◇◇◇
「美原さん、いえ、真裕美さん、僕と結婚してください」
美原真裕美は彼を見上げて言葉を失った。彼、邑楽祥吾は、突然に自分にプロポーズをしたのだ。邑楽家当主がただの使用人の一人である自分に。真裕美は言葉が出せぬまま、首を振った。
「それは、僕が嫌い、ということですか」
真裕美はまた首を振った。
「旦那様を嫌っているわけではありません。旦那様は、私のご主人様ですから」
真裕美は無愛想に言った。
「あなたを使用人として雇っているのは、確かに僕です。でも同じ旦那様でも、僕の妻として呼んで欲しいと思っています」
真裕美は祥吾を凝視した。その鋭さに、祥吾はびっくりした。
「御母衣家の大奥様に、私のことを頼まれたからですね。だから、私にそんなことを言われるのですね」
「確かに、お祖母様にあなたのことを頼むと言われたことは事実です。ですが、僕があなたを選んだのは、それが理由ではありません。あなたが僕の妻として、ふさわしいと思ったからです」
真裕美は首を振った。
「邑楽家に嫁ぎたいお嬢様方はたくさんいらっしゃいますわ。何故、私を選ぶのです。私よりも邑楽家にふさわしい方はいらっしゃいますわ」
「あなたは何も判っていない。僕が隣にいて欲しいと思うのは、ただ一人なのです。あなただけなのです。邑楽家にふさわしい人なら、他にもいます。でも、僕にふさわしい人は、あなたしかいないのです」
「旦那様、私は生涯結婚しないと誓っています。これを破るつもりはありません。そして、私は邑楽家にも旦那様にもふさわしくありませんわ」
祥吾が真裕美を見つめて首を振った。
「あなたがそう思うのは、お祖母様のことが原因ですね。あなたはお祖母様とは違いますよ。あなたは、あなたご自身です。それなのに、あなたはわざわざその未来を閉ざそうとするのですか」
「私は……怖いのです。あの人の血を引いているのかと思うと。私が旦那様を裏切ることをするかもしれないのですよ。それを思うと私はあなたの申し出を承諾することは出来ません」
祥吾が真裕美の手を取った。
「真裕美さん、そう思われるのは、少しでも僕のことを気にかけてくださっているからなのですね」
真裕美がビクッとして祥吾から目を逸らした。祥吾の表情がパッと明るくなる。
「恐れないでください。僕がずっとあなたを守ります。僕はあなたご自身を好きなのです。あなたが僕を好いてくださるのならば……僕は何よりもそれが喜びです」
「旦那様」
真裕美がゆっくりと祥吾を見上げた。
「祥吾と呼んでください」
「はい、祥吾様」
「僕と結婚してくれますね」
真裕美の目に涙が溢れて、零れ落ちる速度を早めるように、真裕美は頷いた。
「じゃあ、さっそくお披露目だ」
と祥吾は卓上のベルを鳴らした。ほどなく、憮養南部が入ってくる。
「南部、僕もそろそろ身を固めようと思うんだ」
南部がその白髪頭を振った。
「坊っちゃま、本当でございますか」
とたん、祥吾が顔を歪める。それに気づいて、
「祥吾様、やっと決心がおつきになりましたか」
と言い換えた。事ある毎にその話をちらつかせていた南部であった。やっと、祥吾に気持ちが通じたか、と喜んでいた。
「それで、お相手の方はどちらのお嬢様でございましょう」
机の上に積み上げられたお見合い写真を横目で見ながら、南部は言った。
「南部、叔母様方が持ち込まれた写真は、早々にお断りの手紙を添えて送り返してくれ」
南部が首を傾げる。祥吾の言いたいことが何となく判ってきた。
「祥吾様、美原さんを奥様に迎える、と言われるのですか」
表情は消しているけれども、祥吾は明らかに南部がそのことを気に入っていないことに気づいた。
「真裕美さん、ちょっと席を外してくれるかな」
にっこりと笑って祥吾は言った。真裕美は南部に一礼すると部屋から出ていった。
「それで、南部、何が気に入らないんだ」
祥吾の言葉が刺々しく南部を刺した。それにひるむことなく南部は口を開いた。
「美原さんは、あなたのお祖父様の妹御のお子様です」
「そう、父にとっては従妹で、僕にとっては大叔母様だ」
南部は首を振った。そしてハアッと溜め息をつく。
「それを判っていらっしゃるのに、何故です」
祥吾は憮然とした。
「血が近過ぎると言うのかい。従妹なら僕も考えもするが、彼女の父親は、我々とは全くかけ離れた血筋だろ。それを考えると、深く考える必要はないと思うけどね」
南部はまた首を振る。
「それとも南部、彼女と結婚することは、邑楽家に財政的にも人材的にもプラスにならないからか」
祥吾の声が低く響く。南部は祥吾の怒りに気づいていた。
「祥吾様、私は……。確かにそのことも私の心配の種であることは確かです。祥吾様のお祖父様の代から邑楽家に仕えているこの老骨、日々邑楽家のことを考えて過ごしておりました。しかし、祥吾様がこうと決めたことを私のようなものが、否定する気はございません」
祥吾は南部の手を取った。
「南部、僕は第一にお前に祝福して欲しいんだ。他の誰よりも、お前の本音で……」
「祥吾様、おめでとうございます。憮養南部、心から祝福いたします」
うん、と祥吾が南部の肩に顔を埋めた。僅かに祥吾の肩が震えていた。
「坊っちゃま、ご親戚の方々には私からうまく取りなしておきますから……」
南部が優しく祥吾の背を撫でる。祥吾が、
「うん」
と顔を埋めたまま頷いた。
「大丈夫です。私はいつまでも、坊っちゃまの味方ですよ」
南部がそう言って微笑んだ。
「判ってる」
祥吾が顔を上げた。
「でも、坊っちゃま、だけは許さないよ」
そう言って祥吾が南部を睨む。南部は幸せそうに笑った。
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