◇◇◇

 フッと目を開けた。そしてすぐに目を閉じる。細いカーテンの隙間から差し込む月の光は、だんだんと朧気になりつつ、床に伸びていた。その細い光の帯を僅かに避けるように、立っているのは一人の青年。
「長い夢を見ていたようです」
 一人の部屋で、独り言を呟いた。
 夢なのか、現なのか、判らないほどに、現実的であって、そして幻のようでもあった。ただ、夢の内容が思い出せない。ただ、覚えているのは、
「柊(ひいらぎ)さんでしたね、確かに」
 当麻傍系の柊、彼がいたことだけは覚えていた。会ったのは、ただ一度きり。それもほんの一瞬。彼、と理解していたかどうかも疑わしい。だけど、今見ていたのは、確かに彼だった。
 床を伸びる細い光の帯の先に、椅子が一脚。立っていた青年は、そこにゆっくりと座る。目はずっと閉じたままであった。光はその細い月の光だけ。真暗ではない闇が、その部屋をほとんど占めていた。
 何かに呼ばれたように瞼を開ける。だが、そこには彼自身の姿しかなく、そして、何の声も響いてはこなかった。
「まだ、呼ばれていませんね。誰にも呼ばれていませんね」
 誰に言うともなく呟く。
「もう、誰も私を呼ばないでください。私が聞きたいのは、あなたの声だけですよ、菖蒲」
 切なげに響く独り言に、そして誰も応えない。青年も、もう口を開かなかった。

 そして、再び時が過ぎる。今度は未来を現すために時を紡ぐ。紡ぎ車を未来へ過去へと回しながら……。


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