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 次の日、堂士は車で郊外に向かっていた。今はそこには何もないはずであった。堂士がそこを訪ねるのは、これで三度目になる。5年前に二度、そして今度で三度目。
 薄暗い森の中を走り抜ける。窓を開けっ放して堂士はそこに向かっていた。そして辿り着く。
 車を下りて堂士はゆっくりと辺りを見渡した。ただの草原であった。かつてそこに屋敷が建っていたとは、知らない人は気づかないだろう。当麻家の屋敷跡であった。つまりは、5年前に祖父、粃と戦った時に消滅した当麻家があった場所であった。
 堂士はその真ん中辺りに寝転んだ。目の前に拡がる青空は、高く高くそこにあった。蝉の声がまるで遠くで鳴いているように響いていた。
 ここに来たのは、別に目的があったわけではない。だが、何となくではなくここに来た。来なければいけないような気がしたのだ。誰かに呼ばれるように?
 ここを当麻家が売りに出していないとなると、ここはまだ当麻家の土地であった。だから、ここに来るのはその関係者しかいないだろう。堂士はそう思って、自分の車の側に止まった車を見た。起き上がってそこに座り込んで、背中をパタパタと叩く。
 車から下りてきたのは、一人の青年。不思議そうに堂士の車を見て、そして辺りを見渡した。先に相手の正体に気づいたのは、堂士のほうであった。
「お久しぶりですね」
 と堂士が座ったまま声を掛けた。相手は堂士を見て、一瞬考え込んで、そして走って近づいてきた。
「堂士…鳶尾さん?」
「芳宜叔父様、ですね。堂士で結構です」
 堂士が笑いながら言った。叔父様、の言葉に面食らって芳宜が堂士をまじまじと見た。
「堂士さん、私も芳宜で結構です。叔父様などと呼ばれると、困ってしまいます」
 そう言って、芳宜は堂士の側に座った。
「どうして、ここにいるのですか」
 堂士は芳宜を見つめて、そして再び寝転がった。
「どうして、でしょうね。私にも判りません。もしかしたら、芳宜さんに会いたかったからかもしれませんね」
 クスリと笑って堂士が言う。芳宜は堂士を見つめた。
「二度と会うことはないと思っていました。あの時、別れてから……」
 堂士は手近にある草をちぎっては投げていた。
「そうですね、私もそのつもりでしたよ。二度と東京にも現れないつもりでしたから」
「では、何故?」
 堂士がハタと芳宜を見た。芳宜はその眼差しにドキッとなった。その瞳は、諸見の瞳だ。それに芳宜は気づいた。5年前はそうと気づかなかったが、堂士は諸見に似てきている。芳宜の憧れだった、兄、諸見に。
「芳宜さん、寒河家の葵さんと結婚されたのですか」
「ええ、5年前に結婚して、今は私は寒河姓を名乗っています。つまり今、当麻姓を名乗っているのは、誰もいないのです。私が今日ここに来たのは、ここの土地を売りに出すことにしたからです。でも、もし堂士さんがその権利を欲しいと思っているのなら、私は構いません。堂士さんが正統な当麻家の主なのですから」
 その言葉に、堂士は顔を曇らせた。
「当麻家の物など何も欲しくない。私が欲しかったのは……」
 そう言って堂士は草を引きちぎる。そしてムクッと起き上がった。
「すみません、芳宜さん、あなたに当たるつもりはありませんでした」
 その指先からパラパラと引きちぎられた草を落としながら堂士は言った。
「いえ」
 芳宜が慌てて言う。
「でも、芳宜さん、当麻家のことはすべてあなたに任せます。私はすべての権利を拒否しますから。裏の地位についてもね」
 堂士がジッと芳宜を見つめた。芳宜がそれを見つめ直す。
「あなたはその何足るかを知っているのですか」
 芳宜がやがて首を横に振った。
「私は、そのことに関しては父から何も聞いていません。父が期待したのは、あなたの父と、そして私の子供だけ。私には何の期待もしていなかったのですから」
「あなたの子供?」
「私と葵の子供です。もちろん、あの時にも生まれていませんでしたし、今もまだいませんけどね」
 堂士が不思議そうに芳宜を見た。
「何故、あなた方の子供が期待出来ると思っていたのです?」
 芳宜が笑った。
「堂士さん、葵は諸見兄さんの許嫁でした。当麻粃が期待したのは、もちろん兄さんの《力》、そして彼らの子供。当麻家が長い間、裏の世界で君臨し続けたのは、《力》のある家との婚姻によって、因子を強め続けてきたからです。葵が選ばれたのは、そうした理由の一つ。寒河家にも何らかの《力》を持った因子が受け継がれている、ということなのです」
「それを、葵さんは知っているのですか」
「葵は知らないでしょう。もちろん、私も知りませんが……。父は私には何も教えませんでしたから」
 と芳宜はきっぱりと言った。
「そうですか」
 と堂士は呟いた。そうだ、あの粃のことだから、子供だけでなく、孫までもその手で動かそうと思っていたはずだ。寒河家が粃によってまず諸見の許嫁候補として上がったのは、寒河家と当麻家との婚姻が、当麻家のためになるからだ。粃が損得抜きでそれをするはずはない。だから、葵は生まれてすぐに諸見の許嫁になったのだ。
 もし、堂士に柊の記憶があったならば、葵に波豆の《力》が備わっていることに気づいたはずだ。だが、柊はその記憶を堂士に受け継がさせなかった。だから、堂士も知らない。
「芳宜さん、あなたは裏の地位を継がなかったのですね」
「私には無理です。そして、私にはその《力》がありませんから」
「ではいったい誰がそれを継いだのか……」
 堂士が呟いて、芳宜にはその呟きは聞き取れなかった。考え深げな表情を消して、堂士は笑う。
「きっと、今日、私がここに来たのは、あなたに会えるからだったのですね。嬉しいです。それだけを、あなたに伝えることが出来て。芳宜さん、葵さんとお幸せに」
「堂士さん、私も再び、あなたの元気な姿を見ることが出来て幸せです。ありがとうございました」
 二人は立ち上がった。芳宜が堂士をしばらく黙って見つめていた。
「芳宜さん?」
 その視線に堂士がいぶかしむ。
「堂士さん、兄さんに、諸見兄さんに似てきましたね」
 そう言って芳宜は嬉しげに笑った。
「彼は私の目標でしたから。すべてにおいて、諸見兄さんを尊敬していました」
 堂士が頭を下げた。
「父に代わって礼を言います。芳宜叔父様」
 そう言って差し出す堂士の手を芳宜はギュッと握った。
「さようなら」
 と堂士が言う。
「さようなら」
 と芳宜が答える。堂士が振り返ることなく車に乗り込むと去っていった。
「諸見兄さんはそこにいるのですね……兄さんは」
 芳宜はそう呟いて、車に乗り込んだ。


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