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 そしてしばらくして、邑楽祥吾と美原真裕美は結婚する。彼らの結婚披露宴は、盛大には行われなかった。邑楽家当主の結婚披露宴ならば、何百人もの招待客で盛大に行われるのが当然であった。だが、現当主である祥吾がそれを拒み、親戚筋もそれを受け入れるしかなかった。
 祥吾と真裕美は披露宴の後、すぐにアメリカに向かった。新婚旅行ではなく、祥吾の活動拠点がアメリカだったからだ。1年後に彼らに子供が生まれ、その子は澤荼と名づけられた。彼らは澤荼が4歳の夏になるまで、日本に戻らなかった。彼らが結婚してから、5年後に再び日本の地を踏んだが、それは2ヶ月だけのバカンスであった。そう、祥吾と真裕美にとっては。だが、澤荼にとっては、彼女には4歳にしてはふさわしからぬ夏であった。それを両親は気づかなかった。特に、祥吾は。
 澤荼は邑楽を継いだ者の直系の女子、それにどんな意味があるのかを、祥吾は知らなかった。彼は邑楽であって、邑楽でないのだ。それを知っていたのは、生きている者の中では、堂士一人であった。


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