「堂士お兄様」 澤荼が堂士に抱きついた。堂士がしゃがんでそっと澤荼を抱き締める。澤荼は堂士を見上げた。その表情が子供とは思えなくて、堂士はハッとした。 「堂士お兄様は、私を助ける気などなかったのね。お祖父様はそれをあなたに頼まなかったのでしょ。ね、そうでしょう」 堂士は言葉に詰まる。それが肯定の返事だと言うように。 「じゃあ、何故私の前に現れたの。どうして、ここにいるの」 澤荼が堂士のシャツを掴んで揺さぶった。堂士は哀しそうに澤荼を見た。 「私は確かに永覚さんに何もしないで欲しいと頼まれました。だから、何もしなかった。でも、永覚さんの本当の願いは、君を助けて欲しいということだったのですよ。君のお祖父様は本当に君のことを案じておられたから。それを私は知っていました」 「だったら何故、堂士お兄様はここにいるの? ただ、見ていただけで……」 澤荼が堂士から目を逸らした。 「堂士お兄様、私はもうあなたに会うことが出来ないのですね。あなたの目的は終わったのだから。私は……」 澤荼の小さな体を堂士はそっと抱き締めた。 「澤荼、君はもう、普通の女の子として生きていけるのです。だから、澤荼、私は君とお別れしなければなりません」 澤荼は無言で肩を震わせた。 「君は夢見の《力》を自分のものに出来たのだから。もう、夢見をしたくないと思えば、君は二度と見ることがないのです。それだけの《力》が君にはあるから。だからもう、私は君とお別れしなければなりません。君は、普通の子供として過ごせるのだから」 「堂士お兄様、私は、私は、もうお父様のところに戻ります。間もなく、私の家に戻るから。アメリカに戻るから」 澤荼は堂士の腕を振り切るようにして走り去った。堂士がそれを見送ることなく、反対側に向かって歩きだした。 澤荼が最初から堂士の目的を知っていたことには、ショックを受けた。澤荼にとって、堂士はどんな存在だったのだろう。それを堂士は判らない。永覚は何もするな、と言った。だが、それは永覚の心を反対に映したものだ。堂士にそう言うことで、堂士は反対のことをするだろう。永覚はそう考えたのだ。そして、堂士はその永覚の心を気づいた。 だが、堂士は葵が澤荼を殺そうとした時に、何もしなかった。それはどうしてなのか。澤荼にそれを指摘されても、堂士は否定をしなかった。何故、堂士は澤荼を助けようとしなかったのだろうか。 澤荼が葵に殺されたとしても、きっと自分は何もしなかっただろう。それを堂士は判っていた。自分は今のすべてを終わらせたいのだ。ここで、邑楽の夢見が最期を迎えて、波豆の《力》が最高のものになってもそれでいいではないか。邑楽も当麻も、その歴史を終えることを自分は望んでいるのだから……。波豆のためでもなく、葵のためでもなく。 それはそう、一時のことなのだ。その普通に生きていけなかった彼らに対して、一時の平穏が与えられたら、いや、そんな大それたことを思っているわけではない。ただ、堂士にとっては、歴史の波に飲み込まれることを、その僅かな時でもいい、忘れたいと思っていたから。忘れるはずはなかったけれど。 自分にとっては儚い夢でも、それを叶えたいと思ってはいけないのだろうか。いや、ただ逃げだしたかっただけと言われてもしかたない。それも真実なのだから……。諸見がそうだったように、堂士もそうだったと言えないこともない。 堂士は花火が打ち終わった空を見上げた。花火の残像がその空に残っているように、堂士には見える。花火の煙が白く漂っていた。 澤荼はもう心配ない。それは確かなことだ。そして、堂士の心配は彼女のことではなかった。だから堂士は寒河家に向かったのだ。それは、堂士にとって何が起こるか判っている未来の出来事であった。 何故、自分は傍観者でいられなかったのか、その理由が判らなかった。5年前にすべてから目を伏せることに決めたはずであった。それなのに、永覚が現れたことによって、自分は東京へ出てきてしまった。そして、また首を突っ込んでいるではないか。それは、自分の意志なのだろうか。そして、自分は何をしたのだろうか。 寒河家に向かった堂士は、やがて、葵の部屋のベランダに立っていた。葵はそこにはいなかった。 「葵さん」 堂士は声を掛けたが、やはり葵の姿はなかった。二人の前から去ってから、すぐには寒河家に戻らなかった、ということなのだろうか、と堂士は思った。葵に出会えなければしかたがない。堂士は土師家に戻った。
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