◇◇
土師家。その離れに、堂士は一人であった。5年前に菖蒲とともに数日間を過ごしたその離れは、心葉の言った通り、堂士が出ていったままの姿でそこにあった。堂士はベッドに腰掛けて窓の外を見る。
5年前も夏だった。そして、今も夏。軒先に吊り下げられている江戸風鈴が、高い硝子の音色を奏でていた。
堂士は自分の両手を見つめた。そこに残っているのは、菖蒲の最後の温もり、何年経ったとしてもそれを忘れることはないだろう。そして、自分が犯してしまった罪に対しての懺悔の気持ち。
(お兄様、私は幸せですわ。これからはずっとお兄様とともにいられるのですから。これから、私がお兄様をお守りするのですわ)
菖蒲の最後の言葉が、堂士の耳に残っている。
「菖蒲……」
堂士はその透き通るような青空をジッと見つめていた。
永覚は自分の前に現れるのに、どうして、菖蒲たちが現れないのだろうか。それが、堂士には不思議であった。堂士には諸見と当麻の記憶だけが受け継がれている。菖蒲に受け継がれた石蕗の記憶と、そして菖蒲自身の記憶は、菖蒲が持っていってしまったのだ。
堂士の記憶の中の菖蒲が笑いかけている。堂士の前に現れないのは、きっと、両親と一緒に幸せだからだ。堂士はそう信じていた。両親を直接に知らない菖蒲にとって、それがこの世での一番の未練だっただろうから。だから、再び自分を思い出してくれるまで、堂士は菖蒲を待ち続けるのだ。再び、菖蒲に会えたならば、その時は、親子四人揃って暮らすことが出来る。
「判っていますよ、菖蒲。私は少なくとも当麻としてしか生きられないのです。すでに、実体はなくしているとはいえ。12代当麻は死んで、当麻の《力》は私一人のものになりました。この13代当麻の私の……。本当ならば、12代の跡を継いで、私が裏の世界の要になるはずでしたね。それを拒んだのは、私がこの《力》を忌避しているから、そして、この世の権力争いに巻き込まれたくないから。私は菖蒲とだけの生活を幸せだと思っていましたからね。あなたが亡くなった今でも、それは変わりませんよ、菖蒲」
カラカラと風鈴の音色が時折響く。堂士は風にハラリと落ちた前髪を掻き上げた。
(要、か)
と堂士はふと思った。当麻がその地位を下りたのなら、それを受け継いだのはいったい、誰だったのだろうか。今までそれを考えたこともなかった。そして、また思い出すのだ、綾歌の言葉を。
『第三者がいたのかも、しれぬな』
(第三者……か。この前のことで得をするのは、いったい誰だ? そして、あれは綾歌の復讐ではなかったのか?)
堂士は菖蒲のことを頭から取り去った。菖蒲は絶対に自分を迎えにくるのだ。だから、今は自分の成すべきことをしよう。その成すべきことを見つけることが、今の自分のすべきことなのだ。永覚の頼みも、澤荼の涙も、堂士には全く関係のないことだった。だが、それは堂士をすでに巻き込んでいるのだ。
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