常磐の時など存在しない。だが、誰もがそれを望むのだ。この《時》というものが、流れ去るものではなく、掴めるものだと思い込んで。そう、そして《力》のある者ほど、それに対して崇拝的になる。それは人間の業というものなのか。所詮、人は、愚かにしか生きられないだろうか。だが、それだからこそ、要が出てくるのだ。そして要が存在するからこそ、その《力》を永劫のものにしようと思うのだ。そして、それはメビウスの輪のように、めくるめく。 そして今、当麻も波豆も存在しない今、混沌とした中で、また要が生まれるのだ。いつの間にか、そして必然的に。 澤荼たちを乗せた飛行機が飛び立つ。 要は自分ではなったことに気づかない場合もあった。それでもいいのだ。自分たちが生き延びるためには、それも必要なのだ。そして、また彼らも願うのだ。この時が、永久に続きますように。常磐に、この時がありますように。
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