土師家に戻った堂士は、心葉に呼ばれた。
「堂士さん、違っていたらごめんなさい。でも、何となくそう思って」
 心葉のその口振りに、堂士は頷いた。
「どうして、伯母様にはそれが判ってしまうのでしょうか。私はもう伯母様の元から消えようと思っていました。私が東京へ出てきた目的は果たされましたから。そして、もう二度と東京へは現れないでしょう。たぶん、伯母様たちの前にも。明日の朝にでも出ていこうと思っていたのです。以前もでしたが、どうして伯母様には判ってしまうのでしょうね。きっと、伯母様が母と双子だからでしょうか。きっと、そうなのでしょうね」
 心葉がそっと首を振る。
「どうしても出ていくのですか、堂士さん。あなたが東京へ住むことを脅かす何かがまだあるのですか。堂士さん、私はあなたを本当の息子のように思っています。だから、ずっとここにいて欲しいと思っています。それは、私の叶わぬ思いなのでしょうか」
 堂士は哀しそうに微笑んだ。
「すみません、伯母様。伯母様の気持ちは本当にいつもいつも嬉しく思っています。ですが、私は一人で生きていきます。それをしなければならないのです。私は伯母様を本当に母と同じように思っていました。だから、土師家にいることは、私にとって自分の家にいるように思えるのです。いつまでもこの温かさに浸っていたいと思うほどに。でも、私にはそれが出来ません。私は、私の痕跡を残してはいけないのです」
 心葉はハッとして堂士を見つめた。その顔に哀しそうな表情が浮かぶ。それは堂士の心にさらに哀しく響き、胸を痛くする。
「堂士さん、私はあなたに会うことが出来れば、あなたを説得出来るとばかり思っていました。ですが、それが不可能なことに気づきました。私はあなたに幸せになって欲しいのに、それは叶わぬ願いなのですか。私がそれを願ってはいけないのですか」
「伯母様」
 と堂士は首を振った。
「伯母様、そのように嘆かないでください。私は充分幸せです。伯母様にそのように思っていただけることも幸せに思っていますし、自分の境遇を嘆いたこともありません。伯母様が思っているほど、私は不幸せではありませんから。ですから、そのように嘆かないでください。お願いします。私は、伯母様の嘆かれる姿を見るのが辛いのです。あなたは、私の母と同じ顔をして、同じ声を出し、同じ微笑みを私に向ける。笑って送りだしてください。私は幸せな一生を送るでしょう。あなたの側にいることは出来ないけれど。私は伯母様の微笑みが好きでした。あなたの微笑みに送られて、私は別れが言いたいのです」
 堂士の言葉に、心葉は淋しそうに微笑んだ。堂士は自分の意志を変えることはないだろう。それを判っているから、また心葉の胸が痛む。その堂士の生き方がどうしようもなく哀しくて、でもそれを自分はどうすることも出来ないのだ。
「堂士さん、それがあなたの幸せならば、私には何も言うことがありませんわ。でも、私たちがあなたの家族だということを、時に思い出してくださいね。そして、また会う日がくることを、私は信じていますわ。それを重荷に思うことなく、あなたは生きてください。私の願いはそれだけですわ」
 心葉の微笑みに、堂士は頷いた。自分の意志を変えることは出来ない。だから、心葉の気持ちを理解した上で、自分は出ていくしか出来ないのだ。そうすることが自分の生き方なのだ。
「伯母様、私はずっと伯母様たちの幸せを願っています。側にいなくても、あなた方を愛しています。ずっと見守っています。伯母様がいらっしゃったから、私は……」
 堂士はそっと心葉の手に触れて微笑んだ。
「さあ、堂士さん、もう休みましょう。夜も遅くなっていますからね」
 心葉が立ち上がる。堂士も続いて立ち上がった。
「おやすみなさい」
 と心葉が言う。
「おやすみなさい」
 と堂士が言う。
 二人は別れた。

 離れに戻った堂士の夜は、眠りについて終わりのはずだった。だが、そうはならなかった。
「堂士お兄様」
 それこそ突然に現れたのは、澤荼であった。堂士はその出現のしかたには驚いたが、澤荼が現れたことには驚かなかった。たぶん、自分は澤荼が現れることが判っていたのだ。澤荼と葵の出会いを見た時に、すでに判っていたのだ。幕が今日一つまた下りることが。
「澤荼、きっと君が来るだろうと思っていましたよ」
 堂士は澤荼を抱き留めて言った。澤荼が堂士を見上げる。
「堂士お兄様には、何もかも判っているの? あのお姉様のことが?」
 堂士は澤荼の頭をそっと撫でた。
「葵さんに会いに行きましょうか、ね、澤荼」
 そう言って堂士は澤荼を見つめた。澤荼がこくん、と頷いた。


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