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一生は諸見を陬生学園に下ろすと、いつものように車を走らせる。当麻家に戻ることはない。一時間もあれば確実に諸見を迎えに行くことが出来る場所にいつもいた。だからたいがいは、一生の姿は、陬生学園内にある図書館で見つけることが出来るのだ。
だが、今日は違った。一生は車のまま学園から遠去かる。一生が向かったのは、いつも諸見を乗せて走る道。だが当麻家に戻るわけではない。
やがて着いたのは、浅葱学園の前。すでに昼前。そしてパラパラと校門を出てくる中に、一生は会いたかった人を見つけた。近づく彼に向かって軽くクラクションを鳴らす。彼は一生に気づいて、そして後部座席に目をやって、首を傾げた。そしてそのまま車の中に入ってくる。いつもの後部座席ではなく、助手席に。
「一生さん、お一人ですか」
彼は不思議そうに言った。邑楽永覚であった。いつもは必ずいる諸見の姿がいないのを訝った。
「諸見様は授業中です。本日は、私が永覚様にお会いしたくて、一人でやってまいりました。申し訳ございません。私のような者が、このようなことをしてはいけない、ということは、重々承知しております。お許しください」
そう言って頭を下げる一生に、永覚は首を振った。
「謝ることはないよ、一生さん。確かに君は、諸見さんの付き人だろうけど、俺に対しても、諸見さんと同じように仕えることはない。俺は君も友だちだと思ってるから。諸見さんが、君のことをこの上なく大事に思っていることには負けるけど」
永覚は笑う。一生は車をゆっくりと発進させた。
「ありがとうございます」
一生は一言そう言って、しばらく何も喋らなかった。永覚はゆっくりと流れ去る風景を見つめていた。
「何も……お聞きにならないのですね」
ポツリとやがて一生が呟いた。永覚は外に向けていた視線を一生に向ける。
「君が何も言わないから、言うまで待とうと思ったんだ。……そしてたぶん、君の言いたいことが、俺には判るから」
「え?」
一生が驚いた顔を一瞬永覚に向ける。一瞬だったのは、ハンドルを握っていたからだったのだが……。
「一生さん、諸見さんと会ったと同じ数だけ、俺は、君に会っている。諸見さんを観察するのと同じほど、君を見ていた。それだけのことだよ」
一生がフッと笑う。
「やはり、私の出る幕ではなかったのですね」
一生が信号で止まって、永覚を見つめた。
「永覚様、ありがとうございます。私などが心配するなどおこがましいことでした。そしてこれからも、諸見様……いえ、言わずともよろしいですね」
信号が青に変わって、一生はアクセルを踏み込んだ。
「邑楽家までお送りいたします」
永覚がニッコリと笑った。
「君は本当に諸見さんのことを大切に思っているんだね」
「もちろんです。何よりも諸見様をお守りしたい。あの方の負担を出来るだけ私が代わりに背負いたいのです。それでなくとも、諸見様は辛い思いをなさっているのですから。私は少しでもその代わりに背負ってあげたいのです。私は諸見様に出会うために、この時代に生まれてきたのですから。永覚様にもその思いがございませんか? 私たちは会うべくして会ったのだと」
真剣なまなざしが一瞬永覚に向く。永覚は頷くのだ。
「そうだね。きっと俺たちはそれこそ、ごくたまにしか出会わないだろう。だけど、誰よりも側にいると感じるよ」
一生は邑楽家の裏門の前を少し通り過ぎて止まった。
「君が会いに来たことは、諸見さんには言わないから。それでいいね、一生さん」
「ありがとうございます」
一生はそう言って頭を下げた。永覚はそのまま車から下りて、さっさと邑楽家へと向かった。それを見ることなく一生は車を発進させる。今度は諸見を迎えるために……。
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