◇◇◇

 堂士の中の諸見の記憶が流れ去った。
 堂士は永覚に視線を釘付けにしていた。それを受け止めながら、永覚は口を開いた。
「堂士くん、俺と諸見さんとの約束を果たしてもらったのに、また、君の前に現れてしまうことを許して欲しい」
 堂士は無言であった。永覚は淋しそうに笑った。
「諸見さんの記憶を受け継いだ君は、邑楽のことを知っているね。確かに、祥吾は邑楽を継いだ。そして、継いでいない。それはどちらも正しいんだ。だが祥吾と彼の子供は、邑楽の宿命から逃れることが出来ない。祥吾の第二の封印は、決して解けないから、祥吾は、今自分が知っていること以外は知ることがないのだ。だが、彼の娘には、邑楽の娘としての宿命が課せられる。それを、俺は止めることが出来ない」
 堂士は永覚を見つめたまま、
「私にそれが可能だと……言うのですか? 邑楽であったあなたに出来ないことが?」
 と低く言った。永覚がそのボウッとした姿のままで、堂士に少し近づいた。堂士はすぐ目の前に立つ永覚を見つめ続ける。
「俺が祥吾の第二の封印を解かないのは、解きたくないのが第一の理由。だが、俺には解こうと思っても、もう解くことは出来ないのだ。祥吾の第二の封印を解くキーワードは、俺の声が必要だからね。だから、もう決して解くことは出来ない。祥吾には、この声が届かないから。何故、君とこうして話すことが出来るのか、そのほうが不思議だと思っているよ」
 堂士がフッと笑った。そんな僅かな仕種でさえ、見惚れることが出来るほど、堂士の容姿は洗練されていた。
「あなたと父が出会うことによって、当麻と邑楽の確執を止めることになった。それは、要するに当麻と邑楽が消滅すれば良かっただけのこと。そして、当麻は私で終わり、邑楽は祥吾さんで終わるのです。しかし、少なくとも邑楽の名を継いだ祥吾さんの娘だけには、夢見という《力》が備わる、というわけですね。永覚さんの言いたいことは、そのことでしょう。それで、私にどうして欲しいのですか。彼女はもう生まれているのですか」
「澤荼と名づけられて4歳に育っている。澤荼はこの夏、始めて日本に帰ってくる、そう間もなく。そして、澤荼にはすでにその《力》が現れ始めているのだ」
 堂士がそっと視線を床に転じた。月の光が床に細く延びている。それを瞳に映しているのだろうか。
「彼女をどうすればいいのです。邑楽家の夢見を?」
「澤荼は、邑楽家最後の夢見だ。祥吾たちは澤荼以外に子供を作らないし、澤荼の子供は決して邑楽にも夢見にもなることはない。邑楽の直系の男子にしか邑楽は受け継がれないし、直系の女子にしか夢見は現れないからね」
「永覚さん」
 堂士が視線を永覚に戻した。
「私はあなたと父との約束を果たした以上、あなたに何の借りもありません。私にとっての人生は、菖蒲とともにあるものでした。その菖蒲が亡くなった今、全くこの世に未練はありません。ただ、菖蒲との約束を守ることだけが、私のこの世にいる理由なのです。だから、あなたの願いを私が必ず叶えると思われるのは結構ですが、本当に叶うとはかぎらないことを知っていただきましょうか」
 堂士がそう冷やかな口調で言った。永覚が一瞬言葉を飲み込んだ。そして頷く。
「そうだな。それを君に期待するのは、俺の勝手だということか。堂士くん、では、聞くだけでいい。澤荼の他に、《力》を持っている夢見が一人いる。彼女は澤荼を邪魔者だと思うだろう。澤荼が日本に戻ってくることで、その存在に気づくのだ。彼女は澤荼を排除しようとするはずだ。澤荼にはそれに対抗する《力》はあるが、それの使い方を知らない。だから、澤荼は彼女に殺される可能性が高いだろう」
「それで、私に澤荼を守って欲しいと?」
 堂士が僅かに口元を歪めて言った。
「堂士くん、俺の頼みはそうではないのだ」
 永覚の言葉に、堂士は考える表情になった。
「何もしないで欲しいと思っている」
 堂士は驚いた顔をして永覚を見た。永覚は淋しそうに笑う。
「そう、君の言った通りだよ、堂士くん。邑楽も当麻も消滅してしかるべきなのだ。澤荼が死ぬことによって、邑楽家は直系の血を絶やすだろう。君が、当麻家を絶やそうとしていることと同じようにね」
 堂士はゆっくりと立ち上がった。永覚よりも少し背の高い堂士が、永覚の側に立った。その細い指先が、前髪をそっと掻き上げる。
「永覚さん、もう二度と私の前に現れないでくださいね。私はあなたの友人である諸見ではありませんから。私は当麻鳶尾でもない。私は、当麻堂士ですから」
 永覚がまた淋しそうに笑った。そして何も言わずに堂士からすうっと遠去かるようにして、そして消えていった。
 堂士と永覚はこれ以後、会うことはなかった。そして、今度こそその必要もなかったのだ。
「ずるいですよ、永覚さん。私を呼ぶのはあなたではないはずでしたのに……」
 堂士がそれを呟いたのだろうか。ガランとした部屋の中にその言葉が響いていた。


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