当麻家は本家も分家も、子供たちはみな、幼等部から陬生学園に通っていた。但し、同じ場所ではなかったが。そして、邑楽家の子供たちは、同じ東京だが違う学校に通っていたのだ。だから、彼らが知り合いになることはほとんどあり得ない。意識して会おうとしない限り……。そして、当麻も邑楽もあえて出会おうとは思わなかったのだ。その確執の理由が互いに判らなかったからかもしれない。邑楽はともかく、戦いを好む当麻にしても、邑楽に対しては静観を主としていた。だから、未だに邑楽は滅びていないのだ。

 諸見は自分の意志でそれを行ったのだ。
 浅葱学園は、中等部から始まる私立の学校であった。陬生学園とはかなり離れていて、浅葱学園辺りから陬生学園に通う学生はいない。もちろん、反対も成り立つ。
 その浅葱学園に、邑楽永覚は通っていた。高等部の2年であった。浅葱学園には制服はない。標準服というものは存在するが、それを着ている者は普段では皆無と言っていい。入学式や卒業式で着ていればいいほうであった。つまり、永覚もいつも私服であった。
 その日は、長袖のチェックのシャツにベスト、そしてGパン、左肩にリュックを引っかけてその上に掛けるように、ベージュのジャケットを持っていた。浅葱学園から出てきた永覚はそんな恰好をしていた。その前にすっと人影が立つ。永覚は顔をふいっと上げた。
「邑楽永覚さん」
 諸見は出てきた永覚の前に立った。校門の前で待ち伏せをしていたのだった。陬生学園の制服は、やはり目立つと見えて、諸見は注目の的であった。その制服自身と諸見自身で。それを気づいていた諸見であったが、気づかないふりをしていた。一生は、少し離れた場所に車の中で待っていた。もちろん、諸見の姿が見える場所で。
 永覚は自分を呼んだ諸見を見た。短く刈り込んだ黒髪、そして僅かに鳶色がかった瞳、整った顔立ちは永覚をして彼を見つめさせるほどの魅力があった。永覚が一番印象深く思ったのは、その理知的な輝きを持つ瞳。諸見はその目元を少し綻ばせた。
「何か?」
 永覚は諸見から目を離さずに言う。濃紺のブレザーの左胸の校章には見覚えがあった。その制服に、であり、彼自身をというわけではない。同じ私立だが、彼の制服が示している学校は、幼等部から始まる陬生学園で、浅葱学園よりもランクは少し上であった。
 諸見はにっこりと笑うと、永覚に手を差し出した。
「私はあなたに会いたかったのですよ、ずっと前から。あなたの存在を知ることになってから、いや、邑楽家という存在を知ってから……」
 永覚はギョッとして諸見と彼の手を交互に見た。諸見は差し出した手をスッと延ばした。そして永覚の右手を握る。ハッとする永覚を諸見は優しげに見た。
「邑楽永覚さん、私は当麻諸見です」
 一方的に握る諸見の手と握られている永覚の手から火花が散ったようであった。永覚は言葉を失っていた。
「とにかく、ここでは人目につきますね。私の車に乗りませんか」
 諸見は永覚の返事を待つことなく振り返って一生に頷く。一生はスウッと車を二人の側に寄せた。
 そして二人は車の中であった。
「改めて、初めまして。私は当麻粃の長男、諸見、陬生学園中等部2年です」
 永覚は黙って諸見を見つめる。諸見は少し首を傾げた。
「当麻の名を知っているのですね」
「当麻……」
 永覚がさらにまじまじと諸見を見つめた。
「私は次代の当麻を継ぐはずですが、まだ当麻ではありません。でも、あなたは邑楽だ」
 諸見の言葉に、永覚はいきなり笑いだした。諸見がきょとん、と永覚を見つめる。
「当麻と邑楽が出会うことなどあり得ない」
 ひとしきり笑ってから、永覚は真顔になった。
「何故、俺に会いにきたのです? その視線には見覚えがある。7年前から何度もその視線を感じていた。ずっと前から、俺を見ていた、だろう?」
 諸見はフッと顔を綻ばせた。永覚は真顔のままである。
「当麻と邑楽は未だ出会ってません。あなたは邑楽を継いでいますが、私は当麻を継いでいませんからね。そうですか、知っていたのですか。ならば、もう少し早くお会いしてもよかったですね。7年も私はあなたのことを見つめることしかしなかったことを、少し悔やんでしまいます」
「何故?」
 永覚が目を細める。
「あなたが邑楽を継ぐのを待っていたのです。私が話したいのは邑楽に、であり、邑楽を継ぐはずの人、ではなかったからですよ。19代邑楽の永覚さん」
 諸見がスッと顔を引き締めて言った。柔和な顔立ちはそのままに、だが、永覚はその裏側の仮面に、堅固な意志が隠されていることに気づいた。
 永覚は思わず姿勢を正す。相手がどんな用件で自分に会いにきているのか判らないが、永覚にとって諸見の態度は姿勢を正すだけの意義があるように思えた。
「では、次代の当麻足る諸見さんが、19代邑楽の俺に話したいことがある、というわけだね。判った。では、俺も自己紹介を。邑楽永覚、浅葱学園高等部2年に在籍中だ」
 諸見は少し笑った。永覚の態度の豹変さに笑いを誘われたのが本音であった。どれほどに彼は素直なのだろうか。
「それで、用件は?」
「当麻と邑楽の確執を私の代で終えたくて」
 諸見はさらりと言った。諸見の言葉に、永覚は一瞬反応出来なかった。挨拶を交わすような何気ない口調で、諸見は大変なことを言っているのだ。永覚はだがすぐに口を開いた。
「今、ではなく、あなたが当麻になった時に、ということか?」
 諸見は頷いた。
「今終えたいのは山々ですが、私は未だ当麻を継いでいません。当麻は死ぬ時にしか、後継者にすべてを伝えない。邑楽がどうかは知りませんが、当麻はそう決まっています。私は今の当麻である父よりも《力》はありますが、だが、当麻ではない。そして、私には父を殺すことが出来ませんから。父が死ぬまでは、私は何も出来ないのです」
 永覚は今度こそ表情を変えた。
「諸見さん、本当にそんなことを考えているんですか」
 あまりの驚きに、永覚は言葉を改めていた。諸見は永覚をジッと見つめ続けていた。
「あなたはどう考えているのです。邑楽として」
 永覚は目を伏せて首を振った。
「……そんなことを考えたこともなかった。当麻と邑楽の確執を終えるなど……」
 諸見がスッと手を延ばして、永覚の手を握った。
「では考えていただけますか。そもそも、確執の理由は何です。邑楽であるあなたは知っているのですか。本当に当麻と邑楽の確執はあったのですか」
 永覚は諸見の手から自分に流れ込むその《気》を温かい、と感じていた。なんて優しい《気》なのだろう。
「あなたは何故、当麻でもないのに何故、それを知っているのですか」
 永覚は諸見に流されないようにしなければ、と思った。相手は当麻ではないが、当麻なのだ。
「私は確かに当麻ではありません。だが、父は私に期待し、少しですが記憶を私に与えました。そして、夢見である綾歌にあなたのことを教えてもらいました」
 そう言って諸見は永覚の手を離した。
「永覚さん、一度の出会いだけで私のことを知ってもらおうと、そんな大それたことを思っているわけではありません。私はあなたに私を知ってもらいたくて、ずっとあなたにお会いしたくて、我慢の糸が切れてしまったのです。また、お会いしましょう。あなたのことももっと知りたいし、私のことももっと知って欲しいですから。永覚さん、父にはこれは絶対に内緒にしなければならないことなのです。もし、邑楽に会っていることに気づいたら、あなたはもちろんのこと、きっと一族の方々を消滅させるでしょうから」
 諸見のそう言いながらの切なげな表情に永覚はしばらくの間、彼をまじまじと見つめ続けた。そして、やがてニッと笑って、
「諸見さん、俺もあなたに興味を持ちましたよ。またお会いしましょう。その興味がどちらに向くかはまだ判りませんけどね」
 と言った。
「でも、あなたに会えて良かった。永覚さん、私はそう思っています。真実……私はずっとあなたに会いたかったのです」
 諸見の言葉に永覚は何も答えなかった。
 こうして、二人の秘かな付き合いは、諸見が当麻家を出ていくまで続き、粃は最期までそれに気づくことがなかったのだ。


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