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 石蕗が二人目を身籠もったのは、諸見が22歳になった時であった。そして、諸見は当麻家を出ていく決心をしたのだった。
 そして、諸見は当麻家の夢見、綾歌の前にいた。
「綾歌、あなたは私を当麻らしからぬ当麻と言いましたね。それは、でもきっと違う。私は決して当麻にはなれない。なりたくはない。だが、この《力》をなくすことは出来ないのです。私の家族を守るためには。その矛盾が、私が当麻ではないが、当麻である、ということなのでしょうか。私はあなたが好きなのです。あなたとは敵対したくないのです。あなたは夢見であり、私にいろんなことを教えてくれた師でもあります。それが、父の夢見であるのが、私には判らない。あなたの意志はどこにいったのですか。あなたは、私だけと接する時と、父がいる時と、その態度ががらりと変わる。それが、私には辛いのです。私に出来ることがあったら、何でも言ってください。私はあなたのために出来るだけのことをしたいのです」
 諸見の言葉に、綾歌は、その閉じた眼で見つめる。
「諸見殿は、本当に優しい方じゃな。それが、お主の命取りになる。それを判っておるのじゃな。永覚殿に出会ったことも、そして、当麻を出ようとすることも、諸見殿はすべて判ってそれを行っておる。わしのことは、心配せずともよい。そして、鳶尾殿にもわしのことを教えないでくれ。それがわしの諸見殿に頼む唯一の願いじゃ。お願いじゃ。諸見殿、元気でな」
 綾歌はそう言って微笑んだ。
「綾歌、私はあなたにずいぶん助けられました。本当に感謝しています。それが、あなたが自分自身のために行ったことだとしても、私はあなたが老獪だとか、あなたに裏切られたとは思いません。あなたが当麻家の夢見だと言い切る時、あなたは痛みをこらえていたでしょう。その理由を私は聞かないことにします。綾歌、もし、私が子供たちにこの記憶を受け継がすとしても、あなたのことは教えないことにしましょう。それがあなたの願いならば、私はそれを叶えたい。きっと、それがあなたに対する最高の謝辞になるのでしょう」
 諸見はそう言って立ち上がった。
「あなたが、初めて私の夢に現れてから、そして、父に連れられて直接あなたに会うまでの間、何度もあなたは私の夢の中に現れました。そして、その時々にいろんなことを教えてくれました。最後にあなたに聞きたいことがあります。私は私以外の人を幸せに出来るでしょうか。私の家族や私に関わる人すべてに、私は幸せになってもらいたいのです。綾歌、あなたは夢見です。夢見とは未来見のことですね。ならば、見えるのでしょう?」
 綾歌が諸見をジッと見上げた。
「諸見殿、それが可能でないことは判りきっていること、そうじゃな。それなのに、お主はあえてまた聞こうとするのか? お主には判っておろう、なあ、諸見殿」
 諸見はスッと綾歌から目を逸らして呟く。
「そう…ですね。私がこんな生き方を選んだ以上、これは逃れられない運命なのですね。父に、私の気持ちを気づかせなかったことを選んだことも…これは間違いだったのでしょうか……」
「諸見殿、それを否定することは、お主にとってすべてを否定することになるぞ。それは、わしも是と思わぬし、お主自身もそう思っているであろう」
 綾歌の手がスッと諸見の手を掴んだ。その冷たさに諸見は驚く。今まで綾歌に触れたことのない諸見は、その冷たさが綾歌の心を現しているのではないか、と思った。そして、それが哀しかった。
 諸見は綾歌の心の中を全く知らない。綾歌の言葉が、未来にどれだけ事実となるか、ということも知らない。
 諸見は綾歌の手を外した。
「綾歌、お別れです」
 そうポツリと言って、諸見は背を向けた。
(そう、わしは、諸見殿には何も頼めない。諸見殿がわしの頼みをきくことが出来ないことを判っているから。だから、夢見の通りに、諸見殿の子供たちにそれを託すことを望もう。それが、本当に実現するように、それをずっと願っていよう)
 綾歌は心の中でそう呟いて、諸見が去っていく背中を見つめていた。その見えない目で。
 諸見はその綾歌の心の中を知らない。諸見の息子の堂士が、再び綾歌の前に現れて、その本心を知るまでは。諸見は、綾歌の心を知らなかった。
(わしは、ずっと待っておる。その時までわしの時は、終わらない。この体が朽ち果てようとも、この願いは消えることがないのだ。この気持ちは終わることはない)


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