあった。
 ベオグラードでは五日、野党支持者が全国各地からバスや乗用車などで続々と集結、市内中心部は支持者で埋まり、完全に交通が遮断された。[2000-10-06-03:33] 123
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 10/06@◇ユーゴ野党支持者が議事堂占拠、首都は騒乱状態に◇(朝日新聞)

 大統領選挙後の混乱が続くユーゴスラビアで5日、ミロシェビッチ大統領の退陣を求める野党支持者の市民20万人以上が全国各地から首都ベオグラードに集結し、午後3時(日本時間同10時)から中心部の連邦議事堂前で大規模な集会を開いた。この集会を「首都決戦」と位置づけていた野党支持者は議事堂に数度にわたって突入し一部を占拠した。首都の国営テレビ局にも群衆が押し寄せた。これに対し、警察隊は警棒や催涙弾での鎮圧に乗り出し、実弾が発射され、市民が撃たれたとの情報もある。ユーゴ首都は騒乱状態に陥った。
 5日朝から200台以上の大型バスや自家用車に分乗した野党支持派の市民が中部のチャチャクなど各地から続々と集まった。首都市民も含め、市街の大通りは「ミロシェビッチは終わりだ」と叫ぶデモの隊列で埋まった。
 正午(同午後7時)前から議事堂前の広場には野党支持の市民数万人が集まり、一部は議事堂に突入を図った。議事堂前にバリケードを築いた完全武装の機動隊は警棒をふるい、2日のゼネスト入り以来初めて催涙弾を発射した。だが市民の一部は機動隊を押しのけて議会に入り、ドアや窓を壊した。
 野党指導者は市民に平静を呼びかけた。だが議事堂の玄関や各階から炎と黒煙が上がり、付近に駐車してあった自動車約10台にも火がつけられた。救急隊情報では、警察との衝突で、市民2人が死亡し、数十人が軽傷を負ったという。治安部隊車両が出動したとの情報もある。
 首都の国営テレビ局(RTS)にも群衆がブルドーザーで突入を試みたという。これに対して警察隊は実弾を発射し、市民数人が負傷したという情報がある。
 ただ、ユーゴ連邦軍と野党連合が協議を始めたとの報道もあり、事態は流動的な様相も示している。
 政府は3日に「破壊活動には特別措置で応じる」と発表していた。野党陣営は、地方の野党支持者にも首都へ集結するよう呼びかけ、5日をミロシェビッチ大統領に退陣を迫る山場としていた。
 一方、独立系のベタ通信によると、連邦憲法裁判所は5日、先月24日の大統領選を無効とし「大統領選を改めて行う」と決定した。投票は来年半ばの現大統領の任期終了までに行うという。政府は選挙直前に「現大統領の任期は来年半ばまで」との立場を示している。再選挙についての公式発表はまだない。
 ユーゴでは先月24日に行われた大統領選で、野党陣営が「勝利」を宣言。しかし大統領陣営が敗北を認めないため、野党陣営はゼネストに突入した。4日に連邦憲法裁判所が発表した「選挙の一部無効」に対しても反発し、ゼネスト長期化も辞さない構えだ。
 すでに勝利宣言をすませている野党連合のコシュトニツァ候補は、5日の裁判所発表を待たずに「これは大きなわなだ。大統領の力は弱くなっており、さまざまなごまかしを使わなければならなくなった証拠と思う」と語った。[2000-10-06-03:00] 124
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 10/06@◇「自由求めるユーゴ国民を支持」とクリントン米大統領◇(朝日新聞)

 クリントン米大統領は5日、ユーゴスラビアの民主化と、自由を求めるユーゴスラビア国民を支持する、と語った。大統領は「野党候補と米政府の立場は明らかに違うが、野党候補が選挙に勝ったのは明らかだ」と述べた。また、軍事介入は考えていない、と改めて指摘した。
 シーワート米大統領報道官は5日午前、ユーゴスラビアの首都ベオグラードの連邦議事堂周辺が騒乱状態に陥ったことについて、「ミロシェビッチ(大統領)の支配が崩れていることを示す動きがますます増えてきた」と指摘した。また、国家安全保障会議のクローリー報道官は「ミロシェビッチは、退陣を求めるユーゴスラビア国民の声に耳を傾けなければならない」と強調した。
 シーワート氏は「我々は選挙で多数を取った野党側を支持しているが、今後の対応については、野党の決断に任せる」と述べ、米政府は野党側と接触していない、と語った。[2000-10-06-03:00] 125
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 10/06@ユーゴ野党デモ、議会ビルを占拠(読売新聞)

 【ベオグラード5日=佐々木良寿】ユーゴスラビア連邦(セルビアとモンテネグロ両共和国で構成)ではミロシェビッチ大統領に退陣を迫る「民主野党連合」主催の大規模集会が五日午後三時(日本時間同十時)から首都ベオグラードで始まり、全国から数十万人が参加した。参加者の一部が同日、連邦選管などが入った連邦議会ビルに突入、占拠した。
 突入時の衝突で死者二人が出たとの報道もある。同市内のセルビア共和国営テレビもデモ隊に占拠された。戦車が連邦議会に向け移動しているとの目撃談もある。首都は大群衆で埋まり、混乱状態に陥っている。ユーゴ情勢は一気に緊張の度を加え、大統領は重大な危機に追い込まれた。
 「連合」は四日、五日午後三時を最終期限としてミロシェビッチ大統領退陣を迫る最後通告を出していた。大統領側は、この通告に返答せず、抗議集会は午後三時すぎに始まった。午後四時ごろ、数十人のデモ参加者が警官隊の阻止線を破り、市中心部にある連邦議会ビルに突入、占拠した。ビル内部では火災が発生、煙が上っている。阻止に失敗した警官隊は、撤退した。
 またミロシェビッチ大統領の“宣伝機関”とされてきたセルビア共和国営テレビの建物にもデモ隊が押しかけ、占拠した。建物からは火の手が上がり、同テレビの放映は中断している。独立系ラジオによると、放送局占拠時に、警官隊が発砲し三人が負傷した。治安部隊の一部がデモ隊に加わり、議会ビルに入る映像も流れている。
 政権側は午後六時現在、声明など公式反応を示していない。
 イタリアのANSA通信は五日、ベオグラード市長の話として、事態を収拾するため連邦軍と「連合」が話し合いに入ったと伝えた。[2000-10-06-01:48] 127
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 10/06@<ユーゴ>野党、最大集会 連邦議会占拠、政権存亡の危機=(毎日新聞)

 【ベオグラード5日福井聡】ユーゴスラビア連邦(セルビア、モンテネグロ両共和国で構成)のミロシェビッチ大統領退陣を求めるセルビア民主野党連合は5日午後、ベオグラードで数十万人の支持者を集めて過去最大の反政府集会を開いた。支持者の一部が警官隊と衝突、同日午後5時(日本時間6日午前0時)すぎ、連邦議会を占拠した。地元メディアによると、戦車が大統領公邸に向かい、デモ隊の一部が国営テレビ局を占拠したという。13年間におよぶ強権体制への不満が爆発した形で、ミロシェビッチ政権は存亡の危機に立たされている。
 英BBCによると、連邦議会での衝突で2人が死亡、戦車と装甲車数両が首都中心部に向けて出動しているという。ユーゴのテレビ局は野党支持者が連邦議会に突入した後、議会内部で火災が発生している模様を中継した。また、議会近くの警察の車5台が放火され、約10人が負傷したとの情報もある。デモ隊の一部は内務省ビルにも向かっている。しかし、デモ隊の行動を警官隊の大部分が容認しているとの情報もある。
 野党連合の大統領候補、コシュトゥニツァ氏は5日夕にも支持者に向けて演説する。
 この日の騒乱に先立ち、自由ヨーロッパ放送によると、ユーゴスラビア憲法裁判所のスルディッチ長官は「連邦大統領選第1回投票(9月24日)の無効を最終決定し、現大統領任期中に再選挙を実施する。10月8日の決選投票も中止される」と表明。民主野党連合は「政権延命を狙った無効決定は認められない」と反発、5日の集会は大混乱に陥った。
 野党連合は2日から各地でゼネストを展開。スト拡大を受け、セルビア共和国当局は鎮圧方針を表明、野党指導者を拘束するなど締め付けを強化していた。[2000-10-06-01:35] 132
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 10/06@<ユーゴ>野党集会に数十万人 群集の議会突入で首都騒然=(毎日新聞)

 【ベオグラード5日福井聡】「再選挙は典型的なミロシェビッチ流の時間稼ぎだ」「我々は連邦選管の集計に異議を唱えたのだ。選挙無効を訴えたわけではない」――。ユーゴスラビア連邦の憲法裁判所が大統領選無効を決定したとの報道を受け、5日午後にベオグラードで開かれたセルビア民主野党連合の集会では数十万人の支持者から政権糾弾の声が相次いだ。群衆の一部は連邦議会ビルに突入し、首都一帯は騒然となった。9月24日の大統領選挙以来、野党勢力の怒りは頂点に達しようとしている。
 憲法裁の決定に対し、野党連合のジンジッチ民主党党首は「政権側は再選挙決定で時間を稼ぎ、その間にゼネスト参加者を弾圧し、態勢を立て直すつもりだ。しかし、このような決定は認められない」と非難した。野党連合の展開するゼネストが各地で勢いを得てきた情勢を見て、危機感を強めた政権側が選挙を無効にしたとの観測が有力だ。
 野党連合がミロシェビッチ大統領退陣決議と「コシュトゥニツァ新大統領」誕生宣言を予定した5日午後の集会にはニシュ、チャチャク、レスコバツなどでゼネストを続けてきた野党指導者が集結。野党連合のイリッチ・チャチャク市長は「政権側はここに集まった我々の人数を見て恐れおののいているに違いない。非暴力の抗議を続け、ミロシェビッチを退陣に追い込もう」と呼びかけた。
 しかし、「彼は終わった」「きょうで最後だ」と叫ぶ群衆の怒りが爆発、緊迫した状況が続いた。連邦議会に突入した群衆は建物の中にあったミロシェビッチ大統領の写真を窓の外に投げ捨て、気勢を上げた。
 集会に参加した中学教師、ストヤバッチさん(31)は「憲法裁決定はナンセンスだ。ミロシェビッチ政権と交渉の余地はない。大統領選の結果は明白で、もう投票はしない。武力衝突も覚悟している」と語っていた。会社員、ミリコビッチさん(55)は「彼(ミロシェビッチ大統領)が立ち去るまで私たちはここにとどまる」と抗議行動を続ける決意を強調した。
 野党連合側が2日から始めたゼネストには、街頭ストだけでなく、工場労働者がこぞって参加。ミロシェビッチ政権は国内の生産現場が停止した状態に危機感を抱き、スト弾圧の方針を発表していた。5日の集会での衝突、混乱を受け、騒乱の拡大による治安悪化への懸念が広がっている。[2000-10-06-01:00] 133
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 10/06@<ユーゴ>野党集会に数十万人 議会突入で催涙ガス弾、大混(毎日新聞)

 【ベオグラード5日福井聡】「彼(ミロシェビッチ大統領)は終わった」「勝利だ!」。ユーゴスラビア連邦の憲法裁判所が大統領選挙を無効と判断したと伝えられ、5日午後、ベオグラードで開かれたセルビア民主野党連合の集会に集まった数十万人の群集からは政権糾弾の声が相次いだ。集会は平和裏に進んだが、午後3時半(日本時間同9時半)過ぎ、参加者のうち数百人の一群が連邦議会ビルへの突入を図り、制止する警官隊と衝突、催涙ガス弾が発射され大混乱となった。
 同集会で野党連合はミロシェビッチ大統領退陣を決議し、「コシュトゥニツァ新大統領」の擁立を宣言する予定だった。午後3時過ぎ、演壇に立った野党連合のイリッチ・チャチャク市長は「政権側はここに集まった我々の人数を見て恐れおののいているに違いない。非暴力の抗議を続け、ミロシェビッチを退陣に追い込もう」などと呼びかけたが、「彼は終わった!」「きょうで最後だ」とミロシェビッチ退陣を叫ぶ群集の怒りが爆発し、警官隊との衝突が続いた。
 午後5時過ぎ、野党側がマイクで「議会内にいた機動隊は撤退した」と伝えると、群集から一斉に大きな歓声が沸いた。警官隊は議会内に野党側を入れないよう制止する態勢で、野党側に強圧的な対応は取らなかった。一部で車が焼かれ、議会周辺からは黒煙が上がり、催涙ガスが充満し、騒然とした状況が続いた。
 集会に参加した中学教師、ストヤバッチさん(31)は「憲法裁判所の決定はナンセンスだ。ミロシェビッチ政権とはもう交渉しない。大統領選の結果は明白で、もう投票はしない。きょうの集会がすべてだ。武力衝突も覚悟しているが、もうあきらめはしない」と強い決意を語っていた。会社員、ミリコビッチさん(55)は「再選挙は典型的なミロシェビッチ流の時間稼ぎで驚かないが、もうきょうで終わりだ。我々は彼が辞任するまでここにとどまる」と話した。
 集会にはニシュ、チャチャク、レスコバツなどでゼネストを続けてきた野党連合指導者が集結していた。2日から始まったゼネストには、街頭ストだけでなく、工場労働者がこぞって参加。ミロシェビッチ政権は国内の生産現場がテイした状態に危機感を抱き、スト弾圧の方針を発表していた。[2000-10-06-00:56] 136
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 10/06@<ユーゴ>大統領選全面無効を憲法裁決定 野党支持者が議会(毎日新聞)

 【ベオグラード5日福井聡】自由ヨーロッパ放送によると、ユーゴスラビア連邦(セルビア、モンテネグロ両共和国で構成)の憲法裁判所のスルディッチ裁判長は5日午前(日本時間同夜)、「連邦大統領選第1回投票(9月24日)の無効を最終決定し、現大統領任期中に再選挙を実施する」と表明した。8日の決選投票も中止される。セルビア民主野党連合は「政権延命を狙った無効決定は認められない」と反発、5日午後、ベオグラードでミロシェビッチ大統領退陣を求める集会を開いた。集結した野党支持者約30万人の一部が連邦議会に突入を図り、警官隊が催涙ガス弾を使用、さらに緊張が高まっている。
 憲法裁は4日夜、選挙の「一部無効」を発表したが、スルディッチ裁判長は5日、自由ヨーロッパ放送に「大統領選は最初からやり直さねばならず、この決定は最終で変更できない」と述べ、野党連合のコシュトゥニツァ候補が首位に立った第1回投票結果の取り消しを表明した。現大統領の任期は来年7月だが、再選挙の期日は「現大統領の任期中」としている。
 野党連合は5日午後3時(日本時間同10時)から、ベオグラードで大規模集会を開き、政権与党の影響下にある連邦選管にコシュトゥニツァ氏当選の「真の選挙結果」受け入れを迫った。野党指導者らは平和的な抗議行動の継続を強調したが、憲法裁決定に不満を抱く群衆の一部が議会突入を企てた。
 野党連合は2日から各地でゼネストを展開。スト拡大を受け、セルビア共和国当局は鎮圧方針を表明、野党指導者を拘束するなど締め付けを強化している。[2000-10-06-00:56] 137
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 10/06@◎一部警官がデモ隊に合流=ユーゴ(時事通信)

 【ベオグラード5日AFP=時事】AFP通信記者によると、ユーゴスラビア連邦セルビア共和国の国営テレビ局で5日、警戒に当たっていた警官隊のうち少なくとも10人がヘルメットを脱ぎ捨て、付近にいたデモ隊の側に加わった。国営テレビ局はこの日、反ミロシェビッチ・ユーゴ大統領派のデモ隊に占拠された。 [時事通信社][2000-10-06-00:45] 139 [このページの最初に戻る]


 10/06@◎デモ隊が国営TV局を占拠=ベオグラード(時事通信)

 【ベオグラード5日AFP=時事】ユーゴスラビアの独立系ラジオ局が伝えたところによると、ベオグラードで抗議行動を続けていたデモ参加者は5日、ユーゴ連邦セルビア共和国の国営テレビ局ビルに突入し、テレビ局を占拠した。その際、銃撃の音が聞こえたほか、テレビ局のビルで火災が起きているのが目撃されたという。 [時事通信社][2000-10-06-00:20] 24 [このページの最初に戻る]


 10/06@<コートジボワール>非常事態宣言 大統領選を前に暴動抑え(毎日新聞)

 【ヨハネスブルク6日藤原章生】昨年12月のクーデター以来、軍事政権下にある西アフリカ・コートジボワールで6日、国家非常事態宣言と夜間外出禁止令が発令された。今月22日に予定される大統領選を前に、反軍政デモや暴動を抑えるのが目的とみられる。
 大統領選には、クーデターの時の不出馬宣言を翻した軍政トップのゲイ大統領(元国軍参謀総長)や野党のワタラ元首相(国際通貨基金元局長)ら19人が出馬を表明している。しかし、人気の高いワタラ氏は「隣国ブルキナファソ出身」という疑いをかけられ、最高裁が7日にも候補者リストから外すとの見方が強い。これを受けて学生らがデモや暴動を繰り広げる可能性が高く、首都アビジャンの外国人や富裕層ら推定1000人が4日ごろから一時避難を始めている。
 軍政の情報相は「非常事態はあくまでも暴徒から住民を守るためのもの」と説名するが、軍が混乱に乗じて野党候補の襲撃など弾圧を行うこともあり得る。[2000-10-06-19:10] 91
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 10/06@最高峰エベレスト頂上からの滑降に挑戦 スロベニア人冒険家(共同通信)

 【ロンドン6日共同】六日付の英紙タイムズは、スロベニア出身の冒険家ダボ・カルニカルさん(37)が七日、世界最高峰のエベレストの頂上からスキーによる滑降に挑むと伝えた。成功すれば初めてとなる。
 計画では、カルニカルさんはスキーを担いで頂上まで上り、五―七時間かけて標高五千二百メートル付近にあるベースキャンプまで滑り降りる。
 同紙は、滑降の様子は複数のカメラで撮影され、インターネットを通じて生中継もされるとしているが、ホームページのアドレスは報じていない。
 カルニカルさんはこれまで、アルプスのモンブランやヒマラヤのアンナプルナといった高山からの滑降に成功。しかし四年前にエベレストに挑んで失敗した際には、手の指二本を失ったという。
 カルニカルさんは「私はこうした挑戦をするために生まれてきた」と自信を示している。(了)[2000-10-06-10:58]
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 10/07@ユーゴ首都ベオグラードに祝賀ムード(読売新聞)

 【ベオグラード6日=大内佐紀】「民主野党連合」が掌握した首都ベオグラードでは六日、前日以上の規模で市民デモが続いた。「ミロシェビッチ大統領を追い落とすまで、この圧力を維持しよう」との「連合」の呼びかけに応じたもので、連邦議会前には前夜を上回る数十万人が詰めかけ、特設ステージに地元の人気バンドが登場、周辺は祝賀ムードに包まれた。
 「自由なセルビア万歳」「さらばスロボダン(ミロシェビッチ大統領)」。だれともなく言い出したスローガンに、数十万の声が唱和する。首都から百五十キロ離れた町からやって来たという自動車修理工ミラン・ダービチさん(47)は、「娘の世代のためにも、この国を平和にしなければならない。もう少しだ」と興奮気味に語った。[2000-10-07-00:05] 2
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 10/07@<ユーゴ>「ミロシェビッチ」という政治家=評伝(毎日新聞)

 一時は米欧を手玉にとるかのように権勢を誇ったユーゴスラビア連邦のミロシェビッチ大統領。何よりも「バルカン政治家」を体現する策略にたけた人物だった。それは権力の座に上りつめた1990年代に数々の危機を「実力者」登用で乗り切ったところでも発揮された。しかし自らの地位を脅かす存在になると、容赦なく切り捨てる冷酷さをも持ち合わせていた。国民の間には「ミロシェビッチのせいで犠牲になるのはご免だ」という気持ちがまん延し、最後に命取りとなった。
 旧ユーゴ連邦の崩壊(1991年)から、ボスニア内戦(92―95年)、コソボ紛争の本格化(98年)に続くユーゴ空爆(99年)。ミロシェビッチ政権は90年代に「民族の危機」を逆手に取る格好で、国民の団結を訴えた。この間、政権維持が揺らぐ二度の難局を国民に人気抜群の人材登用で乗り切った。いずれも旧ユーゴ時代から課題だった経済危機が一向に克服できず、国民の不満が爆発寸前になったときだった。
 最初は92年、今回と同じ大規模なデモが席巻し、当時セルビア共和国大統領だったミロシェビッチ氏は一時、姿をくらました。起死回生策として出したのが、作家、チョシッチ氏のユーゴ連邦大統領起用だった。民族的主張が禁じられたチトー時代にセルビア民族擁護を訴えた知識人として、チョシッチ氏はカリスマ的権威があり、そこに寄りかかったのである。しかし、自分より政治的影響力が強くなったと分かると、1年で解任した。
 そして94年。いよいよミロシェビッチ政権の経済運営のまずさが明白になると、今度は世界銀行などの勤務経験があるエコノミスト、アブラモビッチ氏に助け舟を求めた。中央銀行総裁に就任したアブラモビッチ氏は、自国通貨ディナールのドイツ・マルクとの交換比率を1対1とする荒療治で超インフレを一時抑え込んだ。ところが、総裁の厳しい目がミロシェビッチ政権の利権の巣・国有企業に及び始めると、結局辞任に追い込んだ。
 両氏に共通しているのは最初、ミロシェビッチ氏の人柄にかなり傾倒していた点である。アブラモビッチ氏は総裁就任間もないころはミロシェビッチ氏を「非常に誠実でセルビアのことを真剣に考えている人物」と絶賛していた。
 普段はぶっきらぼうに見えるミロシェビッチ氏だが、側近筋は「会食などではすぐれた話術で相手を魅了する一面がある」と言う。人材の一本釣りが上手だが、手際よくお払い箱にするのも素早かった。
 ミロシェビッチ氏が旧ユーゴ時代に共産主義者同盟の中で出世できたのは、多分に党幹部の親類がいたミーラ(ミリヤナ)・マルコビッチ夫人の後押しのお陰だ。それに加えて、同氏は独自の人心掌握術を培ってきたのだが、あくまで打算に基づくものだった。彼の心の裏を国民は10年以上にわたり見てきたからこそ、不満は飽和点に達していたのではないか。もはや政治的修辞が通用しないほど、人々は生活苦で疲弊しきっていた。 【町田 幸彦】[2000-10-07-00:01] 3
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 10/07@<ユーゴ>中村義博・元駐ユーゴスラビア公使に聞く(毎日新聞)

 ユーゴスラビア人はトルコ帝国に500年間支配された経緯から「お上に盾つく」ことをせず、自分の生活を防衛する保守的傾向が強かった。何度も選挙の機会を与えられながら、ミロシェビッチ与党が勝ってきたことにもうかがえる。その点から見ると、現状は非常に新しい展開だ。ミロシェビッチ政権への国民の不満がボルテージを上げてきたということだ。
 これまでミロシェビッチ大統領が政権を維持できたのは野党がまとまらなかったからで、コシュトゥニツァ氏のリーダーシップで野党がまとまって選挙を制する勢いを示した。軍、警察が動かないのもミロシェビッチ政権の終焉が近いと見ているように思われる。
 モンテネグロのジュカノビッチ大統領はセルビア野党と通じている。ミロシェビッチ政権が倒れ、コシュトゥニツァ政権が生まれれば、連邦強化の方向に力学が働く。
 ミロシェビッチ大統領はセルビアの聖地・コソボの問題で強くあたった。コシュトゥニツァ氏もこの点、民族主義者であり、コソボ情勢には大きな変化はないのではないか。
 コシュトゥニツァ政権になれば、欧州連合(EU)と良好な関係を維持するのは至上命題だ。しかも、昨年の北大西洋条約機構(NATO)の空爆被害からの国土を再建する点からもEUの支援は必要だ。コシュトゥニツァ政権下ではEU加盟プロセスが加速するだろう。 (聞き手・福島良典)[2000-10-07-00:01] 4
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 10/07@<ユーゴ>野党の決選投票拒否 民衆蜂起が後押し(毎日新聞)

 ユーゴスラビア連邦でミロシェビッチ政権を追放する民衆蜂起が成功しつつある。今回の過程で特徴的だったのは、セルビア民主野党連合が大統領選挙第1回投票を正当とし、決選投票拒否を貫いた点だ。事前の世論調査では、決選投票にもつれ込めば野党有利の見方が強かったにも関わらず、なぜ頑なに拒否を主張したのか。外国メディアには決選投票参加を促す声が多い半面、国内ではその声はほとんど表に出なかった。この差は国民のミロシェビッチ氏への「皮膚感覚」の違いだったとみられる。【ベオグラード・福井聡】
 9月24日の第1回投票の翌日に大統領選の大勢が判明した時、野党連合候補、コシュトゥニツァ氏は頑なともいえるほど決選投票拒否を強く主張した。野党連合の独自集計では、開票率65%の時点でコシュトゥニツァ氏が得票率55・30%と、ミロシェビッチ氏の同34・37%に大きく差を付けていた。投票総数の過半数で当選が確定するため、この数値から野党連合が強気になるのは十分理解できた。投票前、政権側が同連邦コソボ自治州などで不正工作を進めていると再三指摘されたにも関わらず、これだけの得票率になった点も拒否に傾いた理由だった。
 ところが、この得票率はその後集計が進むにつれ、微妙に変化していった。野党連合の最終集計は51・34%対36・25%で、コシュトゥニツァ氏の得票は過半数ギリギリの線まで下がっていた。一方、連邦選管の最終発表は48・96%対38・62%で、野党連合と連邦選管のコシュトゥニツァ氏の最終得票率の差は、実は2・37%に過ぎなかった。
 もちろん、野党側は連邦選管の数値は操作されていると主張しており、野党側の得票率が5割を超えているか否かが最大の焦点だった。しかし、第三者の目には「5割を挟んだ微妙な数値で、2%前後の誤差なら、決選投票で決着をつければはっきりする」と映った。しかも、参加しなければ与党側のみ参加し、ミロシェビッチ氏は法に裏付けられた「不戦勝」を宣言することになる。ミロシェビッチ氏は野党側が拒否するのを見越して決選投票に持ちこんだフシがあった。
 チトー時代の反政府活動家、ミロバン・ジラス氏の子息で、ユーゴ情勢に詳しいアレクサ・ジラス氏(米国在住)は「野党連合のゼネストは革命につながるかどうか不明だ。決選投票を行えば必ず勝てる」と決選投票参加を強く勧めた。ユーゴ国内で取材中の外国人記者の中にもこの声は強かった。参加の選択肢を残して様子を見るべき、との声もあった。
 しかし、野党連合関係者や国内のジャーナリストは「決選投票参加はミロシェッビッチの術中に陥ることを意味する」として一斉に強く反発した。
 ゼネストの勢いが不明だった時点では、決選投票拒否こそがミロシェビッチ氏の術中にはまるもので、自殺行為にさえ映った。
 ところが、決選投票実施4日前に憲法裁判所が1回目の大統領選挙の無効と再選挙実施を決定、その翌日に民衆蜂起が起きており、いずれにせよ日程から消えていた。
 決選投票拒否貫徹で野党連合は胸を張るが、もしゼネストがこれほど勢いを持たなかったら、もし軍が大規模弾圧に乗り出していたら、5日の民衆蜂起が不発に終わっていたら…。コシュトゥニツァ氏と野党連合の拒否決定は筋が通っている一方、柔軟性に欠けた印象が拭い切れない。
 ブレーメ誌のミラン・ミロシェビッチ記者は「連邦選管の発表には疑いの濃い点が多くあった。『不戦敗』のリスクはあったが、決選投票を仕掛けて来た手法は典型的なミロシェビッチ流戦略で、きっぱり拒否すべきだった。また、コシュトゥニツァ氏はいったん決めたら決して変えず、筋を通す性格だ。今回はこの選択が吉と出た」と話している。[2000-10-07-00:01] 5
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 10/07@<ユーゴ>旧ユーゴ諸国 新たな関係構築へ(毎日新聞)

 ユーゴスラビア連邦でのコシュトゥニツァ新政権樹立に向けた動きは、近隣の旧ユーゴ連邦諸国に様々な波紋を投げかけている。ミロシェビッチ政権が「大セルビア主義」路線を取ったのに対し、コシュトゥニツァ氏は「穏健派民族主義者」として知られ、民主的な姿勢を明確にしながらも近隣諸国と新たな外交関係を模索するとみられる。
 コシュトゥニツァ氏の基本は「民族としてのセルビア人の誇りの回復と連携強化」だ。他民族に対しセルビア拡張主義を強要することはない。しかし分離・独立が問題となっている連邦内のモンテネグロ共和国、コソボ自治州、それにボスニア・ヘルツェゴビナ共和国のセルビア人共和国の3地域ついては、連携を強めたい意向だ。
 特にモンテネグロは、国内がセルビア協調派と分離・独立派に2分され、新政権との関係が注目される。コシュトゥニツァ氏は今回のユーゴ大統領・議会選で、モンテネグロのジュカノビッチ大統領に投票を要請したにもかかわらず、ジュカノビッチ政権がボイコットを決めた事から関係が一層悪化。新内閣の首相にはモンテネグロの野党、国民社会党のブラトビッチ副党首を指名する意向を示している。セルビアとの連携姿勢を評価したものだ。
 コソボについてもコシュトゥニツァ氏は連邦内存続を望んでいる。ただし95%以上を占めるアルバニア系住民の独立希望は根強いだけに、苦しい選択に立たされる。またボスニア内のセルビア人共和国に対しては将来の緩やかな連邦構想さえ抱いている。
 さらにコシュトゥニツァ氏は、旧ユーゴ連邦内のクロアチア、スロベニア、マケドニアとも新たな友好関係を模索する方針だ。民族主義者だった故ツジマン大統領からの脱皮を達成したメーシッチ・クロアチア大統領は「独立までは民族主義を高く掲げることが求められるが、民主政権を樹立した後は民族主義は徐々に薄まって行き、『普通の民主国家』に変わって行くものだ」と述べ、コシュトゥニツァ新政権にも同じ路線を期待している。 【ベオグラード・福井聡】
 【ユーゴスラビア連邦】
 旧ユーゴスラビア連邦の解体に伴い、1992年に成立したセルビア(998万人)とモンテネグロ(68万人)両共和国からなる。セルビアにはアルバニア系住民が多数を占めるコソボ自治州など二つの自治州がある。第二次世界大戦後、チトー将軍が樹立した旧ユーゴ連邦は民族、宗教、言語などが異なる6共和国で構成されていたが、東西冷戦終結後の90年代に入ると民族主義が高まり、92年までにスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニアが相次いで連邦を離脱した。99年3月、ミロシェビッチ連邦大統領がコソボのアルバニア系住民の分離・独立運動を弾圧し、北大西洋条約機構(NATO)軍が空爆。モンテネグロでも連邦離脱の動きが強まり、連邦は解体の危機にさらされている。[2000-10-07-00:00] 6
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 10/07@<社説>ユーゴ民衆革命 民主化と改革の道を急げ(毎日新聞)

 ユーゴスラビア連邦で民衆革命が起きた。9月末の大統領選以来混迷が続くベオグラードで5日、民主野党連合候補のコシュトゥニツァ・セルビア民主党党首(56)が広場を埋めた市民の歓呼に応えて「セルビアは民主主義の道を歩み始めた。歴史は民衆自身がつくる」と新大統領就任を宣言した。
 新大統領は連邦議会を招集して国政を正常化し、国際社会復帰をめざすという。半年から1年以内をめどに自由公正な議会選挙、新憲法制定、連邦を構成するモンテネグロ共和国との関係改善など民主化を推進するとも約束した。
 欧州最後の独裁政権崩壊を意味する歴史的事件である。軍の動きはまだ流動的で、ミロシェビッチ大統領夫妻の行方も不明だ。
 だが、民意がコシュトゥニツァ氏を指導者とする改革にあることは間違いあるまい。民衆革命を歓迎する市民の笑顔。肩を組んで連帯する警察、治安職員。世界に流れた現場の映像にそれがはっきりと見えた。
 これまでは大量流血の事態も避けられた。それだけに、最後まで流血なき体制変革となるように期待したい。その上で、民意を正しく反映した改革を進めてほしい。
 過去13年に及ぶミロシェビッチ大統領の独裁政権下で、ユーゴは1990年代の大半を戦乱と流血に明け暮れ、欧州ばかりか世界の孤児となっていた。自身が昨年春、旧ユーゴ戦犯法廷(ハーグ)に起訴されるに至って、権力死守を狙って実施したのが今回の大統領選挙だった。
 ところが敗北が濃厚になった途端に、政権は結果の公正な集計と発表を拒んだばかりか、憲法裁判所を通じて「選挙無効」の暴挙に出た。野党連合を支持し、改革を求める国民が怒ったのは当然だろう。自ら施行した選挙を否定した時点で、ミロシェビッチ氏はわが身の正統性を破り捨てたようなものだ。
 野党指導者らは暴力的対決に短絡せず、非暴力ゼネストで市民の意思を貫こうとした。体制側の警察や治安部隊がためらわず民衆の側についたのは、そのために違いない。
 改革は歓迎すべきだが、その前途が険しいことも忘れてはならない。89〜91年に旧ソ連・東欧圏の改革が一巡した際、ユーゴはどこよりも民族・宗教が複雑に入り組み、民族間の流血と怨念(おんねん)の歴史はひときわ根が深かった。東欧改革からひとり取り残され、10年も民主化が遅れた理由もそこにある。ミロシェビッチ氏が「大セルビア主義」を扇動して非道な民族浄化作戦を推進したのは「バルカンの業」ともいうべき民族問題が現代的な形をとったにすぎなかったともいえる。
 その意味で、独立を求めるコソボ自治州のアルバニア系住民やボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人問題をどう解決するかは重要課題だ。戦犯法廷の逮捕状が出ているミロシェビッチ氏の処遇も懸案となる。新大統領は「逮捕はしない」と述べたが、国内で戦争責任を裁くのか、隠とんを黙認するのか明確でない。
 欧米は新政権発足に合わせて制裁を解除し、日本も国際社会復帰を支援する姿勢だ。穏健なセルビア民族主義者とされる新大統領は「民族主義と民主主義の調和」を訴えるが、過激な民族主義と自由、人権を柱とする民主主義は異質である。その克服は欧州全体の課題でもある。改革の今後に注目したい。[2000-10-07-00:00] 7
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 10/07@<余録>ユーゴスラビア連邦(毎日新聞)

 人、人、人……とにかくおびただしい人の数だ。ユーゴスラビア連邦のミロシェビッチ大統領退陣を求めてセルビア民主野党連合が呼びかけた数十万人の反政府集会▲首都ベオグラードには、5日朝から200台以上の大型バスや自家用車に乗った市民が各地から駆けつけ、大通りはデモで埋まった。連邦議会前で開かれた反政府集会は日本の満員電車顔負けの込み方だ。よくまあぎっしり詰まったものだと感心するほど人が出ている▲市民は警官隊と衝突、連邦議会に突入して、議会を占拠した。こうして13年にわたったミロシェビッチ体制は市民蜂起(ほうき)によって終止符を打たれた。広場では夜を徹して政権奪取を祝う人々の輪ができた。治安部隊隊員が市民と肩を組んで踊る姿もみられたという▲蜂起とは文字どおり蜂(はち)が巣から一時に飛び立つように、大勢の人々が一斉に立ち上がって実力行使の挙にでること(広辞苑)をいう。ユーゴの蜂たちは、独裁権力をほしいままにする強権的なミロシェビッチ氏に隠れてひそかに針をといでいた。市民による蜂の一突き▲蜂起で真っ先に思い出すのは第二次大戦末期の1944年、ワルシャワでドイツ占領軍の圧制に抗して市民が立ち上がったワルシャワ蜂起だ。63日に及ぶ死闘の末、約20万人が死亡し、全市が破壊された。後の東欧諸国の民衆運動、ベルリンの壁の崩壊の源流になったのが、ワルシャワ蜂起である▲89年、ルーマニアのチャウシェスク独裁政権を倒したのも市民の蜂起だった。国営放送を占拠した市民は「独裁者はついに倒された。長い間願っていたことがついに実現した」と全国民に呼びかけ、共産党本部前の広場は、互いに喜びあう無数の市民の波で埋め尽くされた。ベオグラードの歓呼の声は11年前のブカレストのそれと重なる。問題はそのあとだ。[2000-10-07-00:00] 8 [このページの最初に戻る]


 10/07@<ニュースキー>ユーゴ新政権発足へ 政府系メディアも変化(毎日新聞)

 ユーゴスラビア連邦で「民衆革命」が達成されつつある。13年間に及ぶミロシェビッチ体制を打倒した喜びが首都ベオグラードから全土に広がった。セルビア民主野党連合の大統領候補、コシュトゥニツァ氏は5日の大統領宣言に続き、6日には欧米、ロシアから事実上の承認表明を受け、新政権樹立に向けて歩み始めた。議会で旧政権側が多数派を占めており、まだ曲折があるかもしれない。それでも自由を得た「ベオグラードの春」を国民のだれもがかみしめている。【ベオグラード・福井聡】
□意気衰えず
 コシュトゥニツァ氏は5日午後7時半(日本時間6日午前2時半)、ベオグラード市庁舎バルコニーから集まった群衆に語りかけた。
 「解放されたセルビアよ、今晩は。ミロシェビッチのいなくなったセルビアは民主主義の道を歩み始めた。仏政府から『来週初めにも経済制裁を解除する』との連絡を受けた」
 万来の拍手を浴び、この場で事実上の大統領就任宣言をした。
 セルビア民主野党連合のジンジッチ民主党首は群衆に「今夜はこの場で夜を明かそう。ここは我々にとって自由の聖地だ」と呼びかけた。これを聞いた群衆の一人、ブラディミールさん(28)は「今夜はここで新政権が発足するのを待つ。もし軍か警察の反乱部隊が来たら?もちろん闘うさ」と意気盛んだった。ドラシュコさん(27)は広場で6日朝まで一夜を明かした。「私たちはコシュトゥニツァ氏が正式に大統領に就任するまでここにとどまり、この勝利を守らねばならない」。近くの通りからは「勝利だ!勝利だ!」「ミロシェビッチは自殺してセルビアを救え!」の掛け声がいつまでも続いた。
 5日間にわたってストを打ちぬいたベオグラード南60キロにあるコルバラ炭鉱にも5日夜、首都での「民衆革命」の情報が伝わり、構内に残った7500人の労働者達から大歓声が上がった。4日夜に再出動して構内の一部施設を封鎖した警官隊は5日夜、ひっそりと引き揚げた。
□憶測、不安も
 実は、ジンジッチ民主党首が「広場での徹夜」を呼びかけた背景には、ユーゴ連邦軍の動向への懸念があった。軍は「民衆の動きに干渉はしない」との非公式声明を出しはしたが、民主野党連動側は、新政権傘下に入るかどうか確証を得ていなかった。軍とのの交渉に当たった野党連合のオブラドビッチ氏は「6日午前3〜5時がヤマ場だ」とも語った。連邦軍が6日、正式に不介入を表明し、幹部らには安堵感が広がった。
 この間、市民らがヒヤリとする情報もあった。ジンジッチ党首が「ミロシェビッチ前大統領はルーマニアとブルガリア国境に近いボー西40キロにあるベリアニツァ要塞に身を隠し、『クーデター』を準備している」と述べたのだ。ミロシェビッチ氏は国内各地に極秘基地を持っている。情報は、この時点では現実味を持っていた。
□政府系メディア変身
 ミロシェビッチ政権の「御用機関」だった政府系メディアは5〜6日にかけて激変した。5日午後、連邦議会前に集まった群集は、議会突入後、国営セルビア・テレビ本社になだれ込み、放火した。同テレビは数時間に渡って真っ暗な画面を流し続けた後、一転して「これは生まれ変わったセルビア放送です」との画面を映し出し、やがてコシュトゥニツァ氏とのインタビューを放映した。
 政府系新聞、通信社も一斉に「コシュトゥニツァ連邦大統領」の呼称を掲げ、ポリティカ紙は6日付け1面で「これまでと違った職業倫理と真のジャーナリズムに裏付けられた客観報道に務めます」との声明を掲げた。
□ずれこむ新政権発足
 ただ同夜中に新議会の初会議開催を予告し、その場で新政権を正式発足させることも表明したものの、5日夜に予定された新議会召集、新政権発足はずれ込んだ。野党連合は大統領選挙では過半数を得たものの、連邦議会では依然ミロシェビッチ氏率いる社会党などの左派連合が多数派を占める。選挙後の連邦議会内の野党連合の新議席数は下院が138議席中55議席、上院が40議席中10議席に過ぎない。ベオグラード市内の社会党本部は5日夜、暴徒化した野党連合支持者の一群にある襲撃・放火され、6日、「セルビア民主野党連合と称する暴徒の蛮行を強く非難する」との抗議声明を発表した。与野党関係は厳しい情勢のままだ。
 また、連邦内のモンテネグロ共和国のどの政党と連立を組むのかもはっきりせず、セルビアとモンテネグロの関係は分離・独立をはさんで今後もなお揺れそうだ。
 新議会でコシュトゥニツァ氏が正式に大統領に就任する予定だが、議員の集まりが悪く、開会予定は延期された。市民らはじりじりとしながら「その瞬間」を待っている。
 【ことば】セルビア民主野党連合 与党セルビア社会党のミロシェビッチ大統領に対抗するため15小政党が結成した集合体。最大野党はセルビア再生運動。大統領候補のコシュトゥニツァ氏はセルビア民主党の党首。かつて共産党一党独裁だったユーゴは、冷戦終結後の1989年に複数政党制が導入され、民主党などの政党が生まれた。[2000-10-07-00:00] 14
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 10/07@ミロシェビッチ氏、利用した「民族主義」で自滅(読売新聞)

 内外から罵声(ばせい)を浴びながらユーゴスラビア連邦大統領の座を降りたミロシェビッチ氏。かつて私が会ったミロシェビッチ氏には、いつかこうした日が来ることを予知しながらも走り続けなければならない悲壮感のようなものがあった。国際社会の厳しい制裁下で、民族主義を掲げ続けることが、やがて政権の延命策以外の何物でもなくなり、行き詰まりを迎えることを、当初から感知していたのだと思う。
 ミロシェビッチ氏がセルビア共和国大統領だった一九九二年五月、単独会見という形で初めて会った。ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦が火を噴き、国際社会のセルビア批判が急速に高まっていた。だが、民族主義者としての刺激的な発言を予想していた私に対し、「ボスニアはユーゴの領土ではない」と語り、将来、独立を承認する可能性を示唆した。「(セルビア人も含め)内戦に責任のない勢力などない」とも言った。そこには、国内向けの声高な民族主義者とは明らかに違う顔があった。
 大統領官邸の執務室で、ウイスキーを飲みながら話を聞いたことがある。
 ミロシェビッチ氏は、約五百年にもわたりイスラム教のオスマン帝国の支配下に置かれていたセルビアの苦悶(くもん)の歴史を説いた。オスマン帝国と戦った栄光の歴史を欧米と戦う現代に重ねたその言葉に、セルビア人にとって支配者と戦うことが究極の美学であり、欧米との戦いで身を滅ぼしても構わないとの決意すら感じた。
 九一年六月にぼっ発したユーゴ紛争。出会いから九四年七月にワルシャワ駐在を終えるまでの間、私は、同紛争のカギを握るミロシェビッチ氏と会見を重ねた。時を追って、民族主義色を強めていることがわかった。
 「セルビア共和国以外に住むセルビア人を見捨てることはできない」と訴える氏の「大セルビア主義」は、他民族の反発を呼び、スロベニア、クロアチアが流血の末にユーゴを離れ、ボスニアでは民族純化のあらしが吹き荒れた。集団レイプというおぞましい事件も明らかになった。憎悪が憎悪を呼ぶ民族紛争のなかで、もはや政権を維持するには、民族主義者としての看板を下ろせないところまで来ていると考えざるを得なかったようだ。
 だが、経済制裁が長引き、民族主義だけでは国民を引き留められなくなった。自らの手で解き放した民族主義に最後は翻弄(ほんろう)され力つきた。 (元ワルシャワ特派員 菱沼 隆雄)
         ◇
 ◆ミロシェビッチ氏退陣表明要旨◆
 敬愛なる市民の皆さん。
 たった今、ボイスラフ・コシュトゥニツァ氏が大統領選で当選したとの公式通知を受け取った。決定は、憲法上の権威を持つ国家機関が下したもので、尊重すべきだと考える。
 選挙で私を信任し、私に投票してくれた方々全員に感謝したい。同時に、私に投票し
なかった方々にも礼を述べたい。十年にわたる責任の重圧から私を解放してくれたからだ。
 我が党(社会党)は、強力な野党となるだろう。私は、どんな政党も野党を経験せずして真の力を発揮できない、と常々言ってきた。政党は野に下ることにより、与党時代に私的な利権目的で参加していた人々を排除できるのだ。
 社会党にも、(妻ミリヤナ氏が率いる与党)ユーゴ左翼にも、これからの野党時代が大変有益と確信する。力を蓄え、次の選挙では大勝利を収めるだろう。
 個人としては少々休息し、家族、特に孫と過ごす時間を増やしたいと思う。そのあとは、党の再建に力を貸し、国の将来の繁栄に貢献したい。
 コシュトゥニツァ氏の当選を祝福し、新大統領の下でユーゴ全市民が大きな成功を収めることを祈る。[2000-10-07-23:57] 15
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 10/07@◎ユーゴ新大統領に祝電=首相(時事通信)

 森喜朗首相は7日、ユーゴスラビアの新大統領に就任するコシュトニツァ氏に「責任ある職務のご成功をお祈りする」との祝電を送った。
 首相はこの中で、同氏に「民主的な国家建設」への指導力発揮を求めるとともに、「ユーゴスラビアが国際社会に早急に復帰し、南東欧地域の安定と繁栄に建設的な役割を果たすことを希望」すると表明。日本としても支援する方針を示した。 [時事通信社][2000-10-07-23:31] 16
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 10/07@<ユーゴ>ミロシェビッチ氏の存在に野党連合は深刻なジレン(毎日新聞)

 【ベオグラード7日福井聡】ユーゴスラビアのミロシェビッチ大統領が政治活動継続を表明したことで、7日の議会承認で新大統領になるコシュトゥニツァ氏と政権党になるセルビア民主野党連合は深刻なジレンマを抱えている。複数政党制を前提にする新政権は、旧与党・社会党党首の前大統領の活動を禁止しにくい。他方、国民の多くからは「ミロシェビッチがいる限り革命は終結しない」との声が強く、野党連合の方針も揺れている。
 野党連合は6日夜(日本時間7日未明)、「ミロシェビッチ氏は側近の警察部隊を使い、なお政権奪回を狙っている。警察は彼の命令に従うべきでない」とする声明を発表した。その後、この声明は撤回されたが、野党連合のジンジッチ民主党党首は「ミロシェビッチ氏は当面、自身の基盤を強化したうえ、政権奪取を画策するだろう」と再び強調した。
 民主主義を掲げる新政権は前大統領の政治活動を規制できないが、何らかの形で13年間の圧制の責任追及を求める声が強い。追及の内容は、9月24日投票の大統領・議会選での不正工作に始まり、過去数年間の国内の独立系メディア弾圧や野党指導者抑圧、さらに不正蓄財問題も検討されている。[2000-10-07-23:15] 17
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 10/07@◇ごみ掃除で新政権誕生祝う ユーゴ首都の市民◇(朝日新聞)

 ユーゴスラビアの首都ベオグラードでは7日、大勢の市民がほうきを持って繰り出し、過去2週間の抗議行動で散らかったゴミの清掃を始めた。動員されたわけでも、強制されたわけでもない。「独裁の政治に終止符をつけ、新たなユーゴの門出を祝いたい」と人々は語った。
 2日前の大集会が開かれたユーゴ連邦議会前広場では朝から、約50人の市民が掃除を始めた。「ボランティアなんか生まれて初めてさ」とジュギッチ・ミラディンさん(62)。「こうやって掃除をしていると独裁政権をゴミ箱に葬っている気がしてくるよ」 ブランカ・アダモビッチさん(44)は9月24日の大統領選後、ずっと抗議集会に参加してきた。「大きな仕事を成し遂げた気持ち。今日は新しい時代を始める準備よ」と語った。
 ほかにも、コシュトニツァ新大統領の宣誓式が開かれるベオグラード市議会や国営テレビ局などでも、市民が掃除に精を出す姿が見られた。
 野党連合が「ゴミを掃除してくれるボランティアを歓迎する」と呼びかけ、人々が自発的に応じた。[2000-10-07-22:38]


 (注)この「最近のボスニア」コーナーは、一般に報道されている記事に、千田が一部手直しして掲載しているものです。出所は明示しており、各社・各記者の著作権を侵害するつもりはありませんが、著作権上問題があるとお考えの方や、自分(自社)の記事は載せないでほしいという方がいらっしゃれば、このホームページの感想もふくめて、千田あてに連絡してください。
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