◇◇
土師家の心葉は、一人、買い物から家に戻っていた。檜香華はつい先日から半年の予定で留学中であった。
ふと、心葉が顔を上げた。土師家の前に人影が立っている。その姿を瞳に映して、心葉は思わず駆け寄っていた。
「堂士さん……本当に、堂士さんね」
5年の月日は、堂士の容姿を全く衰えさせていなかった。心葉はそれだけの年を取ったというのに。
「お久しぶりです、伯母様」
堂士が深く頭を下げた。
「さ、どうぞ、入って」
心葉が堂士を見つめながら促す。堂士はためらいがちにそれに従った。
堂士は5年前にも座った居間のソファにまた座った。
「伯母様」
と堂士が切り出そうとするのに、心葉がそっと止めた。
「待って、何も言わないで。しばらく、あなたを見つめさせてちょうだい」
心葉が瞳を潤ませて言った。それに堂士は素直に従う。
もう二度と会わないと決めていた堂士であった。だが、再び東京へ出てきてみると、自然と土師家へ足が向いてしまった。留守に気づいて、やはり会ってはいけないのだと思った堂士を立ち止まらせたのは、曲がり角から現れた心葉であった。その5年の年を取っている心葉を見て、堂士は彼女に会ったのだ。自分の母と同じ顔をしている心葉に、自分は会いたかったのだ。それに堂士は気づいていた。
「諸見さんに似てくるわね」
心葉の言葉に、堂士はえっと思った。心葉は諸見に会ったことがないはずである。心葉がクスリと笑った。
「石蕗にお願いしてね、一度だけ陰から諸見さんを見たの。石蕗があなたを身籠もった頃にね。私にとってはたった一人の妹で、その時には私たちは両親を亡くしていたから、私のたった一人の肉親だったのよ、石蕗は。その石蕗を愛している人、そして石蕗が愛している人を知りたくなったの。でも、石蕗が直接には会わないで、と言ったから、陰から諸見さんを見ることにしたの」
そう言って心葉は、昔を思い出しているような表情を浮かべた。
「諸見さんは、でも、私の視線に気づいたでしょうね」
小さく小さく、心葉は呟いた。堂士は何も言わなかった。その記憶が、諸見の記憶が自分にあるかどうかも言わなかった。
「堂士さん、会いにきてくれて良かった。心配していたの。私たちは家族なのよ。そうでしょ、堂士さん」
堂士は哀しそうに心葉を見つめた。心葉の気持ちが痛いほどに堂士に伝わってくる。だからこそ、堂士は二度と会わないことを誓っていたのだ。会ってしまえば、心葉の温かさに包まれてしまいたくなる。何もかも忘れてしまいたくなるのだ。普通の生活をしてしまうだろう。だが、堂士にはそれは許されないことなのだ。特に、人を愛することは出来ない。自分にはその資格はないのだから。13代当麻を継いでしまった自分には。
「伯母様、私は」
「堂士さん、離れは5年前のままにしてありますわ。もちろん、掃除はしていますけどね」
堂士が言おうとする言葉を言わせないために、心葉は言葉を紡いでいた。きっと堂士に先に言われると、それを認めてしまうから。だから、それを聞く前に心葉は自分の希望を言ったのだ。堂士にここに住んで欲しいということを。
堂士が黙って心葉を見つめた。堂士が言いたかったのは、心葉の世話にはならない、ということだった。心葉の予想通りに。だが、心葉に先を越されてしまった。本当にそうしたかったら、心葉の希望を叶えることはない。だが、堂士には心葉が石蕗と重なって見えるのだ。双子であった、という以上に、堂士は母親を求めていたのかもしれない。
堂士は首を振った。心葉が哀しそうな顔をする。
「伯母様、とりあえず、しばらくご厄介になります」
堂士の言葉に、心葉がパッと表情を明るくした。堂士が首を横に振ったのは、自分の意志を曲げざるを得ないことが判ったから。
「檜香華がいたら、喜んだでしょうにね。あの子は、先日から半年だけ、留学しているのよ」
心葉が立ち上がりながら言った。お茶も出していないことに気づいた心葉であったのだ。堂士がフッと溜め息をつく。
「そうですか。残念ですね。檜香華さんは私のたった一人の従妹ですのに」
それを聞いて、心葉が堂士に背を向けたままで涙ぐむ。菖蒲のことを思い出したからだ。だが、堂士にお茶を出した時には、すでに微笑みを浮かべていた。
「さあ、どうぞ。堂士さん、会いにきてくれて本当にありがとう」
そう言って心葉が微笑む。きっと、今言っておかなければ、堂士はまたふといなくなるだろう。それを心葉は判っていた。
「一人だと食事の楽しみがなくなるの。また、腕を奮うことが出来て嬉しいわ」
そう言って台所へ立ち去る心葉を、堂士は、
「ありがとうございます。伯母様のお料理は本当に美味しいですからね」
と言いながら見つめていた。その哀しげな表情で。心葉の心の中を見えている堂士であった。そしてたぶん、自分はその通りにいつの間にか出ていくだろう。別れを告げることなく。そして、この次があるかどうかは、堂士にも判らないのだ。
ただ、堂士にとって、土師家が唯一気の休まる場所であることは確かであった。
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